1. ポイエティークRADIO
  2. 第九十七回 旅先と山村とのお..

オムラヂの革命児・青木さんをお招きして、柿内の人生相談みたいなことをしています。

00:05
これは、録音が始まったのかな?
たぶん始まってますね。
あ、ちょっと画面固まっちゃいましたけど、たぶん。
一瞬ね。
うん、大丈夫かな。
はい。
はい、というわけで、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私柿内正午と、本日はオムラ寺からこの方です。
はい、オムラ寺の革命児青木です。どうもです。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、ということで、ちゃんとラジオ始める前は、よろしくお願いしますとしっかり言うということを、ポイエティークRADIOで教わってますんで。
そうですね、奥さんがね、話してる時に、青木さんは固くないようによろしくお願いしますって言わないから、よろしくお願いしたくないんじゃないかっていう。
いや、いやいやいや。
あー、そうですよね。
何でしょうね、育ちの問題ですかね。
全然、何でしょう、なんか、有必然性を感じないっていう。
すごい多分、録音に始まる時の型みたいなのができてくるじゃないですか、今から録音始めますよみたいな。
僕は多分、よろしくお願いしますまでワンセットで、今から録音が始まるぞみたいな一つの前振りになって染み込んじゃってるんだろうなっていうところがあって。
オムラ寺は多分どうもですって始まっていくっていう、なんかそのお互いの始め方の差みたいなところが、このよろしくお願いします一つとっても出てくるのかなっていうのは。
なんかスイッチっていうかね。
そうですね。
やっぱりありますよ。
ちょっとやっぱり普通の会話とは違うしね。
そうですね。
ちょうどこの前、VTubeラジオから初めて本を出すっていう、自分で作るんですけど、ゾンビの本を出すっていう時に、
そうだそうだ。
マスクさんにね、素敵なコメント。
ありがとうございます。
ありがとうございます、こちらこそ。
あれも見ましたよ。
告知動画、予告編。
すごいですね。
03:04
いい感じで。
そこまで予告編の効果があるかっていうことよりも、予告編を作りたいから作るっていうね。
それがいいですよね。
そうそう本当に。
一応今回は、本屋さんで買ってくれた人向けに特別音源みたいなのを、りょうたさんと一緒に録音したんですけど、
それは特典音源なので、Poeticラジオじゃないんですよ。
初めにこんにちは、Poeticラジオですって言えなくて、すごい録音始まるときの始まるぞ感が薄くて、結構びっくりするっていうことをちょうど最近、
っていうか昨日して、やっぱりだから自分ならではの始め方の型みたいなのが、どうしたってあるなっていうのを思いますね。
分かりますよ。だから僕もオムラジの方が慣れちゃってるから、
何ですか、オムラジの革命時、青木ですとか言うと、
オムラジの革命時って何だよって、つっこみが入ってるんですよ、僕に必ず。
だからね、自分でオムラジの革命時青木ですって言ったことによってスイッチというよりも、青木ですって言って、
オムラジの革命時青木って何だよ、バシッとの、そこがスイッチだよね。
それはすごい分かりますね。僕も書きないしょうがないので、
そうだよね、確かに確かに。
嘘の名前を名乗った瞬間から、まだあれやねん感は出てくるっていう。
で、何て言うの、お前誰やねんっていう架空のツッコミっていうのが常に肩腹に
居つつね、喋ってるっていうのがちょうどいいというか。
もちろん奥さんが居たり、うちもマスクさんが居たりとかっていうのはあるんですけど、
でもなんか、セルフツッコミ、だから僕は結構あれですよ、セルフツッコミ入らない人っているじゃないですか。
それを我が家ではうっとり系と呼んでるんですけど、うっとり系の人はちょっと苦手なんですよね。
没入しちゃうというかね。
そうそうそうそう。っていうね、早速苦手な人のことを言って作らないでもいい敵を作ってしまうっていう感じでは。
ちょうど最近僕なんかTwitterでなんかそういうの書いて考えてたんですけど、
なんかやっぱりこう、自分にべったりと張り付きすぎてる文章ってすごい読んでて面白くなくて、
06:03
やっぱりそこからいかにこうある意味、自分と書く自分と読む自分との間にどれだけ距離を取れるかみたいなのがすごい重要だなみたいなことを考えてて、
たぶんこの録音もそうで、自分で喋ってる瞬間から自分でツッコミを入れ続けてるみたいな。
そもそもこの録音して配信してるってこと自体が何やってるんだろうって気持ちが常にあるみたいなのが結構大事だなっていうふうに思いますね。
でも確かにおっしゃるとおりで、僕も書いているとき、日記であろうと日記じゃなかろうと、
自分の考えと常にイコールじゃないっていう感じは常に何か過剰か少ないかっていう感じですね。
そうですね。分かる気がしますね。
なんかそれが、物語とか書いてたら常に自分とイコールっていうわけじゃもちろんないから、
それが普通なのかもしれないんですけど、ちょっとほら我々は日記だとかね、
でも確かに書きないさんの場合は書きない称号自体が自分じゃないというかね。
そうですね。
分かんない。だからそれは肉体を持った自分じゃないっていうだけで、
もしかしたら本質的には自分により近いのかもしれないっていうわけですね。書きない称号のほうが。
分かんないですけど。
そうですね。
でも書いてる時はあんまり自分に興味がないなってすごい最近気づいて、
なんだろう、日記書いてるくせになんですけど、
日記書いてる間はいかに自分じゃない方に行けるかみたいなことを割と自分は好んでるんだなっていう気がしていて、
なんで書いてるだけだと多分自分じゃない方に引っ張られすぎるんですよ。
自分じゃなくなっていくことに偏りすぎてちょっとこう体調崩しがちになると。
だからこう録音するとその肉体側に引き戻されるのでどうしたって。
そこでバランスをとっている感じが最近しますね。
それはなんとなくわかる気がしますね。
確かになんか僕の場合は特に文章だとなんか綺麗すぎちゃうっていうか、
09:06
綺麗すぎるし、あと本当にここまでは思ってませんっていう感じ。
でもやっぱり文字にしたり論理にしてしまうと、本当にそう思ってるって思われちゃう感じがあるでしょ。
そうですね。
だけど、だから僕それって例えばなんかオムラジってオムラジをきっかけにしてなんか炎上したりとかすごい批判されたりとかあんまなくて、
そうやって他のポートキャストとか聞いてても、どっからラジオとか聞いてても、
ラジオ、そうね。深夜ラジオだってなんか炎上するのってやっぱり文字起こしとかされちゃって、
そうですね。
で、その文字起こしを見た、読んだ人、だから音源聞かずにその文字起こしだけ見た人がなんか炎上するみたいな感じじゃないですか。
そうですね。
だからやっぱり文字、文字の怖さっていうのもあるし、逆に言うと文字が与えてくれるなんか喜びとか悲しみとかってやっぱり常に過剰ないしなんか常に足りないっていう、
やっぱりちょっとすごく綺麗になっちゃってるっていう感じがありますよね。
そうですね。すごいでもそれは青木さんはすごい感じますね。何だろう、書き言葉に対してはこの警戒心というか、
あーそうですか。
文字の方がある意味かっこつけることもできれば、人に対して鋭く投げかけることもできちゃうみたいなところに対して、
すごいこう、何だろうな、文字の方がより一層土着であったり進退性という言葉をくどいぐらい繰り返すっていうのはそういうことなのかなというか、文字はたかだか文字だぞというか、
そこにその実態は伴ってないから、個々人っていうものを見ていくんだったらそこには声であったり体みたいなものが伴っていない分それは嘘になるみたいなところを、
すごいそのまま直接書いてるっていうよりは、青木さんが常に文章の中で中心に据えてるテーマ自体が物語っているなっていうのをすごい読んでて感じますね。
ああ、でもそれは確かに嬉しい。一回、内田先生と喋ったときも、もう本当にカッパされたというか、書いてる内容は普通のことを書いてると。
普通なんだけど、手触りの部分を大事にしてるよねっていう、それが伝わってるよねっていうことで、確かにそうなのかもしれないなっていうか、
12:13
コンテンツというよりも、コンテンツの周りにあるもの、そっちのほうが大事じゃないっていうことが言いたいのかもしれないですね。
そうですね。
僕はね、そもそも最初が、最初ってどこを最初にするかあれですけど、最初がオムラ字が最初だから、オムラ字があってルチャリブロがあって、それを文字にしたっていう順序なので、発信するっていうか、表現って言っちゃうと大げさですけど、
何かを発信するっていうメディアとしては、まず声があって、それが具現化して、オムラ字が具現化するためには、
やっぱり山村に図書館がないといけなかったっていうことなんだろうなーっていうことなんですよね。
それを文字にしようとするから、なかなかそうですね、っていうのがあってね。
前もお話ししましたけど、竹内さんの場合はね、そもそもブログを書いてたっていうところがありますけど、どうですか?
常に文字からスタートなんですよね。
それこそ一番理想的な文字との関係みたいなところは、たぶん演劇やってたときで、あれは自分が書いた言葉が最終的に具体的に空間の中に展開されていくっていうことなので、
本当に逆向きにレチャリブロであったりとか、具体的な場所みたいなものに結果していくパターンなんですよね。
あれはだから書き言葉から話し言葉になって、場所になってっていうことがやれていて、今はだから文字にはなっていて、
それをまた話し言葉でポッドキャストでもやっているんだけれども、その後どこに具体的に開いていくかっていうのがそんなに多くはないっていうのはちょっとあるかもなというのは最近思ってますね。
15:07
多くはないってどういうことですか?
例えばそれこそ文学フリマとか、自分で本手売りするような場所だったら、ある意味そこにちょっとだけ自分のスペースをもらってお出迎えできる体制があったりとか、
あとはそれこそ青木さんとオンリーディングでお話しするときとかはその場に一緒に場を共有できるみたいなことはやれるんだけれども、
自分で何か場所をしっかり持っているわけではないから、どっかに場所を借りてそこで行うっていうことに今は留まっているなと思っていて、
それはでも具体的に自分で場所を持ちたいかっていうところはまた今はちょっとよくわかんないんですけど、
でもやっぱり場所があってそこに出かけていってっていうのはすごい大事だなっていうのをすごい思いますね。
どうしたってほっとくと文字だけになっちゃうので。
確かに僕も声だけじゃなくってやっぱり文字っていうのももちろん必要だし、
桐谷さんも文字だけじゃなくて声とか、やっぱり場所もシェアハウスとか、
あとはその舞台とかね、演劇の舞台であったりとかっていうのは、
やっぱり場所っていうのは必ず関心としては出てきてるんだと思うんですけど、
優先順位っていうのがちょっと違うのかな、我々は。
優先順位かも。
でもそうかもしれない、何だろう、多分勝手なイメージですけど、
ルチャリブロードやったりオムラジデっていう具体的な身体を伴う場所で、
何かしらの収穫できるものというか、こんなものが出来上がったよみたいなものの報告の場所として多分文字の世界があるっていう感じがあって、
僕は多分逆なんですよね、文字のところで色々やってる間に拾ったものを、
たまに具体的な場所に出てって、こんなの見つけたんだけどみたいなことを紹介したいみたいなところで、
矢印の向き先が違うのかなっていうのは思いますね。
18:04
確かにね。
そんなことで、そんなことでってまた、あれですけど、
何だっけ、何か言おうとしたの忘れたな。
何だろう。
何だろうね。
なんかちょっと、そうそう、あれですわ、アウトプット、アウトプット一段落問題っていう。
そうですね。
いやまあ、すごい勢いじゃないですか。
そうですね。
相性がね。
多分そこが、多分そもそも違う気がするんですよね。
何だろう、本とかアウトプットって人目につくのが遅いじゃないですか。
だから多分代わりに思う人は友田さんが言ってたのかな。
表に出てきて何か派手に見えてる時ほど、本人にとっては割と虚無の時間なんだというか。
やっぱり水面下でいろいろ準備していろいろ足掻いていって、いろんなことを考えて準備してた時間っていうのが、
やっぱりなんだかんだ作っている側としては一番充実している時間で、
出来上がったものがボーンと表面に出てきた時って、本人は別のことでもがいてるか、何もすることがなくなっちゃって、
ぼんやりしてるかっていう時間になっちゃうんだみたいなことを確かどっかでお話されてて、
今すごいその状態というか、今だから何も本作ってないんですよ。
出てきた本だけが動いていくみたいになっていて、
周りから見たらそれこそ、これから本出たりするって動いてるなって感じなんですけど、
個人的になんか今、自分がつまんないんですよね。何にも作ってないなと思って。
でも日記はずっと書いてるわけじゃないですか。
そうですね。
それは、僕はあれですよ、もう一個は書きない称号日記問題と呼んでますけど、
日記を作品だとあんまり思ってないっていうのはあるじゃないですか。
そうですね。
だから今も何もやってないと言いつつも日記は書いてるわけじゃないですか。
そうですね。
ってことは何もやってないというか、何かするっていうのは日記ではないってことですね。
そうですね。
そうですね。
日記でもいいんですけどね、なんかその日記もやっぱり作品としての日記モードと
普通の日記モードがなんか自分の中には割とあって、
最近の日記はそんなにこう、作品感がない感じがしてるんですよ。
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それは、それって日記をウェブで書いてる時からあれですか、
その作品モードとなんかちょっと違うなとかっていうのがあるんですか。
いますね。
それはなんだろう、なんか本当に自分側の問題というか、
書いてる時、書いてて書き終わった時に自分が何か変わってないと作品じゃないっていうのが
僕の中での作品の定義で、書き始めと書き終わり、
それはだから読み始めと読み終わりで何かしら変化があるかないかっていうのがすごい大事だと思っていて、
日誌的な日記の書き方って、
助手的な日記って基本的にあったことをそのまま書くだけなので、
始まりと終わりで僕の中では変化がないんですよ。
ただ報告しました以上終わりになっちゃうから。
そうじゃなくてなんかちょっとこう、
自己破壊じゃないですけど、
なんかちょっとこう遠くにボールを投げてみて、
追いつくかわかんないけど一生懸命それを取りに行ってみて、
成功しても失敗しても自分はとりあえずつかれるっていう何か変化が起きてるみたいな書き方を
できる時とできない時があるなと思っていて、
自分がこうもやもやしてる時って大体そこの変化に乏しい時だなっていうのは
すごいこう自己診断としてもあるんですけど。
そうか。
でもあの、そうしたらその、なんていうのかな。
なんかまあ読者としては全然わからないですけど、
その毎日、例えば日記でね、毎日書く人がその自己破壊をしてたら結構読むの疲れるわけ。
いやそうなんですよね。そうなんですよね。
だからいいんじゃないですか、その助走期間というか。
そうなんですよ。
ここすごい自分でもわかっていて、自分としてはつまんない。
今は自己破壊しない域というか安定域に入ってる。
今だからこう何かしら、ある程度の人が書きない書法っていうキャラクターをこういうような感じで
こういうような文章を書く人みたいなところも含めて、
なんとなくこう受け入れられたなっていう手応え自身もなくはない。
だからこそ、なんかすごい全部台無しにしたいなっていう気持ちと、
でも台無しにするのはちょっともったいないなっていう気持ちとで揺れてしまって、
なんとなく今自分が安定域に入ってるのが、
24:00
なんかこう守りに入りすぎてませんかみたいなところで、
自分に対してすごい問い詰めている。
それこそさっきのツッコミが入り続けてるんですね、自分の中で。
だからあれですよね。
変化したのは、本当に変化したかどうかわからないけど、
他者からの視点というか、他者というか他人というかね。
今までは自己破壊する日もあれば自己破壊しない日もあるっていうことで、
それを書いてたのが日記だったわけじゃないですか。
こういうことを書く人が書きない称号という人いますよっていうのが、
古巣読む生活とかで出て、そういう人ねっていうふうに認知されたと。
そうですね。
その認知された姿を続けていていいのだろうか。
そうですね。
それがわかんないのが、そもそもずっと僕個人では変わってないつもりというか、
別にずっと同じようなことやってるっていうのは前提としてあって、
なんですけど、1回認知された気になっちゃうと、
これは僕の意思で変わってないのか、
周りの期待を勝手に僕が汲み取ってしまってるのかっていうところの区別をね、
自分で取れてるか、自信がなくなっちゃってるっていうのがあると思います。
そんな大事かと思います。認知されてないと思います。
そう、それもすごい大事。
僕もそうだね。
僕はもう十分だなって思っちゃったんですよ。今の認知。
だから本当はもっと欲張って、いやまだまだでしょと。
まだ全然村上春樹ぐらい有名にはなってないから、
まだまだ、俺ぐらいの面白さだったら、
もうちょっと知られていいだろうみたいな気持ちになれば結構健康になれるなって思うんですけど、
今のこの細々とね、数十人の人が必ずこの本は読んでくれるだろうという確信が持ててるだけで、
なんか僕もう満足なんですよ。
読めますよ。
ないしなっていうので、野心がなくなっちゃって、
なんかプルーストの頃とかは、自分で本書いてた時とかはやっぱり野心ってほどじゃないけど、
誰かに届いたらいいなっていう気持ちはやっぱり今より強かったなと思って。
そうなんだ。
なんかちょっとだから今書くと誰かに届くっていう安心にアグラを書いちゃってる感じが。
確かに。
かつ僕はもうその数十人に届けば十分なんですよ。
だからなんかこう、むしろハングリーさが欲しいのかもしれないですね。
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なんか何かを欲しがってガツガツと動くみたいなことを。
いやでもなんだろう、ハングリーさっていうか、たぶんハングリーさはあるんだけど、
どっちの方向にハングリーさを向けたらいいかがわかんないみたいな感じじゃないですか。
そうですね。だから目標見失ってますね。
そうか。結構だから目標的な人間だったんですね。目標的な人間っていうか。
そうですね。結構目標的な人間でしたね。
なんか文振り出す時とかも、自分の本作る時とかも、とりあえずあそこの本屋とあそこの本屋さんに置いてもらいたいなとか。
できたらゆくゆく理解のある編集さんの目に留まって、流通に乗るとよりいいなみたいなことを目標として持っていて、
一冊目でそれはかなっちゃったので全部。
まあね、でもどうなんだろう。
確かに、とはいえね、流通ってことを考えた場合に、
やっぱり松井さんが一人でされてるところと、株式会社みたいなのでやってるところだと一言で流通性も全然違うわけじゃないですか。
そうですね。
だから単純に流通のことだけ考えても、
ハングリーさっていうのを広く流通させるとか、部数とかっていうことで考えたらまた違ってくるんでしょうね。
それはそうなんですよね。でも数に興味がないんだよなっていう。
それはいいんじゃないですか。僕もだってそうですもんね。
さっきの話で難しいというか嫌だなとかって思うのは、面白かったら売れるっていうのがあるじゃないですか。
そうですね。
ただある一定の多分水準を超えるには、面白かったら売れるんじゃない部分の要素が入ってくるじゃないですか。
そうですね。売れるのはね、面白いとあんまり関係ないですからね。
たぶんね。ただ、僕分かんないけど、文振り行ったことないやつがこんなこと言うのもあるんですけど。
文振り以外にもやっぱり手渡しでっていうとか、顔の見えるっていう段階だったらやっぱりある程度面白いとか、面白いと認知してくれるっていう。
そこはあると思うんですけど。
ただやっぱりその顔の見えないっていうか、よう分からんけど買うとかっていう、ちょっとこれがバンドとかで言ったらメジャーとインディみたいなことなのかちょっと僕は分かんないけど、
30:10
もの凄く単純化しちゃうとそんな気がしますよね。
そうですね。
インディでいたら分かってくれる人とやっぱり一緒にやる。
で、メジャーってなったらまたちょっと違ったロジックが働いてくるんだろうなっていうところで。
昔ほど、ネットがこれだけ普及する以前のメジャーインディっていう、もう覆すようもない図式というか変化しようもない図式とはだいぶ変わってきてると思うんですよ。
メジャー的インディ、インディ的メジャー。それこそ行ったり来たりみたいなのができるようになってるんだろうなと思うんですけど、
軸足を多分メジャー側に置きたいのかインディ側に置きたいのかみたいなすごく単純化しちゃうとそういうことはあるのかなとは思いますよね。
そうですね。確かにね。
今すごい取り付く暇がない状態が欲しいんですよね。
誰も見てくれないっていうのをやりたいですね。
誰も見てくれないか、もうめちゃくちゃ見てくれるかっていう。
そうですね。
どっちかがいいってことでしょ。
どっちかがいいですね。
今一番すごい居心地がいいんですよ、今の状況が。今ぐらいが。
なんですけど、居心地のつまんないので、何かを気に食わないと思ってたいですね。
気に食わないものはないんですね?ないの?
うーん、今あんまないですね。
ほんと?
なんかね、そうっすね。
僕最近、あんまこんな感情っていうかね、あんまこんな感情って言っちゃいなきゃいけない。
初恋のみたいな感じだけど、
ああいう人には負けたくないなとか最近思い始めましたね。あんま思わなかったんですよ。
いいですね。
思わなかったんだけど、
なんかね、これが僕が一般社会に適応できないすごく大きな原因のひとつなんですけど、
なんか変な正義感みたいなのがあって。
33:03
ある程度はやっぱりさっきの話で、面白さと売れ行きは相関しててほしいんですよ。
にもかかわらず、面白くもねえのに、なんかわかんない力でそれを売るとかね、
こういうのやだなとかって思うんですよね。
はいはいはい。
ああ、なるほど。
そうですね。今その気持ちはすごいよくわかります。
今ちょっと喋っててあんまり自分で納得のいく説明ができてないというか、
自分でもそれこそ文字と同じぐらい嘘をついてるなっていう感覚がずっと自分の中にあったんですけど、
今青木さんの話聞いてわかった気がします。
なんか僕程度、今のこのちっぽけな承認のされ方でも、
一つ同人誌を作って売ってる人からすると、
よくやってるほうみたいな、成功しているような、一定の成功っていうふうなものがあるというのはあっちゃうんですけど、
それに対してツッコミをする側の僕が、
お前そんなにチェヤホヤされるほど面白くねえだろって、
自分で自分を気に食わなく思ってる。
だからさっきの青木さんの言う正義感を、僕は今自分に対してぶつけてる気がしましたね、なんだろう。
てことは、自分が過大評価されてるってこと?
いや、というよりも、面白ければ評価されるっていう世界をなるべく信じたいっていう世界観を維持するためには、
今の僕がそんなに面白がられてしまうと、その世界に対する信頼感みたいなものがちょっと損ねてるんじゃないかっていう感じですね。
ウッディー・アーレンのジョークみたいなもんですね。
どっかのクラブに僕はすごい入りたいと思ってるけど、僕のことを招待してくれるようなクラブには入りたくないっていう、
そういう気持ちで、うっかり入っちゃったからこそ、自分が入れるようなところには入りたくない。
でもなんかわかるな。
大学への就職を目指して論文とか書いてましたけど、
僕が就職できるような大学にやってやばいなとか、
36:00
僕がそんな大学に就職したりして、これである程度なやかんや中心的なことになってたら、
これは日本やばいよなとか思いましたよね。
そうなんです。やっぱり僕は素人なんですよ。
やっぱり自分としては素人で、自分は素人だっていうことがちゃんと自田ともに認められるようであってほしい。
こんな半端なものがっていうところで、もっといろんなところから叱られて、叱るべきだなっていうのがすごい。
その叱られたい問題もありますね。
そうですね。思ったより人は叱ってくれないっていう問題もある。
いや、そうよ。
だからそれこそ文字だったり。
それ何でかわかりますか?
え、どういうことですか?
それは我々のスタンスに問題があるんですよ。
言い切らないですね。
なぜかというと、本当は叱られたくないんですよ、我々は。
で、我々が叱られたいと言っているのは、そのことをやってくれたおかげで、我々が次のステップに行けるっていう。
そう、利己心ですね。
そうなんですよ。だからなんか変なことっていうかね。
例えば本も読まずに、こんな分厚い本出しやがってとか言って。
それは我々の間では叱られるにもちろん入らないわけじゃないですか。
しっかり読んだ上で、欠点とかここ足りてないよねとか、
こういうことしたいんだったら、もうちょっとこういうことじゃないとダメだよねとかって、
それを言ってほしいわけだけど。
だけどそもそも素人がとか、僕もそうですけど、
僕も学術論文っぽい体裁で自分の体験とちょっと難しめの本をわかりやすくっていうのの、
我々の芸風っていうのはそもそも比較不能なものを作るということでやってるから、
それは比較できないだから、それは叱られにくいよね。
でもそれはそうですね。そうなんですよね。
最初からプロの真似事をしたくてやってるわけじゃないから、
そもそも別に、だったら叱られる必要はないだろうって思われちゃう。
そうそう。
ありますね。
だからやっぱりある程度業界とかプロの人たちの中に入ると、
いやお前はまだプロじゃないとか、プロだったらとかっていう話になるんですけど、
それはそもそもあんま面白くないなって、本質的じゃないと思っちゃう。
39:05
僕はね。僕は本質的じゃないなと思うし、そっち向いてないなって思ったから、
それだと自分が感じてるものっていうのを身の回りのもので、
いわゆるプリコラージュとかっていったりしますけど、
素人だし、我々は文明人ではなくて原始人なわけじゃないですか。
野蛮人というかね。
そうですね。
野蛮人に対してね、そんな道具使っちゃダメだよとか言わないじゃないですか。
で、周りはみんな文明人なんですよ。
文明人からすると、あの野蛮人面白いよね、ちょっと変わってるよね、つって我々は、
我々って言っちゃうかもしれないけど、基本そうだと思うんですよ。
我々は面白がられているっていうことだからね。
そうですね。
そうなんですよね。
そうなんです。
いやー、そうなんですよね。
そうなんですよね。だからね。
そうなんですよね。
だから、ハングリーさが欲しいっていうのは、多分そういうプロなの、じゃなくても何でもいいんですけど、
そういう探求している人に対して、自分も仲間に入れてくれって、
こう突っ込んでいく図々しさだったり、なんかこう熱意みたいなものが欲しいってことなのかなっていうふうに思っていて、
なんか今やっぱりなんだかんだ言って叱られないポジションを自分で一生懸命作っちゃったから、
なんかこのコンフォートゾーンから出て、
なんかあえて叱られにいくっていう一歩を踏み出すべきなんじゃないかみたいなことを思いつつ、
でも本当は叱られたくないから、このままここにいてもいいかなとも思っているっていう。
そうなんですよね。
いやでも、やっぱり叱るっていうのは相当ですよ。
いやそうなんですよ。
叱る側もリスクが、エネルギー使うし、だから相当なことですよね。
そうですね。
でも僕らだけじゃなくて、今叱ってくれる人っていうのはどんどん減ってるし、
叱ることができる構造っていうのがなくなってますよね、社会ですね。
そうですね。
なんとかハラスメントも含めてですけど、
だから本当に社会全体として叱られるっていうのをやっぱり、何ていうのかな、
忌避してきたというか、それを避けてきた社会ですからね。
あとやっぱり、叱るっていう時にどうしたって人格攻撃みたいな方に行っちゃうのをやっぱり忌避して、
42:08
そうじゃないじゃんっていう、やった成果だったり、作品ってものを叱るっていうことじゃんっていうのが多分健全で、
叱る相手と叱られる相手の間に何か成果物があるっていうのが正しいというか、健康的な叱られの大前提だと思うんですよ。
例えば論文とかだったらわかりやすくて、やっぱりその作読者からボロカス言われるっていうのは、
書いた人がボロカス言われてるんじゃなくて、書かれたものがボロカス言われてるわけじゃないですか。
やっぱりそれがすごい大事なことだなっていうふうに思っていて、
ここでやっぱり僕は日記なんですよ。日記って作品だけれども、日記をボロカス言ってちょっとニアリーコールで人格攻撃になりかねないんですよね。
だからやっぱり僕は日記じゃないものをどんどん作って、それをいろいろと判断されていかないと、
日記しかない状態だとどうしたってそこに健全な作品扱いというか、ボロカス言ってもいいっていう読み手側の気持ちっていうものが発生しづらいだろうなっていうのは、
多分結構強く思ってるんだろうなって気づきましたね、今。
確かに。それはそうかもしれないですね。出してるものの性格。
やっぱり彼岸の図書館の評価されるのと山岳の図書館の評価されるのと心持ちが違うと思うんですよね。
まあでもそれで言っちゃったら彼岸の図書館も僕らの体験…。
確かにそうですね。作ってるものとしては確かに今出てる本は。
でもそこは僕はやっぱりずるいやってますから。僕らの体験否定したってしょうがないじゃんっていうのもあるじゃないですか。
そうですね。確かにだから今出てる本は基本的にルチャリブロっていう場所であったり行動っていうものがまず先立ってますからね。
だし何でしょうね、最初の話に戻っちゃうのかもしれないけど、僕はオムラジがあったりルチャリブロがあったりして、
そのエッセンスっていうのを抽出して、本を書きたい、文章を書きたいっていう。
ルチャリブロが持っている場の場って、室内とか室外も含めてなんですけど、そこの力っていうのを倍化させたいと思って本を書いているってところですね。
45:05
だから、彼岸の図書館読んでオムラジ聞き始めましたみたいなことを言ってくれる人がいて、それすごく多いんですよね。
僕もそういう感じですもんね。
でもそれって僕からしたらなんかよくわかんないっていうか、あ、そうなんだって感じ。そんなに僕は意図してなかったんだけど、今考えるとすごい、やっぱり僕のやりたいことってオムラジ、究極的というかね、オムラジなんだなっていうのは思いますよね。
だからあんまりそういう意味では僕は叱られたいとは思ったことなくて、それはコンテンツじゃなくて、やっぱりそのコンテンツを包んでいる周りのものが面白いじゃんって思っちゃう人間なので、
そういう意味では、叱られる、ちょっとわかんないけど、叱られたいっていうのはやっぱりより洗練させたいっていうか、純粋にしていきたいっていう感じ。だからその純粋にしていきたいという気持ちがあんまり僕はない。
どちらかというとそこの作ったものの周りに雑かな関係性が出来上がっていくことの方がいいねってことですかね。
そうですね。
よりなんか、よりわかんなくさせたいっていう感じが。
そうか。だから柿内さんは叱られることによってより、でもどういうふうにあれなんだろう。
でも多分目指すところとして僕もよりわかんなくしたいんですよ。よりわかんなくしたいんだけど、よりわかんなくするためにも、なんかこう、わかられかける人からわかってる感のあることを言われて、
やっぱりそこまでわかっちゃう感じなんだったら、もっとわかんなくしなきゃみたいなフィードバックをもらいたいってことなんだろうなっていうふうに。
そっかそっか。でも確かにどうですか。確かにおっしゃる通り、結構柿内さんの作品って、わかるわかるというか、
そういう受け止められ方をしてる気がするんですけど、それこそ文学界に乗ったりとか、
普通の本を読むだけの人じゃなくて、本を書く人にとってもやっぱり受け入れられてると思うんですけど、
その受け止められ方がちょっと、なんだろう、ぬるいぞと思ってるか、どうなんですか。それとも、全然そんなんじゃないんだけどみたいな。
48:08
なんかどんなニュアンスっていうかあるんですか。
なんだろう、なんか思い通りに行き過ぎてるというか、こういうふうに読まれるだろうなっていうふうに自分で演出したものがその通りに受け入れられている感じがして、
そんなに誤読の余地ないのかなみたいなのが。
ってことは結構内容が貧しいなというか。
その誤読に開かれてないものを書いてしまってるんじゃないかというか、自分の意図した通りにしか相手に届かないようなものを書いてる。
それですごい怖くて、ずいぶん前のマネジメント話とかに繋がっちゃうかもしれないですけど、
自分の人のことを自分の思い通りに支配したり管理したりするようなものとして文章を書いちゃってるんじゃないかっていうのがすごい気持ち悪いんですよね。
もっととんでもなくそんなこと書いてないよーみたいなところまで変な読み方をされた方が安心するというか。
なんかやっぱりもっと、だから今ちょっと分かりすぎてしまう。
自分の思った通りに分かられすぎてしまってるなっていうのが一番こうもやもやするところな気がします。
そう、だから急に宣伝しますけど、今度出るゾンビの本は結構自分としては嬉しい感じがするんですよ。
自分一人で作ってないので、りょうたさんとお話しして一緒に書き起こして作ってるので、
僕だけのこうしたらこういう風に受け取られるっていう意図が、真っ直ぐにはそのまま進んでいかない。
人の応答によってこう脱線したり全然違う方向に着地していくっていうものをようやく作れた感じがするので、
僕自身も読んで、なんかこれ結局誰が読むんだろうみたいな気持ちになる本ができたので、
これがどこにどう届いていくのかみたいなのは結構楽しみではあるんですよね。
それはでも確かにいいですね。予測不能というか。
そうなんですよ。だからやっぱり青木さんともね、いつになるかわかんないですけど、一緒に作りたいなと思っているので、
やっぱり人と一緒に作るっていうところで、多分変わりたくなくても変わっちゃうし、
作ってる間に何かしらそこで変化は出てくるだろうから、
なんか今はそういう、もしかしたら人とやるみたいなところにお向きを置くと、
やっぱりいい感じになるかなっていう予感はありますね。
そうですね。だからそういう意味で僕はオムラ寺っていうのは誰かと一緒にっていうのが最初だったんで、
51:02
飛眼の図書館も山岳ノートとかもね、基本は教長とか。教長とか対談とか好きなんですよね。
それが果たして全然予測のつかないものになることを僕が求めているかどうかっていうのがわからないんですけどね。
どうなんだろうなっていうのは、
そうですね。でも結構我々はね、どうなんでしょうね。
わかるわかるみたいな感じになっちゃうからね、お互い。
そうですね。なかなかね、それが違うんじゃないかってならないかもしれないですね。
あんまなんないんですよね、2人ともね。
結局ね、毎回なんないですからね。
まあそういう意味ではね、僕もどっかで諦めたところがありますよ。
自分はもう何ていうの、強がるっていうか悪ぶるっていうか、悪ぶってとかっていうのもね、
そういう在り方もあるかなとかいろいろ思ったりもしましたけど、仕方ないっていうか。
ツイッターでもね、びっくりしたのが、
ポイリティークでも話してましたけど、
ほら、ブルースト読む生活とかね、が面白かったって言って、
で、ありがとうございますって言ったら、その人から鍵かけられたみたいな。
ちょっと衝撃、衝撃ってびっくりしましたね。
だからそのコンテンツ、コンテンツって思ってたらコンテンツ。
コンテンツ扱いされてたんですね。
コンテンツが肉体を持ってるとは思わなかったっていうことですね。
そうですね。
面白いですね。
怖がられちゃったなと。
僕そういうこともしかしたらあったのかもしれないんですけど、
結構僕も、せっかく読んでくれたからと思ってありがとうございますって言ったりするんですけど。
どうなんだ、コンテンツって思われてないのかな。
そうなんでしょうね。
わからないな。
どういう違いなのかっていうのも。
でも確かにコンテンツって思われないと一定の広がりはないんだと思います。
54:02
そうですね。
ただどっちかっていうと、僕はコンテンツが良い悪いじゃなくて、
今の話で言ったらコンテンツと思われないほうが重要っていう。
それはすごい大事なことですよね。
人間なんで。
そうですね。僕はどっちなんだろう。
僕は割とどっちでもいいな。
コンテンツであることにも人間であることにもあんまり自分自身もどうでもいいというか。
どっちかっていうと、コンテンツになっていくのはちょっと愉快だなっていう気はしますね。
実体と乖離すればするほど面白いなみたいな。
そっか、僕そこがねちょっと。
僕はやっぱりまだそこの域までは、域というか、達してないところがありますね。
やっぱりどうしてもそこの部分。
僕はやっぱりそこの部分を大事にしてるっていうか。
そうですね。やっぱり具体的な場所だったり体だったりっていうところがやっぱり大向きをあるんだろうなっていう感じがします。
僕も同じような悩みまでいかないんですけど、
どうしてこうかなっていうのは思ってます。
どうしてこうっていうか、そんなにコントロールできるもんじゃないかもしれないけど、
どっちの方向に行こうかなっていうのは確かに思っているところではありますね。
そうですね。
そんなこんなで。
そうですね。ちょうどこれで1時間ぐらいかな。
一旦ここで置いて、続きはオムラに出た。
そうですね。
またやってるのがこいつだっていう。
こうやっていくラジオを終えてはまた次回お会いしましょう。
はい、オムラジオ革命児、青木でした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
56:29

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