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はい、おはようございます。本日の放送は2023年の6月29日、木曜日です。
本日は第487回目のお話となります。 このチャンネルは福島県小林市在住の特撮アニメ漫画
大好き親父のピョン吉が響きになったことをただただ話をしていくという番組です。 そんな親父の一言が気になりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら
ごめんなさい。我に言わなかったんです。 不幸にこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご引きのほどよろしくお願いいたします。
いわき市内郷の出身の漫画家 山口大地さんのお話
今回はですね、いわき市内郷の出身の漫画家 山口大地さんのお話です。自分たちはね、子供の時にはですね
児童向け雑誌、そちらの方はたくさん発行されていたんですね。 学研の科学と学習
これは1年から6年まで用意されていましたし、また小学科の方でね、小学1年生からね、小学6年生までね、というような学年誌もありました。
この2つはですね、ライバル関係という感じでしたね。
自分たちはですね、下の世代がね、第二次ベビーブームのね、子たちがいるっていうね。
というわけで、あの中学の方でね、学年誌のね、中1時代、それを作っていた大文章もね、その中に入ろうとしましたね。
小6時代だとかね、小5時代とかね、そういった学年誌もね、参入していったんですね。 そのぐらい子供の数が非常に多かったんですね。
小学館のね、小学ね、なんとか年生というやつですね。 これは後ろの方にですね、ちょっとね、勉強の話が入ってくるぐらいでね、
面白い漫画とかね、話題とか、そういうのが入ってましたね。 それを買ってもらえる人たちがね、羨ましかったですね。
付録もね、そのシートがね、付いてましたしね。 うちではですね、小学なんとか年生はですね、買ってもらえなくてね、
科学と学習だったんですよ。 科学の方はですね、実験の付録が付いてくるんでね、楽しいんですね。
さらに科学をテーマにしたですね、漫画もありましてね。 石上翔太郎さんのね、未来急状態アスガードセブン。
そのような漫画も入ってましたね。 一方、学習の方はですね、読み物はね、まあまあ面白いのがあるんですが、あんまり面白くないと。
それでもね、科学と学習の方はですね、親がね、買わせたい雑誌だったのでね。 科学と学習合わせてですね、600万部、そのまま発行していたという時代なんですね。
そんなですね、子供にね、ちょっとね、つまらない学習。 そちらの方にですね、少し漫画が入っていたんですね。
ただ、自分たちの時代はですね、山根赤鬼さんという方がですね、描いていたんですよ。
その後ですね、描いたのは山口大地さんなんですね。 名探偵、荒間聡海っていうね、作品をね、描いていたんですね。
子供向けのね、漫画なはずなんですけどね、大人の雰囲気をする漫画だったんですね。 まあ主人公はね、タバコを吸ってますしね、また帽子をかぶってるっていう。
そこはですね、大人向けって感じだったかもしれませんね。 荒間聡海というね、その名前もね、ふざけてますけどね。
敵もですね、嫌な感じだとかね、嫌な感じ。二重人格だとかね。 そんな風な名前だけでね、名前だけで笑いをとるっていう感じの漫画だったんですね。
残念ながらですね、自分が学習を読んでいった時はですね、山口さんの作品じゃなかったんですよね。
一方この頃ですね、山根赤鬼さんのね、お兄さんの青鬼さんとか言うんですかね。 山根青鬼さん。
小学館の方で、小学何とか年生の方でですね、名探偵影満、これを描いてね、超人気だったんですよ。
その中でですね、山口太一さんという人がですね、自分たちの下のスラインにね、人気の漫画家っていうイメージがあるんですよね。
またですね、漫画のね、名探偵としまして、荒間総会とですね、影満というのがね、ライバル関係にいたというのを覚えてるんですね。
しかしですね、影満の方はですね、後でね、単行本が出たんでね、コミックスが出たんでね、というので、学年賞も買ってない人でもね、読めたんですよ。
それに対して荒間総会の方はですね、出てこなかったんですね。
というわけでですね、圧倒的に影満の方が勝ちって感じになっちゃいましたね。
ですけども、一部の世代の人にはですね、あの、荒間総会、名探偵荒間総会と山口太一さんの名前ね、そちらの方ね、非常に印象になる、印象に残っている方だと思います。
山口太一さんはね、1935年生まれ、3歳の時にですね、父のね、仕事で満州へ行くんですね。
戦争が終了した時ですね、その辺がね、来るぞという時にはですね、お父さんも離れていましたんで、お母さん中心にして家族でいたんですが、自決しようとね、そういう決意をした状態の時もあったみたいですね。
でもどうにかですね、無事、故郷のいわき市に戻ってくることができたんですね。
中学時代にですね、雑誌のね、漫画少年、そちらの方にですね、投稿するようになりましてね、そこで特選をもらうんですよ。
寺田博夫さんがね、選考委員してまして、石森翔太郎さんとかがね、投稿していたっていうね、有名な雑誌ですよね。
そこで特選になるとはすごいことなんですね。
で、高校はですね、いわき高校、そちらの方に入りまして、そちらの方を卒業しまして、大学でね、美術の勉強したいと思ったんですが、受験に失敗します。
で、漫画で食っていきたいと思いましてね、そして上京しまして、雑誌居さんに持ち込みしていたところですね、加藤義雄さん、そちらをね、消化されたんですね。
加藤義雄さんというとね、毎日新聞の方でですね、真っ平くんっていうね、4巻漫画を連載していたんですね。
また後、後にですね、ずっと後になるんですが、あのウィークエンダーというテレビ番組でね、司会とかやりましたし、NHKの連想ゲームでね、主力のリーダーやっていたんでね、
まあ有名な漫画家さんですよね。その加藤義雄さんのね、処生、弟子みたいなものになるんですが、まあ加藤さんもね、処生やってもね、出世した人ってあんまりいないからという話になってね、別な仕事を探したりするようになっちゃうんですね。
山口太一さんの漫画活動
そういったものでありまして、地元のいわきに戻ってくるんですね。で、その当時はまあ常盤単行が非常に元気な時期ですんで、というので、その単行の方でね、食料の事務の仕事をしながらですね、常盤単行のね、4巻漫画、そちらの方をね、書いていたんですね。
で、常盤単行の方ですね、やめまして、1959年にやめまして、再び東京に行きましてね、で、加藤義雄さんのね、土手でですね、漫画の連載を取ることができるんですね。
漫画の方はですね、だんだんですね、週刊誌の時代になるんですね。そしてですね、まあ、エログローとかそういうのも多くなってきますんで。
そこでですね、あの山口さんはですね、ナンセンス漫画、そちらの方を書いているんですがね、だんだん忙しくなりましてね、やっぱり自分の書きたいのはね、自動漫画だという風になるんですね。
というわけで、先ほど言いました学研の方ですね、漫画を書くようになるんですね。学研の方ですね、名探偵、荒間総会だとかね、あと神々じいさんだとかね、そういった作品を発表するんですね。
またこの頃ですからね、学習漫画の本がですね、人気になるんですね。いろんな学習漫画の本だとかね、あるいは読み物ね、読み物、そちらの本のイラスト、そちらの本を担当するようになるんですね。
イギリスのね、児童文学のね、漫画学少年探偵団という作品があるんですがね、そちらの本のイラストも担当していましたので、そちらの本も有名ですよね。
いわき氏ともね、繋がりまして、いわき氏の名家、ジャンガラを出している三好というお菓子屋さんがありますよね。あそこの方とね、友人だというので、ぽくへいくんというですね、さつまいもを原料としたお菓子を出していた時期があるんですが、その時のパッケージがね、山口太一さんの絵だったんですね。
また、1990年にですね、いわき氏がですね、いわき氏に埋もれているですね、歴史をね、漫画にして、後世に伝えたいというんですね、いわき発見伝というね、企画をするんですよ。で、いろんなね、漫画のシナリオを集めたりだしたんですね。
その時のね、審査員というか、先行委員をしたのがね、山口太一さんなんですね。で、山口太一さんはですね、その後ですけども、なうちゃんとかね、花野さん日記というね、四本漫画もね、地方紙、そうしたものに描いていたそうです。
2010年にね、肺炎で75歳で亡くなったんですね。ですけども多分ですね、山口太一さんが描いた学習漫画、そちらの方でね、お世話になった人も非常に多いはずなんですね。
学習漫画のパイロニーに圧倒しましたね。横田徳夫さんという方がね、田村市出身でいますけどね、もう一人ですね、あの学習漫画で活躍された山口太一さんという方がね、いわき市出身だったのでね、ぜひともね、覚えておきたいなと思っております。
はい、それではまた次回よろしくお楽しみに。本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。