件の遊園地を紹介していなかった気がします。静岡県 遊園地 富士山の自然と遊ぶ ぐりんぱ-Grinpa-
インターネット黎明期を思わせるホームページ。
園内も、それなりに年季が入っています。が、清潔ではあるのでそこまで気になりません。
これまで夏休みシーズンに行っていましたが、天候大荒れであんまり遊びきれませんでした。GWぐらいがちょうど良さそう。
◆お便りお待ちしております:https://forms.gle/8zzQNjZqBsTb4T9L9
◆エックス上での感想等は#口モノ で。
◆AI文字起こしサービス『LISTEN』:https://listen.style/p/ptdueldad?sghsH9jH
サマリー
アニメ『働く細胞』は子供たちの間で人気があり、体の中の細胞の働きを擬人化して面白く教えています。また、母の日の祝福を子供たちと共に計画し、成長を感じるエピソードが紹介されています。このエピソードでは、遊園地での子供たちとの体験を通じて、食事の楽しさと無我夢中で食べる姿の大切さが語られています。特に、ウルトラマンがテーマのフードコートで一心不乱にうどんを食べる下の子の姿が印象的で、食欲に集中することの価値が再確認されています。このエピソードでは、食事やその楽しさ、そして食に対する集中を捉えることの重要性が説かれています。
アニメの魅力
こんにちは、こんばんは、おはようございまーす。カフェインよわおでーす。 ちょっと鼻声気味なんですけれども、なんかね、この1週間ちょっと非常に体調がかんばしくなくてですね。
この鼻声などに加えて、ちょっと他の2、3個別件がこう絡み合ってね。 ちょっとあんまりかんばしくないんですけれども。
なんなんですかねぇ。花粉なのかなぁ。 今は、杉とかヒノキとかは、たぶん時期的に終わって、
イネが飛んでるという風な話らしいですね。 だからまぁもしかしたらそれなのかもしれないし、
なんかいわゆる肝断層アレルギー的なのかもしれないし、ちょっと病院行ってないんで詳しくはよくわかりませんが。
まいっちゃいますね、ほんと。 最近あのうちの子供たちがですね、
働く細胞というアニメのブームが来ておりましてですね。 働く細胞と言いますのは漫画原作のアニメ作品なんですけれど、
働く細胞は清水茜さんによる日本の漫画 月刊少年シリウスにて2015年3月号から2021年3月号まで連載をされた
だそうでございます。 人間の体を構成している細胞一つ一つを擬人化して、
白血球の役割を持っている人がいて、赤血球の役割を持っている人がいて、 うんたらかんたらみたいな全部が擬人化されてるんですね。
キャラクターとして動いている。 そのキャラクターたちが
単鼓舞ができたら体の中ではこんなことが起きてるよとか、 風邪をひいたらこんなことが起きてるよみたいなのを面白おかしく教えてくれる感じの
漫画アニメになってるんですけどね。 それであの花粉症の解があるんですよ。
その働く細胞のアニメの中に
見てるだけでムカついちゃってさ。
花粉に限らず、アレルギーって全般そうだと思うんですけど、 体に何かしらの物質が入ってきた時に、それは体に害をなすものだぞ
というふうな認識をね、過剰にとある細胞がして、 それに反応してヒスタミンっていう物質を出して、そのヒスタミンっていう物質に反応して
鼻水が出るとか咳が出るとか、うんたらかんたらみたいな症状が起こるよっていう風な流れで起きているものだと思うのですが、
もうね、その過剰に反応している細胞に対する恨みたるや。
ひどいもんですよ、本当に。 花粉症とは全く関係ない回の中でも、その細胞が移るたびに
お前が、お前が、お前のせいで、って
勝手にイライラしちゃいますよね。
まあまあ、でもあのなんていうか、アニメとしてはすごく素晴らしいアニメと言いますか、
人間の体ってこういう風になってるんだ、へぇーっていうものを触るためにはすごくわかりやすいですし、
予防接種とは何ぞやみたいな回もあるんですよ。 体の中に入ってきたとあるウイルスに対して、体の免疫細胞たちが立ち向かっていくわけですけど、
結構ボコボコにやられちゃうんですよね。なんだこのウイルスはめちゃくちゃ速いスピードで増殖してやがる、
うわーどうしよう、みたいな感じになっていくんですけど、そこに殺送とね、既得免疫という名の超強いレーザービームを打てる武器を持った細胞が現れて、
ウイルスを一掃してくれるっていう風な話があるんですが、君たちが頑張って注射をしているのはこういう理由があるんだよっていうのをね、
自信を持って言えるようになって、非常にありがたいコンテンツですね、本当に。
母の日の計画
ただ、ただ、
一部ちょっと私的な事情によって忌々しい奴はいるけれども、いやいやありがたい限りでございます。
あのー、先日母の日がありましたね。
5月11日ですか?5月11日はなんで母の日なんだろう?これはあの全く今本筋と関係ないんですけれども。
母の日とは、日頃の母の苦労をにぎらい母への感謝を表す日である。
期限や日付は国ごとに異なる。 へぇー。
日本は、なんかすげーな。
いろんな肯定があるんですね。
うよ曲折を経て、アメリカが5月の第2日曜日に設定されているので、日本もそれに習ったという風なことらしいですね。
へぇー、そうなんだ。
じゃあ、あれなんですね。毎年日に日がずれてるんですね。
へぇー、全然知らんかった。
まあまあその母の日はあったんですよ。
で、僕自身は僕の母に対して母の日を祝ったことは全くなく、今後とも祝うつもりは冒頭ないんですけれど。
あのー、うちの子供たちがね、今7歳と5歳なんです。
一応1回、そういうものがあるんだよというふうなことはちゃんと伝えといた方がいいかなというふうに思って、
去年まで完全スルーしてたんですけど、あの今年行ってみたんですよね。
今度の5月の11日は母の日っていうらしいよ、つって。
で、あのうちの子供たち、割と最近誕生日を終えたところなんですけど、
この前は君たちの誕生日で、生まれてから何年経ったね、何歳になったね、おめでとうっていうふうなお祝いをしたよね、と。
母の日というのは、そういういつもお母さんありがとうとか、そういう気持ちを込めてなんか贈り物をしたり感謝の気持ちを伝えたりする日があるんだよ、つって。
へぇー、そんなのがあるんだーっていうぐらいのリアクションですよ、言うたらね。
で、この前、君の誕生日の時には君はイチゴが好きだからイチゴのケーキを食べたよね、と。
ママってどんなケーキが好きなんだろうね。そういえば知らなくない?みたいなこう話をしてね。
じゃあ今度の母の日にはママが好きなケーキを買って、で、ママが好きなケーキを買ったということは、それに乗じて君たちもちょっと分けてもらえるんじゃない?
だからさ、ちょっとケーキ選び手伝ってくれよ!みたいな感じで、こう話を持っていったわけです。
で、そういう話をしてたらね、あの上の7歳児がですね、じゃあ僕がママに、ママはどんなケーキが好きなの?って聞くから、
パパは近くでこっそりママが何て言ったか聞いといてって、ニヤニヤしながら言ってくれてですね。
無事に協力をさせることに成功したわけです。で、正直ね、絶対忘れてんだろうって思ってたんですよ。
彼は彼で小学生になってね、いろいろ大変なことも日常あるだろうから、そんなことに気を向けている暇はないだろうなっていうふうに思ってたんだけど、
でもちゃんと覚えててくれたんですよね。 その話をしてから1週間ぐらいしたタイミングでね、
たまたま家に家族4人揃ってて、特に何をしているでもない、一旦我々も家事を落ち着いてダランとしている時に、
その7歳児があのうちのパートナーの元に寄っててですね、ママってケーキ何が好きなの?っていうふうに聞いて、
ちょっとこっちにめくばせしてくるわけ。 聞いてるよ、みたいなめくばせをしてくれてね。
はぁはぁなるほど、ママそういうケーキが好きなのねって言って、ちゃんとうちのパートナーが好きなケーキの聞き出してくれたんですよ。
7歳児ってそんなことができるんですね、もうね。 そりゃそうだよな、小学生だもんな。
小学生だもんなっつーか、それも変な話なんですけど、なんかそういうこうなんだ、
企み事みたいなのができる年代なんだ、すげーなーって思ってさ、
感動しちゃったんですよね、ちょっとね。 でまぁそんなことを経てね、その母の一日を迎えて、7歳児が聞き出してくれた
要望に沿った感じのこうケーキをあの準備しといてね、今日は母の日でーす、いつもありがとうございます、わー、みたいなこう感じにしたわけですよ。
あのパートナーの方も全然勘づいたりとかしてなくて、ああそうだったんだ、ありがとう、みたいな感じになってくれたんですけれど、
子供たちもね、あの一発に感謝の意を述べてくれたんですよ。 特に何も言ってないのに俺は。
いつもありがとうって言おうねって、もしかしたらその最初の説明の時に言ったかもわからんが、その場で促すこともせずにね、
普通に子供たちの方から、ママいつも抱っこしてくれてありがとうとか、 ママいつもタブレットよくわかんなくなっちゃった時に助けてくれてありがとうとか、
なんかそういう感じのね、そういうところも感謝の対象になるんだなっていうふうなことを口々に、あの二人とも言ってくれてですね。
成長したなぁってなったっつー話です。
家庭の習慣
成長してるんすよ。 うちの子たちすごいですね。5歳と7歳ともなるとさ、
そういう母の日やろうねっていうふうなこう企み事をちゃんとママに秘密にしといてくれてさ、 ちゃんとこういうふうにしようねっていうお約束を覚えておいてくれてさ、
ちゃんとそういう場を作ったらおめでとうありがとうみたいなことができるようになってるわけですよ。 すごいっすよねー、ほんと。
まあ言ったら、ただ彼らはケーキが食べたかっただけかもしれないけれども。 まあまあいいんじゃないですかね。
なんか別にその毎年こういうことはちゃんとやろうねというふうなつもりはあんまりなくてですね、個人的には。
それはその彼らがやりたいと思うのであればやったらいいし、 あのやらないことを選ぶんだったらまあそれはそれじゃねっていうふうに思うんですけど、
ならまあなんていうかこう形式として我々が住んでいるこの日本という国の中ではこういうふうな習慣があるんだよっていうふうなことはまあ極力伝えていきたいなというふうに思っているわけです。
っていう話で言うと、いまだ我が家はですね、子供たちに初詣を経験させてないんですよね。
初詣…
めんどくさくないっすか。 子供連れて行くの正直。
と思って、やってないんだよなぁ。
今んとこねー 近所に神社がないんですよね。
だから多分連れて行くには車に乗せて連れ出さなきゃいけないんだけど、 駐車場がちゃんとある神社ってなるとさ、そこそこ規模が大きいじゃないですか。
で規模が多いところって混むじゃないですか。 そこのこうめんどくささと、別に子供たちは多分喜ばないじゃん。それをやったとて、ケーキ食えるわけじゃねーし。
っていうのでねー、毎年そろそろ連れて行きたいなーって思ってどんどん気を逃しているんだよなぁ。
来年こそは、と思っております。 そう、で、あの別に今日はその母の日の話がしたかったわけではなくてですね。
あのゴールデンウィーク中にね、一家で遊園地に行ったんです。
フードコートでの出来事
あのキャンプ場が併設されている遊園地に行ったよみたいなエピソードが出ているかと思いますが、子供たちからね、また行きたいっていうふうな要望があり、
ちょっとゴールデンウィーク、お泊まりはしんどいなっていうふうなことで日帰りで行ってきたんです。
朝6時半とかそんぐらいに家を出て、2時間ぐらい車を走らせてみたいなところにある遊園地なんですけどね。
なので子供たち2人ともしっかり早起きして、車の中で朝ごはんを食べ、車内で働く細胞のアニメを、同じ場をずっとぐるぐるぐるぐる繰り返しループをして、
っていう風な工程を経てね、遊園地に到着したわけ。 で、中にあるアトラクションそのものはそんなにこう
刷新されるような場所ではないので、定番のものがそのまま常に置いてありますみたいな感じなんです。
気に入っているアトラクションを3周ぐらい周回して移動して、そこにあるアトラクションをまた2周3周ぐらいして、みたいなことをバンバンバンと繰り返していってですね。
じゃあそろそろお昼ご飯を食べましょうって言って、フードコート的な施設の中に入ったんですよ。
で、そのフードコートについて、注文をしましたっていうタイミングで、下の子が寝ちゃったんですよね。
ま、そりゃあ寝るかと。朝も早いし、散々はしゃいだし、寝たことそのまま別に良かったんだけど。
で、そう寝ちゃって、ご飯食べてる間に起きるかねっていう風に言ってたんだけど、結局起きなかったんですよね。
だから、上の子と我々だけ食べ終えて、下の子が寝てて、下の子のご飯がそのままテーブルに残っているっていう風な状況になっちゃったんです。
じゃあ、まあしょうがねえから分裂するかっていう話になって、上の子とパートナーが先にこう遊園地に繰り出して、僕は下の子が起きるまで待ってて、来たらご飯を食べさせて追いかけようっていう風な話になったんですね。
で、結局20分ぐらいして、下の子がガバッって起きたんですよ。
ガバッって起きて、「あ、起きたんだ。もう兄とママ先に遊びに行っちゃったよ。とりあえずご飯食べて追いかけようか。」つって、
下の子の食事が始まったのね、そこから。 その時の、その下の子の食事の様子に、なんか僕は偉く感銘を受けてしまったんですよ。
なん、なんというんだろうか。 無我夢中というか、一心不乱というか、脇目も振らずというか、とにかくなんかそういうフレーズが当てはまるにふさわしい食べっこっぷりだったんですよね。
その遊園地内に設置されているフードコートっていうのが、ウルトラマンとコラボをしている空間なんですよね。
壁一面にデフォルメされた歴代ウルトラマンと、そのウルトラマンに出てきた、なんだろう、そのピグモンとかバルタン星人とか、なんかそういう怪獣たちとがずらーっと壁一面に書いてあって、
で、店内のモニターにはその最新のウルトラマンの紹介映像みたいなのが延々と流れているような感じの空間なんです。
食事の大切さ
まあ結構子供受けを意識している感じ。なんかメニューもそのウルトラマンカレーみたいなのがちゃんと取り揃えられてるみたいな風な感じの場所なんですよね。
で、まあそんな空間の中でうちの子はただのうどんを食べてたんですけど、もうなんかそういう周りの装飾とか、確実にそこで食べてたら視界に入るだろうなっていう風なそのウルトラマンの映像とか、そういうものには全く目もくれずに、ただただひたすらうどんをハムハムしながら口の中に運び続けてたんですよね。
で、時々こう咀嚼のために顔をパッてこう器から離す瞬間があるんだけど、何も見てないんですよ。どこにも焦点があってなくて、ただただ咀嚼してる時間だったの。
ただ咀嚼して、器に向かってひたすらうどんを口に放り込み、また虚空を見ながらただ咀嚼してみたいなのをずっと繰り返して。
で、なんかその僕はその食べ姿を見て、これなのかもしれないって思ったんですよ。僕が、僕が守っていかなければいけないのはこの姿なのかもしれないみたいな、なんかそういう気持ちになったんですね。
子供にとってはさ、朝早起きして、朝ごはんもいつもよりもちょっと早く食べて、その体を散々動かして遊び回って、一眠りして、起きて、目の前にはうどんがあるって、そりゃ美味しいじゃん、そのうどんって。
まあ多分もうさっさと、さっさと片付けてまた遊びに行きたいみたいな気持ちも、まあ子供の中にはあったんだろうとは思うんだけれども、なんか僕の目には、うどんめっちゃうめーって思いながら食べてる雰囲気がなんとなくこう感じ取れたんですよね。
で、なんかその、こう、すごい食欲の部分に集中して、物を食べている様みたいなものが、とても尊く見えたというか、彼が、彼らが、そうやって食欲のみに集中して、ただ食べることを楽しめるような環境をちゃんと守ってあげなければならないんだな。
この姿をまた、見れるようにしないといけないな、みたいな、なんかそういうこう、使命感みたいなものに襲われたんです、その時。
なんか、我ながら、意味わかんないんだけど、なんでそういうふうに思ったのかはね。
でもその、人が食べてる姿は、こう、万人受けするコンテンツみたいな話ありますよね。
いわゆる大食いYouTuberの大食い動画はなんか見ちゃうみたいなやつ。
あると思うんですけど、たぶんなんかジャンル的にはそれに近しいんだと思うんだよな。
なんか、ここまでのこう、遊びとかそっち方面で、子供がこう一心不乱に楽しんでいる光景っていうのは、子供らしいなっていう風な感じの目で映るんですよ。
今のところはね、まだ。
そりゃあその、そういう遊びの内容が、まあ例えば、鬼ごっこをして楽しいとか、ボールとじゃれて楽しいとか、なんか犬みたいだな、こうやって言ってると、その、なんだ、ドラえもん、アンパンマン、パウパトロールとかの、そういうこう、子供向けのアニメを見て楽しい、みたいな、
その、あくまでも子供向けにデザインして作られたものを、彼らが摂取して、わあ楽しい、キャッキャッって言ってる、みたいな状況がまだまだ年代的に多いので、
それには、ああ楽しいんだね、いいね、みたいな気持ちにはなるんだけれど、たぶんその、僕個人とはちょっとやっぱ距離が遠いんだと思うんですよね。
だから、なんか別に、ああ、彼らをこうやって遊ばせられるようにし続けなきゃいけないなとは全く思わなかったんだけど、
いや、そこがこう、食事ってなってくると、まあ、ほぼイコールじゃないですか。我々の食と、子供たちの食と、もはや。
離乳食の時期はさすがに違うけれど、もう普通にあの、彼らも、その、フードコートで出てくるような、うどんの一人前を平らげるぐらいに、結構ちゃんと食べるようになってきたんですよ。
だから、だいぶその、僕の食体験と彼らの食体験の距離がどんどんどんどん縮まってるんだと思うんですよね。
だからなんか、その、いわゆる大食いの人たちが食べてるのをなんか見ちゃうのと、同じジャンルの、
あ、こんぐらいなんか一心不乱に食べれたら、そりゃあ気持ちいいだろうなぁみたいな、なんかそういうこう、んー、何だろうな、共感なのかな。
なんか最近のエピソードの流れ的に、ちょっとこう、共感という言葉を使うのに、自分でもちょっと抵抗があるんですけど、まあでも多分共感なんだろうな。
共感できるからこそ、その喜びをあなたが感じ取れるようになったんだったら、それはゼガヒトも今後とも味わえるように整えてあげなきゃな、みたいな気持ちになった、っていう感じなのかもしれないですね。
いやなんか、たぶんね、あの僕がそういうふうに思ったのって、その普段彼らとの食事が、その食事一辺倒にならないで、
ちょっとやっぱこう、我々の作業的な側面を含んでるからだと思うんですけど、結構、あの、めんどくさいんですよ、未だ。あの子供とご飯を食べるって。
例えばその、野菜を食べる食べない問題とか、食事をする時間なのに、なんか椅子の上に寝っ転がっちゃうとか、どっかほっつき歩いて行っちゃうとか、
なんか全然関係ないものを見ちゃって、一向に食事が終わらないとか、
あんまり正直、いいイメージがないんですよね。あの子供たちとの食事って。
家でも外でも。だから、感覚的に食事を与えているっていう風な感じよりは、食事をさせているっていう方に、ちょっと寄ってる気がするんだよな、意識が。
だから、食事をさせている、食事をさせている、食事をさせたいのに、うまくいかないもの、みたいなことが日常の中では圧倒的に多いんですけど、
多分その時の、あの、遊園地のフードコートの中で、彼が一心不乱にうどんを食べていた姿っていうのは、
食事の楽しさ
あれは明らかに、彼が望んで、彼が積極的に食事をとっていた姿で、何も僕がさせている感のないものだったんだと思うんですよね。
多分ね。うん、多分そこのギャップが良かったのかな。
そう、だから多分、僕も彼に何かをさせる、させねばならないっていう風な意識で、
あの、その瞬間の食事を見てなかったからこそ、彼が食事を楽しんでいる姿に集中してみられたのかな、という気もするな。
なんか、ちょっと話が逸れますけど、その、食事するのを見てるのって、何か楽しいじゃない?
その、大食いYouTuberとかが食べているのでなくても、別に大食いのものを食べているのじゃなくても、
なんか何かを食べて、「めっちゃうまっ!」って言ってる姿を見るのって、なんか楽しいじゃないですか。
それはその、食事というものが、その人間である以上、みんなが必ず通る共通したエンターテイメントだから、みたいな論を確かどっかで見たことがある気がするんですけど、
その、三大欲求というものがありますよね、人間って。で、食事はさ、そういうのがあるじゃん。テレビでも、あのYouTubeでも色々やってるよね。
でまぁ、その性欲は、まぁアダルトビデオというもので、まぁある一定のジャンルを確立されてるじゃないですか。
睡眠ってさ、例えば、人がただただひたすら寝ている動画とかを見たら、ちょっとおもろかったりするのかな?
どうなんでしょうね。なんか、まぁ子供たちの寝姿とかはマジマジ見たことはあるけど、それはちょっと違うもんな。
そう、なんか、すごい気の抜けた寝顔とかを見るのが楽しいのであって、その、「うわーめっちゃ寝とるわー!」って思って楽しんでるのとはちょっと違うもんね。
どうなんだろうなぁ。12時間ぐらいひたすら寝てる人の動画とかを見たらさ、何かしらこう、見てる側も何かの幸福感を得られたりするのかなぁ。
多分、多分あるんだろうな。探せば。こんな、そんな三大欲求の中で睡眠欲だけが取り立たされてないわけないもんね。
調べてみよう。あー、なんか、検索ワードが悪いのかもしんないけど、
さすがに、ないか。さすがになさそうな気がする。
その、この音楽を聞くと寝つきが良くなりますとか、寝つきが良くなる方法7000とか、
あの、寝る前のナイトルーティーンとか、なんかそういうのはめっちゃ出てくるけど、さすがにこう、寝てる動画をひたすら出してるみたいなYouTuberは、
そりゃ、そりゃいないっすよね。そりゃいないよな。 無駄な話をしてしまった。
何だったっけ。 まあまあ、
なんでね、子育てのしんどさを日々実感しながら、ひいひい言いながらやっておりますけれども、
彼らがなるべく食に集中できる。 食に限らんでもいいか。何かが、彼らがね、あの夢中になってやってることを発見した暁には、
なるべくそれがやり続けられる環境を整えてあげると言ったらちょっと大げさな気もするけれど、そういうふうに立ち回っていきたいなと思ったみたいな話でした。
視聴者との交流
はい、終わります。終わりましょう。
えーと、番組への質問意見、感想などなど何かありましたら、
ハッシュタグ口物をつけてXにポスト1していただきますか、番組概要欄のお便りフォームからお便りを送っていただけますと大変嬉しいです。
よろしくお願いします。 では、また。ありがとうございました。
バイバイ。
27:21
コメント
この時期はブタクサですかねぇ。しんどいですよねぇ。お互い自愛していきましょう。
スクロール