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こんにちは。
こんにちは。
ヤマト復活の背景
さて、今日はですね、送ってくれた方のメモをもとに、2009年のアニメ映画、宇宙戦艦ヤマト復活編について、ちょっと深く掘り下げていこうかなと。
おー、復活編ですか?
ええ。今回のテーマは、なぜこの作品は長年スルーされてきたのか。そして、じゃあ実際に見てみたらどうだったの?っていうそこの確信に迫りたいなと。
いやー、正直僕もこれ、リアルタイムでは見てない一人なんで、このメモはすごく興味深いですね。早速見ていきましょうか。
まず、そもそもなぜ見なかったのかっていうところからなんですけど。
はいはい。
メモにある最大の理由が、やっぱり物語はとっくに終わったはずっていう感覚?
あー、それですよね。
1983年の完結編でヤマトは自沈して、もうあれで涙のフィナーレだったじゃないですか。
そうなんですよ。25年も経ってから復活しますって言われても、いやいやあの感動は何だったの?ってなりますよね普通。
もうそっと眠らせてあげてよっていう気持ちすごくよくわかります。
ええ。
しかもメモにあった終わる終わる詐欺っていうこの言葉がすごく秀逸で。
あはは、うまいこと言いますね。
さらばでも永にでもなんか毎回これが最後みたいな雰囲気出してましたからね。
まあ作り手側としては大事なブランドだから続けたい。
でもファンにとってあの美しい結末は神聖なものだったわけで。
うんうん。
この温度差がまず最初の大きな壁だったと。
それにこの企画自体が何度も立ち上がっては消えてたっていう。
そうなんですよ。狼少年状態?
ええ。だからいざ公開されても、あーまたあの話ねぐらいの感じでもう期待が冷めちゃってたっていうのも大きいでしょうね。
復活編の評価
でもファンの気持ちが離れた決定的な理由がもっと内側の制作そのものにあったみたいで。
ここが一番根深い問題ですよね。
ええ。
あのプロデューサーと原作者の松本玲司さんとの訴訟問題。
はい。
これであの独特のキャラクターデザインが使えなくなった。
それに加えて主人公の古代シスムの声、富山圭さんももう亡くなられていた。
そうなんですよ。
メモには顔も声も違う大和なんてって書いてありますけど、これってもうアイデンティティの問題ですもんね。
まさに。ここで突きつけられるのってかなり根源的な問いだと思ってて。
ほう。
我々が大和を愛してる時、その魂って物語の筋書きにあるのか。それともあの松本玲司さんの描くキャラクターの瞳とか富山さんの声の中にこそ宿っていたのかと。
なるほど。
この映画ってファンにその答えを迫る、ある意味で残酷な踏み絵になったっていうことだと思うんですよね。
で、そんな複雑な思いを抱えつつ送ってくれた方は最近ついに初視聴したと。
おお、ついに。
で、その感想がですね、思っていたよりは悪くなかったと。これがちょっと意外で。
ほう。物語もちゃんと完結編の続きだったんですね。
そうなんです。今回は異動性のブラックホールから人類を移民させる話で、で、敵がアメリカっぽい連合国家SUS。
なるほど。ちゃんと大和は知ってると。
古代すすむの声、山寺宝一さんだったらしいんですけど、これが驚くほど違和感がなかったそうで。
ああ、それはすごい。
長年のファンからするとここが一番のハードルかなって思ってたんですけどね。
ええ。だから声さんの卓越した技術で乗り越えられる部分とキャラクターデザインの変更みたいに、ファンにとってどうしても越えられない壁があったということなのかもしれないですね。
なるほどな。物語の構図もちょっと面白くて、これまでの地球を守る話から、今回は地球を見捨てる話に大きく転換してるんですよ。
時代の変化を反映させようとしたんですかね。ただメモによると、その敵の動機が理屈より感情で動いててよくわからないっていう指摘もあって。
ああ、脚本に少し荒があったのかもしれないですね。
かもしれないですね。
そして、これが多分最大の問題点なんですけど。
はい。
この映画、全く終わる気がない作りになってるっていう。
ははは、そうなんですか。
主要キャラの森行はずっと行方不明のままだし、敵との決着もつかない。俺たちの戦いはこれからだ、エンドだった、と。
わあ、実際に2012年に第2部の制作が発表されたんですよね、確か。
あ、そうなんですか。
ええ。でもそれからもう10年以上おと定かなし、と。つまり、復活編って銘打ちながら物語は復活しきれずに止まっちゃった。
なんとも皮肉な話ですね。
ええ。で、その後に大成功したリメイク版の2499シリーズが始まって、この復活編は完全にこう、歴史の影に隠れてしまった、というわけですね。
こうして全体をまとめてみると、この復活編っていう作品は、過去の偉大なシリーズと実現しなかった未来との間に、なんかこう、取り残されちゃった非常に特殊な存在なんだな、と。
まさに作品自体が完結していない復活の物語っていう。
その存在そのものが、なんだか切ないですよね。
ええ。だからこそ、今見るとまた違った考えがあるのかもしれないですけどね。
そうですね。最後に送ってくれた方へ、こんな問いを投げかけて終わりたいと思います。
2巻の物語って、それだけで価値が低いんでしょうか?
それとも、この不完全さこそが、復活編を大和の歴史の中で、かえって忘れられない興味深い存在にしているんでしょうか?
次回の配信もお楽しみに。
さようなら。