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2026-01-09 07:16

【1316】2026/01/09 名前に宿る器、沈黙にあらわれる人柄

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2026/01/09

サマリー

このエピソードでは、人の名前がその人の生きた証を表すことについて語られています。特に、沈黙や控えめな姿勢がその人の器や賢さを際立たせることが強調されています。

名前とその意味
おはようございます。 花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。 昨日、担当したお寺さんがとってもお茶目な方でした。
もちろん、お勤めは素晴らしかったんですが、葬儀開式の前に、開明の説明をなさったんです。 その時、どんな感じだったかって言いますと、一文字ずつ説明をし始めました。
亡くなられた方は、長くソロバンの先生をされていた方で、手山の手の文字が使われていたり、お花が好きだったので、お花は咲いてないんですけど、緑の字を使いました、と言っていました。
この緑の字は、すいの方の緑が使われていました。 このすいっていう字は、美しいとか賢いという意味もあるんですよ、というお話でした。
実はご遺族から、可愛らしい開明にしてくださいというリクエストもいただいたけれど、どうしても賢くて美しいイメージのお名前にしかならなかった、と言っていました。
どれだけ考えても、どうひねっても、可愛らしいというよりは賢くて芯のある女性、そのイメージから離れられなかったということを、少し笑いも交えながらお話ししてくださって、場の空気がふっと和らぎました。
本当、開明って、その人が生きた証を言葉として残すことなんだなって思いました。 そう考えると、考えれば考えるほど、この名前にしかならなかったっていう言葉は、とっても誠実で温かいものだなっていうふうに思いました。
実はお経の中には、何度か開明をお唱えする場面があるんですね。 説明をこれ聞いてなければ、おそらく他のお経と同じように聞こえて、素通りしちゃうと思うんですけど、開明の由来をこうやって聞いた後ですと、一音一音がはっきりと耳に届くような気がしました。
その開明が聞こえるたびに、その人生が鮮やかに描かれるようにも思えるんですね。 よく縄体を表すって言いますけれど、開明についてはその器を表すものなんだなと、その人の器を表すものなんだなって思いました。
名前が先にあって人を当てはめていくんじゃなくて、お寺さんは何度も考えて迷って、それでもなおこの名前しかないというふうに選び取ったわけですよね。
本当にその方がそういうふうに生きてきたんだろうなと、その人のその器そのものが名前になったんだなっていうふうに思いました。
沈黙の重要性
そしてこの器というお話をすると、私たちの日常にもそのまま重なっているような気がします。 人の器って何かを言った時よりも何かを言わなかった時によく現れるような気がするんです。
例えば仕事なんかで自分が関わったことに対して、誰かから何かを提案されたり、あるいは意見を向けられた時、その瞬間にすぐに言い訳をしたくなることって誰にでもあると思います。
いやそれはね難しいんだよとか、それできないよねとか、普通そんなことしないよとか、言いたくなるんですね。
でも器が問われるのはその反射の一瞬なんじゃないかなって思うんです。 まず一度、ああそう見えたんだねとか、そう感じたんだねって受け取れるかどうかって相当違うんじゃないかなと思うんですよ。
その提案されたことだったり意見を向けられたことっていうのは、その時点で賛同できるかどうかっていうのはまずは置いといていいと思うんですね。
結果、自分が描いていたゴールとそれが違っていたら、その意見とか提案って採用しなくてもいいと思うんです。
跳ね返してしまうと、そこでその場は止まってしまうし、そういうことが積み重なっていくと情報が入ってこない人になってしまいます。
もちろんできない人に見られたくないので言い訳はしたくなりますし、反論もしたくなるんですけど、そこで論破することが果たしてできる人ということなのかっていうと、それも違うような気がします。
もう一つこんな見方もあると思っていて、それは何かっていうと、頭のいい人ほどすぐには言い返さないってことです。
頭のいい人ほどすぐには言い返しません。
これは私の個人的な感覚だけではなくて、例えばソクラテスですね。
自分が何も知らないということを知っているという言葉で知られています。いわゆる無知の知ですね。
ソクラテスは相手の話をすぐに否定したり論破したりはしませんでした。
まずそれはどういう意味なのか、なぜそう思ったのかということを聞き続けるんですね。
反論する前に理解しようとするんです。
つまり答えるよりも先に考える時間を取った人なんです。
これは東洋にも同じような教えがあって、得のある人は言葉をつづしむと言っているんです。
誰が言ってるかというと孔子です。
得のある人ほど感情で反応せず、むやみに言葉を返さないと言っているんです。
知っているから黙るし、考えているから間が生まれるんですね。
なので得のある人ほど賢い人ほど一瞬の沈黙が生まれます。
それは言い淀んでるんじゃなくて、頭の中で整理が行われている時間なんです。
言葉にする前に一度自分の中で組み立て直している時間なんですね。
ところがその間を見てギャンギャンと騒ぎ出す人がいるわけです。
声が大きいと勢いがあると一見論破したように見えるんですけど、でもよく聞くと論理が破綻していたり話がすり替わっていたりすることも多いです。
なのでこの場合何が一番かっこいいのかというと、論破したことではなくて、すぐに言い返さずに一度受け止めて考える余白を持つこと。
これが一番かっこいい姿だなと私は思います。
負けるが勝ちという言葉がありますが、本当の意味でのそれは声を荒げないこと、争わないこと、そして自分の品位を下げないことなんじゃないかなって思うんです。
器の大きさって声の大きさじゃなくて、受け止める余白があるかとか、黙ることを選べるかってそこに現れると私は思っています。
昨日のお寺さんが亡くなられた方の生き方、どう考えてもその中から感じるものっていうのは賢さだったっていうことをおっしゃってたんですけれども、人の器ってその声の大きさじゃなくて姿にこそ現れるものだなと思いました。
この配信はアップルポッドキャスト他各種プラットフォームでお届けしています。
リッスンではこの配信のテキスト版を公開しています。
合わせてご覧ください。
それではまた明日。
07:16

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