でやっとその今の会社との
対過去の会社ですから。で
いい会社だとなと分かったり悪い会社だと分かったりするわけですよ やっぱり人間って善悪で判断するしかないし
そういう 二分するしかないんですね。ブッダはこれを
中庸で生きなさいというわけですけど 俗世間でいる
というかまあ人間の脳が物事を理解するだけにそうやって二分するしかないように
もともとはできている だけどもブッダが言うように中庸になることができるわけですけど
それはこの後話しますが ただ思ったんですよ
じゃあその前にも会社に行ってた場合 別の会社これは実は2社目だったとしたら
1社目悪い会社だとして2社目入った時点でこの会社いい会社だって分かってるはずですよね
だって相対するものがあるわけだから 関係性が成り立つわけだから
これもし1社目だったらこの会社がどうなのかなんて 判断しようがないわけですよ
まあその時点ではでも過去の
一つ目の会社ですねだから については2社目に行ってやっと1社目のことが
分かったわけだからやっぱり人間は前向きに生きてるけど後ろ向きに理解するしかないとも言えるし
今の例え ちょっと悪かったかな
2社目でも3社目でもどっちでもいいんだけど 会社に入った瞬間に実は
その会社2社目 あるいは3社目新しい会社については
前の会社と比較できるんで 別にその会社を辞めた時点でその会社のありがとみとか
どういう会社だったかって分かれてたけど 前の会社と比較できるんで
2社目3社目については入った時点でどういう会社かって 分かるわけですよね
あれそれだとさっき言った 辞めた時点で分かるんだと
人間は過去を振り返らないと 物事認識できないんだと言ったけど
それとちょっと 相反する
ことに帰結してしまうわけで まあでも前の会社についてはやっぱり辞めなきゃ分かんないことだし
つまり現在どういう状況に置かれているかってのは
やはり 過去を振り返ってみないと分かんない つまり未来じゃないと分かんない
ただね 今とにかく幸せな状態かどうか
過去を 例えば1年前幸せになり始めた瞬間
分かってるはずだけどやっぱり慣れちゃうんで 忘れるわけですよね
幸せがなくなりそうな時に 幸せだったのと気づき始めるわけですよね
物事とのありがたみが分からなくなるのも同じ原理ですね
次の状況 次の環境 次の境遇に至る時に
もう同じことを繰り返すわけですけど
まあそう考えるとエデンの園の話
今現在のことは どういう状況かっていうのは後から振り返ってみても分かんないと分かんない
やっぱり慣れから来るものなんですかね でもねカオスなわけですよ 今現在が
正しいのかどうかっていうのは まあそもそも別にどっちでもないんだけど
人間でもそうやって善悪で判断するしかないから物を取り返せるには
二分するしかないですからね これってのはまあ未来になってやっとその時点のことを
分かるわけであって 今この瞬間っていうのは別に良い状態でも悪い状態でもないわけですよね
だとしたら未来から過去を振り返ってあれは良かった悪かったといったところで 過去なんてただの過去なんですから
意味ないと言えば意味ないし ただ難しいところであれはダメだったと判断して
で未来に生かすってことは人間しますからね 過去から学ぶことは
あるとも言えるしでも ある程度ならいいんだけどやっぱり過去にとらわれるってやっぱり
これ本当紙一重で全く違うことですよね 過去にとらわれるかただ反省するのか
ただまあクラキの持論だけどもやっぱり 全てのものは変化してるから過去を
振り返って反省してもあまり意味ないと思ってるんですよ ちょっとうやむやになってしまった方がいいんだけど
とにかくクラキは思うのは
後ろ向きにしか人間は物を取り替えできない っていうのは
時間軸で言うと 未来と現在であったり
って言うと分かりにくいかな あのある時点とある時点を比較しないと人間でも物事を理解できないから
だから現在 いい状況に置かれてるかどうかなって
分からないよってそういう話でした 今は時間の話でしたがだから
何だろうな全てだから まあ単純に考えると1対1になるもの
じゃないと理解できないわけですねだから
たくさんまあ 無数と言ってもいいそういう集積によって
過去のいろんな人と出会ったテレビでもいいしラジオでもいいし 話した人話してない人単なる街で出会った人いろんな人との関わり
によって 自分というものが定義されるわけですね
自分らしさってものを 形作るときに
でまぁただそれはやはり1対1のこの 集積なんですね
だからさっき言ったように兄弟 お兄さんが
いれば お兄さんと比較してだから人間って比較しないと
物事を認識できないんですね 認識すらできないんですよ
今現在あったかい それはさっきまで寒かったから
あったかいと認識できる あるいは1ヶ月前まで
冬で寒かったから今あったかみを感じる わけですよね
お身体レベルまでそうやって比較しないと 認識すらできないわけですよ
でずっと寒い環境にいた人が寒いとこに行ったって 別に何ら今まで通りの平常時ですって感じだろうし
寒いって認識できないわけですよ
時間が経つのが早いなぁっていうのも 過去の時間
感覚と比較して
いるわけですね無意識に あと何だろうなぁ
例えばこの人はかっこいいこの人は美人なんてのは 過去に出会ったたくさんの人と
過去の記憶と比較してるんだろうし だから人間は目の前のあること
見てるという 見るためには
やっぱり記憶と照らし合わせて見てるってことですね もっと言うと記憶を見てると言ってもいいかもしれないですね
だから自分ってものは何かを知ろうとしたら 結局
事故じゃなくて他者を
見つめてしまってるっていう のと同じで
自分自分と言ってたら結局他者を見てるに過ぎない ってのと同じで目の前の何かを見てる時
それを認識しようとすればするほど理解しようとすればするほど 実はそれと関係性のあるものすべてを
認識する ことをしているわけですね
それはこの後の工夫で話しますが 例えば
この人はどういう人間か 理解しようとしたら
本来であれば 空にたどり着くはずなんですよ
ものすごい抽象的な概念なんだけど でもどんどん人間というのは抽象の逆ですからねさっき言った
分けるっていうのは 抽象というのは共通点を見出して同一化させる
けども分けるわけですからね ものと理解ですよね だからこの人は背が高い低い
性格は言い悪いで やっぱり二分していくわけですよね
では工夫の話ですが ちょっと暗きの
これ今朝ふと 思ったことなんだけど
昨日ちょうど話してました 車なんてのは
物理学的に言ってもない やっぱり
単に光の反射だし 車なんて現象に過ぎないと
単なる部品集めたものを車と言ってるだけで その状態を車と言ってるだけで車なんかがないんだって話
散々してきましたが でも空だと言われても分かんないですよね
そもそも ユームの概念ですからちょっとよく分かんないし
ただですね一応説明しておきますと 暗きが思う無ってのは
有じゃないということを見ているとき無なんですね だから
あったものがなくなったと 認識が概念が無なわけです
だから虚しいんですね 無ってね
でも空っていうのは あったがなかったすかそれは分かんないというか
うーん まあ有でも無でもないわけですから
有でもないとか言っちゃうとちょっとは 分かんないだろうけどでも
ある意味有だとも無だとも言えるし
どっちかに二分できるものではないんですよ だから
さっき言ってた人間は二分しないと理解できないって言ったけど
二分できない概念っていうのかな だから
なんだろ 空ってものはもちろん存在 これ自体も存在しないし
これ自体概念でしかないっていうかもう
そりゃそうなんだけど概念であるでしょ 何て言うんだろうな
空にはなり得ないんでしょうね多分 試行実験みたいなもんで
そこを目指しましょうと言ってるんであって ある状態を指して
仏陀は空だと言ったわけじゃないのかもしれないな その
まあでも説明するために空だという 空という概念を作ったわけですけど
ニーチェの英語回帰と同じで なんか試行実験的な意味合いもあるような気もするけど
とにかく空ってよくわかんないですよやっぱり
定義を知るしかない 知ることしかできないですねやっぱりね
でもその定義についてあだこーだといろんな 宗派によって言うことが違うんだろうけど
でクラキが思ったのはこの空ですね なんですが
やっぱり クラキも人間ですから
いやー車がないって言ったって 物自体あるでしょと思うし
いや見えてるんだからやっぱりあるものはあるだろうし でもないわけでもない
ないと言ったらそれは間違い 空だと言われたらなんなんだって話だと思ってたんだけど
こういうことかなと思ったのが例えば 人間が何かに没頭している時って
自我はなくなりますね だから瞑想するのかもそうだけど
同じことなんですよ何かに没頭すればいいんですよ もう瞑想状態ですから没入している状態っていうのは
自分なんてものは忘れる 単に
この体ってものが自分の体ってものが見えてないだけかというと 別に
足伸ばして体が見えてるようが 鏡に自分が映っているようが同じなわけですよね
自分なんてそこにはないわけですよ これと同じで車を見てて
したらもう いちいち意識しなくなりますよね例えばなんだろうな時計の音
最初部屋に新しい時計を置いて 時計の音を認識したとしてもしばらくしたらなくなりますよね