1. 文学ラジオ空飛び猫たち
  2. 番外編 第13回 ふっかー復活委..
2021-12-06 59:32

番外編 第13回 ふっかー復活委員長と語る!「文学とは何か?(ゲスト回)」

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今回は番外編ということで作品紹介のない回になっております!

 今回のテーマは「文学とは何か?」という、大きく深いテーマをお届けします。 

ゲストに東京都内で「Book Fair」という読書会を主催している、ふっかー復活委員長さんをお招きして3人でトークしております! 

是非、リスナーの皆様もこの深淵なテーマについて考えてみてください! 

【番組内で紹介したトピック】 

■ 『ふっかー復活委員長』 

Twitterアカウント:https://twitter.com/FUKKA_Revive?s=20 


【オンライン忘年会(仮)】

リスナーの皆様とこの一年を振り返る!

12月30日14時~ 開催予定

※詳細検討中


【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

毎週月曜日朝7時に配信しています。

【SNSでご投稿ください】

番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください!

よろしくお願いします!

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■ダイチ「小説家が好き!の会」

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■ミエ「羊をめぐるカフェ」

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#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

00:03
どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。お相手は私小説が好きの簡易のダイチと数字をめぐるカフェのミエの二人でお送りします。
文学の頃ではない二人ですが、東京と京都をつないでお互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。番組概要欄に詳細情報を記載しているので、初めてお聞きになる方など視聴者を見ていただけるとありがたいです。
本日は番外編ということで、作品紹介のない回になっております。本編に入る前に2点ほどの告知があります。
まず、12月末、みなさん年末年始のお休みに入ったくらいに、オンライン忘年会のようなものをやってみようかなと思っております。
内容としては、この1年の振り返りをしつつ、リスナーの方々と交流しようと思っています。
特に人数制限は設けず、来たい人は来てねみたいな感じでやると思うので、詳細に関しては私たちのSNSとか、もしくはこの番組情報欄とか見ていただければなと思います。
詳細決まり次第お伝えしたいと思っています。この収録の11月21日の段階ではやるということしか決めていません。
一応企画が一つ考えてまして、抽選で1人、来年我々のラジオで紹介する本を選べる権利が付与される予定でございます。
若干怖いですね。
怖いね。めっちゃ怖いね。
それは来てくれた方の得点ということで、やってみようかなと思っているので、その辺りも詳細詰めてお伝えしていきたいと思っています。
ラジオでオフ会的なことをやるのって初めてなので、どうなるか。
なるべく来てほしい。
なるべく来てほしい。
しおりができましたね。
すごく可愛らしい感じでできて、これからできればいろんなところで配っていきたいなと思います。
そんなところで、告知2点でした。今回の番外編なんですけれども、何回連続ですかね。4回連続ですね。番外編ゲスト回になっております。
今回はですね、テーマは文学とは何かというちょっと大きくかつ、なかなか語るのが楽しいけれども難しいテーマを選んでまして、そのためにゲストを一人お呼びしています。
今回はですね、フッカーさんという方をお呼びしております。フッカーさんよろしくお願いします。
はい、はじめまして。フッカー復活委員長と申します。ちょっと長いのでフッカーと呼んでください。
フッカー復活委員長っていうのが正式名称なんだ。
一人で委員会、一人で委員長をしております。
すごいね。ちょっとフッカーさん、自己紹介をちょっと簡単にお願いしたいんですけれども、よろしいですか。
はい、お願いします。2018年5月から東京でブックフェアという読書会を主催しております。
03:00
ちなみにブックフェアは好きな本の読み文を書いて持ち寄って発表し合う、基本的にはリアルで行われている読書会になります。
私、好きな作家は伊坂幸太郎さんですね。中でも好きな作品は陽気なギャングが聞きました。
なるほど。コメディよりも。
小学生の時の人生が狂ってしまった。
ロマンを探しに行っちゃったわけですね。
そうですね。
はなとめ猫たちさんはファーストレッキーのお二人とオンラインイベントで知り合ったご縁もあって、いつも悲しく聞いています。
ありがとうございます。
番組で紹介された中で、最近読んだ本は、「そうしてあなたたちは時間転送に負ける」ということです。
SF版の野原通信という、全く伝わらないタイトルに出てしまいました。
三浦翔さんから。
こうしてあなたたちは時間転送に負けるって読んでるとは。
でも、確かにツイッターで見ておって思ったやつはかなり負ける。
実はその日が作詞ごとだから、誕生日。
誕生日に読んだの?
誕生日に誕生日に読んだ。
すごい。
本でこうしてあなたたちは時間転送に負けると。
時間転送に負けてロストショーになりました。
じゃあ、なぜ今回来てもらったかという経緯を私からお話ししたいと思います。
そもそもですね、今回の話、文学とは何かというところなんですけど。
もともと私がふと考える瞬間があって、
そのことをツイートしたんです。
文学って何なんだろう?
ちょっと考えてみたいんだけど。
ツイートしたら結構反応がありまして、
ちょっと時間が経ってたんですけど、
文学って深掘りしてみたくなったんです。
文学って何だろう?
そもそもこの文学とは何かという問いが、
結構吸引力というか、引きつける力がある問いなんだなというところがあったし、
あとやっぱりこう一人で考えてると、
なんかループするだけで、
やっぱ誰かとこう話してみると広がっていくかなと思ったので、
その時リアクションをくれた方々に、
とりあえずちょっと連絡させていただき、
あ、ツイッターで。
実はインスタでもちょっとやって、
インスタでも反応くれた方いたんですけど、
それはちょっと後で今置いてます。
何人かで集まってもらって、
オンラインでちょっと話してみました。
やっぱその内容っていうのは結構何というか、
自分的には刺激的だったので、
ちょっとそのことを発信してみたい。
また継続して考えているので、
考えが深くなっているかもしれないというところで、
ちょっとこういう番外編取り上げたら面白いんじゃないかなと思って、
今回テーマを設定してみました。
で、ふっかわさんはその時参加してくれた一人ということで、
今回ちょっとその時の話も踏まえていきたいので、
今回ゲストにお呼びしたいと思います。
ありがとうございます。
いやもうすいません。
急にあの時スカウトして。
革命のオファーで。
全力一撃で。
ふっかわさんなんですけど、
ちょっと具体的な話に入る前に、
06:00
ふっかわさんとはって話をちょっと話してからいきたいなと思ってます。
これ実はですね、
私と三重さんが初めて会った時にふっかわさんいたんですよね。
いましたね。
はいはいはい、そうでしたね。
そうそうそうそう。
あれね。
思い出した。
2020年のゴールデンウィークでしたっけあれ?
前だっけ?
その時だよね。
そのくらいですね。
えんやんあさかさんがやってくれた、
読書会主催者の会みたいな、
読書関係のことをちょっとやろうとしてる人みたいな、
コロナになったってどうしようみたいな、
オンライン会があって、
参加してみて、
その時にブレイクアウトルームっていうのがありました。
ブレイクアウトルームで、
パッとランダムに分けられた時に、
この3人が、
後半でしかいなかったってこと。
2人がなって、
あの時何を話したか全く覚えないんですけど。
いや何も覚えてない。
俺もその時まだミエさんを初めて認識した時で、
ふっかわさんのことは、
初めて話したのはあの時じゃないかもしれないですけど、
存在自体は初めて話したのはあの時?
あの時疑惑ありますね。
そうか。
何回かオンラインだって言ってた。
あってないのかな?
わかんない。
ふっかわさんは全体ではなってるけど、
集まったブレイクアウトルームに分けられて、
確かに確かに。
個別で話したことないですもんね。
そうですね。
まあだったんで、
っていう空気でちょっと話したけど、
誰も何を話したか覚えてないっていう。
お二人はリアルでは会ったことあるんですか?
いや、ないですね。
ないですね。
お話はいろんなとこで私は実は来てますが、
ふっかわさんの場合は。
こちらこそ。
あとやっぱりなんか、
私が読書を書いたりしたところでは、
ふっかわさんの話が出たりしてます。
初めて聞きました。
本当に?
そうですよね。
まあ、
エイヤーさんなんですけど。
エイヤーさん。
エイヤーさん。
エイヤーさんに行った時に、
ふっかわさんがイケメンだって話で、
女子が盛り上がって、
どういうふうに紹介したって話よりも、
ふっかわさんがイケメンだって話で、
わーって話したから、
たぶんその場にいたふっかわさん知らない人は、
ただイケメンだっていう印象しか残らない。
カードルがバカなのに。
だって、
私のふっかわさんの印象は、
結構いじられやすそうな人だなって思ってます。
その、
剣も含めて。
間違いないですね。
なんか持ってますよね、きっと。
いじってくれオーラを持ってますよね。
おそらく。
そうですね。
日本一いじられる読書会社。
十分にあるよね。
その称号すごいな。
めいさんどうですか?
たぶん、
私と一緒で、
オンラインで会ったり、
ツイッター上での見聞くらいだと思うんですけど。
何度かオンラインでは、
そうですね、
お会いしたことがあるっていうくらいで、
ツイッターもふっかわさんも見ていて、
思うのは、
すごいペースで本の投稿されていて、
独立ツイートっていうんですかね、
読んだ本の投稿、
ほぼ毎日上げてるような印象ですね。
09:02
いつ読んでるんだろうって、
すごく気になってます。
出勤前というか、
朝起きて読んでるっていう、
一人朝読書って読んでるんで、
読まないと落ち着かないっていう。
ルーティンなわけですね。
ルーティンですね。
でも、読んでも、
その後、
二つの猫たちに聞くと、
ああ、
ちょっと深く読まなきゃなって。
いやいやいや。
いやいやいや。
超浅いからな、
本当に。
そう、そう、
何を言われたら損ですよね。
そんなところで、
ふっかさん、
ちょっと内容を、
この会話の中で、
感じてもらえたらなと思います。
まとめると、
イケメンですごいペースで、
本を読んでる人っていうことですね。
めっちゃかっこいいです。
かっこいい。
すごい。
じゃあ、今回は、
この三人で、
文学とは何かという話を、
ちょっとしていきたいと思います。
前半はその話、
これが結構ボリューム出ると思うんですけど、
その話をした後に、
後半というか、
短くなるかもしれないですけど、
参加しやすい読書会っていう話も、
してみたいなと思ってますので、
お楽しみにしていただければと思います。
じゃあまず、
今回のメインテーマの、
文学とは何かなんですが、
これは我々、
みんさんと私も、
文学のプロではありませんし、
ふっかさんも文学のプロではない、
もしかしたらプロかもしれないけれども、
プロではないと思っておりますので、
今回はですね、
本好きの三人が、
考えてみた文学とは何か、
ということだけであって、
もちろん、
これが何か正解というわけでもないし、
立場的には、
聞いてもらっているふっかさんと、
そう変わらないと思っているので、
私たちのこの話し合いを通して、
思考の過程なんかを通して、
みんなで楽しんでもらえたらな、
と思っています。
で、みなさんも、
文学とは何だろうっていうのを、
ちょっと考えてみるきっかけになれば、
いいなと思っております。
まずですね、
それぞれちょっと考える文学とは何か、
っていうのを、
この段階でちょっと発表していってみようかな、
と思いますので、
私の方から。
私ですね、
ざっくり言いますと、
文学っていうのは、
言葉に出されているけれども、
言語化されてはいるけれども、
言語化されたままのものじゃなくて、
そこから読んだ人が、
受け手が新しいイメージとか、
もしくはその、
書き手がこういうイメージを持ってもらいたい、
っていうところに誘導させるようなもの、
だったのかなと思ってまして、
ちょっと具体的な例かなと思うので、
出させてもらうと、
例えば怒りを表現するときに、
もちろん、
Aは怒ったっていうことを言っても、
怒りを感じるってことは、
伝えられると思うんですけれども、
例えば、
Aは握り拳を作り震わせた、
みたいな形で表現しても、
読み手は、
Aは怒っているんだな、
っていうことが伝わるかもしれないな、
と思ってまして、
こいつはもちろん文脈によるんですけど、
後者の方が、
自分の文学的な要素を感じるな、
と思ってまして、
すごく単純な例なんですけど、
でも文学作品と呼ばれるものを読んでると、
やっぱこういうのに出会うかな、
12:00
ここで言われている言葉を受け取ったときに、
自分の中で広がるものが、
言ってあること、
この言葉そのものではないものが、
広がっていく、
っていうことができるのは、
文革なんじゃないかな、
と思っています。
ちょっとこれ、
この考えに至る後の時に、
ちょっと参考になったというか、
パッと思ったのが、
東京大学東アジア芸文書院、
というところがあって、
東大なのかな、
と思っている。
私たちはどのような世界を想像するべきか、
っていう、
この東京大学教養のフロンティア講義、
東大でこういう講義があったのをまとめている中の、
一方に、
AI時代の先生力と、
あ、これで潜るに勢いって書いて、
先生だと思うんですけど、
先生力と文学、
っていう章があって、
そこに文学の定義みたいなのがちょっと書いてあって、
ちょっと少しだけ思ってもらうと、
文学は言葉と現実の関係を一旦切断して、
言葉の意味、対応、
それ自体を導通することによって、
言葉が決してコミュニケーションという目的の、
単なる普段に還元できないものということを、
我々に示唆するものです。
これめっちゃ難しい言い方だなと思って、
言い換えれば、
って書いてくれてて、
文学に我々が見出すのは、
書かれた言葉そのものではなく、
言葉が意味しているその事実と、
その事実がテキストに表彰されている、
ということの両方だということです。
まあ、これを自分は、
言葉通りのものじゃなくて、
言葉が書かれたものを超えて、
迫ってくるものなのかなっていう捉え方を、
自分なりに解釈して、
ちょっと深めたのが、
今、あの、
さっき話したような内容になっております。
ちょっと長くなっちゃいましたけど、
私は、
ちょっとここをスタートにしたいと思います。
はい。
じゃあ、みえさんどうでしょう。
そうですね。
やっぱり、
個人的な話にはなるんですけども、
大学生の時に読んだ小説で、
アレクサンドリア・シジューソーという、
ロレンス・ダレルという作家が書いた、
初めて読んだ時にすごく衝撃を受けて、
それまでの、
読んできた小説、
まあ、それまでは、
あの、
結構エンタメ作品が多かったり、
まあ、
中には純文学も読んではいたんですけども、
アレクサンドリア・シジューソー、
何が驚いたっていうのかな、
文章がすごく美しくて、
すごく詩的な表現が、
バンバン使われていて、
理由表現とかですね、
すごくもう、
そんなにうまく、
物事を書けるようになっていて、
小説なんですけど、
どこを切り取っても、
詩として成り立っているんじゃないかと、
思わせるような、
そこで、
その当時は、
これこそが文学だとかっていうのは、
もちろん思わなかったんですけど、
ただ、
後々になって、
振り返ってみると、
アレクサンドリア・シジューソー、
読んでから、
自分の中で、
小説に求めるものっていうのが、
少しずつ変わってきたんじゃないかなと、
何かその、
文章を味わえるっていう、
そういう小説の好みは、
やりましたし、
海外の文学作品も、
好きになっていったっていうのも、
やりますし、
もちろん、
文章だけではなくて、
読んでいく中で、
物語の部分であったり、
そういったところにも、
はまったっていうのは、
あるんですけども、
何かその、
アレクサンドリア・シジューソーっていう、
本当に、
一つの都市を、
アレクサンドリアというときとは、
描いている作品なんですけど、
本当に言葉だけで、
本当に魅力的なものが、
フリーとさせるんだっていうので、
そこで衝撃を受けて、
僕の中では、
文学っていうと、
このイメージ、
すごく美しいものっていう、
15:01
本当に自分が、
認められるような、
体験があって、
さっき、
大地さんが言っていたような、
言語化されていて、
読んだ日に、
表記させられる、
イメージっていうんですかね、
何かそういったものっていうのが、
アレクサンドリア・シジューソーを読んだ時に、
僕もすごく感じたんじゃないかな、
というのは思います。
ちょっと、
後でまた膨らませたいと思いますが、
今、
三枝さんから言って、
表現っていうのが、
重要な、
あれなんですけど、
キーなんですよ、
ちょっと。
そうですね。
流れやられるような、
浅野さんのお願いです。
昔は、
文学は、
読み手があって、
完成する、
だったと思います。
どういうことかっていうと、
文学は、
読まれっていうことで始まって、
読まれないと始まらないし、
終わらないっていうことだけど、
例えば、
ノンフィクションでいうと、
ジャーナリズムに近くて、
記録しておくことに、
価値があるし、
例えば、
マニュアルとか、
調査、
報告書とか、
そういうのを考えると、
正しく伝わらないと、
意味がない。
一方で、
文学っていうのは、
読む人によって、
想起する世界が、
違っていいし、
書いても、
嘘をついていい。
生まれた数だけ、
物語が展開していく、
ということで、
作品と人によって、
無限のクイーンに合わせが、
あり得るものだと思うので、
そういう余白があるのが、
文学かなと思います。
なるほど。
じゃあ、
今の話を止めると、
読み手があって、
完成するってのは、
結構納得感があるというか、
受け手の問題が、
何だろうな、
受け手の問題って言っちゃったら、
乱暴すぎるんだけど、
表現というのがあって、
やっぱり届くところがあって、
完成ってことですよね。
そうですね。
本当にでも、
面白いと思いました。
読む人によって、
何を文学的と思うかっていうのが、
やっぱり違ってくると思いますし、
文学っていうところに定義しなくても、
小説を読んで、
これを小説と思うか、
いや、こんなのは小説じゃないと思うか、
っていうのも、
やっぱり違うし、
そういったところで、
読み手がいいとしないところで、
読み手があって、
完成するって考え方が、
すごく面白いなと思いますし、
こういうのは小説だけじゃなくて、
詩とかもそうかなって思います。
そうですね。
書き手の方が、
プロの小説家の方とかがどう思うかは、
ちょっと分からないんですけど、
いろんな文章がある中でも、
文学っていうのは、
書き手と読み手の共同作業の
局面があるのかなっていうのは、
物語的な特徴が強いかなと思います。
確かに。
読み手があって、
完成するってすごく面白い。
福川さん、
どうして、
こういう考えを持つようになったの?
そうですね。
読書会とかで、
いろんな方の感想を聞いてみると、
自分にとっては、
こういう物語だったとか、
読む側の経験とか、
どこで読むのかによっても、
全然印象が変わってきますし、
そういうのをいろいろ聞いているうちに、
小説って同じものを読んでいるようで、
同じじゃないんだなって、
18:00
言われることが多かったなと思います。
読んだ人の数だけ、
大切な違いがあって、
それによって、
世界が広がっていくという感覚は、
文学なんだろうなと思っています。
同じ芸術でも、
例えば絵とかだと、
もちろん捉え方はいろいろあると思うんだけど、
ぶっ飛んでても、
絵って許されるじゃないですか。
文学はぶっ飛びすぎたら、
誰も受け取らないんだろうなと、
今話を聞いていて、
思いました。
誰かの書かないんだけど、
この漢字が。
コミュニケーションとか、
分解っていうことはあるかもしれない。
例えばものすごく意図を、
表現者がすごい意図してるけれども、
その意図が全く分からない形で、
すごい分かりにくい形で、
表現されてしまったものが、
表現されたものがあったとして、
それって読んだ時に、
何の価値も感じないっていう人が、
すごい多かったとしたら、
結構それは芸術作品としても、
難しいんじゃないかなと思うけど、
絵って多分、
結構そこ関係なく、
表現しても受け入れられるというか、
芸術として成り立ってしまうところが、
あるんだろうなと思ったり。
本質から今ずれましたが。
ちょっと今それぞれ話して、
ちょっと議論のところもありますが、
やっぱり文学って、
この3人でも結構捉え方が違うし、
なかなかストレートな問いだなと、
今回思ってます。
ちょっとこの後、
オンラインで話した内容も踏まえて、
いくつか話していきたいなと、
思っていることがあって、
まず1点目が、
純文学とはエンタメと違うのか、
という話をしてみたいなと思っていて、
よくエンタメ作品とか、
文学作品って言われ方をすると思って、
たまにエンタメ文学作品とか、
どう捉えていいのかわからないものも、
来たりする時あるんですけど、
文学とエンタメっていうのは、
割と領域が違うように扱われたり、
することが多いのかなと思ってます。
ここは一体、
境界があるのかないのか、
という話をしてみたいなと思うんですけど、
ちなみにオンラインで、
どなたかが話したか忘れてたら、
この2人だったらあれだったんですけど、
エンタメは伝達手段みたいな、
情報を伝達してくるのが、
エンタメみたいな、
ちょっとそれ面白いなと思った、
記憶があります。
誰にでもわかるように書かれてる。
フッカさんが言われた。
ちょっとその話聞いてもいいですか。
エンタメは設定とか、
筋書きがすごいしっかり出て、
まさに骨格がちゃんとある。
骨組みがあって、
肉が付いてて。
純文学は、
割と実体はあるのかないのか、
わからない。
漂ってる印象がありますし、
設定とか年代も、
いい意味でぼやけている。
がありますね。
エンタメは、
わかるからこそ楽しまわれる。
純文学は、
そういうものがしっかりしなくても、
21:00
文章の意向、
意味で鳴らせるところとか、
あるんじゃないかなと思って。
この話でいくと、
文学、
解釈の幅も、
ちょっと単純な話になっちゃったけど、
解釈の幅がすごくあるのが文学。
人によって捉え方が全く変わってくる、
可能性を秘めているのが文学。
エンタメは、
幅はあるのかもしれないけど、
基本的には、
一つの捉え方が、
できるようになった作品なのかな、
って話を聞きながら思いました。
大塚さんの話を聞いたら思ったんだけど、
日本に、
純文学ミステリーってあります?
純文学ミステリー?
純文学ミステリー。
ミステリーの定義によるんだろうな、きっと。
ミステリーは、
謎があったりとか、
本がなかったりとか、
自動人物のキャラクターで、
楽しんだりとかあるんで、
結構いいんだね。
純文学でミステリーを選ぶとすると、
そこから連れていくような、
結構いいのかな、
っていう印象は。
でも今ちょっと思った、
中村ほみのりとか、
ミステリーっぽい要素もあるけど、
純文学って間違いなく。
なんか謎解き要素がある。
謎解き要素っていうか、
謎が出てきたような要素がある。
裏紙からっていうか、
先に言ったらミステリーっぽいやつあるよね。
あると思いますね。
でも、ミステリーが一流かってなってくると、
また話が違ってくるかなと。
だから、純文学でミステリーの作品って、
あるとは思うんですけど、
どっちも本当に一流でっていうところで、
そういう作品はあるんだろう、
っていうのはたくさん思ったりしましたね。
一概にミステリーだから、
エンタメなのか、
純文学なのかって言ったら、
違うのかなと、
投げ込められて思いましたね。
エンターテイメントを楽しませてくれる。
興奮させてくれるっていうのが、
エンタメなのかな。
でもそれを言うと、
文学でも全然興奮するしな。
マジで真面目に読まないといけない。
純文学ですげー興奮してるしな。
この表現すごい美しい。
中村文理さんを冷静に読むのは無理ですね。
あーそうですね。
やっぱあれえぐられるし。
エンタメって状態です。
状態?
純文学は形態。
エンタメは状態だから。
三井さんはどう思います?
この純文学でのエンタメって。
一般出版されている本ってやっぱり、
読まれないと出版されないのかなとは思うので、
そういったところでは、
純文学のカテゴリーになっていても、
面白さを備えている本っていうのが、
24:01
多いのかなって思いますし、
実際に自分が読んでいる本のほとんども、
やっぱり面白い小説が多いんですね。
ストーリー的にであったり、
書き方であったりとかで。
そういうところでは、
とはいえ明らかなエンタメ小説は、
やっぱり狙いがあって書かれているなと思うんですよね。
やっぱり起承転結というか、
読んでそこで感動するとか、
それに対してやっぱり純文学って、
さっきから話があったみたいに、
受けて読み手がどう感じるかとか、
読み手によって解釈の幅がすごくあるっていうところが、
やっぱりそこかなって思っちゃいます。
意外とこの切り口で、
見つからないものだなっていうのが、
ちょっと思いましたね。
この前のZOOMのオンラインのイベント連合を行ったんですけど、
最終飛行っていう佐藤健さんが、
アンテク・ジブリの小説だったんですけど、
その中で人間の都市っていう、
アンテク・ジブリの小説ですね。
孔子としての生活を描いた作品が、
フランスではアカデミーフランセイズの小説大賞を受賞したので、
アメリカではナショナルブックアワード、
年間最優秀出版のノンフィクション部門を受賞したので、
小説とノンフィクション、両方として評価されている。
国によって読まれ方が違ったっていうことに、
個人的には衝撃を受けて、
小説かノンフィクションかどうか、
ノンフィクションってある意味エンタメでもあるのに感動したとか、
人文学が小説と言って置き換えると、
日本でどうして教会ができてしまったんだろうっていう。
見えてきたものとしては、エンタメって言われてるけれど、
意外とこの教会みたいなものは、
あんまりないわけじゃないと思うんだけど、
グラデーションなんでしょうね。
この作品は完全に人文学によっちゃってるけど、
この作品は人文学とエンタメの共通要素を持っているみたいなとはあるのかもね。
なんとなく明確に分かれられないっていう答えになっちゃったけど、
どうでしょうか。
謎は深まるばかり。
僕と大地さんが好きな本って、
大体人文学要素がある、エンタメ性もある、
両方の水準が高いものを好むっていう傾向がありますね。
そうだね、紹介してる本ってどっちも持ち合わせてるのが多いですよね。
レイモンド・チャンドラとかそうなもんね。
分かりやすいところで言うと。
エンタメだけど、ロンググッバイとかめちゃめちゃ文学的なところもあるから。
ストーナーもそうだと思いますし。
これでエンタメ性が薄い、完全に人文学みたいな小説だったら、
お互い苦労しそうだなって感じるんですよね。
27:03
この話と付随するかもしれないなと思って、
自分の方から追いかけをしたいのは、
文学作品って分かりにくいものなのかっていう話をしたくて、
多分、文学作品、純文学作品って言うと、
わりと一般的に難しいんじゃないですか、それみたいな。
難しいイメージを持たれやすいなというのは思っているので、
ちょっとこの話をしてみたいなと思ったんですけど、
でもこれはそんなに悩まずに言えるんだけど、
分かりにくいものもあれば分かりやすいものもあるし、
みたいな感じなんですけど、
これはエンタメともちょっと話が繋がるかなと思って、
分かりやすいのをエンタメとして捉える方もあるのかなって思ったりこの辺。
純文学って独特のリズムがある場合が多いので、
それと自分の読むリズムが合わないと読みにくいですね。
やっぱり純って書き手の純粋な立つリズムが表れているので、
その相性っていうのはとてもある部分から聞こえます。
文章としてはエンタメ小説よりもだいぶ短いものが多くても、
なかなか不思議と見せられないという感覚を持ってしまうと難しいです。
読むのに時間がかかるけど読みにくいと思います。
つまらない。
独特のリズムっていう解釈の仕方が、
自分のそれに対しての意見を出してもらうと、
中村文則がすごい好きなんですよ。
全部の作品を読んでて。
おそらく今一番好きな作家は中村文則って言うと思います。
リズムとはまた違うんですけど、
ある種の純文学というジャンルにカテゴリーされる作家の方々が
共通してるなって思うことは、
その意見をいつ出しても、
本間のテーマが変わらないみたいなイメージがあるんですよね。
例えば分かりやすいところで言うと、
中村文則もそうだなって。
中村文則は一言でこういうテーマかと言えないんですけど、
全部読んでる割には言えないんですけど、
数え切れ事とかは割とアイデンティティの話が多いなと思ってて、
自分とは何かっていうところに結構注目したあって、
多分それがフッカーさんの今おっしゃった
独特のリズムっていうのを作ってるのかもしれないなと思いました。
それに、そのテーマに自分の何かが合ってないと
やっぱりはまれないものなんじゃないかな。
本タネの名手と呼ばれる人たちは、
いろんな素材、職業とか国とか文化的なものを
うまく料理して見やすいようにしてるということでね。
そう。
で、中村文則は、
どんどん作品ごとに深まっていく感じがある。
中村文則とかほんとそうで、
30:00
毎回毎回前作を超えてくる感じがあるんですよね。
だからもうすごいハマっちゃって。
中村文則さんは何作かしか言ってないんですけど、
なんか悪っていうイメージがありますか?
悪というか、
まあ多分、人が持ってる本質ってなんだみたいな。
これを掘っていってるというか、
でも逆に善でありたいみたいな気持ちも掘ってくるし、
何かを体験したいという気持ちとかも掘ってくるし、
それが毎回毎回、
角度が違うように見えて、
同じとこ掘ってんだみたいな感覚を自分は受けて、
それによって明らかに前作よりもまた深まったなみたいな感覚を
毎回毎回思う。
だからすごいハマっちゃってるんですよね。
明らかに前作よりもまた深まったなみたいな感覚を
毎回毎回思う。
だからすごい作家だなと思っているんですけど、
でも多分そういうことなのかもなと思いますね。
話を元に戻すと、
分かりにくいものかどうかって思うんですけど、
三枝さんどうですか?
でも大地さんが言われた話は確かにそうだなって思いましたし、
もう一つですね、
ちょっと僕の意見ではないんですけど、
今日収録の前にカフェをしていて、
ここでお客さんが来ている人と一緒に、
文学とは何かみたいな話をしてきまして、
お客さんがすごい読書家の方で、
文学って判断を遅らせる能力を養うっていう、
そういうものじゃないかっていう話をしてくれて、
判断を遅らせることがどういうことかって言うと、
今の世の中でどっちかというと答えを早く出した方がいいっていう、
そういう傾向にあるんじゃないかなと。
本当ですことは逆行してるんですけど、
文学作品を読むと答えのない話とか、
訳の分からない話っていうのを時のように浴びると。
そうなると自分の中で答えを出そうとしなくなくなったんですね。
何かに直面した時に、
それを判断しない、ジャッジしないと。
代わりに観察するということですね。
これなんか村上春樹さんも小説家っていうのは、
観察することだっていうのを言っていたと思うんですけど、
要はそれは生きる力っていうのにも繋がっていくんじゃないかと思うんですけど、
何かその物事を単純化しないとか、
すぐに起きた出来事に対して、
これは良いことだ、悪いことだかっていうのを決めるんじゃなくて、
判断しないで観察するようになって、答えを出そうとしないと。
そういうのを養ってくれるっていうところで、
分かりにくいとか難しいとかっていうのは、
それはその通りなのかなと。
むしろでもそれを読んでいくことが、
生きていく上で大事なんじゃないかと。
そんな話をしていて、
これはでもこのテーマのところと重なってくるかなと思います。
判断を遅らせるものっていうのは、
世間が素敵ですね。
33:01
そうですよね。
確かにそうだなって思いますね。
今読んでいる本が難民をあたたいている小説なんですけど、
難民に対してニュースでいろいろ取り上げられているんですけど、
国に対する感情っていうのも、
それを第一報で知ったときの感情と、
ちょっと立ち止まって、
難民の人ってどういう経緯があって国に来たんだろうっていう、
ちょっと想像力を膨らまして考えたときに出てくる感情って、
また違うかなと思うので、
それはもうどういう物事にも同じことが言えるかなと思うので。
この答えをすぐ出す。
これ日本だけじゃないのかな、分かんないけどね。
でも日本に住んでいる、今の自分が接している、
新権って言っていいのか分からないけど、
確かにハックしようとしてるよね。
そうですね。
私も三枝さんの話を聞いていて、
以前バーで純文学が大好きな方と話したことがあったのは、
経験したことはないけど、
なんか民謡声があるなっていうことがどんどん増えていく。
言い出しが増えていくから、
それが純文学とか文学を読む醍醐味だっていう話をすると、
確かになって。
実際の経験ではないから、
具体的ではないんですけど、
何か未知のことに遭遇したときに、
なんか民謡声があるっていうことが増えていくっていうのがあるのかなと。
本を読んでいるとそうですよね。
出しが増えていくと変わりますね。
私、結構話を休止してきてるんで、
リンに行きたいと思っているんですが、
ここでは文学とは何かというのを、
最終的に3人がそれぞれ意見を言ってみようかなと思っているんですけど、
その前にオンラインで出てきたときに、
どんな意見が出たのかというのを、
少しだけご紹介させていただきたいなと思っています。
これを語ってもよかったかなと思っているぐらいなんですけど、
AIに文学は作れるのかという話題が出ました。
これは私の個人的な考えですけど、
おそらく今のAIには作れないんじゃないかなと思っています。
これは多分AIが感情というものを持つことができたら、
作れるのかなと私は何となく思っています。
あと、事実だけ貫いても文学になり得るという話も出て、
これすごく面白かったなと思って。
余白があって、読み手が想像することができる。
両自治なんかはそうなんじゃないかという話が出てしまった。
こんな感じの意見が出たオンラインの回だったんですけど、
なかなか私は個人的に自分が呼びかけてやってみた意味ではあったんで、
当たり前なんですけど、めちゃめちゃ面白かったです。
お二人はどうだったかなと聞いてみてもいいですか。
そうですね。これは面白かったですね。
やっぱり自分で思っていることがあって、
その後周りの人からいろんな意見があって、
36:02
これオンラインならではと思っていないですけど、
結構考える時間がたくさん取れたんで、
改めて他の人の話を聞いて、自分の意見って、
文章とは何かみたいな話をしていたけど、
もうちょっと他にも要素があるのかなと。
文学ってなんだろうって、結構じっくり考えて、
アウトプットするだけじゃなくて、
考える時間を持っていたというところで、
良かったなと思いました。
オンラインでやって良かったなと思いました。
オンラインぐらいの距離感がこのテーマを使うには、
結構ちょうどいい関係だったなと私は思ったと思います。
塚田さんどうですか。
私ももっと文学と何かという相談がテーマなので、
固い話になるかなと思ったんですけど、
暑さはありつつ、秋が早いとした雰囲気で、
先ほど大地さんが言ったような、
オンラインの距離感っていうのも良かったのかもしれないんですけど、
前に発言した人の言うことをうまく咀嚼して、
消化しながら活かして、
自分のまた新しい解釈を作っていくっていう体験ができたんで、
すごい楽しかったなと。
やっぱり沈黙がそんなに怖くなかったっていうか、
結構あれもなかなか不思議な体験で、
みんな考えてくれてるなぁみたいな瞬間があって、
すごく良かったですね。
むしろ沈黙が基本みたいなところがあったと思うんですよね。
考える時間がない。
そんなポンポンで次から次に発言できるわけもないというか。
殴り合いの見解みたいな議論にならなかった。
俺の文学論披露みたいな。
本当ですね。
すごく良かったなと。
またちょっとやってみたいなとは思いましたね。
いろんな人の文学について何かって聞くと、
だいぶいろんなものが自分の中で出てくるなと思ったんですよ。
ただだいぶ体力かかったんで、あの回は。
なかなか興味できる回ではないなと思いましたね。
そんな感じの回をやったという報告になっちゃいました。
最後に我々3人今日また話してみて、
この文学とは何かと自分の中で変わったものがあったら話したいなとは思っています。
まず私の方から言わせてもらうと、
基本的には変わっている中で考え方と捉え方というのは、
全然自分の中で明確に何かが文学とは何かという定義ができていないくて、
結構フワッとさせてしまっているという状況も変わらないし、
自分がこの辺りが核だろうなみたいなものもあまり変わってないですね。
言語化されているけれども、それを超えて届くものがあるというのが文学なんだなみたいな。
今日もオンラインの時のコーヒーマーケットなんですけど、
こうやって話しているとそこに対して憎づけがされたりとか、
逆に明確にこれはちょっと違うのかなみたいな、
職業法じゃないけどみたいなのも確認ができて、
自分の中でぼやっとしたことは余計ぼやっとなったし、
切り取られているところはちゃんと切り取られているなみたいな感覚になりました。
39:02
また多分このテーマで話すと自分がいろんなことを感じるんだろうなと思って、
今おりました。
イエスさんお願いします。
前にオンラインでトークし合った時は、
文学って人間味があるものじゃないかというのを皆さんの話を聞いて思ったりしたんです。
今日話していて、人間味があるものというところは、
文学作品になるには必要なものかなとは思っていて、
人って何だろうというところを考えさせられるのが文学じゃないかなと思ったりしました。
よくよく考えると、最初に話したアレクサンドリア・ヒジュートという本も、
本当に未知の都市であったり、民族、人であったりというよくわからない人たちがたくさん出ていたんですけども、
そういったものに出会えた、引き連れたというのが良かったなと思いましたし、
そんなに何か考え方が変わったというわけではないんですけども、
やっぱり人というところに行き着いたというのが最後に思いました。
河田さんお願いします。
先ほど三枝さんが感動させる力という話があったんですけど、
文学で感動することって心のワクチンみたいなものになり得るなと思いました。
言葉って人を感動させる一方で切りつける意味でもあるんですよね。
その核になるのが比喩というね。比喩表現でない文字でないと思うんですよ、多分。
比喩っていろんなことを想像させて心を動かす一方で、
攻撃性とかを使ったりとか絶望的な気持ちになるということもあり得る。
そういうことが文学がもたらす感動を通して、
それに対して言葉の技術に対して強くなる効果というのがあるのかなと考えました。
文学はワクチンみたいなものっていうのは良いですね。
より何かを多く作っていれば、あることだけだけ効かなくなるってことって意味がいいかなと思います。
引き出しを増やすっていうのも大事だと思います。
ありがとうございます。今回話してみて、文学とは何かっていうのが
すごいストレートかつ深遠なテーマだなと思ったので、
また何かの機会にいろんな人と話したいなと思うので、
またオンラインでやってみてもいいかなと思っていますので、
リスターの方でぜひ話したいという方がいたら、
なかなか回数重ねられないですけど、
参加してもらえたらなと思っていますので、よろしくお願いします。
じゃあもう一個、後半といってもあまり文学とは何かが長くなってきてはいるので、
42:00
ちょっとミニマムなテーマになるんですけど、
参加しやすい読書界とはということで話してみたいと思います。
これちょっとフッカーさんからのテーマでもあるので、
この辺を話してもらっていいですか。
先日、某新聞のアンケート調査を行いましたところ、
全体的に読書界というものを知っている、参加したことがない、
でも参加したいと思っているという方が3割ぐらいいらっしゃいます。
それを見て、こんなに参加したことがある方が15%なので、
2倍にいるので、
参加を一主催者として、しやすい風に作っていきたいなと思っていたので、
では、参加しやすい読書界とは一体何なんだろうと考えてみたいなと思って、
ちょうど都会の主催をされているお二人と一緒に考えてみたいなと思いました。
分かりました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
この話を聞いた時にパッと思ったのは、
なぜ参加してみたいにしないのか、苦手意識があるのかどうかみたいなところもあると思うと、
単純に経験したことがないだけではあると思うんですけど。
確かに。
参加しない理由が苦手意識があるからなのかというところは確かに気になりますね。
僕も元々、読書界に興味があるけど参加したことがなかったという時期がすごく長かったんですけども、
その時の理由の一つが、スケジュールが合わないというのと、
あとは自分の好きな本を扱っているテーマとか、
そういう主催が少なくて、なおかつスケジュールが合わないんですね。
三枝さん的には自分が行ってみたいと思える読書界自体が少なかった?
そうですね。
それ辺は京都というところで、なおかつコロナ前なので、
対面でという形でしか考えてなかったんですけども。
苦手意識があると、苦手意識を上げる情報ばっかり集めたりする。
よりネガティブになっていくってことですね。
そうですね。
私でいうと、読書界って絶対課題本があるものなんだ。
ああ、なるほど。
そういう情報ばっかり集めたり。
でも課題本がないと読書界が紹介する、好きな本を紹介する読書界があるって知ってから参加するまでは早かったです。
確かに僕もそうですよね。課題本の読書界しかないって思ってましたし、
今でこそ本当に前提知識ゼロとかでも参加できる読書界とか、
いろんな形式の読書界があるんで、好きなのを選べるっていうのはあるんですけど。
アンケートを取ったわけではないんですけど、小説が好きな人はビジネス書を読んでないといけないっていうイメージを持ってて、
小説が好きな人は小説が好きな人ばっかりの空間だからちょっと自分は…って思う。
そういう思い込みがめちゃくちゃいいのかな。
45:01
それよりはどっちかっていうと初めての人に会うのが怖いっていう気持ちの方が強いんじゃないかな。
そもそも音階的な立ち位置だと思うんで。
音階っていうか音がどこなんだって話だけど。
初めましての人に会うのがやっぱり怖いから。
あとやっぱり自分がやってる読書界でも出ちゃってたなって思ってて、結構反省することが多いのは見打ち感がある。
やっぱりその会に何回も来てる人ってもう学級もできてるからそこに入りづらいっていうのもやっぱあるんだろうなってちょっと思ったりしますね。
でも絶対その人もね、来ると全然そんなことなくなってくるはずなんで、最初だけなんですけどね。
だからなんかすごい乱暴な言い方をすると読書界に参加してみたいっていう人がすごくてなんか1個言ってみてもいいかなって感じは。
自分で言うのもなんなんだけど、会社と面識があるっていうのが大事だと思う。
それだけで安心すると思う。
何かしらどっかに会社の方も持っているかもしれない。
これ話を聞いていて、長いで面白そうだったら来るって。
これは逆にちょっとハードルを上げちゃうからあんまり話さない方がいいかなと思っても、でも非常に重要なことなんで、
読書界ってやっぱ最初に行った読書界って結構原体験になりがちなので、
最初に行った読書界がちょっと自分と合わないと思っても探していくと自分に合う読書界が見つかるかなって思ったんで。
これはなんか1回行って心が折れた人に向けてちょっと言いたい言葉なんですけど。
相性って絶対ありますよね。
自分もわりと読書界やる前に何個か読書界行った時にめっちゃマウント取られておったんですよ。
もうすっげえ嫌な思いして。
自分はその読書界の時はそういう人が来てもらいたくないなと思ったから20代30代限定っていう括りを作ったりとかして。
誤解がないように言うと20代30代でマウントを取ってくるやつは多分対処できると思ったんですよ。
自分と同世代だからグーっていけるなと思ったんだけど、
自分よりも結構年上の人からマウントを取られると結構返せないんですよね。
マウントのプレイをしたいわけじゃないんで。
年齢が高い人がマウントを取ってくる人ばっかりと思ってるわけでもないし、
その辺は誤解のないように伝えたいところではあるんですけど。
そういう意見も聞いたことがあります。
1回参加して見学的な雰囲気が前面に出る雰囲気だといけなくなってしまう。
そういう人の発信とかツイートを見た人がまた怖くなってしまう。
48:05
いろいろ悪循環もあるんですから。
マウントを取る人がみんなが悪気があるわけではなくて、
マウントを取ってるっていうのを楽しく話してるのがそうなってしまうっていうのもあるかなと思って。
そういうマウントを取ってくる人がばっかりでもないし、
いたとしても読書会の中のほんと一部っていうか一人だけだったりするんで、
たまたま俺は運が悪かったなって思っただけなんですよ。
まだ読書会初めてか2回目ぐらいに取り上げたんで、
結構衝撃的な体験だったんですよ。
自分に合わないと思った読書会に参加してしまったとしても、
諦めずに自分に合うところを探してもらいたいなって思います。
話を5段階上げていくと、
参加しやすい読書会ってなんだろう?参加しやすさってどういうことなんだろう?
みたいな話をしてみたいなと思うんですけど、
俺のテクニック的な話になっちゃうから、
それでもいいのかもしれないけど。
さっきの話、やっぱり身内感が出ているような読書会だったら、
初めてだったら絶対行きにくいと思うんですね。
行ってから分かるとかじゃなくて、
申し込みの段階で読書会はサークルなんじゃないかなって思われてしまうと、
ハードルを感じます。
俺、それで言うとあれなんだよね。
どうしよう、これ大丈夫かな。
集合写真に載っている読書会、
うちの読書会は全部自由紹介型の読書会で、
紹介されたフォームを並べて撮って、
集合写真みたいな感じに出るんだけど、
たまに検索すると、人が出てる読書会とか、
結構サークル感が出るなって思ってて、
ちょっと苦手かなって思ったり。
でも全部が全部そうじゃないんだけど、
すごく原告ができないんだけど、
人が写ってる写真でもサークル感を感じない写真もある。
でもめちゃくちゃサークル感を感じる写真もある。
これ全然原告ができないんだけど。
かも知らず何かがある。
ポーズとか、本で顔を隠しているライナーとか。
顔を隠していようが隠していないが、何か出るんだよ。
隠しきれない。
分かんないっす。
内輪感っていうのは、
課題ではないんですけど、
内輪感があまりにもなさすぎて、
常に初参加しかいないっていうのが、
定着的にちょっと困るなと思ってた。
そうですよね。
少年屋さんがいた方がタイプ役になってくれて、
入りやすいっていうところもあって、
51:01
少年屋さんの方が初心者の方に、
帯を書くとかワークがあるので、
そういうのをすごく教えてくださったりするので、
ちょっと本当にじわり感動するというか、
こういう温かみは大事にしたいなって思いつつでも、
内輪が一番必要だったのがあるかもしれない。
あと気になっているのは、
参加する人の目的って人それぞれなのかなっていうのも。
例えば福川さんの読書会に参加される方っていうのは、
おすすめの本を紹介したいとか、
もしくは本好きな人同士で喋るのが楽しいとか、
参加目的みたいなものってある程度あったり、
もうバラバラであったり。
本の話がしたいっていうのが目的であると思ってて、
これは参加しやすいとはという問いにもつながるんですけど、
2つ読書会に参加して楽しいことって2種類あると思ってて、
1つはいつもと違う自分になる。
もう1つはいつも通りの自分を確認するっていうのも大事。
テンションが変わりすぎないとか、
本当に世間話みたいな感じでできる。
どっちかが大事だと思ってて、
多分それを求めてる、ずっと求めてる感じで、
参加しやすい読書会っていう雰囲気、
相性の良い読書会っていうのも変わってくると思っててね。
前者の非日常、いつもと違う自分になるっていうと、
結構紹介型だったら本に対してしっかりプレゼンをする、
日頃思ってるけど言えないことを課題本の感想を通じて発信する。
そういうのが前者で、後者は世間話、雑談の中に本が入ってくる。
っていうことが大事で、
キャラを作らなくてもいいか。
自然体で話ができるっていうのが大事かなと思って。
自分が好きな読書会だと、本当に自己紹介もない。
課題本もないし、
真ん中に各自が持ってきた本をサーッと並べて、
自分の好きなときに、
あ、それだとこの本知らなかったとか、
サックバラに話す読書会っていうのもあるんですよ。
話す順番とかも。
そういうのも読書会って言えるものなので、
自分がどういう空気感がいいのかなっていうのを
課題本で読むと見やすくなるのかなと。
後者の感が多かったってのは、
私にはほぼなかったです。
多分自分が読書会で決定してる、
多分じゃなくて明確に決定してるんだけど、
決定してるのは、
普段できない話をここで思いっきりしてください
っていうことを最初に言ってるので毎回。
本が好きな人とはなかなか、
職場とかではなかなか知り合えないかもしれないので、
54:00
思いっきり今日は話したいことを話して書いてください。
普段できない話をしてくださいみたいな感じで設計してるので、
結構そのいつも通りの自分を確認するっていう感覚は
なんか新鮮でしたね。
いつも通りの自分だからこそは、
他の人の話を聞く余裕もあるのかなと。
本の話から何か達成しても、
全然お酒飲んで役立てのない話になっちゃってもいいし、
でも潤滑油として本がある。
すごいわかりますね。
聞いていると、決して読書会に参加したから、
これを役割としてしないといけない。
これを果たさないといけないとか、
そういうのはないってことですよね、参加者の人は。
もしかしたらめっちゃレベルの高い課題本の読書会とかやったら
あるかもしれないですけど、
多くの読書会はそんなことはなくて、
本当に好きに参加してもらって、
あとは主催者の人ができるだけ周りと楽しめるように
頑張ってサポートしてっていう。
全く準備も必要ないし、
何か参加してもらうために何か用意することもない。
課題本以外はないと思うんですけど、
自己開示の部分は不安に思う人がいるんじゃないかなと思うので、
本の話を自分の好きな本の話、
特に自由紹介型、課題本とか課題本としては
自己開示をしてたら終えない部分はあると思っていて、
それがちょっと怖いと言うのかなって個人的には思います。
でもおそらく読書会に行きたいなって思ってる段階で、
ちょっと自己開示したいって欲があるんじゃないかなと思っていて、
何が言いたいかっていうと、
自己開示する必要が多少なりとも出てくるんだけど、
そのレベルはコントロールできるもので、
自分がしたい部分で止められる。
自分がしたいだけ引っ張ってもいいしみたいなところが読書会にはあって、
おそらくこれは自分の読書会のやり方になっちゃうからなんだけど、
主催者側とか慣れた人から話してもらうことが多いので、
初めてが一つとか初めましてで話すパターンは、
設計されている読書会ってそうないと思うので、
誰かの自己開示を受けて自分が自己開示をすることになっておくと思うので、
結構その辺は空気がつかみやすいかなと、意外と。
っていうちょっと何か補足じゃないけど。
私の手前に出てもらえるんですが、
僕フェアっていうのは自分の主催者の手前が公平と公正で、
僕もフェアっていう。
なるほど。
とりあえずフェアなんですけど。
そういうことだ。
でもやっぱりその自己紹介で、
例えば仕事とか学歴とかどのくらい本読んでるとか、
そういうことを聞くようなことはないし、
何かフラットに話がなるべくできればいいし、
その人の読み方を大事にするようなことは心がけているし、
57:06
自分が今まで参加した読書会の主催者さんも、
そういうことは意識されていると思うので、
そこは安心してほしいなと思います。
いろいろなんか参加したい方は、
たぶん一人は結構いると思うんですよ。
参加した中にまた別の読書会に行かれたとか。
そこからまたどんどん。
今日はありがとうございました。
フッカーさんをお呼びして、
この漫画編をお届けさせていただきました。
次回予告をこれからしたいんですが、
いつもゲスト来ていただくと、
作品紹介まで出ていただいているんですが、
今回急に参加していただいたので、
なかなか作品紹介も一緒にというのが、
フッカーさんとはできずと残念なので、
またどっかの機会でできたらありがたいと思うので、
よろしくお願いします。
ここから恒例の無茶振りで、
恒例だから無茶振りでもなくなっているんですが、
参加してみて、
感想をフッカーさんから聞かせていただきたいと思います。
はい。
前に言った方、
タンスク・スキリーザ・スタートウェニー・コータスさんに
まさか出ると思っていたので、
未だに驚いています。
なるほど、はい。
メタ的な話なんですけど、
今風になっているので、
不安でしばらくお待ちください。
そんなに不安を感じていたんですか。
収録から配信まで約2週間ありますからね。
近況面の心配です。
大丈夫です。
本当に話しやすいスイッチを作っていただいて、
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
では、次回を告知して終わりたいと思います。
次回はですね、
オーシャンブオンの
地上で僕らはこのまま煌めくという本を
紹介したいと思っています。
木原義彦さん役ですね。
それでは、番組の感想やリクエスト、
またこのラジオを聴いて紹介された本を
読みました、読み返しましたなど
ございましたら、
ハッシュタグとろとろ猫たちをつけて
教えていただけると大変嬉しいです。
ツイッターやインスタのDMや
投稿などでもお待ちしておりますし、
番組情報欄にメッセージ本も載っておりますので、
そちらからいただいても大丈夫です。
この番組、積極的に
拡散共有してあげると大変助かります。
それではまた。
ありがとうございました。
59:32

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