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2022-02-15 1:03:38

BC031『読書会の教室 本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』

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『読書会の教室 本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』

今回は、この本をきっかけにして「読書」や「読書会」についてさまざまに考えてみました。

書誌情報

著者:竹田信弥

*  双子のライオン堂店主

*  文芸誌『しししし』編集長

*  8年間で500回の以上の読書会を主宰

著者:田中佳祐

*  ライター、ボードゲームプロデューサー

*  共著『街灯りとしての本屋 11書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方』

出版社:晶文社 (2021/12/21)

ISBN:479497289X

目次

* はじめに

* 第1章 読書会とは?

* 第2章 読書会にはどんな種類がある?

* コラム はじめての海外文学(谷澤茜)

* 第3章 読書会に参加するには?

* コラム ビブリオバトルとは他人に本を探してもらうことである(岡野裕行)

* 第4章 読書会を開催・運営するには?

* コラム ビブリオバトル必勝法(安村正也)

* ◇なぜ読書会を開くのか?──主催者に聞く!

* ◇読書会では何が起きているか?──紙上の読書会

* ◇読書と読書会について本気出して考えてみた

* 付録 必携・読書会ノート──コピーして活用しよう

* おわりに

概要

読書会に興味がある人に向けて、そもそも読書会とは何か、どんな種類の読書会があるのかを解説し、その上で参加者としての注意点や主催者として気をつけた方がよいポイントなどがまとめられている。

「二人いればもう読書会」という言葉も登場するが、本を読むことを題材とした集まりならばひろく「読書会」と言える。では、その読書会の魅力とは何か。

倉下らの活動を振り返っても、いくつかの点を列挙できる。

* 自分が読んだ本について、自分以外の視点に触れられる

* 自分が見つけられないような本と出会える

* 自分だけでは興味を持たなかった本に興味を持てる

* 本を読む動機づけになる

* 他の人に説明しようとする中で、その本の理解が深まる

これらは一人の人間に内在する「読む」という行為をより豊かにしてくれるものだと言える。読書は基本的に孤独な行為だが、それだけで終わるものではない、ということだ。

『目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)』の中で紹介されている「ソーシャル・ビュー」は、そのような豊かさを別の視点から説明してくれる例である(この本もたいへん面白い)。

「本」は、お題になり、触媒になり、テーブルになってくれる。一つの「場」を生み出すきっかけとなる。そこで生み出される交流は、殺伐としがちなインターネットの交流をも変えてくれるのかもしれない。



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サマリー

ポッドキャストブックカタリストの第31回では、読書会の教室での出来事、本からの新たな出会い、参加方法、開催方法、運営の仕方について話されています。話の要点は、読書界について、読書界の種類、読書界への参加方法、そして読書界を主催して運営する方法についてです。キーワードは「読書界」、「参加・開催・運営」です。また、読書会の面白さとは、読書に関する誤解や新しい本に出会えることや、自分とは異なる立場で本を解釈することを通して体験できることにあります。読書会には、教室での出来事、本からの新たな出会い、参加方法、開催方法、運営の仕方など、話し合われることがあります。さらに、現代人の読書は孤独と共有の2つの領域をまたぐものであり、ソーシャルリーディングやソーシャルライティングが読書の体験を豊かにすることができます。また、本は議論や意見交換の場を作ったり、インターネットでの読書の場合は距離感を保つことが重要です。

読書界の定義と種類
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第31回の本日は、読書会の教室、本がつなげる新たな出会い、参加・開催・運営の方法について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
えーと、今週は倉下のターンですので、僕が紹介したいと思います。
発売がですね、この本。2021年の12月21日ということで、去年の年末に発売されている本でして、小文書さんから発売されております。
印象としては、つい最近という感じですね、割と。
そうですね。小文書さんの編集者さんが、僕がチェックしている方がおられて、その方が担当されている本というので、僕のまず目に留まって。
読書会、僕らもこのブックカタリストで月一に読書会をやってますし、その運営方針も手探りというか、まだ固まっていないところもあり。
何かこう参考になったらいいかなと思って手に取った本です。
はい、ちなみに俺はですね、倉下さんに教えていただいて、今手元に本はあるんですが、今回はブックカタリストの教えてもらう気分を満喫するために全然読んでいない状態です。
はい、それもまた良しだと思います。
最初に書士情報を簡単に紹介しておくと、著者が2人おられて、竹田さんと田中さんという方で、竹田さんの方が双子の雷音堂という書店の店主さんなんですね。
双子の雷音堂というのは僕らは全然知らないんですけど。
そこに全然土地感がないですよね。
東京の赤坂六本木にある、いわゆるセレクトショップタイプの本屋さん。
その大型チェーンではなくて、店主が本をチョイスして並べていくタイプの通好みというか、読書好きの人がよく行くようなタイプの店主さんで、その店舗内のイベントとして読書会をよく主催されておられると。
8年間で500回以上の読書会を主催と書いてあるんで、もうつわものですよね。
8年間ではあって、60回平均。月に週1より多いですね、ペースで言ったら。
だから読書会をプロでやっている方というわけではないですけども、達人というか非常な熟練者の方がこの本の著者の一人と。
もう一人の方が田中さんと言われる方で、筆業ということですね、ライターとあとボードゲームデザイナーもやっておられるらしいです。
何となくそういえば読書も相性良さそうですね、そういう方と。
この2人で実は町あかりとしての本屋という本も書かれていて、コンビで書かれた2つ目の本がこの本と。
ちなみになんですけども、その双子のライオン堂というのは書店なんですけども、文芸雑誌シシシシというひらがな詩4つの雑誌も出版されてて、年1ぐらいやったかな。
結構面白いテーマで、文芸に興味を持つ人なら面白いテーマの雑誌。
多分その店舗に行くか、ネット通販で買えるかのどっちかと思うんですけど、興味があったら詩4つで検索してみてください。
ちゃんと見つかるんかな、シシシシっていうので。
シシシと文芸詩あたりでキーワード検索したら多分見つかると思います。
あとは双子のライオン堂さんのホームページ行ったら多分見つかると思います。
そこは概要欄などに書いておくので、後でメールなど登録して見てみてくださいという感じですね。
本書なんですけど、実はそんなに分厚い本でもなく、200ページぐらいの本でして、
小立ても4小立てプラスアルファの構成なので、そこまでがっつり書かれた本ではなくて、
簡単なガイドブック入門書という感じなので、
今回はこの本そのものを深掘りするというよりも、
読書とか読書界っていうことって何やろうっていうのを、
この本を手がかりに考えていけたらなと今のところ考えております。
そうですね。我々のその月一の読書界を良くするためにも、ここに書いてあることから学びたいですね。
そうですね。で、簡単に目次というか小立てを確認しておくと、
ちょっと変わった構成でして、1章から4章までがメインかな。
この本のメインコンテンツで、残りコラムとか追加コンテンツが3つ付いてます。
第1章が読書界とはっていう、ストレートな読書界って何かっていうのが、
3、4ページで、章1章3、4ページで書かれてまして、すごく短いんですね。
ある意味男らしい構成ですね。
読書界への参加方法
そうですね。で、2章が読書界にはどんな種類があるという話で、読書界のバリエーションについて語られてます。
で、第3章が読書界に参加するにはということで、
これから読書界というものに参加してみたいっていう人向けに、
どんなことを気をつけたらいいのかなっていうことが書かれてまとめられております。
で、第4章が読書界を開催運営するにはということで、
次は参加ではなくて主催する側の心得とか気をつけた方がいいとかいうポイントで、
本章のメインコンテンツがこの4章に当たるかなというところです。
分量的にも4章が多い感じですか?
4章が一番多いですね。
1章3ページ、4章が20ぐらいはあるかな。
で、大体その4章までで本の半分ぐらい。
残り半分がそのおまけコンテンツなんですね。
色々あるんですけど、まず一番大きいのがなぜ読書界を開くのかということで、
この2人じゃなくて全国に色々読書界をやられているところがありまして、
その中でも結構有名どころの読書界を主催している人に著者らがインタビューするというのが、
前半その一つ目に載ってます。
で、ネコマチクラブっていうのがあるんですよね。
ネコマチクラブこれ結構有名なんですよ。ご存知ですか?
わかんないです。有名な読書界ってことですか?
読書界。めちゃめちゃ規模の大きい読書界で、
月1ぐらいでやってるのかな。
最近ではインターネットの使った読書界もやられているということで、
多分普通に検索したらTwitterでも見つかると思います。
ネコマチクラブ全部漢字です。
で、2つ目の主催者がGACCOHなんで、これ多分学校と読むんでしょうけども、
これ京都の出町柳にあるスペースでやられている読書界。
で、3つ目最後が八戸ブックセンターっていうのがあるんですね。
これも結構、界隈では有名で。
市営なんですね。市営でいいんかな。
図書館じゃない本屋さんを市が運営している。
八戸市が運営している書店ってことかな。だから簡単に言うと。
なんか名前を聞いたことがあるような気がするんですよね、これは。
非常に変わったところで、そのスペースにも当然読書界をするための部屋みたいなのがあって、
そこを借りて読書界をすることもできるというスペースになっていると。
この3箇所の主催者さんの話を聞くというのが、おまけその1。
おまけその2が、読書界では何が起きているかということで、
読書界の書き起こし?
リアルタイム紙で体験読書界。
どんな会話が行われているのかっていうのを、2パターン市場で公開されていると。
最後に読書と読書界について本気出して考えてみたということで、
この人たちなりの読書とか読書界の意義っていうのが検討・討論されているっていうのが、
以上がメインコンテンツとサブコンテンツ。
読書界の主催と運営方法
一応付録がありまして。
おまけに付録もついてくる。
簡単に言うと、パッと見たらわかるんですけど、コピーしてすぐ使える、読書界にすぐ使える、
感想を書いてもらうシートとか、ちょっとしたおまけですね。
だから、今から読書界を始めようと思っている人は、この1冊持って一通り読めば、
大まかな心の準備とちょっとした準備は整うよというタイプの本です。
割と雑誌っぽい構成というかコンテンツですね。
ムック本っぽいかな、確かにちょっと。
このテーマ自身がどこまで広いのかどうかわからない。
なかなか難しいですよね。これをテーマで1冊本を書くっていうのはね。
この本の中での読書界の定義なんですけども、
本を読むことが目的になっている集まりであれば、それはすべて読書界だと言えると。
もう1個定義があって、2人いればもう読書界という定義もあるので、
僕方にとっても完全に読書界ですね。
読書界を話すのが苦手な人って読書界に参加しづらいんじゃないかなとかっていう思いもありますけども、
逆に読書界だから人と話すことが苦じゃない。
なぜかというと、本っていうテーマ、題材、話題が絶対にあるからなんですよね。
よくあるんですけど、人と話す時に大体緊張するのは、
自分のことを話すとか、相手に何か聞かないとか、お互いの人格に踏み入っていこうとするから緊張するんであって、
本のことを話すんなら、そういう緊張は確実にないですからね。
直接やり取りしなくても、本っていう、やっぱり職場ですよね。
職場を通すことによって会話することができてしまうっていうメリットがあるから、
話すのが苦手でも別に全然いけると。
その他メリットとして、知らない作品に出会えるとか、読書仲間が増えるとか、
読書から新しいイベントが立ち上がるとか、初対面の人でも本の話ができるとか、諸々が挙げられていると。
それについて書かれているのが第一章なんですけど、第二章の読書界の種類に入る前になんですけど、
例えば読書界ってゴリゴさんが聞いて、どんな界をイメージされます?
それがね、イメージがないからやってみているに結構近いような気がして、
どれが普通とかが想像できないところは結構あるんですよね。
逆に言うと、この人たちは何をやっているんだろうって思っているから始めたとも言えるぐらい。
なるほどね。僕の中での、特に数年前までの読書界のイメージっていうのは、
例えばテーマを決めて、例えば夏目漱石のココロっていう本を題材にして、
皆さん、その回までに読んでいきましょうって言って、読んできてもらって、
そのイベント当日では自分がどう読んだかを意見交換し合う場っていうようなイメージだったんですね。
そういうのって、あんまり面白そうじゃないなっていう感覚が。
倉下さんの主観ですね。
でも、第2章で語られているいろんなバリエーションを見ると、それはもう読書界の一つのバリエーションでしかなくて、
もっといろんな方法とかタイプとかがあるよという。
一番大きな読書界の分類方法で、選書方法、本を選ぶ方法についての分類があって、
課題本方式と持ち込み方式っていうのがあって、最初に僕が挙げた例が課題本方式ですね。
主催者がこの本を読んできてくださいって言って、読んできてもらうタイプ。
持ち込み方式っていうのは逆に、参加者の方が自分で本を持ってきて、
それを例えば感想言うとか、あるいはビブリオバトルみたいにプレゼンテーションするとか、いろいろなタイプがあると。
2つ、まず読書界においても本の選び方があると。
開催方式も実はいろいろあって、
例えば同じ場所でずっとやるとか、あるいはその場所をいろいろ巡っていくとか、
月に何回やるとか、あるいは1回だけで終わるとか、
日本の古典のやつを連続で読んでいくみたいな、連続読書会みたいなのもあるみたいです。
一回で終わらずに繰り返し開催される。
するっていう。
参加者をオープンにするかクローズで募るかっていうパターンと、
ゲストを呼ぶとか呼ばないとかっていうパターンもあって、
それらのいろいろな組み合わせで、いろいろな読書会ができると。
読書会の最大のポイントは、読書会を開く、主催する上での資格っていうのが全くいらないと。
簡単に言うと誰でもできる。
読書会の面白さ
参加資格、開催資格が必要ない。
開催資格が必要ない。
だから誰でも主催者になれるのが読書会の面白いところだと書かれてて、
例えば僕がドストウェフスキーの罪と罰っていう本を読んでなかったとしますよね。
読んでる人にどこが面白いか教えてください読書会も開けるわけですよね、これ。
本を読んでいる必要すらないんですね、読書会においては。
さらに主催者だとそこの自由度が増す。
だからいろんなイベント、勉強会とかっていうのに比べて、
読書会って本に興味さえあれば誰でも開ける、
間口が広い一つのイベントであると書かれていたのが面白かったですね。
一般的に課題本方式と持ち込み方式は、
どういうメリット、デメリットとか特徴みたいなのってもうちょっと触れられてたりしたんですかね。
一応そこにメリット、デメリット書かれてたんで、
しっかり読んでもらったらいいんですけども。
課題本方式の良いところは書かれているのは、
初対面の人でも共通の話題が絶対にあることですよね。
初対面が初めての人が参加しやすいのはそうか。
じゃあ課題本方式と言えるのか。
だって絶対同じ本を読んでるわけですから。
あの本そうでしたよねって余裕で共通の話題ですね。
ある話題をした時にその話題から外れる人が絶対にいないっていう安心感はある。
その代わりに逆に読んできてもらわなければいけないというハードルは当然ありますよね。
そこはちょっと難しい。
本に興味がないと参加したくないですよね、そのシステムだと。
それと逆ですよね。
だから持ち込みの方は何の準備もなく、自分が例えばもうすでに読んでいる本を持っていったらいいだけだから、
参加者は気軽に話せるけど、逆にそのうまく話に乗れないパターンが、話題が合わなくて乗れないパターンがあるから、
そこはだから主催者がどう話題をファシリテーションしていくかっていう、
技量がちょっと問われる部分があるっていうところが大きく書かれてましたね。
そうか、じゃあ課題問方式というのも考えようによっては今のところブックカタリスト読書会は全部持ち込みになっているけれども、
違うパターンというのも検討してみる価値はあるかもですね。
ちょっと僕も考え方が変わりまして、案外それもいいのかなと。
ブックカタリストで語った本をみんなで読んでみんなで語ろうぜでもいい気がするし。
そういうのもありそうですよね。
課題本方式と持ち込み方式のメリットとデメリット
だからそれをちょっと今回は読書会。
本の内容の本を読書会するのはちょっとむずいけど。
大まかな内容はだいたいそういうところなんで、今回この本から触発されて読書会についてちょっと考えてみたいなと思ってるんですよね。
さっき言った抗議、広い意味でブックカタリストも読書会であると。
ブックカタリスト読書会も当然読書会であると。
僕らが現時点で見えている読書会の良さって何だろうなっていうのをちょっと考えたいんですよね。
一緒に言った僕の中にある固定関連のイメージの読書会の面白くなさというか、あんまり乗り気がしないのって。
僕の中で本を読むという行為が基本的に孤独なものか、独立的なもの。
自分と本の中で世界を作る自己完結的なイメージがあるんですよね、本を読むという行為が。
そういう行為を皆で集まってやって楽しいのかっていう思いがずっとあったんですよ。
ラシタさんがそう思いそうっていうのはなんとなく想像できる。
そして俺も割とそう思いそう。
だから一応結構長い間読書をしてきましたけど、読書会っていうのにこのブックカタリスト以前に参加したことをほぼなくて。
もう当然主催しようともあまり思わず。
たとえば好きな作家さんとかの解説本みたいなのあるじゃないですか。
作家が書いた本じゃなくて、作家を読み解く本みたいな。
たとえば村上春樹の謎みたいな本。
そういうのも読まないんですよね。
他の人がどう解釈したかっていうのに興味を持たない読書人生をずっと送ってきたんですけど。
そこもリバタリアニズムというか、俺の世界に入ってくるなっていうのがあるんですね。
だから俺は俺、君らは君で勝手に読んだらいいし、勝手に読めるところが読書のいいところやろうと。
そこを他人の意見なんて聞いてしまったら面白くなくなるだろうぐらいに思ってたってことですよね。
思ってたのはあったんですけど、ここ最近かな、数年。
たとえばこのブックカタリストもそうですし、以前How to Take Smart Notesっていう本を何人か、何人かというか2,3人なんですけど、
部分的に翻訳を分けて、お互いに翻訳していってその訳を持ち寄ろうみたいなこともやったんですけど、
やってみてやっぱり面白かったんですよね、その経験っていうのが。
当然なんですけど、読み方が違うんですよね。
同じテキスト、英語のテキストだったんですけど、テキストでも文の解釈の仕方も違えば、
この文がどれぐらい重要かっていうところも違いますし、
この章を例えば概略したらどう表現できるかっていうのもやっぱり人によって違うんですよね。
人によって違うからといって、どっちが正解っていうこともないわけじゃないですか、それは。
解釈の違いなんですけど、面白いのはそれって、人の自分とは違う意見に触れると、自分の読み方も変わってくるんだなということを、
その翻訳もそうですし、このBook Catalystでも感じてますし、
Book Catalyst読書会でも変化が、自分のコンテキストに変化が生まれるんだなっていう体験が、結構大きくここ最近感じてるところなんです。
クラシタさんが、多分全てはノートから始まるで書いていたような内容だったと思うんですけど、
読むことというのが、人の体験を味わうもの的なニュアンスのことを、確かどこかで言ってたと思うんですけど、
それを今までは本と自分でしか成立しえなかったものが、本と自分と他人とで、また違う、1個の本なのに違う体験が生まれた?
そういう感じかな。それまでの以前のイメージでは、クラシタが読んだクラシタの解釈Aがあって、Xさんが読んだ解釈Xがあって、
仮に俺がそのXを読んだとしても、ふーんで終わるなっていうイメージだったんですけど、
クラシタの解釈そのものがそのXに触発されて変わっていってしまうっていう、本の読み方そのもの、捉え方そのものが変質していく。
多分それは良い方向に変わっていくっていうイメージがあって、こればっかりは一人で本読んでるのでは絶対に味わえないなというのが感じてるところで、
だからこそその読書界って意義があるんじゃないかなと思ってるんですよ。
ブックカタリスト読書会における読書の意義
第2章の中に僕が一番面白いなと思った文章があって、読書界の良いところは、間違えた読書をすることができる点にあると思いますって書いてあって、
間違えた読書を書き確保がついてるんですけど、
つまり、いろんな人の前でこれってこうですねって言ったとき、いやこうじゃないですかって言ってもらえる点、
一人で読んでるときってそれはもらえないわけじゃないですか。
つまり、何冊か前のことで言うと、知ってるつもりのままで終わってしまうわけですよね。
一番わかりやすいのは漢字の読み間違いというか、読み方を間違ってても、
自分一人で読んでる場合は漢字を間違ってるとはわからないですけど、
それを言葉に発すると読み方が違うってわかりますよね。
でも同じレベルの話が文の解釈のレベルでも起こるわけですよね。
この文ってこういう意味だろうと思ったけど、いやそれはそうじゃないんじゃないかっていう。
もちろんそれはどっちが正しいかってわからない解釈のレベルはありますけど、
とにかくとも自分と違う視点でこの文は捉えられるんだっていう発見は、
結構階段を一歩上る気がするんですよ。
こればっかりは単独の読書ではたどり着けないんで、
だから先ほど言われた二人いればもう読書界っていうところの意義って、
そこにあるんじゃないかなと思いますね。
そうか、やっぱり実際自分の一年ちょいの体験で、
たぶん一人で同じ本を読むよりもはるかに濃密な体験をしているだろうなっていう自覚はありますからね。
これはだから例えば同じ本、さっき言った課題本方式の場合の想定ですけど、
課題本方式、つまり自分が知っている本が新たな読み方、新たなコンテキストのもとで解釈できるというメリットですけども、
もう一個わかりやすいのは、自分が絶対に選ばないような本が提示されるところっていうのも、
複数人で本を選ぶところの面白さで、
ブックカタリストの場合は結構僕らの趣味が重なっている部分があるんで、
お互いに読んでいる本とかもありますけど、ブックカタリスト読書会の場合は本当に自分では選ばないような本が挙げてもらえるんで、
これもこういう本の出会いってやっぱり難しいじゃないですか。本を読み出すとわかると思うんですけど、
本の出会いっていうのは非常に難しいんで、そういう場を複数に集まって交換できるところも、
読書会の新しい本との出会いというのが面白いところがポイントの2つ目。
つまり、知っている本の解釈が変わることと、知らない本に出会えるっていうところが良いところ。
3つ目の話なんですけど、このお話を終する前に別の本を紹介したいんですが、
目の見えない人は世界をどう見ているのかっていう公文写真書から出ている伊藤浅さんの、
伊藤浅さんって方が書かれている本で、これもブックカタリスト読書会で紹介してもらった本ですよね。
見つけて僕、本買ってしばらく置いてたんですけど、最近読み終えまして。
その紹介された時にもその内容を教えてもらったことをもう1回言うんですけど、
ソーシャルビューっていう取り組みがあるんですよね。
ソーシャルビュー、社会的干渉かな、この場合は。
ソーシャルビューというので、舞台は美術館なんですね。
舞台は美術館で何人か人が集まると。
その中には目が見えない、完全に目が見えない盲目の人もいるし、ちゃんと目が見える人もいると。
グループを作るんですよね。
目が見えない人1人に対して目が見える人数人のグループをいくつか作って、美術館を回ると。
普通基本的に美術館は静かにしなければいけないんですけど、そのイベント中だけは喋ってもOKということになっていると。
どのように干渉するかっていうと、目の見えない人は目が見えないわけですから、絵画っていうのは見えないわけですね。
目の見える人が目の見えない人にこんな絵が描かれてますよっていうのを次々に、3人やったら3人たら3人言っていくんですね。
その絵の特徴とか描かれていることを伝える。その絵の解説をするわけじゃないです。
つまりこの絵はセザンヌが描いて何年に何億で売れたとかいうことではなくて、見た人がどんな印象を受けたのかを見えない人に説明していくんですね。
ここでいろんな変化が起こるんですけど、まず見えている人が説明するときに見え方の変化が起こるらしいんですよね。
つまり最初はこれ湖やと思ってたけど、実は草原やったっていうことに説明しながら気づくんですよ。
目の見えない人の情報処理の優れた能力
それはつまり、第一印象でパッと見たものをよりちゃんと説明しようと思ってはっきり見るからこそ、より視界がクリアに、解像度が上がると。
だから説明しながら見ることで見え方が変わるんですね、まず。
原語化することによって生まれてくるやつですかね、それの場合でいうと。
逆に見えない人は、情報がある種リニアというか、いろんな人から情報がちょっとずつ入ってくるんですね、ちょっとずつ。
全体像とか部分とか。それを組み上げながら絵のイメージを作るわけですね。
この本によると目の見えない人っていうのは、そういう組み立て方が非常に上手いらしいんですね。
目の見える人はだいたい最初に、いわゆるファーストインプレッションでイメージを固めてしまって、それを補強することだけをインプットすることが多いんですけど、
目の見えない人はもっと柔軟に、追加の部分が来たらきちんとその全体像を組み替えていく情報処理の仕方ができると書かれてて。
これ両方とも面白い話なんですけど、まずその前者の方ですね。
人に説明する。つまりそのことを知らない人に向けて説明しようとすることで、明らかにその見え方が変わる。
これはもう全く体験してることですよね、僕らがここで。
先ほどゴリラさんがこの本を読まれてないって言われてましたけど、やっぱり読まれてる時と読まれてない時には僕の説明のクオリティが、質が変わって、方向性が変わってくるというか。
それは確実にありますね。
知らない人に向けて説明するからこそ、自分の中で湧き出る説明っていうのがあって、それがやっぱりその対象をよりクリアに捉える契機になる。
逆に言うと、そういうのをしない限りクリアにならないものが世の中にはいっぱいあるし、それは絵画の鑑賞だけじゃなくて、やっぱり読書界についても言えるだろうと。
読書会の持ち込み方式の良さ
だから、さっき言った課題本方式じゃなくて、やっぱり持ち込み方式の良さも絶対あって、持ち込むことでやっぱりその本をより自分がもっと知れるっていう。
他者からの意見によって新しいコンテキストを開拓するのとは違って、自分のコンテキストによってより深めていける読み方になるっていうかな、こっちは。
っていう風に読み方ができるから、やっぱりできるだけこの2人はお互いが読んでないものを取り上げた方が面白いだろうなっていうのがまず思ったこと。
逆に聞く側、つまり目の見えない人側の情報処理の仕方っていうのも非常に優れてるなとは思ったんですよね。
つまり最初に固定せずに入ってきた情報から常に全体像を新しく組み替えていける力って、これって2個前で僕がノイズっていう本で紹介した優れた直感力を持つ人、予測力を持つ人の永遠のベータ版っていう話をしたんですけど、
それと全く一緒なんですよね。固定観念で固めずに、常に開いた心を持って入ってきた情報を処理して新しく全体像を組み替えていくと。僕らはもちろん目が見えてる状況ですから、絵画の解消でそれはできないですけど、
知らない本についての心の持ち方として、先入観にとらわれずに広く情報を集めて、その本についての全体像を少しずつ取り入れながら組み立てていける本の捉え方ができたらこれは素晴らしいことではないかなと。
簡単ではないと思いますけど、目標地点としてそういうスタンスが取れたら面白いんじゃないかなというところを思った次第です。
目の見えない人というのは、きっと経験として絵の説明をしてもらう場合に、後から情報が大きく変わるっていうことをきっと我々よりはるかに多く体験しているんですよね。
おそらくはね。
だとすると、もうそのつもりで聞いてるんでしょうね。この人こう言ってるけど、話半分に聞いとけばいいやではないんだけど、大きく変わるかもしれない。
ピースの1個でしかないなっていう感じで受け取っているはずでしょうし、そういう捉え方がやっぱりいいのかなと。
もう1個ソーシャルビューで特徴的だったのが、ライブ感っていう話で言ったんかな。
例えば、最初これは海ですって言って、でもよく見たら草原でしたっていう訂正が入るこのプロセスが、
例えば情報を伝達する場合って、草原ですって言うと一番簡単じゃないですか、効率的じゃないですか。でも一見海のように見える草原のような絵っていうのと、草原の絵って情報違いますよね。
海に見間違えてしまったような描かれ方をしていた草原だったということが間違えることで伝わる。
そこのプロセスを全く全て伝えるからこそ、わかることがあるという話で。
これやっぱりライブならではっていう話があって、これは確かにそう。
例えばその3人、目の見える3人が絵について議論しているその中身、そのものが聞く人に情報を与えているわけなんですよね。
圧縮して無駄な枝葉をそぎ落としてしまうことが正しいとは限らないってことですよね。
そういうことだと思います。だからグタグタとあれについてこうやって言っているそのことそのものも一つ情報を持っているということなので。
だからこの僕2つの本で本を読むっていうことって結構難しい話なんだなという。
もう片方は美術の本ですけど、結局その情報を解釈して汲み取るというところとは一緒なので。
これ自体はあのポッドキャストというかやっぱ話すというシステムが一番相性がいいんだなということを感じて、
その書評としてテキストにしてしまったら書ける情報ですよね。落ちてしまう。
喋りながらいやなんかこれ違う気がするなと喋っている最中に思えること自体がそのメタ情報として聞いている人の役にも立つかもしれない。
と思うんですよ。だからブック語レストって結構長いですね。僕がやっていることではない。
無駄なことを喋れますよね言ったら。思いついたこととかを。
Amazonレビューの制約と対話型の読書会の価値
なんですけど、でも実はそこに何かあるんではないかなと。現代社会が置き去りしているものが実はあって、それなしでその草原ですって言ってしまうことって結構欠損ですし、本質から外れていることですらあるのかもしれないですね。
ライティングの哲学をちょうど数日前ぐらいに読み終わったんですけど、千葉雅也さんがなんかその似たようなことを言っていて、それがすごい印象的で。なんか小説って無駄だと思ったけどそうじゃなかったっていう感じのことを。
その死でいいじゃんとか、なんでそのいらん過程を描くんだっていう。それ、それだなあっていう。
確かに。だから、ソーシャルビューという試みから通してみた読書界っていうものって、だから知らない人に自分の知ってる本のことを伝えるという試みからいろいろ開けてくるし、そうやって逆に話を聞く側も開いた心で聞いていくと、その会そのものが有効というか豊かになっていくんじゃないかなという気がしております。
聞くときに難しいのが、固定観念に当てはめてから読んでしまうと多分つまらないですからね、ブック語りその場合でいうと。
だからやっぱり、先にAmazonレビューとか見るのはあんまり良くない。良くないのかもしれないですね。難しい話ですけど。
Amazonレビュー引っ張られるっていうのはね、ノイズの中でも書かれてましたからね。
Amazonレビューそのものが悪くないんですけど、情報の強度に偏りがあって、中間地点が丸々抜けてることがあるんで、言ったらバイアスしかないので。
もうちょっと広い。それからあれも、読んでない人に説明しようというスタンスじゃないものが多いじゃないですか。
Amazonレビューという語彙から考えないといけない。
だから、星の数とか私は参考になりますけど、やっぱりプロの書評が書いた、ちょっと開かれた、パブリックに向けて書かれた文章とかの方が、もうちょっとマシかなと。
もちろんAmazonレビューの一個一個も、一つのピースしかないって認識して捉えられるんであれば、それいいですけど。
でも質問しかえせないですもんね、あれって。結局。ライブじゃないもんな。
結局多分なんですけど、今自分が思っているところで言うと、物質的なものに価値があるものであれば、そのレビューに一定の意味はあるんじゃないかと思うんですけど。
創作品、創られたもの、クリエイティブという言い方でもいいのかもしれないけど、クリエイティブなものは、信頼できる人の意見以外は聞かない方がいいのかなっていう。
聞かない方がいいって言わないかな。違うな、それ強すぎるな。
可能であれば、逆に言われたことに対して、「それってどういうことなんですか?」って応答できる環境の方が、僕はいいかなと思ってて。
クラブハウスのやり取りでも、ただ言われただけで聞くじゃなくて、「これってそういうことですか?」とか、「その本の違いとは何ですか?」って質問できるじゃないですか。
その応答によってよりくっきりわかるものが出てくるんで。だから、真剣というか、本を面白い本を探したいなとリアルに思ってるんであれば、
一方的なプルっていうか、引っ張るだけの情報よりは、対話型で探せた方がより好ましいかなという気はしますし、
やっぱりその説明を通して、その本を教える側の人も本について発見があるかもしれないので、小ウィンウィンぐらいの価値はありそうな気がしますけど。
話して思うのはやっぱりそこはやっぱりデカいですよね。聞かれて、「あ、わかってねえわ。」っていうことがわかるっていう。とか、上手に喋れない。書くとかでも一緒だと思うんですけど、もっと簡単だし。
そうですね。今回は読書会っていうのがあって、この本でも基本的にはリアルでやってたんですけど、最近オンラインに移行しつつあると。オンラインはオンラインなので難しさはあるんですけど、
場所に限定されずできるようになったと。今は僕らも京都と名古屋で、名古屋ちゃんは愛知でやってますけど、そういうことができるようになったっていうのは面白いですよね。その本の読み方とか新しい本の知り方っていうのがバリエーションが広がってくる。つまり読書会そのものが広がってきつつある現代かなと。
まあそうですね。地方に住んでたら、俺自分でよく思うんですけど、名古屋駅まで電車で乗っている時間が20分。ドア2ドア340分ぐらいなんですけど、やっぱり名古屋駅に出ないとそういうものには巡り合えないですからね、ほとんど。
まあそうでしょうね。
まあその程度の時間けちんなよってことではあるんだけれども。
まあそうは言ってもね。
そうそうは言ってもっていう。
でまあ、読書について一回振り返るんですけど、本を読むっていう行為って遥か昔は音読やったわけですよ。
国伝しかなかったっていう意味でですかね。
しかも文字を読める人は限られてたので、偉い人が前に立って、字の読めない人が前に立った人が読み上げるのを聞くっていう活動やったね。
つまりこれはソーシャル、グループ。グループなリーディングやったわけですね、その読むという活動がね。
ある時から目読というのが文化的に広まった。日本でも結構近年なんですけども。
特に面白い話があって、当然メディアの価値が安くなって、つまり本が安価になって、
全国誰でもある程度の資本がある人であれば買える環境っていうのがまず一つ大切なんですけども、電車、列車が整備されたことで、
全国の流通が整ったとともに、電車で移動する人も増えるじゃないですか、当然。
電車で移動するっていう時間に本を読むっていう文化が根付き出したらしいんですよ。
電車の中で本を読もうと思ったら、目読すしかないですよね。そういう中で目読文化っていうのが根付いていったんではないかという説をこの前読んだんですけど、
ソーシャルリーディングの可能性
これは面白いなと思ったんですけど、音読は絶対に周りが人がいると、さっき言った僕が孤独の読書には絶対にならないんですよね。
その人が何を読んでるかを周りの人がわかってしまうわけですから。
目読文化になって初めて現代人の僕が体験している、孤独としての読書っていうのが確立されたわけですね。
その孤独としての読書、ある種現実から別の現実に移動する読書っていうのは僕は大切だと思うんですけど、
現代人が一番最初に本を読む体験って、読み上げやったりするんですね、お母さんの。
本を読むという言い方をすれば、多くの人は読むより聞くが先でしょうね。
あえて一緒に本を読む、つまりペアリーディングですよね。ペアリーディングから始まって、最初は孤独、ソロリーディングに進むわけです。
一般的に現在で本を読むというと、ソロリーディングが意識されるわけですけど、でも現代人であれ、最初はやっぱりペアリーディングしているわけですし、もっと前はグループでリーディングしていたと。
だから別に読書イコール孤独な活動っていうのは、現代的な傾向でしかないなというのを思い返したんですよ、一回。
だとしたら、さっき言ったソーシャルビューと同じようで、ソーシャルリーディングっていうのも別にそんなに変なことではないんだなと。
歴史の長さで言えばそっちの方が長いですよね。体験された量がどっちが多いかちょっとわかんないけど。
それは本の流通量が後半ほど多いから。僕がずっと思ってた読書イコール孤独のイメージって結構狭いもので。
もちろん一人が本を読むっていう行為は変わらなくても、本を読んだっていう行為の成果なり結果なりを他人と共有することで、またそのフィードバックが自分に返ってくるっていうこのやり取りそのものは、
だから孤独でありソーシャルであるっていうその2つの領域をまたぐ読書になりますし、おそらくだから現代以降の読書はもっとそっち方向に動いていく。しかもそのキンドルハイライトがみんなで共有されるとか、しょうもないレベルではなく。
あれしょうもないですよね。俺最初すげーって思ってたけどすげーしょうもない。
ではなく、お互いに意見を交換し合ったりとか、その本について説明するっていう行為がインターネットとこのコロナ禍もあって、より広がっていくんじゃないかと。しかも広がっていった方が実は文化的に豊かじゃないんかなっていうのをちょっと考えてました。
戻ってくるんですかね、いろんなの。音楽でそれとほとんど同じようなことをすげーよく考えていて。音楽ってもともと誰かが演奏しているものを生で聞くという手段しかなかったものが、蓄音機の発明によって音楽を記録して一人でグループで聞くということが、そっちの方が消費される量が増えてきたんだけれども、
そこを突き詰めて現代に帰ってくると、今度むしろみんなでライブに行って音楽を体験することの方が価値があるし、さらに言うとビジネスとしてもそちらじゃないともう生き残れないようになってしまっている。
本を読むということも、ちょっと答えみたいなのは全然わかんないんですけれども、一人で読むものではなく、みんなで読むことに何か可能性みたいなものはあるのかもしれないですね。
例えばみんなで読むことで知っているつもりで言うところの認知的分業というか、本を読むという行為すらも認知的分業をしてしまった方が、より理解が深まる。
もちろん面倒くささはありますけど、他人と関わる面倒くささはありますけど、単純によく理解する。複数で読むがよく理解するというよりも、より面白く読めるという機能がソーシャルリーディングにはあるのではないか。
ソーシャルでいいのかグループでいいのかはちょっとわからないですけどね。ある程度閉じた人たちでやった方がいいのかもしれないし、もっと広くレビューサイトみたいなところで意見交換し合うのがいいのかはちょっとわからないですけども。
スクラップボックスを活用した読書会
まあいろんな方法があるんでしょうね。その俺、奥さんが読んでいて、まあまあ面白そうで、でも自分で読むよりももうそれ後で教えてって言うようになりましたよ。
まあそれもお互いのためになりますよね。
おだしょー 俺は別の本を読むので、読み終わったら教えてくれっていう感じで、あのプチプチブックカタリストみたいなイメージで、そのメモとかを見ながら、こんなんだった、こんなんだったっていう話をしたり聞いたりとか。
それで言うと、ちょっと違うところで思いついた思いつきなんですけど、前回のブックカタリスト読書会がスクラップボックスを使おうっていうのをやったじゃないですか。
おだしょー やりました。
あれがですね、個人的にすごい新しい世界を生み出し得るのではないかみたいなことをちょっと思っていて。
おだしょー 特に良かったのが、何人かの人が下準備として、この本を読んだリストだと思うんですけど、何人かの。
はいはいはい。
おだしょー その読んだリストがあることによって、これ気になるから教えてっていうのができるようになっていたし、実際そうだったと思うんですよね。
はい、そうでした。
おだしょー あのシステムは、もうちょっと掘り下げる点はあるかもしれないけれども、一つの今までとは違う読書会を生み出し得るのではないかと思っていて。
そうですね。リアルの場って集まったときに、視線とかでこの人に話振れるかなっていう雰囲気を探れますけど、クラブハウスは特に何の画面もないので、どう振っていいのかがわからないですけど、メモがあるとこれ教えてくださいって簡単に言えますからね、あれ。
おだしょー そう、頭の中の共有がまんまだと思うんですけど、これめっちゃ気になってて、まだ読んでないんですよ、教えてくださいっていう素材をあらかじめ提供できて、さらにスクラップボックスならではなんですけど、その場でメモりながら、調べながら、書きながら話せるとかっていうのはなかなか他ではできない面白い体験になり得るのではないかと思って。
おだしょー 脱線しますけど、やっぱりスクラップボックスいいですよね、あれは。最強のツールだと思いますけどね。
おだしょー 次回やるときに参加される方がよかったら書いておいてくれると面白いなと思って、苦にならない範囲でこの本とこの本を読んだとか、話すのがもし手を挙げるのが億劫というか、なかなかやりづらいんだったら逆に書くだけ書いておいてくれて、気になったらこれ教えてって言えるし。
おだしょー そうですね。
おだしょー 他の人もこれが気になるみたいなこともコメントとかもしやすいだろうし、あと、それで言うと課題本方式と似た、それ読んでますっていう話とかもできるかもしれないし。
おだしょー そうなんですよね。あれはだから盛り上がりたかったらそれぞれの人がそのページで盛り上がったらいいっていう。だから、クラブハウスでは難しい話の分岐っていうかな、メインではない話をこの人としたいっていうことを。
おだしょー まあチャットすればいいですからね、もうページ上で。
おだしょー ということはだから、やっぱりスクラップボックスのライブと相性がいいんですよね、あれ。
おだしょー チャットだと流れちゃいますからね、そのアットメンションみたいないろんな仕組みがあるけど、そういう意味で言うとスクラップボックスのが難しくはあるんだけれども、うまく分業できればその同時にやりとりが複数人が紙の上でならやりとりができるイメージ。
おだしょー やっぱり二つ組み合わせるっていうのがあれですよね。だからスクラップボックスはああいうチームでのナレッジの共有にはあれ以外はちょっと僕は考えられないっていうぐらいまで信者ですよね、ちょっとした。
おだしょー まあどうせ全部見れないが他人と一緒にやっててどうせ全部見れない場合一緒いいですよね。
本を通じた場の形成
おだしょー そうそうそう。
おだしょー そういうのはある気がしますね。
おだしょー だからソーシャルで言うと逆かな、逆じゃない本を作るっていう行為も最近なんかこうなんていうかな、これも昔からあるんかな。
インターネットのオンラインの講義4回分をやって、その4回の内容から本を作るとかいう動きも最近ちらちら見かけるんですよね。
つまり説明して質問をもらった上で内容をまとめる。これは大学の先生が講義でやってることですよね、本来は。
それがオンラインの場に移って、市民を巻き込んだ本作りになってると。
市民というか他社ですよね。だから他社を巻き込んだライティング。だからソーシャルリーディングだけじゃなくてソーシャルライティングみたいなもん、ある種昔とは違う技術を使って昔のようなことをし始めているっていう。
僕は昔、その本の感想を言い合うなんていうのはずっと思ってたんですけど、最近はもっとやりたいなあって、何らかの形でもっとやりたいなあっていうふうに思います。でもやっぱりある程度クローズでやることは必要でしょうね、きっと。
必要ない人が見れるようになってしまうことがデメリットになるんですよね、厄介なことに。一定以上その、そうか敬意を払わなくても参加できてしまうからなのかな、そこの場所に対して。
確かに確かに。
そこをやっぱり敷居をゼロにしてしまうとやはり余計な、そこに興味がない人が来てしまいますからね。
だから、場っていう言葉が今ちょうど出ましたけど、本っていうのが場作りになるっていうのが最初の本に戻りますけど、読書会の教室っていうの一つの大きな話で。
テーブルを作るという例、例えがありまして、ハンナ・アレントって知ってます?
働くこととか幸福論とかそれ系ですね。
活動と呼ばれるような、活動と労働と仕事を区別したのがそういうので、彼女がテーブルっていう例を出されて、テーブルがあるとみんな一箇所に集まるけど、集まるけどくっつきすぎないじゃないですか、絶対にテーブルがあるから。
お隣距離感は置いといて。
で、本っていうのも、例えば今から自由に議論しましょうっていうのでは散らばりすぎますよね。
でもあるテーマについて、例えばこの本について語りましょうっていうとフレームができますよね。この本の言語の中で何か言いましょうっていう枠組みができる。
でもさっき言ったように直接的な意見の対決にはならないですか。絶対本っていうものを通すので。
つまり本がテーブル代わりになって、人を集めるけども直接的な交流からワンクッションを置くような題材を提供してくれると。
だから本っていうのが一つの言語空間を作るというか言論空間を作ると。
だから場っていうのを、本にしろこういう回にしろ、何らかの形でその場っていうのを作って継続していくことが多分そのさっき言った自由活達な意見のやり取り。
お互いにリスペクトして、傷つけ合わない上で自分の意見を言える空間作りには必要なんだと思います。
題材とかフレームとか何か枠組みを与えつつくっつけすぎないものっていう距離感をどうにかして作るっていう。
そうか、その距離感が必ずしも近ければ正しいものではなくて。
ではないっていう。
パーソナルスペースみたいなのはありますもんね。
みんなで集まって愛について議論しましょうってやっぱりちょっと難しいわけですよ、これは。
でも愛について語ったなんかの小説について。
語った本とかだったらできる気がする。
そういう感じで、やっぱり近すぎない遠すぎない距離感を維持する、維持できているところがある種の場って呼べるもんじゃないかな。
だからインターネットはそれが近すぎるんですよ、やっぱり特にツイッターは。
本と読書会の価値
ツイッターは近すぎるんで、そこら辺がインターネットで新しいソーシャルデザインされたらいいなと思う次第です。
そうか、場を作るものとして、そして例えばその本だったり映画だったり何らかのものというのは一番簡単に仲良くなれる手段かもしれないですからね。
ゲームとかもあるのかな、今で言うんだったら。
そうそうそうそう。そういう共通の話題を出して人をつなぐ場となるっていう。
だから、僕は誰かにこの本を読めって言われて読むのが大嫌いなので、あまり課題本方式は自分ではしたくはないんですけど、
例えばブックアタリストでかつて挙げた本とかである程度読んだ人が複数にすでにいるによったら、その人柄で読書会をしてもらうとかっていうのは展開としてはありかなという気はします。
あの独学大全今ね、もう1回読んでてね、言ったらね、そういうの話したいですね、例えばで言うと。
でももう1回やってもいいですけどね、独学大全、もう1回本会でやってもいいですし、
ブックアタリスト読書会特別会で独学大全読んだ人を集まって、ああこういうの言ってもいいですしね。
そう、とか1年前で言うとこれからの正義の話をしようとかも、今もう1回読んだら結構変わる気がして、それも思ったりするし。
それはそう思います、確かに。
そういうのも、あれですね、1年前ぐらいのいいやつがあったら思い出して語るとかでもいいかもしれないし。
だからその、完璧な読書がないっていうのは、あの本で。
つんどく。
つんどくでもいいし、読んでいない本について堂々と読む本でも、どっちでもいいんですけど。
完璧な読書っていうのがない以上、1回読んでも全然足りないし、やっぱり複数人で、しかも何回もいろんな読み方をしていくことで、
正しいとは言いませんけど、バリエーション豊かな読み方に近似できるっていうところはあるでしょうから。
2回読む、3回読むとかは全然ありでしょうね。
全部覚えてしまったら、それはそれでまた読んだとは言えないっていう気がしますからね。
読書会の運営方法
書いてあることを一言一句。
確かにね。読むっていうのは解釈なんで、距離があるんですよね。テキストとの距離があるもんで。
これも距離の問題か。近づきすぎると読んだとは言わないでしょうね。暗記したですからね。
概念化できていなかったら読んだとは言えないけれども、読んだ場合絶対どこか欠落するので、だから人と違うはずですよね。
欠落が一人一人違うんだからこそ面白いんですね。
同じ方について語り合うことの面白さっていうのは、その欠落の違いに起因するんでしょうね、きっと。
どうやって概念化しているのかみたいなやつですね、人が。
そうそう、どこを焦点にしているとか、どういう言葉にしているのかっていうのも。
ここ面白いと思ったんですよねってね、まあ重ならないんですよね。
不思議なことに。
そうですね、直近で言うとノイズの話とか、俺一番面白かったのは図が書いてあったやつですからね。
あれは著者として見事だと思う、書き手として見事だと思いました、僕も。あれは上手いなって思いました。
最初の的の図とその後に出てきた四角と三角の図みたいなやつが一番すごいなって思ったんですけど、
言ってみたら倉下さんは四角とのやつとか何も触れなかったじゃないですか。
MSE?
はい、そうそう、その辺は風雲で進んでいったところなんで、そこは。
そうそう、だからやっぱり全然違いますよね、もう明らかに。
そういうとこが浮かび上がる、だからその意味で、二人が読んだ本を二人で喋るべきなんかな、もしかしたら。
設定として、やったことないから分かんないけどやってみてもいいかもしれないですね。
その役割分担がどうしたらいいか分からなくなるかもしれない。
知らない手でいくのももちろんいいんですけど、お互いが知ってる手で喋ってもそれはそれで面白いかもしれないですね。
そろそろ同じパターンが繰り返されているからパターンを変えてみるという意味でもちょうどいいのかもしれないですね、そういうのも。
あとはブックカタリスト読書会をどうしていくのかということですね、だからこういう話を今受けて。
そうですね、ちょっと思いつきなんですけど課題本システムというので、以前に話したやつとかを特別会とかはいいかもしれないですね。
なるほどね、人数はだいぶ少なくなるでしょうけど。
聞くだけでももちろん当然全く問題ないので、手を挙げて喋れるのが4、5人ぐらいかな、10同時に参加するとちょっとごちゃごちゃになってしまうので、
っていう感じにはなるかもしれないんですけど、それはそれで、それもやってみて考えようぜっていう。
そうですね、新書とかを題材にしてできれば式を下げてっていう、ライティングの哲学とかいいじゃないですか、逆に今読まれたら読んでる人多そうですけどね。
読書会の新たな展開
そうかもしれないですね、それこそ希望とかアンケートとかも含めて考えてみる、見てどうするかですね。
そうですね、という問題提起をしたかった本でした、今回は。
そうか、読書界、本を読むということについて言ってみれば、ちょうど1年ちょいぐらいブックカタリストをやってみて、いろんな考えが変わったりとかもあって、
今は確かに一人で読むということしか全くやっていなかったんで、ブックカタリストを含めたら一人ではないのか。
ブックカタリストを説明するために読むっていうのと、回に間に合わせるために読む動機づけが生まれるという意味で、やっぱり一人で読む読書とは違うでしょうね。
話せるようにしようとすると、むずいというか苦労が多いですからね。
とか、そうですね、自分の場合で言うと読んでるやつを話すとしたらどうしようかっていうのを考えて読むとかはあって、きっとじゃなく、間違いなくそれは良い方向に作用してると思いますからね。
むかしは、最初言った孤独読書感を持ってた時は、それって動機が歪められてるとか、本をまっすぐ読めてないような感じがしてたんですけど、そんなこともない。
本の土壌がそんなに弱くはない。どう読もうがやっぱり本は本やなっていう感じですね。
さらに言うと、やっぱり人間は一人では生きていけないというのは、遺伝子的にそういうものらしいですからね。
間違いないです。
一人の時間は必要かもしれないけれども、それだけではきっと成立しないであろうから、そういう意味でも、やっぱり語る人と読書を共有するというのは考えてみてもいいのかもしれないですね。
こういう本が出てるってことは、各地でも読書界が少しずつ根付き始めているということだと思いますけどね。
逆にそういう人を増やさんと、読書業界というか、出版業界も厳しくなってくるでしょうから、両方の経済的にも文化的にも必要な行動じゃないですかね、きっと。
こういうインディー系の本屋さんが生き残る一番のパッと思いつく方法は、こういうイベントをやることでしょうしね。
おそらくはそうだと思いますよ。
その距離感を近くして買ってもらってっていうので、それだけでなんとかなるとは思わないけれども、それは一つの方法としてきっと考えないといけないし。
やっぱり動機づけが生まれ、本を読む動機づけを生むっていう一番強いですよね。
つまり本を買わせるだけなら、そんなにマーケティングで済みますよね。
でも本を読ませるのは別の綱引きが必要じゃないですか。
やっぱり読んでもらわないとどうしようもないですよね、本って。
だから読書界が一番強いですよね。
こういう本屋とイベントの組み合わせで一番強いのがやっぱり読書界だと思いますね。
まあね、課題問方式も悪いだけかと思っていたけど、言われてみたら、自分が読まない本を読めるきっかけになるのかもしれないっていうのはありますからね。
読んでみて面白くないってこともあり得るでしょうけど、でも意外な発見も当然。
それはそれで良かったんじゃないかっていう気もして。
確かにね、確かにそうやな。読んでみて面白くないっていうのと、面白くなさそうでは全然違いますよね。
だいぶ違うと思う。
確かに。
という感じで、ブックカタリストの読書会も今は毎月最終金曜日かな、の夜にもやっておりますので、
サポーターの方向けの特典としてサポーターご加入などもご検討いただければ、
ブックカタリストを末永く安定して運営していくためにも、
このサポーターの方というのは非常に重要だったりもしますので、
その辺りも含めてご検討いただけましたら幸いです。
あと感想や質問などがあれば、
ハッシュタグカタカナでブックカタリストをつけてツイッターでつぶやいていただけると、
ゴリゴとクラシタが確認して紹介しようと思いますので、そちらもよろしくお願いします。
はい。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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