00:31
今朝の話題は、
パソコンで映るにあたり、
親とこんな会話がありました。
ドキュメントにファイル入ってるよって自分が言いました。
したら親がですね、
2つあるねって言うんですよ。2つデータがあると。
その約5秒後ですね、
6つあるって言い出したんですよ。
さっき2つあるって言ってなかった?って聞いたら、
じゃあ、しっかり説明ゆっくりするから、
ちゃんと聞いててねっていうような雰囲気を出して、
6つあるんだけど、
あと今入れたやつが2つあるという意味のわからない。
誰も意味がわからないであろう説明をしてきたんですよ。
長年一緒にいるからわかることもあるけども、
それにしても説明がひどくてですね、
今自分が見えてるものは相手も見えてると思ってしまうんですね。
普通人間って想像力があるから、
これをどう説明すれば相手に伝わるかって考えるわけじゃないですか。
考えるという労力を惜しんでるんですね。
番組概要欄の話をしてて、
これちょっと記憶ないんですけど、
英語のあるかいって聞いたら、ないって言うんですよ。
これも思い込みで実際あるんですけど。
朝、番組説明と同じ文だから違うねって言ってきたんですね。
午後聞いてみたらそんなことはないって言うんですよ。
一番言いました。
朝、そっか英語の文入れてないから困ったなって話してたけど、
朝、これでよかったんじゃないかと言いました。
まずですね、ちょっと順番前後しますけど、
03:01
英語で内容わからないからわからないんだと言ってくるんですよ。
朝、なんで番組説明の文と同じだと判断してしまったのかと思ったんですね。
今ですね、階段上がってきて、
ギスが決まったのに直前に言ってきたのはですね、
さほど文章変わらないんだと言ってくるから、
あれおかしいなと思って、そんなはずないと思ったらですね、
いや文章の長さは結構違うけど、
しっかり読んでないんだって言うんですよ。
またさっきの同じ失敗じゃないかって一番言いました。
さっきと同じように、
ろくに読んでもいないのに間違って、
なぜ同じだと思ったのか、しかも文の長さだって全然違うのに、
似てひなるどころか全く、
似つかないだろ、似てないだろ、
なんでその読まないで勝手に似てると思ってしまったのか、
って言いました。
さっきの話に戻りますけど、
あとはですね、なんか変なこと言ってるんですね。
最初これ何言ってるのか、
もうちょっと思い出せないぐらい、
どっちらかってこと言ってきたんですけど、
最終的にですね、
これは概要欄のものではないと勘違いしてたらしくて、
それがわかるまでにまあ10分ぐらい話してましたよ。
これ概要欄だって言ってるのにそれ信じてくれないんですよ。
これなんか他の文と違うように感じたんでしょうね。
概要欄のリストにあるけれども、
これは概要欄とは違うんだって勝手な思い込みで、
判断してんで、それで朝、
違うって言ったという話まで20分ぐらいかかりましたよ。
時間ないっていうのに。
いやまず最初さっき言ったように、
違うんだと。
朝は番組説明と同じだと思ったんだって間違いなく言ってましたね。
でもその後聞いたら、いやそんなことは言ってないって言うんですよ。
でも間違いなくその概要欄だとは思わなかったんだ。
なんてことは一言も言ってないんですよ絶対。
だから勝手に自分で都合よく記憶を作り出して。
なんなんでしょうねこの症状は一体。
と思いました。
順番通り話しますよ。
番組説明と概要欄これ同じだから、
英語せっかく入ってるけどでも、
これは使えないねと言ってきましたね。
いや言ってきたはずだったんです。
そうやって説明したらそんなことは言ってないって言うんですよ。
06:00
でおかしな説明しときながら、
なんて言ったらいいかなーって自分で勝手に混乱してるんですよ。
誰にも通じるわけがないようなこと言っときながら、
勝手に一人で悩んでるんですね。
いやでも朝ですね、全く言ってることを覆してきて、
その時驚きました。
最悪なこと言ってきてますからね。
じゃあなぜこれ、
せっかく一つ英語の概要欄に入れるのに、
なんでそれダメだと思ったのか聞いたら、
説明のとは違うって言ってきたのかな。
だから違うんだろだからいいんでしょって確か自分言ったのかな。
なんで、とにかく向こうとしては、
番組説明と同じだとは言ってないってことを一生作るんですよ。
でもその説明がですね、変ってこいなんですよ。
そもそも勝手な思い込みで、
これ概要欄だと思ってなかった時点で間違ってたんですけど。
あとですね、スマホの電気が明るくならないって言うんですね。
だから設定、ちゃんと変えたのか言ってたら、
いや何にも変えてないよって言うんですよ。
これもあれですね、勝手な思い込みで、
とにかく相手の、
だから思い込みでそっか、
どういう思い込みかも知らないけど、
相手の発言に突っ込んでるというか、
もう言い返すので精一杯で、
そういう言い方になってしまったんですよね。
設定なんて変えてないよって。
でも、こちら側としてはですよ。
それは設定変えてなかったら、
それは明るくなるわけないだろうって思うに決まってますよね。
あと他にも色々あったような気がするんですけど、
思い出すのに今20分くらいかかってしまったんで、
次の話でいきますね。
前回話した通り、
今推理モノのドラマめちゃくちゃ見始めて、
それで一気に見ちゃったら推理できなくなるし、
かといって見れなかったらちょうど、
ヤフーニュースで結果出てしまうかもしれないし、
でもですね、完璧しなきゃ自分が出てきて、
じゃあ3話とか4話どうせ固めてみるんだら、
最後まで見るのも同じだってことに気づき、
そんなことあったり、
あとは昨日の朝は、
あと親が免許の更新に行って、
09:02
すごいずいぶん一人で話盛り上がってるから、
こういう時は気を使って自分も話聞いてあげなきゃなと思うんですよ。
早く2階に行って英語会撮りたいんだけど、
話聞いてあげて、
でもどうやってリアクション取ったらいいのか分からないんですよ別に。
聞いてもよく分からないし、
でも何十分も聞いてました。
20分くらい話聞いてたかな。
午後もプレッシャーから時は慣れたのか、
すごい親は気分がいいんですけど、
どうせまたこの反動で気分悪くなるんだよと思って。
そういう時にどう対応すればいいのか、
それで、それに対して、
こっちが何か静まっているのも何か可哀想だし、
かといって明るくしたところで、
この人どうせ後にまた機嫌悪くなるのも分かってるし、
だからこっちとしては、
いやいや、あまりイキイチしないでくれっていう思いなんですよ。
これは昨日ですかね、
トラウマ思い出してました。
塾の先生でボーリング行って、
ヘビメタ、自分は嫌いなんですよ、嫌いなんだけど、
またかかったぞっていう風に言ってあげたら、
嫌なら降りていいぞって言ってきたんで、
だったら警察呼びますよって言ってやればよかったかなと思って。
もしくは上等じゃないか、
降ろせるものなら降ろしてみろって言えばよかったなと思って考えてました。
ただですね、昨日話しましたね、救いはない方がいいけど、
逃げ場ってあった方がいいなと思ったんですよ。
昨日ドラマの中でですね、
ある登場人物がいじめられてるんだけど、
なんて言えばいいかな、
いつでもこいつらをやっつけれると思ったら、
だいぶオブラートに言いましたけど、
やっつけれると思ったら、
気が楽なんだって、
実際にするわけじゃないけど、
逃げ場を作るっていうのはいいと思うんですけど、
でも自分がトラウマを思い出してこうやって言ってればよかったっていうのは、
何の逃げ場にもなんないんですよ、逆に苦しいんですよ。
じゃあなんでそんなこと考えてるかっていうと、
夢?悪夢って、皆さん見たくて見ますかね?
それと同じことです。
考えたくなくても考えてしまうんですよ。
よくドラマに出てくる力がないことによる、
あとはお金がないことによるみじめさって、
あんまり感じたことはないんですよ。
そんな社会的な力のなさによるみじめさみたいな、
例えば親だって別に、
ヒエラルキーっていうか別に、
中流家庭の上の方だろうし、仕事的には。
12:04
なんですけど一回ですね、ボイシーっていうとこ、
もう二度と変わりたくないけど、
多分、Xのフォロワー数とか、
数で判断してるんですよね。
それで人を判断して、
その人を道具としてしか見てない。
単なる人員集めとして、
役に立ってくれるかどうか、
そこでしかほとんど判断してない。
こういうのこはですね、
珍しいなと思いましたね。
あんまりこういう経験ないんで、
普通ともっと多面的に人見るじゃないですか。
単にフォロワー数だけで見るっていう、
そういうシーン分別のない、
人たちが作ってる会社ってあるんだなと思いました。
要はですね、日本ってちょっと珍しいんですよ。
例えば、まったくないわけじゃないけど、
例えばですよ、
親の仕事が経営者か医者じゃないと、
この学校には入れませんみたいなのないじゃないですか。
結構割と日本の入試って平等だと思うんですよ。
北海道の高校バカだから、
内進店なんか見てるみたいだけど、
あとは部活に入ってたかどうかとか、
生徒館やってたかどうかとか。
でも大学受験って完全に点数なんですよね。
点数で決まるっていう。
シビアではあるけども、
とても公正なものなんですよ。公平だし。
はい、現在ここです。
今カバーアートを作ってるんですけど、
また新たな問題ですね。
自分は絶望してるわけでもなければ、
救いを捨てたでもないんですよね、結局。
普通にこうやって生きてるっていうことを伝えなきゃいけないのと、
あとは意味なんかないけどやったるぜっていう、
下に構えた感じのものでもいけないし。
もちろん意味がないってことを主張したいわけで、
一切ないんですよね。
意味がないでも続くだと、
それはかなり近いんだけど、
反抗なんですよね、虚無に対する。
やっぱり意味がないってことと、
続いてるってことは別問題として捉えてるってところかなと思うんですよ。
でも言葉にしてる時点で、
うまく伝わらない感じもあるし、あと、
自分について言葉にするほど弱くなるような気がしてて、
普通はですね、意味がないってことに反応するんですけど、
自分はPodcastで話してるのは意味がないってことへの反応なんですよね。
15:03
自分の反応なんですね。
自分はですね、
集計辞めてから別の新たなストーリーとか、
日常でも勝手な物語を描かないように観察してるから、
観察者として描くっていう方法もあるけど、
それだと画がずれますよね。
そんなこと考えてたらあること思い出したんですけど、
あるアーティストがしょうがないって言葉が嫌いだって言ってて、
昨日、ある外人の人がしょうがないって言い言葉だと思うって言ってたんですけど、
日本語にしかないみたいなんですね。
この言葉の面白さはさておき、
現実があってそれを受け入れなくて、
普通であればそれにいろんなものを貼り付けれるんですよね。
これは後にいいことがある前触れだとか、
あとは、
これは将来の自分のためになるとか。
でもしょうがないって受け止めてる時点で、
そこから次に向かっていく感じは、
それ自体いいのかはさておき、
世界に対する過度な期待とかを捨てて、
無加工な状態で、
事実を事実として飲み込むって感じ、
として捉え終わったらすごいいい言葉だと思うんですよ。
それはそういうものだからしょうがないっていう。
だからこれを妥協という、
悪いレッテルで貼って決めつけてしまう人いるけど、
でも、
薄々気づいてる人もいるんですよね。
妥協って悪いことではないと。
例えば、
あなたはあなたのままでいいんだよとか言うじゃないですか。
その存在は肯定してるってことですよね。
でもそのしょうがないっていう時に救いようがね、
手遅れだみたいなニュアンスだったら、
それは諦めみたいなニュアンスに変わってしまいますよね。
正直個人的な考えから言うとですね、
そこまで手遅れな状況になってしまわないように、
なんとかその前になんとか
自分は必ずしますね。
そういう意味でしょうがないって使った覚えはあまりないんですね。
かといって、しょうがないってなるまでほっといて、
18:00
でもそんなものを忘れてしまえっていう風にもならないから、
だからこそそんなどこまで手遅れだまで置いておくってことはないですね。
成す術がないってもうよっぽどですよね。
でも子供がいる親でもこれはどうしもないとか、
学校の先生でもこれはどうしもないぞっていう心境になるときはあるんだろうけど、
まあそれは責任感が伴いますよね、そこで。
放っておくわけにもいかないし。
でもそれだけの覚悟のある親とか教育者は、
特に教育者ってどれだけいるんでしょうかね。
ゼロですね、ゼロ。
自分が見てきた中ではゼロですね、そんな人。
逆に宗教の教祖なんていうのは、
めちゃくちゃな論理の教えを、
途中で教えの内容変えてる宗教もあるみたいだけど、
申しにしまくって途中で投げ出さないで、
それをいつまでも本物だと思って信じてるんだから、
彼らは責任感あるんじゃないですか。
あと親がですね、免許取るときに自衛隊上がりの人で、
めちゃくちゃ厳しかったらしいんですよ。
それって何かの信念なのか、ちょっと知能が低いかどっちかですよね。
だって自衛隊と教習所だったらちょっと別物なのに、
なぜ同じようにするか、さっぱり理解できないですよね。
例えばサッカーやってるのに、野球のフォームでボールを蹴るみたいな、
すごいいびつな感じじゃないですか。
なんで同じように厳しくするのか、
さっぱり理解できないですよね。
でもそういうことって結構ないですか?
自分が学生時代、厳しくされたからここでも厳しくするみたいな。
いやいや、別物でしょうと思うんですけど。
強尼っては強尼従えって言葉もあるじゃないですか。
自衛隊では自衛隊の規律を守らなきゃ、
安全確保とかいろんな意味でも成り立たないから、それはそれで必要だし。
教習所でそんな厳しくしても何の意味もないし。
野球部の先生とかで体育の時間も全く同じように厳しくする人って本当に頭大丈夫かと思いますね。
では次の話です。
自分が趣味とか何かに固執しても外部の変化がありますよね。
21:09
例えば流行りでなくなってしまうとか。
それだったら何があってもブレずにやっていこうという決心をしたとしますよね。
でもその決心というか、そもそもその趣味自体の不十分さに気づいてしまうんですよ。
自分が何か本当にポッとするときって、もう本当に意味を感じるわけですよね。
他のものでなくて、だって人生の中でですよ。
あまり時間って難しい概念について語りたくないんですけど、時間限りがあると。
その中でやれることを限られている中で、
簡単に言うとポッドキャストを聞くために聞ける時間なんて限られてきますよね。
24時間ずっと聞いてるわけでもいかないし。
その中でどれか選んでやるってことは相当な意味を感じて、
それを別にやらなくてもいいわけですよ。何もやらなくてもいい中で、
それをやるっていう決心をしたところで、
今たまたまそれに意味を感じてるだけで、
物事にそもそも意味なんてないってことに気づくし、
これはそんな崇高なものではないと気づくんですよ。
いつどうなるかわかんない。そんなものなくなってしまうかもしれないし、
興味なんて薄れるかもしれないっていう不十分さに気づくんですね。
その不十分さや矛盾さに気づいてしまう。だから絶対的だと思うものじゃないと始めれないんですよ。
そして執着できないんですよ。
さっき言いましたよね、最初に。執着できないと続けれないんですよ。
あんまり将来役に立たないなっていうものならやらなくなる。
これ別に趣味以外でもいいんですけど、将来役に立たないなっていうものはやらなくなる。
ただこれのメリットとして不安はないんですよね。
どうせ将来やらなくなるんだな。
なんていうんだろう、変な意味での執着がなくなる。
けれどもそんなものそもそも続かない。
逆に将来も続けられるっていうもの。
割と普遍的なものなら終わるっていう不安が出てくる。
これ続ける意味はあるけど終わってしまうかもしれないっていう不安が出てくる。
ですよね。
いいバランスのものがあればいいけど、
だからポッドキャストは不思議と続けてられるんですよね。
24:01
いいバランスだったのかわかんないけど。
では次。
老後に働かなくてもいいのに生き生きと働いてる人っているじゃないですか。
これはもちろん全ての人も言ってるわけじゃないからわかんないけど、
老後に働いてる人こそ生き生き働いてるような気がするんですよね。
普通逆だと思いません。
もう飾らなくていいなら、
やる気持ってやる必要もないのに生き生きとしてるように見えるんですよ。
老後働くって飲食店でも割と安い賃金でやってたり、
食卓なんかでも安い給料でやってたりする人も多いと思うんですけど、
人間って義務感で何かやるよりも
多少あんまり意味なかったとしても、
自分の意思でやられてると思えるもののほうが生き生きできるんですよね。
それに本当に意味があるかどうかは別なんですよ。
あとは今回も話してる、いつでも辞めれるっていう、そういう賑わがあるっていうこと。
だから羨ましいんですよね、そうやって割と自由な感じで
いつでも引退できるっていう人は羨ましいですよね。
スポーツ選手なんかでももう十分稼いでる人とかは羨ましいですね。
人によっては何もやらなくて暇なら、
それだったらこうやって何かしてることが幸せだってことに気づいた人は幸せ者ですよね。
普通は働かなきゃいけなくて働いてると思ってるじゃないですか。
でも実はそうではなかったって気づいた人は幸せですよね。
とにかく働けない自分は不幸せでしかないです。
では次の話ですが、
この前朝はですね、親が電話してて、
そのせいで母親がそれを言いに来てて、ちょっと出るの遅れるって。
でもですね、一向に部屋から出てこないから、
うわぁ今日、風邪ひいたのかと思って前日も
5分からずっと2階にいて、
いやぁそれで、今までは多少のことあっても出かけたけど、
別に家に行ってもいいという甘えが出てきたのかなと思って。
いやぁもちろんそうやって出かけてくれてるのはありがたいのもあるけど、
ただその甘えの感じが嫌だし、別に2階にいていいわけじゃないし、
確かに以前よりはやることはできたけども、
いやぁそれで腹痛くなってきてそんなことしてたりしたら、
まあ単に電話してただけだったんですね。
で、英語会撮ってるのに話しかけてくるけど無視して、
27:01
省内からもう撮り続けるしかいかないし、
2回か3回か話しかけてきたかな。
で、何があったのか不安だし。
では次。学生時代、
進路で探してて、まあ崩壊してしまったんですね。
自分にできる仕事を探してて崩壊してしまった。
学生時代みたいに崩壊しないで仕事できないか。
学生時代、そして老人時代、
何か自分がまあこんな風に崩壊せずにできる仕事を探して、
その時はなかったけど、それが見つかるんではないか。
まあ探したけど10年たちは諦めて、
でもこのことを理解してもらうのって難しいんですよね。
発達障害ってのは理解されてないわけだし、
発達障害だから働くのは難しいって人が一定数いる。
そこは結びつかないみたいなんですよね。
発達障害ってことと働くのが難しい人が一定数いるってことが結びつかないみたいなんですよ。
自分でさえ発達障害を理由に、
この結論になるのはどうかという思いがあって今でも自信がないんですよ。
学生時代いろんなこと原因で崩壊したけども、
まあそうかもしれないし、核となる何か原因があったのかもしれないし、
そうやっていくつかっていう風に分けて考えるものでもないかもしれない原因っていうのは。
当時と変化していることもあるわけです。
だから今からなら働けるのではと思ったこともあるんですよね。
なぜなら諦めつかないからですね。
でも挑戦してダメだったら、次の崩壊した時には多分命はないだろうと思うんですよ。
これでギャンブルだし、このギャンブルすること自体はいけないと思ったんですね。
自分を大切にする姿勢でも失うことになる。
虚無の中にいる自分は一瞬でも自暴自棄になったりしてはいけない。
発達障害が原因で壊れたのかは分からないし、
発達障害でも働けるのかもしれないし、
でも試すことはできない。
試したら崩壊、試して崩壊したらっていうことですよね、どうなるかってことです。
崩壊するなんて極端すぎるかもしれないが、
多分本当に崩壊するんですよ。
しかも一瞬で崩壊すると思うんですよ。
まだ今のところ犯罪したわけでもないし、
30:01
金借りたわけでもないし、
依存症になっているわけでもないし、
人から恨まれているわけでもない。
何かあってからでは遅いんですよ。
では次ちょっと哲学的な話なんですけど、自分は虚無を発見して、
虚無であることに気づき、
絶望した、戦った、克服した、ではないんですよ。
虚無の中で今までどおり生活してるんですね。
宗教辞めたからってなんで生活は変わらないんですよ。
宗教やってたとしてもやってないとしても、
引きこもりになってから生活は変わらないでしょうね。
祈りという無駄な時間が減らしたというくらいで。
逆に狂気的だと思いますね。
宗教あれだけ熱心にやってたけど、
それほど変わってないということですからね。
だから辞めたメリットがすごいあるわけでもないけど、
逆にそれが狂気的だと思いますね。
異常ですよね。
なぜ狂気的と言ったかというと、
宗教自体というのもそうだけど、
自分がもともと宗教にあってなかったんでしょうね。
でも、虚無ってことが主役ではないんですよ、
自分の生活の中で。
あくまでもそれは背景でしかなくて。
だからあまりにぎるだなって考えることってないんですよね、普段。
でも自分の土台ではあるんですよね。
これがないと一気に崩れるものではあるんですよ。
自分は宗教にあって、
自分がこれを持っていれば助かる、救われるなんてことはないけど、
ただですね、ないんですよね、本当に。
そんなもの持っていってはいけないし、
ただ発達生涯という概念と、
このニヒルということだけはずっと立てさえて生きていたというか、
していたかったこともありますよ。
自分はダンシャリが好きなんで。
でもこの2つは10年以上捨てられなかったですね。
かといって何の救いとか助けにはなってないんですけど。
まあでも維持するための条件ではあったんですよ。
あとですね、
それで言うと絶対人にはいないこと。
なんで自分にはまだないですよ、でも。
そういうものがある人っていうのは存在するわけですよね。
自分にはないんですけど、不安障害と妄想で
誰にも言えないことを作り出してしまったことがあるんですよ。
取り返しのつかないことをしたという、
妄想で苦しめられた時があったんですね。
すごい経験してますよね。
何にも犯罪も犯してないのに取り返しのつかないことをしたという、
本気で思っている時期があったんですよ。
不安の妄想で。
33:01
まあそういう経験があるからこそですね、
もう絶対自分は崩れてはいけないんだという覚悟はあるんですよ。
そんな生半可な気持ちで仕事できないかなんて考えちゃいけないっていうのは分かってるんですよ。
その経験があるから17年間こうやって垂れてきたのかもしれないですね。
あの時期があってよかったなんていうつもりはないけど、
そう考えるとちょっと不思議だなと思いますけど。
そんな時期があったからこそ、
何かあってからでは遅いことが分かってるんですよ。
いつそういうことに出会うか分からない。
大抵の人は多少こんなことは大丈夫だっていう境界線が曖昧だと思うんですけど、
分かりやすく言うと裏社会と関わってはいけないみたいな、
例えの話ですよ。
そういう生き方の境界線をはっきりすることって難しいですよね。
なぜかというとルーティンというものを設けることって難しいから。
自分が家にいるからこうやってできてるはいるんですよね。
普通に社会で生きてたらそんなこと難しいだろうし、
人に影響を受けますから、社会からも影響を受けますから。
遮断できるからこうやってできるんでしょうね。
あとは欲を出さずに今に満足するっていうことも秘訣なんですよ。
あとドラマを見ててですね、犯人が子供を里親で育ててて、
里親として育ててたんだけど、なんかいいとこ持ってかれたとか、
すごい本音で言ってるところがですね、すごい共感できたんですよ。
結構感情的になって本音が出てきたんだろうけど、
基本的にいつの考えか分からないんですよ。
例えばスポーツチームでプロスポーツ選手なんてみんなライバルのはずなのに、
チーム側が活躍してたら喜んでる姿とか見たら、
まあでも嘘をついてるようにも見えない。
どうも理解できないんですよ。
はっきりもそれで嘘ついてたらまだ理解できるんですけど。
でもその犯人の言ってるところはすごい理解で、
しかもそれって人間の悪い部分もだいぶ出してる本音だと思うんですけど、
だったら結局、世間の人と自分と考えは同じなのかなと思ったんですけど、
そういうことでもないんだとすれば、その結論はまだ早いと思うんですよ。
これ人間の心ってなんか一筋縄ではいかないぞと思いますね、これ。
よく言うじゃないですか、本心とか。
いやそういうことでもないような気もしますね、もちろん。
それもあるけど、心の奥に何かはあるけど、
36:02
もう一つ言えるのはそうやって、
自分もかなり嫉妬深いというか、
いいとこ持ってきやがってみたいな、
すごいその感じわかるし、
でも普通そんなこと表せないけどね、人って。
これは普通だったんだなと思うし、
じゃあ他の普通の人と同じ部分もある?もしくは似てる部分もあるはずなんですよね。
でもないんですよね。
まあ一つここでお話ししとくことがあるとしたら、
いくら自分が頭でハードコードを考えて、
ボーダーラインの人の思考回路を理解しようとしても、
どこかいびつな形になってしまうと思うんですよね。
情けないね。では次の話いきますが、
もしそういうちょっとした嫉妬的なことがあるんだとしたら、
100%スポーツ選手、他の人ホームラン打ったら、
そんな単純なことは絶対嫉妬するはずなんですよ。
お前の方が活躍しやがってって。
っていう話なんですね。
ちょっとしたことで自分は嫉妬するんですよ。
これやってあげたのは自分なのに、
なんかいいと思って持ってかれて、
自分は目立たなくてみたいなことに気づいてしまうんですね。
ちょっと神経質なんですよね。
心が穢れてるどうかという話とは別だと信じたいですね。
あくまでも気づくかどうか。
美味しいところや成果をさらっていかれる時の強烈な悔しさだったらあれやしないね。
人がそういう嫉妬してるところを見ると、
腹立たしいんですよ。
大っ嫌いだった英語の先生が、
世界一嫌いな英語の先生がですね、
わざわざ自分は進路指導室の前の廊下を雑巾で拭いておいたからっていう、
その成果を持ってこうとしてるあたり、
そういうのは大っ嫌いなんですよ。
人の振り見て我が振り直せないくらい本当に、
自分はそういうところは嫉妬にしてしまうんですね。
あと自分の方がこれの価値とか分かってるのに、
他の人が説明しちゃって、
いいところ持っていかれるなんてこともありましたね。
いやーこんなこと思い出さなきゃよかった。
でも単純にそれを出さないで、
他の人も同じように持ってるんだとしたら、
いやー人のこと言うのもあれだけど、
39:01
すごい嘘つかれてるような感じがしてしまうな。
自分はそこの辺だいぶ人とずれてるなと思ってきたわけだけど、
他の人も同じように持ってて、
いやでもやっぱり自分には嘘に感じてしまうな。
そうやってホームランを他の人が売って、
あれだけ喜んでるのは嘘に感じてしまうな。
で、そこでヒットしてないと思い込む作業は
自分は小学生の時にしてましたね。
そうやって自分に嘘をつくのは嫌ですね。
この変なプライドが自分を孤立させる原因だったんでしょうね。
だから正義感強い人っているけど、
もっと根深い何かを感じますよね、これ。
あとやっぱり自分の太いくさにはとても悩まされてる。
こともお伝えしなきゃいけない。
今日は英語会を取らなくて、
その分じゃあ何かをするかって埋め合わせをしたくなるんですよ。
で、いろいろ考えて計算して、
で、その分メモしてる分を話して、
いやーでも今でも悩んでました、英語会今日取っちゃうか。
で、余計なそういう計算に時間をかけてしまうんですよ。
まあそれ自体に悩んでること自体がストイックな表れなんですけど。
あとさっきはしょうがないって言葉についてちょっと話させてもらって、
次はとにかくって言葉ですね。
ある心理学の本で出てきてそれから気に入ってる言葉なんですけど、
特に自分はですね、不安な感情って常にあるんで、
なんとかこの不安な感情を一回格納して、
まっさらな状態で何かをやりたいっていう考えっていうかあってですね。
だからそういう時こそとにかくって、
まあ自分ができてるかどうかはわかんないけど、
本当はそうした方がいいんですよね。
でも昔よりはできてるのかもしれないけど、
とにかくとりあえずはやってみようっていう。
まあとにかくじゃなくてとりあえずか。
だから何か集中できない時って、
どうしたら集中できるかなって考えますよね。
でもとりあえず目の前にあることをやってみる。
順番逆だと思うんじゃないですか。
集中できるようにしてから準備が大事だと思うんですけど、
とにかくやり始めたら自然と集中できるようなものなんですよね。
自然とそんな不安な感じなんかもなくなってくるんですよ。
だから何か思い悩んでる時こそいい言葉だと思いますけどね。
とりあえずやってみるって、なんかその場しのぎな感じしますよね。
でも人間の行動上それがあってるんですよ。
とりあえず何か問題が晴れてからじゃなくて、
42:02
とりあえず目の前にあることをやるっていうのが順番的には正しいと思うんですよ。
ちょっとこれ具体的などんな話だったか忘れてたんですけど、
普通ですね、成長の感覚を持ってたら、
例えばAという考えを持っていたいとしますよね。
それは何でもいいんですよ。道徳心でも何でもいいんですけど、
とにかくAという考え方が正しいと思ってて。
でもですね、やっぱり救われる方に行ってしまうんですよ。
強度幻想により他の人が違う。
他の人というか、生きてると、
とにかく救われたいんですよ。そっちの方に行ってしまうんですよね。
でも自分は、この話何が言ったかというと、
正義感が強すぎて、正義感ではないんですよ。
請求感みたいなものが強すぎて、
そのAという考え方を持っていたい場合、
そんなものほとんどないんですけど、もしそういうものがあったとして、
もしその考えを捨てる、Aという考えを捨てるぐらいだったら、
命なんかなくてもいいと思うぐらい、
そこのプライドって大きいんですね。
ただ、まあこれ具体的なことは忘れたんで、
ちょっと何のことだか自分でも何言ってんだかわからないんですけど、
まあまあでも、多少伝わったかなと思うんですけど、
とにかく普通は救われる方に行ってしまうんですよ。
本当はこういう考え方が素晴らしいと思ってても、
みんな、でも結局こんなこといちいち言ってられないし、
まあでも、自分は理想論ってものが嫌いなんですよ。
イディアとかリセロンとか、まあ宗教でそういうこと言われたからっていうのもあるんですけど、
単なる幻想でしかないからそういうもの嫌いなんですけど、
でも世間の人はそういうものを持ってるはずなんだけど、
でもAという考え方は理想論にしか過ぎないから、
してるんですよね。
そっか、なんか矛盾してますね。
逆にBという考え方が理想的だからそっちに行く場合もあるのか。
自分はAという考え方が理想的だからっていうことではないんですよ。
それを持ってるってわけじゃないんですよね。
普通の人はだって理想的な方を選びますよね。
そんな現実的主義でもなければ。
まあでも前提が間違ってたかな。
世間の人はだから真実かどうかわからないから採用するかどうかで2分してしまう。
世間の人は不確実、理想ってことが不確実ってことですから。
45:04
それを仮採用するか自分は、そんなものを不採用としてしまうかの違いであり、
はっきりしたコントラストになっているわけじゃないっていうことかなと思います。
対極になってないってことですね。
っていうのが自分の何の自信もないですけど、推測ですね。
つまり理想、つまりじゃなくて、
だから理想的な方を選ぶ人もいるってことです。
世間の人で。
それなりにたくさんいる。
半々かもしれないしわかんないけど。
理想なんてものより地に足ついて考え方の方がいいっていう人もいる。
でも自分の場合は、
単なる理想論っていう時点で、
理想論でしょ、それは理想論でしかないでしょと。
それを選ぶということ自体はもう嫌ってる感じですね。
生きる姿勢として。
あとですね、芸能人のお兄さんが占い師やってる人いて、
いや、ただで占い師してもらえるのかなとか、
いや、そこはやっぱり仕事だからお金払うのかなとか、
でもそんな行儀良しくしたら帰ってあれかなとか、
変な空想をまた食事中にしてしまうんですよ。
なんででしょうね、食事中にその空想始まるんですよ。
で、変な空想になるんですよ。
いや、こんな市民に相談してもらっていい兄弟を持ったとか泣いてる様子を想像したり、
いや、この二人ともいい人なんだよなとか喧嘩しないだろうなとか、
くだらないことをくだらないまま今お話ししてるんですけど。
あと占いへの猛威を弟が語ってるっていうのも考えてました。
芸能人の方がですね。
仮に世間の人で占いなんか信じてない人もいるかもしれないけど、
でも逆にそれだけで観察感があるし、
それだけ人格者だからこれだけのことを言えるんだって言ってるのを空想してました。
では次。結構ポッドキャスターでもバカだとか言ってしまってますけど、
正直ですね、自分的にはまだ全然そんなの、まだマシだっていうか、
そういう発言が出るのっていい兆候なんですよ。
本当に宗教辞めてからは本当に意味なんか感じずに生きてきました。
感じないように生きてきました。
それ以前も、特にそれ以降、その時以降、
本当に冷めてましたね。
48:02
中学生並みの中途半端な冷めだったらまだ取り柄があるんですよ。
救いはあるんですよ。
本当に冷めきってるんで、
こうやってバカだっていうのは価値判断ですよね。
そうやって価値判断できる状態っていうのは、
まあそんな悪い状態じゃないんですよ。
こんなこと言って何の意味があるんだとか言い出すよりよっぽどいいんですよ。
では次の話、次どんどん行きますか。
刺激とか挑戦とか求める人、あるいは安定求める人いますが、
まあでもあまりにも変化しないと飽きますよね。
でも自分はあまりにも変化しないので飽きるんですよ。
でも安定を求めることをルールにしてるんですね。
結構芸能人でもですね、意外にも、
毎回同じレストランに行くとかそうやって安定志向の人っているんですよ。
でも外から見てもこの人飽きやすいとかわからないですよね。
あまりにも同じ場所に行ってたらさすがに、
たまに変えてたらそれは、
というかまあ同じ場所でしかも同じものばっかり頼んでたらそれはお店変えますよね。
そしたら周りからしてみたら飽きやすく見えるかもしれないし。
でも普段それだけ極端な方で同じことをしてるからそれはお店変えるのも早くなりますよね。
逆に普段からは割とバランスよくいろいろ変化起こしてたら、
そこまで周りからしてみたら大きな変化を起こすようには見えないかもしれないし。
だからこれちょっと話ずれますけど、
普段怒らない人が怒ってたら、ことすら何かあったかとみんな思うじゃないですか。
でも普段からちょっと荒々しい人が怒ってても、
そんななんとも思わないじゃないですか。
このコントラストがあるからなんですけど、
まあこれもちょっと皮肉な現実ですよね。
普段怒ってない人はたまに怒っただけですよって。
なんで怒ってるんだって言われるのってちょっと皮肉だと思いますね。
これは社会がいけないのか、人間の脳の構造上の問題なのかわかんないけど。
本当にこの仕組みは嫌ですね。
自分はそういう捉え方をなるべくはしないようにしてますね。
多分ですね、多分これ脳の構造の問題ですね。
例えば豆腐。
最近はほんと極め尽くして、
全く変わんないんですよ。
ほとんど以前と比べたらまあ変わんないんですよ。
さすがに飽きてきましたね。
でも今言ったように、安定するというルールを変えないんで。
あと安定するっていう言葉あんまり嫌ですよね。
何でかというと変に勘違いする人いるから。
それをマンネリ化とか言って変なレッテルハウルしているから。
あんまり安定志向とか言いたくないんですよ。
51:01
なんか挑戦しない人に見えるから。
えーっと、
安定しないというのは挑戦しないというわけじゃないですよね。
安定するというのは、挑戦しないということじゃないんですよね。
挑戦する、しないじゃなくて、安定してるだけなんですよ。
挑戦とは全く関係ないですよね。
挑戦してないですよ。だからなんですかって感じですよね。
ではいい次。
世間の大抵の人はですね、自分は大した人ではないんだと思って
妥協してしまったり、比喩してる人ってあまりにも多いなと思うんですよ
で、悔しくないのかなと思うんですね
大したことないなら、それで這い上がろうとしないのかなと思うんですよ
今はですね、這い上がるなんて無理だと思ってるんですけど
でも、無理だと思っても、比喩する必要なんてないと思うんですよ
自分はこんな人間でしかないみたいに
あわせば自分が入った宗教では、完全なスピリチュアルであれば
そんな風に決めつけないで、自分はこういう人間だと決めつけないで
魂の成長をしましょうみたいな、くだらない
くだらないって投げ捨てられたら楽ですけど
そんな個人の意見で追われたくない性格なんで
この宗教だから、ちょっと自己啓発混ざってますよね
魂とか言い出した時点でちょっと怪しいですよね
救いになればそれでいいはずなんだけど
そこから魂の成長に結びつける時点で飛躍しすぎだと思うけど
信者が信じる自由はあるけど
外部の人が教えについてあーだこーだという自由だってありますからね
推理ドラマ見てて仕返しする快感を味わって
そこから抜け出せなくなって何回も犯罪を犯すってよくあるパターンですよね
歩いて推理上の快感って絶対人間にいいことないと思うんですよ
タバコ酒とかそれもそうだけど依存するのもそうだけど
この人と一生愛していきたいみたいな
それってのはまたちょっと違うと思うんです
すごい単純な快感じゃないですよね
ビールもその単純な快感じゃないし
しかも苦味とかもあるし
でも結局やっぱり外部から体内に取り入れてるから中毒性はあるし
ビールってすごい厄介なものですよね
だから仕返しするのって怖いと思うんですよ
54:00
自分にとって怖いことだと思うんですよ
その甘い蜜を吸ってしまったら
とどまることを知らないから
でも世間の人はほとんど仕返ししますよね
大人になっても
軽い仕返しとかしますよね
よくそれで踏みたどまってるなと思うけど
その快感を味わって
だって嫌なことをしてきた奴に
言い返しってすごい快感じゃないですか
それを覚えないほうがいいと思うんですよ
人間も動物ですから
あまりそういう報酬系をそういうことで刺激しないほうがいいと思うんですよ
あとちょっと今日面白いと思っちゃったんだよな
ドラマですね
まずですねその前に
割と美人として描かれてる人は本当に美人だったんですよ
これ近年もあれに見る
お綺麗さんだなと思って
元乃木坂の子で
この人はめちゃくちゃ美人なんだけど
不思議なものですね
これ比べてみてしまうからそっちの方はあまり
美人に見えなくなるし
でもこの人はこの人ですごい美人なのに
そうやって3枚目じゃないけれども
そういうまた別のキャラもできてすごいなと思ったんですけど
そんなことはどうでもよくて
この人が
ある超人気女優の
旦那さんの超人気
俳優さんと浮気したみたいで
いやどっちが仕掛けたのか
考えてみたけどどっちだとしてもですよ
いやすごくはないですよ悪いことなんだけど
まずは超人気女優さん
旦那さんでさえいいと思う
この新人女優さんって何者だって話だし
そんな浮気なんかしなさそうな
本当に品が良さそうなんだけど
人間って分からないなと思うし
浮気するってことは奪ってるようなもんですよね
もう悪いことをしてるってのも分かってる
いやその背徳心が素晴らしいとかいうことを言ってるんじゃなくてですね
かといって別に単純に
なんか悪いことだ
いや悪いことなんですけど単純に悪いことだ
っていう風にも捉えられないっていうか自分はですね
なんか面白いなと思っちゃうんですよ
人間って
もちろん対外の舵として扱ってますよ
これ自体は
縁ためだからいいんじゃないですか別に
夜撮っております
これ再三お話することになりますが
今日もちょっと気付いたことがあって
食事中のことで見つかるよとか話あるんですけど
まずですね
57:01
たまに
今何食べてるか分かんなくなるときあるんですよ
でじっくり
これはこういう食べ物だと観察して
別に絵を描くわけでもないのに
しっかり観察してしたらですね
必ずしっかり味わえないんですね
普通逆じゃないですか
どんな食べ物か分かった方が
視覚的にもしっかり味わうことができる
はずですよね
普通そうなんですよ
どんな食べ物か分かってないと
例えば目隠ししたら
味は感じづらいと思うんですよね
でこういうことがなぜ起きるかというと
やっぱりその感覚と
意識とのずれですよね
結構そういうことがあるんですよ
誰でもあると思うんですよ
でもですね
たまに感覚と意識が
一致してるような状況があって
逆にそれって不自然なんですけど
そういうときってですね
全く
味の記憶が残ってないんですよ
つまり
無意識に食べてるような状況なんですね
よく
瞑想状態とか
スポーツ選手で
完璧に集中できてるような状態
まあいいや
そういう状態なんでしょうねきっと
でも自然ではないんですよ
普段そんな状態にならないからですね
なんないですよね
人間が感じる違和感って結構
感覚と意識のずれがあると思うんですよ
感覚イコール意識だと思ってるけど
実はそうではないっていうことのずれによる
違和感って結構あると思いますね
錯覚とかそういうのもそこから生まれてくるんでしょうかね
まあ調べてみたいですけど
あとはですね
食事中
最近なんか豆腐食べてるときは特にそうだし
夕食のときもなんか
しっかり噛まなきゃいけない場合とか
途中で疲れてくるんですよ
だけどそこで
気を抜いたり
集中力を
落としてしまってはいけないんですね
だから一瞬も隙を与えないんですよ
でそれって筋トレより
きついんじゃないかと思うかもしれないですけど
筋トレと違うのは
絶対にやめれないことですよね
途中離脱できないってこと
だからある意味で筋トレよりきついし
でもある意味でも筋トレより楽なんですよ
筋トレと違って継続しなきゃいけないんでね
ある意味きついんですよ
1:00:02
あと今日はですね
またやっぱり手洗ってるときかな
やっぱり
英語会
夜撮っちゃおうかなとか
考えてました
あと今日はまあ
話すことも多いし調べることも多いんで
ちょっと難しいけど
結構プレッシャーかけすぎですね
せっかちすぎる
せっかちすぎるんですね
まあこれが災いとなって
最近は大変なことになってて
やっぱり場所と感情って一致しますよね
まあ心理学でもこういうこと言う人いるのかな
わかんないけど
台所ではこういう感情になり
こういうことを考えて
食事中は
なぜかわかんないけど
自分はそんな
キャッパがあるわけでもないし
同時にいくつと思ってもできる
それはわからないけど
なぜか食事中は
いろんな空想をしてしまうんですよ
しっかり味わってるのに
親と話してるときはいつも
裏切られそうな感情になるし
動画見てるときは
なんか忙しない気分とあとは恐怖心と
ひどいもんだし
寝てると横になったら
全くリラックスできないし
人間関係もそうですよね
こいつと話してたら
常に気分が悪いってこともありますよね
今日の夕食は
ポテトサラダ
だいぶスパイシーなポテトサラダ
あとササギなんですけど
アスパラみたいなササギ
これがちょうどよかったんですよね
今日はフライドチキンですね
ケンタッキーのとはだいぶ違って
唐揚げみたいな
フライドチキンなんですけど
これが
すごいジューシーなんですよ
フライドチキン
ケンタッキーのよりも
ジューシーなんじゃないかと思うくらい
すごいジューシーで
あとアスパラ
なんですけど
今日昼食食べてるときはですね
服が体に当たってるような感じがして
いやそれは服着てるから当たり前なんだけど
あと夕食のときは
足がちょっと感覚が変な気がして
またいつものなんか
足が浮いてる感じがするんですよね
それとですね
まずいっちゃうか
あと今日
1:03:03
昨日の残りだった
親子から
鶏肉のカツ丼なんだけど
カツ丼の上の部分だけ
いや今日
いやちょっとストイックすぎるからなのか
なんか楽してしまうような気がしてて
なんか楽し
いやそんな厳格気があるわけじゃないんだけど
楽してるとき
なんか悪いことが
夜の場合起きてたような気がして
記憶は曖昧なんですけど
でも食事中は
本来そんなこと
よく考えてはいけない
でもあまりに無理して
やるのもおかしなことで
うまくいかないってのも分かってて
バランスを
そこはとっちゃいけないんだけど
ある意味バランスはとってて
でも本来なら食事中はですね
考えてはいけないで
考えなきゃいいっていう
でも
別にそこに安心感を求めてるとかじゃなくて
単なるルールでもなくて
とりあえず考えない
ってことをしとけば
変な侵入思考とかもないし
虚無感に
押されることもないし
ちなみに仏教的に言うと
煩悩をなくそうとしたら
集中するつまり
善情とかでも
思考を止めてしまう
ってことですよね
それは煩悩と呼ぶかどうか置いといて
とりあえず考えを止める
そのためには別に
集中しなくてもいいんですよ
集中しようとしなくていいんですよ
というよりは
それだけじゃ不自分なんですよ
自分の場合
とにかくさっき言ったように
とにかくとりあえず
とにかく
アスファラを食べているときは
アスファラに集中して
しかも停止をしてはいけない
これ脅迫性障害の治療法
でもあるんですけど
脅迫行為をしてしまいそうになっても
それはうまくいかないかな
脅迫行為をなくそうとして
無理したって
それに慣れていくなんてことは
経験ないですよね
気づいたらそれができるようになってる
というのが自分に合ってるんですよ
ただ似てる部分はあると思うんですよ
そもそも脅迫性障害を治すためにやってないし
とにかく虚無感に襲われたり
思想になったら
というのはそうだし
思想になるなんてことが
起こるとっくの前から
1:06:01
というか毎日
必ず
食事中はそういう意味もあって
例外なんか作らないで
とにかく
とはいっても
できてるかどうかは
わかんないですけど
できてないという意識が
あればいいんじゃないですか
一応毎日そうやって
いろいろ考えますよ
虚無感とかこんなことして
何の意味があるんだ
生きてる意味なんか
何なんだって
とりあえずというか
そういうルールなんですよ
食事中というか一日ずっと
止まらないということを
してるんですよ
なんていうんだろう
イメージ的には
考えより行動が先に来てるというか
いろんなことを考えていても
でも行動は
それとは関係なく
してるような感じなんですね
不思議なもので
そんなことやってるのは
わかってたけど
こうやって話してて
少しずつそれが思い出されてきました
意識ができて
しかも言語化できてますね
最近ちょうど
番組名に入れようとしてたこと
実はわかってなかったんですね
あとテレビ見てるときとか
画面見てるとき
スマホはものそうなんですけど
集中しようとしなくてもできるから
逆に恐ろしいんですよね
逆に集中しようと
力が失われてるような気もするし
なぜかというと集中しようとしなくてもできちゃうから
結構これに救われてた部分もあって
でもこれがなくなったときが
恐ろしいけど
以前はですね
脅迫関連が出てこないように
ものすごく集中してたけど
テレビを見るようになってから
テレビを見てる
時間以外です
あまり
そういう心理思考ってなくなってきたんです
集中力が失われてるかどうかを置いておいて
一日全体の
集中力が
あるような状態かもしれないです
でもさっき言ったようにやっぱり感覚と意識のずれってあるんですよね
それこそ意識がしっかり味わおうとすれば
感覚的に
それはしっかり
味わえてるかどうか分かんなかったり
あとは
しっかり記憶に残るくらい
今こういう味がするなって
認知できてるときって
実際味覚は
それほどはしっかり働いてないんじゃないか
と思うんですよ
逆に味覚が
しっかり働いてるときは
どんな記憶だったかなんて
覚えてられないと思うんですよ
1:09:01
そこのずれってあるでしょうね
でもしっかり味わえたら
それは
しっかり味覚で捉えたと思うじゃないですか
うちら
同時進行で起きてると思うじゃないですか
学生時代の話なんですけど
自分の空想の中では
担任がみんなに言ってくれたのかな
とか思ってるんだけど
相当悩んでたんで
先生も心配してたんでしょうね
あるやつが
進路悩んでるの知ってか
文系に行ったら
って言ってくれて
そいつに
失礼なことを言ってしまったのか
勘に沿わることを言ってしまったのか
それが悔しくてですね
そうやって
普段から仲良いわけでもないのに
そうやって
アドバイスしてくれて
寄り添ってくれたのに
嫌な思いをさせてしまって
こんなことが学生なら
誰でもありそうですけど
自分はそれ以上
10年以上悩んでますからね
悔しいんですよね
寄り添ってくれたからこそ
なんでそいつに
そんな嫌な思いをさせてしまったのかと思うと
あと
いくつか
思い出せないんですけど
もう一つですね
話そうと思ってたことがあって
違うか
今ちょっと調べてたことがあって
ある俳優さんなんですけど
リリー・フランキーさんなんですけど
こういういろんなことをやる人
以前はあんまり好きじゃなかったんですよ
うちの親もそうなんだけど
なんか
一つのことを
コンスタントにやるんじゃなくて
いくつもやる
あるいは
あいまいまにやるみたいな
あんまり好きじゃないんですよ
そういうのって
だから一郎みたいな人のこと
ほうがわりと理解できるやつ
でも
逆に自分は
後者なのかな
前者なのかなとか
思うんですね
確かに
ルーティン自体は毎日
続けることだけど
何かにエネルギーを注ぎ込もうとして
やった場合はきっと
前者のタイプになるのかな
と思ってて
親とはまた違うんだよな
でも結局根本は似てるのかもしれない
だから
でも最近だとわかるようになってきたんですよ
そういう人っているんだよなと思って
一つのことにエネルギーかけて
例えば
小説にすごいエネルギーかけて
でまた何年も
休んで別のことをやってる
そういう人っているじゃないですか
俳優、芸能人で
ずいぶん
短期進駐な人って
いると思うんですよ
1:12:01
ものすごい売れて
ちょっと海外行ったかと思ったらまた帰ってきて
ちょっと別のことを始めて
みたいなことする人っていると思うんですよ
でそのエネルギーの書き方が違うんですよね
一曲集中でやるか
コンスタントにやっていくか
だから以前よりは理解できるようになったんですけど
でこのリレーフランキさんがですね
この
なぜ魅力的に
みんなが思うかっていうと
すごいバランス感覚があるみたいで
ちょっと珍しくて
悪く言えば
どっちつかずみたいなことだけど
でもそんな悪い意味じゃないんですよね
悪いってことじゃなくて
単純にこういう人間だとは言い直すね
でも単にバランスがいいとか
中立的とかじゃなくて
なんか人とやっぱりどっか違うんですよ
でも単に偏ってるわけでもないっていう
もう説明しようとするほど
野暮な感じ
ぐらいなんですよね
これはなんかすごい
羨ましいと思うぐらい
魅力的だなと思いますね
っていうか
到底
そんな風になれないんですけどね
憧れはしますよね
ないものでありなんかも
しないといった気だから
やっぱり憧れてしまいますね
そういう人には
そんな人あんまり見たことないですけど
珍しいですよ
ありがとうございます