1. 口は背中よりモノを言う。
  2. #22 集合写真と母の影。
2023-04-27 23:58

#22 集合写真と母の影。

集合写真での自分の姿から、目を背けてきた『親子関係』が顔を出してきた話。
後半、本当に胸が苦しくなったので、僕の中で本当にあかんやつなんだろうと思います。たぶんカフェインの副作用ではないはず。

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保育園の新旧式と集合写真
こんにちは。こんばんは。おはようございます。カフェイン岩尾です。
この前ですね、この前って言っても4月の頭の話なんですけど、
保育園の新旧式というものがありましてですね、
うち2人子供がいまして、もうすぐで5歳と3歳にそれぞれになるんですけど、
それぞれ保育園の1校上の学年、1校上のクラスになるっていうことでね、新旧式があるわけです。
で、その新旧式っていうのがさ、全部で1時間ぐらいね、尺があるわけ。
こっちはさ、子供を連れているわけよ。5歳と3歳になろうかという子供をね。
で、別にその参加者は我々だけではなくて、その1歳児を連れている方もいらっしゃれば、
2歳児、3歳児、4歳児、5歳児みたいな、各世年代の子供を連れて、皆様保護者の方が参加されているわけ。
どこの保育園児がさ、1時間耐えれると思ってんだろうなって思ってね。
まずそこにちょっとげんなりしちゃったっていうか、がっかりしちゃったんですけど、それは今回の本題ではないんですよ。
で、その新旧式がその1時間ぐらいあってね、その1時間ぐらいなんだかんだあった後に、今度じゃあそのクラスごとに集合写真を撮りますって言ってね。
僕はその下の子のクラス一同の子たちと写真を撮り、パートナーはその上の子のクラス一同と写真を撮りっていう風な時間があったんです。
新旧式でさ、その1時間ぐらいかけてさ、もう散々子供たちが飽きてワキャワキャ言ってる中で、
じゃあほら写真撮るよーってそんなスムーズにいくわけないだろうと思いつつも、まあまあそれはもういい子だしだろしょうがねえかと思ってね。
あの写真を撮ったんですよ。
集合写真が引き起こした母親との類似性に対する心情
で、その写真がね、あのつい先日我が家に届きましてですね、見たんですけど、
なんかねその、その写真に写っているね、あの自分の姿が母親にすごい似てきたなって思って、
なんかその、そういう保育園とかさ、学校とか何かしらのこう写真で、何かしらの写真に写っている母親の姿にめちゃめちゃ似てきてしまったな、ということに気づいてですね、
なんていうかこう、表現するのがすごく難しい不快感に襲われた、
っていう話なんですよ、本日は。
前の回で何回か話題にしていますが、あの僕はちょっと持病の関係で、そもそもその普通の男性よりもちょっと女性ホルモンの分泌量が多いんですね。
まあ思春期の頃に分泌量が多かったんです。だから若干こう体型がその女性寄りになっている部分があるんだけど、
だから何だろうな、その写真に写っている時のその自分のこう表情、目の細さ、笑い方であったりとか、
その上半身のね、肩の先端の部分の丸まり方とか、なんかそういう諸々をひっくるめて、
すごくこう自分の母と重ねてしまったんですよね。
で、うちはですね、うちはというか僕がなんですけど、僕はそのあまりこう家族関係が良い方ではなくてですね、
正確に言うと僕が一方的に両親のことを嫌っているんだけど、
まあもうちょっと正確に言うと、僕と、僕はあの姉が2人いるんですけど、僕と姉2人が両親のことを嫌っているになるんだけれども、
若干いびつな関係性なんですよね。
だからその、嫌っている母に自分がどんどん似てきているという事実が非常にこう受け入れがたいというか、
なんかねえ、ねえってなってしまったんですよね。
家族関係の問題と嫌いな要因の積み重ね
で、なんでその両親が嫌いかというと、なんというか、
これといってものすごい大事件が起きたわけではないんですよ。
例えばその、すごく虐待をされたとかね、あのネグレクトされたとか、そういうふうな一つのショッキングな出来事があったわけではないんだけれども、
なんかこう細かい物事の積み重ねによって、もうあの人たちと一緒の空間では過ごしたくないなというふうな思いが高校生ぐらいから芽生えてしまったんですよね。
僕は今でも、パートナー側の両親と会うよりも、自分の両親に会う方が緊張するし、嫌だと思うし、可能な限り避けたいなというふうに思ってしまう。
上の子が生まれた時には、まだコロナ禍ではなかったこともあって、やむなく1回だけ会わせたけれども、下の子は未だに会わせてない。
写真とかも別に見せてないぐらいの、それぐらいの、いい朝度合いだと思っていただければと思うのですが。
なんだろうな、なんかこう細かいね、細かい物事を挙げればまあいろいろあるんですよ。
家が絶望的に汚かったとか、
ご飯が絶望的にまずかったとか、その人の話を聞かなかったとか、
会話の中に全然主語を入れてこねえとか、
成績の5段階評価の3を取ったらなぜか怒られたとか、
8時以降はテレビを見させてもらえなかったとか、部活動にめちゃくちゃ反対されたとかね、
1個1個を挙げてみれば、今の感性からすると正直そんなに取るに足らないことというかね、
こっちの捉え方次第でどうでもなるだろうと思われるものがいっぱい含まれてはいるんだけれども、
でもその諸々の積み重なりが、どうしようもなく嫌になってしまったんですよね。
まあなんで、一応ね、今後ね、ゴールデンウィーク明けに新型コロナウイルスの扱いがインフルと同等ぐらいになる予定じゃないですか。
今のところね、あの我が国日本では。
両親との関わりの葛藤
なのでさすがにその後には1回ぐらいは下の子に会わせてやろうかなというふうな気持ちもあるんですけど、
嫌なんですけどね、本当に嫌なんですけど、内心は。
極力ね、関わり合いたくないなぁ。
なんだけどよ、ここまではその僕個人の感情の話なんですけどね。
僕にとっては、あのうちの両親というのは、
なんというかこう許しがたい、許容しがたい、関わり合いになりたくない両親である、なんだけれども、
それはあくまで俺個人の感情であって、子供たちにとってどうかっていうのはちょっとまた別問題のようにも思うんですよね。
うーんと、
その僕が僕の両親を嫌いだから子供たちに会わせないように遠ざけるというのは、
うーんとね、
よく何かしらの物語の導入部分に出てくる、
あそこのお宅に住んでる人は得体が知れないからなるべく関わり合いにならない方がいいわよって言ってるお母さんみたいなさ、
なんていうんですかね、
その子供の基準ではなくて、その親の基準で一方的にあいつらとは関わり合いにならない方がいいというふうに決めつけるのは、
一部分子供の自由を奪っていることにもなるのではないかという懸念があるわけですよ。
伝わっただろうか、今の物言いで。
仮に子供たちからすれば、なんかものすごく間が合うかもしれないし、
そのうちの両親から何かしらいい影響を受ける可能性だって、まあゼロではないわけですよね。
ないと思うけど、内心全くないと思ってるけれども、でも客観的に捉えるとゼロではないようにも思うんです。
だし、そのうちの子供たちを、そのうちの両親に合わせないようにしているということは、
両親との関わりと人手不足
その子育てに関する労働力を2人分失っていることと同義でもあるんですよね。
パートナー側の両親はね、僕の義理のお父さんお母さんは、
比較的子供たちと関わることに協力的というか意欲的というか、
結構ね、子供を連れ出してくれたりとか、お泊まり誘ってくれたりとか、一緒にご飯に行ったりとか、
まあそれなりに、それこそ自分の両親にあるのと比べるとよっぽど良い関係を築けているんじゃないかなっていうふうに思うんです。
当然なことですけれど、我々夫婦2人だけで子供を相手にしているよりは、そういうふうに人手がいた方が単純に楽になるんですよ。
子差しっていうのは、僕は常に人手との戦いだと思っているので、その人手さえあれば解決する問題っていうのがすごくいっぱいあるように思うんですよね。
だから、そういった点で、そのうちの両親と関わらせないようにしているっていうことは、すごい言い方が悪いような気がするけれど、
僕が提供できる人手を提供していない、みたいな、僕が本来切れるはずだった実家の両親に頼るというカードを、僕一人の勝手な感情によって切らないようにしているともとれるわけですよ。
これがね、ちょっと密かに僕はひけめいに感じておりましてですね。
パートナー側の両親には結構頼ることがあるけれど、うちの両親には頼らせないようにしているという事実。
それは人手が足りているときには何ら問題がないんだけれども、ちょっとここにもう一人誰か欲しいっていうときに選択肢の中にあげられないというひけめいというのかな。
仮に僕と両親との関係性が良好だったのであれば、子育てがもっと円滑に進んでいる可能性だって言ったらあるわけじゃないですか。
人手が増えるからね。
なんかもうずっと人手人手という扱いをしている時点でお察しみたいな感じなんだけど。
なんですよね。
子供に対する親の決定と矛盾
なのでなんとなくそこについては常にパートナーに対してひけめいに感じている部分がある。
一応そのパートナーはね、両親顔合わせぐらいのタイミングでね、事前に
うちの関係性は正常ではないと。
そちらの両親に会うよりも自分の両親に会う方が緊張するし嫌であるというふうなことは伝え、
顔合わせだったり、結婚式だったりとか何回か会う中で、
ああそうなんだ、そういう関係性なんだ、いろんな仮定があるね、
ぐらいな感じで受け入れてくれてはいるんですけどね。
だからそれこそね、そのうちのパートナーからすれば、もしかしたらうちの両親とめちゃくちゃ仲良くなることがあるかもしれないし、
その機会を奪っているというのが果たして正しいことなのか、いいことなのかどうなのかっていう問題ですよ。
合理的に考えればね、僕が我慢して、別にそのうちの両親から僕に対しては、
まあ僕が感じ取れる限りでは別に好きも嫌いもない普通ぐらいの感情のようには思うので、
僕が我慢して両親に協力を仰ぎ、
育児なり何なりの負担量を減らすというのは、
まあなんというか、地面だけ見ればすごく合理的な判断に思える。
ただ僕は心の底からそれをやりたくないっていう感じですね。
だから本当な、その子供が生まれたりとかそういう話が絡まなければ、
なんか別にもう一切今後関わり合いになりません。
ありがとうございましたっていうので良かったんだと思うんですけどね。
やはりこう、子供が絡むと、なかなかその辺が難しくなってくるなというふうに、
思わされてしまいますね。
っていうふうな物事をね、
両親との関係性
保育園の神給式の写真を見たことで、
自分の母を思い出し、自分の両親との関係性を思い出し、
しばらくも意識の外に外してたんですけど、
なんか改めてどうするのがいいんじゃろうかと思っている。
ここ2日3日でございます。
いやー、気が重いなぁ、合わせに行くの。
本当に気が重い。
別にね、言っても双方大人ですから、
そんななんていうか、とんでもない事態になることはないとは思うんだけどもね。
本当になんていうか、ただただ僕が不快な気持ちを
グッと心の奥底にしまえるかどうかの勝負になるっていう話なんですけどね。
いやー、まあまあまあ、多分ね、
いかにも悩んでるふうな口ぶりで話しておりますけれども、
多分一応形式上したの子は一度合わせるために実家には連れて行こうとは思っていますが、
それ以上何かこう育児とか家事とかの面で協力をあうことは、
よっぽど困窮しない限りはしないんじゃないかなと思っています。
今のところはそうありたいと思うしね。
それをしないようにするために、取れる手段は極力講じていきたいなっていうぐらいには、
いうぐらいにはって感じ。今のとこね。
でさあ、こういうふうなね、
こういうふうな、両親とうまくいってないだとか、子供を合わせてないとか、
何だろう、梵とか正月に実家に帰ってないとか、そういうふうな話はね、
患者さん向けが非常に悪いわけですよ。
なぜかというと、患者さんというのは僕の両親だったり祖父母だったりと年代が近いからね、
当然それぐらいの人は尊重されるべきであるみたいな考えを持たれた方が多いですから、
だから患者さんと話すときには、かなりふわっと濁した話をするわけです、僕はね。
お正月明けとか、夏休み明けとかのときには、
必ずご実家に帰られたんですかと聞いてくる方がいらっしゃるわけですよ。
で、まあちょっとなんだかんだバタバタして帰れなかったんですよね、
何かしら、ふわりとしたオブラートに包みながら、
でもまあ一応嘘はついていないぐらいなニュアンスで濁すんですけど、
あの一人だけね、これまでに一人だけそこにこうズカズカ突っ込んできた奴がいたんですよ。
患者さんに奴という表現を使うのは本当に良くないとは思うんだけれども、
一人だけね、そういうとこに突っ込んできた人がいらしてですね。
で、その人が言うには、
そのぼんなり正月なりに実家に帰らないのは、まあ親不幸であると。
で、その親不幸な親に育てられた子供は、
ろくな子供に将来育たないよ、みたいなことを言われたことがあったんですよね。
先日のような話になるんですけど、
お前うちの家庭環境何を知っとんじゃい、これまでさんざん突っ込まれるの嫌だから、
ぼかしてぼかしてどうにかこうにか逃げてきたのに。
で、しかもなんか子供まで引き合いに出されてね。
関係ないじゃん、言ったら。
マジで何を根拠にこの人はそんなことを言うんだろうと思ったんだけれども、
もうその子供を引き合いに出された時点でも、
ちょっとね、あの僕の中でのラインをしっかりその人は踏み越えてしまって、
まあまたこういろいろね、いろいろその人とは会ったわけですが。
だから本当ね、そう、その人のことは今でも許せないんだけれども、
だけれども、冒頭に話したような、その僕の一存で、
そのうちの両親と子供たちの間の交流を立つことが、
果たして本当に子供たちにとっていいことなのかどうか、
とか、そのうちの両親という人手を活用させないことによって、
我が家の家事育児が若干厳しくなっている部分も側面としてはある、
とかっていうふうなことを改めて冷静に受け止め直すと、
なんか、この親子関係が悪いということは、
実際問題、子供を育てていく上でデメリットしかないなっていうふうに、
最近ちょっと思ってきてしまったんですよね。
親子関係と毒親
これはなんかその、親が俺に対してしてきたことが悪いのか、
はたまたその親にされたことに対しての俺の捉え方が悪いのか、
ここは本当にわからないんだけど、
よくなんか、毒親に育てられた子供は将来的に毒になるみたいなね、
文言を時々目にするんですが、
あながち間違いでもないのかもしれないなって、
時々こう頭をよぎることがあります。
なんか、どうしてこうなってしまったんだろうか、
どこで、どこで俺が間違えたのか、親が間違えたのか、
なんなんだろうね、なんでこうなってしまったんだろうなぁ、本当。
いつかね、僕が勝手に抱いている親が嫌いであるという感情を上手いこと消化して、
一般的な関係性に戻れる日が来るのかもしれないし、
このまま墓場に持っていくのかもしれないし、
どうなるんだろうなぁ、まずはちょっとどっかで会わせに行って、
そこで改めて自分の感情と向き合うことにしようかなと思っています。
気が重いなぁ。
集合写真と母の影
なんか、もう今、話しててだんだんだんだん胸が苦しくなってきた。
なんか、その涙が出るとかさ、そういう類のことではないんだけれども、
なんか本当、両親のことを口にするだけですごく胸が詰まってくるような感覚がありますね。
嫌だねー、嫌ですねー、なんでこうなってしまったんだろうなぁ。
ちょっと、なんか苦しくなってきたので、やめようかな、この辺で終わろうと思います。
ご静聴ありがとうございました、ここまで。
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では、また。ありがとうございました。
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