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幸せになるかは完全に運で決まる。
幸せになるかは完全に運で決まる。
幸せになるかは完全に運で決まる。
幸せになるかは完全に運で決まる。
幸せになるかは完全に運で決まる。
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幸せになるかは完全に運で決まる。
幸せだと感じなくなる
だとすれば自分が幸せだと感じるようなことは
少ない方がいい?
っていうここら辺からちょっと
また一部の漢字始まりましたね
うーん
自分で考えてたらね
こういう世界に入っていってしまうんですよ
誰か考えてもでも矛盾だと思いません?これ
自分が幸せを求めてそれやりたいことを
少ない方がいい?っていう訳が分かんないですよね
でも今の理論からするとそうでしょ
多くなればなれほど
慣れてしまって幸せだと感じなくなる
でこれもね
あの
味覚的にどう説明されてるのか分かんないけど
逆に
なんだろうなー分かりやすい例で言うと食べ
好きなもの食べてて
ある程度を超えると逆に苦痛になってくるっていう感覚が分かりますかね
ゲームなんかそうでしょ
長い間やってるとまあだから人間
この
この体はね限界がありますからだから頭痛くなったり
食事で言うと
もう胃がね悲鳴を上げるわけでしょ
あと顎が痛くなるかもしれないし
血糖値の関係で眠くなるかもしれないし
それはね感覚的に分かると思うんですけど
でも回数が
増えてしまうとその度に
慣れてしまって幸せだと感じなくなる
単純に考えるとじゃあ
楽しいことなんて
そんなに起きないこと
方がいいってなかなか
分かりづらいですよね
頭では理解できないですよね
別にこれ机上の空論じゃなくて
ある文豪もね
こういうことを言ってたみたいなんだけど
バッハの
素晴らしい作品があってその作品に
出会ってないことはまだ出会う可能性があるから
それは幸せなことだって言ってたらしいんだけど
これはあまり有名な作品なわけではないんだけど
その文豪にとっては
大事な作品だったんですね
その文豪はもう出会ってるわけでしょ
だから出会ってない人を
羨ましく感じてたんでしょうね
でもこれも一例あるというか
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その通りですよね
今回の話に通ずるものもあると思うんですよ
でもはっきり言って今回の話の方がずっと分かりづらいですよね
なぜ今回の話が難しいかというと
楽しいことはたまにやればいいんだ
っていう話にはなるんですよ
何でかというと
たまにだろうがしょっちゅうだろうが
とにかく回数を多くすれば
慣れてしまって
それを楽しいと感じなくなるんだから
さすがに10年か20年かの違いって
あんまり
自分に分かるレベルではないかもしれないけど
だから今回今話したバッハの曲の
いい例ですよね
だから今回の話は
でもね
ここで改めて考える
改めてというか
これ大事になってくるのが
人間って別に
幸せを求めるのは本能だし
だって動物で不快を避けて快感を求めて
できてるわけじゃないですか
だからもうこれは避けては
通れない道というか
ですよね
何らおかしいことないし
幸せを求める
おかしいと言おうがいいわ
前が
言わなかろうが
そういう風にできてますから
議論する余地がないんだけどこれは
いいだの悪いだの
とはいえなんか気持ち悪いですよね
なんかね
幸せを求めてるはずが
そうじゃないんじゃないかと
なってきますよね
特に目標は決めなくてでもね
だいたい分かるじゃないですか
経験的にね
こういう風にすれば自分にとって
いいことがある
こういう風にしたら
自分にとっていいなどがある
人生経験を積めば分かるわけですよ
でもそんなのは
間違ってるってことですね
あとねその
特に食べ物なんかはそうだと思うけど
好きなものね
いくら食べても
ずっと食べられるわけじゃないし
それは腹いっぱいになるっていう
までもなくね
一つもの食べ続けたら飽きるじゃないですか
もう1ヶ月はいいわってなるでしょ
でも今回話したいのは
そういうことじゃなくて
それだけじゃなくて
でまた1ヶ月後に食べて
また2ヶ月後に食べれば
もうどんどん飽きてきますよね
こう考えると
まずその自分にとって
幸せなものに近づけるかどうか
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っていうのも運で決まるし
自分にとってそれをやることが
幸せだと思っても
そうでないとなれば
こうやって生活しててね
自分にとって
幸せを求めるような人間はできてるんだけど
幸せになれるかどうかなんて
自分で測れ知れるようなものではない
人事で測れ知れるようなものではないと
いうことに
気づきませんかねっていう話でした
それではしたっけ