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2023-10-11 09:54

#591 郡山市出身で明治大正期に子どもたちに夢を与えた石井研堂の企画展の話

郡山市の文学の森の資料館で10月7日から開催中の「郡山が生んだ偉大なるエンサイクロペディスト 石井研堂」を観てきました。『明治事物起原』と『理科十二ヶ月』を中心にした企画展でした。個人的には、人気雑誌『小國民』の編集者という側面と、SF的な空想児童文学作家としての側面の方をもっと押し出した展示してほしかったのですが、まあ仕方ないです。没後80周年、ということで展示会が行われたので、90周年のときにはぜひそちらの側面を多めでお願いしたいです。

サマリー

福島県郡山市出身の石井研堂について、明治大正期に子どもたちに夢を与えた企画展が開催されています。

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はい、おはようございます。本日の放送は2013年10月11日水曜日です。 本日は第591回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをたらたらと話をしていくという番組です。
そんな親父の一言が大きくなりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい、悪気はなかったんです。
不幸の子の番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後ご協力のほどよろしくお願い致します。
一昨日のスポーツの日、午前中なんですけどね。 郡山市の海西にあります郡山文学の森、そちらの方に行ってきました。
石井研堂のエンサイクロペディストとしての側面
今回ですね、10月7日から始まった企画展なんです。 郡山が生んだ偉大なるエンサイクロペディスト、石井健斗を見てきました。
エンサイクロペディスト。 石井健斗さんが亡くなって没後80年という企画されたものです。
亡くなって80年というのがすごいですよね。 こういう企画展されるとはね。
雨というと休日とはいえ、自分以外の来館者はいなかったですね。 ちょっと残念でした。入場料は200円だったので、それ払って入場いたしました。
エンサイクロペディストとは、百科辞典編集者のこと、物事を色々と詳しく知っている方のことですね。
石井健斗という方について、百科辞典編集者としての側面について、中心に展示をしているものです。
石井健斗が40代過ぎから、ライフワークとして取り組んだのが、明治物事起源という本なんですね。
明治物事起源。それを中心に据えた展示会でした。 明治維新後、文明改革によって、新たな文化、法律、経済、風俗、その他いろいろなことが始まったわけですね。
それについて始まった時のところが記録されているんですよ。 書き始めたのは明治41年です。
ですから40年くらい前のね、遡って、そして消えかかっているというのを感じたので、それを書き残していったんでしょうね。
石井健斗は、このように文字として残してくれたから、現在の自分たちが近代化する時に、どのようなことがあったのか、
いろいろな物事の始まり、それを知ることができるんですよね。 明治が始まったのは、今から155年前です。
今からですね、155年前を知ることは難しいですけどね。 40年くらい前だったら楽だったわけですね。
それを残した遺業というのは、非常に確かにすごいんですよね。
すごいんですけどね、石井健斗さんのすごいところは、それだけじゃないんですよ。
石井研堂の子供向け雑誌・児童文学者としての側面
子どもの科学読み物、理科12ヶ月というのを発行したんですよ。
これはね、36歳の時の仕事なんですよ。 小学校の教員だったという実績を使いましてね、そして作った本です。
この本はですね、単に科学的なものとして読んで知るだけじゃなくてですね、自分でも実験できるようなこともね、あちこち書いてあるんですね。
これによってですね、多くの人がですね、科学的な物事に興味を持つようになったんですね。
というわけで現在はですね、大勢の科学者、それを日本に生み出した、日本の科学技術力を発展させた本なんですね。
今の日本ですね、こういう本というか、それがすごく少ないような気がするんですよね。 それから石井健斗さんですかね。
20代の頃にですね、子供向け雑誌、小国民という本を出版されていたんですね。 その編集者としても活躍しました。
この本ですかね、わかりやすいようにですね、冊子をふんだんに盛り込んだんですね。 それでもう大ヒット。
というわけでね、文字だけをですね、ビジュアルを大事にしたってことですね。
後はそれはね、冊子がですね、まあ絵物語とかね、漫画へと繋がっていくんじゃないかと思うのは自分だけなんですかね。
その流れだと思うんですよね。 また20代の頃にですね、空想科学小説、十日間世界一周だとかね、少年ロビンケンソンだとかね。
同じくですね、ロビンソン・クルーズを題材にしてですね、ゲイ・イクタロウなどね、そういった小説を書いてるんですよ。
そして子どもたちにですね、空想する楽しさ、それをね、教えた人なんですよね。 そんな児童文学的な側面もあります。
ジュール・ヴェルムなどね、彼らの人気作をね、日本に持ち込んだとも言えますけどね、タイトルパクリっぽいですけどね、中身は完全オリジナルなんですよ。
その中のですね、現在のね、SF小説に繋がるですね、空想科学的な作品も数多く残してるんですね。
そんな人物なんですよ。そんな人物が神山市の出身者なんですよ。
石井健太さん。元はですね、タミジという名前だったらしいです。 1965年生まれてね、日本松藩、当時は日本松藩だったですね。
の神山にありました。 旗川のね、あの時はというお店の産卵として生まれたそうです。
そして神山小学校、現在のね、近藤小学校で学んだそうなんですね。 そして18歳ですね、
えっと、福島県のね、教員の資格を取りまして、母校の近藤小学校でね、教員として働いていたそうなんですね。
ですがね、20歳で上京しまして、そして東京でね、小学校の教員となるんですが、そこは辞めましてね、その後ですね、
先ほど言いました、子供向け雑誌、そちらの本を作っていくんですね。 その作った雑誌はね、歴史的読み物だとかね、理科の実験だとかね、謎々だとかね、そういったのが入ってましたね。
子供たちの興味・関心がね、刺激する内容の本になったんですね。 これはですね、過去に類を見ない子供向け雑誌、小国民だったんですよ。
それを編集していくんですね。 そして明治・大正時代の子供たちにね、多くに希望を、夢をですね、与えたんですね。
石井研堂の編集者・作家・教育者・研究者としての側面
晩年はですね、西家だとかね、鈴木などね、自分が興味あること、他の人がまだ注目していないこと、それについてね、研究していたという方です。
今回の展示はですね、連載クローププロデュアとしての側面のところ、それと理科12ヶ月という部分がね、クローズアップされていましたね。
自分が期待していたですね、子供向け初年雑誌、小国民の編集者という視点とですね、SF小説・児童文学者・作家という視点はね、ちょっと少なかったような気がするんですね。
そっちの後半の方ね、私本当興味あったんですよね。 ですけど、まあ多彩な人物だからしょうがないですよね。全てね、展示作ができないんですからね。
またですね、石井賢童さんをね、ふるさとの偉人、浅川厳細さん、それについてね、調べたりとかね、また福島県の地理、それから歴史、それについてもね、いろいろと発見したりとかね、本を書いたりとかしてたんですね。
そんな成果もね、展示されていてね、非常に良かったなと思います。 ちなみにですね、これは展示会に出てないんですけどね、日本松市の陶芸家でね、塩田力造という人がいるんですよ。陶芸で有名な方なんですよね。
そういう人はですね、外交ですね、石井賢童さんとね、とても仲が良くてですね、諸国民ですね、ペンネームでね、いろいろとね、奇抜なね、着想の科学読み物、SF小説ですね、それを書いていたんですね。
というわけでね、まあ明治期、SFと言うとですね、海底軍艦で有名なね、押川俊郎さん、そちらの方を中心とするですね、天文クラブの人たち、そういう人たちがね、有名ですけどね、それとは別なですね、この石井賢童さんの流れ、
そちらの集まりの流れがSFを作っていたということなんですね。
というわけでね、そういうふうな人物がね、福島県出身でいるんだよということですね。
ということですね、石井賢童というですね、編集者、作家、教育者、研究者としてですね、すごい人物がいてね、今その企画展がですね、恒例抹で行われているんだよという話でした。
もしもよかったらね、興味がありましたら見てみたらどうでしょうかね。
はい、それではまた次回よろしく、ペンキちゃんおたたまの発信をお付き合いくださいね。本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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