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2024-07-26 22:24

第306回 俺は神経を研ぎ澄まして食べている、食事に命を懸け始めた理由

食事中集中し過ぎて修行僧でもないのに色々悟ってしまったという話と、何故集中するようになったかという話。自分にとっての食事とは。

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食事に、食事中集中しすぎて、修行僧でもないのに、いろいろ悟ってしまったという話と、なぜ集中するようになったか、という話、自分にとっての食事とは。
昨日からフリーストカーディガンを脱いで、ランニング一枚になったんですけどもね、いつもこのタイミングで風邪ひくんですよね。
今日も風邪ひいたのか、寒気がしているのか、ストーブも朝からつけるし、もともと去年中学生の時期に、風邪ひいたのか、寒気がしているのか、ストーブも朝からつけるし、
もともと去年中学生の時期に、風邪ひいたのか、寒気がしているのか、ストーブも朝からつけるし、
もともと去年中学生の時期に、風邪ひいたのか、寒気がしているのか、ストーブも朝からつけるし、
もともと去年中学生の時期に、風邪ひいたのか、寒気がしているのか、ストーブも朝からつけるし、
鼻声で話すことになり、話しづらいし、
よくね、ラジオパーソナリティが鼻声で、バナナマンのシタラなんかもすごい話しづらそうにしてるんだけども、
ポッドキャスト撮るようになって、今回初めてわかりました。
非常に話しづらいんですね、鼻声。風邪ひいてしまうと。
で、くしゃみも出るしね。
去年なんかね、それで、7月になってまた北海道が、なんか最近変なんですよね、梅雨。
前は梅雨の時期なんてなかったのに、今年もそうだな、なんか雨が続いて。
で、一昨年ぐらいからかな、すごいどんよりして、
明らかにね、それまでとは違ってね、例年とは違って、あれ多分気圧が低いんでしょうね。
去年なんかは歯が痛くなってね、それで。
多分それが原因なんですよ。
で、ちょうどその時期に風邪もひいてたりして、体が弱ってたんでしょうね。
でも今年もね、もう、なんていうかね、なんかもう、
鎧も何も、武器も持たないで今、
遠くの戦をする場所に何日もかけて向かってるようなね、そういう心境なんですよ。
もう何ヶ月か前からもう、いや今年の7月はどうなるんだろうと。
なるべく風邪もひかないようにしてたけども、もうランニングに着替えたい以上はね、もうしょうないですよね。
寒くても。
まあ本題なんですけどもね、
食事中、まあいろいろ悟ったことがあるんですよ。
悟ったっていうと大げさだけどもね。
これ一番大きな気づきとしてはね、
多分ね、瞑想とかね、禅定とかしてる人にも共通なんだけども、
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あのー、本当に集中しようとしたら、
集中してる間は、
常に、常にって言ってもその、1秒1秒1瞬1瞬、
それを5分なら5分間ずっと続けるっていう、そういう意味ではないけどもね、
恐怖心をね、常に持っていないと集中ってできないってことがわかりました。
まあ動物っていうものを考えたらね、
どういう風にできてるかって考えてみたら、
わかると思うんですよね。
何かに集中していると、
それだけ敵から狙われて、敵にやられる可能性がね、
まあ現代人は違うけれども、
長く人間はそういう時代を送ってきたわけですよ。
だから、人間ってのはね、
1つのことだけに集中するっていう風にはできてないんですね。
どういうことかって言うと、
何か物音が聞こえたら、そっちにすぐ反応できるように、
というかもう、反応できるようにというか、
反応するわけじゃないですか。
多かれ少なかれね。
だから、何か目の前のことに集中すればするほど、
それは敵にやられることを意味しているので、
それだけ恐怖心は伴うんでしょうね、きっとね。
ただね、ある程度集中しているなら、
逆に没頭するわけだからね、
そんな恐怖心なんか出てこないんだけども、
本当の本当の本当に集中しようとしたら、
それ無意識的にわかるんでしょうね、
その動物っていうのは。
ああ、これは敵にやられる可能性があるぞと、
ここまで集中しすぎたら。
敵にやられる可能性があるというよりも、
そういうふうにできているというかね、
それを意識するかしないかに関わらず。
だから、自分の場合は食事中。
瞑想とかね、前乗している人なんかも、
もう極めていくと相当集中するわけだけども、
本当に本当に集中しようとしたら、
恐怖心を伴うわけですね。
で、なぜ恐怖心を伴うかというと、
前乗、以前自分が宗教入った時も、
瞑想なんかしてたんだけどもね、
あれも要は何か雑念が出てきても、
流すようにするっていうことなんだけどもね。
何か考え、人間がね、
考えが浮かんだり、音が聞こえたり、
体が痒くなったり、
足が痛いなとか、
全て刺激なわけですよね。
外部なり内部から来るっていうか、
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全て同じ共通して刺激なわけですけども、
それに対して、
ほぼ無意識かもしれないけど、
多少はそれを認識しようとしているというかね。
例えば、何か考えがパッと浮かんだら、
これは別に今瞑想中だし、すぐ忘れてもいいなとか。
あ、そうだ何か、
誰と会うの忘れてたとか、
そういう場合はね、
瞑想を切り上げることになりますよね。
体が痒いとか、
それは大丈夫だってなり、
でも何か煙の匂いがするぞってなったら、
それはね、その部屋まで行かなきゃダメじゃないですか。
それを判断してるわけですよ。
これを完全に集中してしまうということは、
誰かと会うことを思い出しても、
それも一瞬で、
頭から考えから無くしてしまい、
それは完全には無理なんですけどもね。
でもなるべくそういう風にすると。
煙の匂いがしても、
そんなことはお構いなしって感じで。
でも本当に集中したら、
煙の匂いぐらいだったら、
何か匂いしたなぐらいで、
一瞬で忘れるっていう、
そういう風になるでしょうね、きっと。
でもそれって怖いことですよね、やっぱり人間にとって。
もしかしたら、
今ね、集中しなくてはいけないと思って、
集中したけども、
やっぱり後で、
もう一回それについて考えてみたいってなるじゃないですか。
だから必ずね、
それをもう一瞬で、
心から消してしまって、
絶対に恐怖心を伴うわけですよ。
自分なんかね、
不安障害だから、
大事に集中するとしたら、
するっていうか、この行為がね、
非常に大事になってくるって、
気づいたんですよ。
相当な恐怖心を持って、
やっと他の人の、
集中している状態に近づけるというかね。
これはひこもりあるあるなのかな。
脅迫性障害あるあるなのか、
ちょっとした変化にもね、
気になるんですよ。
自閉症スペクトラムあるあるかな、これは。
あと自分は聴覚過敏なんで、
あと感覚過敏もあるし、
まあだから発達症があるあるかな。
ちょっとした音でもね、
それを確認しないといけないし、
それが短くなりつつは、
つつはあるんだけどもやっぱりね、
いくら食事中とはいえね、
気になるのは気になるんですよね。
家の前車通ったけども、
さっき言ったように、
普通ならね、家の前車通っても、
もうほぼ意識しないだろうけども、
まあ誰でも意識はするんだけども、
それが完全に意識しないということはできないわけですよ。
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誰にしてもがその音を察知して、
ああこの音は別に自分にとって問題のあることが起きたっていう音ではないと。
ほぼ無意識的に、とはいえ少しはね、
意識を使い認識してるわけですよ。
すべてのものも、
刺激に対してそうなわけですよね。
体が痒くなれば、
別にこれは虫に刺されてるわけでもないし、
何か針が刺さってるわけでもないし、
ちょっとツンと肌に何か、
服があふれて痒いだけであって、
経験的にも一瞬でわかるようになるわけですよね。
とはいえ一瞬は意識してると。
それが自分は他の人より長くて、
ん?車が通ったぞ。
これはトウモロコシではないし、
郵便の人か誰か近所の人が家に来た可能性もあるなって。
こういう考える必要のないことをね、
考えはしないですよ。
ただ考える必要があるのではないかという不安が出てくるわけですよ。
これ難しいんだけども、
単に脅迫性障害とか不安障害ならいいんだけども、
そこら辺の判断がね、自分は難しいのかな。
それって聞き察知能力がなさすぎですよね。
どこまで集中していいのか、
どの程度匂いなんかもね、
気にしなくていいのか気にしすぎなのか。
もし聞き察知能力がないとすれば、
逆に他の人よりもっといろんな刺激に対して、
花瓶により神経質になって考えるべきなんですよ。
あと無神経すぎる人もそうですよね。
なんかガスの匂いするけども、
知らねえやって言う人は、
ガスのしっかり、
ようかお前あったんですよ。
ガスの止まってなくてで音だけしてるって、
あれだから危ないんですよね。
火はついてなくて音だけはしてるって、
そういうことにも気づけないし。
またね、寝てる時って、
また起きてる時とは違うんですよね。
いくらそんな神経質な自分でもね、
やっぱり睡眠不足の時は、
どんなに風邪ひくくらい寒くなってても、
やっぱり寝てしまうし。
とはいえね、昼間のどの程度、
外部の刺激に反応するか、
不安心してるかによって、
やっぱりね、寝てる時に影響も当たるわけですね。
寝てる時の状態にも。
これだから睡眠って不思議なんですよね。
睡眠中の精神活動っていうのは。
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今回のエピソードでは、
なぜ自分がそういう風に食事中、
集中するようになったかってことを話したいと思うんですけども、
引きこもりになりね、
なんでなのかね、ある時、
これは良いことなんだけどもね。
まあ引きこもりになり、
いろいろ気づくことが多かったんですよね。
相当だからね、
学生時代なんかは、
変化に対して鈍感だし、
無神経だし、
まあそうでもしないと、
もともと神経質な自分はやってられなかったんでしょうね。
人混みの中で、
この社会の中でね、
学生とはいえ、
社会生活を送るわけですから。
で、いかに食事中、
自分は味わえていないかってことに気づいたんですよ。
集中していないかってことも気づいたんですよね。
それでテレビを見たり、
考え事をしたり、
音楽を聴きながら、
音楽を聴きながら食事をするってことは、
あ、でも、
お弁当を食べてる時なんか、
そうでしたね、高校時代。
給食の時はどうだろう、
まあでも話してたり、
小学生の時は食べるの遅かったんで、
っていうか、いつも吐きそうになりながら食べてたんで、
あの、
それを紛らわせるために、
隣の人と話したりはしてたけども、
あとは基本的には、
黙々と食べてたかな。
ああ今日も野球の練習かとか考えながら、
食べてたのかな。
まあでもそんな余裕なかった、
そんな色々考えてる余裕ないぐらいね、
もう会食恐怖症なんですよね。
まあそれ以外のストレスもあったりして、
中学生の時は隣の友達と、
隣に仲良い友達がいたら話したり、
でも今考えてみると、
目のやり場に困らなかったのかなと思って、
食事中って普通どうなんですかね。
口に入れて、下向いて食べてたらでも、
ちょっと姿勢悪いし、
前には女子いるから、
そんなずっと前見てるなんてできないし、
かといってね、上向いたら変だし、
いや今考えてみると、
どうしてたのかなと思うんですよね。
やっぱり下向いて、
そんなの食べづらいと思うんだけどもな。
でもそうするしかないですよね。
学生だろうと、
お店で食べるにしてもね、
定食屋さんとか。
で、自分は朝から見て、
とか夕方、テレビを見ながら食べるとか、
いうことはなくなり、
朝昼晩、
机の上で皿を置いて食べるようになる。
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集中してね。
話したりなんかもしないし、
考え事ももちろんしないし。
すごい後悔したんですよ。
今まで18年間、
どんな好きなものであろうと、
全然、
一口目二口目はしっかり味わったかもしれないけども。
あとはなんか考え事しちゃったりして、
特に自分なんかね、
アスペルガー諸国軍があって、
将棋のハブさんなんかもそうなんだけどもね、
すぐ意識がどっか飛んじゃうんですよね。
その日あったこととかね、
これからすることとか、
昔の嫌なことだとか、
最近考えてることだとか。
そっちにね、意識が飛んじゃうんですよね。
そういうことにも気づいたりして、
これは相当集中しなきゃいけないと。
今まで通りやってたら、
今まで通りやって、
こういう後悔は絶対したくないと思ったんですよ。
そうしてるとね、
いかに食事ってのは、
今まではね、自分の好きなもの以外は、
単に栄養を取るためのものだと思ってたけども、
いかに一つ一つがね、
しっかり味があってね、
野菜もしっかり味わえばおいしいし、
しっかり味わえばね、
おいしく味わえるんだと、
いうことに気づいたし、
あとはね、
たぶん、あれなんですよね、
ひこもりになって、
刺激が全くない、
変化のない毎日なわけですよ。
今もそうだけども。
そしたらね、そういうちょっとした、
しかも外に出ないからね、
今はテレビ画面でいろいろ見てるけども、
ひこもりになった、
当時は見てたから、
でも時期によってはね、
視覚的な情報さえもほぼないっていう、
目に入ってくるものもほぼ同じだっていうね。
でも最近そうですね、
調べ物はするけど動画は見なくなったんで、
食事中ぐらいしかないんですけど、
感覚にね、何か働きかけてくるみたいなのは、
色鮮やかにね、
いろんな感覚がくるっていうのは、
だからね、一つ一つの、
全ての食材の全ての味付けがね、
自分にとっては貴重なんですよね。
だからね、洋館から聞く話、
一つ一つが貴重でね、
ほんとに他の人にとってはどうでもいいようなね、
家族内の何かいろんな出来事とかね、
トウモロコシが外でこういうことがあったとか、
洋館がこういうことがあったとか、
最近だと健康診断でこういう人がいてとか、
そういう話が自分にとってはね、
他の人にとっての海外旅行に行くぐらいのことなんですよね。
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そういう小さなことが大きなことなんですよ。
で、気づいたこと二つ目なんだけども、食事中。
これ前のエピソードで話したんだけども、
人間って誰もが慣れがあるんで、
こういう風に食べ方したらしっかり味に集中できるのは、
これぐらいの顔の角度でやってると、
それもね、食材とかによってまた変わってくるんで、
甘いものしょっぱいものそれによっても変わってくるし、
味の濃さでも、その時の体調でもね。
今日はこういう風にしたらいいんだって気づいても、
やっぱり慣れがくるんで、やっぱりそのやり方で続けても原動があるんですよ。
っていうことをもう経験的にわかるんで、そうするわけだけども、
っていう今のここまでの話した、それ自体にも慣れが出てくると。
つまり慣れが出てきて変化させるっていう、
その変化をさせるってことに慣れが出てくると。
慣れが出てくると。
でもね、ここら辺でそれをまた改善するってやってるとね、
まずは味に集中してるんで、そんなことまではね、
やっぱりそれが難しいんですよね。
それができるかもあれば、やっぱり忘れてしまうこともあったり、
あとはね、もちろんそれをするとできるんだけど、
ある程度までそれ行くとね、
行ってそれをやろうとすると、
食べ方に集中して、もう味には集中してないっていうことになるんですよね。
これも気づいたこと、今日話す3つ目なんだけども、
味に集中するって言ってもね、いろんな集中の仕方があるんですよね。
ただ単にもう味の細かいところまで集中してるか、
あるいは細かいところまで集中できてないけど、でも美味しく味わえてるかみたいなね、
機械的にただ察知してるだけなんてこともあるわけですよ。
あとからやっぱり後悔するんですよね。
でもね、その時はね、気づかないし、あえてそうしてるわけですよね。
でもその後じゃないと、今のはただもう本当に味にね、
ただもう認識してるだけで、何にも本当に耳で味わえてないなって後から気づくことであって、
それも過去の経験からわかるかもしれないけど、
それもじゃあ思い出すっていう作業、いや以前はしてましたね。
でもね、そうやってそれを思い出すなんてしてると、
本当にね、もう頭で考えても味わってるような、
というかもう、味わうより考える時間の方が長くなってる。
特に自分なんかさっきも話したように、
いろんな不安なこと、いろんな刺激に対しても外からやってくるね。
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虫が飛んでるだな、寒くなっただな、車の音しただな。
ただでさえ集中するのが難しいのに、より難しくなるわけですよね。
で、結局何を言ったかというと、
慣れが出てきてもね、ある程度しょうがないのと、
とはいえ、同じことをしてると味に鈍感になってしまうから、
そこがね、ジレンマなんですよね。
一瞬を味わうってことを犠牲にしてでも、それでも、
以前はね、さっき言ったように、
こういう風にした方がいいななんて、
頭でグルグルちょっと考えちゃってみたいに、今はしてないけれどもね、
その時どうするかって問題なんですよね。
味に対して鈍くなってしまった、その瞬間。
難しいところなんですよ。
ほんと今は稀だけど、
昨日もあったかな、一昨日もあったかな、
ほんとに最近だとこれは稀なんだけども、
やっぱりだいぶ、頭を使ってどういう風に食べる、して味わうか、
っていうことに頭がいってしまったみたいな。
なぜ最近そうなってるかっていうとね、
ポッドキャストでこういう話をしてるのが原因ですね。
意識してしまってるっていうね。
22:24

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