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2022-08-29 11:02

#183 塙町生まれでSF本の表紙を描いたイラストレーター角田純男さんの話

福島県塙町生まれで、SFマガジンの表紙、早川文庫SF、サンリオSF文庫など、数々のSF本の表紙を描いていたイラストレーター角田純男さん。メカとか登場しないためか、現在観てもその絵は全然古びていないです。ぜひ画集とか出してくれないでしょうかね。

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はい、おはようございます。本日の放送は、2022年の8月29日、月曜日です。
本日は第183回目のお話となります。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好きおやじのピョン吉が、
響きになったことをだらだらと話をしていくという番組です。
そのおやじの一言をお聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、
ごめんなさい、悪意はなかったんです。
ここにもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
SFマガジンのね、10月号、スタジオぬえ創立50周年記念特集号がですね、
素晴らしいという話がね、流れてきたんですよ。
表紙絵がね、スタジオぬえの加藤直幸さんでね、
宇宙の戦士のパワードスーツ、機動戦士ガンダム、宇宙戦艦ヤマト、キャプテンハーロックの
テレビ版のアルカディアゴ、それからマクロス、ブリンヒルト、
それからサヨナラジュピターの東京スリー、それからですね、ガチャピントムック、
それから野田大原水、などがですね、並んだ表紙なんですね。
スタジオぬえがですね、いかにSFアニメ化にですね、影響を及ぼしたかということがわかるイラストなんですよ。
それがね、表紙絵になってですね、その表紙絵が原因なのかですね、
アマゾンではですね、発売前に売り切れてしまったんですね。
というので、発売前にですね、会うように慌てて増撮したという話なんです。
そんなわけですね、増撮されたのを慌てて、アマゾンでポチったわけですね。
もう売り切れてしまいました。
いやー、手に入ってよかったと思って、スタジオぬえの特集語を読み始めたんですよ。
ですがね、ちょっとね、残念だったんですね。
えー、これだけ?という感想があったんですね、特集語って終わりにはね。
加藤直之さんの表紙絵の解説が1枚。
それから、加藤直之さんと高丁遥さん、松崎健一さんの対談、座談会が8ページ。
それから、宮武さんのエッセイが2ページ。
それから、スタジオぬえの年表。
それから、大橋博之さんのスタジオぬえがどのくらい影響を及ぼしたかの解説がちょっと。
それくらいなんですね。
あとはですね、過去にSFマガジンに載ったものの再録ばっかりなんですよ。
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既にですね、SFマガジンに載っているのはね、自分はほとんど持ってますんで、
あー懐かしいなと思うんだけども、既には持ってるんだよね。
スタジオぬえと同時代を生きてきた人としましてはですね、
こういう再録ですね、どのように現代のSF、アニメ、特撮、映画などにですね、影響を与えてきたのか。
影響を受けた人たちのインタビューだとかね、感想とかね、
そういったものがあった方がですね、個人的には嬉しかったかなと思ったんですよね。
でもですね、加藤直樹さんの表紙絵のSFマガジン、非常に懐かしかったので嬉しかったです。
加藤直樹さんのSFマガジンの表紙絵がスタートしたのが1977年の7月号なんですが、
今回のメインのお話はですね、
加藤さんのね、前の前にSFマガジンの表紙絵を描いていた方のお話なんです。
1973年の1月号からですね、1975年の6月号までね、SFマガジンの表紙絵を担当された方なんです。
角田住夫さんということなんですよ。
70年代から2000年代までですね、早川のSF文庫とかね、三陵のSF文庫などで活躍されたイラストレーターの方なんです。
ファンタジックでね、少し不安を感じさせる絵柄。
メカもね、ほとんどは登場してこないです。
地球とかね、水の玉みたいなものはね、ちょっとあるぐらいでしょうかね。
このですね、絵のバランスが非常に素晴らしいんですよね。
ぜひですね、検索してその本の表紙絵をね、眺めてほしいと思うんですよね。
角田住夫さんはね、1948年1月17日生まれってことでね、現在74歳です。
母親のね、疎開先であった福島県花輪町でお生まれになったんですね。
花輪町というとですね、メリージェンっていう歌で有名な角田住夫さんと同じなんですよ。
角田住夫さんのね、両親の出身地も花輪町なんで、っていうのでその疎開先のところでお生まれになったんですね。
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ちなみに角田住夫さんより1年半早いお生まれという形になります。
花輪町ではね、角田っていう名字の人が多いんでしょうかね。
ちなみに角田住夫さんはね、ご存知の通り漫画家の角田二郎さん、
あと音楽家の角田隆さんとご兄弟ですよね。
角田住夫さんはですね、生まれた翌年にはですね、実は東京の下谷、現在の台東区の方ですね、そちらに戻ります。
実は角田二郎さんのご両親も元ですね、下谷の方でですね、利用店として働いていたんですね。
ちょっと不思議な偶然ですね。
角田住夫さんですけどね、1971年早川書房の本のカバーを担当してですね、
SFマガジンの2代目編集長であった森正さんに声をかけられましてね、
そして1973年からSFマガジンの表紙を飾ったわけですよね。
森正編集長っていうのはですね、積極的に絵の魅力的な方をイラストゲッターに採用された方なんですよ。
というわけで、今ではもう伝説的になってますけど、竹部本一郎さんだとか、
大良吉則さんだとか、深井久仁さんだとかね、
それから漫画家の石森翔太郎さんだとか松本玲司さんなどもですね、
本の表紙絵のイラストレーターとして採用された方なんですよ。
というわけで、こういった絵がですね、後にSFブーム80年代になってね、
SFブームを作るきっかけとなるんですね。
そのことにですね、SFマガジンの表紙を頼まれたってわけですよ。
さらにあの1975年ですね、先ほど言いましたように、
SF早川のSF文庫だとかね、サンリオのSF文庫の表紙をね、
絵でカバーイラストを頼まれるんですね。
というわけで、1980年代から1987年にかけてですね、
西雲賞、SFのファンが出す賞なんですが、
そちらの方で5回ノミネートされるんですよ。
ですがですね、残念ながら受賞されたことはないんですね。
1980年代になってしまうとですね、加藤直幸さんだとかね、
あと天野義坂さんとかね、登場してきてますんで、
その方々が活躍していてね、ちょっとお楽しみのね、
天野さんの作品が選ばれなかったのかなって感じなんですね。
またですね、不審な音に1977年にはですね、
創刊された劇画アリスの表紙絵を担当されていたんですね。
劇画アリスって言うとですね、亀原武さんが編集長で、
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東秀夫さんだとかね、坂口久志さんだとか、
あと近藤陽子さんとかね、
そういった方々に漫画を描いていたエロ雑誌です。
基本的にエロ漫画雑誌なんだけども、
長さでですね、あんまりエロスの香りのしないですね、
角田隅夫さんのね、表紙絵にしたのかな、
っていうのはちょっと欲しいなんですよね。
でも、まあそれだけ魅力がある絵だったんですよね。
とりあえずですね、当時は角田隅夫さんの絵を見るとですね、
SFだとかね、ファンタジーとかね、
そういうイメージがバンバンと湧いてきてたんですね。
ですが最近はですね、美術館で作品が展示されたとかね、
あるいは古典を開いたとかね、
あるいは作品の合集を出したとかね、
そういう話を一切聞かないんですよ。
どうやって生活されているのかな、というのがちょっと欲しいなんですよね。
もしも合集とか出たらですね、絶対私買うんですけどね。
まあそういうわけでね、スタジオぬねより以前の時にね、
SFっていうのをね、バンバンイメージさせてくださった角田隅夫さん、
その方がですね、福島県の花を待ちうまいだっていうことをですね、
ぜひ知ってほしいなと思っているんですね。
はい、それではまた次回よろしく。
ぺんきぃさんの音楽の話をお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。
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