自我の錯覚
今回も超簡単哲学の話なんですが、人間についてですね、人間の自我ってことについてまた話していきたいんですが
いつもこの話、分かっていただけるか心配で
今回はこんな例えをご用意しました。
自分って、自分っていうプログラミング言語で
自分を描いている。まあこれじゃちょっと分からないですよね。でもそういうことなんですよ。
まあそんなこと可能かと思うかもしれないけど
可能というよりは
実際そういうことはあるんだけどね、プログラミング言語で
人間の場合は、実際そうしているよりもそういう錯覚なんだけど
まあこれよりも分かりやすいのがね、筆をイメージしてほしいんですけど、その筆をその筆で
色を付けたみたいなことなんですよね。
ちょっと現実的にはあり得ないだろうけど。 自分とは何かと聞かれたらそういうことなんですよ。
その一本の筆を他のもので塗っているんじゃなくて
自分という筆
によって彩られていくっていうのをイメージしてほしいんですけど。
でもどうですかね。 どう考えてもそんなこと無理ですよね。だから人間もそんなこと無理なんですよ。
さっきのプログラミング言語は可能だけど。 ということは
その自分の、実際どういうことかっていうと
自分のという筆をね
自分という筆で実際塗ってるんじゃなくて
そもそも自分の筆なんてものは存在しないってことですよ。 だから
こういうことなんですね。人間が
実体なんてないっていうのは。 そもそも筆なんて
自分という筆なんて存在してないんですよ。 だからまあ
人間の頭の中では 自分という
言ってみれば
筆で自分を 形作るじゃないけど色
色をつけていく。 ということは出来てると思い込んでしまってるんですね。
そして自分があると思ってしまってるんですよ。 よくわかんなくてもまあ自分なんてもないないと
いうことがわかってもらえればいいと思います。 あとこれ話したかな
実体の考察
一応ブッダの教えからすると全てのものは 実体がないということなんだけど
だから全ては概念でしかないってなっちゃうんだけど まあブッダは
この世界は幻だと言っていると言っているんだけどそれだとね
単なるそういう哲学の話になってしまって どっかの哲学者みたいな内容ですねこれだとね
ブッダが言いたいことはそういうことじゃないんだけどでも まあ
ちょっとそこは疑問に思ったかな。全ては実体だとしたら 全ては概念でしかないとなってしまいますからね
でもね、まあ
全ては幻想であるなんてそんなことを 考えてた人では絶対ないんですよ
あと最近このことを考えると人間って本当に変わらないものをね 求めているんだなぁと思いますよ
例えば神様だってそうだし 自分というものが存在していると思うかもなそうだし
自分の兄弟だって親だって 何が変わらないものがあるつまり実体があると思ってしまってるんですね
でもそれって非常に危険な考え方なんですよ 自分は単体で生きていると思っちゃってるから
でまぁここから何しか言って、今はね あの
あまり自分に都合の良くない教えでも それほど命を断ちたいと思った時とか
自我が大きくなりすぎて自意識が 強くなりすぎてってことですねだから
そういう時なんか思い出していただくと非常に助かる教えというか
考え方だと自負しています それではしたっけ