SFブームの到来
- こんにちは。今回ですね、ピョン吉さんからなんとも熱いメッセージをいただきまして、中学時代のSF体験、ピョン吉さんありがとうございます。
- ありがとうございます。1977年から3年間ですか?
- そうなんです。
- まさにあのSFブームのど真ん中を生きたっていうすごい貴重な記録ですよね、これは。
- 本当にピョン吉さんのメモを読ませていただくと、当時の空気感、熱気がすごい伝わってくるんですよ。
- ええ。
- で、やっぱり中心にあったのがスターウォーズと宇宙戦艦ヤマト。
- うん、2大巨頭ですね。
- ですよね。この2つが当時の少年たちの心をどうつかんで、SFっていうジャンルをなんかこう特別なものにしていったのか。
- へえ。
- 今日はピョン吉さんのこの貴重なメモをもとに、当時の熱狂の正体、ちょっと探っていきましょうか。
- いきましょう。えーとまず77年ですよね。
- はい。
- アメリカでスターウォーズが公開されたぞっていうニュース。
- うんうん。
- これがあの日本での最初の報道タイトルが、惑星大戦争だったっていうのがまあ今思うと面白いですよね。
- そうなんですよね。惑星大戦争。
- ええ。ただ日本での公開は翌年の6月になるんで。
- そう、1年くらいこう待たされるわけです。
- このなんていうか、おづけ状態が逆に期待感を煽ったっていうのはありますよね。
- 絶対ありますよね。雑誌とかにはもうXウィングとかタイファイターとか。
- そうそうダースベイダーとかね、写真が載って。
- ええ、もうなんだこれはってなりますよね。
- なりますなります。でピョン吉さんのメモにもありましたけど、同じ年に月刊アウトとかアニメージュ、それからSF映画専門のスターログ。
- あー出ましたね、スターログ。
- こういう雑誌が創刊されたのも大きいですよね。
- 大きいですね。特にこのスターログはピョン吉さんの人生を変えたとまで書かれてますから。
- うんうん。まあ単なる情報源だけじゃなくて、なんていうか世界観をファン同士で共有して深めていくみたいな、そういう場になっていったんでしょうね。
- なるほど。でこのスターウォーズへの期待が高まる一方で、国内ではまた別の巨大な波が。
- 来てましたね。宇宙戦艦ヤマト。
熱狂の中の体験
- ヤマト。
- テレビの再放送で人気が再燃して、劇場版の公開ですよ。ピョン吉さんのメモにも厚く書かれてますけど、アニメ映画を見るために若い子たちが映画館に長者の列を作るっていうのは、当時としては本当に楽器的だった。
- そうですよね。今じゃ考えられないかもしれないけど。
- アニメの地位をある意味押し上げた瞬間だったかもしれないですね。
- この年は松本玲司さんも大活躍で。
- いやーすごかったですね。
- 『ダンガードA』、『スタージンガー』、『銀河鉄道99』、それにキャプテンハーロック。
- そうそうたるラインナップで。
- 立て続けに宇宙モノの作品が。
- 当時は宇宙モノってまだそんなに多くなかったですからね。
- あーなるほど。
- だから松本作品に人気が集中したっていう背景もあるんでしょうね。
- じゃあやっぱりこのスターウォーズ来るぞっていう期待感と、実際の大和の大ヒット。
- この2つがガチッと噛み合って、SFブームに火がついたみたいな。
- まさに起爆剤になったと言っていいと思いますね。
- ただ面白いのが、このブームに乗っかろうとした国内作品に対するぴょうきつさんのちょっと厳しい目線というか。
- あははそうですね。東宝の惑星大戦争。
- これ元のスターウォーズの放題だったのにっていう。
- そうなんですよ。ぴょんきつさんのメモによれば、海底軍艦の豪天が出てきたのは嬉しかったと。
- はいはいはい。
- でもやっぱりもうスターウォーズとか大和のかっこいいメカをね。
- 見ちゃってますからね。
- 見ちゃった後だとちょっとデザインが古いかなって感じちゃったと。
- 目が吠えちゃったんですね。
- そういうことでしょうね。厳しい。
- あと東映の宇宙からのメッセージとか、つらみプロのスターウルフとか。
- あーありましたね。
- 各社結構スペースオペラに挑戦はしてるんですよね。
- うんうん。頑張ってはいるんですけど、やっぱり本家スターウォーズが与えたあの映像体験のインパクトっていうのが、あまりにもデカすぎた。
- 衝撃だったんでしょうね。
- ついに翌年、1978年の6月、日本でスターウォーズ公開。
- 来ましたねー。
- この熱狂ぶりはもうすごかったでしょうね。ピョン吉さんのメモからもその興奮がもうビシビシ伝わってきます。
- うんうん。畳み掛けるように8月には、さらば宇宙戦艦ヤマト、愛の戦士たち。
- これですよ、この流れ。
- 夏休みに立て続けにこれを体験するわけですよね、当時の少年たちは。
- いやーこれはすごい体験だったと思いますよ。
- ただピョン吉さんのメモによると、その後のテレビシリーズヤマト2。
- はいはい。
- これで劇場版でこう、亡くなったはずのキャラクターが、あれ?生きてるぞ?みたいな。
- ありましたね、そういうの。
- ちょっと戸惑いもあったっていう正直な感想も書いてくれてて、ピョン吉さんありがとうございます。
- でもまあブームの勢いはもう止まらないんですよね。
- 止まらない。
- NHKでキャプテンフューチャーが始まったり、海外ドラマの宇宙空母ギャラクティカが入ってきたり。
- あーギャラクティカ。
- SF小説の専門誌も創刊されて。
- あとザ・ウルトラマンみたいなアニメとか、スカイライダーとか特撮ヒーローもなんか新しい形で復活して。
- 特撮も復活してきたんですね。
- 映画界ももうSF一色みたいな感じですよね。スーパーマンが飛んで。
- 飛びましたね。
- 507まで宇宙行っちゃうっていうね、ムーンレイカー。
- 行きましたね宇宙。
- それからやっぱり劇場版の銀河鉄道999、これも大ヒットして。
- これは大きかったですね。
- さらにエイリアンとかスタートレックの劇場版とか。
- もうSFなら何でも来いみたいな。
- 何でも宇宙に行っちゃえみたいな勢いですよね。
影響と感謝
- ええ、ピョン吉さんのメモによれば、中学3年の終わりにはなんと怪獣のガメラまで宇宙へ。
- 宇宙怪獣ガメラ。
- これがまた過去のフィルム使い回したり、アニメの大和が出てきたり、ある意味伝説的な作品で。
- ある意味すごい時代ですよね。
- すごい時代ですよ本当に。
- でこのもう怒涛のSFラッシュの中、ピョン吉さんが中学3年生の時に一番熱中したというのが機動戦士ガンダム。
- 出ましたねガンダム。
- これもやっぱりこのSFブームの中から生まれた作品ですよね。
- そうですね。非常に意欲的な作品だったんですけど、ピョン吉さんのメモにもある通り、放送当時はちょっと視聴率が震わなくて打ち切りになっちゃったんですよね。
- 今ではちょっと考えられないですけど。
- 考えられないですよね。でもこの熱狂的なSFブームの、なんていうか多様性、あるいは飽和状態の中で、ちょっとだけ先を行き過ぎてたのかもしれないですね。
- なるほどね。でこの本当に濃密な3年間を振り返って、ピョン吉さんが、いや自分がおかしかったんじゃなくて、あの時代全体が変だったんだって書いてるのがすごく印象的で。
- あーなるほど。言いてみようですね。まさにこう、熱病に浮かされたような、そういう時間だったのかもしれないですね。
- でもこの強烈な体験っていうのが、ピョン吉さんをはじめとするあの世代の歓声とか、あるいはその後の日本のポップカルチャー全体に与えた影響って、これはもう計り知れないものがありますよね。
- 本当にそう思います。ピョン吉世代にいわゆるオタクと呼ばれる方々が多いっていうのも、なんかこの現体験があればこそなのかなってすごく頷けるんですよね。
- いやーピョン吉さん、本当に貴重な、そしてめちゃくちゃ熱いメッセージありがとうございました。
- ありがとうございました。当時の息遣いがなんか聞こえてくるようでしたね。
- 本当に。
- 特定のジャンルが、こう社会現象になるっていうそのエネルギーのすまざましさっていうのをなんか改めて感じました。
- 感じますねー。
- ピョン吉さんにとって、この中学時代の本当に濃密なSF体験が、その後の人生観とか興味の対象とかに、今もどんな影響を与え続けているのかななんて、ちょっと考えてみるのもまた面白いかもしれないですね。
- そうですねー。いや、深いですねー。
- えー。
- はい、ということで今回はこの辺で、次回の配信もお楽しみに。
- お楽しみに。さようならー。
- さようならー。