根性論の時代
中学生までは効率化するとは考えなくて、全て根性論だったんですよ。
筋トレにしろ、勉強にしろ、スポーツで何かもそうだけど。
小学生でもプロ野球選手のフォームを真似たり、工夫するというか、よりいい打球を打てるように工夫するのが人間の坂だと思うんだけど。
倉木は全くそういうことないんですよ、中学生時代も。
強くなりたいという思いはあるんだけど。だから根性論だけでやってるんですよ。勉強もそうでしたね。
もちろん参考書買うときはどれがいいかなってある程度考えるけど、そのとき選択肢もあまりなかったのもあるけどね。
勉強本も適当なもんでしたよ、本当に。でも考えても拉致が開かないと思ってたのもあるかもしれないけど。
拉致が開かないなら、拉致が開かないなりにできることはあったと思うんですけどね。だから根性論ですよ。そこが大きいからね。
高校生のときから後悔があってね、高校入試生のときに。大学受験では絶対同じ失敗を繰り返さないしようと思って、便利熱書とかいろんな自己啓発本とか読み合わさってましたね。
ただね、塾野先生はスピリチュアルの本とかに傾倒していたみたいなんだけど、倉木は宗教やってたこともあって、そういう方向にはオカルト方面にはいかなかったね。バカバカしいと思って。
だから塾野先生の本読んでるって聞いて、親友も読んでたんだけど、すごいバカにしてましたよ、倉木は。ずいぶんオカルト地見てるなと思ってね。
だから塾野先生は言霊みたいなこともすごい言ってたし。中学生なのにバカだなと思ってたよ本当に。別にバカにしてるわけじゃないんだけどね。バカだなとは思いますよね、どうしても。
こんな話はどうでもよくて、野郎認知でもね、勉強どうしたら受かるか、恐れ次第で受かるかとか決まってくると思ってるから、勉強法次第で。
まあ効率化分かるのはいいけども、もうちょっとね、遺伝で偏差値で決まってくるってなぜそう思わなかったか。
マラソン自体は倉木の得だけど、これは自分に才能ないってね、意識するまでもなく分かってたのに、なぜ勉強は努力すればできると思ってたのか。どこまでも偏差値が伸びると思ってしまったのか。それは疑問なんだけど。
つまりね、効率化するのって倉木にはあまり当てないんですよね。でね、それが分かったのかもしれないね、小学生の時、中学生の時は。効率化したら、倉木がこうやって今引きこもりになってるように大変なことになるぞって分かったのかもしれないね。
高校自体は全然勉強できなかったし、始められないんですよ、参考書もね、決められないから。もし理系だったらね、数学でもこの参考書を使っていく、理系だったらこの参考書を使っていくって全然違うわけだからね。進路も決めれないから、勉強もつまらないし。
で、国立か私立かだってね、同じ国立でもね、京都大学受けるか東大受けるかじゃ全然問題も違うわけだから。
京大なんかすごい特徴的なんですよ、特に英語はね。
でね、効率化しようとすると、倉木の場合、そのね、順番を組み立てたりするのがすごい苦手なんですよね。
だからすごい時間かかって。で、それを実践やってみて、そこからまた試行錯誤するのにも時間かかって。
それに比べてね、そんな考えてる時間あったらやる?
まあこうやってね、のんきにっていうか何も考えずよく言ってる人いるけど。
まあそういうのは倉木はあんまり好きじゃないけど、ただ倉木の場合はね、あんまり考えないで実践していくってほうがね、あってましたね。
だからゆきかげなんかもね、倉木は根性でやってたんだけど、でも高校生の時、日曇り中か、ちょっと効率化は分かろうとしてたんだけどね、逆にやっぱり時間かかるんですよ。
そんなことやって考えてる時間があったらやべ、っていう風に思うんだけど、勉強もやっぱりね、中学生の時のほうがいいんだからね、結果的にはよかったんだね。
どっちがいいかって分かんないんだけど、ただ倉木の場合はね、中学生の時はまあとりあえず勉強して、で効率的に内部の偏差値はかんばしくない教科もあったんだけど、
まあとりあえず進路もそこまで悩まずに受けることもできて。
高校生の時とは違うんですよね。
下手に効率化しようとしたらね、大変なことになって。
日曇り中はね、どうだろうな、でも歯の磨き方とか効率化しようとして逆に時間かかっちゃうのだったり。
お風呂なんかはね、かなり効率的にはなったけど、前は無駄が多かったんでね。
とはいえ考えるのにすごい時間がかかりましたよ。
学生時代じゃありえないね。日曇りだからこうやって考えられるんですよ。
ここで前回の話と照らし合わせてみると、中学生時代は変化がこうやって効率化が分かったりしないから、そういう意味では変化が少なかったのではないか、なんていう仮説を立てたんだけど。
だからね、その時言わなかったけど、なんていうのかな、行動が一定っていう意味では今の方が規則的だけど、変化させようという意識がない。
もう全てなんていうのかな、もう考えないで、もうその時の反射的にやってしまってるっていう意味では。
今だったらね、何か環境に変化があったら、状況に変化があったら、もう相当これはどういう変化なのかをまず捉えて、行動をどう変化させていくかって相当吟味するんだけど。
前はもう反射的に変化させていたんだけど、逆にそっちの方がある意味では変化が少なかったとも言えないこともないかもしれない。
なんて言うかというと、考えない分ね、やっぱりその分変化が少ないわけですよ。
行動はすごい大きく変化してるよ、でも。だからね、なんて言うんだろうな、捉え方によってどっちの方が変化してるかって難しいんだけど。
だから効率化を図ってなかった、中学生時代は。
高校生以降の効率化の試み
一見ね、外から見てたら多分ね、あんまり規則的でないし、いろいろ変化はしてるんだろうね。
今は逆にものすごく効率化、効率を大事にしてて。
でもね、その、なんて言うんだろうな、勉強法ですごい悩んでたよな、ああいう感じではないんだけど。
ただ無駄は削減をしようとしてて。
今の方が行動の変化はだいぶ少ないんですよね。
でも前回話した通り、大きな変化は起こしちゃってるんですよ。
中学生の時は自分で大きな変化は起こしてないんですよね。
でも今話してて思ったけど、その無駄に効率化しようっていうところはね、
引きこもり最初5年ぐらい、最初5年ぐらいかな、ありましたね。
それから、ある程度根性論でやったほうが暗記は当てるなって分かってね。
下手に効率化は当たったりしないんだけど。
っていうのもね、この話しますね、野球選手で、
別に普通の人でもいいんですよ、歩く時に、
変に歩き方、フォームを変えたりするのではなく、
自然なままに歩いたほうが絶対気がついなくならないし、
体にもそのほうがバランス的にいいし、
それを中途半端に変えて、するとどっか膝に来たり腰に来たりするんだよなんて話したんだけど。
今はどっちかというとそういう考え方だから。
歩き方も効率化させたり、合理的な方法でエネルギーをかけないように歩くとかじゃなくて、
生まれてからずっとやってきた歩き方なんだから、
それを変に変えたりしないで、自然なままで歩いたほうがある意味では無駄がないんじゃないかって、
そういう考えなんですよね。変に効率化させようという考えは今はないんですよ。
そんな今のほうが割と上手くいってる気がするし、
割とというかはっきりしてるね、中学生の時のほうが、結局高校受かったんだからね。
合理性の欠如とその影響
効率化分からないほうが逆にいいわけですよ。
普通はそんなことないんだろうけど、絶対合理的にやったほうが受かる可能性は高いんだけど。
日本人はそうやって合理的、国民性じゃないから、アメリカ人と違って。
合理的にやってる人が少ないんだけど、実際合理的にやる人がもっと増えたらね、はっきり分かれると思いますよ、結果に出ると思いますね。
言いたいところなんだけど、まあそこは、
まあ受かる人は受かるし、落ちる人は落ちるっていうのが、受験に関しては根本的な考え方でもあるんだけど、
まあ受かるはずの人がちゃんと受かって、っていう意味ではね、そういうふうに統計に現れるんじゃないかな、きっと。
それではしたっけ。