1. ポイエティークRADIO
  2. 第二十九回 『プルーストを読..

『プルーストを読む生活』の版元さんとデザイナーさんをお招きしての楽しいだけのおしゃべり。


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では、改めまして、ポイエティークRADIOです。お相手は、私柿内正午とH.A.Bの松井祐輔とampersandsの中村です。よろしくお願いします。よろしくお願いしまーす。やったー。
今日は、プルーストを読む生活の出版、勝手に特別企画として、普段のポイエティークRADIOは大体僕が一人か奥さんと二人での配信なんですけど、
プルーストを読む生活の版元でもあるH.A.Bの松井さんと、この本の形だったり文字組みのデザインをしていただいたampersandsの中村さんに来ていただいて、この本の周りのことについて、ちょっといろいろとお話ができたらなと思って、お集まりいただいています。
今回何話そうかな、みたいなこともあんまり具体的に考えずには来てるんですけど、プルーストを読む生活の本の内容、どんなふうに思ったみたいな話よりも、それはそれで多分流れの中で出てくると思うんですけど、
やっぱり、もともとこのプルーストを読む生活って、僕が順番は一人で自分で毎日誰に頼まれたわけでもなく書いていて、その書いたものがまとまった量になったら、自分でインデザインで文字を組んで、自分で表紙の絵もちゃちゃっと書いて、
印刷屋さんに入港してっていう形で、全部一人で作っていたものから、今回広く届けられるような形でっていうところで、松井さんに編集のような形で入っていただいたりとか、こういった本の形を整えるところから、
岡村さん含め平本さんも一緒になって、あとは創刊の日祝さんだったりっていうところで、いろんな方に手伝ってもらいながらというか、むしろ今回僕は何を、あんまりこの形になるまでの間に自分で何かを手を加えたっていうよりは、周りの皆さんがいろいろとこの形を整えてくださったみたいなところがすごく大きくあるので、
ある意味内容としては僕は、僕が自分で作った時のことは一番把握しているんですけど、その外観だったり届け方みたいなところに関しては、ある意味ちょっと、なんていうのかな、一言じゃないですけど、文外観としていろいろな好奇心から、どんなのみたいなことをなせるかなと思っていて。
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何かでおっしゃってたの、孫っておっしゃってましたよね。
うん、そうなんですよ。何で言ってたのかな。でも本当に孫みたいですね。
自分でインデザインで作ってた時は、ある意味自分の責任の範疇というか、全部が全部内容から外見からすべての出来に関して、僕が何か責任を取らないとみたいなところがあったんですけど、この本に関してはある意味書かれている内容以外の部分に関しては、もう手放しで可愛がれるというか。
だから、この本が出るよっていう発表が出た時から、すごい想定が褒められたりとか、分厚さに面白がられたりとか、何かそういうところでいろいろと褒められるようなことがあった時に、人版と違って普通に何のくったくもなく嬉しいなって思って。
だから孫ね。
だからもう本当にただ順調に本として育っていってほしいなって気持ち。
成長とか教育に直接責任がないですからね、子供と違って孫は。
そうなんですよ。
ただ可愛がればいいだけだから。
この本が最終どうなものになろうとも、もういいやと。今この時可愛がられてればそれでいいみたいな気持ちにちょっとなっちゃうところがあって。
で、どこから話していくのがいいのかな。
まずはでもあれか、反元としての松井さんに聞きたかったのが、人版の頃から割と分厚くて。
だから各書店さんに自分で営業かけてお送りするときとかに結構送料が痛い本というか、4冊以上送るってなると一気にクリックポストが使えなくなるような分厚さの本だったんで。
結構なんだろうな、その本の厚みっていうものと納品にかかるコストっていうものが直結するんだってことがある意味人版でもなんとなくちょっとこう身に染みてたんですけど。
学本版になるともうこの厚みじゃないですか。
はいはい。
ってなってくると。
思ったより厚かったですね。
そうですね。
もうちょっと薄くなるかなと思ったんですけど、思ったより厚かったですね。
ある意味だからその納品コストがかかることは、最初から織り込み済みなような本を、それでもええやって作ろうっていうふうに思うにあたって、何かお考えだったりとか、
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はいはい。
なんていうのかな、まあなんとかなるだろうみたいな見通しみたいなのがどのくらい立ってたのかなみたいなところから聞いてみたいんですけど。
なんとかなるだろうと思ってましたね。
なんかあんまり気にしなかったっていうのはそのまま文字通りではないんですけど、最終的には気にしなかったっていうところですかね。
僕普段の仕事というか個人の仕事で取り継ぎ本の卸売りの仕事をしているので、なんていうかむちゃくちゃ大量に本を梱包して発送してるんですよね。
自分で言うのもなんなんですけど、クリックポストとそれ以外の発送方法の最大限の許容量みたいなのを既に肌感覚で把握している自信があるんですが、
これは何冊までならいけるなとか、半径がこれなら何冊まで何センチまでいけるなとかそういうのは概ねわかるんですけど、
いやもうこの本に関しては少なくとも順番がギリギリだから厚さが3センチ超えると高くなるんですけど、
厚さがギリギリだからもう合法にした段階で超えるっていうのはもうどう考えてもわかるんで、
もうなんか超えるならそれでいいかみたいな。
超えるか超えないかとかだったらもうちょっと考えたとは思うんですよ。
でも最初から考慮するレベルではなかったから、もうなんか超える前提で作ってました。
なるほど。
僕松井さんのその梱包話はわりと好きで、よくそういういろんな本の組み合わせの中でいかにして一番効率が、
コストも含めて一番効率がいい梱包がなせるかみたいなところにすごい、ある意味喜びを見出していく様に結構ワクワクしてるんですけど、
今この本の発想作業やってて、この本の発想作業はどうですか?
この本の発想作業は、急にマニアックな話しますけど、
ぜひぜひ。
良き梱包は良き段ボールからだなっていうのを、
良き梱包。
そういう生活に関しては学びましたね。
良き段ボール。
段ボール。
そうですね。
要はというか、この本はすでに3センチを超えているので、
レターパックプラスっていう発送方法、予備局の方があるんですけど、2冊までそれで送れるんですよね、実は。
3冊超えたら予備局だろうが大和だろうが宅急便になるです、どうやっても。
宅急便ってだいたい箱の3面のサイズとちょっと重量とかで価格が変動するんですけど、
いかに隙間のない綺麗にこのプルーストを読む生活が定型でハマる規格の段ボールを準備するかということが、
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作業工数とか、もちろん荷割れというか、本が傷まないかどうかということも含めてものすごく重要で、
たまたま今回は下島っていう浅草町にある梱包道具屋さんというか卸の超大きなところの小売店があるんですけど、
あそこでたまたま最高の段ボールに出会いまして、すごいこれがなければ僕は今回大変だったなっていうぐらいの、
最高の半径の段ボールと出会い、幸せな気持ちでそれを大量に買い込んでいる。
いいな。
すごく重要で。
それは重ねた時とか、干渉剤そんなにいらないようなぴったりしたサイズでハマっていくっていう意味で。
そうですね。ずっとマニアックな話を続けますけど。
こういう話を今日したかったんで。
ずっと生活っていうのは、四六板っていう半径なんですよね。
すごく大きくて分かりづらいんですけど、四六板っていう、日本の単行本だと割と一般的な企画のサイズで、
かつソフトカバーなんで、ハードカバーの出っ張りとかもないので、きれいな四六板なんですよ。
なるほど。
だからすごく段ボールはめやすくて、結果的には。
とりあえずそれも生活を2つ並べるときれいに収まる低床面積の段ボールっていうのが見つかりまして。
なるほど。
これで4冊まで60サイズっていうんですけど、一番安いサイズで4冊まできれいに送れるし。
多少積み上げても全然傘が増えないので、80サイズって次の日もう1個大きいサイズで全然送れるっていうことになり。
なるほど。
とっても幸せな梱包生活を送っております。
本当に。
いや、いいな。
すごい話だ。
そういう話を今日したかったんですよね。
そういうのを聞いてしまうと、今後のデザイナーは梱包のことまでまず考えなきゃいけないっていう感じだなと思う。
確かに。
急に真面目な出版の話から急に真面目な出版の話しますけど、それって結構今問題になってるところだと思ってて。
要は取り継ぎじゃなくて出版社が直貫するケースも今すごい増えてると。
本がただ作るだけじゃなくて、ちょっとデザインに凝った本も増えてるというところで。
昔からずっとあったんですけど、取り継ぎで雑に扱われても本が傷まないような想定。
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ザラついた紙じゃなくて、カバーを汚れづらい加工にするとかっていうところもずっとあったし。
さっきからずっとやっている3cmの厚みを超えるか超えないかで直層の層量が極端に変わるんで、
3cm以上の厚みにならないような本にしようとか、そういう議論って結構前からあったんだけど、
最近はさらに出てきてる気がしてて。
そこに合わせることも超重要だけど、最終的にはエイヤーでやっちゃえばいいじゃないって思ってるハーカーボックスで。
今回のプルストリウム生活を見ればその通りの内容になってると思うんですけど。
3cm超えてるし、極論カバーも汚れやすいしっていうことで。
あとは作り手の人との決めの問題だから、これは前提として考えなくてもいいとは思ってます。
なるほど。気になってしまうところでもありますよね。
気にした上で売っちゃえばいいんですよ、最終的に。
面白いですね。ある意味その版元としてのスタンスにもちろんよるっていうのが一番大前提ではあるんですけど、
それこそ本のデザインっていったときに、今も中村さんおっしゃったみたいに、
デザインの範疇って再現なく膨らませようと思えばいくらでも膨らませられるんだなというか、
梱包のことまで最適化させるところまで含めてデザインを考えるのか、
一旦それの関係なしに純粋に形だけを追い求めていくのかみたいなところだけでも、
広げようと思ったらいくらでも自分の範疇を広げられちゃう仕事なんだなって、今改めて思いました。
ある意味でも版元さんとどれぐらい共同できるかで変わってきますよね。
このぐらいの距離だから多分そこも相談できるのかもしれないですし、
割ともう、
関係であったり、
そういうのももろもろデザインの依頼で降りてくる段階で決まってしまっている仕事も多分すごい多いと思うので、
そこは本当関係性ですよね。
今回は厚井さんともう、
以前からもうやりとりもあって、知り合いでっていうところで、
逆にいろんな相談がすごいしやすかったのが大きいかなというところです。
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なかなかこう、
最初にこれぐらいのボリュームのものってなっていくと、
多分版元さんの方で、
これはこのぐらい費用がかかってしまうから、
これにこういう仕様でお願いしますっていう形で依頼が来ることも全然あると思うので、
そこを覆せないまま、形としてはデザインするだけっていう形になるのも多いと思うんですけれども、
今回はあと柿内さんの、
柿内さん交えてっていうのも多分大きかったと思うんですよね。
そうですね。
それも特にあんまり著者も含めてじゃないことのパターンとして多いのか。
と思うので、著者さんの意見がどの程度、
ひたすら著者さんがあんまり関わらないままっていうのも全然あると思うので。
今回ちなみにZoom、コロナの時に作ってるから全部の打ち合わせがZoomだったってこともあって、
柿内さん多分、多分じゃない。
全部のオンラインの打ち合わせに参加してますね。
多分そうですね。ほとんど全部参加させてもらったけど。
柿内さんなしでやった、こういう会話の打ち合わせ1個もなかったと思いますよ。
確かにそうですね。デザイン関連の話は全部一緒にご一緒させていただきましたからね。
あれも楽しかったですね。
元々全然この形じゃなかったじゃないですか。
僕と松井さんで最初に話してるときって、
それこそ、ペーパーバッグみたいな本が好きだからカバーなしで、
厚紙っぽいもので、
それこそ順番のラフな感じを残しつつみたいな風にするのもいいかもねみたいなところで話が始まってたので、
そこからそれこそ中村さんが表紙の案から文字組まで、
A案からF案ぐらいまで毎度何度も何度もたくさんの案を出していただいて、
その中で皆さんでどれにしようかみたいなのをワイワイやってるうちに
この形に収まっていってっていうのは、あれはすごい楽しかったですね。
あれ楽しかったですね。
思い返すと面白いのが、やっぱりこの案になってる案は、
最初たぶん8個ぐらい、絞って8個とかだったんですけど。
それも若干衝撃ですけど。
衝撃的でしたね。
こっちはすげーたくさん来たぞって思いましたけど、絞って8個だったんですね。
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あれもデザイナーさんによっては全然違うと思うんですよね。
案は出さないっていう人ももちろんいますし、
それは強度的に見方を変えると迷ってるって思われたりもするわけじゃないですか。
でも僕の場合はどちらかというと、可能性があるものに対しては広がっていく傾向があるので、
むしろ絞り込んでいくことで強度みたいなのが上がっていくような気がするので、
できる限りは探りたいというのもあるんですけれども、
面白いのはやっぱり一番最初に出た案になってないんですよね、この案は。
そうですね。
それが僕は面白いっていうのがあって。
8案をどれにしましょうかって好みを出したときに、みんなバラバラだったのが面白かったですよね。
見事にバラバラでしたね。
みんな2案ずつバラバラで。
あれは逆にもうちょっと絞ればよかったなと思いつつ、
でもたぶんこの関係の中で出た広がりだと思うんですよね。
もっと硬直した関係だったら、選ばれた案でもほぼ決まっていくみたいな形になると思うんですけども、
これをもとにどうしていこうみたいなのをみんなで決めてる感じが僕は、
個人的には結構楽しかったんですけども。
あれすごい楽しかったですね。
やっぱり自分で作った順番のイメージとかがどうしてもやっぱり一番に根強くあるので、
そうじゃなくて、ゼロからじゃないですけど、ある意味別に日記だから何の一貫性もなければ、
わかりやすいテーマもそんなにないようなポンチャ本なので、
どこを抽出するかによってそれこそデザインも佇まいも全然変わってくると思っていて、
そこのこういう切り口でこういうのもあれなんだみたいなのがいろいろと見えるのと、
それに対して複数人でこれの方が良さそうみたいなのをやっていくと見事にばらけるのも含めて、
自分がやっぱり思っているよりいろんな読み方があるんだなみたいな、思えたのも結構嬉しかったですね。
あの話の転がり方みたいなのはまさにフルスト読む生活っぽかったですけども、
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あれを素情に、結構いろんな違う話もしたりとか。
してましたね。
これはでもこういう読み解き方があるけども、
これはこれでこうでっていうのはあんまり直接想定の良し悪しじゃない話も結構してたので、
なんかすごいなーって思いますね。
ごちゃごちゃしてましたからね、ほんとにね。
でもそうですね、この形に落ち着いたのも割と納得して決めてたっていうのもありつつ。
そうですね、今となってはもうこの形だろうって感じがしますもんね、やっぱり。
この形、そうですね。
書店でまだちょっと見れてないので、僕は書店さんに手近で見てみたいんですけれども、
Twitterとかで例えば調べたりするときに、置いてましたっていうのがアップされてるじゃないですか。
そういうときにイメージとしてはなんとなく伝わるんですけれども、
それもやっぱり売る想定ではないんだな、やっぱりと。
ではないんだなというか、それは目指してるんですけども、もちろん。
改めて読んでもらうための想定にちゃんとなってるんじゃないかなっていうのは、
何か佇まい的に見て思うというか。
まさにおっしゃる通りな気がしてて、
他の本と一緒に本屋さんに並んでるのを見ると、
そこだけ普通は浮き上がってくるじゃないですか。
本来本の想定ってそういうもんだから、
こっちも気にして見てるんだから気にして見てる本は浮き上がって見えてくるはずなんですけど、
そこだけ沈んでる感じがあるんですよね。
急に空気が落ち着いてるっていうか。
なんかそれはすごく、いや僕はいいなと思って、
本屋さんで並んでるのを見ていいなと思って見るんですけどね。
でも僕の中で全然、
それを先に意識して作っていたわけではないんですけども、
戸立智さんという想定家の人が、
何かの対談でそれだけ覚えてるんですけども、
広告のデザインとの違いみたいな。
広告デザインはどうしなきゃいけないみたいな。
どうしなきゃいけないような方だと思うんですけども、
24:01
表現をしすぎるのもあんまり良くない。
広告は遠くから見て、すぐわからなきゃいけないものだけども、
想定はあまりわかってもいけないみたいな話をされてて。
中国関連の本だとして、
例えばベタに真っ赤な紙で黄色の文字で、
遠くからでもわかるような想定にした場合、
興味のない人はすぐ遠くから離れていっちゃう。
近寄ってももらえなくなっちゃう。
なので、あんまりわからせすぎないことも大事なんじゃないかみたいな話をしてて。
正しい正しくないとか、そういう話ではなくて。
そういうふうな話を覚えていたんですけども、
そうなったときに、
その考え方がかなりしっくり来るなっていうのは、
作ってる途中に何となく思い返してじゃないですけど。
最初にこの想定作り始めたときは、
どっちかっていうと、内容をどう表現しようかなみたいな。
だいたいそうなってくるとは思うんですけども、
本の内容をどういうふうに表現しようか。
そこで、今回特殊なのが小説でもなく、
日記じゃないですか。日記の本。
僕はやっぱり日記の本は作ったことがないので。
書かれている内容がひとつではないというか、ストーリーがあるものではない。
あとはっきなりさんをどう表現するかっていうときに、
読んでみると、
違かったら申し訳ないですけども、
すごい中庸っていう言葉がしっくりくる人だなっていうのがあって。
それはっきなりさんとミーティングする前に、
松井さんから、こういうノートでこういう連載してて、こういう本で、
いっぱいいただいて、最初に文章を読んだパンさん。
会社員である、サラリーマンであるっていうものに、
そこにこう結構、プライオリティ的なものを感じるというか。
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すごい雑な言い方をすると、普通であるのが嬉しく思うみたいな。
それはそうですね。
それが僕はなんていうんですか、ちょっと羨ましくあり、
ちょっとずるいなみたいなところもある。
趣味、趣向にしても、すごい偏見で言うと、
普通の人はレイヤーヘッド効かないよなとか。
そういうのがあったりするんですね。
僕はそこが、戻れないところが、戻れないっていうか、
普通っていう軸足がない分、
それを免罪不適に、でも僕は会社員なんだよね。
それがすごいいいなあみたいな。
そこってちょっと、なんていうんですかね、
ちょっとこう、あり得に言うと捻ったところじゃないですか。
癖物的なところの。
なんで僕もちょっと考え的に癖物でいいんじゃないかと。
なのでこの本、表現ってなったときに、
想定って多分表現と機能があるんですね、主に。
ここで僕はちょっと捻って、
機能で表現して、
表現を機能の捉え方にするみたいな形でアプローチすると、
ひなやさんっぽくなるんじゃないかも。
だいぶ感覚的な形でいこうと。
本のディティールであったり話であったり、
哲学とか政治も含めて、
沢山いろんな話をするときに、
すごいディティールに、みたいなものにめでる。
一言あるんじゃないかなって気がしたので。
そういうところで本を表現したほうが早いと思ったので、
想定に取り掛かるときに先に、
仕様のところから考えたんです、最初。
絵的なものをどうするというよりかは、
佇まいとか、
機能的なものを優先させて考えていくほうが、
書きないさんの、書きない文学的なものが表現されるんじゃないか。
なので、ちょっとマストで考えたかったのが、
このフォローバッグの仕様だったという。
この開きが。
そうですそうです。
これって多分、厚さと紙の薄さ的にも、
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フォローバッグでなくても、
そこまで読みづらくはならないと思うんですね。
割と柔らかい紙なので、厚みもあるので、
開きは思ったよりも厳しくはならない工程ではあるんですけれども、
そこを思い切ってしっかり割って割って、
机で読むみたいな。
その読んでいる姿を含めて、
書きないさんの日記の雰囲気というか、
軽説の工みたいな。
そういう積量感があるようなところを、
マストにしていたかったんですよね。
なるほど。
なので、表紙の仕様であったりなんだりっていうのは、
予算の中で拓現できるところをここにしておいて、
マストはまずこの本の形態なんだよ。
逆に本の表現みたいなものは、
どちらかというとガイドライン的というか、
表現を中心にしたら、
多分西さんのイラストはもっと、
西さんのイラストですっていう形で使う方が表現だと思うんですね。
開きは思ったよりも厳しくはならない工程ではあるんですけれども、
でも僕はどちらかというと表現は機能っぽくしたかったので、
イラストを牧突に置く、
レイアウトは色々調整はしているんですけれども、
ポツポツと並べて絵巻物的な、
ああいう形の意味があるようでないようで、
表現しているようでないようで、
そう置いただけみたいな形にすることで、
フラットな感じを表現しないではないですけれども、
なのでそういう表現するべきところを機能的に寄せて、
機能的なところを柿内さんの表現というふうに置き換えて、
僕なりの中庸みたいなものが出れば面白いかなっていうのが、
この想定の裏テーマ的な、制作的なコンセプトなんですよね。
面白い。
逆にそれは、
だから良いとか悪いとかはもちろんなくて、
それを感じてもらう人ももちろんなくて、
ただその佇まいで、柿内さんっぽさってどこに立てたらなと思ったのが、
33:08
アプローチ的なところで柿内さんの本を表現できたらなーって。
なかなか伝わりづらいんですけど、
その伝わりづらさみたいなものは、
さっき言った戸田さんの、
近寄ってみなきゃわかんないみたいなところに出てるんじゃないかな。
だいぶ売り方的には、
分かりやすい売り方じゃない分、
柿内さんにご苦労かけるなーとは思いつつも、
柿内さんも優しい組んでくれて、
中村さんがこの案がだいぶ気に入ってるなーみたいなところをすごい組んでくれてる。
僕それさえ言った気がする。
ミーティングでも言ってましたもんね。
中村さん多分これがすごい気に入ってるんだけど、
それこそ例えば大型書店に並ぶときに、
ちょっとこれだとパンチが弱いんじゃないかみたいなことをすごい気にされてて、
でもこの佇まいでいいんじゃないかみたいなところに最終的に決まっていったのも結構嬉しかったなというか、
今のお話も含めてなんですけど。
やっぱり、
分かりやすい広告的なパッケージって、
そういうのがある、必要があるのも分かるんですけど、
好きか嫌いかで言うと僕すごい嫌いなので、
その分かりやすいキャッチーさであったりとか、
分かりやすい声の大きさみたいなものに加担していかないタイプの佇まいになっていったのは、
割と嬉しいなと思っているところで。
さっきもそれこそ松井さんが来られる前にちょっと中村さんと話してたんですけど、
人番だと結構、それこそ僕がある意味コスト削減のためも含めて、
文字組みすごい端っこまでびっしりと細かく入れてたので、
読むスピードが結構ドライバーがかかっていくんだというようなことを中村さんがおっしゃっていて、
この新しいこっちのガポン版の形で読むと結構文字の組み方も大きさであったりとか、
全部ゆったりと開きが良かったりっていうところも含めて、
読むスピードっていうのは結構ゆったりしたままで読めるものになっていて、
どっちがいいとかではなくて、
読む体験としてもやっぱり違ったものになってますよねみたいな話をしてたんですけど、
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たたずまも含めてやっぱり改めてこの形で読むと、
人番よりも人懐っこいというか、結構そのなんていうのかな、
ひっそりと人番がある意味僕みたいなやたら議論好きのうるさい奴がいる部室みたいな雰囲気だったとすると、
割とこっちはずっと喋ってはいるけれども、別に途中でやめてもいいし、
ずっと自分が喋っていたいわけじゃなくて、一応その開きが良かったりとか、
読む側の快適さもちゃんと考えているような、
ちょっと静かな離れじゃないですけど、みたいなものになっているなみたいなことを感じていて、
だからこの形一つ取るだけで全然内容一緒でも受け取るものが違ってくるっていうのは、
改めてすごい面白いなと思いましたね。
組む人によっても結構あったりすると思うんですよね。
僕は今回もちろん監修はしたんですけども、組班時代の作業はスタッフの引き担ごとが頑張ってくれていて、
この班計で、ボニスはこれぐらいでって決まってて、
どういうレイアウトがあるかを考えてみてってお願いして、
それで調整はしていって決めていってだったと思うんですけれども、
多分僕が直接手を動かして書体を決めてってなると、また多分全然違うと思うんですよね。
それは逆に内容は内容だけに重くしすぎる嫌いがあるんで、僕は。
なるほど。
なんて言えばいいんですかね、なんかシリアスになっちゃうというか。
さっきおっしゃっていただいた人懐っこさみたいなのって、
やっぱり僕がちょっと勘してみれてるところで、いい感じにハマったところもあって。
組版もこれ実は3パターンかな。
ベースで3パターンか、確か3パターンもらって、
その中で引用譜の使い方とか微妙にA-B-みたいなバリエーションで、
これ複数パターンをもらったんですよね。
そうですね。一番大きかったのは多分QRにするかURLにするかですよね、引用もと。
それありましたね。
作中にURLを引用しているというか、参考としてURLを表示しているところがあるんですけど、
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それQRにする、QRコードにする案があってね。
ありましたね。
僕らは安易だから、僕らっていうのは僕と書きないさんですけど、
安易だし、それを採用しているとても好きな本も知っているので、
いいじゃんいいじゃんこれいいじゃんってすぐ飛びついたんですけど。
中村さんでしたっけね、やめてもいいんじゃないっていう話をしてくれたのは。
作っておいてあれだったんですけども。
作っておいてそういうのがあれだったんですけども。
本当にどちらでも成立するものではあるんですけれども、
URLのこの無駄さというか、
一番機能しないものというかね、本の中で。
わざわざ手打ちしないですもんね、この。
それよりかはアスタリスク付いている、中が付いているところのキーワードそのまま打ち込んだほうが早くて楽ですよね。
このね、やっぱりこの長尺のたまに出てくるURLの何行も使うような。
ちゃんとしたコーポレートサイトとかじゃないと長くなるんですよね。
日本語にしたりとかね、選択のときに。
論文のPDFそのまま貼ったりしますからね、それとかだと4、5行ぐらいあったんですよね。
これがなんて言えばいいですかね、これが僕の中でもさっき言った機能とかの話で言うと、
もう機能から離れてこれはもう文体の一部になってるんじゃないっていう話を。
だからこのあたりも生かしていくの面白いんじゃないかっていうのは、
組版のルールを決めていくときにありましたよね。
そのあたりがたぶん全部細かい積み重ねとか組み合わせで、
この読み合わせというか文章になっていると思うんですけれども。
目から鱗って感じでした、僕らがそのとき。
ろくにそんなこと考えてなかったから。
これはこの意味のないURL、実質意味のないURLも含めて作品なのではないかって言われて。
あれはハッとしましたね。
それこそだからそれまででは結構僕の打ち合わせの中ではなるべく別に、
役に立たなくていいだとか無駄でいいとか目立たなくていいみたいなことを割と言い続けてたと思ってたんですけど、
URLコードに関してはいきなりそれこそ実用的な方向に思わず引っ張られてたんだなと思うと気づいて、
それがハッとしましたね。
いいなかっこよさに流れてしまった。
そうなんですよ。
失礼しましたね、あのときは。
あると読んでるんですかね。
あるとね。
42:01
だってこれ、あってもまず読まないですからね。
読まないというか打たないですからね。
そう、これは絶対打たないから。
ある意味この本の流れを切らずにそのまま読み通せるみたいなところ。
そこすごい重視してたのにQRには流れたんですよね。
そうなんですよね、ずっとスルスル読める方がいいとか言いながらQRだけはなんか。
さっきの組版の案もバリエーションとしては日付をちょっと目立たせるようなデザイン案とかもあったり、
引用と字の分を結構フォントをしっかり変える案とかもあったんですけど、
結果的には一番地味でシックなやつになったというか、日付がなるべく目立たないようなもので、
引用と字の分もそんなにフォントが大きくは変わらないものに収まっていったんですけど。
それなのになぜかQRだけは最後まで。
本当にすぐ変なもの飛びついちゃうからよくないですね。
最終的にこの形になって。
そうですよね。段落もやっぱりこういろいろ、引用もルールをちゃんと決めて読みやすくはもちろんしているんですけども、
段落の分け方であったり、見出しの細かいルールを作っている分を読んでて、
とてもリズミカルというか、飽きないですね。
内容がいろんな話題に沸きさせないようにももちろんですけども、
僕がガッチリやっちゃうとすごい面白くない組み合わせになっちゃうと思うんですよね。
面白くないってどういうことなんですか。
もうなんて言えばいいでしょう。
若干原理主義スタートみたいなところがあったんで、僕のデザイン生活みたいな。
あるいはエディトリアル雑誌とかのデザインで、もっとリズムを作れたり楽しませたりっていうのを考え方に中心に置かなきゃいけないやつだったんですけども。
デザイン専門学校でいうと、台北の寿知寺みたいなところの教師の人が授業で教鞭をとっているところだったので、
だいぶこうでなくてはいかんみたいなところが結構あったので。
僕その書体とか組み版っていうのは、水のよう、空気のよう。
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文字で言うとそういう意識しない。
でも、生きるために必要だけども、あることを意識しないような。
組み版とか書籍に関しても、クリスタルの杯かな。
たぶん器の飲用だと思う。
外側にある入れ物は、透明性というか。
余裕したものはないみたいなものを良しとするような。
こういう堅苦しいところから入ってるんで、
あまり退屈なものほど良しみたいなところから入ってる。
本気で好みを押し付けるとすると、だいぶこの本もっと退屈になっちゃったんだろうな。
それをスタッフに任せて、僕がちょっと一歩引いてるところで、
よりちゃんと読みやすくなってきたりするのかなっていうのが。
面白いですね。
っていうのがたぶん好み的にすごい好きなんですよ。
沢木さんの話とか、たとえば趣味的な。
今ちょうど読もうと思った本が、日記で今日はこれを読んだとか出てくると、
やっぱり少し多いんですよね。
今読もうと思ってたよ、これ。
この本が結構効くよみたいな。
趣味が近い分、どんどん自分の好みのやつにしていこうみたいになってくると、
だいぶ性格が違った本になったんだろうなっていう。
でもちょっとわかります。
なんかそれこそその人懐こさを感じる文範っていうのがたぶん、
それこそ僕だけの好みで言うと、
たぶん内容としては人懐こい方がいいなっていうのはすごい思っているんですけど、
そうじゃなくて単純に本の形としての好みだけで言うと、
バカみたいな形で言うと賢そうなというか、
もっとそういう、なんていうのかな。
48:03
スノップじゃないですけども。
そうですね、めちゃくちゃスノビズムに寄せていくような感じにしたくなっちゃうだろうなっていうのはすごい。
柿内さん、松井さんはやっぱりしっかり本読みなので、
そういうのがあってもおかしくないなと思うんですけども、
僕はだいぶファッション本読みだった時が長いというか、
ファッション本読み?
なんて言えばいいんですかね。
すごい昔の話であれなんですけども、
ちょっとやっぱりカッコつけて本読みたい時があったりするというか、
トーマスマンとかかっこいいでしょ、読んでたらみたいな。
そういうので選んじゃったりとか。
読むだけで十分じゃないですかね。
読まない人の顔見てしまう。
なんかフラグラティブなっていうやつかね。
でもそれも、
なんの本だったっけな。
カミュかな。
カミュの、
違法人かな。
の新訳かなんかが出た時に、
帯に北本たけしのコピーが入ったのかな、たぶん。
で、
学生は紙でも読んどけばいいんだよみたいな。
入ってて、
完全に僕これだなと思って。
とりあえず紙でも読んでいいんだよみたいな。
内容わかってなくても。
しっかり内容を理解して、
啓蒙的じゃないですけど。
よりかは知的憧れみたいなところで入ってる上に、
すぐ組派もそっちに寄せたくなっちゃうんですよね。
頭良い感じにしたいなーみたいな。
でも今回はいろんな案も表紙の案も出してる中で、
好みどんずばだねみたいなところもあったり、
これは置いてあるね、
他の判断元から出てるようなものか。
そうですね。僕と松江さんすごいミスズっぽいのに弱かったですからね。
その点ではみんな一緒ですよ。
組派はそこまで平地に確認する技術とかのあれが、
僕らにない可能性がそこからあるんですけど、
51:02
表紙に関しては、
僕と松江さんはすぐミスズっぽい奴に寄ってしまうから、
自分たちを抑制するのに必死だったじゃないですか。
最初の表紙案。
これすごい好きなんだけど、
なぜ好きかっていうとミスズっぽいから好きなだけかもしれない。
自問自答何度か繰り返して廃案にした案とかがあって。
やむを得ないけどねって思いつつ。
そのあたりがやっぱり楽しかったですよね。
ちょっと話戻っちゃいますけど、
僕割とかっこつけて本読むのすごいいいぞって思う。
いいぞいいぞ。
それこそ音楽とかもそうだと思うんですけど、
最初新しいジャンルの音楽聴くときって、
何がいいのか全然分かんないですよね。
名盤って言われるものをひとまず我慢して、
聴いてるとかっこいいからって理由だけで作業中とかにひたすら流しておいて、
その我慢して聴いてた蓄積の上に、
たまにすごい同ジャンルの創作品みたいなの聴くと、
いかにこれまでよく分かんないまま聴いてたアルバムがすごかったのかみたいなことが急に分かったりする。
その瞬間がすごい好きで。
よく分かんないけどとりあえず付き合ってみるみたいな、
痩せ我慢みたいなものって多分、
どんなジャンルに関してもすごい重要なことだと思ってて、
だから軽めの本ばっかり読んでていいのかじゃないですけど、
それは本当に単純にもっとかっこつけて、
身の丈に合ってない本背伸びして読んでおいた方が、
いつかすげー快感が待ってるぞみたいな。
サウナの暑いの我慢するじゃないですけど、
よく分かんない難しい本とか、よく分かんない外文みたいなものを我慢して読んでおくと、
そうじゃないところにふと、生き抜きに手に取った漫画であったりとか、
もう何も考えたくないと思って見始めたアニメとかを見たときに、
両方の良さがより際立つというか、
そういうのって絶対あるだろうなと思ってて。
多分このプルストもその最たるものだと思うんですよね。
内容分かんないけど、本読む人だったらだいたい名前を知ってて、
でもやたら長くて難解みたいなことが言われがちみたいなところから、
多分イメージとしてはあるだろうし、
僕も正直最初に手を取った理由って、
ひたすらとりあえず長い目読みたいなっていう理由だけで読んでるから、
54:02
ある意味そういうカッコつけから入って、
読んでみるとでも意外と普通に楽しいやつじゃんみたいになってくるので、
またその痩せ我慢とは別なんですけど、
そういうカッコつけてファッションアイテムとして本を持つみたいなのを、
もう一回やりたいなみたいなのは結構常々思ってて。
だからプルスト読む生活の内容自体が割と軽めなので、
これを読んでもそんなに知的オシャレにはなれないかもしれないですけど、
これをオシャレアイテムとしてプルスト読む生活を手に取ってくれる人が一人でもいたら、
結構嬉しいなと思います。
それわかります。
柿内さんの本をお正月祭りさんからいただいて読んではいるんですけど、
やっぱり進まないところもあって、進まない理由っていうのが、
柿内さんの本を読んでると、本を読みたくなってくるんですよね。
なんて言えばいいんですかね。
そういう素晴らしいことです。
素晴らしい。
俺は今本を読んでるけども、本を読みたいな、
なんか違う本のことを考えてるんですよね。
うんうん。私めっちゃ嬉しい。
なるほど、なるほどみたいになってる時に、
この本ってどうなんだろうなって考えてると、
割ともう手止まってるみたいな。
目止まっててくるから。
今度はあっちの本を読みたいから、とりあえずここで置いとこうみたいな感じで、
全然本編進まない。
いやー、最高じゃないですか。
素晴らしいことだと思いますよ。
プルーストを追体験して、プルーストを読む生活を追体験してるみたいな。
全然本編進まねえなーみたいなのが、ここでも起こってる。
それいいですね。
プルースト読む生活自体が全然プルーストの話しない、
プルースト出てこない。
別の本の話ばっかりしてるから。
徐々にね、どんどんどんどん出てこなくなるんですよね。
言うてもまだ序盤は割としてるっていうか、
しようとしてる跡も見えて、
そうですね。
ちょっと本文と絡めて、展開を絡めてみたりとかしてるんですけど、
徐々に減退していくというか、
積み上げられたページ数だけになっていく様が、
時々よく返ってくるんですけど、
読んでるから時々返ってくるんですけど、
だんだん影が薄くなっていく様はすごい、
読書としてもいいですね。
読み返してて最初の方ってちゃんとプルーストに寄せようとしてたんだなって、
やっぱり思いますね。
終盤に行くにつれても全然違う話になっちゃうか。
57:04
その辺りはやっぱり多少の意識というか、
レトリックとまでは言わないですけど、
こういう構成、メタ的な、
全体みたいなものを意識していたのか、
多少力が入っていたのか、それとも、
そのスタイルをどんどん変えていくのが面白いと思って変わっていったのか。
何にも考えてなかったですね。
最初の頃はそれこそ、
もともとこの日記自体は、
ノートってプラットフォームで書いてたんですけど、
今じゃすっかり評判悪いですけど、
当時はまだイケてたんですよ。
逆に当時はイケてたんですね。
ある意味、自分で最終的に本の形にしようとは思ってたんですけど、
それこそ、ふと偉い人に目が止まって、
本にしないみたいに言われたらいいなみたいな気持ちで、
最初の頃はノートのフォーマット、読みやすさみたいなものに、
最初の1週間ぐらいはちょっと寄せてたと思うんですね。
で、見事にだいたい閲覧数20とかで、
絶対読んでないだろうって公開して、
2秒後にいいねつけてくるコンサルの人みたいな、
リアクションが来なかったので。
その時点で、最初の頃からノートプラットフォームに対して、
最初コピーを売りに行こうと思ったら、
すぐに幻滅しちゃったから、もういいや。
そこから先は、その時その時、
自分が読んでる本の文体に積極的にかぶれていって、
その文体のギリギリのところで、
ブレブレになりながら書き進めていけばいいや、
ぐらいのことしか考えなくなってたので、
結構どこで書いてるかみたいなところから、
自由になっていってる感じがするので、
個人的に本の形で読んでしっくりくるのは、
序盤を抜けてからだなって感じがします。
うーん。
文体が変わっていくっていうのは、
飽きない理由のひとつなのかなっていう気持ち。
アルバム聴いてるみたいな。
しかもなんか普通の、何て言うんですかね。
ビートルズ的な。
それこそA面B面があるような感じ。
ビートルズってアルバムごとに全然違うじゃないですか。
その時その時ハマってるものが出る。
インド音楽すげえハマってたら、
急にシタール出てくるみたいな。
1:00:02
なんかああいう印象があるの。
あれなんか急に、
最近本屋に行くのハマってんなーみたいなと、
本屋の話になるの。
ああいうのでやっぱりこう、
視点を振られていきますよね。
それはそうかも。
なるべく何も、
自分の興味関心があるものに関しては取りこぼさないで、
取り入れていきたいなみたいな。
雑食なところは、
意識的にやりたいなとは思ってたかもしれないですね。
単行本という形が逆に面白い。
例えば雑誌の連載でとなると、
逆に違う話になりすぎると、
連載として取り留めもなくなっちゃうような気もするので、
この単行本の形で、
いろんなところに寄り道していくのが、
この本の最大の特徴なんだろうなと。
本らしくない。
日記なので、
そういう形でやすいのかなと思いつつ、
でも松井さんの日記はやっぱり違うんですよね。
松井さんの日記本あったじゃないですか。
僕も日記を書いて公開していた時があります。
あれはなんか僕の中ですごい、
青春文学なんですよね。
どういうことですか。
急に振られてびっくりしてるんですけど、どういうことですか。
松井さんのどこにいても本屋は、
あれなんですよね。
日記の全文が載ってるわけじゃなくて、
日々書き溜めてた日記からのストックの中から、
本屋に行った描写だけを抜粋している。
そういうことですね。
それだけ唐突に切ってるんですよ。
何の文脈もなく急に本屋に行ってるとかを、
あえて残すように編集していて、
というのもすげえ長くなっちゃったからなんですけど。
あれは確かに小説的でもおかしくない感じ。
っていうのがちゃんと編集されてるからってことかな。
編集っていうか、
ばっつんばっつん本屋が出てくる段落だけ切って挿入していくっていう、
機械的な作業なんで。
それはコンセプトアルバムですよね。
さっきのアルバム作られてるから。
そうですね。
そこだけ切り取るっていうね。
コンセプトで作ったもんですけど。
そうですね。
自分で言うのもなんですけど、
僕が書いてるやつは、
でも言うても日記なので、
なんか変な日本語になってるな。
日常のことが割とちゃんと書いてあるタイプなんですよね。
1:03:01
柿内さんのプルストリウム生活は、
半官半民っていうか、
日常のことだけを延々と書いてるわけでもないし、
かといって試作のことだけを書いてるわけでもないのだが、
どっちかに寄りすぎてもいないので、
なんていうか、
いわゆる普通の日記みたいな日々のことが延々と書いてある風ではないじゃないですか。
そうですね。
そこの読書感の違いは、
かなりあるなとは思いますね。
これ意図して書かれてるっていうのが本文内にも書かれてますけど、
個人名を基本出さないようにしてたりとか、
その辺の若干、
さっきから出てますけど、浮遊感みたいなところは文章全体にあるので、
資源実感というか、日記なんだけど、
それがまた楽しいところですよね。
そうなんですよね。
古人読む生活を書いてた頃は、
特に序盤の最初の半年ぐらいは、
ある意味、何時にどこに行って、何食べて、みたいな普通の日記っぽいものは、
手元のノートに手書きで書いてたんですよね、別で。
だから毎日日記書いてるっていう時に、日記2種類書いてて、
普通のそういう生活記録みたいなのは手書きで書いて、
そうじゃない部分に関して、
ウェブ上に公開前提で書いてみたいなことをしてたので、
その分余計にある意味、
めちゃくちゃ生活の部分に関しては、
ちょっと脱色されてる部分は、
たぶんこの時期の日記は一番強いだろうなと。
でもそれをたぶん終盤ぐらいからきつくなってきて、
公開する日記だけに絞ったので、
たぶん終盤になってくると、ちょっとだけより一層生活感が出てきますよね。
なるほど。
そういうのがあるかもしれない。
この辺で手書きの日記やめたんだな、みたいなのが。
自分で読むと思うんです。
そこまで普通に読んで読み取れるかどうかはあれですけど、
でも徐々にそういう雰囲気の違いが、
解説を書いてくれた友田敦さんも、
あれは1巻2巻の時の解説をちょっと開講して収録してるっていうのはあおさらなんですけど、
やっぱり1巻と2巻の読書家の違いみたいなことにも触れてくれてて、
本当にまさにそうだなっていうところですけどね。
ちょっとずつ変わっていくというか。
だから個人的にはその一貫性の無さも含めてすごい気に入ってるんですけど、
1:06:02
日記の形にすると、
どれだけ変わっていっても、変わっていく様がそのままパッケージにできるから、
楽しいなっていうのを改めて思いました。
いろんな人に読んでほしいですけど、
確かに全部読んだ人が一番違いを表現できるような感想を言いやすいと思うんですけど、
まずが本番はどのぐらいの人に届いていくのかなっていうのがいいなってところですけどね。
たくさん届くといいな。
アニメ化しないといけないんで。
最終的な目標はアニメ化ですかね。
アメリカのアニメ化の発表をしないといけないから。
どうしましょうかね。キャラレザーまずね、キャラレザーも大事。
そうですね、大事だし。
5分枠の深夜の狭間の5分枠で一日抜粋してとかでやってほしいですね。
いいですね。
いいのか。
いいですね。
どうするんだ。
全然好きかって言ってるだけですけどね。
6分ぐらいあるんで原作ストックはね。
そうですね、いくらでも。
サザエさん並みの長さで。
365枚は確実に作れるわけですから。
確実に作れるから。
最終的にはドキュメンタリーですよね。
そうですね、だからこの本がバカ売れして、金銭トラブルで我々の関係がギスギスしていく様を
ネットフリックスにドキュメンタリーにしてもらうっていう。
インタビューを交互に挟む。
そうですね、多分冒頭のスタッフロールのところで今この僕らが穏やかに喋ってる様がまず流れて
タイトルドンっていうタイミングと一緒にもうあいつのことは許せねえみたいなこと言い出してるっていう。
あるけれどもそういうやつ。
今ぐらい売れるのがやっぱりいいなと。
訴訟スタートみたいのもいいですか。
訴訟もいいですね、最初訴訟から始めて。
ソーシャルネットワークでいいなと。
訴訟とその通りのみたいな。
穏やかだった日々と。
穏やかだったと思う。
僕ら何を生産してるんですかこれ。
iPhoneなのかみたいな。
紙の束ですけどね。
1:09:00
残念ながら。
本当にいい本になったなと思っているので。
このポートキャストを聞いてくださってる方も多分すでにだいたい買ってくださってるんじゃないかっていう。
いいんじゃないですかね。
むしろ今日はそういう方々が楽しんでもらえるマニアックな話ができたんじゃないかなと。
そんな話しかしてないですよこれ。
魅力の人が楽しめたかっていうとまたちょっとついてくるかもしれない。
魅力の人からすると何の話でもしてる。
かなり内容の話ほとんどしてないですからね。
いいんですよ、内容の話は読んでくれれば。
ブルーストを読む生活的でいいんじゃないですかね。
すごいよかった。
触った後脱線する。
このガポン版で一番多いって思ったのは、一番っていうわけではないですけど、
結構どんどん地味であったり静かであったりっていう方向にデザイン屋が決まっていく中で、
この帯文が、ブルーストを読んでどうなるというんですか。
ブルーストを読んでいると楽しいです、そんだけっていう。
そんだけっていう文字のインパクトが強い帯文に決まった時に、
割と売り物としてカチッとはまった感じがすごいあって。
今日のこの話もそうですけど、だから何なのって言われても、楽しいだけですみたいなことを、
段ボールにぴったりはまると気持ちいい。
そんだけじゃないですか。
特にそれ以上の説明はできないんだけどっていうのが、
たぶんカッコつけて無理やり読んでたり聞いてたりしたものが本当に楽しくなった後って、
たぶんあんまりカッコつけたうんちくとか出る余地がなくなってくるというか、
本当にただ楽しいだけになってくるんじゃないのかなっていうのは結構思っていて。
この帯文の元ネタは思いっきり穂坂和志のエッセイや小説から、
僕がちょっと極をいじっているだけなので、
あれなんですけど、完璧に自分の発案だっていうわけではないから、
あまり堂々と胸を張っていいですよねって言えないですけど。
そうだけどそうとは言わずに書いてるのか。
確かそうとは言わずに書いてます。
穂坂和志がお行儀よくいろんなそれらしいことを、
ペケットだか何だかを語るときに言う奴らっていうのはそれにもわかってないんだと。
読んでどうなるかって言われても、
1:12:01
特に読むってことだけがあるだけなんだみたいなことを書いてる一説が、
結構たぶん穂坂和志同じような話何回もするんで、2作ぐらいの中で出てきてて、
それの周辺を引用するだか、言及するだかの後にたぶんこの一説が出てくるんですけど、
ここを選んでもらえて、それがここにドーンと出てるっていうのも、
結構いい顔になったなっていうのは、改めて思いますね。
いやでも、選び取りに残りやすいというか。
ツイートを調べるときに、やっぱり帯を引用してくださっている人が何人かいらっしゃって、
ハマったっていうのはそういうことなんだろうなって。
そんだけ大きくしてくれたのは中村さんですから。
おおって思いました。これだーって思いましたけど。
まず書いたのは柿内さんで、そこからテキストを帯文として抽出して何らか出したのは僕なんですよね。
僕と柿内さんで聞き決めて、中村さんにこんな雰囲気でお願いしますって僕が適当に当てた帯のレイアウトを送ったら、
そのときは普通に横並びで書いてあっただけなんですけど、
そんだけだけフォントが大きくなって帰ってきたっていう。
そうなんですよね。
100%中村さんの功績です。そんだけがみんなの心に残っているのは中村さんの功績。間違いないです。
これはちょっと感覚的なところかもしれないですけども、
勝手にでかくなっていったわけではないですけども、
でかくならざるを得ないものに見えた感じがしますよね、これは。
それが柿内さんのテキストではあるんですけども、
やはり選んだのは松井さんじゃないですか。
脳内的には松井さんの声は松井さんっぽかったんですよね、なんとなく。
CV松井なんですよね。そこに関しては。
松井さんの思いっきりのいいところみたいなのが、
そんだけって言ってる。
僕の想定を選んでいるときに、
あんまり主的になりすぎてもしょうがないから、
1:15:01
いったれ的なやりとりを何回かしたと思うんですけども、
そのいったれ的なやりとりとそんだけ的なコピーが入り混じったんですよね。
なるほど。
それが導かれてそうなっていったところがあるんですけどね。
そんだけって引用して紹介してくれてる方と、
長くというか思い入れ強く紹介していただいてる方もいるじゃないですか。
その割れ方面白いなっていうのが。
そうですね。
長く紹介してくださる方は例外なく結構長くしっかり、
ものすごく嬉しくなるんですよね。
嬉しいですよね。
逆に言うとそれぐらいの、
それぐらい必要とさ、何て言えばいいんですかね。
何か紹介する文章とかちょっと書くときに、
これぐらい必要だなっていうのが、
内容的というよりかボリュームの感覚的に必要なものであるじゃないですか。
この本は何文字じゃ説明できないなっていうか、
どうやっても1000文字以上かかるなみたいなのとかね、
そういうことですよね。
うまく言い表したとしても、
うまく1000文字以内に500文字で言い切ってはいるものの、
でもなんていうんですかね、
字面的に足りないじゃないですか。
それが何かこの佇まいにちょっと連動しているのかなって思うんですよね。
これを説明するのに、文章では100文字で足りるのかもしれないですけども、
パッて見たときに500文字ぐらいのボリュームないと、
紹介、食い足りねえよみたいな。
だから紹介しがいのある本になっているのかなっていう。
なっていると嬉しいですね。
紹介しきれない人はそんだけって言って、
とりあえず売っちゃってみるみたいな。
そうかなっていうのは見てて面白いところですけどね。
そうですね。
なんか京都のレテシア書房さんがブログで紹介してくださったときに、
本読むの楽しいっていうだけのことで、こんな厚さ書くか普通って書いてくださって。
でもあれ結構すごいいいなと思って。
そんだけって帯で言い切っておきながら厚みがあるっていうところに、
1:18:04
なんか結構ナンセンスな感じがあってすごいいいなっていうのは。
そうですよね。よくよく考えたらこの本の簡単な要約はこの文で全て終了してますからね。
そうなんですよ。言いたいことはこれだけかもしれないぐらい。
3行でよかったですね。このページですよね。
3行で済むことをこの750ページほど書き続けるっていう。
そう考えるとすごいいいもんですね。
そうですよね。そういう本もいい本ですからね。
そういう本はいい本ですからね。
締めようとしてまた脱線しちゃいましたが。
確かに確かに。締めどころ難しいですよね。
そうなんですよね。オンラインだと。
でも本当に今日組班の平本さんがちょっと今日は参加できなかったですけど、
なんかこの本の話じゃなくても、こういう本の作り方とかデザインの話とか含めていろいろお伺いしてみたいなと思うので、
中村さんもしまたよかったら別で。
もういつでも。他の何の話でも。
今日ちょっと前回、印刷の立ち会いのときに少し話してたタイポの話とかは、
もうちょっとマニアックに聞きたいなみたいなことも思って。
これはあれですね。誰もついてこなれなくなる可能性もありますよね。
そういうのどんどんやりたいなと思って。
ちょっとまたぜひお誘いさせてください。
ぜひぜひ。すごい今日は楽しかったの。
ありがとうございます。
気づいたらこんな時間みたいな。
そう、毎回毎回新しくゲストをお呼びしてお話しすると、
友田さんと一緒だったんですけど、気づいたらあっという間なく。
1回じゃ足りないですね。2回、3回。
確かに確かに。でもそうですね。
いろいろちょくちょく話して話題出して売り場に届けないといけないですよね。
そうですね。せっかくちゃんとものとして残っていくものがあるので、
こういった自分のフォトキャストだけじゃなくて、
いろんなところで何かできたら楽しいなと。
毎回毎回。そうですね。毎回アニメ化はまだかっていうのを。
最後はそれで締めて。
必ず確認しな。
どこにアニメーターがいらっしゃるかわからないですもんね。
そうですね。行けるってなって企画会議取るかもしれないですからね。
それはやっぱ行ってかないと。
それはいいですね。
引き続きアニメ化までよろしくお願いします。
アニメ化まで。
じゃあ一旦録音として休めたいと思います。
はい。
以上、お相手は柿内聡吾と、
松井ゆうすけと、
野村圭佑です。
1:21:00
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:21:10

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