ビッグバンの不思議
倉木はニヒリズムなんですが、ここまでの人じゃなかなかいないと思うんですけど、そんな倉木でさえ、生きる意味があるだろうと思ってしまう世間の人の気持ちもわかるなと思った瞬間があったんだよ。お話したいんですが。
まずですね、どっからだったっけな。
地球にしか生物はいない。これはなんとも思わないんですよ。単に生物を特別しているだけだから。
一つの種類のものなんだろうと、それは人間が特別しているだけであってね。生物という名前をつけているだけであって。
これでね、生物が地球上にだけにいて、そこに生物、そして人間を特別なものだと思い生きている意味があるだろうという人もいるだろうし、倉木は全くそう思わないんだけど、ただね、ビッグバンって不思議だなと思って、何もないところからね。
これについてはちょっとこの後またプラスして話したいことがあるんですけど、一応何もないところから。どうも不思議ね。
不思議なことではあるんだけど、このビッグバンがね、やっぱり人間の頭では理解できないですよ。何もないところから何かが生まれて。
っていうふうに言われると、まあいろいろ考えた結果、そこには何か意味がないとは思えない。たまたまなんて言葉、今回もちょっと使えないけど、何の意味もなく、なぜかわかんないけど、たまたまビッグバンが起きて、とはとても思えなかったんですね、その時。
だとすると人間が生きてる意味があるとは思わないけども、この世界が存在する理由みたいなものって、なんかやっぱり考えてしまったわけですよ。
こんな倉木だけど。
てかそう思わないととても不思議すぎて、もうこのビッグバンっていうのが。
何もないところから生まれたって言ってんだから。
どういうことなのかも理解できないし。
でもただただよくわかんないことが起きて、とは思いたくない。
理解と神の存在
正確に言うとね、まあ思いたくないというか、そうは思えないというだけなんだけど。
わかるんですよね。だから創造主というものが、ちょっと考えたくなる。
でもこれもやっぱりね、人間の頭でそう理解してるだけなんです。
今ね、だから他の虫とかね、この世界は紫外線とかで見てる。
だから全然その、生き物によって世界の見え方って違って。
扁同説と一同説も、どちらでもないなんていう学者もいて。
だから、あの、
アイタインの物理学でさえ、確かとは言えないかもしれないっていう説もあって、今はですよ。
まあそういうことからするとやっぱり人間の、
あ、ていうか倉木はね、こんな200年300年で、
いくら普遍的なこととはいえ物理学に関しては、
まあそういう200年の間で、人間が使ってきた一つのもの、世の中の捉え方でしかないと思ってるんですよ。
まあそもそもそういうことなんですよね。
だから不思議でもなんでもなくて、人間からしてみたら不思議に感じるだけであって。
で、やっぱり気づくんだけど、確かに、
なんでこのビッグバンって起きたのか、もう不思議でしょうないですよ。
一体何のためにこれできたんだって。
考えてしまいます。でもそれは人間の差がなんですね。差でしかないんですよ。
でも考えましたとは何でなのか。
人類は神様というものを作り、人生に意味があると思い込んで宗教を求めて、
作ったり修行のために出たりしてるけれども、
理解できないのと神様がいるのとは別ですからね。
理解ができないのと人生に意味があるのとは別ですから。
そうやって人間はわからないことを説明つけようとしたがるけれども、
残念ながら間違いは間違いですから。
だからどっちが正解とは言えないけれども、
クラケはね、やはり理解はできないですよね。
もうそこでとどまっとけばいいと思うんですよ。
この世界、なんでビッグバン起きたんですかね。ちょっと不思議ですよね。
それでいいと思うんですよね。
それでは明日会いましょう。