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第5896回 人生という物語の解体
2026-07-22 47:07

第5896回 人生という物語の解体

この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。

哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。

「何を知っているのか」

「それは本当にそうなのか」

「確信はどこから生まれるのか」

人はなぜ何かを信じるのか。

なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。

私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。

信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。

意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。

人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。

意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。

結論よりも、考えている途中の揺れ。

完成された思想よりも、変化していく認識の記録。

自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。

虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。

感想

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00:03
これから、倉木さんのラジオ収録始まります。
No!
げんじゃやすです。
過去は過ぎ去ったもんだけど、よくトラウマとして思い出して、かなり現在に影響を与えてるんですね。
それって、どんなの?と思ったんです。過去消し去って、今に集中するっておかしな話だなと思ったんですね。
でも、そもそも過去なんてただの概念で、記憶の断片を合わせて過去と呼んでるだけだから、
過去を捨て去れるけど、捨ててなくなるゴミみたいなものではなくて、できるとしたら記憶喪失になるぐらいですよね。
あと、過去を思い出すっていうのは、その記憶の断片をどう繋げるかっていうこと。
そして、今に集中するって言っても、その過去の記憶を参照してるわけですよね。
それなしには生きられないんですよ。
はい、では次。
無意識に弱い立場に、そしてその人もまた?という連鎖に息取りを感じるんですよ。
別に悪いとは思わないが、自分に対してそうしてきた奴らを許せないと思うんですね。
あと、舐められないっていう思いもある。それは二度と自分の性域を摂食させないっていう決心なんですね。
ただ、その方法に自信はないし、何より自分も無意識に弱い立場に当たっていた可能性もある。
それが何より辛いですよね。あと、家族に対してもそうだろうし。
03:08
では次。
食事中、前はある味に集中。次はこの味という感じで、物理的な直接的な捉え方をしてたんです。
ある時からあまり考えないように全体分野で捉えるような感じになったんですよ。
複雑な味の時は、今のやり方だと全く味わえてない時があるんですね。
前はすごい分析的な捉え方だったんです。要素を還元させて分析する感じ。
ある時からは複雑な味を全体として捉えるようになったんですね。分析するのをやめたってことです。
複雑な味を味わえないというのは、集中してたらですね。
多分味わってたけど、以前は集中するんだけど、逆に味わえてる感じをしない感じ。
今は全体捉えてるんだけど、あまりにも複雑な時は、その分全然集中できなくて意識がどっかに行く感じ。
虚無は感性で生きるわけではないんですね。改善しようとしないどうでもいいと思われてるけど、
改善しない人どうでもいい人と思われてるかもしれないけど、それイコール虚無ではないんですね。
向上しないのが虚無ではないんですよ。しかし、改善も向上もしないんですよ。
なぜなら、改善とは変化したらより良くなるという幻想を抱いてるんですね。
自分は変化しても変化するだけ。何か言ってて、不理屈な感じがしてきたけど、そういうことじゃないんですよ。
そうやって変化を変化と捉えて、何も付け足す気はないんですね。
あと、不要な変化もしないんですね。
改善という言葉は現在は不関連であるという価値判断を前提としますよね。
価値判断に過ぎないんです。宇宙の物理法則から言うと、
より良くという基準なんて存在しないんですよね。
だからより良くなったと人間が思ってるだけなんですね。
だから確かに虚無で生きる自分は改善はしてないです。
なぜかというと、変化すること自体別に、自分にとってそういうものだから。
06:10
だから不要な変化はしないんですよ。
では次。
変化するという物語のために無駄なエネルギーは消費したくないし、
例えば近所の人がうるさくて行動の工夫変化をしなければいけないという場合、
これはどう捉えたらいいかちょっと悩みますね。
では次。
神と崇めた人と肩を並べたらどうなってしまうのかなとちょっと考えてました。空想なんですけど。
神と思いたいし、でも超えたいしという思い、
単に尊敬する人に対するものとも違いますし。
肩並べた時点で、その人は神だということを剥ぎ取ってしまっているようなものですよね。
でも崇拝するって依存ですよ。
だからその依存相手がなくなってしまっているわけですよね。
そんなこと自分にはあり得ないので、ちょっとした空想でした。
では次。
明らかに失敗しやすい行動と成功しやすい行動ってあるんですね。
だから生活レベルではある程度基準というものが必要になるんですよ。
基準なんて作らないと言っておきながら。
成功イコール幸せ、いや完成という幻想は排除しているけど、
生存していくための操作手順という意味での基準はあるんですね。
意味なんかないと虚無を貫きながらですね、
でも食事はするし生活を維持するにはこれが効率的だという基準はあるんですね。
こう動けばこう結果が出るという因果率はあるという視点ですね。
09:07
それは幻想という魔薬ではなくて、現実に沿ったものなんですね。
では次。
優柔不断すぎて価値を置きすぎていたんだろうと思うんですね。
しかし虚無にいるとそれはそれで決めるのって難しいんですよ。
そこでどっちかというとこっちいいんじゃない程度のスタンスでA流になったんですね。
しっかりした理由はなくてもいいと認めたんです。
どっちでも同じようなもん。
なんだからどっちか選べばなきゃいけない。
ならどっちかというとこっちという感じ。
これが虚無の選択だけど、
適当に選んでるわけではないんですね。
生きてる。
普通生きてるのが辛い人ってそれでも生きる場合。
やむを得なく生きてるとか、
辛いけど生きてる。
人によっては辛いまま生きるのなんて嫌だから無理やり希望を持ったり意味付けする。
いろんなタイプいるでしょうね。
自分はこれだけ辛いんだけどなぜか生きてる理由なんてなくてどっちかというとこっちを選んでる。
しかしたまたまサイコロ振って気分でどっちを選んでるという感じでもないんですよ。
生きるの辛いけど生きてる人、無理やり意味付けして希望を持つ人、
辛いけどしょうがなく生きる人と違うのは
どっちかというとこっちの道、つまり生きる道を選んでる。
しかし強い決心があるってことなんですよ。
無理やり意味を持たそうとしてる人は無理やり生きる道に必要以上に意味を感じてる感じだし、
生きるの辛いけど生きてる人は
惰性で生きてたり、
その点何が違うかというと自分は強い決心があるってことですね。
あと普通どっちかというとこっちって感じではないと思うんですよ。
で、無意味という
この自分、世界の中で摩擦を最小限にするために必要な手段だったんですね。
12:04
宇宙規模で見ればAもBも等価なんですよね。
ちなみにですね、ちょっと周り駆動説明になるんですけど
もちろん人間は価値判断するものだし、必ずしも生活して等価だとは言えないかもしれないけど、
根本ではそういう考えを置いとくんですね。
絶対的な基準なんてないという考えを置いとくんですよ。
次、変化するときあらゆるそれに伴う変化を想定して失敗問題を防ぐんですね。
変化に弱いし、そういったことを考えて新たに習慣にするのはかなり苦手なんです。
しかしですね、だいたい考えれば後はいいというように
神経質でなくなると一つ一つを大事にする気がなくなるんですね。
虚無にいるからこそ生きるのに必要なことにはこだわり、
大事にしてきた意味を感じすぎない程度にではありますか。
変化した先は未知の世界で恐怖でしかないんですね。
これで変化になれると、
虚無という自由の空間、自由という真空の中で生きるため規律を維持してきたのが壊れるんですね。
変化しないことだけ唯一意味を感じてきて、意味を感じても問題なかったんですね。
そしてこの維持によって食事や睡眠、生きるためのことを維持されたんですね。
変化に恐れるのは保守的だからではないんですよ。
食事・睡眠・ルーティンというのは無意味であることを前提に維持してきたものなんです。
生命維持装置ですね。
変化を受けれるということはその装置を否定する、再設計しなきゃいけないということです。
真空の中で宇宙服を脱ぐようなものですよね。
変化した先には何が待っているかわからないから。
変化してより良くなる可能性もあるけど保証はなくて今までの均衡が崩れる可能性もあるわけです。
圧倒的に率いるのが確率としては高いんですね。
これは経験して経験上わかるんです。
15:03
意味を全く感じないとこの装置も動かない。
これは大事だという。絶対大事だという決めつきみたいなのがあるんです。
でも人生の目的ということには消化させていないですね。
さっきの人に影響を与えられて変化する場合、戸惑うと言ったけど
なぜ変化するのかというのは自分が納得できる生存のために必要な理由だけで判断すればいいのかなと思いますけど
その境がでも難しいですよね。
でも必要と感じるかどうかが基準になるんでしょうね。
では次。物語を書いている。正当化していると
意識した時点で実は正当化って終わっているんですよね。
つまり正当化という物語の構築は一度崩壊しているんですよ。
メタ認知こそが本来の正当化の目的を無効化しているんですよね。
自分が今やっていることを安心させるための書いているものだという意識が生まれるんですよね。
だから何のために書かれているかという。
まあ客観視ができている状態。
ちなみに客観視できていたらいいという風潮は好きじゃないんであまり言葉を使いたくないんですけど
残酷なもので使いたくない言葉さえ使わないと伝わらないから使っているんですけど
まあでも正当化が意識できていてもそれでも書き続けている場合もありますね。
でも正当化が自分の行動を納得させる行為だと
そして今正当化させている物語という行為はですね。
それを理解して無効化されているわけですよね。
でもそれでも書くっていうのは生きるためのルーティーンだからですね。
今日会ったことを話したことなんですよ。
ちょっと感動したことがあって。
ある芸能人の23歳ですね。女性なんだけど。
18:00
母親が部屋に入っていつも掃除したり最近は片付けしてるみたいで。
20歳過ぎてる女の子の部屋に無断で入っているというその事実。
勝手に物取っていくとかそんなことあるんだなと思ってしかも全然怒らないんだなと思って
逆にあれがあたかってるんですよ。
母親もどんな気持ちでそれ片付けてるのかなとか
あと20歳過ぎてるんだよなとか考えたらなんか面白くてですね。
では次。
なかなか自分のことをよくわからない人だなと思われてないかなと思って
とにかく自分はリスナーの人に対してはただただ感謝しかないんですよね。
そういえば海洋性大腸炎について、難病について調べてて
最近はお腹痛くないのが逆に不安で
寒海という時期なのか
あとは最近豚肉も食べないで食物繊維取るようになって
だからお腹痛くなくなって
これは寒海なのか、それとも豚肉アレルギーだったのか
今朝もですね、夕食後寝てるからそれが良かったのかなとか考えてました。
今でも夜ご飯では豚肉食べるんですよね。
豚アレルギーなら毎回症状出るはずなんですよ。
以前はほぼ毎日腹壊してたし失神しそうなくらいだったんですね。
アレルギーでここまでになるのかなと思うし
今日も色々調べて不安になってました。
あとですね、昨日見てた、見落としてた動画が一体全て消えてて
数日前後回しにしたのがダメだったんだと思い
非常に悔やんでましたね。
ただ以前よりは過去に囚われることはなくなったんですけど
それでも消えてたと分かっただけのショックは大きかったです。
あとですね、今夜中フォトギャスト聴いたり
最近は音楽を聴いてたんですけど
昼間も一回でラジオ聴いてるんだけどそれを聴けばいいんじゃないかと
21:01
2回でスマホでということに気づき
でも一応今フォトギャストで聴いてるのはあって
やることがあるときに限ってまたそうやっていい案が浮かんで
以前はやることがなくてでもいい案が浮かばなくて
最近はフォトギャストで英語会を
今日は今朝が最近だと
寝た後撮ったり
明日の朝撮らなきゃいけないなとか考えるのは辛いんですよね
これから何時間後に撮ると思うと辛いから
衝動的に撮っちゃおうってするんですね
グリルでカツ
カツって言っても鶏カツなんだけど
卵とじでカツ丼の上みたいにして
っていうのが過去で一番美味しかったんですね
なんだけどそういうときに限って
いつもなら卵とか玉ねぎと交互に食べるんだけど
たまたま初めてカツだけ残しておいたんですよ
なぜかそのときに限って一番美味しかったんですよ
で次の日は
昨日親がですね
テーブルでいろいろやってるから気になって
そっちの方向かないようにするし
これもダメでしたね
これはドラマなんですけど次の話は
修学旅行でお前が
ゲームセンターに行ったんだけど
こんなとこに行っちゃいけないって言って
でもその後お前があのとき悪かったって言ってきたのは
先生にちくられたら嫌なのかなと思って
それで自分を説得するためにお前が悪いって言ってきたのかなと思って
無性に腹が立ってきてですね
確か食事中ですね
あと
先の難病の話ですけど
いろいろと条件が変わってるんですよ
以前昼に豚肉食べてて
その後よく腹壊してたんで
もしかしたら豚肉アレルギーかなと思って
でも夜痛くなんないから
そういうわけじゃないかなと思ったけど夜寝た後に
食べた後に寝る
お腹痛くなるんだけどそれほど大したことない
もし寝ていなかったら前と同じく痛かったかもしれない
したら難病のせいじゃなくてアレルギーのせいかもしれないし
でも難病もアレルギーによって大きくなる可能性もあるし
ひどくなる可能性もあるし
診断しないと分かんないけども
結果が早く知りたいですよね
じゃないと将来どうなるか分かんなくなるから
歌手として曲も出してないし
24:00
他の人に楽曲提供もしてない
事務所を経営してるわけでもない
とか芸能人でも
wikipedia見ても何をしてるのか分かんないという人いるんですよ
たまにこういうことあるんで
こういう深いことあると困るんですね
気になるから
いくら調べても分からないんですよ
これは空想なんですけど
ある芸能人
出産してでも忙しくテレビにも出てて
でもこの人の楽しみってのは
何なのか旦那さんと一緒にいる時なのかとか考えてました
あとはある応募書歌手を目の前にしたアイドルが
人柄に合わせばらしくて涙が出てきましたって言ってたり
自分だったらこうやって言うなっていうことを空想するんですね
実際は曲についてなんか褒めてたけど
あとはポッドキャストで何かこれ絵を描いてた時に
話したことあるなと思っててメモ見ててですね
したらそれでよかったんですよ
あの時は焦ったし
無駄なことしたかと思ったし何十分も撮ってるんで
結局大丈夫だったんですよ
最近夜中それで横になって
すごい撮りづらいんだけど英語回答って
だからもう10時とかになって
本来ならもうどっくり寝てる時間なんですけど
困りますね
あと何に困ってるかって自分の性格に困ってるんですよね
あと部活の先生中学生に対して
ただ不満だけ言って
何が今いけないのかもわからず
ぶち落として本当に嫌なもんしてきました
あと一昨日
彼女ができてその彼女がいてで
電車に一緒に乗ったりしてたんですね夢の中で
で起きてから
もう絶望的な気持ちになって
では希望は抱かないようにしてるんだけど
夢の中で希望抱くから困るんですよ
希望に満たされないけど
夢の中の希望はどうにもならないんですね
で起きてから高校生の時の
今日もそうだけど考えてました
例の彼女とお付き合いしてるとこを空想してましたね
いやー未練でもなんでもないんですよただただ悔しいんですよね
今ですねキーボードアプリ変えて
入力間違い減らせないかなと思って
27:02
変えたら変えたでまた不便なことも出てきて
でも引き下がるわけにもいかないしって感じですね
では次
普通は絶対的な土台の代わりに
仮説を置くんですね
これって論理の破綻に見えるし人として理性あるのにどうなのと思うんですよ
ただ矛盾なくやろうとして
やって自分は苦しむんですけど
いやいや仮説っていうのは不安定な足場の上に立つことでしょう
それって論理の破綻に見えるんですね
理性のある人間が
それってどうなのと思うんですよ
理性のある人間がそれをやるのってどうなのと思うんですよ
だってその都度仮の足場を作ってるようなもんですから
その前にですね論理的に完璧で矛盾ないものって
もちろん数学とか哲学とか科学全体で
歴史において何度も証明しようと行われてきましたが
ゲイデルの不完全性定理によって
体系内で証明できないことがなぜか死になってしまうということが
存在することが分かり
つまり絶対的な土台となるものなんて
探し続けれないということが分かったですね
だから仮説を置くしかないわけですよ
決して論理の方機ではないんですけども
そういうことが証明された以上そうするしかないわけですよ
証明されるのは以前からそうだったと思います
次 完全な論理的に完璧
矛盾なし こういったものがないとは証明されていないわけです
でもそれを追い続ける人
矛盾がないもの こういったものがないとは証明されていないけども
そういったものを追い続ける人
1人くらいいてもいいんじゃないのかなと思うんですよ
結局神を言おうと神とは撤退を信じて言おうが
みんな同じ行動をしているように見えるんですね
結局興味の人と同じ行動なんですよ
それは根本では信じていないのか
結局みんなと同じ行動をしているなら
信念に意味はあるのかという問いは出てくるわけです
30:03
表面的な行動
どのような土台に立っていても2回やったものになるんですよね
まず人間全てに共通するのは
食事をするとか 睡眠をとるとか
表面的っていうのは恋愛をする
学校仕事行くとか 趣味を持つとか
日本人には日本人と共通したものがあるだろうし
根本的なものなんてどうでもいいんじゃないのかと思うこともあるんですよ
実際宗教辞めてからと宗教辞める前とそんな変わってないような気もするし
ただ絶対的なものがないと自覚していることには圧倒的な意味の差があるんですよ
絶対を信じるものの行動っていうのは
まず仮説を立てるんですね
今はこれが最適だと
秋は季節が変わるけど夏は夏の最適解があると
絶対を信じる人も信じない人も仮説を信じてはいるんだけど
絶対を信じない人は
仮説は仮説でしかないと
でも絶対を信じる人は仮説を絶対だと思っちゃってるんですよ
実際 実生活で
そしてこの世の中は矛盾だらけですから
矛盾を飼い慣らして生きればいいものですけど
では次
矛盾に対応するために世界を平均的に見ることを諦め
って言っても分かんないと思いますので
まず自分は矛盾に弱いんですね
矛盾があると立ち止まってしまうし混乱するし
対処できないし
矛盾なもの曖昧なものをノイズとしてですね
普通は無視するんですよ普通の人は
しかし自分はノイズを無視できないんですね
で社会は矛盾をですね
ある程度の嘘を混ぜることで維持されてます
宗教も同じです
絶対なんてものないからこそ
嘘がどうしても混ざってくるんですよで矛盾なく見せてるんですよ
あと発達障害という特性を持つ脳はこの矛盾に弱い
けどもこれは虚無にいるから矛盾を受け入れられないのか
それとも生物学的なことなのかが分からないんですよね
で社会で生きられないと生徒化するために
社会で生きれない理由を作ってないか
それとも
通ってしまうのが辛いんですね
つまり社会で生きられない理由を
自分の脳のせいにしているのではないかという疑念
33:01
というのはまあ社会生活を送りたかったという
以前はまあ渇望してたわけです
それの裏返しだと思うんですね
ただただ社会を拒絶してる
他と同じ引きこもりだったらこんな風に来る嬉しもないんですよ
自分の脳がこの社会のシステムと
合ってないという客観視してる行為なんですよね
社会で生きられないということを
このポテキャストで記録という行為に転換させていました
まあでも自分は社会に出ることを諦めましたけど
世界は諦めたわけではないということですね
世間的にはこれは不要な苦行に見えるかもしれないけど
あとは自分は社会に適応できない
ダメな人間だという物語に逃げ込むことはなかったですね
だからそういう意味で自己否定もなかったし
では次
矛盾を矛盾と指して記録し
不都合のままの自分を維持する
まあ意味わかんないですよね
普通社会のルールとしては
この状況ではこう振る舞うのが正解
すべてによってこう生きるのが正解と
平均値なんですね
まあちょっとした例外とかあるかもしれないけど
それは切り捨ててるんですよ
自分はその例外を持てないんですね
自分の脳はそうやって誤魔化しかきかないんで
逆に他の人は誤魔化してるように見えてるし
誤魔化した経験がないんでね
だから解像度が高すぎるんですよ
私読めることもできないし
読めようとしてもできないんですよね
だから解像度の違いでギャップが生まれる
だからこだわってるようには見えるだろうし
人に理解してもらえないですね
絶対を持つと大変なことになるけど
この曲絶対Aというのは
36:02
その人個人の話でしていいのかなと思ったんですよ
他者へ強制してるような絶対的な真理でないし
これも仮説ですよね
一つ言えるのはこういう絶対にAというものを持つということが
確信であり不都合のままの自分を維持する
支柱になるわけですよね
しかも重要な
これは支柱があるからいいとは思わないんですよ
これが問題なんだと思うんですけど
ただその音楽の
この曲がいいっていうのはそもそも支柱になるかな
って思うんですよね
だから別にこれはいいんじゃないかと思うんですよ
無需要ないものとして見てみる風にするのは
社会では適応と呼びますよね
でも自分の感性を鈍らせてることにしかならないんですよ
社会の平均値に同調してるわけです
随分芸術家とか
芸術家ですねそういう生き方に
聞こえるから逆に嫌なんですよ
綺麗事として聞かれたくないし
才能のない芸術家
違うか
芸術家と似てる部分はあるんだけど
芸術の才能がない自分なんですよ
さっきの話との関係でいうと
矛盾をノイズとして捨てないで
不都合ではあるけど取り込んで
高解像度で記録してるんですよ
だからポッと言わせて話すことはつけなくていいですけど
できればある程度にしてほしいものですけど
社会には矛盾だらけですから
そして世界は単純化してないわけですね
だからすごい複雑に感じます世界は
どうしてここまで世界は複雑なんだと思うことはあります
世界に絶対はないという
論理的な正しさを
自分を追い込むとですね
これもうちは嘘であるんじゃないかって
疑い始めるんですね
怪奇的になりすぎるんですよ
だからどうすることもできないんですけど
では次
感動を説明しなくてもいいと思ってないです
むき出しの状態のまま置きたいと思うんですね
論理的に説明しようとするとき
生の良さというよりも一般化してしまうんですよね
39:03
自分のものでなくなるんですよ
言語化してしまうことによって
例えばこの曲が良いっていうのはメロディ構成がどうだとか
でも音楽に関しては
どっちでもいいかな
例えば
科学的に
化学的に説明されたりするともう全く
だからなんだと感動は感動だろうと思うんですよね
好き嫌いに論理的
意味つけようとして間違えて捉えるんですね
好き嫌いに意味をつけ
論理的に意味をつけたとしても
結局後付きの理由でしかないから
子供の時にこれを見て好きになったとか
自分も例外じゃないですけど
あの人が持ってたCDだから好きだとか
こうやって説明をつけて
いかにも論理的に説明をつけてますけど
大抵そういう場合でも間違えると思いますね
では次人生の意味を
抽象とや定義バラバラなのに議論してるから
無意義だと思うんですよ
ある人は絶対的意味
ある人は生活の意味
ある人は人生の物語
ある人は意味づけ
ある人は希望というように
人生の意味ってなんかもう
議論しても意味ないだろうなと思うんですよね
しかし人の苦しめるんですよ
人生の意味を議論して
苦しめたいところもあるのかね
人生の意味を求めて苦しめる人は
自分が今どの次元の話をしてるのか
自覚してできてないですよね
そりゃそうです
他者の定義があり自分の定義があり
で議論してるけれども
一向に進まないし
何のぶつかり合いにもなってないですよね
なんだろう
お互い片透かしのこと言われて
自分は自分でよく定義も分かってないから
そりゃ議論のしようないですよね
世間の人にとって理屈で説明できない感動って
自分がコントロールできない恐ろしいものなんですね
それは未知の恐怖に対しても同じだし
未知の恐怖に対しては人は神と呼んだでしょ
42:01
理不尽なことに対しては
これがあったから人生変わったとか
言い出すでしょ
人生物語を作るでしょ
言語化できない感動は科学的に説明しようとしてるんです
こういう理由があるから仕方がないとか
社会的に説明しようとしても
自分の最大の感動が
それを示す
そういうのを考えると
何かの感動があるんだ
と思うんですね
そう思うと
自分は何かの感動を示す
その感動を示す
特に古代の人は何とも説明しがたい 感動とも恐怖とも言えないもの
味わってきたのはなんとなくわかりますよね
恐れっていう言葉ってよくできてると思いますよ
でも感動もあるときは暴力になったりするんですかね
説明をつけたいって気持ちはわからないんですよ
とにかく感動してこの人にも伝えたいし
なんとかこの素晴らしさを説明使したいっていう
芸術家にとってはそれを表現するというのが
感動を説明していることなんですよ 自分なりに
画家は色を使ったり構図によってですね
では次
でも自分にとって都合よく解釈するための
麻酔にしか見えないんですよ
彼らにとって論理っていうのは
都合よく解釈するための麻酔みたいなものだと思ってるんですね
論理っていうのはいつも言ってる物語ですね
とかそういう説明をつけること
自分たち共同体によって都合よく
捉えようとするための麻酔だと思ってるんですよ
化学ってものもある意味人間に都合のよく
捉えようとするものなんだろうと思いますね
世間の人の化学も
いくら論理的に説明しているようでも
自分たちの世界を把握可能にしているだけ
分かる範囲に閉じ込めようとしているだけだと思います
自分はそうやって
良かれと思ってないし
45:03
悪いと思ってないんだけど無人も不条理も
感動の暴力だと思ってないけども
感動の暴力も
全ては自分の神経を直撃させるものでしかなくて
それはここで話してるんですけど
魂あるだの心は深いものだのという幻想を置かれと
剥ぎ取ると逆に単純になるようで
つまらなくなるようででも興味深いものになるんです
あとは無知事上で
意味はないんだけどしかし膨大な思考や
感覚が渦巻いている
そういう幻想としては精神に興味あるんですよ
スピリチュアルには興味ないけど
精神を説明するものを知りたいわけじゃないんですね
単純に言うとよくわからないものだから精神に興味あるんです
でも自分は複雑なものを嫌いなはずなんだけど
宗教やってたっていうせいもあるだろうし
ただそれを医学的に説明されたりスピリチュアルで
オカルトを交えて説明されると
それは嫌なんですよ
普通は
分かりました
説明のつかない感動に対しても
魂が震えたからだとかいうことであって
説明つくようにしてまた蓋をしてるんですよ
よくわからないもの
だから世の中を捉えた時に
つまらなくなるものとかあったら
例えば宇宙人そして幽霊
幽霊ってオカルトで片付けなかったらすごい面白いじゃないですか
心霊写真も
あれなんだってのあったら調べてみたら面白いんですよ幽霊も
人間の心ってそう働くのかってわかるんですよ
47:07

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