-
-
カフェインよわお
ほんとそう、ほんとそうって感じのことばっかりでした。聞いてて。
ね、お互いにというか。
すぎべ
お互いにね、そうなんですよ。
カフェインよわお
そう、私あの、今日のスーパーで、スーパーで買い物しながら聞いてた話があって、
すぎべ
パパバッグの話なんですけど、パパバッグの話というか、子育てする前ってバッグ何持ってたっけみたいな話。
カフェインよわお
あ、はいはいはい、しましたしました。
すぎべ
もう服装も含め、アクセサリーも含め、え、えっとーみたいな、えっと、荷物は減ったけど、えっとーみたいなやつが、もうちょっと一旦スーパーで立ち止まったんですよね、もう。
カフェインよわお
そこまでですか?
ほんとに、ほんとに、お肉のコーナー、お肉のコーナーで、はいはいはいはい、立ち止まって、もう10秒巻き戻す、10秒巻き戻す。
えー、あ、でもなんていうかその、変な話、それこそ女性の方でもそうなんですね、なんか、めちゃくちゃそうです。
えー、でも、やっぱそうですよね、なんか、極力こう、引っかかったら嫌だから、こう凹凸をなくそうとか、もう、なんかその、動きやすいように、みたいな、なんかそういう感じにやっぱりなりますよね、絶対ね。
すぎべ
そうなんですよね、そうなんですよ、で、その、なんていうか、自分が好きで持ってたカバンとか、服装とかアクセサリーとかって、
もちろん子供が生まれる前の自分の状態で持ってるじゃないですか、で、そこから何年か経って、もう一回ってなったら、なんかちょっと若干体型も変わってたり、好みも変わってたり、なんかまあ世の中の流れ的にも変わってたりとかするから余計に、あれ?ってなるっていうのがもう身に覚えありすぎて、私。
カフェインよわお
そうか、えー。そうなんですよ。そうですよね、なんかそう、改めて、なんだ、結婚する前とか、その子供生まれる前に持ってたそのカバンとか洋服を見たときに、なんか逆に何が好きでこれを着てた、身につけたのかよくわかんなくなるみたいな、その回を撮ってるときに確か襲われてたんですよね、もともとなんか何が好きで、何をこう目的にこう服を着てて、何を目的にこのカバン持ってたんだっけ、みたいな。
すぎべ
そっか、その、それすらも、もう思い出せないって感じってことですか?
カフェインよわお
うーん、まあ多分、なんかもともとそこまでそんなこだわりをなく持ってたんですよね、ただ当時は当時で、なんかまあこういう形がこう使いやすいからとか、なんかまあこういう風なのがなんとなく今似合う感じがするからみたいなので、こういうのをこう選んでたものが、なんか1回その子育てに最適化された感じの荷物が入るカバンと、
わかるー。
凹凸のない服と、みたいな感じでいくと、なんかその逆に理由があって、こう選ぶのが当たり前になっちゃって、
すぎべ
うんうんうんうんうんうん。
カフェインよわお
そういうこう、確固たる理由なしにここから脱出することがちょっとこう難しくなってくるみたいな、そんな、そんな感じですかね。
すぎべ
その、自分の好きとかだけでは物とか選べなくなっちゃいますもんね。
あ、そう、そうですね。だから、そう、なんか本当その、自分がこう物を選ぶときの選択の主導権が、やっぱ自分じゃなくてこう子供をどうするかみたいなところにこう持ってかれてる感じ、みたいな。
そうですよね。
カフェインよわお
なんかそのまま消えてなくなるパターンも全然あり得るけど、
すぎべ
あの、我々はそれを頑張ってなんか取り戻そうとしているみたいな。
カフェインよわお
そう思います、そう思います。
すぎべ
そうですよね、そっち、そっち派閥ですよね、たぶん。
カフェインよわお
そっちです、そっちです。
そうですね、だからなんかほんとこう好きあらば、ちょっとずつこうこっちサイドにこう奪い返しているぐらいなタイミングなんですけど、今うちは。
僕は仕事で理学療法士っていう人にリハビリをこう提供する仕事をしていて、割合こうご高齢の方々がこう、いわゆる患者さんの層って多いんですけど、
それぐらいの、今80代とか90代とかそれぐらいの年代の、いわゆる女性の方って、基本的にはもうなんかそこからこう、たぶん奪われて、もう全部渡しちゃって、
で、ちょっと不謹慎な話ですけど、そこで、なんか旦那さんが亡くなったりとか、そういうふうな物事があってようやくこう取り戻して、
なんかそこから頑張られる方と、なんかもうそのままこう、失意のままなんとなくこうなっていっちゃう方と、みたいな例を結構見るんですよね。
すぎべ
そうか、お仕事からね。
これは、逆になんかそこで頑張ってこう、たずなを取り返そうと気合い入れとかないと、そういうふうになるのかもしれないなみたいな、ちょっとした恐怖感みたいなのもあったりとかします。
確かに、なんか、これはそのご高齢の方の、特に女性はっていうところがあるのかもしれないですけど、その自分を、
なんていうんですかね、自分を見失うことが、若干美徳というか、自分を犠牲にして、見失って家族に捧げるってことが、
カフェインよわお
はいはいはい。
こうなんか良しとされる時代とか場面とかもきっとあったじゃないですか。
すぎべ
そうですね、そうですよね。
でも、でもって思う。
カフェインよわお
でも、でも、なんか、それをなんかこの現代の世でやるには、あまりにもなんていうか、本当にこう、やりたくなることが多すぎますよね、なんかこの今の現代って。
すぎべ
そうですよね。
カフェインよわお
そんななんか、こうね、旦那さんをひたすら立てて自分は陰に行ってみたいなので過ごすのは、ちょっとあまりにももったいなさすぎるというか。
すぎべ
そうですよね。
でもなんか私結構、そうはなりたくないと頭で思いながらも、多分見てきたものとか、私その母親と、あと祖父母と敷地内同居してたんですよね。
だから、あの親の世代だけじゃなくって、その上の世代のおじいちゃんおばあちゃんとかとも一緒にずっと過ごしてきてて、結構その祖父母の影響って大きいんですよ。
だから、一個飛ばしの世代からの影響がすごい大きくて、多分それはあるのかなと思うけど、結構多分その刷り込みが良くも悪くもあって、家族のためにとか子供のためにとか、もうそんなん結婚したなら旦那さんのためにみたいなことを、結構たぶんちっちゃいうちから言葉でも刷り込まれてきたし、
行動、おばあちゃんがもう自分のご飯もろくに食べずに、おじいちゃんのご飯作ってるみたいなとか、多分そういうのもすごい知らず知らずのうちに良くも悪くも刷り込みがあるんだろうなと思うんですよね。
カフェインよわお
自分が母親になるまでそれにあんまり気づかなかったっていうか、そんなこと考えるタイミングがなかったから、全然そんなふうに思わずに、どっちかっていうと、なんかそんな男性とか女性とか関係ないみたいな、私もやりたいことやるしとか思ってたんですけど、母親になった瞬間めっちゃそれが出てきて、もうなんか私の中におばあちゃんがいつでもいるみたいな感じ。ここにおばあちゃん乗せてみたいな感じになっちゃって。
すぎべ
日本は日本の良さが、もちろんあるんだと思うんですけど、
カフェインよわお
はいはいはいはい。
すぎべ
なんか、自己犠牲ってしんどいですもんね。
カフェインよわお
いやーしんどい、しんどいですよねー。
すぎべ
しんどいですよねー。
カフェインよわお
僕の話になっちゃうんですけど、僕と僕の親との間が、あんまり関係性が良くないんです。
母親が、それこそいわゆる自己犠牲型で、かつ、自己犠牲してんのになんで?みたいな問いかけとかを結構してくれたりだったんですよ。
で、いざ我々に子供が生まれるぞってなった時に、ああはなるまいっていう思いだけがすごく強くあったんですよね。
で、ああはなるまいって思って、ただ、その自己犠牲型の像しか、僕の中での親としての情報がないというか、経験値がないというか、なので、
それこそ、ホストマザーの方のような適度な力の抜く塩梅みたいなのは、正直ほぼわかんなくて、
とりあえず思いつくことを100%やるしかない。そうでないと、それこそ、僕と妻の間での親になるための心構えのところの違いとかも絶対あるし、
そこにどうにかこうにか追いつくためには、男性のみだったら100%コミットするぐらいの心持ちで挑まないと、僕が思い描く理想のところにはいけないだろう、みたいな感じで子育てに突入したんですよ。
で、したら、もう案の定、自己犠牲になったんですよね。
カフェインよわお
だから、なんか子供に対しても、なんでこいつこんなすげー手間かけて離乳食作ってやってるのに食わねえんだろうって。
それがこう、展示でその妻の方に対しても、いやもうこんぐらいちょっとこっちは注ぎ込んでるのに、なんでこういうことしてくれないのみたいな、そういう目にあるタイミングでなっちゃったんですね。
なんかすごいナイフを突きつけてしまったような感じが。
すぎべ
わかります。私、ナイフ何本も隠せてもないと思うんですけど、すごい持ってました。
カフェインよわお
いやー、そうそうそう。っていうので、なんかちょっとやばいなっていうふうに思い始めてたぐらいの時が、たぶん僕が今のこのポッドキャストを始めたタイミングなった気がするんです。
もうなんか、手も、いやそんな抜けるわけないし、休憩しろって言っても別に休憩できる目処もないし。
すぎべ
いや、ほんとそうなんですよ。なんか、疲れたら休んだらいいんだよみたいなのあるじゃないですか。子育てそんなに頑張らなくていいよみたいな。
でもさ、私が頑張らんかったら誰が頑張るんって思いません?
カフェインよわお
なりますなります。
すぎべ
休むっていつ?みたいな。
その間あなたが見てくれるんだったらいいですよみたいな。
確かにそう。
カフェインよわお
ねー、そうそうそう。そうなんすよねー。
すぎべ
あー、そっかー。
なんか、親になるっていうことに対して、親のサンプル数少なすぎって思いません?
カフェインよわお
いや、ね、ほんとそう思います。
すぎべ
知らんねーけどっていう感じですよね。
カフェインよわお
そう、ほんとなんかこうやったらいいんだよみたいな、見本になる人ってまあ身近にはほぼいないし、てか身近っつってもそれこそそういうふうな親しか僕もいなかったですし、別になんか友人の親とかを見てきたわけでもないですし、
なんかテレビに出てくるような人は、こんな完璧にやんなきゃいけないの?みたいな人しか出てこないし、
なんかほんと見本がないなーっていうふうにはすごい思ってました、ずっと。
すぎべ
そうですよねー。私もなんかずっと正解だけを提示してほしいって思ってた時があって。
カフェインよわお
はいはいはいはい。なりますなります。
すぎべ
もうなんか失敗してそこから学んでとかっていう方が、自分が成長していくためにはいいんだろうなってことは頭では十分わかってるんですけど、
その失敗する気力も両力も時間もお金もないみたいな、
だからもうとりあえず、正解の道だけ教えといてもらっていいですかってすごい思って。
カフェインよわお
いやいやいや、ほんとに。もうなんか誰かしらなんかここら辺のところから我々の生活を見てて、
あ、もうそれはこっちに行ったらいいよって、もうなんか、もうこっちに選ばせる体力使わせないでみたいな思いもありますよね。
すぎべ
すごい思ってました。
でもなんかそれこそ、そう最初は思ってたけど、
子供が育っていくにつれて、いやこれ正解ないなってことにも気づくじゃないですか。
カフェインよわお
はいはいはいはい。
すぎべ
気づいて、あ、だからかみたいな、だから誰も見本としていてくれないんかっていうことにも、
てか気づき始めて、一旦絶望するみたいな時期があったんですよ。
カフェインよわお
え、これって、やばみたいな。
結局こっちで頑張るしかないなってなりますよね、ほんと。
すぎべ
そうそうそう、ほんとそうでした、なんか。
え、でもじゃあそのタイミングでポッドキャストが始まったってことは、
ほんとになんかこう、ポッドキャストがすくいって言うとちょっと違うのかもしれないけど、
カフェインよわお
はいはいはい。
すぎべ
ポッドキャストとともにみたいな感じだったってことでしょうね。
カフェインよわお
いやだいぶ、だいぶありますね、ほんとに。
すぎべ
あ〜。
カフェインよわお
いや、わりとちゃんとやってなかったら、ほんとにつぶれてたかなっていうふうな気はします。
あの、うちそのパートナーが、夜勤もあるし、フト制で働いてるんです。
だからそれなりにワンオペになる日もあるし、
僕は平日出勤の土日宿休みなんですけど、
その土日宿もまるまるパートナーがいないみたいなことも結構あるんですね。
だからそれこそ、大人と全然話してない、
自分の気持ちを誰かを組もうともしてくれないし、
なんかずっとこう人に気を使い続けていて、
コンビニの店員さんと一瞬話せて、なんか良かったなみたいなので、
ちょっと心をごまかすみたいな、
そういう感じの日々結構あったんで、
だからもう完全にその一人しゃべりのスタイルにして、
とりあえずちょっとこういうこと誰かに聞いて欲しかったんだよを、
もう誰でもないけどとりあえずこう自分の外に出そうみたいな習慣にしたのが、
すぎべ
わかります〜。
カフェインよわお
良かったなっていう話を、
先日聞いてた回でされてて、
そうだよなってなりました、本当に。
すぎべ
本当そうなんですよね。
なんか私も多分最初は、
どうせ誰も聞かんって言うと聞いてくれてる人にしてるかもしれないんですけど、
こんな無名の私の話なんて、
それこそ本当にお母の話なんて誰が聞くんっていう感じで始めたんですよ。
そのママが自分を取り戻すラジオの方も。
そんな聞いてくれる人はいないだろうな。
だけどなんか私が子育てしてきた中で、
これって本当におかしくないじゃないけど、
子育てがこんなにしんどいって、
何かが違うくないっていう疑問はずっと思っていて、
とか、その子育てしている親がこんなに苦しむっておかしくない?
え、私だけ?みたいな。
これをとにかく、一旦そこを乗り越えたり乗り越えなかったりしてるから、
こういう感情になりました。こういうことがありました。
これやってみました。失敗しました。とか、
これがいいって言われたからやってみたけど、うまくいきませんでした。とか、
っていうのをとりあえず残しておけば、
必要な人にもしかしたら届くかもしれないな、
届けばいいな、みたいな感じで始めたんですよね。
だから本当に最初は、
自分の気持ちを落ち着かせるというか、
大変だけど大変だけじゃないよねって言い聞かせるみたいな、
感じだったかもしれないですね。
カフェインよわお
大変だけじゃないよね、もうなんかちょっと呪いの言葉感ないですか、なんか。
そう、まあ今は割とそれなりに本心で大変なことだけじゃないなとは思いますけど、
すぎべ
今だから言える感はありますね。
カフェインよわお
いや、そうですよね。
当時そういう話をたまたま会った友人とかにとか、
それこそ患者さんだから人生の先輩方に話した時とかに、
いやでも大変な、今が一番かわいい時よ、大変だけど、みたいなあるじゃないですか。
もうそれ一番嫌。
もうめちゃくちゃ言われるんですよ、本当に。
すぎべ
言われそうですね、言われそうですね。
わかってるんですよ、あちらも先方もそんな悪気は全くないし、
すぎべ
そうなんですよね。
カフェインよわお
それこそなんかもう杉尾さんの元にはそういう声があまたくんじゃないかという気がするんですけど、めちゃくちゃ大変そうな。
すぎべ
確かにそうですね。
でもどうやろう、なんかそういうお便りとかをもらうと、結構私もその当時のあの強烈な感情みたいなのと一緒にしてリンクして、一緒になって大変みたいな、ああーとか言うことが多いんですけど、
でもなんか私は個人的には正解がないなって思ったからこそ、もうなんか自分でこれが正解だともう決めていくしかないんじゃないっていう方向に、なんかこう舵を切っていて、
で多分それが、あのお母さんもなんか自分取り戻してみたいな自分で好きなことをしてとか、自分の人生を歩んでっていうことに繋がっていくんだと思うんですけど、
でもそれを大声で言ってたら、やっぱりいやいやっていう声とかも全然来るんですよね。
カフェインよわお
あーそうなんですね。
すぎべ
全然来るんですよ、本当に。
へー。
だから、自分でも自分にその自分の正解だよ、これが自分の正解だよって言い聞かせているところがあるから、そういう声聞こえたりすると、
え、やっぱりちょっと私のやつって正解じゃん、あれあれみたいな、あれちょっとちょっと待って、あれやっぱり違う違うだけとかなっちゃう時が、自分のメンタルによってはあったりとかして、
カフェインよわお
へー。
すぎべ
だからなんか最終的に自分を信じるみたいなところが一番大事なのだろうなって思いながら、それが一番難しいなって思って、思ってます、今。
カフェインよわお
そうですね。でも、でもなんか本当それしかない。
すぎべ
そうしかないですよね。
カフェインよわお
ですよねー、結局。
すぎべ
本当にそうなんですよね。
カフェインよわお
他の人から言われた何かが、仮になんか本当に100%の正解だったとしても、結局そこでなんかつっかかったら、やっぱ絶対その人のせいみたいな感じの思考になっちゃって、結局なんかその人のためにならないみたいな、なりますもんね。
すぎべ
そうなんですよね。誰かのせいにするって、その瞬間は楽というか、なんか脳みそもあんまり使わずに、あの人が言ってたからみたいな感じで決められるけど、長い目で見た時に、うまくいかなかった時に自分で責任を取れないというか、感じがありますもんね。
だから最終的に自分はこう変わっていけないっていうか、成長していけない感がありますもんね。
本当にそう。
こんなに正解がないことって他にありますか?って思ってるんですけど、私。
カフェインよわお
いや、ない。どうなんですかね、なんか40年50年とか生きてたら、なんかもっともっと大変な事態に遭遇するんですかね。
すぎべ
正解がない何かに遭遇するんですかね。
私、そもそも多分社会人経験がそんなにないので、結婚も出産も早かったから、だから本当になんか子育てで学ばせてもらい、子育てで育ててもらいましたって感じなんですけど、それしか知らない、他の分野のことはあんまり知らないから、こんなにも正解がない子育てに戸惑ってるのかなと思ってるところもあるんですよ。
カフェインよわお
なるほどなるほど。
でもそういう話で言うと、個人的にほぼ同一だと思ってるのは、介護はほぼイコールだと思います。
そっか。
ですね、自分が手をかけてあげなければ、それこそ命が脅かされる危険性がある存在が同じ家にいて、その人、その存在に対していろいろやってくれるサービスはあるはあるんだけど、結局それを、じゃあ誰が手札選択するのって言ったら大多数は自分だし、それに関わってる。
まあ僕もその一員なんですけど、それに関わってる周りを取り巻く人たちも、僕はこれがいいとは思いますけど、でも最終的には、一番面倒を見てらっしゃるあなたの手札でお願いしますってことになっちゃうんです。
そうですよね。
っていうふうなあたり、自分でそういうふうなことを、ご家族の方とかに話してると、決めてほしいだろうなあ、これって思ったりとか、
本当その100%の正解は僕には出せないけど、でもまあ、僕の知識の範疇だったらこれがいいとは思いますけど、でも決めるのは結局っていう発想を受け取らなきゃいけない。
しかも、それこそ子育てだと、ゆくゆくは育っていって、みたいな方向性ですけど、介護だとマイナス方面に向かっていってのじゃないですか、
かなりほぼイコールか、実際問題、たぶん介護の方が、もっともっとややこしい問題が色々聞いて大変だろうなぁとは思いますね。
すぎべ
そうですよね。今、うちの実家の祖父母がまだいるんですけど、ろうろう介護みたいな感じになってるんですよ。
カフェインよわお
だから、そこを取り上げ、施設に入れるなになにして、取り上げられたイコール自分は役割を失ってしまって、いわゆるその奥様を先に亡くされたご主人の方が弱いみたいな話があるじゃないですか、そんな感じで、何したらいいのっていう風な感じで浮いちゃうからこそ、どうにか自分がやるんだになっちゃう、みたいなのはある。
なるほど。
だから、たぶんそこが子育てに、仕事しながら子育てもしながらみたいなので、仕事以外の役割を見出せてたら、確かにいざそうなった時にちょっと変わるだろうなっていう気はしますね。それがわかるのは、僕とかがそれぐらいになった時にようやく。
すぎべ
そうですよね。もうちょっと先ですもんね。
カフェインよわお
わかるんですけど、そうそう。でも、なんか外から見てる分には、今のそれぐらいの世代の方々っていうのはそういう風な考えの後に動かれてるんですよね。
なるほど。
すぎべ
そっか。
カフェインよわお
そうなんです。だから、もう楽になる楽にならないとかではないんですよね。
すぎべ
もう。
物理的にはとか、タスクの量とかで考えると、家で見ている方が大変だし、周りから見ても大変そうには見えるんだけど、精神面とか本人がちゃんと立っていられるっていうことで言うと、何か役割を与えたりとか仕事を与えていた方が、気持ちが元気に生きていけるかもしれないってことですよね。
カフェインよわお
そうですね。
まあでも、結局なんかその結果でね、それこそ喧嘩が実はそこの間では実際耐えないとか。
すぎべ
それこそね、何かこんだけやってんのにみたいな。言ってますもん。言ってるんですよ。
料理とかも全然したことなかったから、すごい昔のめちゃくちゃ分厚い料理の方を持ってきて、
もう今こんなとこから、そんなこんな生活で出汁から取らんでいいみたいな。
いやいやいやいや。
本末でいいっていうね、出汁から取りたい気持ちも分かるし、出汁から取ったら美味しいけど、今のこの生活のレベルと出汁を取るっていうのはちょっとすり合ってない。
カフェインよわお
はい。
すぎべ
もうちょっと頼れるものいっぱいあるから、今令和やからみたいな風に方から見てたら思うけど、
たぶんその、頑張ることが良しの世代だし、時間を費やすことが良し、苦労することが良しみたいな感じで思っていて、
で、やった結果、こんなもんいらんって言われて怒る。
食べたけど、ご飯作ってもらってないって騒がれて、
どんだけ時間かけて作って食べてたやろうって怒るみたいな感じで、
言ってるんですよね。
カフェインよわお
ほんと、よくあります。悲しいことに。
すぎべ
そうなんだ。そうか。
カフェインよわお
結局そういう過程には、我々外部のものは全くタッチできないんですよね。正直。
そう言ってました。
決定権は結局そのご主人の方にあって、
ご主人がそこを断ってる以上、外から見てああした方がこうした方がってすごい思うんですけど、
事が起きたときに対処できるような体制だけは一応とっておくのがいいですかねっていうのをケアマネージャーさん、
すぎべ
司ってくださってる方々と話すみたいな、そういう感じになりますね。
肌から見たら、あまり良い状態ではないと思うけれど、
今が2人のちょっといびつな形の幸せなのかなと思うしかないというか、
タイ子供もそうですけど、こっちの幸せをあっちに押し付けたくないみたいなのもあるじゃないですか、根底には。
カフェインよわお
そうですね。
すぎべ
そうですよね。それの介護バージョンなのかなと思いながら、もどかしい気持ちでいるんですけど、
カフェインよわお
そうか。つながるのか。
本当にほぼほぼイコールだと思います。
それこそ介護の方が、その介護される側の育児でいうところのいやいや気、
最後になると、その方々の人生経験に基づいたプライドとか、
逃がしたくないものみたいなのが、さらにそこに乗っかってくるので、
やっぱり別ジャンルのそこのややこしさとかもあるかな。
すぎべ
すごい濃いいやいや気みたいな感じですよね。
カフェインよわお
はい、ということで杉部さんとのコラボ配信、前編でございました。
カフェインよわお
ちょっとあの最後ぶつ切りになってたのはですね、杉部さんのお子さんが乱入されるというトラブルがありましてですね。
その関係で話がバタッと切れてしまったんですけれども。
いやー何ですかねー。すごくねー。
すごくいろんなことを考えたんですね。この杉部さんとお話させていただいてから。
あのー、なんだろうな。
杉部さんがどう思われたかどうかはちょっとわかりませんが、
これぐらい近しい状況に身を置かれている方とお話しするのがまず初めてだったし、
あとはうちの妻以外の同年代ぐらいの女性と子育てに関して、
こんなに突っ込んだ話をしたのも初めてだったし。
なんだろう。まずその機会を得たことで、そういう状況の中でお話できたことがまず良かった。とても。
でその上で、これもその杉部さんがどう感じられたかわかんないけど、
めちゃくちゃ同じことを考えているなというふうに思ったんですよね。
めちゃくちゃ同じことを考えている。めちゃくちゃ同じ壁に当たっている。
すぎべ
で、同じ発想の乗り越え方に至っているなというふうなのを前編後編通してね、すごく思ったんですよ。
カフェインよわお
このコラボ収録をする前段階でそのままが自分を取り戻すラジオの方を、
何本か気になるエピソードを聞かせていただいて、コラボ収録が終わった後もですね、
同じようにちょっとじゅんぐりに番組を追いかけているのですが、
なんかほんとね、ちょっと怖くなっちゃうぐらいにすごい考え方の方向性とか、
出来事が起こった時の感情の揺れ動きとかの方向性がめちゃくちゃ近しいなというふうに思ったんですよ。
そういうふうに感じられる方が、女性である、ママである、おかんであるというふうな事実が、すごく嬉しかったんですよね。
なのでその前の配信の中で似たようなことを言った気がしますけれど、
やはりその子育てという物事に向き合う上では、父親だ母親だみたいなところはやっぱりあまり関係がなくて、
子育てに向き合う熱量に応じて同じような壁に当たるし、同じようなことを考えるし、
そこに男女の違いはないのだろうというのを身をもって体感できたという感じですかね。
僕は杉部さんの一番下のお子さんとうちの上の子が同世代なんですよね。
来年度から小学校に上がる年なんですけど、
そこが共通していることによって、そもそも勝手に親近感みたいなものを覚えて、
同じようにその保育園から小学校に上がるにあたって同じような壁にあたっていらっしゃるだろうなみたいなテンション感で話を振ってしまったので、
言ってもね、子育てにおいては杉部さんの方が断然先輩ですから、何を言っとるんじゃいともしかしたら思われたことがあったかもわからないが、
リアルタイムで自分が今まさに直面している問題がある。
同時にその問題にぶち当たるまでに色々な事態に遭遇して、色々そこに向かうまでに乗り越えてきた過程がある。
で、その目の前の今お話ししているこの人も同じようなことを乗り越えてきた方で、かつ同じ壁にこれから当たろうとしている方であるということの安心感、信頼感、
そしてそこと、この配信に載せているぐらいの熱量で喋って、しっかりこう話が噛み合ってくれる、共通認識を持っていてくれる、
というその状況自体が、なんか僕が子供と向き合う上でのちょっとした自信に繋がったというか、
ちゃんと僕が子供と接していて感じた諸々のことというのは、ちゃんと子供と向き合って接しているお母さんと匹敵するぐらいのところまでちゃんと届いてくれてたんだなという安心感みたいなものを僕は感じていましたね。
後で振り返りながら、後編の中でちょびっと出てくるんですけど、僕はやっぱり父親じゃダメねって言われるのがめちゃめちゃ怖かったんですよね。
特に子育ての初期の方、今でこそその男性でも育休が取りやすい環境が整ってきたよね、育休得率が上がってきたよねっていう風な雰囲気になっていると思うんですけど、
うちの子供たちが生まれた当初は、男性も育休を取れるようにしていかなきゃいけないよねぐらいのタイミングだったんですよね。
そういうところに課題があるからどうにかしていかなきゃね、これから動き出しますよぐらいのタイミングでうちの子供たちは生まれているんですね。
で、そんな中で一応その2人目の時にはちょろっと育休を僕は取ったりとかしているんですけど、
なんかそういう幼かだったからか、僕は男性でもしっかり育児に関わろうと思ったし、関わらねばならぬと思っていたし、
男性の家でも育児にちゃんと関わっているんだぞの裏返しで、やっぱり男に任しといちゃダメね、ママじゃないとダメねみたいに、
いつかどこかで言われるんじゃないかっていう風な恐怖感も同時に抱いていたように思うんですよね。
実際、一部の人からそういうことを言われたりもしましたし、
それを言われたくないがために自分を削って子育てに向かったりもしたし、
人前で子供に対して厳しくあらねばみたいな感情を持ったりもしたし、
いろいろだったんですけど、そういう風なのを持っていたのが、最近はあんまりそこは気にしていなかった。
それは子供たちが育ってきて、前世紀の頃よりはちょっと手から離れかけているタイミングになってきたからみたいなのも多分あるんだと思うんですけど、
なんでね、そこのどこかで母親、女性と比べてどうだという風な目にやっぱり行き当たってしまうのだろうという恐怖心は奥底に残っていた気がするのだが、
ちゃんと杉部さんとかなり突っ込んだレベルまで、同じような壁にぶつかり、同じような対象し、同じような考えに至りみたいなことを共有できたことによって、
安心した、安心しただな。安心したが一番近いですかね。
まあちょっとそんなこんなで、非常に僕にとって価値のある体験をさせていただいたなという風に心から思っております。