1. 口は背中よりモノを言う。
  2. #80 自分を取り戻したい側の集..
2025-02-19 53:34

#80 自分を取り戻したい側の集い(ゲスト:すぎべさん)

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子育てに向かう苦悩が共有できることの、なんとありがたいことか。

すぎべさん、繋いでくださったはまさん、本当にありがとうございました。


▼すぎべさん LISTEN/X/ママが自分を取り戻すラジオ

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◆エックス上での感想等は⁠⁠⁠#口モノ⁠⁠⁠ で。

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サマリー

このエピソードでは、杉部さんがゲストとして参加し、子育てや自己回復の重要性について話されています。特に、自己犠牲的な価値観からの脱却や、母親や祖母の影響について深く考察されています。ポッドキャストでは、子育てにおける自己犠牲の概念とそれに伴う葛藤が語られています。ホストマザーとの関係から学んだ対等な親子関係の重要性や、親になることの難しさについても掘り下げられています。このエピソードでは、リスナーが現在直面している課題や感情に共感し、自分を取り戻すための方法が探求されています。特に子育てや介護の難しさが議論され、正解のない状況における葛藤が描かれています。杉部さんとの対話を通じて、子育てにおける共通の壁や価値観が再確認され、父親としての自信が深まっています。また、育児における男女の違いを超えた共感を得る機会もありました。

ゲストとの対話
カフェインよわお
こんにちは、こんばんは。おはようございます。カフェインよわおです。 今回もなんとゲスト回となっております。
本当はね、あのー、 シャープ79でゲストに来ていただいたヒロヒロシさんのお便りを取り上げようというふうに思ってたんですけど、
別で撮ってたゲスト回の公開の手筈が整いましたので、先にこっちを出したいなと思いまして、あげることにしました。
えーと、ゲストに来ていただいたのは、すぎべさんですね。 えー、すぎべさんはですね、
前にどっかのエピソードでチラリと触れたと思いますが、 ママが自分を取り戻すラジオというポッドキャスト番組をやられておりまして、第4回ジャパンポッドキャストアワード
ウェルビーイング賞受賞、すげーや。 すげーや、すごいすごい人なんですね。
で、現在はそのママが自分を取り戻すラジオ以外にもご自身でポッドキャストをやられていたりですとか、
あとは、えーと、ポッドキャスト文字起こしサービスであるリッスンの社員さんになられているのかな?
リッスンニュースというですね、リッスンというプラットフォームの近況を話すポッドキャストのパーソナリティとしてもご活躍されている方でございます。
で、昨年に僕が配信上で、このママが自分を取り戻すラジオが聞けるようになったよ、みたいな話を取り上げた後に番組を配行してくださっているリスナーさんである
浜さんが、えー、浜さんが配信しているご自身のポッドキャストの中で、カフェイン岩尾さんと杉部さん、コラボしてみてくださいよ、面白そうなので、というふうなお言葉をいただきましてですね、あの無事に今回のコラボに至ったというふうな格好でございます。
僕の番組側であげるのは前編となっておりまして、大体40分ちょっとぐらいですかね、尺がある話です。
で、大体同じぐらいの尺で後編もありまして、そちらは杉部さんの方のポッドキャスト上であげていただけるというふうな話に今のところなっております。
まあ僕がこのコラボをした上でのこう思いとかは、えーと一番最後にまた改めて語るとして、あの非常に非常になんていうか、とても良かったです。
語彙力が足りなくて申し訳ないんですけれども、あの非常に非常に良い機会をいただけたなというふうに心から思っております。
すぎべ
ではお聞きください。どうぞ。
自己を見失う影響
カフェインよわお
ほんとそう、ほんとそうって感じのことばっかりでした。聞いてて。
ね、お互いにというか。
すぎべ
お互いにね、そうなんですよ。
カフェインよわお
そう、私あの、今日のスーパーで、スーパーで買い物しながら聞いてた話があって、
すぎべ
パパバッグの話なんですけど、パパバッグの話というか、子育てする前ってバッグ何持ってたっけみたいな話。
カフェインよわお
あ、はいはいはい、しましたしました。
すぎべ
もう服装も含め、アクセサリーも含め、え、えっとーみたいな、えっと、荷物は減ったけど、えっとーみたいなやつが、もうちょっと一旦スーパーで立ち止まったんですよね、もう。
カフェインよわお
そこまでですか?
ほんとに、ほんとに、お肉のコーナー、お肉のコーナーで、はいはいはいはい、立ち止まって、もう10秒巻き戻す、10秒巻き戻す。
えー、あ、でもなんていうかその、変な話、それこそ女性の方でもそうなんですね、なんか、めちゃくちゃそうです。
えー、でも、やっぱそうですよね、なんか、極力こう、引っかかったら嫌だから、こう凹凸をなくそうとか、もう、なんかその、動きやすいように、みたいな、なんかそういう感じにやっぱりなりますよね、絶対ね。
すぎべ
そうなんですよね、そうなんですよ、で、その、なんていうか、自分が好きで持ってたカバンとか、服装とかアクセサリーとかって、
もちろん子供が生まれる前の自分の状態で持ってるじゃないですか、で、そこから何年か経って、もう一回ってなったら、なんかちょっと若干体型も変わってたり、好みも変わってたり、なんかまあ世の中の流れ的にも変わってたりとかするから余計に、あれ?ってなるっていうのがもう身に覚えありすぎて、私。
カフェインよわお
そうか、えー。そうなんですよ。そうですよね、なんかそう、改めて、なんだ、結婚する前とか、その子供生まれる前に持ってたそのカバンとか洋服を見たときに、なんか逆に何が好きでこれを着てた、身につけたのかよくわかんなくなるみたいな、その回を撮ってるときに確か襲われてたんですよね、もともとなんか何が好きで、何をこう目的にこう服を着てて、何を目的にこのカバン持ってたんだっけ、みたいな。
すぎべ
そっか、その、それすらも、もう思い出せないって感じってことですか?
カフェインよわお
うーん、まあ多分、なんかもともとそこまでそんなこだわりをなく持ってたんですよね、ただ当時は当時で、なんかまあこういう形がこう使いやすいからとか、なんかまあこういう風なのがなんとなく今似合う感じがするからみたいなので、こういうのをこう選んでたものが、なんか1回その子育てに最適化された感じの荷物が入るカバンと、
わかるー。
凹凸のない服と、みたいな感じでいくと、なんかその逆に理由があって、こう選ぶのが当たり前になっちゃって、
すぎべ
うんうんうんうんうんうん。
カフェインよわお
そういうこう、確固たる理由なしにここから脱出することがちょっとこう難しくなってくるみたいな、そんな、そんな感じですかね。
すぎべ
その、自分の好きとかだけでは物とか選べなくなっちゃいますもんね。
あ、そう、そうですね。だから、そう、なんか本当その、自分がこう物を選ぶときの選択の主導権が、やっぱ自分じゃなくてこう子供をどうするかみたいなところにこう持ってかれてる感じ、みたいな。
そうですよね。
カフェインよわお
なんかそのまま消えてなくなるパターンも全然あり得るけど、
すぎべ
あの、我々はそれを頑張ってなんか取り戻そうとしているみたいな。
カフェインよわお
そう思います、そう思います。
すぎべ
そうですよね、そっち、そっち派閥ですよね、たぶん。
カフェインよわお
そっちです、そっちです。
そうですね、だからなんかほんとこう好きあらば、ちょっとずつこうこっちサイドにこう奪い返しているぐらいなタイミングなんですけど、今うちは。
僕は仕事で理学療法士っていう人にリハビリをこう提供する仕事をしていて、割合こうご高齢の方々がこう、いわゆる患者さんの層って多いんですけど、
それぐらいの、今80代とか90代とかそれぐらいの年代の、いわゆる女性の方って、基本的にはもうなんかそこからこう、たぶん奪われて、もう全部渡しちゃって、
で、ちょっと不謹慎な話ですけど、そこで、なんか旦那さんが亡くなったりとか、そういうふうな物事があってようやくこう取り戻して、
なんかそこから頑張られる方と、なんかもうそのままこう、失意のままなんとなくこうなっていっちゃう方と、みたいな例を結構見るんですよね。
すぎべ
そうか、お仕事からね。
これは、逆になんかそこで頑張ってこう、たずなを取り返そうと気合い入れとかないと、そういうふうになるのかもしれないなみたいな、ちょっとした恐怖感みたいなのもあったりとかします。
確かに、なんか、これはそのご高齢の方の、特に女性はっていうところがあるのかもしれないですけど、その自分を、
なんていうんですかね、自分を見失うことが、若干美徳というか、自分を犠牲にして、見失って家族に捧げるってことが、
カフェインよわお
はいはいはい。
こうなんか良しとされる時代とか場面とかもきっとあったじゃないですか。
すぎべ
そうですね、そうですよね。
でも、でもって思う。
カフェインよわお
でも、でも、なんか、それをなんかこの現代の世でやるには、あまりにもなんていうか、本当にこう、やりたくなることが多すぎますよね、なんかこの今の現代って。
すぎべ
そうですよね。
カフェインよわお
そんななんか、こうね、旦那さんをひたすら立てて自分は陰に行ってみたいなので過ごすのは、ちょっとあまりにももったいなさすぎるというか。
すぎべ
そうですよね。
でもなんか私結構、そうはなりたくないと頭で思いながらも、多分見てきたものとか、私その母親と、あと祖父母と敷地内同居してたんですよね。
だから、あの親の世代だけじゃなくって、その上の世代のおじいちゃんおばあちゃんとかとも一緒にずっと過ごしてきてて、結構その祖父母の影響って大きいんですよ。
だから、一個飛ばしの世代からの影響がすごい大きくて、多分それはあるのかなと思うけど、結構多分その刷り込みが良くも悪くもあって、家族のためにとか子供のためにとか、もうそんなん結婚したなら旦那さんのためにみたいなことを、結構たぶんちっちゃいうちから言葉でも刷り込まれてきたし、
行動、おばあちゃんがもう自分のご飯もろくに食べずに、おじいちゃんのご飯作ってるみたいなとか、多分そういうのもすごい知らず知らずのうちに良くも悪くも刷り込みがあるんだろうなと思うんですよね。
カフェインよわお
自分が母親になるまでそれにあんまり気づかなかったっていうか、そんなこと考えるタイミングがなかったから、全然そんなふうに思わずに、どっちかっていうと、なんかそんな男性とか女性とか関係ないみたいな、私もやりたいことやるしとか思ってたんですけど、母親になった瞬間めっちゃそれが出てきて、もうなんか私の中におばあちゃんがいつでもいるみたいな感じ。ここにおばあちゃん乗せてみたいな感じになっちゃって。
多様な母親モデル
カフェインよわお
すごいこう、本当良くも悪くもですけど、声が聞こえてくるっていうか、そんなこと子供ほっといて旦那さんほっといてそんなことしてていいんかみたいな。
ずっと鬼コーチがここにいるんですね。
そうなんですよ。だからなんか結構そこと自分を本当の意味でこう、離れさすっていうか、それはその親の世代その上の世代の価値観なんだよってことを本当の意味でなんか腹落ちさせるのって結構時間かかったし、今でもちょこちょこそれ出てくるなってすごい思うんですよね。
でもなんかよくぞ、なんというか、そういう感じのここにコーチがいる状態から、その自分取り戻すぞっていうような方向にこう舵、そこの舵切れたのは、もうなんか気合でどうにか頑張ったみたいな感じなんですか?
すぎべ
どうなんやろう?
多分それで言うと、私のその母親モデルみたいなのって、母と祖母ともう一人高校の時にアメリカに留学に行ってたんですけど、その時のあのホストマザーがいるんですよ。だから3人いるんですよね、私のなんか母親モデルが。
カフェインよわお
はいはいはいはい。
で、どっちかっていうとそのうちの実母と祖母っていうのは、まあ似てる結構その自己犠牲型というかっていう感じで、まあ母は今すごい飛び跳ねてる、飛び跳ねてるっていうか、好き放題してるんですけど。
はいはいはい。
すぎべ
まあこの、ちょっと言い方違うかもしれないけど、ちょっとこう日本人型なこの自己犠牲型の母親像2人と、このアメリカのホストマザーは、本当に真逆だったんですよ。
その母親としてのあり方というか、家での振り舞い方とかが本当に、私の実母とかとは真逆で、ずっとソファー座ってるし、あの本当に家事全部ホストマザーがしてたんですよ。
へー。
ご飯作るのも掃除、洗濯とか、子供の送り迎えとか、全部パパがしてて、で、お母さん、まあ共働きなんですけどね、共働きで、で、お母さんはいつもソファーで本読んでるって感じ。
へー、面白い。
ソファーで本読んでて、あとは、そのフルタイムで働いてもいるけど、私がそのホストファミリーにお世話になったタイミングで、大学院にも通い始めたんですよね、お母さんが。
カフェインよわお
すごい。
親子関係の再考
すぎべ
そう、だから、なんかもうカルチャーショックですよね、私たちから。
いやいや、確かに。
え、どういうこと?みたいな、えー?っていう。
カフェインよわお
へー。
すぎべ
だから、いい意味で、最初はすごいそこに、正直嫌悪感とかも抱いていて、え、うちのお母さんとか、朝5時とかに起きてお弁当作ってるんやけど、みたいな。朝から唐揚げとか揚げてるんやけど、とか思ってたんですけど。
カフェインよわお
はいはいはい。
すぎべ
でも、たぶんそこで、こういう形もありかっていうのを、その時に、たぶん自分の中に母親像1として入ってきてたんですよね。
だから、たぶん自分が母親になった時に、選択肢が3つあったって感じだったのかもしれなくて。だからかもですね。
カフェインよわお
あー、そっか。自己犠牲型だけでない、その母親像みたいなのが、そもそもこうあったんですね。
あー、なるほどなー。
それって、そのホストマザーの自己犠牲型でない、母親像っていうのは、なんだかんだその、一緒に過ごされてるうちに、こういうのもありなのかって噛み砕けてきたもんなんですか?それとも、そっちにいる間はずっと、なんなんだろう?みたいな感じだったんですか?
すぎべ
あ、結構早い段階で、噛み砕けてきて、というか馴染んできて、なんでかというと、私、日本にいる時は本当に親子って結構上下関係みたいな感じで思ってたんですよね。その、親の方が権力があって、で、子供の方がやっぱりその知識も少なければ、権力的にも持ってないから、結局はまあ親が決めるみたいな感じで思ってた。
そんなに何も言われへんみたいな家庭じゃなかったんですけど、母親とかとも結構いろいろ話してたから。だけど、やっぱり親子関係って上下関係とか、先生と生徒って上下関係みたいな風に思ってたんですよ。だけど、そのソファーで本読んでるホストマザーと、そこの子供たちってめちゃくちゃ対等だったんです。その関係性が。
全然その親子関係、親子関係というか上下関係って感じがしなくて、本当になんか人と人って感じで対峙してて、学校に行っても先生と生徒が本当に対等に接してて。だから、なんかこれが好きだなって思った。単純にこっちが好きだなーって思ったんですよね。その16ぐらいの時に。
カフェインよわお
はいはいはいはい。
すぎべ
でも、日本に帰ってきたら、それって結構本当にアメリカの話って感じになっちゃうから、なかなかそれと同じような人間関係築くって難しいんですけど、たぶん私は、ないものねだりもあるけど、理想はそっち側にあるから、たぶん自分が親になった時に、自分の理想にちょっと寄せたくなっちゃってるところがあるのかなーって思うんですよね。子供はどう思ってんのかわからないけど、わかんないんですけど。
カフェインよわお
いやーでも、いいですね。そっちの方がいいと思います。僕も。
子育ての苦悩
すぎべ
日本は日本の良さが、もちろんあるんだと思うんですけど、
カフェインよわお
はいはいはいはい。
すぎべ
なんか、自己犠牲ってしんどいですもんね。
カフェインよわお
いやーしんどい、しんどいですよねー。
すぎべ
しんどいですよねー。
カフェインよわお
僕の話になっちゃうんですけど、僕と僕の親との間が、あんまり関係性が良くないんです。
母親が、それこそいわゆる自己犠牲型で、かつ、自己犠牲してんのになんで?みたいな問いかけとかを結構してくれたりだったんですよ。
で、いざ我々に子供が生まれるぞってなった時に、ああはなるまいっていう思いだけがすごく強くあったんですよね。
で、ああはなるまいって思って、ただ、その自己犠牲型の像しか、僕の中での親としての情報がないというか、経験値がないというか、なので、
それこそ、ホストマザーの方のような適度な力の抜く塩梅みたいなのは、正直ほぼわかんなくて、
とりあえず思いつくことを100%やるしかない。そうでないと、それこそ、僕と妻の間での親になるための心構えのところの違いとかも絶対あるし、
そこにどうにかこうにか追いつくためには、男性のみだったら100%コミットするぐらいの心持ちで挑まないと、僕が思い描く理想のところにはいけないだろう、みたいな感じで子育てに突入したんですよ。
で、したら、もう案の定、自己犠牲になったんですよね。
カフェインよわお
だから、なんか子供に対しても、なんでこいつこんなすげー手間かけて離乳食作ってやってるのに食わねえんだろうって。
それがこう、展示でその妻の方に対しても、いやもうこんぐらいちょっとこっちは注ぎ込んでるのに、なんでこういうことしてくれないのみたいな、そういう目にあるタイミングでなっちゃったんですね。
なんかすごいナイフを突きつけてしまったような感じが。
すぎべ
わかります。私、ナイフ何本も隠せてもないと思うんですけど、すごい持ってました。
カフェインよわお
いやー、そうそうそう。っていうので、なんかちょっとやばいなっていうふうに思い始めてたぐらいの時が、たぶん僕が今のこのポッドキャストを始めたタイミングなった気がするんです。
もうなんか、手も、いやそんな抜けるわけないし、休憩しろって言っても別に休憩できる目処もないし。
すぎべ
いや、ほんとそうなんですよ。なんか、疲れたら休んだらいいんだよみたいなのあるじゃないですか。子育てそんなに頑張らなくていいよみたいな。
でもさ、私が頑張らんかったら誰が頑張るんって思いません?
カフェインよわお
なりますなります。
すぎべ
休むっていつ?みたいな。
その間あなたが見てくれるんだったらいいですよみたいな。
確かにそう。
カフェインよわお
ねー、そうそうそう。そうなんすよねー。
すぎべ
あー、そっかー。
なんか、親になるっていうことに対して、親のサンプル数少なすぎって思いません?
カフェインよわお
いや、ね、ほんとそう思います。
すぎべ
知らんねーけどっていう感じですよね。
カフェインよわお
そう、ほんとなんかこうやったらいいんだよみたいな、見本になる人ってまあ身近にはほぼいないし、てか身近っつってもそれこそそういうふうな親しか僕もいなかったですし、別になんか友人の親とかを見てきたわけでもないですし、
なんかテレビに出てくるような人は、こんな完璧にやんなきゃいけないの?みたいな人しか出てこないし、
なんかほんと見本がないなーっていうふうにはすごい思ってました、ずっと。
ポッドキャストの意義
すぎべ
そうですよねー。私もなんかずっと正解だけを提示してほしいって思ってた時があって。
カフェインよわお
はいはいはいはい。なりますなります。
すぎべ
もうなんか失敗してそこから学んでとかっていう方が、自分が成長していくためにはいいんだろうなってことは頭では十分わかってるんですけど、
その失敗する気力も両力も時間もお金もないみたいな、
だからもうとりあえず、正解の道だけ教えといてもらっていいですかってすごい思って。
カフェインよわお
いやいやいや、ほんとに。もうなんか誰かしらなんかここら辺のところから我々の生活を見てて、
あ、もうそれはこっちに行ったらいいよって、もうなんか、もうこっちに選ばせる体力使わせないでみたいな思いもありますよね。
すぎべ
すごい思ってました。
でもなんかそれこそ、そう最初は思ってたけど、
子供が育っていくにつれて、いやこれ正解ないなってことにも気づくじゃないですか。
カフェインよわお
はいはいはいはい。
すぎべ
気づいて、あ、だからかみたいな、だから誰も見本としていてくれないんかっていうことにも、
てか気づき始めて、一旦絶望するみたいな時期があったんですよ。
カフェインよわお
え、これって、やばみたいな。
結局こっちで頑張るしかないなってなりますよね、ほんと。
すぎべ
そうそうそう、ほんとそうでした、なんか。
え、でもじゃあそのタイミングでポッドキャストが始まったってことは、
ほんとになんかこう、ポッドキャストがすくいって言うとちょっと違うのかもしれないけど、
カフェインよわお
はいはいはい。
すぎべ
ポッドキャストとともにみたいな感じだったってことでしょうね。
カフェインよわお
いやだいぶ、だいぶありますね、ほんとに。
すぎべ
あ〜。
カフェインよわお
いや、わりとちゃんとやってなかったら、ほんとにつぶれてたかなっていうふうな気はします。
あの、うちそのパートナーが、夜勤もあるし、フト制で働いてるんです。
だからそれなりにワンオペになる日もあるし、
僕は平日出勤の土日宿休みなんですけど、
その土日宿もまるまるパートナーがいないみたいなことも結構あるんですね。
だからそれこそ、大人と全然話してない、
自分の気持ちを誰かを組もうともしてくれないし、
なんかずっとこう人に気を使い続けていて、
コンビニの店員さんと一瞬話せて、なんか良かったなみたいなので、
ちょっと心をごまかすみたいな、
そういう感じの日々結構あったんで、
だからもう完全にその一人しゃべりのスタイルにして、
とりあえずちょっとこういうこと誰かに聞いて欲しかったんだよを、
もう誰でもないけどとりあえずこう自分の外に出そうみたいな習慣にしたのが、
すぎべ
わかります〜。
カフェインよわお
良かったなっていう話を、
先日聞いてた回でされてて、
そうだよなってなりました、本当に。
すぎべ
本当そうなんですよね。
なんか私も多分最初は、
どうせ誰も聞かんって言うと聞いてくれてる人にしてるかもしれないんですけど、
こんな無名の私の話なんて、
それこそ本当にお母の話なんて誰が聞くんっていう感じで始めたんですよ。
そのママが自分を取り戻すラジオの方も。
そんな聞いてくれる人はいないだろうな。
だけどなんか私が子育てしてきた中で、
これって本当におかしくないじゃないけど、
子育てがこんなにしんどいって、
何かが違うくないっていう疑問はずっと思っていて、
とか、その子育てしている親がこんなに苦しむっておかしくない?
え、私だけ?みたいな。
これをとにかく、一旦そこを乗り越えたり乗り越えなかったりしてるから、
こういう感情になりました。こういうことがありました。
これやってみました。失敗しました。とか、
これがいいって言われたからやってみたけど、うまくいきませんでした。とか、
っていうのをとりあえず残しておけば、
必要な人にもしかしたら届くかもしれないな、
届けばいいな、みたいな感じで始めたんですよね。
だから本当に最初は、
自分の気持ちを落ち着かせるというか、
大変だけど大変だけじゃないよねって言い聞かせるみたいな、
感じだったかもしれないですね。
カフェインよわお
大変だけじゃないよね、もうなんかちょっと呪いの言葉感ないですか、なんか。
そう、まあ今は割とそれなりに本心で大変なことだけじゃないなとは思いますけど、
すぎべ
今だから言える感はありますね。
カフェインよわお
いや、そうですよね。
当時そういう話をたまたま会った友人とかにとか、
それこそ患者さんだから人生の先輩方に話した時とかに、
いやでも大変な、今が一番かわいい時よ、大変だけど、みたいなあるじゃないですか。
もうそれ一番嫌。
もうめちゃくちゃ言われるんですよ、本当に。
すぎべ
言われそうですね、言われそうですね。
わかってるんですよ、あちらも先方もそんな悪気は全くないし、
現在の感情と課題
すぎべ
今この大変な状況に声をかけてあげたいと思って言ってくれてるってこともめっちゃわかるんですけど、
そうじゃないねんっていう。
カフェインよわお
かわいいのとこれとはまたもう全然別問題なんだよっていう。
違う。
すぎべ
その数年後にはもしかしたら確かに私もそういう風になるかもしれないんだけれども、
その数年後からの言葉じゃなくて、今っていう。
大変なのは今この時。
カフェインよわお
そうなんです、そうなんです。
過ぎてみればあっという間だからとかね。
すぎべ
過ぎてないの、今まだ。
そう、全然まだ過ぎてないですよね、こっちは。
カフェインよわお
いやーもう本当に。
あ、それはめっちゃ思ってました、私もすっごい思ってて、
すぎべ
すごい思ってたからこそ、それは言いたくないみたいなのがあって、
発信の中でもそうだし、コミュニティとかでお話ししてくださる方にもそうなんですけど、
過ぎ去ってみたらの話は、過ぎ去った人にしか届かないって思って。
カフェインよわお
そうですよね、本当に。
すぎべ
なんですよね。
私なんかそれって結構シャッター、自分が閉めてるのかあちらから閉められてるように感じるのかわかんないんですけど、
あ、そうですよねっていう、もうなんか今は我慢するしかないんですよね、はいっていう気持ちになったりしますもんね。
カフェインよわお
もうそうですよねとしか言えないですもんね、こっちもそれ言われたら。
確かに。
確かにまあかわいいですよね、今はね、そうですよねって。
めっちゃわかる、すごいわかる。
すぎべ
でもなんかそれこそ、そういうことを自分は後に続く人たちには言わないようにしようっていう気持ちが芽生えるじゃないですか、そういう経験があったからこそ。
カフェインよわお
でもなんか、じゃあその言葉以外で何を声かけてあげられるだろうと思うと、もう結構もう奮起して立ち向かうしかないんだよみたいな、
なんかちょっとそっちの方面以外の選択肢って結構限られる気がしません?
すぎべ
そうなんです、私ね、もうね、正直に言いますけど、もうそっち側に来ちゃってるんですよ、そんな自分がめちゃくちゃ嫌なんです、今。
なんか大変よねーみたいな、でもかわいいよね、一番言われたくなかったこと。
カフェインよわお
いやーでも本当になんかもう、結局具体的な解決策が何かこの数年で生まれたわけでもないし、これ使ったら超楽だよみたいな画期的なものが生まれてるわけでもないし、
本当にせめてしんどいことあったら聞くよぐらいな、そういう立ち振る舞いしかできないかもしれないなって思うんですよね。
すぎべ
なんかあちら側のコンディションというかも分からないじゃないですか、今どういう状況でアドバイスはもう全然いりませんっていう感じなのか、アドバイスを求めているっていう状態なのか、
しかもそのアドバイスも具体的なものを求めているのか、慰め的なアドバイスを求めているのかっていうか、いろいろ自分も感じてきたからこそ、すっごい難しいなっていうのは思うんですよね。
自分を取り戻す方法
すぎべ
そうなんですよね。
カフェインよわお
それこそなんかもう杉尾さんの元にはそういう声があまたくんじゃないかという気がするんですけど、めちゃくちゃ大変そうな。
すぎべ
確かにそうですね。
でもどうやろう、なんかそういうお便りとかをもらうと、結構私もその当時のあの強烈な感情みたいなのと一緒にしてリンクして、一緒になって大変みたいな、ああーとか言うことが多いんですけど、
でもなんか私は個人的には正解がないなって思ったからこそ、もうなんか自分でこれが正解だともう決めていくしかないんじゃないっていう方向に、なんかこう舵を切っていて、
で多分それが、あのお母さんもなんか自分取り戻してみたいな自分で好きなことをしてとか、自分の人生を歩んでっていうことに繋がっていくんだと思うんですけど、
でもそれを大声で言ってたら、やっぱりいやいやっていう声とかも全然来るんですよね。
カフェインよわお
あーそうなんですね。
すぎべ
全然来るんですよ、本当に。
へー。
だから、自分でも自分にその自分の正解だよ、これが自分の正解だよって言い聞かせているところがあるから、そういう声聞こえたりすると、
え、やっぱりちょっと私のやつって正解じゃん、あれあれみたいな、あれちょっとちょっと待って、あれやっぱり違う違うだけとかなっちゃう時が、自分のメンタルによってはあったりとかして、
カフェインよわお
へー。
すぎべ
だからなんか最終的に自分を信じるみたいなところが一番大事なのだろうなって思いながら、それが一番難しいなって思って、思ってます、今。
カフェインよわお
そうですね。でも、でもなんか本当それしかない。
すぎべ
そうしかないですよね。
カフェインよわお
ですよねー、結局。
すぎべ
本当にそうなんですよね。
カフェインよわお
他の人から言われた何かが、仮になんか本当に100%の正解だったとしても、結局そこでなんかつっかかったら、やっぱ絶対その人のせいみたいな感じの思考になっちゃって、結局なんかその人のためにならないみたいな、なりますもんね。
すぎべ
そうなんですよね。誰かのせいにするって、その瞬間は楽というか、なんか脳みそもあんまり使わずに、あの人が言ってたからみたいな感じで決められるけど、長い目で見た時に、うまくいかなかった時に自分で責任を取れないというか、感じがありますもんね。
だから最終的に自分はこう変わっていけないっていうか、成長していけない感がありますもんね。
本当にそう。
こんなに正解がないことって他にありますか?って思ってるんですけど、私。
カフェインよわお
いや、ない。どうなんですかね、なんか40年50年とか生きてたら、なんかもっともっと大変な事態に遭遇するんですかね。
すぎべ
正解がない何かに遭遇するんですかね。
私、そもそも多分社会人経験がそんなにないので、結婚も出産も早かったから、だから本当になんか子育てで学ばせてもらい、子育てで育ててもらいましたって感じなんですけど、それしか知らない、他の分野のことはあんまり知らないから、こんなにも正解がない子育てに戸惑ってるのかなと思ってるところもあるんですよ。
カフェインよわお
なるほどなるほど。
でもそういう話で言うと、個人的にほぼ同一だと思ってるのは、介護はほぼイコールだと思います。
そっか。
ですね、自分が手をかけてあげなければ、それこそ命が脅かされる危険性がある存在が同じ家にいて、その人、その存在に対していろいろやってくれるサービスはあるはあるんだけど、結局それを、じゃあ誰が手札選択するのって言ったら大多数は自分だし、それに関わってる。
まあ僕もその一員なんですけど、それに関わってる周りを取り巻く人たちも、僕はこれがいいとは思いますけど、でも最終的には、一番面倒を見てらっしゃるあなたの手札でお願いしますってことになっちゃうんです。
そうですよね。
っていうふうなあたり、自分でそういうふうなことを、ご家族の方とかに話してると、決めてほしいだろうなあ、これって思ったりとか、
本当その100%の正解は僕には出せないけど、でもまあ、僕の知識の範疇だったらこれがいいとは思いますけど、でも決めるのは結局っていう発想を受け取らなきゃいけない。
しかも、それこそ子育てだと、ゆくゆくは育っていって、みたいな方向性ですけど、介護だとマイナス方面に向かっていってのじゃないですか、
かなりほぼイコールか、実際問題、たぶん介護の方が、もっともっとややこしい問題が色々聞いて大変だろうなぁとは思いますね。
すぎべ
そうですよね。今、うちの実家の祖父母がまだいるんですけど、ろうろう介護みたいな感じになってるんですよ。
正解のない葛藤
おじいちゃんがおばあちゃんを見ているみたいな感じになっていて、ずっと私の肩に乗っているおばあちゃんは、今でも乗っているおばあちゃんは、
すぎべ
認知症になっていて、どんどん進行していってるから、結構本当におじいちゃんがかなり大変な状態になっているんですよね。
でも本当に、お二人ともかなり恒例なんで、もっともっと施設を頼ってとかサービスを頼って、長い時間お願いして、日数増やしてお願いしてって言う方がいいんじゃないって周りはすごく言ってるんだけど、
おじいちゃんに話をすると、自分で見たいんやって言うんですよね。心配なんやって言うんですよ。
肩から見てたら、あなたが見てる方が心配ですよって思ったりするし、だからといって仲良くしてるのかと言われると、全然そうではなくて、ずっと喧嘩ばっかりしてるから、
肩から見たら、いやーちょっとしんどいんちゃうかと思うけど、本人に聞くと、最後まで見ようと思ってるし、家でなるべく長い間見ときたいんやみたいな、目の届くところでみたいな感じで言ってて、
その話聞いたときに、おじいちゃんと私が子供を保育園に入れる入れないとか、幼稚園にするのか、子供園にするのか、延長保育入れるのかとかっていう時の自分とあまりにもかぶって、そこがこんなにかぶるって思うぐらい、その気持ちめちゃくちゃわかる。
あずけるのも心配、自分で見たい、だけど自分のキャパを超えてしまってるみたいなので、一緒やんとか思っちゃって、そう思ったんですよね。
なんかもうそのキャパを超えてるんだっていうのを、認めてしまったが最後、今度なんか自分は自分で立てなくなるんじゃないかみたいな、そういう気持ちに、そのどっち側でもやっぱり襲われるようになりますよね。
キャパオーバーしてることをもう完全に、どっかではわかってるけど見て見ぬふりをして、必死に立って日々を回してるっていう状態が、私もあったんですけど、本当にその時の自分を見てるような感覚になっちゃって、だからって思うんですけど。
でもこれ、もしそのうちの祖父が子育てをがっつり経験していたら、また違ったんじゃないかなって思ったんですよ。
一旦違うけれど、一旦子育てでその感覚を味わっていたら、介護で2回目になるじゃないですか、その感覚。
そうだったら違ったんじゃないのかなって、勝手に思ってるんですけど、どう思います?
カフェインよわお
えっと、そうですね。もう全然なんかその、普通にちょっとその仕事絡みの話になるんですけど、結構いるんです。奥様の方が介護が必要な状態になって、それをご主人が献身的に面倒を見ていらっしゃる。
で、旗から見ると、もう正直それはもう生活成り立ってないんじゃないぐらいな状況になってて、そのデイサービス通わせた方がいいんじゃないとか、
誰かショートステイって言ってその施設にちょっと一定期間預けて、その間ちょっとゆっくりした方がいいんじゃないって外からは言う、でもいやもう私が責任を持ってみるのでって言って固く何聞こうとしないみたいなケース、めっちゃくちゃいっぱいあるんですよ。
で、まあちょっとその方々が果たしてその育児を経験されてたかどうかっていうところまではあんまりわかんないんですけど、外から見てると、なんていうか、ある意味ご主人がその奥様の介護に携わるっていうこと自体が、仕事を終えたそのご主人の新たなこれが自分の役割であるっていう風な、そういう構図になってるっぽいなと思います。
なるほど。
子育てにおける役割
カフェインよわお
だから、そこを取り上げ、施設に入れるなになにして、取り上げられたイコール自分は役割を失ってしまって、いわゆるその奥様を先に亡くされたご主人の方が弱いみたいな話があるじゃないですか、そんな感じで、何したらいいのっていう風な感じで浮いちゃうからこそ、どうにか自分がやるんだになっちゃう、みたいなのはある。
なるほど。
だから、たぶんそこが子育てに、仕事しながら子育てもしながらみたいなので、仕事以外の役割を見出せてたら、確かにいざそうなった時にちょっと変わるだろうなっていう気はしますね。それがわかるのは、僕とかがそれぐらいになった時にようやく。
すぎべ
そうですよね。もうちょっと先ですもんね。
カフェインよわお
わかるんですけど、そうそう。でも、なんか外から見てる分には、今のそれぐらいの世代の方々っていうのはそういう風な考えの後に動かれてるんですよね。
なるほど。
すぎべ
そっか。
カフェインよわお
そうなんです。だから、もう楽になる楽にならないとかではないんですよね。
すぎべ
もう。
物理的にはとか、タスクの量とかで考えると、家で見ている方が大変だし、周りから見ても大変そうには見えるんだけど、精神面とか本人がちゃんと立っていられるっていうことで言うと、何か役割を与えたりとか仕事を与えていた方が、気持ちが元気に生きていけるかもしれないってことですよね。
カフェインよわお
そうですね。
まあでも、結局なんかその結果でね、それこそ喧嘩が実はそこの間では実際耐えないとか。
すぎべ
それこそね、何かこんだけやってんのにみたいな。言ってますもん。言ってるんですよ。
料理とかも全然したことなかったから、すごい昔のめちゃくちゃ分厚い料理の方を持ってきて、
もう今こんなとこから、そんなこんな生活で出汁から取らんでいいみたいな。
いやいやいやいや。
本末でいいっていうね、出汁から取りたい気持ちも分かるし、出汁から取ったら美味しいけど、今のこの生活のレベルと出汁を取るっていうのはちょっとすり合ってない。
カフェインよわお
はい。
すぎべ
もうちょっと頼れるものいっぱいあるから、今令和やからみたいな風に方から見てたら思うけど、
たぶんその、頑張ることが良しの世代だし、時間を費やすことが良し、苦労することが良しみたいな感じで思っていて、
で、やった結果、こんなもんいらんって言われて怒る。
食べたけど、ご飯作ってもらってないって騒がれて、
どんだけ時間かけて作って食べてたやろうって怒るみたいな感じで、
言ってるんですよね。
カフェインよわお
ほんと、よくあります。悲しいことに。
すぎべ
そうなんだ。そうか。
カフェインよわお
結局そういう過程には、我々外部のものは全くタッチできないんですよね。正直。
そう言ってました。
決定権は結局そのご主人の方にあって、
ご主人がそこを断ってる以上、外から見てああした方がこうした方がってすごい思うんですけど、
事が起きたときに対処できるような体制だけは一応とっておくのがいいですかねっていうのをケアマネージャーさん、
すぎべ
司ってくださってる方々と話すみたいな、そういう感じになりますね。
肌から見たら、あまり良い状態ではないと思うけれど、
今が2人のちょっといびつな形の幸せなのかなと思うしかないというか、
タイ子供もそうですけど、こっちの幸せをあっちに押し付けたくないみたいなのもあるじゃないですか、根底には。
カフェインよわお
そうですね。
すぎべ
そうですよね。それの介護バージョンなのかなと思いながら、もどかしい気持ちでいるんですけど、
カフェインよわお
そうか。つながるのか。
本当にほぼほぼイコールだと思います。
それこそ介護の方が、その介護される側の育児でいうところのいやいや気、
最後になると、その方々の人生経験に基づいたプライドとか、
逃がしたくないものみたいなのが、さらにそこに乗っかってくるので、
やっぱり別ジャンルのそこのややこしさとかもあるかな。
すぎべ
すごい濃いいやいや気みたいな感じですよね。
カフェインよわお
はい、ということで杉部さんとのコラボ配信、前編でございました。
共感と安心感
カフェインよわお
ちょっとあの最後ぶつ切りになってたのはですね、杉部さんのお子さんが乱入されるというトラブルがありましてですね。
その関係で話がバタッと切れてしまったんですけれども。
いやー何ですかねー。すごくねー。
すごくいろんなことを考えたんですね。この杉部さんとお話させていただいてから。
あのー、なんだろうな。
杉部さんがどう思われたかどうかはちょっとわかりませんが、
これぐらい近しい状況に身を置かれている方とお話しするのがまず初めてだったし、
あとはうちの妻以外の同年代ぐらいの女性と子育てに関して、
こんなに突っ込んだ話をしたのも初めてだったし。
なんだろう。まずその機会を得たことで、そういう状況の中でお話できたことがまず良かった。とても。
でその上で、これもその杉部さんがどう感じられたかわかんないけど、
めちゃくちゃ同じことを考えているなというふうに思ったんですよね。
めちゃくちゃ同じことを考えている。めちゃくちゃ同じ壁に当たっている。
すぎべ
で、同じ発想の乗り越え方に至っているなというふうなのを前編後編通してね、すごく思ったんですよ。
カフェインよわお
このコラボ収録をする前段階でそのままが自分を取り戻すラジオの方を、
何本か気になるエピソードを聞かせていただいて、コラボ収録が終わった後もですね、
同じようにちょっとじゅんぐりに番組を追いかけているのですが、
なんかほんとね、ちょっと怖くなっちゃうぐらいにすごい考え方の方向性とか、
出来事が起こった時の感情の揺れ動きとかの方向性がめちゃくちゃ近しいなというふうに思ったんですよ。
そういうふうに感じられる方が、女性である、ママである、おかんであるというふうな事実が、すごく嬉しかったんですよね。
なのでその前の配信の中で似たようなことを言った気がしますけれど、
やはりその子育てという物事に向き合う上では、父親だ母親だみたいなところはやっぱりあまり関係がなくて、
子育てに向き合う熱量に応じて同じような壁に当たるし、同じようなことを考えるし、
そこに男女の違いはないのだろうというのを身をもって体感できたという感じですかね。
僕は杉部さんの一番下のお子さんとうちの上の子が同世代なんですよね。
来年度から小学校に上がる年なんですけど、
そこが共通していることによって、そもそも勝手に親近感みたいなものを覚えて、
同じようにその保育園から小学校に上がるにあたって同じような壁にあたっていらっしゃるだろうなみたいなテンション感で話を振ってしまったので、
言ってもね、子育てにおいては杉部さんの方が断然先輩ですから、何を言っとるんじゃいともしかしたら思われたことがあったかもわからないが、
リアルタイムで自分が今まさに直面している問題がある。
同時にその問題にぶち当たるまでに色々な事態に遭遇して、色々そこに向かうまでに乗り越えてきた過程がある。
で、その目の前の今お話ししているこの人も同じようなことを乗り越えてきた方で、かつ同じ壁にこれから当たろうとしている方であるということの安心感、信頼感、
そしてそこと、この配信に載せているぐらいの熱量で喋って、しっかりこう話が噛み合ってくれる、共通認識を持っていてくれる、
というその状況自体が、なんか僕が子供と向き合う上でのちょっとした自信に繋がったというか、
ちゃんと僕が子供と接していて感じた諸々のことというのは、ちゃんと子供と向き合って接しているお母さんと匹敵するぐらいのところまでちゃんと届いてくれてたんだなという安心感みたいなものを僕は感じていましたね。
後で振り返りながら、後編の中でちょびっと出てくるんですけど、僕はやっぱり父親じゃダメねって言われるのがめちゃめちゃ怖かったんですよね。
特に子育ての初期の方、今でこそその男性でも育休が取りやすい環境が整ってきたよね、育休得率が上がってきたよねっていう風な雰囲気になっていると思うんですけど、
うちの子供たちが生まれた当初は、男性も育休を取れるようにしていかなきゃいけないよねぐらいのタイミングだったんですよね。
そういうところに課題があるからどうにかしていかなきゃね、これから動き出しますよぐらいのタイミングでうちの子供たちは生まれているんですね。
で、そんな中で一応その2人目の時にはちょろっと育休を僕は取ったりとかしているんですけど、
なんかそういう幼かだったからか、僕は男性でもしっかり育児に関わろうと思ったし、関わらねばならぬと思っていたし、
男性の家でも育児にちゃんと関わっているんだぞの裏返しで、やっぱり男に任しといちゃダメね、ママじゃないとダメねみたいに、
いつかどこかで言われるんじゃないかっていう風な恐怖感も同時に抱いていたように思うんですよね。
実際、一部の人からそういうことを言われたりもしましたし、
それを言われたくないがために自分を削って子育てに向かったりもしたし、
人前で子供に対して厳しくあらねばみたいな感情を持ったりもしたし、
いろいろだったんですけど、そういう風なのを持っていたのが、最近はあんまりそこは気にしていなかった。
それは子供たちが育ってきて、前世紀の頃よりはちょっと手から離れかけているタイミングになってきたからみたいなのも多分あるんだと思うんですけど、
なんでね、そこのどこかで母親、女性と比べてどうだという風な目にやっぱり行き当たってしまうのだろうという恐怖心は奥底に残っていた気がするのだが、
ちゃんと杉部さんとかなり突っ込んだレベルまで、同じような壁にぶつかり、同じような対象し、同じような考えに至りみたいなことを共有できたことによって、
安心した、安心しただな。安心したが一番近いですかね。
まあちょっとそんなこんなで、非常に僕にとって価値のある体験をさせていただいたなという風に心から思っております。
次回への期待
カフェインよわお
はい、まあまあそんな感じでしょうか。なんか時間をかけたら他にもいろんな言葉が出そうなんですけれど、ちょっとひとまずここら辺で。
はい、ありがとうございました。繰り返しのご案内ではございますが、後編が杉部さんの方のポッドキャストでも公開される予定となっておりますので、ぜひそちらの方もお聞きいただければと思います。
公開され次第、概要欄にもリンクを貼っておくようにします。
はい、ということでここまでご配置をいただきましてありがとうございました。
番組への質問意見、感想などなど何かありましたら、番組概要欄のお便りフォームか、ハッシュタグ口物をつけてポストいただきますと大変嬉しいです。よろしくお願いします。
ではまた。ありがとうございました。バイバイ。
53:34

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コメント

よわおさんもすぎべさんも普段とは違った一面が聴けたような気がして面白かったです。あと、自分の場合は妻が2回目の子育てであったのと、妻のママ友ネットワークが結構大きかったのかも、とお二人の話を聞いて思いました。 介護については金銭の問題や要介護レベルによって老人ホームに入れる・入れない、介護保険が使える・使えないがあるようです。一口に老人ホームと言っても種類は様々あるようです。自分は次のフェーズは両親の介護になる可能性があるので、今から怯えております。(まぁそのために大阪に返ってきた部分もあるのですが) 後編も楽しみにしてます。

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