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2025-12-23 07:45

#1395 ネットは理想の新大陸だった──インターネットの30年以上前の話

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30年以上前、インターネットは「商用利用禁止」でした。
お金儲けどころか、研究者同士が情報をやり取りするための、ごく限られた人たちの世界。

電子メールは、メールアドレスさえあれば地球の裏側ともつながれることに、本気で感動した時代。

ネットニュース、fj、ネチズン精神、回線を大切にし、デマを流さず、「つながれる人が、つながれない人を助ける」そんな理想が語られていたインターネット。

そして個人が初めてお金を払ってネットにつながるようになった転換点。理想の新大陸だったはずのインターネットが、現実社会の延長へと変わっていく過程を振り返ります。

今ではもう戻れないかもしれない、でも確かに存在した“インターネットが夢だった時代”の話です。

サマリー

30年以上前のインターネットの歴史が語られ、その理想主義やボランティア精神が紹介されます。また、商用利用禁止の時代からサービス重視の時代へと変化した過程が描かれています。

インターネットの初期の理想
はい、おはようございます。本日の放送は2025年の12月23日火曜日です。 本日は第1395回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が、日々気になったことをダラダラと話をしていくという番組です。
よろしくお願い致します。 と、いつもの調子で始めましたが、本日は企画会です。
今回はリッスンのアドベントカレンダーテクノロジー枠に参加させていただいております。 この企画を立ち上げてくださったのは気まぐれFMのじゅんぼくさん、そしてにんじんくんの声日記のにんじんくんさん。
最近気になって調べている技術でもいいし、買ってよかったガジェットでもいい。 あなたの知らない○○の世界、みたいな切り口でもOK。
とにかく技術、テクノロジーに関する話なら何でもあり、というとても懐の深い企画でございます。 さてテクノロジーの話題といっても、じゃあ自分は何を話そうかと考えた結果、
これは意外と知らない人多いんじゃないかなということで、 30年以上前のインターネットの話をしようと思います。
自分がインターネットを始めた頃ですね。 インターネットってなんと商用利用禁止だったんですよ。
つまりお金儲けに使っちゃダメ。 インターネットは研究者同士が研究データや情報をやり取りするためのもの。
ビジネス目的で使うなんてとんでもないという考え方だったんですね。 今でいうとアマチュア無線が商用利用禁止なのとかなり近い感覚です。
電子メールも元々は一部の研究者しか使えないものでした。 自分が大学院生の時、指導教官の先生にこう言われたんです。
電子メールという便利なものがあるらしい。使い方を勉強してきなさい。 でね、先生が続けて言うんですよ。
電子メールなんだから郵便局に行けば教えてくれるだろう。 いやいやいや先生、実はその時点で自分はすでにパソコン通信で電子メールはやっていました。
アスキーネットとかPC版とかですね。 ただし当時は同じネットワーク同士じゃないとメールが送れない。
別のホストにつながっている人にはメールが届かないんです。 それで電子メールってなんだと思いながら、とりあえず郵便局へ行ってみたらやっぱり関係ありませんでした。
でもですね本当のインターネットの電子メールを知った時は本気で感動しました。 メールアドレスさえあれば世界中の誰にでも送れる。
えっ地球の裏側にも無料で届くの?っていう。 インターネットって本当に世界とつながってるんだなぁと実感した瞬間でした。
当時のインターネットの使い道はほぼ2つだけ。 電子メールとネットニュース、ニュースグループです。
ニュースグループは国ごと言語ごとに分かれていて、語学ができる人は海外の人とも普通にやり取りできました。
日本語を書いてよかったのがfj。 fj.jokesなんてところに入って冗談を書いたりしてましたね。
パソコン通信の電子掲示板とやっていることは似ているんですが、舞台が世界なんですよ。 ただしここでもやっぱり商用利用は禁止。学術ネットワークですから。
そこで教わったのがいわゆるネチズン精神です。 ネチズンはネットワークシティズン、ネットワーク市民という意味。
現実社会からネットの世界にもう一つの社会を作ろう、みたいな感覚ですね。 インターネットは商用禁止だからみんなでボランティア精神で支えよう。
そういう理想論が本気で語られていた時代でした。 当時はインターネットにつながっている人の方が圧倒的に少なかった。
商用利用の許可と変化
だからつながれる人はつながれない人を助けようという空気があったんです。 回線も細いから流すデータはできるだけ軽く。
画像をメールで送るときは必ず小さくしてから。 今では当たり前のリツイートリポストなんて絶対NG。
デマが広がるし回線も込むからやっちゃダメという感覚でした。 文部省と通商産業省の100校プロジェクトというのもありました。
中学高校にインターネットを導入する取り組みですね。 自分もそれに関わって中学校にLANケーブルを引いたりしました。
職場でも自分の部屋だけ申請して回線をもらえたのでハブとケーブルを引き回してあちこちで インターネットが使えるようにしたり
今思うとだいぶ無茶してます。 1993年郵政省がついにインターネットの商用利用を許可します。
ニフティサーブやアスキーネットなど大手パソコン通信がインターネット接続開始。 とはいえ最初はメールが使えるようになったくらいでした。
その少し前インターネットで画像が見られるようになります。 文字と画像を同じ画面で表示できるモザイクというソフト。
今のウェブブラウザーのご先祖様ですね。 そこに登場したのがネットスケープナビゲーター。
当時はモジラなんて呼んでました。 モザイク✕ゴジラでモジラ。 ネーミング名も完全に趣味の世界。
ネットスケープはブラウザーだけじゃなくて html を作る機能まであってブックマーク
しおりがそのまま html で保存されてたんですよ。 それに気づいて福島県関係のページをせっせとブックマークしてそのまま
ペタッとウェブサイトに貼り付けたら巨大な福島県の電話番号みたいなリンク書が完成。 それが勝手に福島というサイトになって1日1000人以上の人が見るページになりました。
1994年ベッコアメインターネットが定額制ダイヤルアップ接続を開始。 これで個人がお金を払ってインターネットにつなぐ時代がきます。
それまでインターネットは大学や研究機関の回線をありがたく使わせてもらうものだった。 でも自分でお金を払うようになると意識がガラッと変わったんです。
お金払ってるんだからサービスを受けるのは当たり前!そういう考え方が一気に広がります。 これで理想の新大陸だったネット世界が現実社会の延長線になっていきます。
やがてスパムメールが増えて金儲け目的の人が増えて空気が変わっていきます。 裏情報だのお宝情報だの怪しい話も増えてその先に2チャンネルが登場。
正直うわーって思いました。 ネチズンという素敵な考え方もいつの間にか廃れてしまいました。
もうあの世界に戻ることはできないかもしれません。 でもインターネットの始まりには本気で理想を語っていた人たちが大勢いた。
そんな時代があったんだということを少しでも知ってもらえたら嬉しいなと思います。 というわけで今回は30年以上前のインターネットの話でした。
はいそれではまたもしよろしければピョン吉のオタクな話にお付き合いくださいね。 本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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