聖咲奇さんの訃報
はい、おはようございまーす。本日の放送は2025年の8月9日、土曜日です。
本日は第1259回目のお話となりまーす。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ、漫画大好き親父のピョン吉が、響きになったことをダダーと納償していくという番組です。
よろしくお願いいたします。
8月1日、SF特撮界のレジェンド、聖咲奇さんが亡くなられたというニュースがネットで流れてきました。
ご本人の意向でですね、すでに葬儀はご家族だけで済まされたそうです。娘さんがね、報告されておりました。
今年の2月にはですね、イラストレーターの楓優次さんとね、トークショーをされていたと聞いていたので、
ああ、まだまだ元気だと思っていたんですが、実はね、3年前からガンと戦っておられたそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。 聖咲奇さんと言えばですね、SF映像特撮ファンの間ではね、知らない人はいない超有名人なんですね。
1970、80年代にアウト、宇宙船といった雑誌で活躍された編集者、ライターであり、SFX評論家、そして特撮研究家としてね、日本のSF特撮文化の土台を築いた方です。
書籍として出された本は少ないんですけどね、その功績は測り知れないんですね。 主な功績は3つだと思っています。
1つ、特撮専門誌宇宙船の創刊と編集。
1970年代後半ですね、日本初の特撮専門誌宇宙船を企画構成しまして、20年以上にわたって編集に関わりました。
海外SF映画やマニアックな特撮作品、メイキング記事などを紹介しまして、多くのファンに影響を与えました。
2つ目、海外特撮文化の紹介とSFXという言葉の定着。
海外のSF特撮の情報をいち早く日本に紹介したんですね。 スターウォーズの日本発のムック本とかもね、出したのはヒジイさんが最初なんですね。
当時特撮イコール果樹映画というイメージだったんですよ、日本はね。 海外のSFXという視点を持ち込みまして、新しい捉え方を日本に表明してくださいました。
3つ目、次世代クリエイターへの影響。 その熱意ある研究と評論はですね、多くの若手クリエイターやファンに影響を与えました。
特にですね、アマチュア造形師をプロに導いたりですね、ガレージキットイコールガレキという呼び方を広めたりですね、後の特撮界に与える、特撮界を支える人材を育てるきっかけをね、いろいろと作った方です。
まさにですね、SF特撮文化のね、オタクの元祖とも言える存在だったんですね。
思い出のエピソード
そんなヒジイさんにですね、私も一度だけお会いしたことがあるんですよ。 2016年、無謀にもですね、元村氏のコミュニティA編、モットコムのね、
ソリケ・ペラモンペロチという番組のメンバーでですね、ヒジイさんのね、ご自宅兼仕事場にインタビューに伺ったんですよ。
というのもですね、当時福島県のとある地方をですね、ご当地ヒーローを作ろうというね、プロジェクトが立ち上がっていたんですね。
そのヒーローのコスチューム制作、そちらに詳しい人がいないかというのを探していましたね。
特撮に詳しいのはこの人、ということでね、紹介されたのはヒジイさんらしいんですよ。
でも今思えばね、完全に勘違いだったんですよね。
ヒジイさんはね、何度もね、自分の分野とは違うからと丁寧に断っていたそうなんですが、
いえいえ、同じ特撮じゃないですかとね、押し切られてしまったようなんですね。
その話をね、横で聞いていたんですがね、
えぇ、なんでご当地ヒーローの相談にヒジイさんのところに行っちゃったの?ってびっくりしたんですね。
例えるならですね、絵本を作りたいからというね、宮崎駿監督のところに会いに行くとかね、
サムライについて聞きたいからというね、黒澤明監督のところに行くような、そんなズレっぷりなんですよね。
でもそんなね、私たちをですね、ヒジイさんはね、奇策に、とても奇策に迎えてくださいました。
ご自宅にはですね、不安にとって貴重な資料、そんなに読めないようにあったんですね。
個人で発行していた同人誌、怪物園の資料とかね、滅多に見られないね、特撮の貴重な写真なども見せていただきました。
なかなか印象的だったのはですね、1980年頃、世界的SFコレクター、アッカーマン氏の家にですね、
アメリカのアッカーマン氏の家にですね、楓悠司さんをはじめとするですね、若きSFファンたちがね、訪れたときのホームビデオですよ。
今では有名な人たちはですね、みんな若くてキャキャしてるんですね。
最近はこういう海外から新しい知識を手に入れようというのね、こういうイネ日誌の動き、少なくなったなぁなんてね、
そう見ながらちょっと羨ましく思っていました。
実は私ですね、アウトと姉妹誌のランデブー、ひじりさんの影響を受けたんですが、
宇宙船の方はほとんど買っていなかったんですね。
というのも当時ですね、自分はSFの小説の方の雑誌の方がメインですね。
映像系はですね、お気に入りの話題がね、スター・ローンに乗ればね、それは買うぐらいだったんですよ。
それもおこずは全部消えていたんですよね。
その時は宇宙船は手に出せなかったんですよね。
その時はですね、直接ひじりさんとお会いしてもですね、当時は本当のところどうだったんですか?みたいなですね、
こう的を得た、ひじりさんが喜ぶような質問をおまけできなくてですね、そこはとても心残りでした。
ひじりさんはとても優しくてですね、以前にね、脳梗塞を患ったそうで、聞き手が不自由だって言うんですね。
でもね、自分たちにね、色紙にサインしてくださったんですね。
そのせい、例のね、あのご当地ヒーローの企画はですね、途中で飛んだしてしまいましたね。
その時、ひじりさんとのご縁も聞いてしまったんですね。
あの企画がね、続いていればですね、もっと面白いお話をね、色々と聞くことができたのにってね、とても残念に思っております。
というわけでですね、今回はですね、ひじりさきさんが不幸を受けましてね、思い出した出来事をお話しいたしました。
改めてひじりさん、たくさんの楽しみのせいを私たちに与えてくださって、本当にありがとうございました。
心から感謝したいと思っております。
はい、それではまた、もしよろしけば、ぴょんきちょんお宝の発信をお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。