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はい、打ち合わせキャスト第70回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
またいただいたコメントからなんですけども、レベルアップの言い換えが何かいいのがないかという話で、インテグレートっていう表現を一ついただいたんですね。
多分、回のどこかでも僕インテグレートって言ってたんですね。
はいはいはい。
上に統合というか、あるいは積分的なイメージ。一つ上の資座に変わるっていうのが積分ってだから、座標形が変わるようなイメージがあるじゃないですか。
はい。
だからそういう言葉として僕もいいかなと最初思いついて、口にした後にちょっとこれは違うなと思ったんですよね。
で、そのビルドアップとかレベルアップとかラップアップとかってすごくそれっぽいんですけど、なんかインテグレートとかって言ってしまうと何かちょっと違うなという感じがあって、その違いが何だろうなって思ったときにやっぱりそのアップなんですよね。
うん、そうね。
アップってごく乱暴に言うとメタファーじゃないですか。つまり物理的に何かが上がったわけじゃないですよね。
例えば資座が上がるとか階層が上がるっていうのは全てその自然的というか、理念の中の話であって、現実の何かが一個上に上がった、だから地球の表面から1ミリぐらい上昇したとかそういう現象じゃないじゃないですか。
だからアップっていうのはメタファーだとしたときに、やっぱりそのメタファーがある方が実感しやすいんですね。イメージを抱きやすいというか。
うん。
インテグレートって言うと、わかってる人にはわかるんですけど当然。一般的な用語としてインテグレートって言ったときにその操作的な操作の具体的なイメージが思い浮かびにくいなと。
はいはい。
これは多分一般流通はしにくいんだろうなと。
うん。
で、ビルドアップとか、特にビルドアップってそのビルドもアップも非常に自覚的というか身体的な言葉の組み合わせじゃないですか、両方とも。
はい。
だからすごくわかりやすいんですよね。ラップはちょっと日本語ではあんまり普及はしないですけど、どっちかって言うとヒップホップとかのラップがちょっと出てきてしまうんで。
そっちになっちゃうんですかね。
でもまあ一応そのサランラップとかは言葉としてあるんでまだちょっと身近なんですけど。レベルアップなんかもうRPGとかゲームでよく使われてるんでもっと身近ですけど。
そういうふうにやっぱりその身近な動作、自分の身体的なイメージが浮かびやすい動作の組み合わせでその概念を説明した方がやっぱり雰囲気というかその言葉のイメージが伝わりやすいんだろうなと。
だからそういう意味でシェイクってすげえいいなってやっぱり争うと思うんですよ。
シェイクだけだとでもわかんないですよね。
わかんないですけど、何かを動作として混ぜている感じが非常に伝わっていくんですけど、これがもっとトップダウン&ボトムアップフニャララとかって言われるとやっぱりちょっとごちゃごちゃしてきてしまうんだよね。
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だからその人のメタファー、身体的なメタファーにこうするような言い方を使えた方がいいんだろうなと。
小難しいって言うとあれですけど、ちょっと専門用語に近い言葉よりは日常的な動詞+アップとかダウンとかそういう言葉の方が使われやすい言葉に多分なるんだろうなと。
そうですね。
だからやっぱりレベルアップを細分化するときもフニャララアップフニャララアップちょっと愚直なんですけどフニャララアップとかのないわけにした方が、
その方が多分、そうして表現すると正確さから多少外れたとしても、多分伝え方としてはその方がおそらく伝わるんだろうなと。
そうですね。インテグレート意味としては結構よく含まれている感じはするんですけどね。
レベルアップにかなり対応する感じはするんですよね。
微分も速度を出すっていう時間と変化率を求めるんで、だから単位形が変わるんですよね。微分しても積分しても。
だからそのレベルが変わっている感じが非常に出てるんですけど。
でもやっぱりインテグレートしましょうって言うと、まずインテグレートって積分ですよねみたいなことをそっちの説明から入らなければならなくなって。
やっぱり遠回りなんですよね、きっと。
そうですね。これ今になって改めて思うんですけど、もともとこのレベルアップ、ブレイクダウンって、
いわゆる思考の形態の話をしてたわけじゃなくて、単なるアウトラインの操作の話をしてたんですよね、本当は。
だから本来そことは分けてたはずなんですけど、
はずなんですけど、やっぱりアウトラインの操作の話をするとその思考のパターンの話がついてきちゃうんですよね。
そうならざるを得ないというか、そうなってないとあまり意味がないんじゃないですかね、きっと。
単に一段今いるところから見て上の階層を作るっていうのが、本来もともと思ってたレベルアップなんですけど、
じゃあそれってどういうことなのって、結局思考の話になっちゃうんですよね。
その操作が具体的にというか、その人にとってどういう意味を持つかっていうのはその思考のレベルの対応なんで、
そこの対応がもしないとしたら、その説明は多分ほとんど何の意味もないものになってしまうんで。
そこが面白いですよね。アウトラインにしても、カードでもいいんですけど、
その動きによって誘発されるような感覚になるところがあって、実際には誘発してるわけじゃないんですけど。
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もちろんね。でも、もしかしたら誘発してるかもしれないですけど。
してるんですかね。
いや、わからないですけど。
そこが要するに不可分になってるところが、道具の面白いところだなって。
そうですね。そういうとこはあると思います。
そうか。
という気づきもありつつ。
レベルアップっていうのはインデントとインデントの間っていうだけのことであって、逆にアウトライナー用語で、
ダンっていうんですか。第一階層とか第二階層とか。階層って日本語なんで、
あれを英語でなんていうかっていうのはあんまり決まってないですかね。
あれはレベルですね。
レベルアップが一番ストレートな言い方ってことですね。
そうです。
そうか。
だからインデントっていうのは元々アウトライナーと関係なくあった言葉で、地下駅のことをイン。
イン、デントはへこみで、インのデントが下げるへこみで。
そうだ、はいはい。
本当は反対にアウトデントがあるんですよね。
うーん。
だけどアウトデントっていうことは多分カタカナでは多分あまり使われなくて。
そうですね。
インデントっていうコンピューター用語として多分決まったんでしょうね。きっとインデントっていうのはね。
単なる地下駅のことですね、インデントっていうのは本来。
うーん。
レベルアップ、レベルアップ。
そうですよね。だからブレイクダウンに対するレベルアップだから分かりにくいってのもありますね。
そうですね。そこの対応関係がちょっと見えにくきづらいっていうのはありますね。
となるとブレイクダウンでいいのかって話にもなるわけですよ。
あといってレベルダウンでもないですからね、あれ。
いやまあレベルはダウンしてる。
まあ操作としてはレベルダウンなんですけど。
そう、だから操作として、そうかそうか。レベルアップは主に操作、アウトラインの操作に構造面を向けてるけど、
ブレイクダウンはもちろんどっちかっていうと中身を分析してるっていう中身の操作にどっちかっていうのを注目してて。
あ、そこに統一感がないのか。
かなと思いましたね、今聞いたら。
そうですよね。
いや、僕はもともとアウトラインの操作のことを考えていたんだけど、ブレイクダウンっていうのは逆にそれ以上の意味をもともと汲んじゃってますもんね。
情報操作、情報操作の意味ですね、だから。
レベルダウンの方が良かったのかもしれないですね。
そっちの方が対応関係としてはっきりしたでしょうね。ただ、なんかやっぱり互換が悪い。互換が悪いですよね。
程度が下がるみたいな感じになりますよね。
レベルアップに対するその高感触な感じに比べると。
解像度をより強めるということ、より細かく見るという言い方。
でもやっぱりそれやっぱりブレイクダウンになるよな。
映像、そうですね。
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こういう用語で言うと流度なんだ。
まあ、流度ですね。
いわゆるこういう用語で言うと流度なんだけど。
英語でなんて言うんですか。
わかんないです。ちょっとすいません。わかんないです。調べましょうか。
その辺のさ、だから難しいな。
レベルアップっていう言葉は、ボトムアップっていう言葉に近いんですけど、同じじゃないんですよね。
同じじゃないですね。
そもそもじゃあボトムアップってなんやねんっていう話。
そうなんですね。
で、トップダウンとボトムアップっていう言い方が、特に文章執筆のレベルでよく話が出てきまして、
基本的にトップダウンで書きましょうっていうのが、
執筆作法の正当、王道なやり方に対して、ボトムアップのやり方もありますよっていうアンチ提示でよく出てくるんですけど、
シェイクはトップダウンとボトムアップを繰り返しましょうってことじゃないですか。
あるいはトップダウンの要素から出てきたものをボトムとして、それをトップに入れ込んでいきましょうってことかな、どっちかっていうと。
お互いの成果を相互に反映しましょうなんですよね、たぶんね。一番近い言い方は。
どっちでもあるしどっちでもないっていうことなんですね。
そうなんです。だからトップダウンとボトムアップって言うんですけど、たぶんそれぞれを別々にやるとちょっと意味合いが違っちゃって、
例えばトップダウンでアウトラインを作りましたと、そのアウトラインを埋めていこうとするけれども、
そのアウトラインと違うことを書いちゃったと。その違うことを書いちゃったものに見出しをつけましたと。
そうするとボトムアップにスイッチしてるわけですよね。新しい見出しをつけたことによって最初に作ったトップダウンのアウトラインが影響を受けるわけですよね。
この見出しをどっかで位置づけなきゃいけないと思うんで、アウトライン全体を変えようとして、
全体の構造を考え始めると、またそこでトップダウンに戻っていると。
その位置づけるために、例えば新しい省なりパートナーリを作ったとすると、
その位置づけようと思ったそれ以外にも書かなきゃいけないことが出てきて、またそこでトップダウンで書いて、
要するにトップダウンで考えたこととボトムアップで考えたことが相互に影響をしあって勝手に育つみたいな感じをシェイクストリームなんですね。
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その説明は自分でも良かったと思うんですけど、
これがまずトップダウンで考えます、ボトムアップで考えますって分離するとすごく違う感じがしちゃうんですよね。
それをどう表現したものか、表現しなくても多分自然になるんですけど、そういうふうに。
ただ説明として、ボトムアップで考えます、トップダウンで考えますって分割するとすごく違う感じがする。
例えばスタートを仮にトップダウン、大抵の場合はスタートはトップダウンで始まると思うんですけど、
トップダウンから始めて文章を書いたその段階をボトムラインとして、
そのボトムの影響をトップに反映させるっていうその工程はボトムアップとは言い難いですよね。
すでにトップから作られた構造がある以上。
だからボトムフニャララですよね。
ボトムの要素を上に上げてるからアップではあるんやけど、
でもボトムアップっていうとボトムからゼロベースで作り上げるってことになってしまって、
そのもともとある構造、スタートで作った構造が考慮されてない雰囲気がフツフツとしてしまうんで。
そうですよね。だからそのプレーンなボトムアップっていうとそういう印象になっちゃう。
きっとそれはそうなると思います。
だから時々シェイクはトップダウンとボトムアップを交互に繰り返すことですよっていう時に、
トップダウンで見出し考えます、ボトムアップで中身考えますって分けて考えちゃうような。
そういう風に伝わってる印象を受けることがあって、
単なる印象なのかもしれないんですけど。
まだシェイクっていう行為の具体的なレベルの、具体的な行為の解像度はそれほど高くないと思いますよ。
おそらくこういうことをするんだろうなっていう理解は増えてても、
その切り返しのとこが一番難しいんじゃないですかね、きっと。
だからその交互に繰り返しますっていうと、
トップダウン段階があって、ボトムアップ段階があって、またトップダウン段階があってって繰り返す印象になる。
実際にそういう時もあるんですけど、
本当の実際のそういう場では、おそらくほとんど同時にやってるんですよね。
多分、トップダウンで考えた瞬間にこう、なんか書き始めたら、
もうすでにその段階ではボトムアップになってるみたいな。
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お互いがお互いに含まれてるような感じがあって、
ただ時々こう、頭がうまく動かなくなった時に、
今はトップダウンで考えてんだぞとか、今はボトムアップで考えてんだぞって、
あえて意識することでブレイクするしたりすることもあるし。
わかります。
なんかこう、そういう非常に柔軟な感じなんですよね、本当は。
うーん、ああそうか、そういうことか、なるほど。
実際にはだからあんな風に綺麗に交互にはならないんですよね、多分。
実際にはそんなことをいちいち意識しなくても、
ごく自然にトップダウンとボトムアップを行うようなインターフェースを持ってるのが
Outrinerだと思うんですけど。
まあなんかその辺をすごく言葉にするのは難しいですよね。
難しいですね。
まあ考えるっていう工程が含まれてるんで、
技術が非常に難しいんですけども。
だから、例えばトップダウンのやり方っていうのは、
2曲すると閉じたやり方じゃないですか。
はじめから全体図を決定してその通り、そのうちの内側の中でやるっていう意味でクローズじゃないですか。
で、真のボトムアップはオープンなんですね、絶対に。
真のボトムアップは。
KJ法から始めるんではなくて、
自分の日々の思いつきから何か言えることを言おうっていう風にやる場合っていうのは、
基本的にオープンな形で始まるんですよね。
だから一つの一つの思いつきから何に位置付けられるかわからないけど、
とりあえずメモしていこうっていうのが真のオープン、
だからボトムアップでオープンなやり方なんですよね。
で、そのシェイクっていうのは、
オープンとクローズが両方あるんだなっていう風に最近思ってて。
そうなんですよ。
閉じた中で開いてるっていうことを僕は今最近感じてるんですけど、
開きっぱなしって制御できないんですよね、完全に。
ペタとくまかせって言うんじゃないですけど、
日々の着想から組み立つのを待つみたいなことしかできなくて。
ペタといって、かっちり決めてしまうと、
今度はコンテンツが持つ柔軟な力が阻害されてしまう。
だから閉じた中で開いていこうっていう、
その二つの極の力を持っているのが、
シェイクっていう技法の特徴なのではないかなと、
最近観察しながら思ってるんですけど。
すごい何かの問答みたいな。
いや、それはそういうことだと思うんですよね。
開きっぱなしだと制御できひんし、
閉じた中で開いていこうっていうのが、
シェイクと開きっぱなしだと面白くないと。
だからその二つをいかに実現するかっていうことだと思うんですよ。
そうですね。
だから僕よくシェイクってどこで終わるんですかって聞かれるんですよね。
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そういうセミナー、稀にセミナー的なことをやると。
で、まあ、それってすごい当然な疑問だと思うんですけど。
オープンなだけだと終わらない。
終わらないですね。
どこまででも広がっていっちゃうんで。
だから多分すごくシンプルに考えると、
オープンな段階とクローズドな段階を作らなきゃいけないんだと思うんですよね。
そうですね。
で、僕その、マリエさんにインタビューしたときに、
えーとなんだっけ、書くための名前のない技術のマリエさん編で
インタビューしたときに、マリエさんが言ったことがすごいヒントになってて。
はい。
えー、シェイクっていうのはどうやって終わるのかっていうのを
ちょっと言語化できた感じがしたんですけど。
はいはいはい。
うん。
あのー、多分それってオープンだったものが
クローズドなものにある段階で切り替えるんですよね。
はいはいはい。
で、マリエさんは自分の本を書いていて、
えー、シェイクして、こう、多分オープンな状態でシェイクしているうちに
コンセプトが閃くって言ったんですよね、マリエさんの言い方。
はいはいはい。
で、その、それは、まあ要するにこれは、どんな、誰に向かってどんなメッセージを発するものなのかが
閃くと。
はい。
そうすると、それに基づいて収束していくっていう意味のことをマリエさんは
はいはい。
言って、あ、まさにそうだなと。
うん。
じゃあコンセプトってなんだよって考えたときに、
それは多分アウトラインの最上位階、一番上の階層のこと。
まあ要するにタイトルに当たるものだと思ったんですよね。
はい、なるほど。
だから要するにそのアウト、シェイクしているアウトラインの一番上位の階層が
決定することによって、えー、ずっと開き続けていたアウトラインが収束に転じる
というイメージを持ったんですよ。
はいはい。
で、その自分が今までやってたことを考えてみるに、あ、そうやってるなと思ったんですよね。
うーん。
それがタイトルなのか、まあマリエさんはコンセプトっていう言い方をしましたけど、
だから結局。
それが何なのかは多分違うんですよね、状況によって。
まあその人とか、作るものによって違うんでしょうけど、結局だから、
まあ仮にコンセプトって言うと、そのコンセプトとは何かって言うと、
まあだから、えー、その物事をクローズさせるための装置なんですよね。
だから要するに。
そうそうそうそうそう、そうなんですよ。
だから、まあ本のコンセプトっていうのはこれについて書くってことであって、
それは逆にこれについては書かないっていう決定になってるはずなんですよね。
で、書き始めた段階ってそれがまだ、あの、ぼんやりしてるというか、
なんかこの辺かなーっていう、その領域はあるけど、まだサークルが書けてないような感じで。
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はいはいはい。
で、まあセイクとか、まあ別にセイクじゃなくて、筆筆でもいいですけど、
進めていくと、この本はこの本だと、こういうことを書く本だっていう円がはっきり書けるようになると。
で、それがはっきり書けるようになると、さっき言った閉じるということが初めて可能になると。
はい。
じゃあ閉じる。
じゃないかなと。うん。
そうかー。
でも、今書いてる本の内容をほとんど今言ってしまったんですけど。
いや、いいじゃないですか。こうやって、いわゆる言い下げて言って。
いや、でもなんか喋ると、ああ、そういうことなんだなって自分で思うんですけど、
でも、閉じるっていうことは何らかの基準で削る、切り落とすことなんですよね。
確実にそうです。
だから、たぶん同じシェイクをしていても、こう、広がっていく方向のシェイクと閉じる方向のシェイクがたぶん使い分ける、
使い分けなきゃいけないんじゃないかなと思ってて。
まあ、だから、頭の使い方として、まあ、要するに、ボトムで出てきたものを優先しすぎると、
構造がどんどん膨れ上がったりとか変化が止まらなくなるんで、どっかで頭の使い方を占める方向に向けると。
で、頭の使い方を占める方向に向ける、まあ、コンセプトに沿って整える、あるいはテーマはタイトルをつける、
これ全部多分イコールで結べる工芸と思うんですけど、によって頭の使い方が切り替わっていくと。
そっちの方向じゃなくて、今、こっちに行こうよと、まあ、そのように思えるようになることっていうことかな。
そうですね。
で、それって今シェイクの文脈で、そう、こういう話をしてますけど、たぶん別にシェイクじゃなくてもきっとそう。
そうなんじゃないかなと思うんですよね。
当たり前のことなんじゃないかなと思って。
だからでも、シェイクっていう言葉によって、だからその、頭が広がっていく方向と、
閉じていく、閉じていくというか、閉じてよしと思える2つの働きがあるよと。
で、ケースバイケースそれら使い分けていった方がうまくいくことが多いよっていうことが整理されたっていうことじゃないですかね、おそらく。
そうですね。
これはもう完全に、マリエさんの言っていたことをほとんど、なんて言うんでしょうね。
マリエさんの言葉を聞いたことで、自分がやってるのは確かにそうだっていう風に思ったっていう感じですね、それはね。
だいぶ、やっぱりでも、オープン性とクローズ性っていうのが、何かを作り上げていく上では絶対に大切なんですよね。
いや、これが大切だと言えるんやったら、やっぱりそのトップで作った、トップの思想だけで作ったものがあんまり面白くないっていうのも、もちろんその、
実証はできんけど、十分説明できる、最初に描く円が結局狭すぎるってことなんですよね。
だからここまでっていう決める円が。
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それはもちろん描きやすく操作しやすいんですけど、円のサイズ感がコンテンツの持ってるサイズよりも明らかに小さくなるんですよね、きっと。
だから、つまらないっていうことはそれほど面白くはない。
別に面白くないものやったらいいんですけどね、取扱説明書とか。
読み落としの面白さを追求しない場合は、むしろコンパクトに短時間で描けたほうがいいんですけども。
やっぱりその、そうか、だから、ん?っていうことは、円、自分が思ってた円と違う円が描けるっていうことが描き手としての面白さでもあるんですかね。
どうなんでしょうね。でも、円の中に入るように最初から選択しちゃうわけじゃないですか、たぶん円が最初から閉じそうですよね。
そうか、閉じた円ってことか。そうか。
シェイクは円は描くけど閉じてない円っていう言い方のほうがいいかな。
どっちかがいいんかな。その、円、輪郭線がぼやけてる円なのか、どっかが開いてる円なのか、どっちなんでしょうね。
なんかそのイメージとしては円はあるわけですよね、たぶん。
はい、まあおそらくこれについて描こうっていうのがたぶん円なんで、おそらく。
で、たぶんいわゆるトップダウンっていうのは円があって、その円の中に入るように物事をこう、参考入れていくわけですよね。
で、まあシェイクでっていうかその、自分がやりたいのは円はあるんだけれども、そこに入れようとしないで円の周りあふれちゃってもいいからとりあえず出していって、
出した後でその円をこう動かしてこう、一番面白いところが円の中に入るように。
円そのものを変えていける。だからまあ最初の円はだから穴が開いた円ってことですね、要するに。
ポツポツ穴が開いて、その内容物がいくらでもこぼれていく円で、その円に出てきたものに合わせてサークルそのものを再設置して、再設定していく。
で、面白い円ができたらゴールっていうことですね。
そう、おめでたしみたいな。
そうか、そういう感じか、なるほど。
だけど危険性としては多分あらゆるものをその円に入れようとして、あの円が閉じなくなっちゃって、こうなんか切れちゃったりとかそういうことが起こる。危険性も持ってるわけですよね、多分そういうやり方ってのは。
それはあると思います。だから最初のコンセプトというかアウトラインがやっぱある程度の強度がないと、何にも完成しないですよね、きっと。
そう。
うん、そうか。
まあいいや。
いや、だいぶ僕の中でそのセイクっていうかね、オープンとクローズの関係性が今回はだいぶはっきりしました。
まあ他の考え方もあると思うんですけど。
まあいいや。
まあでも口にするとわかるところありますよね。
そうですね。結構特に説明、人に説明しようとするとわかることっていうのがね。
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なんか自分の中で、この円の先の話もあんまり自分の中では出てこなかった話なんですけど、今なんか概念的というかアウトライン想像的な話ばっかりだったんですけど、なんか一緒に領域と穴の開いた円っていうのはちょっと僕の中ではかなりはっきりしたイメージになりましたね。
穴の開いた円。
穴の開いた円。
まあそれは円じゃないんじゃないかなって話がありますけどね。
だから円、非円っていうか、円として認識されるけど実体は円じゃないっていう、なんかもうフランス現代思想にとか出てきそうな非円みたいな感じのものがスタートになるっていう。
まあなんかちょっと図にかけそうな感じ。
そうそうそう、なんか図にかけそうな感じがしますけど。
まあそういうとこです。
これすごい長い前振りだったんですけども。
前振りだったんですね、今ね。
先日話してた、Ship Is Twoの原稿がプロトタイプ号から初号に変える作業がついに終わりまして。
ありがとうございます。
ありがとうございます。初号脱稿ということになりまして。
そこをゲラにしていただいて手直しするっていう作業が2週間後くらいに発生するんですけども。
紙、今このご時世なんで、郵便物送ったり送られたりするっていうのもさすがにちょっと控えた方がいいかなと思いまして。
PDFでやりましょうということになりまして。
で、我が家に一応iPadはあるんですけども、最新のOSが走らないくらい古いiPadなんですよ。
はいはいはい。
なのでちょっとせっかくなんで新しいiPadを買ってしまおうということで。
iPad Airと、ゴリちゃんがiPad AirとApple Pencil 2買うといいよっておっしゃってたんで、
そのうのみにしてその2つを買ったんですけども、すごくいいです。
もう実用に使いましたもん。
ゲラはまだ来てないんで、ゲラは2週間後くらいに。
今は手書きノートアプリっていうのを、前使ってたのと同じアプリを使ってるんですけど、全然違いますね。
それApple Pencilが違う?
Apple Pencilが違いますね。
昔のiPadとスタイラスのペンで書いてた時と今のを比べると、今の書いたものを見ると、自分の字があるんですよ。
手書きノートに書いてる字のスタイルがそのままそこにあるんですよ。
で、スタイラスで書いた時って、いかにもスタイラスで無理して書いてます感の事態だったんですけど、
普通に自分の急いで書いてる字がそこにそのままあるんですよ。
これは見事やなと。
だからって手書きノートが使わなくなるわけではないんですけど、
これがあればノートとかいらないっていう人がいるのは理解できましたね。
一番気になるのは、これからゲラでやるんだと思うんですけど、赤い例的な原稿、ゲラに赤いを入れるみたいなことに使えるか。
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使ってる人はいっぱいいるでしょうけど。
1個前の本、やること地獄の本もPDFでやったんですよね。
それはそのいわゆるその古いiPadでやったんで、もちろん新しいiPadでももちろんできるでしょうし、もっと快適にできると思います。
ゲラの赤い例であれば多分何も問題はないと思いますね。
ゲラの赤い例っていうとその大きな変更がないので基本的には。
細かい修正とか一行削りましょうみたいなことをやる作業の場なので、
第1章のここと第3章のここの整合性はどうみたいなことをいちいち検討する場ではないので、
だから注目するときはだいたい1箇所だけなんで。
なのでプリントアウトだったらできるはずの紙面をいくつか並べておいて複数検討みたいなことの頻度がそんなに高くはないはずので、
ゲラの赤い例なら問題ないだろうなというのが今の予想です。
逆にじゃあそのみっちり何ページもまたがったような編集を手で書き込むようなことに使えるかっていうのが今一番気になってるんですけど。
だからたくさん今普段執筆の途中でプリントアウトされてるって話はよく聞くんですけど、
この作業にはまだ、まだというか多分ディスプレイサイズの限界がある以上多分かなわないんじゃないですかね。
一応ページを最大限表示するビューといわゆるサムネイルページの縮小版をいくつか並べるものはあるんですけど、
まあでもそういっても紙が3枚、2枚ならスプリットビューっていうのがありますんで、
iPadの画面を2分割して右と左に並べるということで対応できますけど、紙の限界は2枚ではないですからね。
そうなんですよね。結構検討はするんですけど、きっとできないだろうなと思ってしまってやらないんですけど。
だからおそらくその紙でやってた時の操作感を期待すると多分できないでしょうね。
別の操作感がメリットになってそっちの方が良かったってことはあるとは思いますけど、
同じことは多分できないでしょうね、きっと。
ですかね、やっぱりね。
紙をめくるって、7ページと32ページを並べてみたいなことをしようと思うとPDFって結局繋がってるんで、
33:03
なかなか難しいとこありますよね。多分、想像ですけど。
いや、おそらくそれはそうだと思いますよ。そこばっかりはちょっともうどうしようもないんじゃないですかね。
自由にページ差し替えられたり並び順プリントアウトしたものは別にページぐちゃってなってても何問題もないんで。
だから主体性が使う側にありますよね、やっぱりそういうものの情報とか配置とかの。
そこがやっぱり今多いとは当然言えない。やろうと思ったら何かしの処理を間に挟まないと多分できないんで。
紙のような自由さはないし、やっぱりその自由さが必要とされている工程ではiPadはあんまり向かない気はしますね。
ただ、ゲラの場合だったら赤入れて、その赤い出た箇所を後から思い出したら、いやこれは違うなっていうのをもう一回書き直すときにすごい便利なんですよね。
そうですね。それはよくわかります。
だからその工程のラインやったら全然、むしろiPadの方が便利だと思うんですけど。
多分その段階までいけば全然便利だと思うんですよね。
うん、そう思います。
でもまた何か新しい、Apple Pencilで新しい使い方ができるかもしれないですよね。
まあそうですよね。今まで机っていうかこのコタツ机に情報カード1枚かとペン置いてたんですけど、それは撤去されましたね、とりあえず。
撤去されたんですか。
カードの代わりに使うって感じですか、それは。
だからその置いてたカードはメモ帳代わりに置いてたんですね。机の上のメモ帳代わりに置いてたのがなくなったっていうことで。
でも例えば次の本書くときに、以前、今の本書いたときに情報カード、合格さんの情報カードをIDアダシ的に書いてたんですけど、
それの代わりになるかっていうと、これまた微妙なところで。
1行、2行のメモ書きをパパパってしていくのはいいんですが、
マメ論文みたいな長い文章を書く場合は、やっぱり手書き、最終的にしんどいことになるんですよね。
ならもうテキストで打ちたいし、だったらもうスクラップボックスだよねっていう話になるんで。
だからそこはまだ中途半端な。だから多分情報カードの代わりに使わなかったらiPad miniの方がいいでしょうね、きっと。
むしろ。
Airは多分デカすぎますね、だからその意味で。
今のところこれ発展途上中なんですけど、ノートアプリはいっぱいあるんですけど、カードアプリがほとんどないなっていうのはちょっと思いましたね。
カードアプリってそもそもありますかね?
付箋アプリはあったんですけど、それも最近見たらなくなってたんですが。
36:00
ノートとか付箋の間にあるようなものを僕は欲しいんですけど。
1枚1枚のカードを独立して記述することができて、それを全面表示で並べて並び替えができるような、
まあいわゆるKJ法的なことができるようなものをあったらいいなと思ったんですけど、
カードって言うと全部暗記カードかなんですね。
ああ、なるほどね。
でもそんな使い方じゃないんだよ、と。
それはScrivenerじゃないです。
Scrivenerとかになるのかな、やっぱり。
Scrivenerの場合はプロジェクトラインで分かれるんで、僕がやりたいのはその梅沢がやったような、
総合ライブラリーとしてカードを書いていきたいっていうところがあって。
なるほど。
まあだからそれができるツールがあんまりないんですよね。
でもScrivenerは結局、グルーピングはできますけど、リンクができないんで。
できないことはないんですが、リンクするツールではないんで。
フラッシュカードとかの問題もそれであって、その1枚のカードが表示されるだけなんですよね。
複数のカードを並べるとか、関連あるよって表示するっていう機能がないんで、
それはもうすべて今、テキストのいわゆるリング型ノートツールばっかりで、
iPad特有の手書きでできるものっていうのは、今のとこは見たことがないですね、とりあえず。
デジタルの時代になって、なんとなくノートは到達されないけれども、
カードは到達されかかっちゃってるんじゃないかなっていう印象があるんですけど、
もちろん使ってる人はいますけど。
まあ大体にはなるんでしょうけども、どっちかっていうと、
豪華家さんの情報カードはむしろあのサイズ感は大体できない感じがしますね。
兄弟カードより小さいやつ。
兄弟カードは逆にiPadでいいかなっていう感じはしますが、
サイズでいうと、例えば画面の大きいiPhone12とかって、豪華家さんサイズぐらいはありますけど、
まあでもあれに手書きでペンで書きたいかっていうと、多分結構微妙だと思うんですよね。
あれはやっぱり音声入力とか、キーボードタイプはいいですけど、iPhone12とかは。
でも手書きで書いて、やっぱりたくさん並べられないからかな、やっぱり。
村下さんはなんでカードを使うんですか?
わからないですね。なんでなんでしょうね。
全部デジタルでいけるはずなんですけど、今でも結局次の本の準備のために情報カードを書いてて。
やっぱ広げて並べるためですか?それとも組み?
組む方か。
組むため?
うん。パラパラ見たりとか組むためじゃないですかね。
だから書くときにまず、Twitterのように有限化がまず発生するんですね。このサイズ感によって。
39:05
いろんなことを書かないと。で、細かく書かれたものが1個の箱の中に並んでいるっていうその感覚が多分惜しいんでしょうね。
理由ははっきりとはしませんけど、だからエバーノートの場合は1つのノートの単位がデカすぎるんで有限化が働かないですし、
スクラップボックスは有限化は働くんですけど、逆にパラパラ見ることができないですよね、あれは。
そうですね。
なので、今のところ求めてることができるのって、わりかしカードなんですよね。いやー、わからん。これはわからん。
今回の本でカードはどういうふうに使われたんですか?
その書のプロトタイプを書く前に、そこの書きそうなことをカードに書き記して、で、そのカードとは別にアウトラインを立ててっていうことですね。
なんかその別にのところに何があるのかがすごい興味深いところですよね。
カードとして資料を集め、お客さんを集めつつも、それを見返すことはありつつも、そのカードを並び替えてアウトラインを立てるってことはしなかったんですよね。
はいはいはい。
だから、
それすごいよくわかるんですよね。
これは結構、だからそれを小算にしたらダメだなって思いはあったんですよ。
はいはいはい。
それ予感として。
予感としてわかりますよね、それは。それはよくわかります。
それは結構正しかったと思いますけど。
でもカードを作ることには意味はあったわけですよね。
あったと思いますよ、やっぱり。それはいっこいっこの素材を出すっていう意味はあって、だから、でもやっぱりその出したものを、
執筆のすべてにはしないと。知識の確認として書いてはいったけども、書くことによって自分の意識のかなり階層の浅いところまでその知識を一回上げといて、そのテーマで自分がそれについて書けるっていうアウトラインを空でっていうか、何も見ずに書き下ろしたときに出てきたものを最優先にすると。
カードにしてしまうと、やっぱりね、全部使ってやらないと感がどうしても出てくると思うんですよ。
いや、今空でって言ったじゃないですか。
はいはい。
いや、それものすごい多分それが大事なんだと思うんですよね。
はい。
いや、それ多分なんかね、もっと強調されていいことかなと思っていて。
はい。
今の話で思い出したんですけど、昔、Zeroxのパロワルト研究所あるじゃないですか。
はい。
42:00
いわゆるグラフィカルユーザーインターフェースの元祖みたいなところが、その他にもいろんなことの元祖だったと思うんですけど、
そこに、STARっていうワークステーションがあったんです。
STAR、Macのちょっと前にMacみたいなグラフィカルインターフェースとマウスを使って操作するような、ちょっともっと高いコンピューターでSTARというのがあったんですけど、
そのSTARで動くアプリというかソフトで、その名もNOTECARDというのがありまして。
はいはい。
あったんですね。僕も使ったことなくて本で読んだだけなんですけど、いわゆるハイパーテキスト的な、そうするものなんですよ。
そのカードのメタファーが出てきて、それをリンクで画面の中で繋いでいって、画面の中でネットワークを作っていくみたいな機能があるらしいんですけど、
そのユーザーの人のインタビューで、その人はそのNOTECARDを使って巨大な論文を書くときにネットワークを作るんですよね。
ネットワークを作ってそれを紙に全部出すんです。
全部繋がった状態で巨大な紙に出せるのかよく分からないんですけど、とにかくそれを全部見られる状態でプリントアウトして、
壁に貼っておくんですって。で、それを2ヶ月も3ヶ月も机の前に貼ってずっと眺めていて、あるとき、
あるとき時が来たらそれをビリッと引き剥がして捨てちゃって論文を書き始めるっていう。
でもそれって、なんかわかるんですよね。わかるっていうか、多分書いた、書き出したことは多分全部は書かれないんだろうけれども、
何かが頭の中で出来上がる感じって、なんとなく想像がつくんですよね。
自分がそれが出来るかどうかは別として。
やっぱりカードに書き溜めておいて、でもそのカードは別にそんなに見ないで、
その今の空でっていう言い方。でも何かが頭の中に形成されていて、
それを改めて書いていくって、なんかすごい意味のあることのような気が最近しているなということを今の話で思い出しました。
これはだから、そもそもバザール執筆法っていうもの自体が、既存のものに手を加えて修正していくんじゃなくて、
毎回のプロセスで新しいものを作ろうっていう、前に進むしかない方式っていうのを呼んでるんですけど、
なので、カードと原稿の間も一緒なんですよね。だからカードを元にしてアウトラインを作るっていうことはしないと。
ある段階で頭を働かせるけども、その働かせた影響が残っているので、また新しく書き下ろすと。
もちろんチラチラ見るのはいいんですけども、ベーシックに持ち越すことはしないっていう。
45:05
やっぱり全部は使わないんですよね。改めて読み返してたんですけど、カードを捨てる前に使ったのに。
それで良かったんだなと。これは別にもったいないことでもなんでもなくて、そもそも文字数×文字数に限界がある以上、
使えなくて当然で。よく言われますけど、書かれなかったものの量が多い方が実は密度が高いコンテンツができているのではないかという話がよくありますけど、
それに近いことが起きているはずなんですけど、逆にカードっていうのをそのまま、
例えばテキスト化して全部エディターに詰め込んで、あとは修正しますっていうだけだと、やっぱり収書選択の判断を誤ると思うんですよ。
全部使いたい気持ちが増えるんで、きっと。
そう、多分ね、自分が思いついたことに負けちゃうんじゃないかと思うんですよね。
ということはあると思います。はい。
それが多分割にデジタルツールの世界で多く起こっているんじゃないかなというか、
思いついたことが全部残っちゃっているために、それを全部生かそうとして、逆に生かせなくなるというか。
さっきの話引き戻すと、コンセプトがいつまで経っても緩いんですよね、きっと。全部残っていると。
これっていうのが決めきれないままに膨らんでしまって、文字数の関係でカットするんだけど、
だから中身がぎゅっと絞られていないままに文字数だけが決まっているんで、何ていうかな、荷重が薄いというか。
本来はテーマに沿ってぎゅっと絞って捨てられるものが出てくるから、中に残るものがぐっと詰まったものになるっていうはずなんですけど、
そういうんじゃなくて、むやみやたらに書き散らして、文字数の関係で書けないから切るっていうのではやっぱり煮詰まり方が弱いんじゃないですかね、きっと。
多分よく煮詰まってないんでしょうね、きっと。
そうやと思いますね。だから僕の場合、プロトタイプのRファとかβに1回書くにつれて煮詰まるんですよね。
結局自分が覚えていることしか書けないんで、2回目って。
だから覚えていることって、分かっていることで構造がはっきりしていることだけが残るんですよね、これは。
だからそういうふうにフィルターをかけているようなもんなんですよね、書き直すっていうことは。
だからデジタルの利便性を最大限生かそうとすると、その素材をそのままダイレクトにアウトプットにつなげられるのが一番便利なんですけど、
便利というか手間が少ないんですけど、それは良くないなっていうふうに最近思います。
良くないなっていうより、それこそインテグレートされてないものができちゃう可能性がありますね。
48:06
そういうだけのものができるっていうことはあるでしょうね。
コンテンツの中身がぼやけるだけなら別にいいんですけど、残ってしまったが故に苦しむことが増えるのが僕の場合は最大嫌やみたいな。
だから、結局書き下ろすっていうのが一番楽なんですよね、過去の構造にとらわれなくて済むので。
それを意識して過去の材料を使わないようにしてたんですけど、結果的にそれはコンテンツにとっても良いことになるのではないかと。
だからデジタルだと本来は書き直せたりとか、タイピングの手間っていうのは手書きより少ないんで書き直すことの方が楽なはずなんですけど、
でも書き直すことよりもコピペする方がはるかに楽なんで、どうしてもコピペを利用しがちっていうのは出てきてしまうんですよね。
アナログの場合はカードですし、カードから手書きで書いたものをテキストに転記するのはもう面倒くさいんで、
そっちの方が面倒くさいんで、書き下ろすからになるんですけど。
だからここは難しいんですよね。
その場合にカードに限らず何度も書き直すわけじゃないですか、結局。転記じゃなくて。
その例えば2回も3回も4回もその1から書き直す、もちろん頭の中に残っているものを使って書き直すんだと思うんですけど、
何度も再起動する大変さみたいなものってないですか?
ないですね。
同じことを書いてるんじゃないっていう感覚の方が多分強いからでしょうね。
やっぱり説明が上手くなってる感じがあるんで、1回目と2回目の方が。
だから同じコードを2回してるというよりは、例えば違う人に同じ話を喋ってるというか、いう感じかな。
今のとこ僕はこういう話をたくさんしてますけど、同じ話を例えばゴリオさんにするときのような感じ。2回目書くときっていうのは。
だからもう前に書いたことと整合してようがしてないのか気にしてないんで、その時の説明を組み立てるという感じなんで。
だから何回も書くっていうこと、もちろん僕はそもそも文章を書くっていうのがフラットに好きなので、苦にならないというのは当然あるんですけど。
そういう書き直しじゃないな。だから、何ていうの?これやろ。
もう一回書く、再書き下ろしの苦労はほぼ感じなかったですね。
やっぱり全体の中で一番苦労したのは、初行に仕上げたときの元々残ってる部分の話の部分だけを組み替える作業。
51:00
1,2,3を3,1,3,2とかにしたときは、ほんまに疲れましたね。あれは。
それはやっぱりあるものを動かせないものがある中で直さなければいけないからですよね。
だからもう書き下ろしっていう感じにはならないんですね、それは。
だからやっぱりそういう作業をいかに避けるかが僕にとっての執筆の楽さであるなっていうのはそこでやっぱり再確認しましたね。
時間があればだから初行も書き直したと思いますけど、もう初行って結が決まってしまうので、頑張って組み替えましたけども。
なるほど。
そんなとこかな。
だからそうですね、アナログに限らないですけど、それ自身断片として残しておいて次にはいかないっていうやり方って結構その非デジタル的に感じますけど、創作にとっては多分こっちの方がやりやすいし自由じゃないですかね、きっと。
そう思うように最近なってきましたね。
それが何度も一から書く大変さと、残っているものを直していく大変さとどっちを取るかっていうのもあると思うんですけど、それでどっちが大変かは多分人によると思うんですけど。
やっぱり僕ももしかすると書き直した方が楽なんじゃないかと思うことはありますね。
どうしてもうまくいかなくなって散々悩んだところが、その悩んだところを取っ払っちゃえばよかったっていうパターンってあるじゃないですか。
ありますあります。
多分、一から書き直すと多分その悩んじゃったところは多分出てこないんじゃないかと思うんですよ。
だって悩んでるってことは自分の中でそれが正確で説明できないっていうことなので。
消化されてないってことですよね。
だから多分一から書けば消化されているところだけが出てくるはずなので。
ってことですよね。
だから不消化なまま不十分な説明を残しておくのがいいだという主張があるならそれはそうかもしれないですけど、不完全な部分を残すぐらいであれば初めからそこはもう書かない方がいいという思い切りですね。
だからバザール執筆法っていうのは。
だからそれで多分、いわゆる名刺的な網羅性っていうのはそこで消えるんですよ。おそらくは。
書くべきものがそこで書けないからって書いてないわけですから。
でもそれでいいじゃないかっていうふうに思ってるってことですね、僕は。
はい。
うん。
そう。
だから、多分一つの、全てのコンテンツに当てはまるわけではないと思いますけど、ある種の、本にしても何でもそうですけど、ある種の何か特に読み物系ですかね。
54:03
おそらくそうですね。
のものを文章を書くときの一つのコツみたいなものかもしれないですよね。
一番僕に合ってる、アウトライン嫌いの人間にとって、事前のアウトライン、強いアウトラインが嫌いな人間にとっては、このやり方が一番正に合ってるというか、無理なく書ける感じですね。
今、十カードをバーバーっと見直してて、最初にこのツールとこのツールを全部紹介するぞみたいな気合のカードがいくつも見つかったんですけど、本編で全然触れてないものがいっぱいあるんで。
結局そうやって全体の話からすると、大したことない話やったんですね、基本的に。
はい。
結局、俺はこんなにツール知ってるぞっていう自慢がどっかにたぶんあったんでしょうね、きっと。
もちろん、網羅することでその知識を他の人に伝えたいという気持ちもあるんでしょうけども、
でも、自分がその本で一番伝えたいことを本流としたときに、その知識ってかなり裾っていうか、枝の先の先の話やったなっていう。
カードとして残すと、全てが桃冠のサイズじゃないですか。
はい。
重要度が等しく感じられるんで。だから、やっぱりカードを並べ替えてっていうのは、よろしくないように感じますね。
うん。
だからやっぱりそれ難しいのは、切り落とすべきものをどうやって切り落とすかっていう。
結局じゃないですか。
そうですね。
そうですね。
で、切り落とすよりも、今倉下さんが言ってるようなやり方って、切り落とさないで書き直してそれを書かないっていうことで、結果的に切り落としてるわけですよね。
だから。
一番最初の段階にあった。
今、落とすに任せる、落ちるに任せるっていう感じかな。
はい、はい。落ちるんですね。
落ちる、落ちるんですね。だから。
その方が精神的に楽なことは多いでしょうね。
うーん、まあそう、判断が難しいですよね。だから、その果樹にいるときって、その本文書いてるときと全体のアウトラインが、だから示すものが違う。
アウトラインはこのツールを網羅せよって言うんですけど、僕の感覚では、いやここちょっと分け道かもなーっていう疎後が多分発生してて、普段書くときはしんどいのは多分そういうときなんでしょうね、きっと。
はいはいはいはい。
うーん。
うーん。
うーん、まあまあ。
まあね。
あともう一個面白かったのは、あのカードの話なんですけど、読み返してて全然使わないものがいくつか見つかって、で今ちょうど次の本の構想を練ってるんですけど、お、こいつ使えるやんっていうのがね。
あーはいはい。
使いつかったんですよね。これカード的に、それぞれを独立的に保存してるからできる技やなっていうのはちょっと発見でしたね。
確かに、そうですね。あのこのプロジェクトのノートだったら、もう終わったって言ってそのノートしまわれちゃうわけですよね、多分ね。
57:06
でまあ、この多分その後ピックアップカードももう一回書き直すことになると思いますけど、さっきの原理で言うと。
はい。
新たに書き直すことになるんですけど、あ、拾えるものがあったんだなっていうのは面白い発見でしたね。だからこれ結構面白い書き方というか書き進め方だなーっていうのが今のところの発見です。
やっぱりちょっと方法、アナログじゃないけれども方法としてはアナログの時代に行われていたことにちょっと近くなってる感じがする。
知れないですよね。
不思議だことに。
まあその僕の脳の形成が幼少期から今に至るまでの文章を書いてた経験の多くがアナログやったんで、脳の使い方がアナログにフィットしてるせいかもしれなくて、
フルデジタル世代にやったらむしろそのコピペで修正していく方がはるかに楽っていうことは全然あると思うんですよ。
そこがわからないんですよね。
そうそう。
自分は一つしかないんで、他の人にとってどうなのかっていうのはわからないから、まあだから結局自分の例を示すしかないんでしょうね。
うん。だからまあね、自分と近い人にとってこのやり方が役に立ったらハッピーだなっていうことしかできないですよね。
うん。
まあでも今までの方法、言われてた方法と違うことを自分がやってて有用性が感じるんであれば、それはやっぱりパブリッシュしておく価値は僕は随分あると思いますけど。
そうですよね。
うん。
あんまりそこで過度に一般化しなきゃと思わない方がいい。
そうですね。まあある程度そのみんなにも言えそうなことと自分だけのかなり特殊な例を切り分けることは、つまり自分と似てるタイプの人で共通に言えることと、自分とタイプの似てる人であっても共通では言えなさそうなことっていうのを切り分けることは大切でしょうけど、
これが新しい時代の執筆オーダーみたいなことを言わなければ役立つんじゃないですかね、きっと。
そうですよね。
いや、大変に。
いやいや。
良いお話ですね。
いやでもこれはそうですね、こういう書きな、前のものを捨てていくっていう感じ。
勢いだけ残して、勢いだけは残すけど、中身そのものは捨てていくっていうやり方は、僕の中では非常に適してて、やりやすく。
やりやすく、で、多分、さっき言ったように非構造的というか非明示的なものになりますけども、
そのコンテンツにとって一番太い幹が残ってるんではないかなという気はしてますね。
はい。
はい。
そうですね。
で、アナログ話題ついでに、サイドテーブル、自分の作業図形のサイドテーブルをこの前改良しまして、
はい。
1:00:00
押し出しファイリング的なことをちゃんとやろうって前から思ってたんですよね。
で、一時期までは紙ファイルなんていうのはもう残すものかと、そういうスタイルで生きてたんですけど、
最近ちょこちょこと紙に書いて、それをファイリングして保存しておくっていうことをしてまして、
ちゃんと残していきたいなと。で、よく使える場所に置いておきたいなということで、
作業場所の横にそういう空間を作ったんですね。
並べてるときに気がついたんですけど、
押し出しファイリングってファイルだけじゃなくてもいいよなって思ったんですよ。
はいはいはい。
で、それを思ったのは、Evernoteを使っているときに思ったんですけど、
Evernoteのすべてのノートを一覧したときにめっちゃ雑多になるんですよ。
買った本の書紙データが集まっているノートとか、
Webクリップとか、何かの作業をまとめたものとか、タスクリストとか、
いろいろ雑多に混ざってて、で、別にそれで機能するんですよね。
更新美順にすると、ちょうど自分が今ホットに興味を持っているものが上に並んでくると。
だから、デジタルの場合は、いわゆるカテゴリーを気にせずに、
押し出しファイリングできるなと思ったんですよ。
はい。
だったら別にアナログでやってもいいんじゃないかなと思ったんですよ。
なるほど。
で、僕、押し出しシェルフィングって今勝手に名前つけたんですけど、
クリアファイルと本とノートを全部同じ棚に並べてるんですよ。
はいはいはい。
で、手に取ったものを右に直すっていうのをやってるっていうのが、
押し出しファイリングなんですけど、
押し出しシェルフィングなんですけど、
シェルフィング。
はい。
あの、別に何の違和感もないですね。
見た目が散らかってること以外は、すごい使いやすいです。
結局その一番最近、その…
読んだ本とか開いたノートとかが右に戻すっていうルールなだけの棚です。
だけどやっぱりその手に取る頻度が高いものがこの右に寄ってるってことですよね。
左に来るものは退場のお知らせっていうやつですね。だから。
退場したやつはどっかにきちっとしまわれたりする?
本の場合はだから今読んでる本とか読み終えた直後で読書メモを書こうと思ってるものがそこに置かれるんですね。
で、左に行ってもうええってものは本棚に移動するとか、
書類の場合はもうスキャンしてとかいうことになりますけど、
左に行くはだから別の場所への移動のいう形の移動で、
そこに置いてるのは今のアクティブかアクティブになりたがってる情報を置いていくって感じですね。
で、やっぱりそのパッと見たときにめっちゃ散らかってるんですよ。
本、本、本、クリアファイル、本、本、ノート、クリアファイル、クリアファイルみたいな感じで。
これは理由とか全く揃ってないんですけど、でも自分の使い勝手においては何の不自由もないなと。
1:03:04
だから見た目の整理に今まですごいとらわれすぎてたなっていうのをその棚を作って思った次第です。
見た目の、そうですよね。でも整理した感覚を味わうためには見た目を揃えなきゃ。
そうですけど、結局そのアクティブのものっていうのは保存というよりは、
次使うために置いておくっていう場所なんで。
だからその目的に沿った場合って本もノートも一緒なんでね、素材としては。
特に取り出したい情報という意味では。
で、デジタルではそうなってるんで、アナログでもいけるだろうと思ったらいけたっていうのがこの話の肝なんですけど。
でもなかなかやっぱりファイルと本を一緒に置こうって思わないんですよね、これ。
うーん、思わないですね。
こういうね、自分の中にある見えない基本性っていうのがいっぱいあるなっていうのを思ってるんですけど、今。
まあでも不思議なことに散らかった机っていうのはそういうものが全部こう一緒に置かれてるわけですよね。
当人にとっては便利やからいいじゃんっていう話なんだけど、
まあ散らかってなくても、その縦に、要するに横のものを縦にせいっていうのが押し出しファイリングの肝なんですけど、
それを別に本にも適用したと。で、それでも何も問題はないと。
むしろすこぶる便利だと。
便利でしょうね、これ。やってみてもいいかなと今ちょっと思いましたけど。
ファイルに比べて本は横幅を取るんで、ちょっとだから普通のやつよりも多分その幅を取らないと使い勝手があまり上がらないと思うんで、
僕そのために一個変えましたからね、棚。長めの。
そのために買ったんですか?
そのために買った。本を置くためだけに拡張しましたから。
なるほど。
でもこれしてるとね、エヴァンのと的な自由な感じがここにもあるなっていうのは思いますね。
だからこっちはアナログをデジタルの方向で運営してるっていうさっきと逆の話です。
そうですね。
まあ押し出しファイリング自体がそうですもんね。あれはそのデジタル的な発想でアナログのファイルを運用しようっていう考え方でしたもんね。
そのファイルが単一の書式に、フォーマットに統一されてなくても使える。
つまり押し出しファイリングって、例えばあれは封筒かな、封筒の企画を統一しておくことによって、
あるいは名前を書く場所を統一していくことによってすぐ探せるメリットがあるっていう話じゃないですか。
はい。
で、本とクリアファイルが混ざってても、結局クリアファイル探すときはクリアファイルしか見ないんで。
そうですね。
相当権利って別に全然悪くならないんですよね。
はいはいはい、そうですね。
だから、これはいいなって、これはたぶんまた新しい自分なりの方法やなと。
久しぶりに野口先生の方法を応用したなという感じですね。
あれは普遍性がありますよね。
ありますね。
押し出しファイリングは普遍性あると思いますよ、やっぱり。
ちなみに、たくさんもフートで押し出しファイリングをされてると思うんですけど、
1:06:07
どこに置いてあります?作業机に対して。
真横ですね。
やっぱり横か。
机があって、その机の横にこの2段のファイルキャビネットみたいなのがあって、
だから机の引き出しぐらいの感じで開けられるようになってます。
そのファイルって机が横ぼーっとしたときに、L字型っていうかT字型っていうかな、90度垂直に置かれてます?
それとも横に並んでる?
横に並んでます。
横に並んでるのか、なるほど。
だからファイルキャビネットの上は机の延長で、
そういうことか。
さらにその向こうにもう1個台が置いてあって、そこも物を置くための場所だったんですけど、
海洋植物が増殖して、今植物しかない状態になってますけど、だから全部横に並んでます。
横の場合は、一番近いのを手前に戻したら向こうに行くってことか。
向こうに、そうですね。奥に。だんだん奥に行きますね。
これは多分本棚の方が使いやすいでしょ。
なるほどね。
ただちょっと本棚、以前は本棚を使ってたんですけど、ちょっと本棚が使えなくなったんで、
ファイルキャビネットを確かに去年買ったんですよ。
それ、ファイルって難しいな。どのくらいの幅置いてます?
幅って、量ですね。
個数で聞きたいですけど、何センチくらいの領域を押し出しファイリングに使われてるのかな?
2段のファイルキャビネットがほぼいっぱいなので、
へぇー。
なので、どのくらいでしょうね、これね。
結構多いですね、ということは。
結構多いです。ただし、下段はほとんど使わない。
本当だったらこれ、ここに入れとく必要なくて、多分どっかにしまっちゃってもいいんですけど、
その時間が取れないままずっとここにあるという。
そうか。僕は元々はもう紙を使ってない方式でやってたんで、
あくまで自分のメモ書きとかノート書きしたものの、
コピー用紙に書いたものをファイリングしておいているのがメインなんですけど、
それとも総数は多くないですか。
キャビネットいっぱいの封筒は相当多いですよね。
うーん、そうですね。結構ありますね。
結構紙が多いのかな。
自分のプリントアウトとかほとんど入れてなくて、
今見ると領収書とか、
ファイナーナンバーカウントのなんちゃらとか。
そういうのでキャビネットいっぱいになるんですね。
1:09:00
来年の確定申告用の領収書を入れる封筒でしょ。
生命保険の送ってきた確認のやつと、
文字印ペンダントライトと、
奥さんのiPhoneの機種変更のなんとかと、
ああ、なるほどなるほど。
会社さんのやつとか、病院関係のやつとか。
病院関係多いですね。
そうですね。
映画のチラシと、みたいな感じですね。
結構雑多に入ってるんですね。
全然雑多ですね。
僕はそういうのの保存はだいたいスキャンして済ませてるからか。
ここに残っているのが少ないのは。
そうですね。だからスキャンするのであればスキャンして、
本来捨てる方が望ましい紙がいっぱい入ってるから。
そういうことか。
最近だから、あまりにも世の中がデジタル化しすぎて、
紙情報をどう扱うかっていう話題を、
ほとんど見かけながらあったなと思って。
まあそうでしょうね。
僕も一時ほとんど紙残らないぐらいまでやろうとしたんですけど、
結局不便だなと思って。
領収書とかならあれいいんですけど、
結局病院の健康保険のなんとかとか、
紙で置いとかなきゃいけないものもあるので。
確かに。
あとこのスキャンするべきか、捨てるべきか判断するのもめんどくさいので、
もう全部そのまま入れちゃうっていうメリットもこの本にあります。
なるほど、確かに。
そうか。
どっちにしろはやっぱり、
アナログの古来の方式にデジタルの要素を混ぜたりとか、
バリバリデジタルにアナログを混ぜていくっていう、
融合というんではないですけど、
によって逆に便利性というか、
心地よく使える度合いが上がるっていうのは多分あるんでしょうね、きっと。
あるんでしょうね。
野口先生の時代にアナログにデジタル的な発想を持ち込んだのが新鮮だったんですけど、
逆にさっきの話でいうとね、
デジタルにアナログ的な発想を持ち込んでるわけじゃないですか、ある意味では。
そうですね。
たぶん間違いなくその方が有効な場面もあるんですよね。
それはデジタルの方がもうちょっと変わることによって
カバーできることもあるかもしれないけれども、
でもそれこそ両方知っていることで
1:12:01
より快適に使えるようになることもあるってことですよね。
そういうのがやっぱりちょっとライフハック的ですよね。
逆にデジタル派はデジタルでアナログはアナログみたいな分離が進んでしまって、
両方の知見をうまく使うっていうのが発想として出にくくなったっていうのはあるでしょうね、きっと。
そうですね。
特に1から書き直すっていうのは実はかなり重要だと思いますね。
そうですね。
それアナログっぽいけれども、気軽に1から書き直せるのってやっぱりデジタルだからじゃないですか。
おそらくそうです。
手書きでそれをやったら大変なことになるんですよ。
検証員になりますよね、間違いなく。
し、当然書き直しとかではデジタルのメリットも当然生きてるわけで。
そうですね。
まあ、本当に必要とあればコピーすることもできるんで、
ある段落のある一部分の説明だけ持っていくとかはできるんで。
そうですよね。
うん。
うん。
そういうものがひょっとしたら増えてくるかもしれないなという気がちょっとしました。
使いやすくするためには、そうですね。
だから、あんまりデジタルすぎてデジタルに人間を合わせにいく感じが増えてたんで、
それは無理やろうなというところで。
そうですね。
多分それをやってることでだんだんアナログとミックスっていうか、
アナログをミックスというよりもアナログ的な発想でデジタルを使うとかその逆とかをやってるうちにだんだん
なんかさらにデジタルの良さみたいなものがわかってくるかもしれないですよね。
うん、それはありますね。
だからデジタルとアナログのシェイクということなんですけども。
まあ、クライシスだって昔ハイブリッドを。
そうですね。では、ハイブリッドとシェイクはなんかちょっと違う気がするんですよね。
ハイブリッドはキャッチーな言葉としてよく使ってましたけど、
ハイブリッドっていう言葉は別に嫌いじゃなくてむしろザッタっていうのが好きなんで、
ザッタをかっこよく言うとハイブリッドになるんですけど。
でも、なんかハイブリッドはデジタルの良さはデジタルの良さで使って、
アナログの良さはアナログの良さで使ってっていう感じで、個別的な感じがしますね、なんとなく。
使い分けっぽい感じ。
使い分けっぽい感じがしますね。お互いに影響し合うという要素はやっぱりシェイクの方がより出てる感じがしますけど。
そうですね。そうかもしれないですね。
はい。できればその本棚、クリアファイルはクリアファイルで揃えたくなる話というところから、
リュードを揃えたくなる病気について話したかったんですが、さすがにもう長くなってきたので、それは次回にしたいと。
リュードを揃えたくなる病気。これ結構ね、1回使い切るぐらいの話でしたね。
そうですね、これはね。それが僕たちが情報ツールをうまく使えない、多分、1つの病魔になってますね、これは。
1:15:06
はい。
その話はまた別の回にしたいと思いますけれども、何かご連絡等ございますか。
特にはないです。
僕は7月に発売されるだろうということがアナウンスされてないんですけど、そんな風には決まっているなと。
別の知的生産系の本と同じ発売日というか、同じ出版社の同じ月の発売になる模様で、それが追い風なのか向かい風なのか全くわからないんですけども。
すごい奴が。
僕もその本が出たら絶対買うぞと思ってた本が、同じ出版社の同じレーベルから出るっていうことを初めて知ってしまい、しかも同じ月の発売ということもちょっと知ってしまったので、戦線強々としてるんですけども。
まさかそう来るとはという感じですね。
そうそう。
まあ、あれですね、だから、両方の本楽しみにしてる人がおったら、7月はすごい楽しい月になるでしょうけど、僕は恐れ半分、楽しさ半分という感じですね。
どっち買おうかな、あっちにしようっていうのが発生するかもしれないですね。
そうなったらもう完全に僕負けゲーじゃないですか。
いや、それはわかんないですけど。
まあね、まあ、でも一緒に発売されて一緒に行って、こう、棚に横に並ぶことによって、その片方の本を目にした人がもう片方の本を目にしてくれる効果を期待したいところです。
そうですね。いや、それは起こるんじゃないですか、やっぱり。
そうなってくれたら、まあ嬉しいところですね。
ということで、今回の話についてご意見あれば、またお知らせファイリングを実は俺もやってるでとか、書き直すやり方は実は私やってますみたいなご意見、ご感想等あれば、
#打ち合わせキャストまで、ひらがなで打ち合わせアロベットでキャストまでいただければ、クラシタがチェックしたいと思います。
はい、というわけで今回はここまでにしたいと思います。お疲れ様です。
お疲れ様でした