1. 北海道から倉木 凪(なぎ)がお届け
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2024-12-17 27:19

第1234回 生まれて来なければよかったを考察

引きこもりの生活をユーモアを交えながら赤裸々に語ります。醜いところを露呈するだけだし、悲惨なところをひけらかすことにしかならない、そして引きこもりの意外な面を知ってもらえたとして何のプラスにもならないと思いましたが、それでも挑戦してみようと思いPodcastを始めました。

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雑談・人生・生活・暮らし・おじさん・トーク・愚痴・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・podcast・ポッドキャスト・ネットラジオ・ラジオ・フリートーク・一人喋り・一人語り・毎日配信・まったり・ゆるい・コミュ障・ライフスキル・シンプルライフ・前向き・怒り・残念・ネトラジ・闘病記・日常

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生まれて来なければよかったということについて考察していきたいと思います。
たぶん、生まれて来なければよかったという人は、この世界に何かあるはずのものが、
親が結婚していなかったり、子供が産まなかったり、それが存在していなかった、みたいなイメージだと思うんだけど、
ともそれは疑問に思っていて、確かに自分というのは、人間的自覚はありますよね、これが自分だって。
でもね、自分でただの概念でしかなくて、何かなかったという自分が、親が子供になったことによって、
急に自分というものが、特別な何かね、本来ないはずであるものが、急にポンって出てきたみたいな。
天から降ってきたみたいな。
まあだからあれか、いろんな宗教的な概念とかも混ざってそういうイメージになっちゃうけども、
でもそんなことはないんだよね。自分なんてものは存在しないんですよ。
自分でこの体、手足があるこれを自分だと捉えているだけであって。
でも、やっぱり生まれてから死ぬまで、この体、頭と共に生きていくわけで。
喜び、悲しみ、痛み、いろんな感覚があるから、ただのヘリクスであって、やっぱり自分は存在するだろうって思うかもしれないけれども。
でもね、結局ね、一応戸籍上一人の人物がいると考えた方が、お腹から生まれてきたら、
お腹から生まれてきたら、そういう風に捉えた方が、社会としては便宜でいいわけですよ。
まあ一番社会として望んでいるのはまず税金だよね。
税金を取るために、これは一つの答え、一人の人間だと。
でもね、一万年前とどうだったかというと、まあ税金なんてないわけだよね。
ちょうど人間が言語を獲得したあたりだけど、一万年前といえば。
その時は今ほどね、字がもうないし、もっと集団意識の方が強かったと思うんで。
自分というよりも、この集団の一員であると。
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で、二百年前はもっと字が薄いだろうし。
で、人類が始まった七百年前は、ほとんど字がなんていうのはね、猿とか他の動物と、チンパンジーとかと似たようなもんで。
まあそれで進化の過程でね、人間というのは、字が強くなって、自分という意識も強くなって。
今言ったように、社会の中で、まあ戸籍があって、大抵の人は住民票なんかもあって、今はマイナーマーカーだって。
まあ一人の人物として便宜上認識されるわけだけども。
で、社会もそうだし、自分も生物学的に見ても他の動物比べて、字が強いからね。
自分というものはまあ、まあ人それぞれね、もちろんね、だいぶ、字ががほとんどない人もいれば。
クラキなんかはすごい字がが強いんだけども。
まあ特にひとりっ子っていうのもあってね、なんか字がとはまた別ななんか、自分というものを強く持てるような気がしないでもないんだけども。
まあ人それぞれそういう違いは、結構でもあるにはあるんだよね。
見てたらほとんど字がなんてないんだろうなっていう人もいるし。
気づいたらもう、人生何年も生きてましたみたいな。
気づいたら死んでましたみたいな。
まあそういう動物的な感覚持った人もいるんだろうなと思うんだけども。
まあ基本はある程度字がというものがあるわけで。
でも自分というのは存在しないわけですよ。
字がが存在しているだけだから。
字がというものは自分を認識する能力があるわけですよ。
字がが存在しているだけだから。
字がというものは自分を認識する能力というか、自分だと認識しているだけであって、やっぱり自分ではない。
そういう能力があるだけであって、人間には。
やっぱり自分というのは便宜上そうやって、そういう捉え方が社会の中にあるだけであって。
だからよく考えてみてください。
PJ物なんか、まあ当然字がなんかもないし、自分なんかという意識もないわけだよね。
これは自分、これは他人とか。
全くないわけであって。
で、昔見たことないですかね。
子供向け番組とかで魚がね、ある魚の種類なんだけども。
ある程度の人生を送ったら後は、メスの体の細胞の一部になってしまうっていう。
何かの器官の一部になってしまうっていう。
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まあある魚は背びれかもしれない、ある魚は内臓かもしれない、分かんないけども。
メスの一部になってしまうっていう。
ああ、いつからいつまでは自分じゃなくて、このメスなのか。
まあそんなのは学術的にある程度決まっているかもしれないけども。
今の話で分かってもらえると思うんだよ。
この人間が自分の体の細胞の一部になってしまう。
自分の体の細胞の一部になってしまう。
自分の体の細胞の一部になってしまう。
ある程度決まっているかもしれないけども。
今の話で分かってもらえると思うんだよ。
この人間がね、生まれてか死ぬまでこの自分は自分だっていう考えって。
生物学的に見るとだいぶ怪しいなっていう。
自分のその常識ってね、間違ってたなって分かってもらえると思うんだけども。
まあ今の魚の例えなんかね、まさにそうだと思うんだけど。
自分なんかこの魚の映像見たとき衝撃だったけどね。
一応人間ってのは手足があり、目と鼻と口があり。
これはかっこたる何か。
この世界の中で他とはなんなら関係がないというか一つの独立した何かだと思ってるけども。
勝手に人間がそれを一つの答え、一人の人と捉えてるだけであって。
さっきの魚の例で言うと、一つの魚がね。
人間がそうやって一つの魚がいてとか捉えてるだけであって。
でもこれだと、この例えだとどう捉えてるか分かんないでしょ。
だからあくまでも人間が。
まあそういう捉えやすいから。
この手足が。
手が2本あって足が2本あって。
まあこれが一人の人間だろうと。
まあ手一本なくてもまあ一人の人間だろうと。
捉えてるだけであって。
だから魚がメスにくっついたからといって。
一匹がいなくなったといえば。
いなくなったといえば。
それはそれもただの人間の捉え方だし。
で何匹もくっついた。
でもまだ生きてる。そのメスの中で生きてるといえば。
それも一つの捉え方かもしれない。
でもただの人間の捉え方でしょそれは。
ですごい違和感あると思うんだよ。この魚の例は。
普段一人は一人だと思ってるから。
自分は自分だと思ってるから。
でもその魚にとっては別にどこまでが自分っていうわけでもなく。
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どっからが自分でなくなったとかいうわけでもなく。
まあ自我なんて存在しないから魚に。
まあ全くではないかもしれないけど。
だからまあ人間だったら悩むと思うよ。
他の誰かになってしまうんだとしたら。
一体自分で何なんだってなっちゃうんだろうけど。
まあだから自分のアイデンティティってなんだって考えるのもやっぱり人間らしさなんだよね。
やっぱり他とは区別したがるっていう人間の特徴なんだよね。
で今回の本題だけども。
生まれてこなければよかったっていう話だけども。
まあ今の前提に考えるとね。
これは死後の世界を信じてたり魂の存在を信じてるかどうかに関わらない話で。
どちらにしろこれ不思議に感じる話だと思うんだけども。
もっと根本的なところをテーマにしてるというか。
どういう考え方をしてるかっていうと。
共通して持つはずであろう疑問が出てくると思うんだけど。
っていうのはね。
親がもし結婚してなかったらこの自分この意識ってなかっただろうって誰でも思うと思うんだよ。
じゃあ親が1年前に子供を産んでたら。
まあそれでも自分かなって感じだよね。
まあその前に1人子供がいたとしたらその後に生まれてから弟と妹として。
まあその前に1人子供がいたとしたらその後に生まれてから弟と妹として。
まあでも今の子の意識の自分かなって感じでしょ。
じゃあ10年前だったらちょっと疑問に思っておきませんかね。
まあそれでも自分かなって感じだよね。
まあその前に1人子供がいたとしたらその後に生まれてから弟と妹として。
まあそれでも自分かなって感じだよね。
まあその前に1人子供がいたとしたらその後に生まれてから弟と妹として。
じゃあ10年前だったらちょっと疑問に思っておきませんかね。
まあでも自分かなってなるかな大抵の人は。
じゃあ親が片方の親が別の人と結婚してたら。
いやそれはなんとなく違うかなって感じはするんだろうね。
じゃあすごい父親に似ててで別の奥さんと結婚してでまたすごい父親に似てる子供が生まれてきたら。
まあそれでも自分のこの意識この自分今生きてるってこの角度ある自分ではない全く別の何かかなっては思うと思うんだけども。
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自分もそう思うし。
じゃあ親がスポーツなんかやったことない親ででももし仮に両親がすごいスポーツやってて若い頃で性格も全然スポーツやってないはずの親と違った感じで。
あるいは子供の頃に児童虐待に親が会ってたとして。
そんな事実をじゃあもしなかったとしたらまあトラウマもないんだろうし性格も違ってたかもしれない。
人格ももっとまともというか普通だったかもしれない。
どうすれば子供が産んだ時にこの自分なのかこれどうだろうね。
これちょっと疑問に思ってくると思うんだよ。
もう一度考えてみてほしいんだよ。
3年前にもし親が3年後か3年前か本当にそれこの意識の自分あったかなって。
結構いろいろ違うと思うんだよ。
それは単に自分のこの性格あたりが違うのか
あるいはこの今回のテーマは生まれてこなければよかったというテーマだけども
お子さちというテーマだけなのも
性格が違うだけなのかあるいは自分が生まれてこなくて
自分が生まれてこなくて
別の何か他のもと性格の違う誰かが生まれてきてたか
みたいな発想に次の段階でなると思うんだけども
実はこれも一番間違い
これはこれでまたね今の自分じゃない何かが生まれてきた
取られるのがあればそれは間違いだと思うんだけど
とりあえずこの段階ではそういう疑問が出てくるってもらえればと思うんだけども
そういうつもりで説明してるんだけど
アメリカの研究でね
男女のそういった行為の前に
1ヶ月前くらいから男性にジムでガンガン鍛えさせて
そうすると性質が強くなり
DNAも強化されるっていう研究があるみたいで
そういう実験も行われてるみたいなんだけども
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それは自分はあんまり信じてないけども
でもそういう研究もあるくらいだから
もし自分が1年前に生まれてたら
なんか結構自分じゃない何かが生まれてそうなイメージって出てこないですかね
性格も違ったりしたらそれはこの意識
この自分っていう感じではなくて
別の何か意識ってイメージつくと思うんだよ
男の子生まれるか女の子生まれるか
それは親の男性ホルモン女性ホルモンの比重というかバランスというか
によって違ってくるみたいなんだけども
これも年齢によって違うんじゃないですか
男性ホルモンが得てたか増えてたか
白が増えたりね、剥げたりっていうのも
そういう変化があるのもやっぱりそういう変化なんだから
3年遅くなればそれでその比重も変わってくるから
男の子が生まれるか女の子が生まれるかも変わってきちゃうわけですよ
ちなみに焼きのピッチャーの子どもは
そのホルモンの関係で女性が多いだけで女の子が多いっていうんだけども
こうやって考えていくと
もし仮に自分が妊娠時期が全く同じで
これまた核の世界の話になるんだけども
だけども今言ったのは生死と乱死が合わさるタイミングだよね
これは全く同じで出産日が早くなったとしましょう
自分はこれでもね
自分じゃない何かが生まれてきてるような気がするんだよね
出産日もこの核の現実でも同じだとしましょう
時間が1時間早くなったり短くなったり
それでも違うと思うんだよ
これも同じだとしましょう
生まれてから物心つくまで
これでも核の現実で変わってくると思うんだよ
何か変化があったら
この物心つく直前でこの自分っていうものになると思うんだよね
だからその直前の親のあれでもしかしたら自分は生まれてこなかったかもしれないと思うと
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ほんのちょっとしたことだと思うんだよ
だからね自分って何かかっこたるね
自分が生まれてこなかったか生まれてきたか
これでこの世界全く違ったものだという風に感じるでしょ
でもちょっとしたことだと思うんだよそれ
物心つく時に
自分ってものが生まれた
だから小さなことで自分って意識が出てきたっていうよりは
そう考えるよりも
そう考えるっていうのは何か大人いないはずで
たまたま物心つく時のガチャガチャみたいな話ね
この意識この自分
この自分自我これ
この自分になった
そうなんだけども
そういう風にしか捉えれないのが自我なんだけども
でも実際は本当にたまたまというかね
小さなことでしかないというか
確かにそのたまたまによって
そのたまたまによって
80年100年とこの意識のまま生きなければいけない
ように確かに感じるかもしれないけども
それが物心つく前のちょっとした変化で
自分じゃない何かであったかもしれないと考えると
大きな変化違いないような気はするけども
やっぱりその
自分がそれを大きく感じてるだけであって
この世界に自分が誕生したと
自分
この体この頭の
自分が現れたっていう風に認識してるだけで
そういう認識するようにできてるだけであって
そんなことはないって
なんとなくわかってもらえたと思うんだけど
そんなことがなければよかったっていう人になってみれば
自分は何度もそう思ったことあるよ
親が出会っていなければなと
でもそんな大きなことじゃないっていうね
ことの今の話で
今のことを考えたら気づいたんだけども
だから何かが生まれてきたわけでもないし
でまぁいつか心臓止まったら
単に
まぁそれもね心臓が止まったとか
脳が動かなくなったとか人間がことさら
それを大きく取り上げてるだけであって
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石ころが
風邪で少し動きました
それとは何ら変わんないんだよ
人間がそれを大事にしてるだけであって
お医者さんが
医療する人にとって
まぁさっき言った税金とか国にとってもそうだけど
便宜上
これを死と呼びましょうと
決めてるだけであって
まぁだから定義も変わってくるでしょ死の定義も
時代によってね
都合よくねまた
だから死なんてのもただ
生まれてくるもそうだけども
人間が作った概念でしかないんですよ
さっき言った魚の例なんかそうでしょ
あれはいつ生まれてるのかいつ
死んだのか
だから親の体
メスの体の一部だって
まだ生きてるのかどうか
まぁ生物学者によっても
意見は異なるだろうけど
で生まれてこなければよかった
って思う人にとってみればね
この自分がなかったら
こんなにね苦しむ必要がなかった
なかったと
まぁ思いますよね
で寿命を全うするんじゃなくて
今死んだ方が楽になるんじゃないかと
早く楽になるんじゃないかと
思いますよね
これはもう宗教的な話になってしまうからもうね
何を信じるかみたいな
枕木はね人生に意味がないと思ってるんで
人生に意味がないけども
物音に意味なんかないけれども
まぁでも人間って意味を持ったりするわけであって
まぁそれと同じことだと思うんだよね
結局何を言いたいかというと
やっぱり自分ってものが
どうやったって生きてる限りも
そこは存在せたりはおりないけども
今の意味と同じで
実際は存在しないんですよ
自分なんてのは
だから自分がね
生まれてこなければよかったなんてのは
まぁ一生つき
自分でいう考えは一生つきまとうけども
まぁおかしなはずなんだよそれは
そもそも自分なんてないっていうね
だから生まれてきても
まぁ生まれてきても
それも人間がそう捉えてるだけであって
さっきも言ったように
お腹からなんか
生まれてきた何かを
これを
便宜上
一個の答えだと
で心臓がなんか動かなくなったら
まぁ動いてる動いてないもん
その毒が
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動いてない
まぁ動いてる動いてないもん
そのドクンドクンって言ってるその状態は動いてるとか
それもあくまでも人間がそう捉えてるだけであって
動いてるっていう概念自体がそうか
こういうものは動いてますよ
なんだろうな
分かんないけど物理学で
分子がこうなってる状態
他物を動いてると定義しますみたいな
勝手に人間が定義付けしてるだけあって
生まれてくるも死ぬも
人間が作り出した概念でしかないんだよ
物理学はね空間にそんなものが存在するわけではなくて
とか何とか言ってもやっぱりでも
人間ってね
イマジネーションもあるから
生き地獄って
存在するんだよねやっぱりね
だから
今死ぬ
自分を全うしないで
早く死ねばその分楽になる
それも
一理あるんだよね確かにね
でもヒリズムな自分にとって
クラゲにとってはね
今死ぬのも
寿命で全うするのも
同じことだろうと思ってるから
どっちかというとじゃあ寿命を全う
する
どっちかというと
どっちを選ぶし
あとは
自分で死ぬ行為っていうのは
どの程度の苦しみがあるかなんていうのは
人類誰も分かんないわけであって
だからそれはやめといたほうがいいって今
持論があるからねそれもあって生きてるんだけども
でもね人間が
人間が生き地獄はね
いつ味わうか分かんないのに
こうやって生きてるのはバカだなって思うときあるけどね
なんだかんだ言ってもやっぱり
親が出会ってなかったら
こんな苦しい思いをしなかったのになって
そう思うときもあるよやっぱり
そのときね今日話すことを思い出してね
自分なんて存在
してないんだよなと思って
あくまでも自分を認識してるからね
あくまでも自分を認識してるだけであって
次の話最後ですけども
まとめるとね
どうでしょう
生まれてこなければよかったっていう考えはね
まあ基本的に間違ってるんだろうなって
思ってもれば
嬉しいんだけど
あと
まあ死にたいと思ってる人が今なんて聞いて
そこまで生きるも死ぬも
27:00
そんな思ってるほどの
違いがないわけだから
世界にとって
じゃあ生きててもいいかなと思ってもらえればね
嬉しいんだけど
それではしたっけ
27:19

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