こんにちは、こんばんは、おはようございまーす。カフェインよおでーす。 僕、今、二人子供がいましてですね、7歳児と5歳児の男の子がいるんですけど、
で、その下の5歳児の子の方がですね、最近、いわゆるイヤイヤ期というのか、なんなのか、
すごいね、あの、折り合いがつかないんですよ。 もうなんか何言ってもやだ!やだ!
じゃあ、こうしようか。やだ!じゃあ、こっち?やだ! じゃあ、もう、
喋れるようになったら、呼んで。やだ! パパ、あっち行くね。やだ!じゃあ、一緒に言おうか。やだ!みたいな。
もう、なんか取り尽くしまもないんですけど、 それがね、なんかカレコレ1、2週間ぐらい、今ずっと続いてて、結構めんどくさいんですよね。
言ってしまえば。非常に、非常にめんどくさい。 非常にめんどくさいなーって思ってたわけですよ。日々を過ごしながら。
で、いつだったか、僕とその子供二人の、計3人でお風呂に入ってた時にね、
僕がまず下の子を洗って、お風呂に入れて、上の子を洗ってる最中に、なんか上の子とあーだこーだ話をしてたんです。
で、その話を、上の子と話してる最中に、横からめっちゃその子祭司の方が話しかけてくるんですよ。
ねえねえ、パパ、なになになに、ちょっと今喋ってるから黙っててもらっていいかな? っつって、上の子の方は上の子の方でちょっとこみ入った話をしてたんだけど、
で、また話したら、なになになに、ちょっと黙っててもらっていいかな? みたいな下りが3、4回ぐらい繰り返されたんですよね。
なんでこいつこんな、なんかめんどくさいタイミングでやったらべったら話しかけてくるんだろうなーって思って、思考が一旬した後に、
これもしかして、寂しがってるのかもしれんなっていうところに、考えが行き着いたんですよ。
で、背景として、上の七祭司は小学1年生になったんですよ。 この前の4月からね。
で、下の子祭司の方はこれまでと同じ保育園に入っていて、 まあ一個年次は上がったものの、まあ同じなわけですよね。
言ってしまえば基本的な生活スタイルが。 下の子は同じ空間で過ごしているから、ある意味もうなんというかやることが固定されてるし、
大体はいはいこういうことをやってんのねっていう風なのが、もうわかる状況になってるわけ。 上の子の方は新しい環境に飛び込んでるから、
その、いっぱいあるのね。とにかくやることが本当に本当にいっぱいあるんですけど。 で、そういう環境にいたから、
そういえば最近、七祭司の方を主語に話をすることがめちゃくちゃ多かったなっていうふうに思ったんですよね。
だし、その七祭司に対して、 学校大丈夫とか、学童大丈夫とか、明日の準備をしようとか、
なんか音読の宿題をしようとか、なんか習い事でうんたらかんたらみたいなことを、 上の子の方にはめっちゃ聞いてるけど、下の子の方にそういえばそういう
なんか細かな声かけってしてなかったかもしれないな。 寂しがってるのかもしれない。
いや、聞いてるのよ。聞いてるんです。 ちゃんと今日は保育園で、なんか楽しいことあったの?とか嫌なことあった?とか
その仲のいいなんたらくんは最近どうなの?とか、なんかいろんなことは聞いてはいるんだけど、 ある意味ほんとその、それも含めて保育園で生活している日常会話なんですよね。
だから多分、五祭司にとってもいつも通りにいつも通りのことを聞かれているにすぎない。 のに対して、七祭司の方にはなんかすごいいろんな新しいイベント事が起きてて、
で、我々もその今までにない新しい関わり方を七祭司の方にしていて、 七祭司が無事に学校に行って帰ってこれるかしらみたいなので、こうハラハラしてみたいなこう様を
隣で見せてたからさ。 そりゃー寂しいがるー
そりゃ寂しがるし、構ってほしくなるよなぁ 悪いことしたなぁ
っていう自己嫌悪に至っている今日この頃でございます。 よくあの、その小学生に上がった子が大変が故に赤ちゃん帰りをする甘えたがる寂しがるみたいな話は
よく聞くんですけど 確かにそういうパターンもあるよなって
なんかすごい反省しております今 なんかあの多分この配信上でもあんまり下の子って多分話題に出してない気がするんですよ
それは その単純に上の子の方が
我々も親として初めて直面する事態が先に訪れるから 年齢が上だからね
っていうことで上の子の話題が多いというのもあるし その上の子はいろいろあってその療育センターにちょっとお世話になるとかなんかそういう
やや怪しげなところがあるけれど下の子は かなりなんか安定してる雰囲気があるんですよね
なんていうのかなぁまぁ特に集団生活の中に放り込んでもまあまあ君なら大丈夫だろう っていうふうな安心感がある
のでよくも我々子も事件になることが少なく我々の心がかき乱されることが少ないんですよ 下の子は
そうなんで多分配信上でも下の子がレコーデみたいな話ってあんまり出てこなかった かなぁと思うんですけど
良くないよね これってね非常に非常に良くないと思う
っていうことでね あの良くないなと思ったの良くないなと思ったので
極力下の子の願いは叶えてあげようと思ったんです 抱っこしてと言われればするし絵本を読んでと言われれば読むし
ゲームさせろとかお菓子ちょうだいとかはまぁちょっと悩んじゃうところですけどまぁ なるべくこうグラデーションをつけてね
完全に脳じゃなくて情報したイエスぐらいをなるべくこう与えようみたいな感じで こう振る舞うようにしたんです
したらさぁ すげー疲れれる
んだよね 本当に
山当たり前なんですけど単純にその行動量が増えるわけですよね こっちの
向こうのお願いに応じる回数が増えるということは すげー疲れちゃっ
ってさぁ
なんか どうしたらどうしたらいいんだろうなどうしたらうまくやれるんだろう本当に
いつになったらいつになったらは一段落というのが訪れるようになるんですか やっぱ小3過ぎてからぐらいかな
下の子がねそんぐらいになったらなんか 急に生活に余白が生まれるようになるのかな
かなぁ そんなんでね子供のイヤイヤに翻弄されて疲れ
イヤイヤから脱出するために彼の願いを叶え続けていたら疲れ 結局どっちに行ってもみたいな感じなんですけれども
今日も頑張って生きております この前
一人だけね 一人だけ
子育てってめちゃくちゃ楽しいわよっていう 言葉をかけてくれた
患者さん利用者さんがいらっしゃったんです なんかこれまでその僕が
結婚してます子供がいます子供が2人います今小学生に上がったとこですみたいな 話をするとああ今が一番可愛い時期ね
かー子育てって大変だけど頑張ってねーかー 奥さんのことをとにかく大切にしてあげてねーとかなんかそういう類の話しか
あんまり出てこなかったんですけどその土直球ストレートに いや子育てって楽しいわよ羨ましいわって言ってきた人
初めてあったんですよね なんかその言葉に僕は今すごく励まされていまして
楽しいものなのかもしれない もしや
わかんないけど楽しい瞬間ももちろんありますけどね あるんだけどなんか改めて言われると
ああ確かにああいう楽しいこともあるよなぁやっぱこう楽しい側面の方にすごい目が 見つくようになった気がするんです
から 人は見たいようにしか物事を見ないとかなんかそういう類の話なんだろうなぁと思うん
どうなんでしょうね誠実でありたいなぁとはふわっと思ってはおりますけれども 僕は誠実であれているのだろうか
ことこのポッドキャスト上においては なおさら誠実であろうと思い続けているかもしれないですね
僕はその もともとあんまりこう対人コミュニケーションが得意ではなくて
人の顔色をひたすら伺って嫌われないように嫌われないようにみたいな こう立ち回りをするのがかなり板についている人間だったんですけど
そのありがたいことに そういうふうな立ち回りをしている僕を
なんというか本当にこう裏表とか悪意とかなく 純粋にすいてくださる方というのが
若干目いたんですよね当時のそのコミュニケーションが下手な僕に対してでも なんだが僕は
そういうなんだろう好意を向けられたりとかなんか褒められたりとかした時に いやでもあなたが褒めているのは僕が嫌われないように必死に立ち回っている
頑張って作っている僕という人間像をついているのであって
僕の本当の部分は その嫌われないと立ち回ることをしなくなった時の本物の僕は
そんなあなたに褒められるような好かれるようなにたいそうな人間ではないから勘弁して くださいみたいな
なんか そういうねあのなんというかかなりねじ曲がった少年を持っていた
と思うんですけれど常に嫌われたくないっていう風なバリアを排除した時の本来の 僕自身をまあ例えばその誰かに褒めてもらったりすいて
もらったりしたいなぁと思いつつもでも自分は常にバリアを必死に張ってるから そんなところを見てくれる人なんで当然現れないわけですよね
みんなそのバリアを張ってる僕しか知らないから っていうところでこうなんか自分と相手の間で常にズレが生じていて
多分うまくコミュニケーションが取れてなかったんだろうなっていうふうにまあ今となって は思うのですが
でそのバリアを張り続けるためにあの 自分の頭の中に生まれた素直な感情っていうのを他の人に嫌われないようにする
フィルターを必ず通さないと外に排出できないような状況になったんですよ でそのフィルターに通す前の言葉っていうのは一切こう外に出ることなく
なんとなくこう僕の頭の中にずっと溜まり続けているみたいな 感じが
比較的最近まで続いていったんですね で
まあこのポッドキャストをじゃあ一人でやろうかなってなった時に どうせ誰も聞くもんじゃないから
自分一人で話すときぐらいその余計なフィルターだのバリアだの云々は取っ払って 思ったことそのままポンと出す
ように自分のためにしてあげようかなって思って今に至っているみたいなところがあるの かな
多分そんな感じなんだと思いますなので 僕のそういう試みが自分の感情に対して誠実ですね
自分の感情とすごくしっかり向き合われてますねと思われることは
ある意味取り組み成功してると思っていいっていうことなんですかね きっとね
喜ばしいことですね なんか
井野さんとはそのイベントであった時に他にもあれこれお話をしたんですけど ジェンダー的な話をした
んですよねジェンダーというかまあいわゆるその女性差別みたいな話を確かしたと 思うのですが
その僕があの今の職場に入ってねとある人と関わる中で これは俺はその
男であることによってめちゃくちゃこの人と関わる時に下駄は化してもらってんな っていう風なのを通列に感じる瞬間があったんです
女性がその人にこう関わりを持とうとしてももうニッチもサッチも全然うまくいかなかった ものが僕がそこにポンって言ったら僕はまだその人に対して何もこう
力を汚していない何の役にも立ってない状態なのに 男の人が来てくれてよかったよーみたいな感じのことを言われて
あーそうすかーって僕がドン引きしたみたいなあの ちょっと濁しながら言うとそんな感じの話なんですけどね
なんかそんな強烈な人にあった経験が今までなかったので 実体験を持って改めてやっぱり男性ってこうやって
見知らぬうちに下駄を吐いている場面めっちゃあるんだろうなぁ と
思ったわけです 何て言うんだろうな同じ経験年数を積んだ女性理学療法師男性理学療法師が
いた時に男性であることによって例えば目の前の人がちゃんとこちらの話に耳を傾けて くれる
ちゃんと自分のことをリスペクトしてくれるみたいなことが男性であるがゆえに起き ているケースって結構いっぱいあると思うんです
ただまぁ中にはもちろんその女性を希望される方とかもいらっしゃって だいたいそういう方っていうのはその女性の患者さん利用者さんが男性だと怖いからとか
ちょっとデリケートな話題を話しづらいからみたいなのでこう女性を選ばれることが多い わけですけど
それってやっぱさらにそこから遡ると前提として男性にはそういう話が通じないとか なんかそういう風な背景があって女性を選ばれていると思うんですね
やっぱその女性を選ぶに至ったさらにその手前のところには結局男性と女性の格差 みたいなものがすでに例えばそこの高校夫婦間とかで存在しているがゆえに男の人に話しても
しょうがないはみたいな流れが組まれているのかなーってちょっとこう想像したりとか するんですけど
なんかそういうさ 一回そういう話を経験してしまうとですね
なんというか無限に下駄があるなというふうに思うわけですよ どこからどこまでを下駄を履いていると表現するかちょっと悩ましいところですけど
僕その先日転職をしたんですね で基本大体のスタッフがその僕よりも年下になったんです
でその環境の中に僕が飛び込んでいって まだまだ新人なんですよ3月に入ったんでまだ3ヶ月経ってない
なんならあの普通に使用期間としてあの働いている身なんですけど みんなねー
あの 僕の発言をちょっと重めに受け止めてくれるんですよね
良い意味でも悪い意味でも 弱さんが言うんだったら間違いねーやぐらいなノリで
大体こう僕の発言をみんな丸飲みしてくれるわけです リハビリの進め方的な話もそうだしその技術的な話もそうだし
リハビリとは関係なくなんというか仕事をする上での考え方みたいな話においても そうだし
よーさんありがとうございますよーさんみたいな人が来てくれて本当に良かったです みたいな顔を感じになってるわけ
僕はこれは 下駄だと思うんですよね
その年齢が高いという下駄経験年数が長いという下駄を履いている が故にみんな何ら疑いもなく僕の言葉を信じていて
僕が実際にできるかどうかっていうのは多分 全く関係ないことではないとはもちろん思うんだけれど
でも仮に僕がただ口がうまくてあの適当なこと言ってる奴でも この年齢と経験年数が高いっていう下駄によってある程度みんな勝手に信じちゃうんじゃ
ないかなっていう風な恐怖感も同時に持っているわけ そうは言ってもあのそんなに人を見る目がない
方々だとは思ってないのでまあいろいろ加味してこいつは信用に足るって思って くれてるんだろうなとは思うんですけどね
でどうしたもんかと思ってね 僕はその今の職場にいる人々から過剰に信頼されすぎていると思っている
でそれは多分 僕の
年齢性別経歴 などなどの下駄を僕が履いていることによって僕の言葉に僕が想定している
以上の説得力がどうやら生まれていると思われる もしかしたら僕が結婚している子持ちであるみたいなところも
まあある意味そこの説得力を増す要因になっているのかもしれないという気がする という中で
と同時に男性であることによってその人に関わっていた女性を 引き剥がすことができましたと捉えることもできるなぁと思ったわけですよ
僕が女性だったらその役割は担えなかったけど 僕が男性という下駄を履いていることによって
一人の女性をその女性差別主義者から 引き剥がすという責任を果たせた
という捉え方もあるなというふうに思ったわけ
もうそういう考えの人がいるのはどうしてもご高齢の方と関わらなきゃいけないという職種の関係上
もうそこは多分も避けては通れないことだとは思うから そういう人に女性を関わらせないようにするという下駄の使い方があるなと思った
とか そういう話ですね
年齢が他の人よりも高い 経験年数が他の人よりも長いという下駄を見られているのであれば
ちゃんとやっぱりこうそれ相応の知識を持っていなければならないなぁという思いで しっかり勉強しなきゃという気持ちにもなりますし
下の子たちが虐げられていそうな瞬間があったら 年齢高いなりにちゃんと守ってあげるような振る舞いをしたいなというふうに思ったりとかもするし
なんかそういうねその 年齢が上だから偉い経験年数が長いから偉い男性だから偉い
だから敬いたまえというふうな方向性じゃなくて 男性が故に年齢が高いが故にパワーが発揮できる場面があるから
そこにちゃんと責任を持って関わっていけるようにしたらいいんじゃないかな という話
ですね よくあのバリバリ社長とか経営者として働いてこられた方が
仕事を引退した後もずっと周囲に対して高圧的な態度をとって自分の言葉にはみんなが 従って当然であるみたいな立ち振る舞いをしている姿に
そんなに少なくない確率で遭遇するんですけどね職業柄 そういう方々はやはりそういう下駄によってみんなが言うことを聞くようになってくれている
のを自覚できずに 下駄と自分が同一化しちゃって我は偉いのだって言うな
ことで下駄と自分が同一化しちゃって社長だから偉いのだではなく 我が偉いのだになってしまい仕事を引退してその下駄を下ろされた後も我が偉いの
だから変わらなくなってしまっているから なかなか大変なことになるんだろうなっていうふうに思うのですけれど
ためにね なんか前の僕はこういうその下駄を履いてるなぁと自覚した時とか
なんか知らないうちに誰かを傷つけているなぁというふうなことを自覚した時に どっちかっていうとこうそうしないようにしなければならないなっていうふうに自分を
こう 抑制するとかこう立する方向に力を傾けていたように思うんですけど
最近はなんか物の捉え方が変わったのか そういう
下駄履かせてもらっていることを利用してちょっとでもいい方向に話を進めようみたいな なんかそういう発想に転換できるようになったような気がします
良い変化なのかな 良い変化が起きていると信じたいですね
まぁ そんなことで皆様も自分が下駄を履いていることを自覚した暁にはその下駄を利用して
より世界を平和にする方向に 役立ててみてはいかがでしょうか