1. Real Japanese life/ English and Japanese
  2. 第4695回 ジブリで学んだ&探..
2025-10-13 15:08

第4695回 ジブリで学んだ&探求した人生哲学天空の城ラピュタ&もののけ姫&風立ちぬの考察

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

 #北海道 #乃木坂46 #鬱病 #自閉症スペクトラム #PTSD #アスペルガー症候群 #双極性障害 #強迫性障害 #発達障害 #不登校 #ADHD #うつ病 #人間関係 #アラサー #ライフスタイル #メンタルヘルス #潰瘍性大腸炎 #クローン病 #難病 #ひきこもり #不安障害 #ストレス #ニート

雑談・人生・生活・暮らし・おじさん・トーク・愚痴・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・podcast・ポッドキャスト・ネットラジオ・ラジオ・フリートーク・一人喋り・一人語り・毎日配信・まったり・ゆるい・コミュ障・ライフスキル・シンプルライフ・前向き・怒り・残念・ネトラジ・闘病記・日常

サマリー

このエピソードでは、スタジオジブリの映画『天空の城ラピュタ』と『もののけ姫』から得た人生哲学について語ります。主人公の感情や神様の擬人化、フィクションの裏設定がもたらす意味について深く考察しています。

ジブリ映画の比較
今回は、ジブリから学んだ人生哲学というタイトルなんですが、
まあ、感想だったり考察だったり、話していこうと思うんですが、
まず思ったのがですね、最近3つ見たんです。風立ちぬと、
アールともののけ姫。アールじゃない、天空の城。
なんだけど、天空の城ともののけ姫を比較して、
ちょっと気づいたことなんですけど、天空の方が自分としては、
なんでそう思ったのかは、
これだとちょっと分かりにくいかもしれないし、なんでかもちょっと忘れたので、
例えばですね、音楽の歌詞で、
何でか思い出して、後で話しますけど、
昔の曲と今の曲を聞いてね、
昔の曲の方が親近感がないからこそ、ちょっと抽象的に捉える必要があるんですね。
だから、分かりやすいのはね、昭和の曲ってその時代の人しか、
良さが分からないと思って、歌詞の良さで言うと。
なおかつ歌詞の良さが分からないと、昭和の曲が歌謡曲の方はね、
良さが分からないもんだと思ってて。
つまり外人が聞いても何のことかよく分からない。
メロディーだけ追っても何の意味があるのか分からないような曲が多いと思ってて。
こういう曲に関してはもう上手もないんだけど、今言ってるようにその時代の人しか分からないから。
でもそうでない場合、親近感が今の曲を聞くよりないわけですよね。
恋愛感も違ったり。そうすると抽象的に考えなきゃいけないわけですよ。
だから大河ドラマなんかね、すごいエネルギーかかる、使うわけですね。
それだけ知能を使ってるわけ。
現在と違う部分もあるけど、でも共通点も見出していかなきゃいけないってことですね。
抽象化するってことは。
で、その作業によって恋愛っていうものの、恋愛の曲だったら恋愛っていうものをよりね、
普遍性を持った捉え方ができる。
だからね、思い出しました。
別にもののけ姫でもいいんだけど、天空の城をラップ旅してたら、時代もいつなのか分からない。
何かも分からないし、多分日本じゃないし。
親近感はないんだけど、その分抽象化させて、共通点を見る。
したらその、単に日本人の感覚っていうよりも、
人間ってのはみんなこういうふうにできてるんだなみたいな、いつの時代だろうと。
これ1985年の映画だし、舞台もどの時代かも分からないし。
だから抽象的に考える必要があって、その結果、
何かね、親近感は持ってないんだけどその分、
抽象的な意味でのね、人間の、
なんていうかな、恋愛だったりいろんなことについて考えさせられて。
で、それの方がね、
普遍性を感じて、
感動できたっていうことがまず一つ。
神様の擬人化
でも臨場感は、
それこそ倉木の場合、北海道でやってくれた方があるだろうし。
どっちの良さもあると思うんだけど。
で、次の話ですが、
女の毛姫の解説を聞いてて思ったんですけど、
これがテーマなのか、さておき、
まあたくさん紙が出てくるわけですよ。
まあ倉木はね、これ一神教の国の人を見てね、
これわかるかなと思って見てたんだけど、まあそれはいいんだけど。
外人が見たら、これ山に神なんかいねえよとか思うんじゃないかなと思ってね。
まあそれはいいんだけど。
人間って、神様とかね、そういう不思議な力とか、
そういう空想から作り出来たもの、これもう縄文時代からそうだけど、
全部ね、擬人化してるなって思ったんですよ。
だからね、神様なんか信じてない、倉木からしてみてもね、
いや神様なんかいるとは思わないけど、
まあわかりやすいし、神様を信じてる人からしてもわかりやすいし、
でも擬人化しちゃってるから、なんか、頭の中ではね、
いや理屈では神様だとみんな思ってるかもしれないけど、
でも感覚的にはね、まあ人と同じですよ。
だからこそこうやってアニメとかにね、しやすいんだろうけど。
だからね、よくね、人間が怖いか幽霊が怖いかとか言うけど、幽霊だってそうじゃないですか。
結局、ドラマとか映画でもう擬人化してるわけだし。
いや心霊写真とかあれ光になって、あ、もうそんなの信じてないけどね。
光になって見えたり、あれはどう説明するのかと思ったんだけど。
それで、実際幻覚、人間がいるときなんかもね、白い髪の人が出てきたり。
もうそのレベルにまで、人間はもう擬人化しちゃってるわけですよ。
違和感を覚えましたね。
いやそのほうがわかりやすいんだけども、
本当にね、崇めたいならそんな、そこまで擬人化する人はあるかとか思っちゃったんだけど。
だから人間に都合よくなってるんですよ。
だから単なるね、漠然としたよくわからない概念だったりだから、
そういう存在としてね、人に手助けしてくれたり。
まあそれだと通行が早すぎるから、でも通行が早すぎるっていうか、
まあその災害も、要は理由をつけたいわけですよね、人間が。
原因は神だと思いたいから、そこも擬人化して、神が怒ってるのだと。
人間の感情だと同じように考えているんだろうけど。
まあ何が言いたいかというと、まあ人間って都合のいい生き物ですよ、本当に。
それで神だって言っちゃってるんだから。
まあサンタクロースならね、子供が喜ぶからいいかもしれないけど、擬人化しても。
まあ擬人化というかね、わかりやすい形で、イメージしやすい形で、あれだけども。
まあすごい発見でしたね、今日はね。
ちょっと擬人化しちゃってるんだと思って、人間ってそういう目に見えない。
しかも、ただでさえ、これ人が作り出した概念でしかないですからね、神様なんて。
でも不思議なのが、人をね、今度神格化する?
何か、ある意味得体の知れないもの、ある意味、通行なものとして捉える?
じゃあそれは何なんでしょうね。
それに関しては、まあでもやっぱりわかりやすいのかな。
実際存在してくれた方がわかりやすいのかな。
だから、クラキの相次いだ宗教でも、神様はいるんだけど、でも教祖も神様だみたいな。
っていうか、ミカエルだって言ってたから、ラファエルとかいる神様の一つだろうね。
フィクションの疑問
よくわかんないですけど。
確か6人だったかな。ラファエル、ミカエル以外にね、あと4人いるのかな。
結局それも、擬人化じゃないですか。
では次の話ですが、ここからはね、ジブリだけでなく、アニメの疑問、アニメっていうかフィクションの疑問なんだけど、
小説とか文学も含めですね、演劇ですね。
なんかはね、裏設定ってあるじゃないですか。
本当はこういうギミックがあったとか、
本当は表向きこうだけど本当はこういうことを伝えようとしてるとかね。
これで自己満足な気がするんですよね。
なんかキザな感じがしてならないんですよ。
で、それにものすごくエネルギーをかけてる人っているわけですね。
まあよくそこまで裏設定しっかりしてるんだってこれ。
裏の方がもっと奥深い世界があるんじゃないかと思うくらい。
でもね、それに気づく人っていないし、それも作品見終わった後に気づくんじゃ、
作品中、そうやって感動したりいろいろ考えながら見てる間に気づかないって意味がないんじゃないかなと思うんだけど。
だったら別に最初からあらすじ聞いて、それと同じことですからね。
だしそこまでそんな裏を考えてる暇ってあるのかなと思っちゃうんですよ。
だったらもっと表の部分をもっとね、もっとこだわってるとどうかなと思うんですけど。
あとですよ、いっつも思うのがね、フィクションなんだからそんな徹底的に
ここには実はこういう理由があってなんて言って、しかも観客もよくわかってないのであればね。
いやわかってたとしてもですよ。
フィクションなんだからその理由って必要ないと思うんですよね。
しかもそれがもう、点と線がつながってる物語全体まで及ぶ。
伏線だとかいう、ついりものとかまた別からだから。
なる話は別だけど、どうせね、その舞台の場所がね、時代も違ったり。
でそこがそこで完結して、だからどうせ全体で見ると矛盾してるから。
これはこの時代を、この時代のこういうことのイメージに作ってるからここはこうでなきゃいけないとか。
それどうせ、どうせっていうかフィクションなんだから。
確かにどっかの国のいつかの時代のそういう色んな制度とかを参考にしてても
別にフィクションなんだからその通りじゃなくていいし、通じて全然土地が合わなくてもいいわけだし。
見てる人はこんな不確かなものについていちいち
ここは本当は違うだろうとか言う人もいないだろうし
そんなそこ詰めなくてもいいよなって思っちゃうんですよね。
そこまで詰めてる割にはやっぱり芸術だから
理性で考えてもわかんないようなことがあったりするわけですよ。
だったら今言ったように思うんですが。
あと、芸術家ってのは別に哲学者じゃないからね。
これで作品を通して啓蒙活動ってする必要ないと思うんですよ。
自然をもっと大事にしろとかね。
今の社会に投げかけるような政治はもっと変わるべきだみたいな。
でもそういう深い意味があったり、あと哲学的な意味があったり、純文学なんて全部そういう感じじゃないですか。
別に何か文学者だったり脚本家だったり作家がそんなことするよりもね
社会学者とか哲学学者とか評論家がそういうことをやればいいわけであって
中途半端な感じになりそうだし、と思ってしまいますね。
あとはですね、初振り見てて思ったんですけど
最初はね、風立ちに見てて思ったのが
主人公やっぱり声優さんの方がいいんじゃないかなと思ったんだけど
後から振り返ってみるとね、これで正解だったってね。
まさに点と点がつながるような状態になるんですね。
その時にいいと思ったり悪いと思ったり、自分の好き嫌いなんてそんな数十分後に変わるわけないんじゃないですか。
でもね、自分の中で手のひら返すようなことをしてしまうんだけど
ああ、これでよかったんだと。
だから作品、自分にとっての作品の捉え方が全く変わるんですよね。
これってね、人間って過去から未来に時間が流れてると思ってるけど
これで話すと不思議なんですよ。
だって作品のね、最後の方になって
それが過去の捉え方に影響を与えられてるわけですからね。
まあそんな話でした。それでは次回。
15:08

コメント

スクロール