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2025-12-24 05:10

#216 設定がすっとんきょうなアニメが好き!「機械じかけのマリー」が良かった件

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ピョン吉の航星日誌「#1396 「機械じかけのマリー」が好物の「バカアニメ」でしたという話」をNotebookLMでポッドキャスト化したものです。

サマリー

ポッドキャストでは、2024年秋アニメの中で「機械じかけのマリー」が特に評価される理由を探ります。この作品は一見バカバカしい設定でありながら、深い物語性と独特の魅力を持っています。

バカアニメの定義
さて、今日なんですけど、送ってくれた方が共有してくれたテキスト。これがまた面白い挑戦状なんですよね。
2024年の秋アニメを分析するんですが、公式のジャンルわけじゃなくて、バカアニメっていうその方だけの、すごく個人的なものさしで評価していると。
まさに、今回の私たちのミッションは、このバカアニメっていう独特の定義をまず解き明かして、数ある広報作の中から、なぜ機械じかけのマリーが今期のチャンピオンに輝いたのか、その思考のプロセスを追体験することですね。
では早速いきましょうか。そのユニークなルールブックから見ていきましょう。まず大前提として、このバカアニメはいわゆるクソアニメとは全然違うと。
はいはい、愛情のこもった言葉なんですよね。
そうなんです。で、重要なのが、設定そのものがすっとんきょうであること。
計算されたギャグで笑わせにくるんじゃなくて、とっぴな世界観とか状況から自然と面白さがにじみ出てくるような作品っていうことですね。
ええ。
ですけど、ここで非常に興味深いのが、もう一つの条件。
そう、完璧すぎてはいけないっていうルールです。
これなんですよ。ちょっと惜しいとか、どこか残念な部分があることが、むしろ相落としにつながるんだと。
うーん、完璧なコメディって普通目指すべきゴールじゃないですか。それを良しとしない、このちょっとひねくれた視点が最高に面白いなと。
なるほど。この絶妙な物差しで測ったときに、じゃあ今期の候補はどうだったんでしょうか。
まず本命と見られていたのが、東島タンザブローは仮面ライダーになりたい。
ああ、ありましたね。
ところがこれがまさかの、電動入りっていう形で選ばれなかったんです。
電動入り?
理由がすごいんですよ。バカアニメとして完成されすぎていたから。
へえ、完成されすぎていた。普通は褒め言葉ですよね。具体的にはどういうことなんでしょう。
テキストによると、この作品、奇抜な設定とキレのあるギャグ、キャラクターの愛らしさまでも全部が計算され尽くした完璧なバランスだったと。
なるほど。
だからこそ、送ってくれた方が求めるどこか惜しいっていう隙が全くなくて、定義から外れちゃったんですね。
はあ、なるほど。完璧すぎて、愛すべき残念さが入り込む余地がなかったわけですか。面白いですね。
ええ。
もう一つの候補はどうでした。
もう一つは、念者と玉堂ですね。設定のとっぴさは基準を満たしてたと。
ただ、こちらは首がポンポン飛ぶみたいな描写が送ってくれた方の好みとは、まあ少し合わなかったようです。
ああ、あくまで個人の感性が最終的な判断基準になるという良い例ですね。
そうですね。
つまり、東島は客観的に完璧すぎ、念者と玉堂は主観的に好みが合わなかった。その両方を解けて頂点に立ったのが機械仕掛けのマリーだったと。
作品の魅力と分析
そういうことになります。
一体この作品のどこがその絶妙なバカアニメの条件を完璧に満たしていたんでしょうか。
いや、もうこの設定を聞いただけで笑っちゃいますよ。元天才格闘家が正体を隠してロボットのフリをしてメイドになるって。
はは、すごいですね。
しかも周りは誰も気づかない。この導入だけでもうスットン卿の基準は満点ですよね。
そのバカバカしい側がまず見事ですけど、物語の構造転換が巧みになったって書かれてますね。
ええ。
最初はマリーの正体がいつバレるかっていうサスペンスで引っ張っておきながら、9話で雇い主のアーサーは実は気づいていたと明かされる。
そう、そこから物語のエンジンがガラッと変わるんですよね。彼女にそばにいて欲しいから気づかないフリをするアーサーと彼女の優しさに触れていくマリー。
その中には実は驚くほど誠実で心温まるボーイミーツガールの物語が隠されていて、そのギャップがたまらなく心地よかったと。
まさに。そしてちゃんとハッピーエンドで終わるっていう安心感。この惜しい部分としっかりとした物語の絶妙なバランスこそが、今期最高のバカアニメの称号を勝ち取った理由だったんですね。
今回の分析はメディアの楽しみ方について何か一つの真理を教えてくれますね。
ほう。
人は必ずしも技術的な完璧さに最も心惹かれるわけじゃない。むしろ壮大なアイディアとそのちょっと不器用な表現との間にある隙間にこそ人間味とか愛おしさを見出して、深く心をつなぐのかもしれないですね。
まさにそうですね。公式のジャンルとか批評家のスコア以上に自分だけの好きの物差しを持つことの豊かさを感じます。
さて、これを聞いている皆さんにとって他の人には理解されにくいかもしれないけれど、自分だけが愛してやまない個人的な作品カテゴリーとは何でしょうか。
うーん。
考えてみるのも面白いかもしれませんね。
次回の配信もお楽しみに。
さようなら。
05:10

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