小島ちひりのプリズム劇場
小島ちひりのプリズム劇場
この番組は、小島ちひり脚本によるラジオドラマです。
プリズムを通した光のように、さまざまな人がいることをテーマにお送りいたします。
おい、飯はまだか?
強兵さんは、ソファーに寝転がりながらスマホをいじっている。
ちょっとやめてよ、汚いじゃない。
何がだよ。
足を乗せないでって言ってるの。
俺は汚くねえよ。
足は誰だって汚いの。
チッ、いちいちうるせえな。
それより飯は?
知らないわよ。自分で何とかしてよ。
はあ?それでも女かよ。
私はあんたの女房じゃないのよ。
まったく困ったものだ。
まさかこの歳になって不倫相手が転がり込んでくるなんて。
奥さんとは話がついたの?
つかねえよ。あいつ今までの恩を忘れやがって。
正直、奥さんには同情する。
この人は金払いもよかったし、遊ぶにはちょうどよかったけど、正直結婚したいと思ったことは一度もなかった。
お前も訴えられたんだろう?
私はサクッと医者料払ったから。
私がおどけてみせると、強兵さんは目を見開いて驚いた。
お前、信子にいくら払ったんだ?
五百万。
ご、五百?
正直、向こうもふっかけたつもりだったのだろうが、言われた額を満額ぽんと支払った。
いつかこんな日が来るとわかっていたし、正直四十年の間にこの人は私の恋人だった。
正直、四十年の間にこの人は私に五百万以上使っているし、何より就職から定年まで勤め上げた会社の創業者一族だ。
この会社のおかげで私はお金の心配をせず、ここまで暮らしてこれた。
だからケチなことはしたくなかった。
まあ、道子がそんな大金払えるくらい余裕があるなら安泰だな。
強兵さんはそう言うと、またソファーに寝転がろうとした。
何言ってんの?
何って、これからの話だよ。
これから?私たちにこれからなんてあるわけないじゃない。
は?
離婚もドロドロに揉めてるみたいだし、三ヶ月はいさせてあげる。でもその後は出て行ってちょうだい。
なんでだよ。
だって私はあなたの奥さんじゃないから。ずっと付き合ってきたじゃねえか。遊びでね。
遊び?
強兵さんだってそうでしょ。私たちは都合よく遊んでいただけ。本気だったらもっと若い頃に結婚を迫っていたわ。
お前。
私はね、あなたの老後を面倒見る気なんてないの。これからは悠々自的に暮らしたいの。だから面倒な結婚なんてせずにここまで来たの。わかる?
お前、今まで俺がどれだけお前に金使ったと思ってるんだ。
その代わり遊んであげたじゃない。都合のいい時に都合のいい女やってあげたじゃない。他に何人女がいようと何も言わなかったじゃない。
それはお前が俺に惚れてたからだろ。
はははは。
何がおかしい?
まあね、そうね。そういうおバカさんなところが好きよ。それは本当。でもバカな男は一生を共にする価値はないわ。
なんだと?
奥様は賢明だわ。そん切りが上手。さすが会長の娘。
さっきから好きかって言いやがって。
気に入らないなら出て行きなさい。他に女がいるんでしょ。若くて可愛い女のところへ行けばいいじゃない。
ああ、そうしてやるよ。言われなくてもな。
京平さんはボストンバッグ一つ持って出て行った。40年付き合った男との別れは明けなかった。
まあ、と言っても所詮は浮気だ。私だって本気じゃなかった。
だから40年も続いたのだ。高卒で入った会社にやってきたピカピカのお婿さんだった。東京からやってきたってだけで素敵に見えた。
二人で食事に誘われた時は戸惑ったが、好奇心がかった。
いけないことだと分かってた。いけないことをしている自分が好きだった。
いつか奥さんに見つかって訴えられるかもしれない。
そうしたら求められた全額払おう。それが私なりのけじめだった。
引っ越すの?
そう、介護付きマンションに引っ越そうと思って。
でもお姉ちゃんまだ介護が必要な年じゃないでしょ?
そうなんだけどさ、かすみと違って独り身だし。
だったら東京の方へ来てよ。そしたらしょっちゅう会えるじゃない。
東京?この年で?
東京の近くでいいのよ。千葉とか埼玉とか神奈川とか。
こんな田舎ものが今さら東京なんて。いいじゃない、けんたにも言っておくから。
なんでけんちゃんに言うのよ。
けんた気にしてたよ。道子おばちゃんの面倒って結局俺が見るんだろうって。
いいわよ、そんなの。ずっと貯金もしてきたんだから。
じゃあ将来私たち姉妹で同じ老人ホーム入りましょう。
そしたらけんたも楽だし、きっと楽しいでしょ?
同じ家庭で生まれ堅実な人生を歩んだ妹と、人生のほとんどをフリーに費やした姉が最後の時間を共に過ごす。
なんて滑稽な話だろうと思ったけれど、案外悪くないかもしれないと思った。
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それではあなたの一日が素敵なものでありますように。小島千尋でした。