2025-09-19 15:48

男は外、女は家。その常識、産業革命のせい【RADIO Kitsch 番外編#26】

ジェンダー論はまだまだ面白くできる!!



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サマリー

男女を対立する二つのカテゴリーとして捉える考え方は比較的新しく、18世紀に現れます。このエピソードでは、性別分業制の起源や産業革命の影響、啓蒙主義と科学革命の時代における男女の役割の変化を探ります。また、産業革命以降の男女の性別分業制についても考察が行われ、特に生物学と社会的な性別の関係や、啓蒙主義がどのようにこの分業制を正当化したのかに焦点が当てられています。

男女の歴史的な考え方
男女を二つの対立したカテゴリーとして捉える考え方は、実は比較的新しい考え方なんですね。詳しく言うと、生物学的な性と言われるもの、あれを男女別のものとして考え始めたのが18世紀ぐらい、あそこぐらいから始まった文化なんですよ。
それまでは、男女、女だろう男だろうが、体なんか一緒だろうっていう考え方が主流だったんですね。それがちょうど啓蒙主義であったり、あと科学革命の時代であったり、あそこら辺に現在のような考え方にシフトしていったというのが、歴史を見たらわかることなんですね。
今日はそんな話をしていきたいと思います。おはようございます。スタジオキッチの三木裕蘭です。ということで、ジェンダーアロンの面白雑学を語ろう。手抜き企画です。もうなんか疲れたよね。RADIO KITSCH疲れたよね、そろそろ。
いろいろ頑張って、最近科学系ポッドキャストの日に参加したりとかやってましたけど、知るほど疲れたので、今回は手抜き企画をやっていきたいと思います。ジェミニに調べさせた内容を私が語るというだけの手抜き企画です。今日はストゼロを飲んでおりますので、路列も回らないし、言ってることも適当になります。たまにはいいでしょう。
ということで冒頭話したお話なんですけど、なんかジェンダーアロンっていう話の中で意外と登場してこないなというふうに感じていて、僕も本当につい最近知った話だったので、できれば共有したいなと思って話をしていくんですけど、
男女って体違うよねって考え方は現在主流だと思うんですけど、あれが登場したのがどうやら18世紀らしい。嘘だろうと思った。そんなわけあるかよと思った。
なんか最近のこう、いろんな話を聞いていると、社会的な性とか文化的な性の話をしたところで結局男女の体は違うじゃんみたいな考え方あるんだけど、あれは考え方が結構新しいらしい。
自然的に考えると男女って違うじゃんみたいな考え方は、どうやら文化的に作り上げられた考え方らしくて、自然が文化的みたいな話になってきて、この話を突き詰めていくとジュリスバトラーの方に行きそうなんで危ういんですけど。
ジェンダー論の全ての議論を突き詰めていくとジェンダー、ジュリスバトラーに収束するみたいなね。そんな可能性もありますけど、全てのガンダムを突き詰めると単円ガンダムに行き着くみたいなね。
誰がわかるかわかりませんけど、この例えが。そんな感じになりそうなのであまり深くはやらないんですけど。どうやらこの考え方の中に性別分業制の話とかも入ってくるんですけど、いわゆる男が働いて女が家事をやるってやつね。あれも新しい文化らしいんですよ。
ここから話す話、ヨーロッパの話になるんですけど、農耕社会の頃かな。だから中世、近世ぐらいかなのヨーロッパ。いわゆる省円勢の強く築かれていたヨーロッパ社会においては、家庭の場と労働の場っていうのが分かれていなかったらしいんですね。
なので、男が働いて女が家で家事をしてみたいな考え方がそもそも登場しなかったと。家でも働くし、外でも働くしっていうか、外でやるのも家事の一部だし、家でやることも一応労働かみたいな。そこら辺がまだ未文化の社会だったんですね。
なので、こういう社会においては、性別分業制という考え方が生まれないんですよ。確立されないんですね。ただ、その後の社会において産業革命が来ますよね。産業革命が来ると社会が向上性というふうな形に変わっていきます。いわゆる労働の形というのが決まっていったんですね。
要は、工場に行って働く。工場を出たら労働が終わるという、そういうふうな仕組みに変わっていったんですよ。なので、こういうふうな時代になれば、外で働くものだと。そして、家の中にいるのはそれを家事をやるものであって労働ではないと。こういうような考え方に自然となっていくんですね。
なので、こういう状況になって初めて性別分業制の考え方が登場してくるわけですよ。女が家で家事をし、男は外で働かなければならない。こういう話にシフトしていったそうです。これもいわゆる文化的なものではあるじゃないですか。文化的というか社会的かな。すごく社会的な事情だと思うんですよ。
啓蒙主義と科学革命
この性別分業の始まった経緯って。ただ、この当時にまた別の軸で面白いことが起こっていって。産業革命のちょい前ぐらいかな。啓蒙時代とか啓蒙主義の時代とか化学革命の時代が来ていたんですね。
その時何が起こっていたかというと、例えば啓蒙主義の話でいうと、ルソーとかフランス革命の話でよく出てきますけど、あのルソーがちょっとすごい発言をしていて、女は家事と育児のために存在するものだ、みたいな発言をしているんですよ、ルソーが。
これは別にルソーが悪いって話じゃなくて、すごく啓蒙主義的な発言なんですね。啓蒙主義ってそもそも何かっていうと、啓蒙っていうのはエンライト、光を当てるってことですから、これまで細かく定義されていなかったものに白黒をはっきりつけていこうというふうな考え方ですよね。
その中において、男女というもののカテゴリーが存在するのであれば、それぞれに役割をきちんと定義つけていこうという風潮が高まっていくんですね。こういうふうに白黒をはっきりつけていくというのが非常に啓蒙主義的な考え方になるんですね。
それが啓蒙主義の時代。ルソーだけじゃなくて、いろんな静岡がこういった男女を二項対立の別のカテゴリーとして考えるような主張主義を出していくんですね。
この啓蒙主義の時代と並行して、ちょっと後ぐらいかな、科学革命っていうのが起きるんですよ。この時何が起こったかっていうと、解放学が発達します。解放学が発達すると、ここで生物学的性っていう概念が生まれてくるんですよ。
詳しく言うと、ここでようやく男女の体は違うという考え方が出てきます。それまでの医学、解放学においては、これは古代ギリシャからの続く話になるんですけど、ガレノスってわかりますかね。古代のローマかな。ローマにいたギリシャ人の医者がいるんですけど、ガレノスっていうね。
ガレノスが男女の体っていうのは基本的に同じであるという話をしていたんですよ。この話も聞いたことありますかね。女っていうのは男の肋骨から生まれたって話。それイブか。イブがアダムの肋骨から生まれたって話だっけな。
そんな話があるじゃないですか。あれ一般的に信じられていたみたいで。信じられていたっていうか、これがガレノス威嚇を元にしてるのかな。ちょっとここら辺曖昧なんですけど。男女の体は基本的に同じで、女っていうのは男の体のちょっと成長失敗しちゃったパターンだっていうふうに思われたらしいんですよ。意外ですよね。
なのでこういうふうな考え方は、もちろん男女差がある、少し差別的な内容になるんですけど、でも少なくとも男女の体が分かれていたものだと別物だというふうな考え方ではないんですね。これは。男女っていうのは基本的に体一緒だと。
基本的な違いはあるんだけど、それは少し微微たるもの。微微たる差に過ぎないというふうな考え方だったんですね。こういうふうなガレノス威嚇に基づいた男女の身体の考え方っていうのが基本だったんですけど、さっき言ったような科学革命の時代ですね。
この時代において解剖学が発達して、男女の体っていうのはこれは異なるものですというふうに定義されていきました。こんな時にですね、当時の科学者が言った発言がまあまあ行き過ぎてて、男女骨格違う、骨割れ違うって言ったらしいんですよ。骨は一緒じゃね。骨はさすがに一緒なんじゃないかな。
性別分業制の起源
まあね、現代だとまあまあ骨格診断なんていうのがありますけど、あれね、ナチュラル、ストレート、ウェーブね。あれみんなやったことあると思うんですけど、3タイプの骨格診断のことをこの愛は言っています。6タイプ診断とかいろいろありますけどね。この場合なら3タイプのことは言いますけど、ストレート、ウェーブ、ナチュラルか。この3つありますけど。
あれね、骨格診断みなさんやったことあるかわかんないですけど、まあ大体やったことあるんじゃないかなと思うんですけど。あれね、メンズバージョンもあるんですよ。メンズバージョンで骨格タイプ違うのかなと思ったら、メンズバージョンの骨格診断でもナチュラル、ウェーブ、ストレートだそうですね。
これ意外だったんですけど、というのも昔の僕、顔タイプ診断っていうのちょっとハマってた時期があって、顔タイプ診断ってみなさんわかりますよね。顔のタイプを6種類ぐらいに分けるんだっけあれ。
そのぐらいに分けて似合うメイクとか似合う髪型とかそういうのを診断してくれる、本当にあの骨格診断の顔バージョンみたいなやつがあるんですよ。僕フレッシュだったんですけど。これね顔診断、顔タイプ診断ね、レディースとメンズで違うんですよ。
一緒じゃねって思ったんだけど、僕レディースのバージョンを最初にやったんですけど、その時はフレッシュって出てきたのかな。それでどうやらメンズバージョンもあるらしいと思って、メンズバージョンを調べてやってみたらそこにフレッシュなんてカテゴリーなかったんですよ。
だから骨格診断とまた違った形になっていて、顔タイプ診断は男女別なんですよね、結果が。別に分ける必要あるかみたいな、いろいろ思ったんですけど。
それで当時の科学者っていうのが、特に解剖学者とか医学者ですね、男女の体は違うんですよ、骨格まで違うよ、骨まで違うよ、みたいな話をしたんだけど、要は行き過ぎたカテゴライズですよね。
こういうふうな二個対立概念っていうのを生み出していったんですけど、こういうような啓蒙主義の時代とか科学革命の時代があって、その後にこの向上性っていうのが生まれてくるんですよ。いわゆる性別分業制が出てくるんですね。
この時社会で何が起きたかっていうと、男女別の性別分業制、男が働いて女が家で家事をする、こういうような性別分業制が自然なものであるというふうに肯定するように科学革命や啓蒙主義の論理が使われていった、利用されていったんですね。
だから僕らここをちゃんと考えなきゃいけないと僕は思うんですよ。結局、生物学だろうが科学だろうが社会だろうが何だろうが、僕らが作ったものには変わりないので全て。
なので、それを利用する、あるいは利用するために作っているというふうに考えなければならないというふうに僕は思っています。現代でいろんな論調を見ていると、社会的な性別、ジェンダーより生物学的な性別、セックスの方を重要視するような傾向があるように僕は見えるんですけど、
特にこういうジェンダー論の会話にいない人の中ですごく顕著だなというふうに思うんですけど、この傾向。なんかそれってちょっと危ういなって思ってて。
その生物学的な性がなぜ優位なのかっていうのを考えていた時に、18世紀に性別分業を肯定するために利用されていったからかなみたいな感じに思えてきちゃって。
結局、いろんな言説とか、ある種の事実といったもの、この場合でいうと男女の体は違うというふうな考え方っていうのって、事実というよりかはどちらかというと議論だというふうな側面が強いなというふうに感じています。
結局、僕らが生み出していること、僕らが定義していることには変わりないので、何かそこに真実があるというか、よりかは僕らの生きている社会の営みの中で作っていったものなんだなというふうに感じるのが最近よく思うことですかね。
ということで、どうやら収録時間がそこそこいっている感じなので、本当はもっといろんな雑学、面白雑学持ってきたのでしゃべりたかったんですけど、それはまた今度の機会にしゃべろうかなというふうに思います。ということで、今回はこんな感じで終わりたいと思います。以上、391の水木イランでした。
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