技術のアップデート
おだしょー うちあわせCast第百八十七回ということで、
今回もゲストにTakさんをお迎え しております。よろしくお願いします。
Tak よろしくお願いします。
おだしょー ニュースが盛りだくさんなんでパパッと
いきますが、Rome ReaderっていうChrome の拡張機能を見つけまして、名前
からなんとなくイメージ的に思うん ですけど、Rome Researchの拡張機能
で、Rome Research用のWeb Clipperと認識 したらいいかなと思います。開いてる
Webページでボタンを押すとクリップ で取り込まれるという形で、パッ
と動画を見る限りでいうと、拡張機能 上だけでクリップしたファイル
とかWebページのリストが見れる みたいな感じになってて、多分
データがRome Researchのほうにも行く みたいな感じだと思います。まだ
頑張ってるという言い方はちょっと あれですけど、継続的に開発されている
ということで、関連してワークフローリー のアップデートが来ておりまして、
4つぐらい発表されたんですけど、 注目筋はタブ間のドラッグアンド
ドラップが可能になったということで、 これは非常に喜ばしいことではない
かと思うんですけど
おだしょー これもあれじゃないですか。クラシタ
さんがずっと待ってたやつじゃない ですか、これ。
おだしょー まさにそうですね。うち
ですギャストでもたびたびウィンドウ を分割して並べて使うのいいよという
話をしてきたんですが、単純にウィンドウ を分割しただけだとドラッグアンド
ドロップできないですよね。たび たび僕は文句を言ってきたわけ
ですが、とうとうできるようになって、 今までは例えば一つのウィンドウ
で、一応ワークフローリーの左に サイドバーが出てくるんで、左の
サイドバーも本体と同じものが表示 されてるわけですけど、そっちから
両方かな、一気にドラッグ項目が できたんですけども、今回サイド
バーだけじゃなくて、横に開いた タブ間で移動ができると。一応
もうChromeが標準の機能でタブの 分割表示ができるようになってる
んで、Chromeなら特殊なエクステンション をふたすことなくそのままできるん
ですけど、一応Firefoxでやったんですが、 当然のようにちょっと待つんです
よね。移動して向こうに表示される ときに、移動した側はすぐ消える
んですけど、移動先がピッと待つ。 さすがに普通のアプリを使っている
ぐらいの感じにはならない。当然 APIの受け取りと処理の間にラグ
があるわけですよね。それが情報の 切りかかるんですよね。細かい
文句だと思うんですけど、そのラグ はやっぱりこの手の情報ツール
を使っていくうえで、ちょっと引っかかる なというところがありまして。
しばやん ウェブアプリの
おだしょー 差がみたいなもんだとは思うん
ですけど。だから本来はブラウザー のタブ機能で分割するんじゃなくて
ワークロールそのものが横で開く っていうことをしてくれたら、もう
ちょっとスマートかなとは思うん ですけども
しばやん そうなんだ。サイドバー じゃなくてそれをやってほしい
んですよね。
おだしょー そうなると非常にハッピー なんですが、現状このラグがある
ぐらいだったらコピペするかな という感じの、ちょっと気持ち悪い
感じだったんで。お前の通信環境 が遅いんだとか言われたら、そりゃ
それで仕方がないんですけども。
しばやん でも通信環境じゃないん じゃないですかね。やっぱり
おだしょー 普通にあるでしょうね。なのでちょっと
その辺が期待とともにという感じ でした。関連して、ワークロール
APIが使えるようになって、APIを 叩くと全ノードのデータが取得
できるんですけど、おそらくそれを 使ってると思うんですが、ワークローリ
CLIというのを開発している方が おられまして、GitHubに上がってる
んで自分でダウンロードしっかり 使えるんですけど、もしターミナル
からそれを叩くと、自分の最上位 項目が、ターミナルコマンドで言う
とLSか、DOSVIAと呼んだかな、とりあえず 最上位項目がリストで見られて、
CD、移動するっていうのをすると、 そのどっかの項目に入る。つまり
フォルダー的にフォルダーとか ディレクトリー的にワークローリ
の項目扱えるというのを作って おられる方がおられて、便利かもし
れないですけど、やっぱりそのAPI を開放することで、こういうふう
な工夫っていうのが開発という か、なんていうんかな、カルティベート
されていくような感じがあります ね。
歴史的な更新
おだしょー そうですね。これはもはや アウトライナーの使い方ではなくなって
きますけど。
データベースとして使うという 感じですね。
おだしょー そうですね。逆にそういう 使い方もあり得るということですよ
ね。
古いニュースから行きます。ご存知 かどうか知らないですけど、JQuery
かなっていうのが、JavaScriptのライブラリ みたいなのがありまして、10年ぶり
のメジャー更新ということで、これ 僕まだ生きてたんかなという感じ
だったんですけど、昔はめちゃくちゃ 人気だったんですよ。JavaScriptを操作
するときに、例えばあるDivの中に あるDivの中にあるH2が指定する
のが非常にめんどくさくて、それを 非常に簡略化させてくれるライブラリ
だったんですけど、JavaScriptのほう がアップデートしてきて、普通に
も操作性が上がっちゃったんで、 ほとんど使ってる人はいないとは
思うんですけども、相変わらず便利 は便利なんですが、それがアップデート
してるということで、インターネット は片方で効くものがありながら、
片方でしぶとく残っていくものが あるなという感じを受けております。
おだしょー はい。IE.対応を削除って書いてありますね。
大平 まあ、それはもう無理でしょ。
おだしょー すげえ。
大平 まあ、またあったんかということ もありますけど。
おだしょー すごいですね。
大平 まあ、JavaScriptでいうと、その IE対応が常に課題になったので。
おだしょー そうですよね。
大平 まあ、それはもう一旦なくなって というとこだと思います。同じく
ですけど、TextWell、iOSアプリですね のアップデートが来たということで、
これもまたアップデートしてくれて るんだという感じなんですね。
おだしょー TextWellって何でしたっけ。あれ忘れちゃった。
大平 いまいとDraftsっていうやつですね。
おだしょー 本に投げ込むやつ。
大平 IOSのメモアプリで、メモするだけで、そのメモした後からアクションとかで
自分の好きなアプリの中から飛ばせます。
おだしょー そうでした。
大平 自分の自作のアクションとかも 作れてハッピーですよっていうのが
まずあって、それが一旦Draftsに行って。
Draftsの場合はカスタマイズアクションを 作りたかったらサブスクリプション
していいよねっていう感じになってるんですけど。
それとは全然ちょっと古いバージョンの 昔の機能だけがあるようなTextWell
っていうのがあって、それがちゃんと アップデートされているということで
生成AIの発展
これも長生きさんですね。
おだしょー 長生きですね。
大平 しかもたぶん普通に嬉しい方は多いかと思います。
たぶん使ってる方多いでしょう。
逆に最新の話題なんですけど、まず OpenAIがPRISMというのを発表しまして、
昨日の夜だったか今日の朝だったか 忘れましたけど、科学論文を書くのに
非常に強力なサポーターになってくれる みたいなやつらしく、使ったことはないし
使う予定もないんですけども、 ちょっと話題になっておりました。
おだしょー あるんですね。
バイブコーディング的なことをやり方で 論文が書けるみたいな。
たぶん日本語で書いたものを英語に 指定するとかも全然できて、次世代。
おだしょー 次世代感はありますが、保存したデータが
OpenAIでどう使われるのかが不明瞭 だというような話がまた出てまして、
本当にちゃんと使っていいのかは まだ全然私は分かりませんが、
どんどんこういう方向に行くんでしょう という感じはします。
あと同じく生成AI関係ですけども、 Chromeとジェミニがくっつくということで、
おだしょー そりゃそうでしょう。
オープンAIも独自のブラウザーを 開発しておりましたが、
超強力なChromeに超強力なジェミニ がくっつくということで、
たぶんChromeの横とかにジェミニの 相談できるチャットバーがつく
ということだと思います。
僕はChromeを使ってないので分からないし、 今後使うこともないと思うんですけども、
Google経済圏じゃないな、これは何やろうな、 データ圏みたいなのが非常に
強まっているなという感じですね。
逃れることはできないと思います。
生成AI関連で、これはもうちょっと あれなんですけど、
Nevernodeの11がとうとう発表というか 使えるようになりまして、配布されまして、
10の頃から11は生成AI対応が進むぞ ということがずっと言われてまして、
結構時間がかかってたんですけども、 ユーザーが保存したデータを
いわゆる単純なインデックスではなく、 生成AIに渡せるベクトル化というのを
たぶん行っていたんだろうという 推測が出ておりましたが、
たぶんそれが一通り終わったということで、 全ユーザーに開放されたということで、
一応僕もEvernoteユーザーなので 使ったんですけども、
悪くはないがという、悪くはない が感がどうしても拭えないという感じでして、
発表されたばっかりなんで、まず機能 そのものが貧弱というか、
まだ揃ってないというところがありまして、 ノートブック、あるノートに対して
チャット欄を開いて、このノートを オニャオニャのノートブックに
移動させてはできるんですけど、 ノートブックの名前が間違っていると
ダメなんですよね。あるいは 曖昧でもダメ。ほぼそのまま正確に
入れないとダメ。しかもタグ付け してくださいって言ったら、
タグ機能がまだうまく使えません とか言われて、それはどうかなと。
おだしょー そうなんですね。
おだしょー それはもちろんいずれアップデート
されると思うんですけど、ノートブック の具合から見たときに、タグ付けも
おそらくちゃんとタグ付けないと いけないと思うんですよね。正確に。
おだしょー なるほどね。
おだしょー それをするんじゃったら、自分で
するって話じゃないですか。
おだしょー 確かに。
おだしょー 僕が思うのは、例えばこのノート
をいい感じに処理してって言ったら、 いい感じに処理してくれると望んでる
わけですよ、恋愛には。でも今できる のは、入力そのものは正確で、ノート
に対しての細かい操作を代わりに やってくれるというもので、よしなし
にやってくれるまでは言ってないん ですよね。将来的にそう言って
くれたらいいんですよ。つまり、 自分がこれまで同型のノートに対して
同型の処理をしているということ を文脈を認識した上で、このノート
もこうしたらいいだろうって学習 した上で処理してくれたら、たぶん
それはノートテイキング with 生成AI としてはたぶんハッピーな形だと思
うんですけど、今んとこ単純作業を ちょっと簡単にしてくれるという
レベルにとどまっていると。全体 のノートから適合するノートを
コンテストを見て見つけてくれる みたいな機能もあるんですけど、
最大10件になってるんですよね、 現状。
しばやん 10件
おだしょー 10件。僕7万ノート持ってるわけ
タスク管理の重要性
ですよ。それは少なすぎんかという 感じがするんですよね。
しばやん しますね。
おだしょー そう考えるとまだその辺
は今後10件が20件とか30件になっていく 機能改善の道があって、それは今後
のアップデートを待つんですけど、 最大の問題はまずノートがあって
ノートリストがあって、それぞれの ノートに対して操作するチャット欄
があって、これは中国チャット欄 は要するにチャットGPTのあの画面
みたいなものがあると想像してください。 あといわゆる検索があって、その
検索は情勢AIを介したコンテキスト 見た検索みたいなと普通のキーワード
検索があって、つまりノートに アクセスするようなルートが4つ
ぐらいあるんですよね。これはもう 混乱としか言いようがなくて、正直
ややこしいです。増改築した2階の上に 屋根裏にまた付け足しましたみたいな
感じになっておりまして、これは 仕方がないとは思うんですけども、
情勢AIを使ったノートテイキング を真剣に考える場合、多分UIから
もう1から作り直す必要が多分ある と思います。今までのノートツール
にくっつけただけのものは多分 貧弱ですし、だとしたらもうノート
入力画面そのままから多分再検討 あるいはノート一覧みたいなもの
を検討する必要が多分あると思います これは。エヴァノートというツール
のアップデートやから、これは仕方 がないとは思うんですけども、
もっと別のifの世界を考えられる としたら、今このようないろんな
ところにいろんなものがある画面 は多分好ましくないなとはちょっと
思いましたね。
おだしょー そうですね。予想されることというか、
いろんなところでそういうことが 起こっているんだろうとは思います
けどね。
りなたむ そうですね。まだノーション を見た限りではまだマシやったん
です。ノーションの場合はノーション のもともとのデータベースが主に
あって、情勢AIはあくまでチャット 欄で補佐するという感じやったん
ですけども、現状エレバーの11は 自分のチャット履歴もちゃんと
あって、で例えばチャットGPTとか ゼミニを使っていると分かるんです
けど、大体その履歴を一つのノート みたいな感じで使うんですよね。
ある時期はこれについて質問して、 その他質問した後で、あれについて
質問をまた追加しようと思ったら そのログをたどってさっきの元に
戻って追加で質問するっていうのは これ一つのノートを使っている
ようなものだと思うんだけど、だから チャットとノートがそこで一体
になってるわけですが、エバーノート はそれもありつつノートもあり
つつなので、なんかややこしいな という感じが拭えないと。でも
それは僕がノートテイキングウィズ 生成AIの未来を見て、そこのギャップ
で文句を言ってるだけであって、 普通に今用ノートを使ってる人が
ノートについてAI使えるようになった っていう便利さは普通にあると思います
行動実行の課題
そこは別に悪くないんですけど、 これはたぶんこの先の未来ではない
という感じはしました。
結局そのノートの境目というか、 ノートとかノートブックという
概念自体が必要、本当にAIを中心にするなら 必要なくなるでしょうね。
なくなってほしいですね。 すべきやとすら思いますね。
彼らの開催をするならば。しかも ノートブックの意味が分かってないんですよね。
まだ彼らは。あるわけですよね。 集まってるノートから見たときの
そのノートブックそのもののコンテキスト があって、だからさっきの
吉谷処理してくれっていうのは、それを 理解してくれってことなんですけど
それができていないと。それよりも 複数のノートに対して持ってる
ベクトルを理解してもらった方が早い と思うんですけど、その場合は。
だからあってないんですよね。ノート の整理と、自力のノートの整理と
生成AIの補助が多分あんまり 噛み合ってない気がしますね。
おだしょー それに加えてノートとかノートブックの
作り方のベクトルというのは、おそらく ユーザーによって全然違ったり
するので、難しいですね。まっさら なところから始めるんだったら
もっとシンプルになるんですけど。
吉谷 それはそうですよ。もともとにある
ノートツールに機能を付与すると こういう形になってしまう。あと
ジェミニとかクラウドコードっていう のは、自分でAgent MDとかジェミニ
MDとかMDファイルでこのように処理 してほしいみたいなお願いを書く
ことができる。書式というか。今の ところエバノートはそういうのが
できないので、だからうまいこと なってくれると願うしかないという
こっちの関与性がちょっとあまり にも低いので、要検討というところ
ですね、これはね。
吉谷 なるほど。
ノート 難しいなというところで。あと
さっきツイートで見たんですけども、 これ何だったかな。でかいスーパー
スーパーじゃないね、これ。こう ちゃんふぉ青葉台店が岩波文庫を
全部揃えたというので、ツイート を見かけたんですけど、ここもともと
ものすごい広い場所で本の店数も かなり多いと聞いたんですが、岩波
を全館揃えるのはちょっと話が違う わけですよね。集めにくい上に返品
きかないわけですから、この岩波 は覚悟を感じますよね。
吉谷 すごいですよね。
ノート ちなみに僕全然わからない
んですけど、青葉台は東京のどの 辺にあるんですか。
吉谷 青葉台、若葉台。
ノート 若葉台か。ごめんなさい。若葉台。
はい、ごめんなさい。若葉台。
吉谷 若葉台。なんかね、そういう地名が
いっぱいありすぎて、僕の知ってる 若葉台でいいのか違うのかな。若葉台
団地がある若葉台なのかな。ちょっと これ調べてみないとわからないですが。
どこだろう。若葉台団地なら割にうち の近くですけど。
ノート ああそうなんですか。うちの近く
ということは県高いということですね、 多分。勝手な予想ですから。
吉谷 そうですね。でも違うのかな。
ノート アカウントを見て、稲城市かな。稲城市。
吉谷 稲城市か。じゃああれですね。東京の西部と東京の西の方ですね。
ノート ということは山手線よりは遥かに向こう。
吉谷 遥かに向こうは川崎市じゃないな。東京の西の方ですね。
ノート じゃあちなみに僕が東京駅に新幹線で着いたとしますよね。
どこまで行くにはどうしたらいいんですか、ルートは。
吉谷 稲城市だったら新宿に行って京王線か、
新宿は京王線で立川に行って南武線とかそういう。
ノート 結構時間がかからないですね。
吉谷 ちょっと今正確にわかんないですけどそんな感じの。
1時間ぐらいかかるんじゃないですか。
ノート そういやそれは。
名前は知ってて行きたいなと思いつつも、
あんまり距離の土地感がなかったんであれなんですけど。
でもちょっとこれは見に行きたいですね。
吉谷 ちょっと見るだけでも買っちゃいますよね。
見たら必ずなんか買っちゃいそうな気がしますよね。
面白いなと思って。
インターネットの方が在庫があると言われている昨今でも、
こういう巨大な店舗に物量だけじゃないけど、
騒音さというか圧倒される感じっていうのがあって、
ものが持つ力というか。
ノート 気合い入ってますね。
吉谷 ちょっと見に行きたいスポットという話を見かけた。
文庫もそうだけど、岩波新書も岩波少年文庫も気合い入ってるんですね。
これよく見たら。すごいな。
ノート 本気やな。
吉谷 ちょっと行ってみたいですね。
ノート 価値はありそうですね。
ネタ割りはその辺なんですが、今回のテーマでして、
思考と行動の関係についてというところで、
内容全然わからない、漠然としてるんですけども、
どこから切り込むか難しいところなんですが、
まずちょっと思っているのが、
これタスク管理全般の話なんですけども、
全般というかあるあると言っていいと思うんですけど、
計画を立てる。
自己啓発で言うと、
例えばなんとの習慣はまず計画を立てようと。
実行せよという話がたびたび出てくると思うんですけど、
タスク管理でも最初にプランニングっていうのが行われると。
おそらくその段階は非常にテンションが上がってたり、
ワクワクしていたりすると。
しかし、一旦行動に移す。
ここで行動というと、よりダイレクトに言うと、
実行の段階に至ると、
実行って僕思うんですけど、実っていうことは、
つまり、今日でやったものを実に変えるということなので、
計画を行動に移すことを多分実行ということだと思うんですけど、
実行の段階になると、
途端に辛くなったりつまらなくなったり苦しくなったりしてしまうと。
これをどう解消するのかということが、
タスク管理のセカンドステージというかな。
一番最初のファーストステージは、
リストを作ってやりましょうみたいな話だと思うんですね。
それは小規模の場合大体うまくいくんですけど、
それが大規模あるいは長期間に及んだときに、
このような問題が発生してしまうと。
なぜそうなるんだろうと思うわけですよ。
それは結局、計画を立てた通りに進められないという、
単純な不都合以上の何かがそこに起きていると思うんですよね。
うまくできない自分がダメというような、
罪悪感に似た何かが生まれている気がするんですよ。
でも計画を立てて実行するという、
そのアクションというかスキルみたいなものとして捉えたときに、
例えば、僕が今日ハワイに行ってリンボーダンスにチャレンジしたとして、
うまくできなかったとしたとして、
多分そのような罪悪感をまず持たないと思うんですよね。
タスク管理失敗のような罪悪感は生まれないと思うんですよ。
今ちょっとその風景を想像しておきました。
でも、タスク管理、自己啓発で行われるようなプランニング&アクションの不達成には、
もっと深い何かが生まれる気がするんですよね、そのリンボーダンスは。
これは何なんだろうかというのが、僕はずっと疑問になるんですよ。
これは不思議なんですよね。
主に、やっぱりその計画は達成されるべきだという規範性があるわけですよね。
あるんだと思います。
そこは引き続き言うと、
行為の意図者は自分の行為を統治できるべきだともつながってると思うんですよね。
それは結局、親は子供を思い通りに成せるべきであるし、
上司は部下をコントロールできるべきであるという規範とも一緒だと思うんですけど。
これは結局、この社会、現代日本の全般的にまたがっている価値観ではないかなと思うんですよね。
なるほど。
もちろんその計画を立てて実行できないことによる不都合というのはあるんですけども、
それ以上の悩みを、そのような批判性が引き起こしてるんではないかと思うんですけど、
福田さんどう思います?
日本社会の価値観
思いっきり貯めてからこちらに行こう。
こうなのか、他に可能性があるのか。
まさに倉下さんの言われるとおりだと思いますし、
学校でそういう習ったことというか、学校でこうせよと言われたことが結局そういうことにつながってるんじゃないかなというふうに思うんですけど、
なんででしょう、計画通りにできないで、罪悪感を抱くとか。
それって結局僕はどうしてもアウトライナーを通じて何でも考えちゃうので、あれですけれども。
要するにアウトラインを作ったとおりに描けないというのと同じことなんですよね。
僕は何でもそのメタファーで考えちゃうんですけれども。
同じことで、こう描こうと思ったとおり描けない。
俺はダメだと思ってしまうと。
こういうふうにやろうとも計画したけれどもできない。
俺はダメだっていうのはたぶん全く同じですね。
部下は上司の思ったとおりに動かなければいけないっていうのも、
実はトップダウンオンリースポーという点では共通してるわけですよね。
そうすると足りないのは、自分の言葉に寄せていってしまえばシェイクだろうと思うんですね。
シェイクっていうのは何かというと、下からのフィードバックですよね。
計画を立てることもアウトラインを作ることも全然いいんだけれども、
現実というのは当然その通りにはならないので、
ならなかったときにどうならなかったのか、じゃあどうなりそうなのかっていうのを、
ポトムアップの方向に一旦上に戻すという形でフィードバックを行って、
計画とかアウトラインを更新してまた実行するっていうサイクルを繰り返すものだと思うんですよね。
現実に行われることっていうのは。
そこが教えられてないって言っちゃうと、言い方は悪いかもしれないですけど。
経験が少ないというのはあると思いますね。
そこが欠けてるんですよね。
明らかに小学校で先生が間違ったことを言ったときに、
子どもがそれを否定できるかというと否定できないですし、
まず子どもがやらないですよね、きっと。
その空気を読むから。
これは求められていることではないと思って。
もちろん空気を読まない子どもがいて、
それを言うことはあるにしても、
大抵の人たちは自分の意見が求められているわけでもないし、
間違いを指摘する場でもないっていうことを、
たぶん子どもは賢く学ぶと思うんですよね、空気感っていうのは。
だとしたらやっぱり、
さっき言ったトップの権力の勾配を意味するのか何かわかりませんけど、
上から自分に落ちてきたものは、
そのまま受け入れるし、
受け入れる能力を持っているべきだ、みたいな感じ。
たぶんずっと、この社会の大抵の場合には存在している。
これはでも根深い問題で、
どうやってその感じをなくせるのかはわかりませんけど、
やっぱりその自己啓発的なことに、
慣れして死んだ後に生じてしまう精神的なダメージとかストレスは、
計画と実行の重要性
おそらくその自己啓発が悪いのではなくて、
その人がもう習得してしまっているその規範性が、
一番悪い形で露出している。
なぜならば自己啓発は自己しかいないので、他者がいないので、
その規範性おかしいよって言う人がもう皆無なわけですよね、
だから逃れられない。
一番毒の強い形で出てしまうんではないかなとはちょっと思うんですけども。
だからそうだね。
小学校の形を変えるには無理にしても、
高校生ぐらいでそのシェイク的な感覚っていうのを、
どこかで身につけられたらいいなと。
トップがあっているわけでは、必ずあっているわけではないって、
言葉にしたら当たり前のことですけど、
とは言えない雰囲気、空気みたいなのはありますよね、
社会の中では。
トップがあっているわけではないという言い方もできますし、
物事というのはトップとボトムの相互作用によって、
現実というものが作られていくっていう感覚。
理屈ではわかっていても、
その感覚が薄いんじゃないかと思わせられることが多くて。
そういう習い事としてそれに近いことを、
最初に言われるのってあれじゃないかと思うんですよね。
PDCAサイクルを回せるという形で、
習うのが最初なんじゃないかと思うことがあるんですよね。
でもPDCAってちょっとニュアンスが違う。
PDCAサイクルという言葉を、
同じ言葉を使っていても、
適用する範囲の違いみたいなのが多分あって、
例えば部長があるチームに、
PDCAサイクルしなさいってばかり言ったとしますよね。
それはPDCAサイクルするんですけど、
その部長に対して、
PDCAサイクル本当に必要ですかって言わないわけじゃないですか、結局。
それを言って喜ぶ部長かどうかってことなんですよ、結局。
3口割りがあるわけですよ、基本的に。
改善してもいいけど、
この枠組みははみ出てはダメだよっていう。
つまりそこの以上のシェイクは、
遮断されている内側のシェイクみたいなところで。
それは多分、あんまり良い政府ではない。
影響の力がちっちゃいっていうのかな。
だから本の省断を考えているときに、
見出しと代償だけはシェイクしてもいいけど、
タイトル書いちゃダメですよっていうシェイクなわけじゃないですか。
それはわかりやすいですね。
それは弱いですね、やっぱり。
そうですね。
だからPDCAでいうとこのプランは変わらないわけですよ。
そうですね、まさにそうですね。
で、どう実行するかとか、
その過程は変えていくかもしれないけれども、
プランは変わらない。
シェイクっていうのはプランも変わっちゃう可能性がある。
ありますね。
一番ラディカルなところが遮断されているか、
開かれているかということの違いがあるんじゃないですかね。
なるほど、なるほど。
だからその計画を立てて、
例えばちょっと実行すると、
で、うまくいかない部分があるから、
たぶんこの計画を、
もっと進め方を早くしましょうみたいなことをするけど、
この計画そもそもいらんくね?とまでは考えないという
タイプの計画の立て方みたいな感じがしますね。
で、たぶんこの計画そもそもいらんくね?っていう
その結論というのが、
なんか諦めみたいな、諦めとか負けとか、
ありますね。
そういうニュアンスで取られちゃうことがあるんですけれども、
そこには当然この計画はいらないけれども、
他のもっと良い計画があるんじゃないかっていうところが
セットなわけですよね。
うんうんうん。
だから、なんて言うんでしょうね。
なんかもう1階層本当は上から見たほうがいいんでしょうけれども。
うんうんうん。
だからそこが封じられてるんでしょうね。
その階段が閉ざされている。
階段がそこにあることが、
できるだけ意識の外にあるように
セッティングされているという感じが。
そうですね。
うんうんうん。
するんですよね。
ただ僕、アウトラインプロセッシング的なことを
長年考えた結果として、
文章を書くアウトラインだけじゃなく、
全ての計画が同じ性質を持っているようなというふうに、
自然に考えられるようになったんですけど、
それ以前ってやっぱり、
そうは考えられてなかったと思うんですよ。
なるほどね。
でも主にやっぱり、
劣等感のほうで、
自分はやっぱり人のように決められたことを
やり遂げることができないとか、
そういう意識がものすごく強かったんですね。
うん。
親にもそう言われて育ちましたし、
学校でもそう言われましたし、
お前は何一つやりきるということがないと。
って言われて育ったんですよ。
実際その通りだったんですよね。
はい。
それも今から考えると、
最初に言ってたことはやりきってなかったかもしれないけれども、
それは変遷を重ねて違うことはやってたわけです。
はいはいはい。
そこをもっとポジティブに捉えればよかったんですけど、
やっぱり周りからの扱われ方もあって、
そうは捉えられなかったんですよね。
そこを、いやそうじゃない。
自分はそういうふうには考えなくて、
最初に計画した通りにはなってないけれども、
プロセスを経てちゃんと意味のあるこっちのことをやっているんだと、
自信を持って反論できるようになったのは、
やっぱりアウトライナーについて真剣に考えたからです。
うーん、なるほど。
それがアウトラインプロセッシングと同じ性質を持っているからなんですけど、
やっぱりもしそれがなかったら、
例えば倉下さんに今のようなことを言われても、
あんまり理解できなかったかもしれないですね。
それはあると思いますね。
だから難しいなと思いますよ。
アウトラインプロセッシングを通じてということは、
ものすごく広く文章を書くことを通してということになりますよね。
そういうことですね。
やっぱり僕は作るという行為、書くというか、
作るという行為は根源的にその性質を持っているわけですよね。
音楽だってそうだと思うんですよね。
料理もそうなんですよね。思った通り。
なんか手に素材の出来具合とか、
自分が切った具合がちょっと形が大きかったから、
ちょっと火の通し方を大きくしようとか、
そういうアドリブというか、
起きた現象に対してケアしていく形で、
当初違ってたけど美味しい料理になったねという落ち着きをしていく。
だから僕はクリエイティブということではなくて、
もっと雑にメイキングということが、
確実に繋がると思うんですけども、
逆に言うと、現在は消費社会と言われているわけですが、
政策という活動が日常に薄いのではないか。
それが脱規範的になれない。
日本社会を変えなくてもいいと思うんですよね。
それ以外の価値体験に触れる機会が増えれば多分解消できると思うんですけど、
確認しろ何しろという作ることに身を投じることで、
初めて自分の意図というもの、誰かの考えというものの限界というのではないですけど、
それは絶対的なものではないよというふうに触れることができると。
僕は自己啓発の世界で言うと、
一つ7つの習慣的なものは好きなんですけど、
思考は現実化するというのが大嫌いなんですよね。
だってそんなものが現実になっても困るだけじゃないかと思うんですよ。
だって自分の思考なんて6でもないわけじゃないですか。
思考が現実になるというものって、思ったことがその通りになるということですから、
つまりトップの支配なわけですね。思いというもののトップになるわけですよ。
それはやっぱり僕は反旗を揺らすべきだなと思うんですけど。
自己啓発的なものにもちゃんとボトムを、GTDでもそうですけど、
ボトムをちゃんと大切にしようという心意気もあれば、
そのトップ的な思念をそのまますることが良いと。
トップの思念的なものって、ものすごくスーパーエゴやったりするわけですよね。
自分が身につけてきた規範がモロに出てくる場合もあって、
それは危ういよなと思うので。
この塩梅の取り方、考えとか計画とか思考とか、そのようなものが片方にあり、
片方も行動とか実践とか結果っていう、思いままならぬものがあって、
そこで調停するというか、どっちかに群配を上げるんじゃなくて、
群配をとっていくというような感じを身につけることができれば、
自己啓発と現実化
行きやすくはなるかなとは思います。
そうですね。
思考は現実化するっていうのは誰の言葉でしたっけ。
誰だったかな。
カーネギーとかそういうのですかね。
たぶんそうだと思います。思考は現実化する。
その類のこともいろんなとこにあるんですよね。
アファメーションを書いて、毎日それを眺めていると現実化するとか。
ナポレオンヒル1973じゃないよね。
アンドリュー・カーネギーがナポレオンヒルによってインタビューされたのをまとめた本ということらしいですね。
そういうこと。そういう関係なんですか。
ウィキペアには書いてますね。
思考の過小評価とトップダウン進行
カーネギーとしては超強力な信念があって、
願望を強く持てば、どんな人間にもなれるということを言ったという。
まあね。
ポスト100%嘘ではないんだと思うんですけど、
言葉通りに受け取っちゃうと違いますよね。
あとやっぱり、だとしたら自分が思ってないものが実現できないってことですけど、
そんなわけないという。
だって本を書いたことがある人間なんてわかりますけど、
あれ?俺こんなこと考えてたんやっけっていうことが、書いたことからわかることがありますからね。
本当にそうですね。
思考外っていうものを過論してる感じも感じますね。
そうですね。
あと自分の思考を逆に過小評価している。
過小というか課題なのかな。
要するに自分の思考は全部自分で意識できるという感覚があるように思うんですけど、
自分の考えていることって自分が考えているよりも大きかったり広かったりするんですよね。
逆に小さかったりもしますよね。
よく考えてみたら何もなかったみたいなこともあるわけで。
評価が上にも下にもずれてることがありますね。
そうですね。
そうするとやっぱりトップダウン進行の一種ということですかね。
そういうことですね。きっとそういうことだと思います。
トップダウン進行は社会的に言えば官僚機構ということですけども、基本的には。
そこがもう生活のレベルに至るまで、違うな。
人生の価値判断に至るまでがもう染み付いてしまっている。
おそらくその方が得なんですよね、きっと。
得というか、社会で生きる上で損しにくい。
だって反発的な人はあんまり好まれないですからね。
その好む上司もいますけども、あんまりは喜ばれない。
むしろそうですと言っている方が諸政治としてはいいわけですから、
適応的というか、自然淘汰で言うと残りやすいわけですけども、
自分の精神生活において果たしてそれが良いのかどうか、
まあ良くはないと思います。
良くはないですね。
トップの思い通りにならないボトムっていうのもいろいろあって、
反発反抗するっていうのももちろんありますし、
能力が足りないっていう場合もあるし、
トップの言うとおりやろうと思うんだけど単純にできないっていう場合もありますよね。
環境的な要因によってそのように動けないっていう場合もあるし、
その相対がボトムにあって、
トップの思ったようにならない、計画したようにならない、
構成したようにならないっていう、
全てにおいてそれがあるわけですよね。
計画の重要性と社会的影響
だからそこを、じゃあ、
結果としてトップのようになっていないその状況から、
もう一度それを踏まえてそのトップを修正していくっていうことをやっているうちに、
実は最初に計画していたものよりも実はいいものができちゃうということもあり得るわけですね。
ありません、もちろん。
ごく当たり前のことだと思うんですよね。
実際トップダウン進行を持ってる人も実生活上では結構それをやってると思うんですよ。
たぶん料理を作る人も、
塩を多く入れすぎたらこの料理ダメとは言わないと思うんですけど。
例えば目玉焼きを作ろうと思って卵を割ったら黄身が割れちゃったと。
っていうときに、
卵を割るの失敗しちゃったって捨てないじゃないですか。
そうですね。
割れちゃったら、
スクランブルエッグにしようかなと。
違う形で使いますよね。
単にそういうことだと思うんですよね。
目玉焼き作るつもりだったけどスクランブルエッグになっちゃったけど、
でもスクランブルエッグおいしいよなっていうことっていくらでもあるわけで、
それのスケールが大きくなっただけだと思うんですよ。
そうですね。
スケールが大きくなるとこでどこか適応ができない領域があるのか、
ひどい場合は目玉焼きで落ち込むこともあるのかもしれないですけど、
身近にはわかりませんが。
料理と同じだと考えた方が、
もうちょっと計画的なものと付き合いやすくはなるかな。
結局、アンチ事故啓発として、
計画なんかダメだという論調があるわけですよね。
そんなわけはないんですよね。
ないです。
だって計画は必要ですから。
日本の行政の大半で計画があって、
僕らはそのインフラに支えられて生きてるわけで、
計画なんかいらないっていうのは、
文明社会にアマゾンに頼って生活してるミニマネストみたいなものであって、
それは計画っていうのを敵意対ししすぎてるわけですけど、
でもそういう人たちが計画するとさっきのようなことが起きてしまうから、
対処療法というか処方箋としてそういう現実があると思うんですけど、
根源はトップダウン的な、あるいは強すぎる規範が起こしている症状だと思うんで、
メスを入れるべきはそこだと思うんですけど、
だからそのアウトラインプロセッシング的なものをある程度作るっていうものの感覚を、
計画も計画を作るですからあれ作ってるものなんですけど、本来は。
すべてが紙面でできてるから作ってる感覚がしないかもしれないですけど、
あれは作ってるものなんですけど、
そういうふうに同じものとして見出せるようにしていくかというようなことなんでしょうね。
人生計画の柔軟性
そこはあれですよね。
例えば今、倉下さんと僕が喋ってるときは、
アウトラインプロセッシングもそうですよね、料理もそうですよねっていうふうに言えますけど、
例えばそれを、そういう共通の基盤となる話題がないときに、
どういうふうに伝えたらいいのかって難しいような気がしますよね。
逆に正面から計画について考え直すべきだと思いますけど、僕は。
計画なんてって言い方おかしいけど、
根本的に思うんですけど、これ何回も言ってると思うんですけど、
計画を立てる練習をさせてもらった気がしないんですよね、日本社会におきて。
つまり僕らは計画レベル1なわけですよ。
大抵自分が立てた計画を振り返ることもしないんですよね。
総括しない。
だから経験値は溜まっていないわけですよ。
多分30歳になっても計画レベルは1なんですよ。
うまくできるはずがないと僕は思うんですよね。
それぐらいでいいと思うんですよ。
計画を立てられない自分がダメじゃなくて、計画スキル1っていうだけのことだと思うんですよね。
そのように置き換えれば、少なくとも先ほどのような深刻な事態には陥らないと思うんですけど。
だからその人の本性というか、できなさが本性そのものにダイレクトに結びついてしまっている状況を、
所詮スキルの問題として置き換えて、どうやったらうまく計画を立てられますかとして、
実績からやるしかないですよねという話に戻っていくみたいなことしかないんじゃないですかね。
計画的なものをこの人生の中から排除するよりも、
自分が立てたキラキラしたものを実現させていくっていう方に向けるんじゃなくて、
一つの計画スキルとして捉え直すことで、計画を立てる、計画を作るというメイクの一つとして捉え返せばいいんじゃないかなという。
結局確認したように、抽象的な話をしても多分その人の内部には届かないわけで、
何か具体的な実践から自分が持っている規範的なものにアクセスしていくということしかないと思うんですけどね。
そうですね。でも今思ったんですけど、本気で計画の立て方を学ぶのって、
例えば仕事をするようになってからだったりするじゃないですか。
でも仕事上の計画と自分の人生の計画とか目標ってちょっと性質が違っていますよね。
仕事上の計画は変わっちゃいけないですよね。
プロセスは変わってもいいかもしれないけれども、
例えば2月末納品ですよ、この日納品しなきゃいけないよっていうのを、
ちょっとボトムアップからフィードバックしたら3月になりますっていうのは通用しないですよね。
日本社会では通用しないですね。
まあいろいろ理由があれば別ですけれども。
だからそこでは失敗しない計画が立てられることが正しいと。
その計画の感覚を自分の人生の計画に当てはめてしまうというのも結構問題なんじゃないかという気がしますね。
確かに2月末納品の仕事を受け負って、2月末納品できなければそれは失敗と言われても仕方がないかもしれないし、
ひょっとしたらペナルティーがあるかもしれないし、
もしくはすごい上司に怒られるかもしれないし、
お客さんに怒られるかもしれないっていうことはあり得ますけれども、
自分の人生の計画はそれとはちょっと性質が違っていて。
だからちょっと何でしょうね。
どう捉えたら。
変わってはいけない計画もそこに至るプロセスは変わってもいい。
だけど計画の目標自体は変わっちゃいけないかもしれないけれども、
目標自体が変わってもいい計画も一方ではあるっていう。
だから先ほどの上限というかサンクチャリーというか枠組みそのものを動かせるものとして認識して、
仕事の中ではこの枠組みを絶対守らなあかんけど、
個人の計画としてはここはもっと広く捉えるというふうに、
動かせるものとしてその枠組みを捉えられたら良いんですが、
仕事の枠組みが自分の人生の個人的な計画と言いますけど、
個人的な計画でも一緒と捉えるとバックル仕事になるでしょうね。
そうですね。
よく30歳までに結婚して、32歳までに子供をとかっていう。
結構真面目にそういう話をする人がいるんですよね。
だからなんでそんなことが決められるのかって昔から思うんですけど、
一方では本当にその通りにやってる人っているんですよね。
そうでしょうね。
だけど逆にそれができなかったから。
そこですよね。
それは当然できなかった。
たとえば自分の両親とかを見てて、
20、30歳までに結婚して子供二人を、
そういう人生を送りたいというビジョンを持つことは普通というか、
むしろごく真っ当なことだと思うんですけど、
それに向けたプランを立てることで、
たとえば婚活を28歳ぐらいから始めようというアクションを起こすこともごくナチュラルですけど、
できなかったときにどうなのかということですね、基本的には。
できなかったらできなかったなりにリニューアルしたらいいわけですけど、
それをできない自分、つまり計画を立てた計画を成せるべき、
自分であるべきみたいなものが多分一番邪魔なものなんですけど、
それはまさに人間が当たり前に、
つまり生物学的に原初で持ってるものじゃなくて、
この社会生活を送る中で多分磨かれてくる感覚というか、
規範性なんでしょうね、きっと。
そうですね。
あと人生の計画の場合は自分も含めて、
人だったりとか経済的なことだったりとか、
自分のコントロールの及ばないことがたくさんあるわけで、
自分とか自分のパートナーが病気になっちゃうかもしれないし、
何かすごい予定外のことが起こって、
経済的に非常に大きなダメージを負うこともあるかもしれないし、
でもそれは自分では予見もできないし、
どうしようもないっていうこともあるわけじゃないですか。
だから仕事の場合は、
例えば2月末に納品の仕事だったら、
会社のリソースも人員もそこに向けて万全を期すように配置されていると思うんですけど、
人生はそうなってないんですよね。
そうですね。
会社、組織の場合、結局個人の参与、影響力っていうのを、
極力属人性を極力減らすように作るのが組織なわけで、
その当人ある1人がどうこうなったかって破綻するものは、
それは組織としてもう成立してないわけですから、
ある意味ではその個人の影響力、その人の影響力は小さいけど、
自己コントロールの難しさ
自分の人生に対する自分の影響力は最大なわけで、
組織とは運用の方式が全然違う上に、
事故そのものが事故の当地外にあるわけで、
他人もそうですけど、自分も思った通り、
自分の健康すらも自分の思い通りにはならない。
その中で、ある計画が達成できる見込みなんていうのは、
だいぶ薄いですよね。
そうですね。
ただそれを達成しようということを目標に頑張るということ自体は、
まあいいことなわけですね。
いいことだと思いますね。
だからやっぱり、コントロールということなんでしょうね。
コントロールするための道具、
ないしはコントロールできて当然というものの感覚が、
沼を作り出してしまう。
そもそもほとんどコントロールできない中で、
ちょっとでも近づくための目印というか、
手がかりみたいなものとして計画を捉えられたら、
もうちょっとフリーな感じはしますけど、
コントロールすべきコントロールできて当然っていう、
トップダウン的な官僚的なものが多分、
いろんなものの動きを悪くしてしまう感じがありますね。
そうですね。
コントロールできすべきということは、
つまりボトムからのフィードバックを拒否するというか、
そんなものはいらないということですから、
コントロールできているということは。
それは求められていないというところを何とか、
変える感覚が得られれば、
日本の社会規範
自己啓発的なものももうちょっと健全になるのではないかなと思いますね。
そうですね。
でもやっぱり根深い問題だとは思いますね。
ちなみに倉下さんは、もっと若い頃から、
コントロール官の呪縛みたいなものはなかったですか?
ありましたけど、
大体18、20歳ぐらいから、僕はこの社会からドロップアウトし始めていて、
ずっと文学と哲学書を読んでいたので、
むしろ社会的な義範に対しての憎悪をその頃は育んでいたので、
むしろ逆らってやると思っていたので、
そこで距離感、マージみたいなのは確保できたと思いますね。
もちろん全くゼロになったわけじゃないですけど、
少なくともこの社会があくまで、
社会の一つの形でしかないという認識は多分あったと思いますね。
たまに僕は海外に行ったことがあるんですけど、
海外に行った話を聞くと、
まず電車とかバスが時間通りにやってこないという話を聞くわけですよ。
ギリシャだと修理頼んでもいつ来るかわからないとか、
来ても解決しないとかっていう話を聞くわけですよね。
日本だったらありえないわけですよ、そんなことは。
逆に言うと日本に住んでいると、
そのような約束と行動の一致、つまり計画と実行の一致っていうのは、
ほぼ社会的な当然になっている。
そんな中で生きていたら、
そういう空気を捨てたら自分の価値観もそっちに行くだろうなと。
でもこれは人が生きることの当然の形じゃなくて、
むしろ日本という非常に特殊な、
もちろんそれによって僕らは非常な利便性を得ているわけですけども、
でも別に生物学的な当たり前ではないよなというのは、
文学とか本を読むことで気づくことはできるかなと思いますけどね。
料理と創造性
まあでもそういう規範性に反発するっていう、
むしろ若者としてはそっちのほうが当然なのではないかという感覚があるんですけど、
たぶんそれ古いんだ。
古いと思いますけどね。
今は社会がカギカッコ付きの優しさで包摂してきて、
それに従順に従うというような、
これはトバさんの話を聞いてても、
僕は現代の若者の話は全部トバさん系に知ってますけど、
聞いてても感じますし、
実際もうちょっと上の大学生とかと話すと、
やっぱり彼らが反骨心よりも優しさに価値を見出してるっていうのは感じますね。
そうですね。
自分はどっちかというと、年齢の割に今の若い人に近い感覚を、
むしろ若い頃持っていたのかもしれないと思うことがありますね。
その規範を守りたい。要するに優等生的な人間だったんですけど、それができない。
優等生でありたい気持ちがすごく強いんだけど、
結果的にそれができず優等生ではない問題児になるという、
なんかちょっと二重三重に縮れた感じがしますね。
なるほど。
僕の場合はその規範性を外していくほど、
素直に動機も守れるようになっているところもあるんですけど、
なるほど。
まあでも、若者は反抗的であるという先入観は、
たぶん20年ぐらい前のものだとは思いますが。
そうですね。もちろん今でも田舎だったら普通に暴走族がいますけど、
社会全般から見たらだいぶ……。
だから反抗させてもらえないってことですね、きっと。
そうですね。
ただまあね、暴走族的なものも逆に、
反抗的なものの規範性みたいなものにしたがっているだけではない。
あります。それはあります。
でも相対化は多少は起きていると思いますけどね。
共感はできないけど、抗ってるんだろうなという感じはして。
でもやっぱり、親と子の関係を考えても、
どこかで子供は親と違う価値観を持って自立するものですから、
基本的には。
それが社会との関係、個人と関係を見たときに、
やっぱりその社会の価値そのものを常に絶対視するわけじゃなくて、
その別様の、それは別に反社会的であるってことではなくて、
優先される価値観が別にあってもいいという捉え方に
慣れたらいいかなとは思うんですけど。
とにかくだから、逃がさない。
この社会は優しさというもので絡めとってくる。
この社会に反抗するなんて、
間違ってるんじゃないですかという価値観を
抑えつけるというよりは内面的に、
つまり風向でいうところの、
僕たちがそれに従うように調整してくるというところがあって、
より根深い。
愚かなことをしてくれたらむしろいいんですよね。
いいというか、反発する動機づきが生まれるわけですけど。
子どもたちに優しい、あなたたちに優しいという前提は
崩さないという形になってるんで。
疑えないですよね。
だからそれがおかしいかどうかということを。
そうですね。
優しくなったことは、
基本的にはいいことだと思うんですよね。
よくわからない理由で先生に殴られたりしないっていうのは、
やっぱりいいことだと思うんですよね。
はい、それはそう思います。
本当にわからない理由で殴られましたからね。
昔はそれのことに疑問を持つ人はたぶん一人もいなかったでしょうね。
そうなんですよね。
そうそう。僕ね、朝礼のときに笑顔を浮かべていたという理由で殴られたことがあるんですけど。
リフジンですね。それはリフジンですね。
なんなんでしょうね、あれは。
いやでもそれは、
この社会化という名の長況ですよね、要するに。
そこの場に従うことを体に染み付ける。
それがその人にとって良いことだという、
ある種の良心なんですね。間違ったり形の良心なんですね、基本的には。
まあそうでしょうね。
そんなものではやっていけないぞ、お前というような感じがあるんでしょう、きっと。
全然間違ってますけど。
その言葉をそのままお返ししたいですけどね。
そういうことが今でも皆無ではないでしょうけれども、
基本的に世の中から少なくなっていくことは良いことだと思いますよね。
そうですね。ただ、もしかしたらより陰厳な形で、
目に注意されない形で蝕んでいるってことはあるでしょうし、
もしそうだったらもっと悪い状況になってると思いますけど。
そうですね。
だから反抗、さっきの計画の話とつながってると思うんですけど、
料理の話でね、話したんですけど、
料理作るときにレシピを検索するじゃないですか。
これおいしそうだから作ってみようって作るわけですよ。
この間、鶏もも肉と油揚げの煮物みたいなものを作ったんで、
まあおいしかったんですけど。
コメントっていうか感想があるじゃないですか。
これを読んでるんですね。
これに長ネギを入れてもいいでしょうかって書いてあるんですよ。
わかるわ、それ。見かけます。
ねえ、ありますよね。
ありますあります。
もしくはこれ、原塩醤油で作ってもいいでしょうかとか。
そこはね、やっぱりいい悪いではなく、単純に
いや入れてみれ、作ってみれいいじゃないかって思うんですけど。
そうですね。
それはやっぱり、レシピと違うことをやってはいけないという。
っていうことだと思いますね。
書かれていないものを入れちゃいけないっていう規範なんですかね。
それはやっぱり。
それは計画通りにしようって思ったほうが同じ話だと思いますね。
だからフィードバックっていうのは、
ひょっとしてこれに長ネギを入れたらおいしいかもしれないと思ったときに
実際に入れてみて、レシピと違うおいしいものができたっていうのが
結局フィードバックしてその状況が変わっていくっていうことですよね。
新しいレシピが生まれる瞬間ですか。
だからそれを阻む何かがあるとしたらすごく不健全だなとは思いますよね。
そうですね。
多くの人やってると思いますけどね、実際には。
100人いてそういう書き込みをする人は限られてると思いますけど、
でも間違いなくいるわけですよね、この社会にそれが。
いますよね。レシピのコメントでよく見るんですよ、そういうのを。
うん。見かけます。
それはやっぱり何か、ちょっと健康じゃないものを感じるというか。
だって実際にそれやっても別に誰にも怒られない。
そうですよね。
例えばその人が今日初めて料理しましたっていうのはちょっとわかりますけど、
これまでに100回料理を作ってきて、長ネギを入れた経験があるとしたら、
そこに長ネギを入れたらどうなるかぐらいちょっとわかるはずですよね、基本的には。
イマジネーションが育ってるはず。
でもそのイマジネーションが育ってない料理の仕方を100回してるとしたら、
その人は多分料理がうまくなってるとは言えないと思うんですけど。
たぶん楽しくないんじゃないかなと思うんですけど。
そうですよね。
仮に初めて作るもののレシピを見て作ったとしても、
作ってるうちに変えていくじゃないですか、だんだん自分で。
そうですね。
最終的にはレシピとちょっと違う自分の作り方の何かができる。
はい。
っていうか毎回レシピ見るとめんどくさいじゃないですか。
僕は2回目からまず見ないですね。
そうですよね。
だからちょっとずつ調味料の入れ方とか材料とかが変わってくると思うんですね、自然に。
それを変えちゃいけない、常に厳密に書かれたとおりに作っているとしたら、
結構しんどいだろうと思うし、
覚えるとか上達するっていうこともなくなってきちゃうような気がするし。
その形の料理を作るは、さっき言った作るのかなり特殊なバージョンで、
作ってはいるんですけど、
ゲームするときに攻略情報を調べて、それを書いているとおりにやるっていうのと同じで、
ゲームを遊んでいるのかなっていう感じがするわけですけど、
それは当日の中で楽しいかもしれませんけど、
ゲームをプレイ、プレイを含む遊びの感覚が薄いのと似てて、
その料理を作っているその人が、
例えば僕が感じる料理を作ることの楽しさと似たものは感じてないかもしれないなとはちょっと思いますけどね。
そうですよね。
だからそこをどうやったら、
そうですね、どうやったら幸せかという。
思考と行動の関係
僕は楽しいかでいいですけど、
やっててそれが、ある種の人間が持つクリエイティビティ的なものを多少でも刺激してくれて、
その行為のプロセスそのものが楽しいと感じたら、
僕はもうそれで達成だと思いますけど、
やっぱりそのレシピ通り作る、自分が立てたアウトライン通りに書こうと、
足掻いて書けなくなるみたいなのはやっぱり楽しくないですし、
マインド的にも不健全やなと思いますけども。
そうですね。
でも料理レベルでそれをする人がいるということは料理も解決できないということですよね、最終的には。
そうですね。
またすごいのはレシピを書いた人、レシピの作者の人がまた丁寧に、
はい、長ネギを入れていただいてもおいしくできます。みたいな返事をされてるわけですよね。
それもすごいし。
まあね、そういう回数しかないですよね、それはでも。
勝手にアンダーしてくださいなんて書けないですよね。
書けないですよね。
いや、絶対あれ長ネギ入れたらおいしいと思うんですけどね。
でもね、例えばYouTubeとかで料理動画を見ることがあるんですけど、
あれは料理しながら、喋りながら調理が多いわけですよ。
そうするとここにホニャラとか入れてもいいですかねとか、これなかったらこれにしてもいいですかねっていうアレンジの可能性がレシピに織り込まれていくわけですね。
あれはちょっとだからアレンジを許可されたような気がしますけど、文字のレシピは結構難しい。
非常に過剰書きで詰め込まれてることが多いんで、アレンジが書きにくいなとは思いますね。
そういう意味ではレシピ検索的なものじゃなくて、
タスク管理の課題
例えば料理家さんのYouTubeチャンネルで料理家さんが実際に作りながら、
今日は椎茸入れましたけど、なければしめじでもおいしいですよみたいなことを普通に言いながらやるっていうのはすごくいいかもしれないですね。
と思いますね。少なくとも文字通り、テキストだからかな。
つまり現代思想的に言うと、テキストが持つ固定性みたいなのが僕らの気が強めてるってことがあるのかもしれないですね。
なるほど。テクストね。
そうそう、テクストが持つある種の。
なぜか現代思想がテキストになるっていう。
語りのパラロルとは違ってテキストの固有性みたいな気軽性を、笑って言ってますけど、
やっぱり現代思想化を学ぶと、僕らが基本性に縛られて生きてるってことを直視させられるところがあって、
実用的なんですよね、ああいうのって。生きる上での実用性があると思いますけどね。
エクリチュール。
エクリチュールが持つ問題を、官僚が書類が大好きってのと多分一緒だと思うんですけど。
だから料理教室でワンツーマンで料理を覚える人は、あそこまで固執しないような気がしますね。
僕は基本的にレシピより先作り始めるタイプの人間なので、フィードバックしかないわけですけど。
だからってレシピ見たらあかんわけじゃなくて、別に見てますけど。
だから情報との付き合い方というところも関わってきますね。
そうですね。結構広いテーマですよね。
規範みたいなのは、僕らの行動価値決定にどんなところにも顔を出す問題で、計画とか実行とかも生きていく上では欠かせないんで。
ここをクリアにしないと、タスク管理で煮詰まってる人は前に進みにくいんじゃないかなと思いますね。
これまでメモとかリスト作りを全くしてきなかった人が、タスク管理をして生産性向上に役立ったっていうのはめでたしめでたしなんだけど。
自己評価の変化
ある程度やってるのにうまくいかないのが続いてて、むしろ苦しさが増えてるっていう状況は、おそらく問題はタスク管理にあるわけではないという感じがしまして。
で、変なタスク管理をすることで初めて、自分がどんな規範を持っているのか分かるような気がするんですけど。
だって自分が作った計画を自分が実行できなくて苦しくなるということは、多分これも症状と言っていいと思うんですけど。
だって普通にそれを別に無視していいわけじゃないですか。そんなものは。そこの囚われている感から多分分かることがあって。
それ多分だから、自分が何に怒りを感じるかによって自分の価値観、大切にしているものが分かるみたいなことと一緒だと思うんですけど。
自分が何に挫折感を感じているかで自分のその規範が見えてくるっていうところがあって。
だから変な、そこから別の一歩が始められるんじゃないかなという。最終的にタスク管理的なものを全然しなくなったとしても、そこで分かったものの価値は結構大きいんじゃないかなと思いますが。
そうですね。あとやっぱり計画はバラ色っていう面がどうしてもあって、計画はこうあってほしいものを作ってしまいがちだと思うんですけれども、こうあってほしいようにはならないわけじゃないですか。
そうですね。常に。
だからそれが計画というものの性質上、それが普通なんだということですよね。
あなたが実行してできないのがダメなんじゃなくて、計画というのはそういうものなので。
例えば、今日のタスク書き出したら20個書いちゃったんだけど、実際には5個しかできなかったということがあったときにも、そんなことザラにあるんですけど。
じゃあ、次からは今日書き出すものを10個に制限してみようとかっていう方向で変えていく。
自分は実際にはどのぐらいできるのかっていうのがわかるというのはすごくポジティブでいいことだと思うんですよね。
それはバラ色の計画に近づくための方法でもあるんですよね。
20個っていうのは上司から与えられた20のタスクとは違うんですよね。
自分ができたらいいなと思って書いたことなので、できなくても誰にも怒られないので。
じゃあ次は20個じゃ多かったら10個にしてみようとか7個にしてみようとか。
もしくはできなかった15個の先頭にあるやつから始めてみようとか、そういう形でやり方を変えていくのがフィードバックですよね。
だから自分で立てた計画というのはそもそもそういう性質のものだということをもう少し強調したいですよね。
昔の自分に対してもですけど。
そうですね。個人による個人のための個人の計画。
でもさっきの話で言うと計画を立てた自分が上司化してしまうんですよね、きっと。
そうですね。
それをどうずらすかということだと思いますね。
どうですかね。なんで上司化するんだろう。
計画を立てる人が上司だからじゃないですか。
なるほど。
その主体は常に上司なんですよ、基本的に。日本社会において下っ端は計画を立てないわけですよ、日本的には。
夏休みどう遊ぶかは先生が決めますけど、この日投稿日を決めるのは常に制度側なので。
その割に管理職でない社員も常に経営させて表とか平気で言いますよね、そういう会社って。
某ユニがつく会社はそれ大好きですけど。
某ユニがつく。
あれはひどいですよ、僕それ悪口言わせたら多分逃げてもらえないと思いますけど。
わかるんですけどね。
言いたいことはわかるんですけどね。
責任だけをして評価を続けこさせないタイプの悪いマネジメントの使い方ですからあれは。
だからこそ魅力的なんですよね。
常に下っ端であることに慣れてると管理職であれっていうのはたぶんある種心地よく響くというか。
実際に任される仕事があると嬉しいのは嬉しいですからね。
そうですね、やりがいも感じやすくなったかもしれないし。
それが作詞につながりやすい構造も反面持ってしまってるというのはあると思いますけど。
だからその計画を作ることの練習感覚っていうのが一つあると思うんですけど、あるいは逆に上司化しない。
自分も上司と思わない。
計画を一回立てて無視する練習というのがいいんかな。
それこそ倉下さんがいつも言ってることですけど、日ごとに計画を立てて、それを翌日日ごとにリセットしていくというのはすごくいいんじゃないかと思うんですよね。
そうですね。場合によってはもっと細かくて、朝の計画だけとかから始めてもいいと思いますけど。
はいはいはい、そうですね。
短いスパンでやる。
そうですね。だいたい午前中の3時間ですら思い通りにやらないですからね。
やらないですよ。全然ならないですよ。
それでその間隔で1週間の予定立ててその後にいくはずなんですよね。
その間隔で1週間の予定立ててその後にいくはずがないですからね。
本当にそうですよね。
本当にコントロールできるのって、1時間ぐらいじゃないかと思いますね。実感として。
1時間ぐらいだと思います。
今日もものすごい忙しいんですよ。
でしょうね。
本当にすごい忙しいんです。
でも打ち合わせキャストやりたかったし、それをここに置くわけじゃないですか。
その前にやることと後にやること。この後実家に行くんですけど。
だから午前中にすごいたくさんのことをやらなきゃいけない。
わかります。
バラ色の計画を立てたんですよ、朝。午前中にやることが14個ぐらいあったんですよ。
で、2個終わったところで電話がかかってきてね。
給頭期がちょっと具合悪い。保証をしなくて。
その業者さんに、去年の11月の末ぐらいに給頭期投資悪いんで大変なんで見てください、公開してくださいみたいなことを言ってあったんですよ。
それでね、今日までおとさたがなかったんです。
怖いですね。
それがね、本当に忙しいんですよ今。
本当に忙しいこの午前中に電話がかかってきて。
今までおとさたがなかったのに11月末から。
今日か明日疑いたいんですけどみたいな電話がかかって。
今日明日伺えないとまたちょっと1ヶ月ぐらい先になっちゃうんですけど。
いうわけですよ。
なんなんていうようなことが起こるわけですよね、人生で。
全然自分のせいじゃないのにね。
そうですね。
だから14個のやることを書き出したんですけど、4個しかできなかったんですね。
でもまあ。
まあ。
自分のせいでできないってなくないですか?
あんまりないですね。
というかやる気が出ないのも自分のせいじゃないんですよね、たぶん。
もちろん体重に風邪ひいてできひんっていうことも自分のせいじゃないですし、
ある行為に対して気力が湧かないのも自意識のせいじゃないですよね、きっと。
何かもっと別のものが作用してて、その作用してるものは自意識の統治下にはないと思うんですけど。
そうですね。そういう意味ではあれですね。
多積思考2.0みたいな。
いやまあ確かに、自己解釈は自分でできるから自分でやるべきっていうのは自責につながりやすいわけですから。
あらゆることを多積にしていく。
もちろん自意識ができないことがゼロではないですけど、本当に少ないというところから話が始まるわけですよね。
そうですね。
でも実際に物事がうまくいかない理由の7割ぐらいは自分以外のとこに原因があると思うんですよね、実際に。
そうだと思います。
自責多積で言えば、バラ色の計画を立てたということ自体が自分でありたいという意思を持ったわけですから。
確かに。
それを自分で何かするっていうことに関してはそれで十分じゃないかと思うんですよね。
そうですね。うん、確かに。
さまざまな外適要因によってそのとおりにはできないけれども、それは全然自分のせいじゃないんで。
仮に疲れて寝ちゃったとしても、それは疲れてるのがいけないのであって、
その疲れというのは自分のせいじゃない外の要因が結構あるわけですから。
自分の好きなことを追って仮にぶつづけでゲームやったりなんかやったりしてもそんなに疲れないじゃないですか。
疲れてるっていうことは多分多くの原因が外にあるわけですよね、自分以外のことに。
思考と責任
そう思います。それはそうだと思います。
そう考えると大抵のことは自分のせいじゃないということで。
だからそれに対応して日々新たに計画を立て直す。
14個のうち4個しかできなくても、それでも4個できてるわけなので。
4個分は前に進んでいくと。
もう十分ですし。
こんだけ事故が統治できないにもかかわらず、4個進んだということをコトホイだほうがいいと思います。
本当ですよね。もっと言ってください。
さっきのタサキ思考も他の人のせいにするっていうことじゃなくて、
結局他の人も他の人の影響を受けてそれをしてるわけですよ。
結局どんどん分散していくわけですね。
世界が悪いってことになって、誰も悪くないってことになるわけですよ。
それぐらいで多分いいんですよね。
テロリストの悪を憎むとは全然別の話なので。
だから自分のせいにすることが、たぶん健康に良くない。心の健康に良くないので、
それをやめましょうという、精神健康法としてこういう考え方ができますよというところですよね。
それも単にそう考えましょうということじゃなく、実際に多くのことは自分のせいではないんですよね。
そうですね。
残業が多くて家帰られないのは、確実に上司のマネジメントが悪いせいであって、
当人の能力不足ではないですからね。そんな話いっぱいありますからね。
それを当人の能力不足だと思わせようとするわけですよね。
そう、まさにそう。
そこに厄介な構造がありますね。
だからトップダウン、下から降りてくるのは責任も降りてくるわけですよね。
お前が悪いせいで責任も降りてくるわけですね。
で、上は悪くないということになってしまう。
ある人が例えば自己啓発で規範性を追ってるのは誰が悪いかというと、別にその人が悪いわけではなくて、
そういう社会に生まれてしまって、生きてしまってるし、
多くの人が程度の強度の差はあれ、多分似たものを持ってると思いますね。
タスク管理の概念
いや、そうでしょうね。
生活に問題がないレベルで持ってる人もいれば、そうじゃない人もいて、
そうじゃない人が自己啓発をまともにやると多分悪化すると思うので、
そこは気をつけていきたい。
自分も自己啓発系のメッセージを送る側の人間なので、
そこをあんまりに強調しすぎて、なせばなるみたいなものは薬と一緒で、量を間違えると毒になるというやつなので、
そこはやっぱり注意したいなと思いますね。
そうですね。なせばなる的なマインドセットが必要になる場面もあるんですけど、
多分全般的に必要なものじゃないですかね。
そうですね。カジバの馬鹿力的なやつですね。
もう実現がすぐそこに見えているけど、ちょっとそこまでパワーが必要っていうときに、
最後の最後はちょっと気合が必要になる。でもそこまでくればもうそれはわかりますよね。
確かにね。
ということですよね。
難しい問題ですけども、この手の話題を考えていく上では、多分避けては通れない問題で、
恐らくでも本当どうかな、極端なことで言えば未開の部族たちは多分ここまで悩むことはないと思うので、
ある種の文明病みたいなその一種で、多分日本はそれがかなり特殊な形で出てるんじゃないかなと勝手に推測しますけど。
いやでもいつ頃からでしょうね。
でも江戸とかは、江戸時代の江戸とかはなさそうな気がしますよね。
まあそのなんというか、参勤交代の計画をしているというか。そういうのはもちろんあったでしょうけど、それはね、それをやる専門の仕事としてやってる人がいたわけで。
僕初めてビジネス書的なものを読むようになったのは80年代の末ですけど、こういう感覚ってやっぱなかったと思うんですよね。
うーん、なるほど。
タスク管理みたいな概念ってあんまりなくて、前も言いましたけど、スケジューリングという概念がありましたけど。
タスク管理という概念が出てきたのはやっぱり90年代以降、それもやっぱり2000年代に近づいてからだと思うんですよね。
まあアメリカから入ってきたものが大きいと思う。
そもそもタスク管理っていう言葉を聞くようになったら、多分GTD以降のような気がしますね。
そうですね。
その前からあったかもしれないですけど。
似たようなことをリストを作りましょうみたいなことはおそらく言われていたでしょうけど、あこまでガツンとっていうのは少なかったでしょうね。
でもアメリカのGTDはやっぱりビジネスマンが多く受業してたんですか?それとももっと一般に広がったんですかね、あれはね。
僕の理解だと、ビジネスマン向けにずっとデビッド・アレンがセミナーとかでやっていたことを本にまとめて、
そういう人たち向けに本にまとめたところ、いわゆるプログラマーの人たちが、
ライフハックという文脈の中でそれを受容した。
ちょっと予想外にそこに受容されたというふうに僕は理解してるんですけど、
そういうのは堀井さんに聞けばわかるのかな。
でもやっぱり2000年代から強まってきたということは、コンピューターの普及ともちょっと関わってそうな予感がしますね。
関わってると思いますね。
前もお話が出ましたけど、デビッド・アレン自体のGTDは、それ以前のタスク管理、スケジュール管理の考え方、
特に目標、ゴールを設定してそれに向けて、それをブレイクダウンして計画に落とし込んでいくタイプの考え方に対するアンチテーゼとして
自己啓発の文化的背景
出してきたところがあるので、それがちょっとこう、ああいうハックするという感覚に非常に近かったので、
そういうプログラマー系の人に受容されて、ネットで広まっていったというふうに理解してます。
あのっていうのは文化は基本的に個人主義的というか、個人が能力を改善したらそれに対するベネフィットを得られますよというような発想だと思うんですけど、
当然そこには自己責任がセットになっていて、アメリカの受容のされ方とは違う形でやっぱり日本では広まったのかな。
お倉さん、GTDってどこで知りました?
仕事の経由かな、たぶん。
大橋さんとかがITメディアというようなところとかで記事とかがあって、そこの文脈でGTDを知って、
その頃はまだGoogle健全だったので、GTDで検索したら大体有名な記事とかブログが見つかったので、一通り読み漁った記憶がありますね。
ブログということで言うと、アメリカのライフハックなんとかフォルダースとか、
43フォルダースでしたっけ。
そうですよね。そういうものでGTDが他のライフハック的な手法と共に紹介されていたっていう感じですよね。
たぶん2005年前後ぐらいに。
なるほど。
日本では結構堀さんが広めてた印象があります。
てか僕はたぶん堀さんの記事を読んで知ったのかな。
ああ、そうか。本当の出発点を見つけた。あの界隈ということですね。
あの界隈。もっとその前にあったと思うんですけど。でも堀さんかなり早かったし、
だから僕はエヴァノートとかを知って、それに興味を持って調べ始めた中でライフハックという言葉を知り、
日本語で入ってきたのか英語で入ってきたのかちょっと覚えてないんですけど、
どっちみち結構エヴァノートとも重なってた気がしますね。
その頃堀さんを知り、たたきさんを知り、倉下さんを知り、その辺の著者の人として知ったんですよね。
昔から日本でも仕事術という概念はあったのはあったんですけど、
いわゆるビジネス文脈バリバリは2000年前後でしょうね、盛り上がりは。
そうですね。本当はGTD以前に日本にはライフハックと呼べるものとして野口幸男さんの諸々の著作があったはずだと思うんですけども、
それは日本の中で閉じていて、少なくともその時点では海外では紹介されなかったと思うんで。
そうですね。野口さんの秘書いらずとか言って、ボードに付箋でやることを貼っていくみたいな手法とか、一覧できるカレンダーとかって言って、
スケジューリングの延長でしかなくて、つまり自己実現がほぼ関係していない。
そうですね。
でも日本のあの頃の文脈で言うと、個人が自力で生きていくという文脈とちょっと結びついてたような気がするんですよね。
そうですね。その一方で同じ時期に7つの習慣、および実現のための手法としてのフランク・リン・プランナーというのも、
そのあたりにブームが盛り上がりがあったんですよね。2000年代初頭から2010年手前ぐらいまで。
本当に文房具屋さんにワンコーナー、フランク・リン・プランナーコーナーありましたし、
そういう7つの習慣本、7つの習慣そのものじゃなくて、それに関わるいろんな本のコーナーみたいなものも初頭にありましたし。
そことちょっと一緒になって、本来なら結構対立するもののような感じもあるんですけど。
日本人特有のやつじゃないですか。ごっちゃ混ぜにして新しいものを生み出すというような、そういうことが行われていた気がします。
だって全く同じ文脈で受け取られたと思うんですよ。フランク・リン・プランナー7つの習慣とGTTみたいなのは。
あと夢を実現するとか的なものもその時期ですね。
夢を実現するというコンテキストが、やっぱり知的精査の技術から野口まではなかったと思いますね。
なかったですね。
もっと実際的、実務的な話だったと思いますけど。
そうですね。
夢を実現するは、やっぱり何か悪しきものを引き出すものがありますね。
いや、そうなんですよね。僕そこね、マンダラートには、今泉ひろあきさんのマンダラート本には結構その要素があるんで、ちょっとね、僕それを気をつけなきゃいけないなって。
なるほど。
そうなんですよね。あれはかなり早い時期に夢を実現する系の主張をしていたんですよ。その言い方してなかったと思いますけど。
かなり自己実現の手法的な部分が強かったんですよ。
僕はかなりその影響を受けているので。
ライフアウトラインにもその影響がかなりあるんで、逆にちょっと気をつけなきゃいけないなと思うところもあるんですけど。
夢について考えるは健全やと思うんですけど、夢について思っただけで実現するロジックは怪しいですね。
そうですね。
90年代の半ばにあれもあったんでしょうね。アファメーションを書きましょう。
その夢が実現している自分を文章として描写しましょう。
それを毎日眺めていると、ある気がつくと自然に実現していますみたいなのがあったんですよね、90年代って。
あれも最初どこから来てるのかよくわからないんですけど。
たとえばこんまりさんも、部屋片付けたら夢叶うみたいなこと書いてますからね。
めくめくとその流れは引き継がれてると思いますけど。
だからそれも結局100%全部嘘じゃないというのがまた、もちろん書いて眺めてるだけで実現してないんですけど、
それは結局常に意識しているということなので、常に意識しているからこそ何かそれにまつわるチャンスがあったときにパッと反応できる。
結果的に実現できる可能性が増えるっていうのは確かにあると思うんですね。
こんまりさんも要するにやっぱりいらないものとか好きじゃないものが膨大に自分の周りに散らかっているとエネルギーを奪われるというのは事実なんで、
それがなくなってすっきりした状態の家にいると、頭もクリアーになるし、
よりいろんなことが実現できる可能性が高まるというのも別に全然嘘ではないと思うんで。
そうですね。同じ理論で、捨てていくときに自分にとって大切なものを明確にすることが付随するので、
そうしたら例えばチャンスを示されたときに飛び込みやすくなりますよね。
そういうことがもたらす良い結果っていうのは絶対あるわけで。
だから100%別に嘘じゃないんですよね。
思考と行動の関係
ただやっぱりそれさえすればそうなるっていう言い方をしてしまうとやっぱり違いますよね。
あれは成功を手にすることと異常か並行してかわかりませんけど、
その成功できる自分に変身しているという感じがするんですよね。
それはそうはなってないと思うんですけど。
だから変身願望なんですね。今の自分じゃないものになるための何か儀式みたいな感じがしてしまって。
それは生きすぎるとやっぱり不健全かなと思いますが。
今のノウハウショーは多分オーカリス・クロニックスの形を取らないと売れないんですかね。
あんな事務的なものはもう必要とされてないのかな。
どうですかね。
でも事務的な中にも、人を動かす力のあるものってあると思うんですよね。
野口さんなんかはまさにそうだ。
今の野口さんじゃなくて当時の野口さんは少なくともそうでしたね。
倉下さんのすべのうとかもそうだと思いますね。
そうですね。
世間的にヒットするかどうかは別として、一定読む人はいると思います。
生き延びるためのジムって本がありまして。
それは結構ジムの話しますね。
ちょっと似通った雰囲気もあるんですけども。
でもまた少そういうものもあるんで、全くないわけではないんでしょうけども。
僕らがビジネス書とか自己啓発書を読むときに、
やっぱりマインドセットがフラットな状態で読み始めるわけではなくて、
もうすでに身についているものを姿勢で読む以上、
大かり少なかでそういうものを受けてしまうので、
それをカウンターするものが。
徹底的に事務的なものの方が面白いとは僕は思うんですけど、
それは多分少数派なんでしょうけど。
そうですね。
というとこで、結構でかい話になりましたが、
施行と行動の関係ですけど、やっぱりどっちも大切ですけど、
2つをいかに接続するかというところが多分鍵で、
独立させない。計画も行動も独立させないでおく。
場合によってはやっぱり行動の方が重要と、
行動というか実際にできることしたことの方が重みとしては多分重いと思うので、
だってできないことはできないわけですから。
そこからいかにその計画っていうものをリファクタリングしていくのかっていう観点。
だからやっぱり捨てたらダメなんですね。
最初に立てた計画って捨てたらダメなんですよね。
いかにできてなかったかを見たほうがいい。
人間って過去を簡単に記憶の中で変えてしまうので、
できなかった自分を直視する痛さに耐えられるマインド状態であれば、
やっぱり計画そのものを一回できなさを直視したほうがいいですし、
それができない精神状態なら、多分計画は立てないほうがいいと思いますね。
まあそれもできなかったというよりも、まだやってないということなんですよね。
確かに。
まあ単なる言葉のすり替えでもありますけども。
それは価値観のすり替えでもあるので重要なことだと思いますけど、
でもやっぱりダメージが発生することは間違いないので、できなかった自分に対しての。
精神的な余裕がないときはやったことを書くだけのほうがよくて、
やっぱりそこはタスクシュートさすがやなとは思いますけどね。
あれは多分一番フラットにできる、フラットに始められることだと思うんですね。
やったことをベースにしていくっていうことが、
一番だから可能な計画を立てるための最短ルートはそこだと思うんですけど。
そうですね。でもその計画と実行に関してすごく傷ついちゃったり、
精神的にダメージを負ってしまうという人は、
本当にタスクシュートを一度してみるといいかもしれないですよね。
自分が実際どれぐらいのことをしているのか。
できないと思っても実際いろんなことは計画通りにしてないけども、
行動っていうのを生んでるということを再確認した上で、
また計画を立てると感じ方わかってくるんじゃないかなと思いますので。
タスクシュートの活用
結局、症状に対して対処していくのもやっぱり行動からしかないという。
計画の破綻を計画では直せないので、行動するしかないというところはありますが。
でも行動しときゃいいっていうものでもないとは言うときたいと思いますけども。
というところかな。
というわけで、計画についてのあるあるがあれば、
ハッシュタグ打ち合わせキャスト、
うちのハッシュキャストひらがなで打ち合わせアルベットキャストまでいただければと思います。
何かお知らせしたいこととかございますでしょうか。
はい。大きいことはないですけど。
定期購読。
ノートの定期購読マガジンのアウトライナーライフというのをやってるんですが、
そこで以前連載したライフアウトライン実践というシリーズ連載ものがあるんですけども、
全部基本的に有料記事だったんですけども、
一記事100円の有料記事だったんですが、それを先日全部無料に変更しまして。
マガジン自体が有料マガジンなので、マガジン登録してないと読めないんですけれども、
マガジンが初月無料なので、
初月登録した状態であれば、
全記事無料で読めるようになりましたので、
ご興味ある方はぜひ。
そうやって他の記事も含めて読んだ上で、
もしよろしければ継続して、
購読していただけると、
私は大変お喜びですが、
読んだ後で開発の方はやめていただいてもらえませんので。
そうですね。
ぜひぜひよろしくお願いします。
僕からは、今電子書籍を作っておりまして、
2万字ほどの短い電子書籍でして、
タイトルが多分ですけど、
生成AIとライフハックというタイトルになると思います。
読みたい。
出版社さんとの原稿も書けてないのに電子書籍作ってますが、
ライフハックの道具箱というのを去年作れなかったので、
本来は去年に出すつもりだったんですけど、
何を頑張っても間に合わないと思ったので、
諦めて1月中というのに、これも計画を変えた形ですけど。
計画を変えてますよね。
もう今、2回目のiPadでの構成作業をしてまして、
遅くとも今日の夜か明日には完成するかなと思いますので、
よろしかったらKindleチェックしてくださいというところでございます。
してください。
今回はこれまでにしたいと思います。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。