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2022-08-04 10:46

#158 いわき市出身の実業家で政治家の星一さんについていろいろ話

SF作家の星新一さんのお父さん、いわき市出身の実業家、国会議員の星一さん。とても優れた人物なんだけれど、福島県でも忘れられつつある感じがします。そんなわけで自分が知っているエピソードをつらつらと語っております。オタクにあまり関係ない話ですみません。

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はい、おはようございます。本日の放送は2022年の8月4日、木曜日です。
本日は第158回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好きおやじのピョン吉が
響きになったことをたらたらと話をしていくという番組です。
そんなおやじの一言をお聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら
ごめんなさい、これ言わなかったんです。
今後この番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
昨日ですね、福島民報という福島で一番発行部数の多い地方誌、新聞ですけれども
そちらのほうの小さなコラムがありましたね。
アブクマショーというんですが、そこで星はじめと野口秀夫のエピソードが書かれてありました。
野口秀夫さんはね、ご存知の通りですが星はじめさんですね。
その方をお題にしてですね。
星はじめさんの長男であるショートショットな神様、SF作家である星真一さん、明治市アメリカという本がありましてね。
その本からのエピソードです。
星はじめさんが両目を開けたまま顕微鏡に覗いていたら
野口秀夫はね、研究者になれるぞと言ったという話なんですね。
顕微鏡を覗きながらね、スケッチする関係で両目を開けてね、顕微鏡を覗くんですよね。
なぜ星はじめさんがね、両目を開けて顕微鏡を覗いていたかというとですね。
子供の時にね、片目をね、怪我しまして、それで片方を義眼にしていたんですね。
そのためですね、一般の人は誰も気づかなかったんですが、片方は義眼だったのでね、両目で開いていた状態だったわけですよ。
野口秀夫というとですね、もちろんね、火傷で片手が不自由だったことも有名なことです。
二人ともね、障害を持ちながら海外でも通訳する人物になったというので紹介していたんですね。
このエピソードを読んでね、なんでこう新聞がわざわざ書くんだろうと思ったんですね。
というのはですね、自分小学校の時にですね、星さんのこの本を読んでいたんで、もうとっくの昔にそういうことをしてたんですね。
あれ、よく考えたら福島県の人って星はじめさんのことを知らないことが多いんじゃないかなと思ったわけですよ。
というわけで、ざっくりと星はじめさんがいかにすごい人物かというのをご紹介したいと思います。
先ほど言いましたようにね、星栄信一さんのお父さんというのはね、一つすごいところですからね。
まず、明治時代にですね、福島県の岩木市出身の方なんですけども、
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その当時にですね、非常に有名だった星製薬という大きな製薬会社の会社を作ったんですね。
そして星薬科大学の創設者でもあります。
そういうふうな実業家としての面を持つ一方ですね、政治にも非常に積極的に参加していまして、4回ですね、国会議員として活躍しています。
当時ですね、ユニータを打っていたね、外科手術に必要なモルヒネを国産化に成功したんですね。
で、ユニで東洋の製薬王というふうに呼ばれていたんですね。
そして、薬を売るのにですね、チェーンストアという販売方式を日本で初めて確立させたんですね。
佐藤野口秀夫、それからフリッツ・ハーバーとのパトロンとしても知られています。
明治の中頃、今より125年以上前にですね、アメリカに行ってね、コロンビア大学に入学するんですよ。
そしてコロンビ大学の修士を修得していくんですね。現在の大学にレベルまで行ったということですよ。
その在学中にですね、アメリカに住む日本人向けの新聞を作るんですね。
そして日本に戻った後に先ほど言った感じで、薬を作り、販売する方はですね、福島県下ですね、国会議員として出馬するんですね。
この時ですね、星はじめさんがすごいのはですね、アメリカで民主主義を学んできたんで、民主主義とは何かというね、
投票がいかに大事だというのを学ぶ投票大学っていうのをね、いうふうな講演を行ったんですね。
自分に投票してくださいじゃなくてですね、投票っていかに大事かっていうね、その話を延々としたっていうんですよ。
そして当時ですね、投票権なかった女性、その人にもね、積極的にね、その抗議の話を聞くようにって言ったらしいんですね。
星さんの作った会社って非常にね、儲かるっていうんでね、いろんな人たちに出資いたします。
その代表的な先ほど話に出ました野口秀夫さんなんですね。
1915年ですね、野口秀夫さんがね、まあ年老いた母親が福島県にいるっていうので、栽培を果たしたいというので、
それで野口秀夫さんをですね、プッシュするんですね。お金をですね、苦面するんですね。
それだけじゃなくてですね、日本のあちこちですね、三重だとか大阪だとか京都だとか、そちらのほうにですね、講演旅行を連れて行くんですね。
で、その際にですけどもね、野口秀夫っていかに優れた人物かっていうね、冊子を作るんですよ。
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それをですね、配って歩いたんですね。現在野口秀夫さんがすごいっていうのはですね、それがきっかけになってんですね。
もちろん野口秀夫さんはノーベル賞候補にね、2回になってますけどね、ただ科学的な成果っていうとですね、実はそんなにはないんですね。
もっと日本には有名になるべきですね、科学者は多いんですよ。
でも、その中でもね、やっぱり野口秀夫さんがね、すごい有名、科学者ですねってなったのは、やっぱりその時の冊子に載ってた手を焼き出してね、苦労して、それで医学の道を目指したっていうところでしょうかね。
それはですね、日本人のね、感性っていうか、それがね、ぴったりとあったんでしょうね。
というわけで、野口秀夫さんっていうのは非常に有名になったきっかけを作った方です。
それから野口秀夫さんがね、エジソンに会いたいっていうんでね、エジソン、トーマス・エジソンとですね、野口秀夫さんをね、会わせるということもするんですね。
野口秀夫さんとエジソンと星はじめさんの3人が並ぶ写真がですね、存在しているんですね。
野口秀夫記念館に行くと見ることができます。
それからもう一人で話が出ました、フリッツ・ハーバーという人ですよ。
この方はですね、空気中の窒素をアモニアにするっていうね、空中窒素固定法っていうのを発明した人です。
別名ハーバーボッシュ法っていう方法なんですけどね、そのハーバーさんなんですね。
アモニアを変化させると焼酸になりますんで、焼酸になるとね、肥料になりますんで。
というわけで現在の農業にとってはですね、なくてはならない技術を開発した人物なんですね。
ドイツの科学者だったんですが、ドイツの科学はですね、第一次世界大戦の時ですね、敗戦しまして、
それで非常に資金難になってたんですね。
それを救ったのは星はじめさんなんですよ。非常に大金な金額を寄付したんですね。
ドイツの科学、化学はそれで非常に助かったわけですね。
1924年にですね、星はじめさんの招待で日本にもハーバーさんが来るんですね。
そのためですね、ドイツの科学を救った人物っていうのはね、
星はじめさんがね、貢献したっていうね、ドイツからね、感謝状みたいなのを送っています。
本当はお金みたいなのをね、渡ししようとしたんですが、それではダメだっていうね、星はじめさんの方が断ったらしいんですね。
そんなつもりじゃないと寄付するつもりでやったんで、感謝状だけもらったらしいんですね。
で、まあ星はじめさんとしては、ただのドイツの科学のほうでね、ドイツの科学のほうでね、
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まあ星はじめさんとしては、ただのドイツの科学のほうでね、
冷凍技術、それは優れていたんで、その技術をね、日本のほうに持ってきて、
そして新しい産業にしようとしているという計画をしていたらしいんですよね。
ところがですね、えっと、星はじめさんが非常にお金持ちでね、
そしてあと政治家であるっていうのでね、非常にですね、国からですね、嫌がられちゃうんですね。
何度もね、いろんな攻撃を受けて、倒産させられてしまうんですね。
それが書かれているのが星橋日さんが書いた、
人民は弱し、管理は強し、という本なんですよ。
管理っていうのは、国ですよね。
もしもよければね、この本を読んでみることをお勧めします。
とりあえずですね、非常に潔質した人物、福島県出身で、
住めた人物、そういう人物がね、福島県にいたんですよね。
ところがそれがですね、今全然知られていないんですよね。
もっともっとですね、星はじめさんについて知られていいと思うんですけどね。
はい、というわけで今回は全然、特撮、アニメ、漫画に関係ない話でした。
はい、それではまた次回ですね。よろしくお勧めしてくださいね。
本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。
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