哲学としての食事の選択
倉木凪です。 今まで再三話してきましたね、今回のテーマ。
やっぱり人間ってね、都合よく捉えてるんで、 まあ倉木みたいに浮世離れした生活を送らないとなかなか
まあ受け入れられないし、そもそもあまり理解しづらいと思うんですけど。
好きな食べ物、食事で出てきて先に食べるか。
まあそもそもこれが哲学的な
考えにまだ及ぶとはちょっと考えにくいですよね、でもね。 結構これ深いんですよね、やっぱり。
人生を表しているというかね。 この例で言うと
どの時間を切り取って考えるかで 変わってくるんですよね。
まあ先に好きなものを食べようか、後で食べようか。 食べてる時点では同じことですよ。快感が出てると。
で、後で食べるなら、その人は まだ好きなものを食べてないっていう意味で、まだはすごい幸せな状態である。
で、もう好きなものを食べてしまった人。 もう好きなものを食べ終わってしまったっていう意味では不幸かもしれない。
でも食べてる時点は両者共通している。
ですね、まずこんな話もまあ以前しましたね。 で
幸せの概念と食べ物の関係
で、この話はまだ全体終わってなくて。 これまた別の
例ですけど。 例えば3時のおやつを
食べる食べない。 で
3時におやつ食べるとその時点ではもちろん幸せである。 食べないのに比べて。
あ、今無意識に幸せっていう概念使ってたけど。 言葉使ってましたけど。幸せはね
一応ね、これ説明するためにね。 この分かりにくい概念を
一応持ち出してましたけど。 普段はねあまり幸せって言葉使いたくないんだけど。
でも昼食で甘いものを食べたら夕食で甘いものを食べても
感覚が鈍って感じなくなる。 で、昼食
完食しなかったらね、スイーツ食べなかったら その時点では食べるのに比べて
幸せじゃないかもしれないけど、夕食の時 ちゃんと甘さを感じれる。
それは縁美かもしれないけど、せんべいなんかだと。 同じことですよ。でもこれね
哲学的に考える癖がある人は、 勘のいい人はわかると思うけど、じゃあ結局夕食で甘いものを食べなかったら
次の日の朝の朝食、より甘さを感じる。 お腹も空いてるし。
っていうことになっちゃうんですよね。 これに出すと切れないと。
あとは一生じゃあスイーツ食べない方がいいのかって話になるでしょ。 食べた分だけ
その次に食べるスイーツあるいは食事の良さが感じなくなるのであれば 一生スイーツなんか食べなきゃいいんじゃないか
っていう発想になっちゃいますよね。 ただ全くその通りだけどでもなんか間違ってる気もするし。
だから冒頭で話した通り
この事実をね、この矛盾した事実をなかなか受け入れることはできないんですよね。
なんとなく自分でバランスとって、 まあ食べたい時には食べるしみたいな感じで
やってる気になるけど厳密に言うとね まあ
おかしなことをやっている場合が多いと思います。
でこれ その次回かその次回かわかんないけど
のエピソードで話したのはね
あとはだからもう運なんだと
好きなものを先に食べた方がいいのか後に食べた方がいいのかなっていうのも これもなんかもう
どっちがいいかなんてもう運なんだと 長いスパンで考えると
違いしかなくてどっちがいいかなんて
単なるその人の好みであってそんなものがないのが でもね
絶対に こんなこと話して暗くてさえ
絶対にスイーツなんか食べるのは問題だとしか思えないし
でもそんなのその人の考え方だけでそう考えてるだけであって
もっとじっくり考えたら別にどっちがいいなんてことは言えなくて っていう話もしました
じゃあそこでですよ もっと踏み込んで考えてみると
じゃあ今回のこの例えを まだ利用していいのかわかんないけど
またねこの食べ物の例えちょっと使って考えていきますと
じゃあもう爆食したってのは同じじゃないかと スイーツいくら食べたって
食べなくたって同じなら違いしかないなら っていう風にはなんないですよね
それはそれで間違ってる ってのはなんとなくわかりますよね
でここでねなかなかわかってもらえないと思うけど じゃあバランスをとってじゃあある程度が一番いいって
それはじゃあそれはそれで間違ってるんですよ だってね違いがあるだけなんだからそれが一番だなんて言えないんだから
好きなものを先に食べた方がいいのか後で食べた方がいいのか 気軽に考えればいいんですか
考えればいいんじゃないですか これが正解だとそんな断言できるようなものではないんですよ
でね正解はね こういう意味ではこれが正解だ
こういう意味ではこれが不正解だ っていうことしか言えないんですね
まあそんなのじゃあ正解でも不正解でもないと思うんだけど 例えば
スイーツを食べたって食べなくたって同じでしょっていうのは
脳の快感物質が出るよって言うと
スイーツを食べた分だけ夕食で甘さを感じなくなるわけだし っていうことで送料っていうかまぁ
どっちのが幸せかっていうとね っていう点だけで言うと同じだからまぁ
食べなくても食べても どっちが幸せになるとも限らないという結論なわけだけど
単純性は言えると思うんですけど でも別の視点で考えればまた違ってくると
人生のスタンスと運
ただどう考えたってやっぱりね どういう風な考え方をしてもその
個人のなんか好みの考え方というかね でしかないですね
先に食べるか後に食べるかって同じで これ全てにわたっていることですよ
今楽しいことをすることによって その後やることはその反動で辛く感じるし
じゃあ今辛いことをすれば正解かっていうと 今の時点だけ切り取ってみると
不幸せでしかないですよね
だって今の時点は辛いことしてんだからあえて 今は幸せなことをしてしまうと
後で辛くなるんだら じゃあ10分後楽しくなるなって
楽しいことをして そしたら20分後また辛くなるわけでしょ
考えると一生楽しいことなんてしなくていいっていう結論になってしまうんだけど
これもある意味正しいですよね ある意味っていうか
もうそのまんまですよね 反動で辛くなるってことはなくなる
でもこれをやるにはちょっと現実的なことで言うとちょっと大変で 今大変な思いしてくるとその10分後ね
そんな大変な思いはしないかもしれないけど っていうちょっと楽をしてしまってる部分もあるから
人間で慣れがあるからね ちょっとまあそれを言うとややこしくなるからあれだけど
でもこの話を考えてるとね 聞いてる人は
いやーそんな じゃあ人生全く楽しいことなんてしないほうがいいなんて
うるおいがない人生だなと思うでしょ そんなことは資料層でもないしできないと思うでしょ
でそんなことにもこうやって考えてたらね結局 幸せを求めてもあまり意味ないんだなって
結局人生 長いスパンで見たらね総量は同じだし
だって 例えばスイーツ店に
で
限定品でね限定でね 1日50個でそれを得るのが大変だと
でもそれを食べなかったら食べなかったで 別にその後の幸せが待ってるんだとすれば
さっきの理屈から言うとそういうことですよね
人間の脳ってそういうふうにできてますから だとすれば
なんかね 受験をしても受かろうとしなくなるし会社でも別に出世しなくていいやってなるし
美味しいものを食べようと思って執着しなくてもいいし 残してもいいやってなっちゃうし
まあそんな考えに なれる人ってあまりいないと思うけど
でもそうなるのは正しいんですよ 今回の考えていって最終的にそうなっているのは正しいんですよ
でもじゃあもう人生どう生きたっていいやとはならないですよね でもねそれは心配込むようで
さっきの例え言うともう暴食しても同じだってなってもね
じゃあ実際ねそれができますかって話なんだよ それができるかどうかって
遺伝で決まってくるんですよ だからね
自分の意思で自分の体を動かしてるように思ってても 結局ね
ほとんどDNAでも自分の行動って決まってくるから
それは心配ないですね あと人間ってだいたいバランスとるようにできてますから
こんなストイックなねクラキデさえね 頭ではわかっているんだけどでもなんだかんだ
楽しみは求めてしまうし 楽しいことがあったらそれをなくそうとは思わないし
そういうふうにできてますから まあだから運で決まってくるし
なおかつ
自分の意思にかからず自分の行動で決まってくるってことですね だから
だから幸せを求めようと求めながらとは 対してその人の生活に影響しませんよって話ですね
そんなことを言いたい話だったんですけど あと
あとはねあれ
理想的なのは
ゲーム感覚では言い過ぎっていうのは言い過ぎかもしれないけど もうちょっと気楽に考える
自分の性格はこうだからこういうふうにするのが合ってるよねっていう さっきの例えで言うと
スイーツ 大抵の人はね
別に食べるだろう食べないだろう決めないで 食べたい時に食べればいいと
まあそういう性格なんだからもう もうそうすればいいんだって自覚を持つ
あまり深く考えない だって深く考えたって運で決まってくるんだから
それではしたっけ