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雑踏一人会です。今回は、なぜ文学を読むのかという話をしたいと思います。
前回のネッククーラー、寝本ってどうなの?という回で、
ひろしさんからBGM変わりましたね、というコメントをいただいています。
BGMについては、今までSpotify for Podcast、旧Anchorですね。
Anchorが用意してくれてたBGMをそのまま使ってたんですけど、
それがついに使えなくなって、BGMをネットで探して使っていいやつを使ってます。
というわけで、今回の文学、なぜ文学を読むのかという話に入りたいと思います。
文学以外にも本は全然読むんですけど、新書とかエッセイとか旅行の本とか経済の本とか、
ノンフィクションとか日記本とかエンタメ小説とか、
ただその文学はその中でも結構多い方かなと思います。
全体の3割ぐらいは文学なんちゃうかなぁと。
ただ本自体をそんなすごい読むわけではないんで、
その中で文学を好んで読んでるっていうぐらいです。
その他の7割っていうのは今回置いといて、
文学だけにフォーカスして、なぜ文学を読むのかという話をしたいと思います。
それはもちろん面白いからっていうことなんですけど、
どういう文学のどういうところに面白さを感じてるかみたいな話ができたらなと思います。
僕にとって文学を読むっていうのがどういうことなんかとか、
そういうことを振り返っていけたらなぁと思ってます。
文学の定義とテーマ
ではまずその導入として、文学って何なのかみたいなことにちょっと触れておきたいなと思います。
文学っていうのはその小説の中のジャンルの一つですね。
日本では純文学っていう言葉があったりしますけど、
それだと思ってください。
日本だと文学賞っていうのがあって、純文学と大衆文学みたいな感じで言葉が分かれてます。
芥川賞が純文学の賞で、直木賞が大衆文学の賞とか言われてますけど、
その明確な定義みたいなのは僕はあんまり知らないです。
だから今ここで文学とか純文学とかって言っても、そういうなんか学術的な話とかではなくて、
僕が勝手に思ってることなんで間違ってると思います。
多分。
だから僕がどういう作品を文学としてラベリングして喋ってるかっていうだけをここで話します。
その僕が思う文学、僕が読んできて、これは文学だなと思って読んでた作品っていうのが、
その作品テーマですね。
テーマであったりとか描かれてることだったりっていうのが人生だったりとか、
あとはこの世の中のことだったりとか、そういうのを理解する手がかりになるような、
そういう作品が文学だなと感じます。
そのまま書いてるわけではなくて、手がかりになるような作品ですね。
例えばその生きるとはどういうことなのかとか、
人間のこの人生にまつわる根本的なことを描いてたりとか、
この世の中の普遍的な真理であったりとか、そういうのを描いてる作品。
だから文学、小説なんで物語なんですけど、
その説明とかするわけではなくて、物語を見せることによって提示しているっていうのが文学なのかなと思います。
例えばですね、ミステリーとか、推理小説とか、事件を解決したりするようなことって、
人生とか描いてないんですよね、別に。
人間とか目的が違うんで、ミステリーは事件を解決するとか、
そういうからくりを見せるとか、楽しむために書いてるんで、
具体的な文学作品の紹介
そういうのは僕の中では文学とは思ってないですね。
もちろん登場人物が出てきたりとか、登場人物の人生とかは出てくるんですけど、
それがこの本のテーマではないんで、そういう作品っていうのは僕の中では文学に該当しないです。
文学どういうのかっていうと、そうですね、
例えばそのノーベル文学賞とかを受賞した、和尾石黒の日の名残りとか、
私を話さないでとか、すごい有名な作品なんですけど、
この辺はすごい人間の人生についてかなり真に迫った物語を描いてます。
例えばその日の名残りっていうのがどういう小説家なんかっていうことを軽く簡単に紹介しておくと、
日の名残りは第一次世界大戦の終戦から第二次大戦にかけての時代のイギリスが舞台になってます。
このとある屋敷の執事が主人公です。
名前忘れたな、ちょっと忘れましたけど、なんか屋敷ですね。
ダストンホールかな、そういった感じの名前だったと思うんですけど。
その執事はその屋敷と主人に仕えながら、自らの仕事ぶりを磨いてます。
すごい仕事小説なんですね。
いかにしてパーティーをさばくかとか、そういう執事としての長寿みたいな、長寿じゃない、強寿みたいな思い描いてます。
ただその仕えてた主人っていうのが、そういう戦争があったりとか、時代に翻弄されて没落してくるんですね。
貴族だった主人が没落していくんですね。
屋敷が戦後になって、新たにアメリカ人の金持ちに買われて、主人公は新しい主人にまた同じ屋敷の執事として仕えます。
それまでずっと仕事しかしてなかった主人公が自分の人生を振り返るんですけど、その休暇をもらうんですね。
新しい主人に仕えた時に、ちょっと休暇をあげるから休んでいきなよみたいな感じで旅行するんですね、主人公は。
その以前に同じ屋敷で仕えてたメイド長の人に会いに行くっていう、その道中で過去を振り返るっていう、そういう物語です。
そこでどんな話になるかとか、どんな人生とかどんな人間を描いてるかっていうのは、読んでみて確認してください。
僕はこの小説最初読み始めた時、どんな話か全然知らずに読んだんですけど、執事が主人公って分かった時点で、
執事が主人公の物語って面白いのかと思いながら読み始めたんですけど、
まあまあすごい良かったです。
あんまりそこの誰が主人公とか、舞台がどうとかっていうのもそんなに気にせず、
馴染みはないんですけど、気にせず読みました。面白かったです。
私は話さないでっていう小説の方は結構有名で、映画化されたりとか、日本で綾瀬遥が主演のドラマになったりとかしてたんですかね。
私見てないんですけど、こっちはちょっとネタバレ要素が強いんで、内容には触れないんですけど、
子供時代に特別な施設で育った子供たちが大人になってから、その子供時代と青年時代を振り返るっていうような話です。
これもすごいなんていうんですかね、爽快感みたいな全然ないんですけど、何やったんやと思いながら読めます。
そういう物語でした。
文学の楽しみ方と文学と他のアートの比較
そのね、この物語に明確な答えがないっていうのは多分文学の特徴なんだと思います。
これ日の名残もそうなんですけど、ぼんやりしてるんですね。結末というか、終わり方というか。
これでちょっと思い出したんですけど、絵の話かな。絵の話で、アートっていうのは問いであって、デザインっていうのは答えなんだみたいなことをどっか聞いたことあったんですけど。
絵っていうのは絵画ですね。絵画の話ですけど。文学もこの場合、アートなんですね。
っていうことはその答えはないんですよね。問いがあるんですよね。そこにたった単に。
だから読んでもわかんないんですよ。答え書いてないんで。
ただここが僕が文学を好んで読む理由の一つでした。
僕個人の趣味思考として、その問いを投げかけられて考えるのが好きっていうのがありました。
これは今まで考えたことなかったんですけど、思い返してみるというか、こういう当てはめてみるという感じで思いましたね。
だからわからないもの、その問いかけを提示されて、それってどういうことなのかなと考えることに、ある種ゲーム性みたいなものを感じて遊び感覚で楽しんでます。
だからこのはっきりした正解があるものよりも、自分なりにこうなんじゃないかなって仮説を立てて、それっぽい答えを考え出すっていうこと自体が僕は楽しんでるんですね。
そうなってくると、答えわかってしまうと興味なくなるんですよね。
あとはもう答え知ってるやつとか、見たことあるものとかもあんまり興味を持てないです。
その文学と対照的にエンタメ、アートの対象ですね。
エンタメ文学と大衆文学
アートの対象、デザインって言いましたけど、絵画の場合はデザインなんですけど、そのエンタメ文学では娯楽、エンタメ娯楽の物語があります。
大衆文学っていうのがそういうやつですね。そこにはだいたいちゃんとわかりやすい結末とか答えが書かれてます。
エンタメ小説、娯楽小説とかで、わかりやすい結末とか答えがない作品だと読者に怒られます。求めてないんで、そういうの。
ちゃんとすっきりさっぱり解決して、後味悪くなってもちゃんと完結するっていうのがエンタメに求められてるもんだと思います。
その文学みたいに、お前はどう思う?みたいに言われて終わるとか、そんなのはエンタメだと思って読んでた読者はもう怒りくるんじゃないですかね。
それで違いがあります。どっちが好きかっていうのは多分好みだし、この物語やったらちゃんと答えがあった方がいいとか、
この物語は言ってしまうと教座めやとか、そんなのもあるかもしれないですね。
あとは普通に物語を読むっていうことが、文学読んで他人の視点で世界が見えるっていう、そういう面白さがあるかなと思います。
文学は小説なんで、基本的にフィクションなんで、現実の世界をそのまま本読んで見れるっていうわけではないんですけど、
物語を通してそこにあるかもしれない、そこにあるかもしれない、そこにあるとも知れない世界、自分の中にはない世界に入っていけるっていう楽しみがあります。
文学作品を読んで、そこで生きてる登場人物と自分が友達になれるような気がしたりとか、
これは別に文学に限らず漫画とか映画とかドラマとか、娯楽作品でも全然あると思います。
共通してっていうところですかね。ただ僕は文学作品読んでて、時々自分と同じ疑問を抱えてたりとか、その先に行ってる登場人物に出会ったりすることがあります。
その登場人物とかに共感することで、自分の中に抱えてた疑問だったりとか問題っていうのがはっきりしてきたりとか、
あとその登場人物の葛藤とか試行錯誤とか行動とかが、ある種自分の実生活のヒントにつながったりとか、そんなのもあったりしますね。
これも文学に限ったほどではないと思うんですけど、その辺で娯楽作品と文学の違いってなってくると、深さとかになってくるんで、あんまり名言できないんで、どうかな。
結構深掘りしていくっていうのが文学の特徴なんかな。例えばですね、僕が好きな小説でサリンジャーっていう作家のフラニーとゾーイっていう作品があります。
サリンジャーの作風の一つとしては、疑問に満ちた世の中が許せなくてうまく向き合えない若者っていうテーマがあります。
そのフラニーとゾーイっていう小説では妹のフラニーと兄のゾーイっていう兄弟なんですけど、大学生の妹のフラニーが周りの人が嫌すぎて閉じこもってしまうっていう、そういう冒頭があります。
フラニーとゾーイにはもっと上のお兄さんがいて、シーモアっていう兄がいるんですけど、そのフラニーとゾーイの兄シーモアは清く正しすぎる教育っていうのを妹たちにしてた、弟妹にしてたんですね。
それやけどシーモアっていうのは自殺してしまうんですね。バナナフィッシュに売ってつけの日っていう別の小説で描かれるんですけど、フラニーが閉じこもった時に、この世の中、聖諾ある世の中にうまく溶け込めないって言って。
それは兄シーモアの潔癖すぎる教育のせいだって言うんですね。このフラニーとゾーイっていう物語は、この下の弟、下の弟というか兄ゾーイが妹フラニーに対してどうやって世の中と向き合っていけばいいかっていうことを説得するっていうところで終わるんですけど、僕はそこがすごい好きで何回も読みました。
その部分だけでも何回も読みましたね。で、はっきり何言ってるかわかんないですね。だから何回も読むんですけど、これはなんか自分に必要なことが書かれてるんじゃないかと思って考えました。
こういう感じで、僕が文学を好んで読んでるっていうのは、なんとなく高尚に見えるとかかっこいいからとかそんな理由ではなくて、この世の中を生きるヒントであったりとか、そういうとこに面白さを生み出してると思いました。
だからその用意された答えを飲み込むっていうよりも、読んだそこに何かがあるっていうのを自分で見出して、そこから考えるっていう過程が、この文学を読むっていうことでは大事なんかなと思ってます。
知識とは情報じゃないんですね。文学の読書っていうのは体験だと思ってて、それが読んでる間だけじゃなくて、読んだ後から始まる体験、あれは何だったんだろうってそこから考えるっていう、それが文学の魅力かなと僕は思ってます。
というわけで今回はこれぐらいにしておきます。何かご意見とかあればコメントいただければ読み上げますんで、よかったらどうぞ。