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2026-01-09 04:00

#232 福島市出身の宍戸淳監督の見逃していた『とある飛空士への追憶』

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ピョン吉の航星日誌「#1412 宍戸淳監督、唯一の劇場アニメ『とある飛空士への追憶』を今ごろ観た話」をNotebookLMでポッドキャスト化したものです。

サマリー

2011年に公開されたアニメ映画『とある飛空士への追憶』は、東北日本大震災直後に公開されたため、当時の評価が低い。しかし、時間が経つにつれて再評価されているようだ。作品の価値は観る時期によって変わることが示唆されており、特に人々の感情や状況が評価に影響を与える興味深い現象が紹介されている。

映画の概要と評価
こんにちは。こんにちは。さて、今日は、2011年のアニメ映画『とある飛空士への追憶』についてですね、送ってくれた方のメモによると、公開当時が東北日本大震災の直後で、とても映画を楽しむ気分じゃなかったと、それが今になって見てみたら、すごく印象的だったそうですね。
そうなんです。今回は、なぜ当時と今でこれほど印象が違うのか、そのあたりを送ってくれた方の分析を手がかりに探っていきましょうか。
お願いします。まず、僕が最初にすごいなと思ったのが、この物語のスケール感なんです。
ああ、わかります。
西の大陸と東の大陸が1万2千キロも離れている。
1万2千キロ?
で、その間に大幕府っていう巨大な滝があると、現実の地球の直径に近いですよね。
ほぼそうですね。とてつもない距離です。
それを、たった一機の水上偵察機、サンタクルースでしたっけ?
ええ、サンタクルースです。
それで、磁器コーヒーを乗せて、敵の追撃をかわしながら飛ぶって、いやもう無謀というか。
まさにロマンですよね。
そう、この設定だけで引き込まれますよね。
ここで面白いのが、送ってくれた方の視点なんです。
これは、いわゆる魔法とかが出てくるファンタジーじゃないと。
はい。
架空戦旗模様の形をとるつつも、架空にあるのは理屈よりもロマンなんだって指摘されてるんですね。
理屈よりロマン。
つまり、この壮大な世界観というのは、たった2人の逃避行、このラブロマンスを成立させるための壮大な舞台装置じゃないかっていう。
なるほど。その言葉はすごくしっくりきました。
確かに飛空戦艦とかの設定はあるんですけど、主役はあくまで2人の関係性ですもんね。
そうなんです。そしてそのロマンを演出したのが、監督の獅子戸発志さん。
そうでした。送ってくれた方もこの監督だったから見てみたと書かれてましたね。
はい。初めの一歩を何かで知られる実力家の方で。
この作品が34歳という若さで撮った唯一の劇場監督作なんですよね。
これだけ聞くと名作の予感がするじゃないですか。
ただ世間の評価はちょっと違ったみたいで。
そう。そこがこの話の確信につながっていきます。
送ってくれた方の調査によると当時の評価はあまり高くなかったと。
そうなんですか?
作品の価値の変化
特に原作ファンからは原作の良さが生かされてないみたいな結構厳しい声もあったそうなんです。
でも送ってくれた方はなかなか良い作品じゃないかって感じたわけですよね。
原作を知ってるかどうかでそんなに変わるもんですかね。
それも一因かもしれませんが、送ってくれた方が示唆しているより大きな要因が2011年という時代そのものなんです。
時代ですか?
はい。多くの人が悲しみの中にいてエンタメ全体が自粛ムードだった年。
ありましたね。確かに。
そんな中で静かに公開されたこの映画は多くの人の記憶に残る間もなく埋もれてしまったんじゃないかと。
なるほど。つまり作品の価値って普遍じゃなくて、いつどんな状況で見るかによって全く見え方が変わってくるってことですか?
そういうことになります。
公開されたタイミングがこの作品にとってはある意味最大の不運だったのかもしれない。
ええ。大きな悲しみがあった年に静かに世に出た作品が、時を経て今だからこそその価値を静かに再発見される。
これってすごく興味深い現象だと思うんです。
いやー面白いですね。作品の評価って時代っていうフィルターを通して行われるんですね。
そうなんです。
いやー送ってくれた方のメモのおかげで一本の映画からそんなところまで考えが及びました。
では最後にリスナーの皆さんもこんな問いを考えてみるのはどうでしょう。
お願いします。
この映画みたいに自分自身の記憶の中で何か大きな出来事の影に隠れてしまったけれど、今もう一度触れてみたら全く違う輝きを放つかもしれない。
そんな本や音楽、映画はありませんか。
次回の配信もお楽しみに。
さようなら。
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