自己の存在についての考察
倉木凪です。
誰でも考えたことないですかね、別の家で生まれてたらどうだっただろうって。
いきなり本題ですけどね。
ここにいる自分、自分というか、ここの体、
これ別に、自分なんてもの存在せなくて、
これが自分だと意識している自我があるだけなんですよ。
だって考えてみてください。
これは自分だと言える根拠って何ですかね。
というか、そもそも自分の定義って何ですかね。
って考えたら、自分ってね、この物理空間にあるわけじゃなくて、
あるのはこの体のみ。
で、自分って単なる概念でしかないわけですよ。
なのだから、別の家庭で生まれるなんて絶対ないですよね。
そんなことは。
だって自分なんて存在しないんだから。
自分が存在しないから、自分が他の家庭で生まれてたらっていう
発想にならないでしょ、だって。
そんなことあり得ないですよね。
だから、この自分が生まれてないってこともあり得ないですよね。
あと親が、片方が今の親で、片方が違う人で、別の人と結婚してたら。
あとは宅乱してたら。
どうだったかっていうと、そしたらこの世界に自分は生まれてたのか。
もう一度言いますけど、これ別に自分の概念でしかなくて、
これは自分だと意識してるだけですから。自分だってないですから。
親が別の人と結婚して、それ自分じゃないですから、絶対。半分自分でもないですから。
かといって自分でない誰かが生まれてくるわけじゃないですから。
だって自分なんてそもそも存在してないんですから。
親が結婚して、出産予定よりもだいぶ早まってて生まれたと。
というか自分が生まれた、誕生日よりもだいぶ早くに生まれたと仮定しましょう。
それでも自分じゃないですから。自分なんて存在しないんだから。
それは、それでもね、あなたが今ある状態でそこにいるってことは絶対ありえないんですよ。
じゃあ他のどこにでも自分でないな、だからそこで生まれることもなかったし、
じゃあここにいるこの親なんだ、この意識してるこれなんだ、ってなるじゃないですか。
親がもし結婚してなかったら、ここにいるこの体、いないじゃないか。
こうやって意識できないじゃないか、意識してないじゃないか。
もし自分が生まれてなかったら、こんな風に思い考え行動することができないじゃないか。
そう思うじゃないですか。いや勘違いですから。
もう一度言いますから、自分なんて存在しないですから。
これは自分だと意識してるだけですから。
もう一度言いますよ、他の家で生まれてたらどうだっただろう、もっと早く生まれてたらどうだっただろう。
自分なんか生まれてなきゃよかった、これ全部だからね。
勘違いですから、こんなの。
これを自分だと言ってるのは人類のまやかしでしかありません。
それではしたっけ。