たぶん、京都旅行を機に貪欲になっています。
どうしても、もっと楽しめたのになーーーーという気持ちが拭い去れません。悔やまれる。それはそれとして、ペアルックの子どもたちは大人気でした。写真や動画を撮ってくださった皆さま、ありがとうございました。
◆お便りお待ちしております:https://forms.gle/8zzQNjZqBsTb4T9L9
◆エックス上での感想等は#口モノ で。
◆AI文字起こしサービス『LISTEN』:https://listen.style/p/ptdueldad?sghsH9jH
サマリー
9月28日に開催されたどんぐりファミリーのお店イベントには、様々なポッドキャストの参加者が集まりました。しかし、参加者は子供を連れて行くことが難しく、参加時間が短くて不完全燃焼な体験となっています。本エピソードでは、育児と自己の人生のバランスについて考察が行われ、育児ライフバランスという新たな概念が提唱されています。また、育児の定義や親としての役割に伴い、自身の人生をどのように維持するかが重要なテーマとして扱われています。親としての役割と仕事のバランスを考慮する中で、シッターの利用を検討する様子が描かれています。子供の体調不良がもたらすストレスや資本主義社会における急な休みに対する理解についても語られています。
どんぐりファミリーのお店の開催
こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェインよわおです。 本日は9月28日日曜日の夜となっております。
今日は、どんぐりファミリーのお店というイベントがね、東京池袋、日河池ポンドという風な施設でやられておりましたね。
どんぐりファミリーのお店と言いますのは、どんぐりFM、でこぽんFM、状況ボーイズ、日にき給頭室、親父は銀行員FMの皆様方が、ちっちゃいお店的な施設を借りて、食事を提供します、ドリンク提供します、本を売ります、ゲームをします、
収録場所を提供します、みたいな、なんかそういう風な、いろんな感じのところをやられているイベントだったんですね。
で、あのー、今日は7歳と5歳の子供を連れて行ってきたんですよ。
一応ね、ギリギリ行ってきたと言っていいかなというぐらいな滞在時間だったんですけれど。
去年もね、同じぐらいの時期にあったんですよ。
その時はどんぐりファミリーのお店っていう名前だったかちょっと記憶は定かじゃないですけれど、あったんですよね。
で、その時もやっぱりパートナーが仕事で、あの子供たちを連れて、顔を出したんです。
で、まあ今年もね、その7歳児と5歳児を連れて、車で近くのサンシャインシティに車を停めて行ってきたんですよ。
僕と子供たちの3人で。
あのー、イベントそのものはね、イベントそのものは非常に素晴らしいものであったということを前提にここから先を聞いていただきたいんですけど、
イベントそのものは非常に素晴らしかったんですけれども、
ども、
だーめですね。
もうあの、やっぱ子供たちを連れてああいうイベントに参加するのは、もうちょっと無理だなというふうな気持ちになった今日でした。
僕たぶん実質の滞在時間15分、20分はいなかったんじゃないかなぐらいしかちょっといれなくてですね。
本当に受付にちょっと入って、で、その周辺にいらした、
息抜き給糖室の金友さんと千田さんと、状況ボーイズの小太さんと尾道ミントさんと、
おやじは銀行員FMのあれ、たじさんだったかな?ちょっと名札ちゃんと見なかったなぁ。
と、ふわってご挨拶して、
これまで面識がある他のね、ポッドキャストとかのイベントで知り合ったリスナーさんと、
あどうもーってご挨拶して、子供と一緒にね、そのゲームをやらせていただいたりとかしたわけです。
終了を送られた感じだったんだよな。
本当に、その子供たちがね、子供たちがまあ大きくなってきたわけですよ。
だいぶ。7歳と5歳。小学1年生と保育園の年中3なわけです。
やっぱりどんどんこう、自我が育ってきて、自我が育ってきたことによって、
やりたいこととやりたくないことがはっきりしていて、
僕の用事に付き合わせて外出するっていうのが、結構高いレベルでやりたくないことに入っちゃったっぽいんですよ。
どうやら、子供たちのね。
子供への影響と考察
そうなんで、その被害家ポンドの施設が市会に入った時点で、もう行きたくない、ここで待ってるぐらいな感じだったんです。
もはやね。で、まぁまぁまぁちょっと友達に挨拶だけさせてよって言って、
まぁ多少あの無理やり連れて行ったんですけど、もう中に入るや否や、
そそくさと出口に向かって歩き出そうとしちゃったりするわけです。
なんでねー。もう本当なんていうか、
視線をそこから外せず、視線を子供たちから外せないから、あんまりその皆様とちゃんと会話をすることもできず、
自分が奥に進むこともできず、みたいな感じだったんですよね。
だからマージでマージですげー不完全燃焼だった。
こんな感じだったら、ちょっと来年同じようになったら多分もう行けないだろうなぁという風な感じでしたね。
で、思ったんですけどね。僕のね、その今回のどんぐりファミリーのお店に行きますとか、
あの確か2年前のポッドキャストウィークエンドもあの子連れで行って、
その時は、相当不完全燃焼だったけど行ってよかったみたいな感想になったと思うんですけど、
このね、そのポッドキャスト周りのイベントに子供を連れて行くっていうのは、僕は行けることによって行って嬉しいんですけど、
子供たちは行きたくないところに我慢させて連れて行ってる感みたいなものがどうしても拭いされなくて、
そりゃ気が乗ってない子を連れて行ったら、まあ楽しめるはずもなかろうとも思うわけです。
で、帰りの車の中でね、いやー不完全燃焼だったなぁと思って、
やっぱりこうああいうところに興味が向いてない子供を連れて行くのは、
子供にとってもしんどいだけだし、僕は僕で楽しみきれないから、なんかちょっとモヤっとした気持ちを抱えて帰るようなことになるし、
だから、基本一人で動けるようにしなきゃいけないのかなというふうに思ってですね。
でもそれにはどうしてもパートナーの仕事の問題が絡んでくるから、
向こうが休みの時にはお願いねっていう感じになるんですけど、そうじゃない時にはもうなんかいよいよキッズシッターとかそういうのを検討しなきゃいけないのかなぁというふうに思ったりしたんです。
で、そうやって考えている工程の延長戦にね、逆に僕が子供たちを楽しませる努力を怠りすぎだったかもしれないみたいな考えに今度転がっていって、
子供たちがそのポッドキャストとかそういう諸々に、一切興味がないのに無理にそこに連れて行っているから悪いのであって、
例えば仮に、わかんないけど、どんぐりFMとかデコボンFMとか、そこらへんのを聞かせて、日頃からね、日頃から聞かせて、
あの声の人だよみたいな風にして会いに行くようにしたら、ちょっと話が変わるのかもしれないなぁというふうに思ったり、
一人で行ける環境を作るっていう方向に振り切るか、もしくはその子供たち含めて、子供たちも楽しめる環境を作ってから行くっていう風な方にするかどっちかかというふうに思ったわけです。
できたら苦労はしないんですけどね、そんなことはね。
うち、うちというか、僕、他の家族がいるところでポッドキャストって基本聞かないんですよ。聞かないというか聞いている姿を見せないというのかな。
家族がいる時はイヤホンしてるし、車乗ってる時には子供たち用になんか小房席のテレビで、なんかあれやこれやとアニメを流していたりとかするから流さないし、
妻と2人で乗ってる時にはなんかラジオをかけたり、なんか当時の音楽のプレイリストみたいなのを再生したりとかするので、
基本その家の中にポッドキャストが流れるっていうふうなことがないんですよね。
だからなんか、向こうからすると多分僕がどういうふうに普段過ごしているかみたいなのをあんまりこう感じ取る機会もなく、
になるよね。どうしたらいいですかね。
ちょっと話は全然ずれるんですけど、これ僕の結構偏見が入るんですけどね。
スケボーとかスノボーとかのオリンピックとかで活躍している選手の皆様方って、
超ちっちゃい頃からやってるじゃないですか。もうなんか2歳3歳からボードに乗り始めましたみたいな
VTRをね。オリンピック前後の特集とかで目にすることがあるんですけど、
あれぐらいの年代の子がスケボースノボーに自然な流れで興味を持つことって本来あんまないと思うんですよ。
だから、親がスケボースノボーが好きで、そういう環境に連れてって、
もしかしたら多少の強制力を持ってやらせて、
子供がスケボーならスケボーをやるようになったことで、親がスケボースノボーを続けられる環境がこう構築できるから、
やらせてるみたいな側面が、やっぱ一定あるだろうと思っているんですよね。
それが良いか悪いかっていうか、2、3年ぐらい前の僕はあんま良くないんじゃないかなって正直思ってたんですよ。
そういうのを見て。そりゃもう親のエゴやんみたいな。
子供は子供で、なんか他にやりたかったことがあっただろうに、
親が続けたいという風な目的が第一にあるから、それを子供に伝えて、
上手くそこの子供の気持ちと親がやり続けたいという風なところが一致した結果として、
ああいう小さい時からそのスポーツに触れている子供が育つのではなかろうかって思ってたんですね。
当時の僕はかなり意地の悪いことに。
だから、さっき僕が言ってた子供たちにフォットキャストに触れさせて一定興味を持たせてっていうのはもう完全に同じ路線なわけですよね。
別に僕は彼らにフォットキャストという存在とか、普段聞いている番組とかを聞いて楽しんでもらいたいなぁみたいな気持ちは正直ないわけ。
うっかりそれで楽しいと思うのかもしれないけど、正直あんまりそうなるだろうとは思ってないんですよね。
ただ、あくまでも僕一人で彼らを連れ出すみたいな場面があった時に、
そっちの方が結果的に僕がより楽しめる方向に行くだろうなっていうふうなかなり打算的な考えで、
そういう行為をやるべきなのかどうなのかみたいな話をしているわけです。
まぁ、なんつーか、トライはしてもいいのかなっていう気はするんだよな。
それで楽しいなって思うかどうかは、それは僕が決めることじゃないから。
うっかり本当にね、子供がハマるかもしれないし、ハマったらハマったら全然いいことだと思うので。
ハマらなかった時に強制しつけるのは確実に悪だなぁとは思うけれども、
そういうものが世の中にはあるんだよっていうことを提示して、
へぇーって思わせるだけは別にね、何ら害はない抗議なわけじゃないですか。
そんぐらいのジャブはいっぱい打ってった方が、結果的に僕が楽しく日々を送れることにつながるのかな、
というふうに思ったりしたわけです。本日の出来事をもって。
いやー悔やまれるなぁ。
息抜き給頭室のね、金友さんと千田さんがね、結構積極的に子供の脅威をひこうとしてくれたんですよね。
息抜き給頭室は金友さんという、僕とたぶんそんなに大差ないぐらいの年代の女性の方と千田さんっていう、
そこから一回りぐらい下の年代の男性の方の2人でやられてるポッドキャストなんですけど、
千田さんの方が折り紙が信じられないぐらい得意だという話があってですね、
実際に会場の中に50cmの正方形の折り紙1枚からドラゴンを作りましたみたいなので、
本当に何回見ても意味がわからんクオリティのドラゴンがそこに置いてあったんですが、
育児と自己のバランス
で、そういうドラゴンがありますとか。で、折り方の手順書みたいなものもこう一緒に置いてあってですね。
全160なんてみたいなことで書いてあるんです。160なんての工程を経れば誰でもこれが折れますみたいな。
なわけねえだろってもんだけど、そういう手順書が一緒に置いてあったりとかね。
で、そういうので、ちょっとこう子供の脅威をひこうというふうにすごい頑張ってくださったんですけれど、
頑張り虚しくダメだったなぁ。
最近ですね、こういうその子育てと自分自身との折り合いをつけるという物事をどう言葉で表現したものかみたいなものをずっと考えていてですね。
っていうのも何回か前のエピソードですね。2回前くらいかな。
シャープ95もしかしてできることがあるのかもという回で、最近そのすぎべさんと話したりとか、あのウシワカさんと話したりとかして、
もしかしたら僕が男性のみで子育てに関わって、ああでもない、こうでもない、どうしたもんかみたいなことをこうあらこうだ悩んでいる様を世に発信するという物事にはちょっと世の中を良い方向に向けていくような価値があるのではないかみたいな話をしたんですよ。
このシャープ95の中で。で、基本これまで僕はあんまりそのインプレッション稼ぎたくないなっていうふうな気持ちがあって、あの番組タイトルもあとは各エピソードのタイトルもすごくふわっとしたものにあえてするようにしてたんです。
直接的な名詞を入れることを避けていたんですね。なんですけど、そのさっき言ったようなことで、もしかしてこういう発信が世に出ることに価値があるとするのであれば、多少検索に引っかかりやすいワードは入れといた方がもしかして得する場面もあるのかもしれないなっていうふうにちょっと考えが変わったんですね。
で、まあなんかちょうど100回持ち帰し、リニューアルしようかなっていうふうに漠然と考えてたんですよ。で、どういうタイトルにしようかなっていう話になって、Googleジェミニと相談しながらね、いろいろ考えていたんです。ここ最近。
で、そういうことを考えているのと時を同じくして、最近割と生活が一段階楽になったなっていうふうなことを感じる機会が多かったんですよ。
まあちょっと今日みたいなことはね、ややイレギュラーというかなんというか、それはまあ変わらずそうだよねっていう感じの話なんですけど、基本的には子供と一緒に生活をする、子供と一緒に外出するっていうことに対するハードルは前よりも明らかに下がってはいるんですよね。
で、なんか楽になったな、今手が空いたな、なんか気持ちにゆとりがあるなみたいなことが増えてきて、なんで楽になったんだろうなっていうふうなのを同時にあれやこれやと考えていたんです。
だからその何かがうまく回るようになったから楽になったのである、何かがうまく回るようになったから楽になったよっていうふうなニュアンスのことを発信していく配信にしたらいいかなって思って、それを番組タイトルに取り入れようというふうに思ったんですね。
で、いっちゃん最初に頭に思い浮かんだのが、ワークライフバランスならぬ育児ライフバランスという言葉がいっちゃん最初に頭に浮かんだんですよ。
いわゆるそのワークライフバランスって、その仕事と人生を天秤にかけてそこのバランスをうまく取ろうねっていうふうな話じゃないですか。
ワークってそもそもライフの一部分だろうみたいな論争もあると思うんですけれど、ただまあとりあえずそのワークライフバランスっていうふうな文言だけを捉えるとですね、
ライフの中に育児が入っちゃってるんですよ。
で、当初僕はワークライフのバランスをどうにかしたらうまいこと育児ができるようになるであろう、家庭が生んだらできるようになるであろうっていうふうに思ってたんだけど、
その育児とライフが合体している状況では無理だったんですよね。それはなんか僕の気持ちが無理だった。
配信開始当初のこう逃げ場がない感情みたいなものが常に頭の中にはあったわけです。
それはその育児とライフがイコールだったから、育児をすることが僕のライフであるみたいな状況になっちゃって、じゃあ僕は僕という人間をどうやって満足させたらいいんだいみたいな感じの格好になってしまった記憶があるんですね。
当時を思い返すと。なのでその育児とライフを分離させるというか、育児は育児でもちろんやらなきゃいけないし、子供と関わっていかなきゃいけないんだけど、
新たな育児の定義
自分の人生ってそれとまた別の話ですよね。育児に関わる自分と自分の人生を送る自分とそこのバランスをちゃんと考えていかなきゃいけないんじゃないですかね。
っていうふうなことで育児ライフバランスみたいな文言を入れたら、別に育児の話一辺倒にならなくてもさ。
育児があるという環境の中で自分の人生を送っている様みたいなニュアンスで、多分今までと同じような配信の内容が続けてもタイトルともそこは出なくていいかなっていうふうに思ったんです。
で、そういう路線で考えてたんですけど、よくよく考えたら、小学1年生に対してやってることってもはや育児ではないのか、子育てか、なんなんだ、というふうな話になってね。
それはその年齢的に、なんていうか、僕が育児ってパッと聞いた時にイメージするのって、やっぱこう、保育園児レベルなんですよね。
やっぱ直感的には2歳3歳ぐらいの、ミルクは卒業したけどまだ大人と同じものはギリ食べれないぐらいの、あれぐらいの子をね、見た目的にもほわほわっとして可愛い時期のっていうのが、育児って言葉を聞いた時にパッとなんか頭にイメージされるんですけど。
なので、小学生の子がいる僕が育児というふうなフレーズを番組タイトルに入れてやるっていうのは、なんかちょっとおかしいかもしれないなっていうふうに今度思ったんですね。
ほんで、次のステップ。
いや、育児とかそこを言葉で何と表現するかは、なんか調べた感じはっきりこうというふうなものはなかったので、
そういう、育児だ子育てだ何だかんだっていうふうなフレーズを使うんじゃなくて、自分が親であることという役割を担うことと、親である僕自身の人生を送ることと、そこのバランスを取るみたいな表現に変えたら、
なんかちょっとこう僕が頭で思い描いていることとおおむね一致するかなっていうふうなことになって。
この路線でいったらいい感じにまとまりそうだなって思ったんです。
だから、親であることと自分の人生のバランスを取るラジオみたいな話になっていって、なんかどっかで聞いたことあるなと思ったんですよね。この流れ。
これ、ママが自分を取り戻すラジオなんですよ。この構成になってるのって。
すぎべさんもね、以前にコラボさせていただいたりとか、ちょっと個人的にお会いしたりとかして仲良くさせていただいているすごい方がいらっしゃるんですけど、
ママが自分を取り戻すラジオなんですよ。完全にこの構図。ママという役割を担っているすぎべさんという方が、すぎべさん自身というものを取り戻すラジオなわけです。あの番組は。
あーそうか、すぎべさんこういう工程であの番組タイトルつけたのかと思って。
いやーもうなんかほんと尊敬、なるほどなっていう風になりましたね。
まぁちょっとすぎべさんが同じような工程を持って、あのタイトルになったのかどうかちょっとわかりませんけれど。
っていう風な話で、ちょっとこれはまた別路線で行った方がいいかなっていうことになったわけです。
で、今度さらにそこから次の段階に行って、バランスを取るみたいな表現にしているけれども、
ドレッシングの比喩
なんていうか、僕個人としては正直その親である役割の部分と、その僕自身の人生の部分と、
なんかそのハーフハーフを保ちたいみたいなことでもないかもなという風に次思い立ったんですね。
だからその時によって、例えば親が10で自分が0の瞬間も正直起こりうるだろうし、あのもちろんそれが続くとやばいと思うけどね。
でまぁ当然逆に親が0で自分が10の瞬間も、まぁ同じく瞬間的には起こりうると思うんですよ。
長く続くとやばいけれど。
そこを、ある程度そこの天秤が揺れ動く中で、なんだろうな、1年とか10年とかの単位で見た時に、
こうマクロな視点で見たらいい感じにバランスを取りながら、こっちに偏ったりあっちに偏ったりしながらもうまいこと言ってたよねっていう風な状況を目指したいと思っているわけです。
そこが常に半々ではなくて、7×3だったりとか、2×8だったりとか、そういう風に大きくなったり小さくなったりとかをお互いに繰り返しながらも、
その時々に合わせて柔軟にやっていきたいよね、みたいな感じなわけ、僕が想定しているのは。
10×0だったり0×10だったりっていう風な状況は極力作らないように、一定必ずもう片方のことも消さずに残しつつ、
うまーくそこを馴染ませながらやりたい、みたいな考えになってですね。
今で言うと、親であることと僕自身の人生というものと、それがどっちか一方が消え去ることは必ず起こさない。
両者確実に存在している。ただし両者の比率はその時々によって増えたり減ったりすることがある。
で、それが僕が親であるという役割が僕の人生を食わないように、混ざってるようで混ざってない、でもうまいこと共存してるよ、みたいな。
そういう状況というのが今僕が考えている育児と人生のちょうどいい位置づけというか、ちょうどいい落ち着いている状況なのではないかという風に今僕は思っているわけ。
なんて言葉で表現しようかと。今のところ僕が一番この状況に近いのはドレッシングじゃないかと思ってるんです。
振れば混ざるけど自然と分離するじゃないですか。一定ね。
そうやって時によって混ざったり分離したり、その時の気分によってちょっと油分を増やしたり、他の味付けの部分を増やしたりみたいなものを色々変えながら、
お互い確実に存在し続けている状況。
ドレッシング…
ドレッシング…
締まらないですよね。なんか番組タイトルとしてはさ。
ということで停滞している今という風な感じの状況なんですけれど。
なのでその僕が親という捨てられない、捨てたくない、捨ててはならない役割を担っていることと、
僕自身の人生を送っていく、ちゃんと楽しく送っていくことと、
シッターの利用を考える
どういう風に取り扱ったらいいんだろうかっていう風なことを考えているその最中に、
このどんぐりファミリーのお店がこずれていったらすげー不完全燃焼で終わって燃えているという風なこの状況がね、
どこをミスったからこうなってしまったんだろうかみたいなのをなんかすごいね、帰りの車で色々考えてね。
うーん。
難しい。難しいなぁと思う。
ただ正直もうシッターに頼むっていうのは結構ありなんじゃないかなぁとは思っているんですよね。
もはやね。
あんまりこう、僕個人がさっきのそのドレッシングのね割合を完璧にしたとて、
100点満点のドレッシングは誕生しないと思うわけです。
ドレッシング的にはここら辺のラインがもう限界が見えてるから、
じゃあちょっとサラダの部分でどうにかしようよみたいなね。
そういう外部の力で外部の力も足し合わせてそれによってトータル100点みたいなこう状況を目指していくみたいなのが
必要なのかもしれないなっていう風に思っている次第ですね。
ただね、ベビーシッター?もはやベビーではないか。
キッズシッターっていうのかなっていう風なのをこう、じゃあ頼みましょうって言ってもね、
なんか当日いざそのタイミングで、じゃあすいませんシッターさんお願いしますって言っても、
それはそれでまた子供たちもちょっとね、もちろん緊張するだろうし気まずいだろうしとか、
僕が行って帰ってくる過程にまずそこの出費を追わなければならないのかとか、
結論出ずという今となっております。
親としての葛藤
ということで、僕自身の身の立ち振る舞いを考えたり、この配信をどうしようかみたいなことを考えたり、
ちょっと人を作るだとか、文学フリマーだとかなんかちょっとそこらへんへの興味も出てきたり、
頭の中では結構忙しい日々をここ数日過ごしておりました。
久しぶりね、子供が体調を崩して仕事休んだんですよ。
かなり久しぶりに、まじで半年ぶりとかそんぐらいなんじゃないかな多分、休んだんですよね。
やっぱ答えるんだよ。そういうので休むと。
なんか親としては正しい行為をしているはずなのだが、その行為と引き換えに社会で生きていていいよっていう、
その印がちょっとずつ欠けていくような、そういう感覚になるんですよね。
いつも子供の体調不良で休憩休みますみたいなのがあると。
最近かなり頻度が減ってたので、まじですっかり忘れてたんですけど、
2年前3年前とかに比べると、かなりメンタル的にはいろんな物事の受け止めが強くできるようになったな自分では思ってはいるのですが、
そういうのとは関係ないんですよね。
僕のメンタルが強くなろうが弱くなろうが、結局子供が体調を崩して急に休んで仕事に穴を開けて、
あああっていうふうな気持ちはまじで一切変わらないんですよね。
それは本当なんか僕の受け止めの問題っていうよりは、
この資本主義社会の中で急遽休む存在がいかに扱いづらいかっていうのをやっぱり一定理解してしまってるからなのかなと思ったりするのですが、
そういう時にも同じくその親であることと自分の人生とどうしたもんかなっていうふうなことをやっぱり思うわけですよね。
結局じゃあそういう時にもシッターさんに頼るのか、
そういうことがあるたびにシッターさんに頼むってマジで出費がいかほどなのかとかね。
結局結局考えることはまだまだ山積みでございますよ。頑張っていきましょう。これからも。
頑張ります。よろしくお願いします。
番組への質問意見感想などなど番組概要欄のお便りフォームか、
ハッシュタグふちものでXにポストいただきますと大変嬉しいです。よろしくお願いします。
ではまたありがとうございました。バイバイ。
31:37
コメント
スクロール