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2021-12-13 39:43

第65回 生きづらさの中にある美しさ「地上で僕らはつかの間きらめく」オーシャン・ヴォン著

spotify

【今回の紹介本】  

■『地上で僕らはつかの間きらめく』オーシャン・ヴォン著、木原善彦訳  

今回紹介するのはベトナム系移民の自伝的小説!  

母と祖母とベトナムからアメリカに渡ったリトルドッグがニューヨーク大学に入るまでを描く、 

 痛みと生きづらさ、それゆえの人生の美しさを描いた力強い一冊です。  

是非お聴きください!  

【番組内で紹介したトピック】  

■『地上で僕らはつかの間きらめく』オーシャン・ヴォン著、木原善彦訳 新潮クレストブックス  

https://www.shinchosha.co.jp/book/590173/  

【文学ラジオの一年を振り返るZOOMオフ会】  

12月30日14時~(1時間半か2時間を予定)  

※詳細決定次第、申込フォームを作ります。少々お待ちください。  

 公開収録あり、参加者との質疑応答、参加者同士の交流あり(会話をしたくないという方のために代替えコンテンツを検討しています)  

 できるだけ多くの人と交流したいので、皆様是非ご参加ください!  

【2022年1月企画】 

 年始企画! 

 ①メッセージ・リクエスト募集! 

年始の回で、お便りを読み上げるのでメッセージを募集! 

こちらから応募ください! 

https://forms.gle/2iRMripjapVozz8o8  

②ベストエピソード投票!  

来年もやります、ベストエピソード投票!  

2021年配信されたエピソードの中から一番よかったものを選んでください! 

 応募期間は1月1日~14日になる予定です!  

【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

毎週月曜日朝7時に配信しています。

【SNSでご投稿ください】

番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください!

よろしくお願いします!

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■ダイチ「小説家が好き!の会」

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■ミエ「羊をめぐるカフェ」

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#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

00:03
どうもみなさん、こんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。
お相手は、私小説が好きの神野大地と、
寿司をめぐるカフェのミエの二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
番組概要欄に詳細情報を記載しているので、初めてお聞きになる方などそちらを見ていただけるとありがたいです。
本編入る前に、いくつかお知らせがあるので、ちょっと長くなるかもしれませんが、聞いていただけるとありがたいです。
12月30日14時からですね、ちょっとまだこれ予定なんですけど、オンライン忘年会のようなものを開催しようと思っております。
これはみなさん、ちょっとリスナーの方々にご参加いただき、人数制限は特に設けないので、来たい人が来てもらって、企画はまだ検討中なんですけど、2時間ぐらい。
我々の1年の振り返りとか、みんなでちょっと交流とかできたら面白いなと思ってますので、振るってご参加いただければと思います。
よろしくお願いします。
お願いします。
はい、2022年年明けにですね、リスナーの方々からお便りいただいて、それにお答えする回と、ベストエピソードをまたちょっと募集しまして、
みなさんが今年紹介された本の中が一番良かったと思ったエピソードをですね、投票していただいて、またそれについてちょっと発表する回というのを設けたいと思います。
これ、今年も初めやってたと同じことですね。
詳しいことは番組概要欄に書きますので、フォームなんかはそちらでご確認いただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
お願いします。
じゃあ、今回紹介する本は、地上で僕らは束の間諦めるという本になります。
こちらはですね、前回ゲストのフッカーさんからのお勧め本でありまして、かつ我々も最近身長クロスボックスやべえみたいな話がちょっと出てて、
あの、候補になってたんですよね。
そうですね。もともと注目はしていて、候補になっていたんで、ちょっとフッカーさんからの紹介もあったんで、これは今がタイミングかもしれないと思って、ちょっと読んでみましたね。
めっちゃ良い本でしたね。
良かったですね。
今回紹介するのは、オーシャンボンが書いた地上で僕らは束の間きらめくになります。
木原芳彦さん役で身長クロスボックスから2021年8月に出版されています。
ちょっとあらすじ行く前に、タイトルがやっぱめっちゃ良いですね。
なんかすごく詩的な言葉がタイトルになっていて、タイトルからちょっと雰囲気を感じます。
これは名役ですよね、このタイトルにしたのは。
本当ですね。
で、またちょっとすごく表紙が綺麗です。
なので書店ぜひ見てもらいたいですね。
じゃあちょっとあらすじ、私の方から行きます。
幼い僕を連れ、母は祖母と共に太平洋を渡った。
戦争に人生を狂わされた祖母と、新天地アメリカでの生活に翻弄される母。
二人の苦難は少年の僕にも影を落とすが、ある年上の少年との出会いによって僕は初めて生きる喜びを知る。
アメリカ文学の新たな才能による痛みと美しさに満ちた自伝的長編となっております。
03:04
この小説なんですけども、この作者のオーシャンボンがベトナムからの移民になるんですよね。
生まれはベトナムなんですけど、すぐにお母さんとおばあちゃんと一緒に太平洋を渡ってアメリカに来たという、
そういう経歴になっていて、移民の人が書いた小説になります。
ちなみにニューヨークの大学で文学を学んでいたんですけれども、
この作者の失聴家のベンラーナという、これもまたアメリカのすごい注目をされている作家で、
日本でも白水舎から十字四分という小説が出ていて、
これも役者が同じく木原義彦さんで、この辺の繋がりも面白いなと思いました。
ベンラーナめっちゃ読みたいんですけど、読んでないんですよね。
僕もそうですね。買ってはいて、ちょっとパラパラめくっていたことあるんですけども、
ベンラーナの文章はすごい良くてですね。
ベンラーナもまたちょっと普通の小説とは違うような、書いてる人で、
またいつか読みたいなと思って、ちょっと時間が経ってしまっているという。
十字四分っていうのは結構名作だとは聞いてるんで、必ず読みたいなとは思ってるんですけどね。
この作者はまだ1988年生まれの若手作家になっていて、
当初は詩人として有名になったと。
詩人として脚光浴びたと。
ただその後、小説も書いて、今回初の小説になりますね。
やはり詩を書いてきたというところで、この作品でも詩的表現が多くて、
そこにすごく引き込まれる特徴がありますし、
あとはアメリカでもすごく評価されていて、
この小説も2019年アメリカで出版されて、ベストセラーになってますし、
向こうでマッカーサー財団という、天才奨学金と呼ばれるものがあるんですけど、
そこにも選ばれているという、すごくこれからどんどん活躍していくんだろうなと思う、
若手作家のデビュー小説になります。
この天才奨と呼ばれているマッカーサー奨学金なんですけど、
トマス・ピンチョンとかリチャード・パワーズとかがもらってた、
あとウィリアム・ギャレス、
あまり有名度があるけど、JRの人ですね、とかもらったって。
あ、そうなんですね、でもすごいですよね。
今大地さんが言った作家って全員、木原義子子さん役してるんですかね。
そうなんだよね。
なんかこの辺にやっぱりあるんですかね、木原さんの担当みたいな。
いやでもね、木原さんの役じゃないとなかなか辛いと思うな、
わかんないと思うんだろうな、リチャード・パワーズとか、JRとかは。
まぁあれですけどね。
今回の役、やっぱり役の質感がすごいですよね。
すごいよね、やっぱね。
木原さんだと、あ、なんかすごく安心感が。
06:01
わかります、わかります。
具体的に話していく前に、今回ベトナムからの移民の話だったり、
ここで同性愛もテーマに。
テーマというか、テーマってちょっと大きすぎるんだけど、
2歳年上の男の子と主人公が恋をするんですけど、
そういう同性愛の部分も描かれたりするので、
すごくマイノリティの文学だなと思ったんですよ。
って思ったんですけど、
なんか考えてるうちに、文学って全部マイノリティのものだなって思うように、
ちょっと今さっきなって、
文学ってこういう、こう描くからどうしてもマイノリティのものになるし、
それがこう、なんていうんですかね、
こういう経験をしない自分たちにも響くっていうのはやっぱりすごいなって、
ちょっと改めてこの本を読んで感じました。
そうですね、結構なんか文学とは何かっていう話をしてきたところではありますけど、
まさに本当にその文学の持っている力っていうか、
それをすごく感じる、なんかそういう小説でしたね。
じゃあちょっと具体的に話していきたいと思います。
まず最初にこの本の魅力とか特徴をちょっとお伝えしたいと思いますとですね、
この本なんですけど、
基本的にはこの息子が母に手紙を書いているという、
その手紙の内容という形式をとっています。
なんですけど、この母というのがベトナムから移ってきていて、
英語が読めない、文字が読めないという、
多分これ自伝的小説なので事実だと思うんですけど、
なのでこれは母に向けて書いてあるんですけれども、
その母が読むということを想定していない形をとっています。
この形式がかなりいいなと思わせる部分でした。
真実の語りというか、
すごくセキュララに自分の心情を描いていて、
そこにこのアオーシャンボンの抜き出しの歓声みたいなのが乗っかってきて、
それだけでこの小説がすごく輝いていてですね、
すごくぐっと迫ってくる小説でした。
そうですね。しかも母さんももちろん出てくるんですけど、
おばあちゃんも出てきていて、
ベトナム戦争を経験した親子、3世代の物語にもなっていて、
その記憶というのも作者が手紙の中で紡いでいるというのがあって、
本当にそういうセキュララな語りとかもそうだし、
この3体にわたって経験してきたこと、
記憶として残されていることも書かれているというところで、
そこもまたすごく迫ってくるものがありましたね。
おばあちゃんが結構苦労していてね、
お母さんもそうなんですけど、
おばあちゃんの話が結構迫りますよね。
やっぱりね、戦時中というのもあったというのもそうですよね。
あとこの小説は3部構成からなっていて、
1部が少年時代、2部が年上の少年と恋に落ちて、
その精神的な部分もそうだし、
身体的なところとかでも欲望を知るという、
09:01
そういう青春時代の話になっています。
最後の3部が主人公の少年がニューヨークに行って、
その自身のキャリアですね。
これから主人作家となっていくんですけど、
そのキャリアを始めるパートになっています。
ただこの3部に共通しているのが、
この主人公、作者自身ではあるんですけど、
常に生きづらさというのがあって、
そういうのを抱えながら生きようとしている姿が描かれているので、
やっぱり読んでいてもずっと目が離せない展開というのが続いていくかなと思いました。
ベトナムからの移民というのに加えて、
同性愛というアイデンティティがあるので、
それに対していろんな葛藤というか、
自分の感情とか心を見つめる描写がすごく多くて、
それがすごくいいですよね。
そうですね。
また、こういう描写の一つ一つが、
本当に詩的な表現がされていて、
そこがすごくいいところで、
小説なんですけど、
本当に切り取ると詩として成り立つんじゃないかと思うような、
すごい繊細な言葉で書かれていて、
本当にこういった言葉にグッと詠わされている。
この辺、さすが詩人が描いただけあって、
その瞬間瞬間の感情とか感性というのがすごく切り取られているし、
それを大切に描かれているというか、
描かれているというのが本当に感じるので、
読んでいても、読んでいる側もすごく自分の体が痛みのところとか、
そういうのは本当に自分の体にも痛みを感じるような、
引きつけられるような思いがする。
それぐらい言葉の力というか、思いというかするのがあるなって感じました。
読んでいるところ痛くなる、心が痛くなる瞬間とかすごいあって。
結構、そうそう、多いですね。
でも、私、読んでいる最中、気になるところとかいいなと思って付箋したんですけど、
結構付箋が多くなっちゃいましたね、今回。
確かに確かに。
ちなみに私も一番最初に付箋したのは13ページで、結構早い段階で。
本当ですね。
ここちょっと、蝶の話が出てくるんですけど、ちょっと読ませてもらうと、
蝶の話で、だからそれはいつも戻ってくることのない涙。
ただ子供が戻ってくるというだけ。
ただ未来が過去を再放するというだけ。
この最後にも未来が過去を再放するっていう言葉が、
すごいワッと思ってパッとありましたね。
いいですね。
いや、なんかこういう言葉の使い方って。
そう、上手いよね。
すごいですよね、本当に。
こういうのが本当にたくさんあって、
僕も最初42ページですね、最初に付箋したのは。
ここでちょっと言語について触れられているんですけど、
だから僕たちの母語は、実は全然母親ではない、むしろ子児だ。
僕らのベトナム語はタイムカプセル。
どこで教育が終わったか、敗因になったかを示す標識だ。
母さん、僕らが母語で喋るということは、ベトナム語でベトナム語を喋るというより、
12:02
戦争を語るということなんだというところをですね、
これもすごい名文だなと思っていますね。
確かに。
すごい名文ですね、俺すぐ知るよ。
母語っていうのがベトナム語になるんですけども、
ご出身がベトナムなので、
それを言葉を使うということは、
ベトナム語を喋っているんじゃなくて、戦争を語っているんだという力というか、
すごい特別なものを感じる言葉です。
記者の言葉を味わうだけでも、
全然読む価値があるというか。
そうですね、結構全体的に静かなトーンで書かれていると思うので、
何か余計に響くものがあるなと思いましたね、読んでいると。
確かに評価される作家ですよね。
そうですね、すごいわかりますね。
じゃあちょっと具体的にストーリーの話をこれからしたいと思うんですけれども、
ストーリーはですね、一部二部三部とあるんですけれども、
詳細に話してもあんまりこの小説の魅力は伝わらないかなと思うので、
ちょっとザクッと概要だけお伝えします。
ちょっと今まで聞いてもらっている通り、
読むとこの作家の感性みたいなのがすごくて、
それを読むっていうのが、
多分この小説の楽しみ方なんだろうな、味わい方なんだろうなと思いますので、
ちょっとストーリーはサクッといきたいと思います。
こちらなんですけど、一部はですね、
母に向けて書かれた手紙であるということが明かされた後に、
主人公の少年時代のことが描かれます。
主人公はリトルドッグと呼ばれているベトナムからアメリカに渡った移民です。
これは母が彼と祖母を連れて渡りました。
おばあちゃん、祖母の名前はランという名前です。
母の名前はバラの意味を持つホンという名前です。
おばあちゃんはアメリカ軍に対しての戦時中ですね、当時売春婦だったんですけれども、
この時に自分が取ってた客ではなく、
たまたま飲んでた時にバーで言い合わせたアメリカ人ポールと結婚します。
その間に生まれた母はベトナムからですね、
幼い子供とこの主人公であるリトルドッグと祖母を連れて、
アメリカのコネチカット州のハートフォードへ移り住みます。
移り住むんですけど、母はいろいろストレスもあったのか、
何なのか、結構このリトルドッグに家庭内暴力を振ります。
リトルドッグはそれに対して耐えたりもしてたんですけど、ある時辞めると言うと、その後は亡くなったりしました。
この母なんですけれども、読み書きが全くできないので、
そのことがですね、きっと彼女をさらに追い詰めていたんだと思います。
もちろんこのベトナムから来たリトルドッグもですね、
アメリカでは馴染めずに学校ではいじめられて、
そういうかなり生きにくい状況というのが一部で描かれます。
一部読んでいると、この親子、おばあちゃんも含めてですけど、
アメリカですごく生きにくそうだなと、本当苦労してるんだなというのが描かれてますよね。
本当はね、アメリカで何とかしようと思って移り住んできたのにね、
15:02
何というのかな、あんまり出口のない生きづらさを抱えてこんでしまうようになっちゃいましたね。
特に一部の最初の方かな、
この少年自体は結構ね、お母さんに殴られたりしていて、
そういう暴力を受けていたというのがあって、
そういうところもまた読んでいて、辛いところでありましたし、
学校ではいじめられるし、
お母さんも精神的に来ているところがあるんで、
なかなか自分の余裕がなくて、自分を構ってくれるっていうのは難しいというので、
ちょっと大変な状況だったんです。
でも、そういうちょっと読んでて辛いなって思うところが多い一部だったんですけども、
ちょっと途中というか後半ですね、一部の。
そこで主人公からお母さんへの手紙という、そういう要素がちょっと出てくるんですけど、
そこからすごくお母さんへの愛情というのを感じるようになって、
登場人物に対しての印象とかその辺も変わってきました。
この母とこの関係っていうのは最初よくわからなかった。
ちょっとなかなか捉えていいかわからなかった。
でもすごく愛情で結ばれている体なんだなというのは。
そうですね。
お母さんとかおばあちゃんとかの歴史もこの後どんどん語っていくんですけど、
そこでやっぱりいろいろ思うところがたくさん出てきましたし、
この一部でちょっと印象的だったのはタイガー・ウッズのエピソードですね。
本筋とはちょっと違うんですけど、ベトナム戦争ですね。
おばあちゃんに経験していた、そこに絡んでくる。
タイガー・ウッズのお父さんもベトナム戦争に参加していたり、
そこでエピソードが実はタイガー・ウッズの名前の由来にもなっていて、
こういうところも本当に分量としては少ないんですけども、
すごく印象に残るところで、タイガー・ウッズの名前の由来に感動します。
読んでいて泣きそうになるような。
いいエピソードですね。
結構この昔の話が差し込まれながら一部は、
読んでいるといろんな話が行ったり来たりするからちょっと混乱したりするけれども、
ちょっと注意して読まなければいけないかな。
リトル・ドッグが14歳になっていて、
14歳の夏ですね、彼は母に黙ってタバコ農場でアルバイトを始めます。
そこで知り合った2歳年上の男の子、トレバーという男の子と恋をします。
ここでゲイとしてのアイデンティティーが結構通説に描かれます。
彼との恋を通しても、生きづらさみたいなものが描かれていて、
ここでは生きることとか欲望を充実させることに関しての美しさを描かれていて、
結構彼の中でもいろんな変化があったんだろうなというのが感じ取れる部でもありますね。
18:03
このトレバーなんですけど、これは普通の白人の男の子なんですけど、
彼もトレーラーで父と2人で暮らしているんですけれども、
この関係があまりうまくいってません。
彼はトレバーは父を結構憎んでいるというか、よく思っていない。
このトレバーもリトルトとはまた違う種類かもしれないんですけど、
生きづらさを抱えていて、結構薬に逃げたりしています。
この2人の関係は、互動だけで繋がっているようにも見えるし、
真の心の支えのようになっているようにも見えます。
でも結構儚い感じがして、
そんなに長く続かないんじゃないかなと思わせるような感じがありますね。
でもこの瞬間、お互いを必要としている人は間違いなかったんじゃないかなというようなことが描かれます。
続けて3本の話をしますが、
これはリトルドッグがニューヨーク大学へ通うために、
コネチカット州から出てくるところから始まります。
彼はですね、文学を志して、
詩人を目指すようになっていくというところが描かれていきます。
それでいろんな話が展開して、最後終わるという流れですね。
ざっくりですがこんな感じですね。
特にリブの方ですけど、
主人公がお母さんとの関係というか、絆というか、
そういうのがすごく深まっていくところっていうのも感じれて、
ただ同時にやっぱり一部ともつくんですけど、
アメリカ社会で生きていくのは大変というか、
結構ね、みじめな思いをしながらも生きていっているっていうところもあって。
母との関係でいうと、結構自分印象に起こっているのは、
自分がゲイだということを告白するシーンがあるじゃないですか。
ここが結構刺さりましたね。
お母さんが抱きしめてくれる。
いろんな話があった後なんですけど、
ここは結構、すごい良かったですね。
お母さんの存在がすごく大きいんだなというのを感じましたね。
特に一部、二部、三部というので、
本当に人と人の繋がりというか、
おばあちゃんもそうですけど、
何を生きていく上で大切なものかというのが、
そういう意味ではフォレバーの方ですね。
フォレバーはお父さんと暮らしているんですけど、
すごく閉塞感がある生活をしていて、
僕はそれアメリカらしいかなと思ったんですね。
アメリカの田舎の方の閉じた空間というか、
出て行きたくても出て行けない感じというか、
その空気感は、映画でギルバート・グレープというのがあったんですけども、
90年代に映画でジョニー・デップとゲトプリオが出ていたやつなんですけど、
結構そういう映画の田舎のアメリカの方がすごく近いなと感じました。
ギルバート・グレープ、見ようと思って見てなかった。
もう今は。
話聞いてちょっと眠てしみを。
21:02
これもめっちゃいい作品だと思いますね。
すごい良かったですね。
ストーリーの話はこの程度にして、ちょっと他の話をしていきたいんですけど、
その前にこのタイトルですね。
日常で僕らは束の間きらめくっていうタイトルの意味なんですけど、
これが結構ラストの、ラストのラストじゃないんですけど、
ラスト近くに出てきまして、
ラスト付近にタイトルの意味に繋がるような文章が出てくるんですけど、
小説の締めくくりのような文章で、
この文章だけですごい感動するっていう。
このタイトルすごかったなって思います。
文章内容はちょっと読み上げませんが、
自分のこの人生っていうのが、
本当一瞬のきらめきなんだろうなっていうことを感じさせてくれる文章で、
なんかこの本を読んでる時に、
すごく詩的なんで美しさみたいのが感じるんですよ。
でもその美しさって何なんだろうなみたいな。
なんで美しく感じるんだろうみたいなことが、
この最後のこのところで読むと、
納得感があるというか、
すっと入ってきてて、
これすごいなって、
最後のところなんですけど、
すごく感じましたね。
本当にこのリトルドッグが描いているこの人生と彼の環境っていうのは、
全くこれを読んでる自分とは全く違うんですけれども、
同じような生きづらさっていうのをずっと感じながら読んでいたので、
やっぱり自分の心の中にどっかに引っかかる、
生きづらさなんだろうなと思いました。
ちょっと生きづらさについては後で話すかもしれないですけど、
本当この束の間きらめいているだけなんだなと思いましたね。
古典ラジオを聞いてるんですけど、
古典ラジオじゃなかったかもしれないですけど、
深井さんっていうパーソナリティの方がいるんですけど、
古典ラジオの。
深井さん今いくつもポッドキャストやってらっしゃるので、
多分どれかで言ってたんですけど、
歴史を見ていくと、
本当にその時人間はこうなろうと思って、
こうなってるわけじゃなくて、
本当その時その時エネルギーを発してるだけなんだっていうことを
すごく力説していて、
それを聞いて、
その言葉をこの本を読んで思い出したんですよね。
本当に人間ってその場所。
ちょっとその深井さんが言ったような歴史の
どっかの時代みたいな感じの。
人類全体っていう話だと思うんですけど、
人類というかその社会全体っていう話だと思うんですけど、
それと同じで、
いちこじんいちこじんが本当一瞬一瞬エネルギーを発してるだけなんだろうな。
だからなんかそこに生きづらさみたいなのもあるけど、
美しさもあるんだろうなと。
そんなことをちょっと感じましたね。
そうですよね本当に。
肌から見てると本当に大変な状況だと思うし、
本当に貧しくて生きていくのも本当に大変と思うんですけど、
でもこういう小説を全部読んでみると、
大変だけではないというか、
そんなのと全然違うところで、
やっぱりこの主人公が生きてきた力というか、
本当にエネルギーってすごく感じましたし、
それはもうおばあちゃんからそうだし、
24:02
なんかでもわかりますね。
今の話聞いて、
ちょっと関連するかもしれないなと思ったのが、
小説の中で269ページという結構終盤の方に出てきた言葉で、
この小説の中で一番好きな言葉だったんですけど、
僕は昔からずっと、
僕たちは戦争から生まれたのだと自分に言い聞かせてきた。
でも母さん、それは間違いだ。
僕たちは美から生まれた。
僕たちは決して暴力が生んだ果実ではない。
むしろ美の果実はその暴力にも耐えたんだという言葉があって、
本当に美しい小説だなという印象を持っているんですけども、
でもやっぱり作者が、というか主人公が、
こういったのは戦争から生まれたんじゃなくて、
美から生まれたんだって言っているところがすごくいいなって思いました。
そういう美があるから暴力にも耐えれたんだというところが、
すごいなと心に残りましたし、
生きる力を感じる文章だなと思います。
私もここ付箋張ってますね。
ここはもうすごい刺さりますね。
そうですよね。
彼の強さをすごく感じる文章だなと思いましたね。
飲み込まれないでいる。
彼の強さを感じる。
主人公だけじゃなくて僕たちっていうところが、
お母さんおばあちゃんもそうだし、
おそらくそういう戦争を経験してきた人たちの多くの人たちを指すんだろうなと思いましたし、
みんなにそういう美がやっぱりあるんだなって思いました。
すごいタイトルを付けて。
この流れで、作中で印象に残った場面であったり、言葉であったりというのを、
僕も大地さんもそれぞれあって紹介していこうかなと思います。
本当言葉なんですけど、
商品に残っているところが結構ありまして、結構最初の方なんですけど、
22ページなんですけど、
これまだちょっとこの本編が始まる前に、
助走の部分の話なんですけど、
ニューヨークにもいて、
勉強してるっていうところをちょっと描かれていて、
そこで描かれているのが、
図書館で毎日を過ごし、死んだ人が書いたよくわからない文章を読んだ。
その作者の多くは、きっと僕みたいな顔をした人間が自分の文章を読むなど思わなかっただろう。
ましてや、それが僕を救うことになるとは思っていなかっただろう。
という文章があるんですけれども、
すごい共感したってここで。
自分も海外の文学にめっちゃ救われていて、
海外でそれを書いている人たちは、
まさか日本のこんな島国の男が読んで、
すごい救われるって思っているなんて、
ついにも思っていないだろうなって思って、
すごくそこで共感しちゃったんですよね、この文章。
なるほど、面白いですね。
確かに確かに。僕もそうですね。
あとちょっとさっき、
お母さんにゲイであることを告白する時に出てきた文章なんですけど、
人が何かを告白すれば、
27:01
その代償として相手からの答えを受け止めなければならないのだ、
と僕は学んだっていうところもですね、結構多くて。
これ関係性の話なんですけど、
さっき言った通り、お母さんからも渡されるものがここにあって、
あ、そうでしたね。
これ結構ね、しんどいなって思うから。
でもやっぱりこの、
トロの試合っていうのは結構刺さりましたね。
私で続いて言わせましょうと、
結構最後でもないか、中盤過ぎくらいなんですけど、
222ページなんですけど、
お母さんに向けた話のところなんですけれども、
記憶は僕たちは忘れていないというのが真実だ。
めくられる紙の1ページは杖のない1枚の翼だ。
だから空は飛べない。
でも僕たちは心を動かされる。
っていう言葉があって、
多分これ本が好きな人にめっちゃ響くんじゃないかなと思って。
本は、紙の1ページは翼でもなんでもないけれども、
でもこれによって読み手の心がグッと動かされるっていうのは、
すごくいい文章だなと思って。
確かにこの文学が、
結局全部マイノリティの話なんじゃないかっていうのも通じるというか、
どれ一つとって同じようなものはないけど、
それが人の心を動かしていく。
一見孤独なものであったり、
何か価値ないかもしれないと思うようなものであったり、
でもそれが実はそうではないんじゃないかと。
確かにすごくいい言葉ですよね。
僕もそうですね。
ちょっと手前で217ページに出ていた言葉で、
僕は目の前で奇跡が起きると思って、
光る灰のそばまで這い寄った。
燃え尽きることのない紫。
でもそばまで僕の頭が光を遮り、
チューリップの光が消えた。
これも意味のない出来事だと僕は知っている。
でも意味のない出来事が全てを変えるなっていう言葉があって、
もちろんこの手前の出来事っていうのがあって、
そういう文脈があっての言葉ではあるんですけども、
意味のない出来事が全てを変えるっていう、
その一言がすごい良かったというか好きになりました。
すげえわかる。不正なってますよ。
あと最後に良かったなと思ったことが、
43ページの文章なんですけど、
僕たちにとって気遣いと愛情を最もはっきり表現するのは、
触れ合いを通じてだしら顔を抜いたり、
飛行機の揺れを吸収して怖がっている息子を安心させるために抱き寄せたりする行為、
あるいは今みたいに何おばあちゃんが僕を呼んで
リトルドッグこっちに来てお母さんを楽にする手伝いをしなさい
という時の言葉があって、
主人公は英語がしゃべれるんですけど、
お母さん、おばあちゃんは英語がしゃべれなくて、
でもベトナム語はできると。
でも僕はベトナム語がどこまで話せるのかというのがあって、
そういうちょっと親子関係なんですけど、
言語の壁があるという中で、
主人公、少年の時代なんですけど、
30:02
お母さんとかおばあちゃんの触れ合いであったり、
恋ですね、そういうことから愛情を確かめているというのがすごく伝わってきて、
その言葉っていう、
そういう愛情が伝わってくるような、
本当に書かれ方を知っている良い文章だなと思いました。
最後にこの本で描かれていることは、
結構息づらさとか息苦しさなんですけど、
その中に美しさがあるということが描かれているんですけれども、
この辺についてちょっと最後話して終わりたいなと思います。
この本を読んでて、
全然本当にリトルドッグと自分の置かれている環境というのは全然違うし、
一枚は全然自分たちのほうが恵まれているな、
日本のこの環境って恵まれているなっていうのはすごく感じちゃったし、
彼と比べたら自分なんか全然と思うんだけれども、
この息苦しさめちゃくちゃ共感したのは何なんだろうなって、
すごい思いながら読んでて、
やっぱり人間ってどこまでいても息苦しいもんなんですかね。
どうなんだろう。
そうかもしれないですね。
やっぱり他者があって、自分があるっていうのはこの世界なので、
その中でやっぱりちょっと他人とは違うっていう、
そういう社会に入ってしまうとね、
息づらさっていうのは出てくるんだろうなってすごい思いますし。
すごくなんて言ってるのかな。
こういう息づらさをなくそうと思って、
社会がどんどん良くなっていってるはずだったと思うんですよ。
だいぶ解消されてきてるし、
実際この本の中でも祖母の時代から見たら、
おばあちゃんの時代から見たら、
このリトルドッグの時代はいいんだろうなと思うんですけど、
でもずっとこの息づらさが残ってるっていうのは、
人が生きていく上ではもう消し去れないものなのかなっていう、
ちょっと種類、程度は違えなんていうのか。
やっぱり人生の中には痛みであったり、
どうしても環境として、
自分にとってちょっと辛い環境とか、
傷つけられることっていうのがあるっていうのが、
やっぱり人生ってそういうものなのかなと思う。
そういうのがあるから美しさに気づけるみたいなところなんですかね。
前、三重さんと物流れの時だったと思うんですけど、
時間が無限にできたら働かなくてもいいし、
無限にできたら、
三重さんが確か言ってたのは、
日々の中があるからこそ、
その時どういう表現されたかわからないけど、
日々生活していて、
ストレスというかいろんなものがあるからこそ、
感じることがあって文学が楽しめるんじゃないか、
みたいな話をしてたような記憶があるんですよ。
無限に時間があって、働かなくて苦しみがなくて、
ストレスがない状態で本を読んでもつまんないんじゃないかな、
みたいなことを言ってたような。
話した気がしますね。
それをちょっと今思い出して、
やっぱり何か別に寸で作るわけではないとは思うんだけれども、
33:02
こういうものがないと、
気づけないものってあるのかな、みたいな。
彼が苦しんだからこそ、
すごくいい本が生まれてるのかな、とか。
ちょっと考えてしまいましたね、今。
ちょっと話が散らかってきちゃったからね。
僕はちょっと一つ思うのは、
自分がもし作者の立場だったら、
果たしてこの現実に向き合えるだろうか、
思いますよね。
お母さんとかおばあちゃんとか、
ちょっと読んでいても辛いところがあって、
できればそういうお母さんおばあちゃんの話は聞きたくなくて、
自分が性的にもマイノリティなところにいたり、
いじめられているというのもありますし、
そういうところも向き合いたくないかもしれないし、
と思ったときにこの作者さんは本当にね、
全部セキュララに多分書いてると思うんですけど、
歴史にも、一族の歴史にも向き合っているし、
自分のパーソナルな、アイデンティティな部分にも向き合っているし、
確かに生きづらい人生を歩んできたと思うんですけど、
これだけ物事に向き合えるっていうのが、
なんかすごいと思いましたし、
それを表現してしまうっていうのがまた、
やっぱりこれは才能とかあるのかもしれないですけど。
本当だよね。
よくできるなって思いましたね。
普通は飲まれちゃうね。
すごく強い。
ちょっと現実から逃げたくなるような、
作者はそうではないっていうところがまた、
その意味では美しさっていうものって、
何かその、もしかしたらどういう人の目を通して見られたものが美しいのかっていうところにも、
あるのかなと思いますね。
この作者の生きざまというか、
それってすごい読んでいって、
胸にすまるものがあって、
この人生を歩んできて、
これだけのものを描いてきた、
その作者が美しいっていうものだったら、
それは確かに美しいんだろうなって思ったりしますし、
なんかそういうの、
しかもそれを見出してるっていうところがまた、
何かその人生の可能性を感じるっていうか。
なんて言ったらいいのかね、
日本語の美しいっていう感覚とちょっと出てるかもしれないなと思いながら、
なんて言ったらいいのか、ちょっとわかんなくなってきてますけど。
ああ、確かに。
綺麗じゃないしな。
何を持って美しいかっていうところは。
やっぱり生きることなんでしょうね、きっと。
うん。
そうですね、思うのは。
じゃあ最後、感想とどんな人に読んでもらいたいか。
いつも通りお話して終わりたいと思います。
36:00
じゃあまず私の方から。
これですね、読んでる間、話した通りずっと生きにくさとか、
生き苦しさみたいなものに向き合っていてですね。
たまにこういう書本はあるんですけど、
こういう読書体験が結構自分好きで、
自分もすごく生きていて辛いなって思うことが本当に多いし、
なんでこんな生きにくくなっちゃうんだろうなって思う瞬間があって、
やっぱりそういう気持ちにすごくリンクしてくるので、
生きにくさ。
他人から見たらどうでもいいんですよ。
自分が本当に他人から見てもどうしようもないところで
生きづらさ感じるなって絶対あると思うんですよ。
そういう人になんか読んでもらいたいですね。
生きづらさを抱えている人には。
自分が生きづらいなと思っている人には読んでもらいたいなと思います。
結構辛いことも多いので、
話を聞いて辛そうとか読みたくないなって感じる人もいたと思うんですけども、
それをでもですね、
このむき出しの歓声とか、
セキュラな心に出会えるっていうのはすごくいい経験だなと思いました。
生きにくい中にある美しさみたいなのを感じさせてくれることもあったので、
すごくいい書だなと思いました。
きっと自分の生きにくさに向き合うことができるきっかけになる書なんじゃないかなと思っています。
それを置いておいてもですね、
文章がとにかく綺麗なので、
鋭く心に残ります。
このオーシャンバーンさんはめちゃくちゃ強い人間なんだろうなと思います。
でも読み手は別にそんな強くなる必要ないので、
人生の美しさっていうのに気づきたいっていう人には、
読んでもらいたいなと思いました。
僕も作者のオーシャンバーンさんが、
いろんな問題に直面している中で、
それでも人生に美しさを見出して生きているっていうのを、
本当に読んでいて感じましたし、
お母さんとかおばあちゃんも、
本当に大変な中で生きてきた人たちで、
すごく痛々しいところがあるんですけど、
そういう痛みも含めて、
この小説の文章には美しさが宿っているっていうのを感じました。
ベトナムからの始まる話ではあるので、
前にベトナムに旅行したときの、
すごく記憶が蘇ってきて、
やっぱり向こうのカノイ美術館から行った時とか、
戦争の記憶が結構残されていて、
そういうのを見ると感じるところはあったんですけども、
そういうのも含めて、この小説を読んで、
結構自分の記憶であったり、
自分のお母さんとかおばあちゃんとかって、
どうだったんだろうと思ったりして、
なかなか自分についてちょっと考えてしまったり、
それとやはりタイトルが、
地上で僕らは束の間煌めくという、
すごい良いタイトルだと思いますので、
果たして自分は煌めいているんだろうかと、
そういったのも自問自答したくなった小説でしたので、
ちょっとモヤモヤしていたりする時とか、
ぜひ読むのをお勧めかなと思いました。
そうですね。
モヤっている時に結構ハマると思うんだよな。
何読んでいいかわからないなという時とか、
良い感じですね、こういうのも。
良い小説でしたね。
じゃあここでちょっと締めたいと思います。
39:00
次回お告げいたします。
次回ですが、中国SF三大シリーズでおなじみの、
劉自勤さんの待望の日本初短編集が出ましたので、
そちら円というタイトルなんですけれども、
そちらをご紹介いたします。
ちなみにこれが年内最後の本紹介になりますので、
お楽しみにしていただければなと思います。
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ではまた。
ありがとうございました。
39:43

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