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2022-04-17 10:20

#49 よこたとくおさんの故郷を旅してきた話

よこたとくおさんの故郷、田村市船引町にある旧七郷(ななごう)村周辺を旅してきました。

ちょうど桜が満開でした。よこたさんの「まんが道」をいろいろと考えました。

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はい、おはようございます。このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことを誰だらと話をしていくという番組です。
そんな親父の一人の音を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったらごめんなさい。悪意はなかったんです。
他方にもこの番組に興味を持ってしまったらぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけで誰だらと言いかせていただきます。
改めましておはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2020年4月17日日曜日です。
本日は第49回目のお話となります。
またまた横田特効さんの話であります。
ツイッターを見ていたら横田さんが亡くなったことで40代から50代前半ぐらいの方がいろいろと驚いていらっしゃいましたね。
学習漫画や漫画雑誌で見ていた漫画家さんが横田特効さんだったことに気づいたということなんですね。
そして学研の電気の秘密シリーズなどを読んだということでね。
それをもしも読まなかったら自分の現在仕事がついていなかったという方が多かったです。
また初めて読んだヘレンケラーやベートーヴェンなどの電気を読んで影響を受けたというのもありましたね。
横田特効さんが大勢の人々の人生に影響を与えた作家であったことが分かりました。
その一方ですね、藤子不二雄さんや石本翔太郎さんと同じ時はそのメンバーだったと知らなかったというのも結構ありましたね。
中には赤塚不二雄さんっぽい絵が嫌いだったという人がいました。
真似をしたばかりじゃなくてですね、デビューは赤塚さんよりも先ですしね。
赤塚さんとほぼ一緒の生活をしているなら仕方ないですよね。
赤塚不二雄さんの不二雄プロで長く赤塚不二雄さんのプレーンとして活躍した長谷邦夫さんによればですね、
おそ松君だとか秘密の赤ちゃんで人気になった赤塚不二雄さんがね、そのためにですね、
1963年からの任せて翔太、任せて翔太っていう漫画があるんですが、
そのアイディアだとかアシスタントを横田特効さんと長谷さんでやってたらしいんですよ。
後にそれがですね、他にメンバー集めまして5人入れて七福神プロダクションって名前作ってね、
それでやってたらしいんですね。
さらにあのアニメでおばけのキュータランドを作るスタジオゼロ時代の時になってですね、
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そして不二雄プロっていう風に変わってたらしいんですよ。
その際に横田さんが抜けたらしいんですね。
だから2点の当たり前なんですよね。
それからあと50代の後半から60代にかけてはやっぱり何と言ってもマーガレットちゃうはじめですね。
少女漫画雑誌でよく見てた漫画家さんっていうので驚いてるみたいでした。
女性からのコメントがないのが不思議ですけどね。
船引南小学校のブログの方ですね、校長先生がコメントを書いてありました。
横田さんが亡くなったことに対してですね、
横田さんすっかり地元で縁がなくなってたのかなと思ってたんですけども、
横田さんの方は出身地に愛着があってね、
それで小学校に寄贈してたのかなとねことをして個人的にちょっと嬉しかったです。
ただ気になったのはですね、校長先生堀越小学校って書いてるんですね。
平成20年度にですね、旧堀越小学校、それから旧くぬぎ山小学校、旧門沢小学校がですね、
くっついてですね、この船引南小学校をできてるんですね。
7号と言ったらですね、横田さんが住んでた7号と言ったら、
堀越小学校じゃなくて門沢小学校じゃないかなと思うんですよね。
前回ですね、私7号、七里と呼んでました。
どうもすみません、訂正いたします。
ちょっとその前にですね、念のために言っておきましたね。
田村市と言ってもですね、合併してできた市なのでですね、
面積はですね、山本線の6倍以上なんですよ。
香川県や大阪府の4分の1くらいの面積なんですよ。
だから他の人たちがイメージするちょっと市とかそういうイメージとかなり違いますんでね。
横田さんがですね、東京に働きに出た頃はですね、
田村市でもなければ船引町でもなくて、まだ7号村だったんですよね。
石森翔太夫さんとか赤塚星代さんとね、僕十一滴を使って連絡を取り合ってた頃です。
7号村なんですよ。
で、赤塚さんと一緒に本格的に漫画を描き始めた頃に、
えっと、船引町になったんですね。
まあそんな風な歴史があります。
そんなわけですね、ちょっと気になったんで、
今回ですね、どうにかそういうのを探せないかなというので、実際に行ってみました。
小山市からね、7号の方に行きますと、
ちょうどですね、滝桜、三原町の滝桜の横を通るルートになってしまうんですね。
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ていうんで、ちょうど渋滞に巻き込まれたかなと思ったんですが、
運良くね、渋滞に巻き込まれずに着くことができました。
35分ほどですかね、車でね。
まずはですね、この辺りの名所であるですね、
道山大塩神社というところに行きましてね。
坂上田村麻呂ゆかりの神社です。
この辺りですね、船引町辺り、坂上田村麻呂のゆかりの地がたくさんあちこちあるんですね。
ていうので、室町時代から続く神社というので、
その国の指定の文化財になっているんですね。
ていうんで、そこのところを見てきました。
そこにはですね、筒寺苑があるんですが、
5月なのでまだ早かったですね、まだ咲いてなかったですね。
筒寺苑があるのね、当然。
で、道山神社の方の方ですね、しだり桜名所っていうんですが、
そんなに感動するほどではなかったですね。
そこのところを通り過ぎた後に、いよいよ船引南小学校の方に行きました。
ですけどもね、鉄筋だけどね、非常に近代的な小学校になってましたね。
その小学校の横の方にですね、堀越明神がありまして、
その明神のところにですね、でーんとね、お人形様がいました。
お人形様って何かっていうとですね、
この地区にですね、悪い病気とか入ってこないようにですね、
見張ってるお人形なんですよ。
巨大な人形でしてね、人間の2倍くらいの大きさでしょうか。
そう、地域の人たちが作ってるんですね。
ていうんで、その堀越のお人形様をお参りしました。
そのね、小学校とそのお人形様の間のところにですね、船引南中学があります。
というわけで、ここにね、横田さんいたのかなとも気がするんですが、
ですけども、この南中学も立派な鉄筋だったよね。
船引町にはですね、昔7号中学っていうのがあったらしいんで、
横田さんはそっちの方の中学校だったんじゃないですかね。
新しい7号の郵便局からですね、いよいよ7号地区の方に行く途中ですね。
桜のたくさん綺麗に咲いたところがあったんで立ち寄ってみました。
そしたらそこがですね、田村市の7号出張所っていうですね、
市役所の文章みたいなところなんですね。
田村市の選挙のね、期日前投票中になってたんでね、
なんかバッツが折れたんですね。
車に入ってたらね、全然関係なかったんでね。
そして、あともう今回もやってられる旧門沢小学校へ行ってみたわけですが、
非常に立派な建物だったんですね。
で、看板もちゃんと残ってるんですが、
小学校としては動いてないみたいです。
で、その建物は今現在何使っているのかちょっと不明でしたね。
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で、ゆうことだと特攻参戦以前使ってたと思われるですね、
975郵便局は、えっと今回なかったですね。
以前はあったと思ったんですが、
多分震災で老朽化で解体されたんでしょうかね。
この7号の地だとですね、一番近い駅がですね、
ロッキーを離れたいわきときわ駅なんですよ。
というわけで、ゆうことさんはそこのところを歩くかどうかして、
あるいは車に乗せられてね、いわきときわ駅まで行って、
そこから汽車に乗って郡山に出て、
そこから東京へ向かったんでしょうかね。
当日としてはですね、なかなかこの7号の町というか村ですか、
そちらに戻ってくるのが難しかったんでしょうね。
ついついですね、横田特工さんの漫画道を考えてしまうんでした。
結局ね、えっと今回知りたかったことはわからなかったんですけども、
でもまあいい旅になりました。
それではまた次回よろしくはピョン吉のオタクな話にお付き合いください。
今日も一日頑張りましょう。
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