良い人と悪い人の考察
今回は、性善説・性悪説みたいな話で、良い人悪い人を入れるか、逆に悪い人を入れるかという話になっております。
これを考えるときにいつも思い出すのが、
倉木の高校生の時の観念が、 倉木的には本当に良い人だったわけですね。
大変お世話になったし、でも親友は大嫌いだって言うんですよ。
他の先生でもね、クラスメイトで、
というか、ほとんどの学年の人から嫌われているんだけど、
倉木と同じ部活のやつは、嫌ってなかったり。
こういうことはどうして起こるかというと、
見えている部分が違うからでしょうね。
解釈の違いじゃなくて、
悪い部分が倉木には見えていなかっただけなのかもしれないですね。
他人の先生については。
何で言ってもこれについて考えるときは、このことを思いつくかというと、
どう考えても、倉木にとっては良い人でしかないわけですよ。
で、この後話すんだけども、
まあ結論みたいなことになるのかな、これが。
倉木はね、良い人ってのは自分にとって都合が良いだけかもしれないなと思うんですよ。
だから自分にとってその教師が都合が良かった。
だから今の話で言うと、良い部分が見えてたわけですよね。
良い部分しか見えなくて、自分にとってはそれが都合が良かったわけです。
友人にとっては都合が悪かったわけですね。
例えば迷惑をかけられたり、嫌なものにさせられたり。
そういうところが倉木との係ではなかったということですね。
そもそも倉木は、迷惑をかけられる、あるいは理不尽な言われ方をする、
あとはトラマを作らされるっていうのが都合が悪い人なんですね、倉木にとっては。
そこの比重が大きいわけですよ。
まあ多少人間的に問題であっても、自分にとって、
自分に迷惑をかけてもなければ、それほど問題はしないわけですね。
だから他の人にとっては
都合が良くても、倉木にとっては都合が悪いってことは、
よく起こることなんですよ。 その逆もしっかりですけど。
倉木の経験
以前、エピソードで話しましたように、正善説・正悪説についての議論は
とにかくどちらが正解とかじゃないんだけど、どちらでもないっていうのが一番タブーだと思ってて。
で、前回は、その話してる時はね
正悪説を信じるって言ったんと思うんですけど。
ちなみにね、この谷は本当に珍しいパターンで、大抵はね、
そうやって迷惑をかけられたとか思って嫌いになる、つまり自分にとって都合が悪い人たちばかりでした。
倉木の人生周りで関わってきた人はそうですね。 家族も含め親戚もそうだし。
自分にとって都合が良い人は、つまり 良いと思う人ってね
ほぼほぼいないですね。 ただ
普段ね、この人良い人だと思う場合、今回説明する間はあれだけど、
倉木にとっては本当に良い人だと自分では思っているわけですよ。
都合が良いっていう言い方をするとね、
言い方はあれですもんね。普段はね、
都合が、こいつはいいとかそういうふうには思わないですね。
この言葉のニュアンスだと、都合よく操ってるみたいな言い方だけど、
自分に操作してるっていうことではないですからね。
まあでも、単純にね、都合が良い人イコール良い人だとは言い切れるようなものでもないと思うんですよね。
自分にも見えてない部分でのね、
ことも考えないといけないと思うんですよ。 単純にただ、
良い部分が見えてるから、そういう人にとっては良い人で、
他の人にとってはまた違って、どっちとも言えないんだっていう単純なものではないと思うんですよ。
かといって、良い人悪い人ってもちろん割り切れるものではないんだけど、
大変ややこしいようなシーンもなってるし、さっきの正善説、正悪説、
どっちから見なきゃいけないっていう話からしても、 矛盾してるのも分かるんですけど、
だからしょうがないですね、でも。 今話した独占の個人から見て良い人悪い人。
例えば北海道民の方はこの人良いと思う。でも北海道の県からの人からしてみたら、
あれだと思う。で、日本人のほとんどの人はいいと思うかもしれないけど、
でも外人から見てみたら、 あれってなる。あるいは
一般を受けしやすい性格がどうかってのもありますよね。
あとは、好まれる人には好まれるけど、
嫌われる人には嫌われる。だから好き嫌いがすごい分かれるっていう人もいるでしょうね。
逆に、今言ったように、
割とお方に、 無難に好まれる中立的な人もいるでしょうね。
尖った人なんかは、 非常に嫌われる人もいるだろうし、逆にすごい好きだって人もいるだろうし。
まあそういう人ってすごい仲良くなる人もいて、 友達もできて、でも
あんまり幅広く友達作るっていう感じにはならないでしょうね。 まあそう考えると
いい人だから友達が多いかどうかって言うと、 難しいけれども多くの人にいい人だと思われる人はやっぱり友達が多い傾向にあるだろうね。
でもこれもある意味では多くの人にとって 都合がいいだけなことなんですよね。
まああと、 それだけ中立的で
まあ常識的な範囲内で収まってる性格の人って、 多くの人にとっては都合がいいわけですよ。偏りがないから。
話が通じるし。
まあ都合がいいだけなんですね。 だから割とこの人は人がいいねとか言われる場合って、そういう場合が多いかもしれないです。
逆に尖ってる人はね、どうしても悪く見えてしまうし。 あとは人間ってね
いい人がいると信じたい部分もあると思うんですよ。 だから生前説ですよねそれは。
生前説は 性悪と説と違って本当に
そう思い込んじゃってる人もいるんですよ。でもそれって 自分でもね、怪しいってのはわかってても
人間の二面性
そうであると信じたいんだろうね。 まあそういう人って結構無防備になって
犯罪にあいやすいのかなと思うんですけど。 世間の人はみんないい人だと思っちゃってるから、うん。
そんな悪い人なんていないと思い込みたいわけですからね。 いや残念ながら
だとしたら犯罪なんて起きてないわけであって。 今回の話においても
まあいい人
はっきりいい人だとこの人いるって
まあそういった存在がね ある程度いてほしいと思うだろうし
そんな
まあいない程 っていうのであれば
なんか生きづらいなぁと思う人も多いだろうし でもクラゲもね、ネガティブに考えてた時期は
いやーみんな悪い人に見えてね まあそういう時期もありました。小学生の時なんかも特にそうですね
でもそれを通過するとね、なんかね そういう時期を通過すると
なんか諦めの境地になるんですね だからみんな悪く見るんじゃなくて、いいとも悪いとも思わなくなるんですよ
諦めの境地でしょうね
だから都合よく捉えてるのと真逆ですよね
どっちがいいというわけではないんだろうけど
まあこの話はクラゲですよね、テレビ見てて この人はいい人だなぁと思うこともあるし
その時はね 人間に裏の面もあるなんて忘れちゃうわけですよ
ということで、まあその話ですね
二律背反とまでいくかわかんないけど人間には二面性がある と思ってて
クラゲもこの自分の二重人格と この二面性っていうのの
区別をつけるために非常に苦労してきたんですけど とりあえず二面性ですね
天使の部分と悪魔の部分とかいろんな例え方されるけど これについて考えるときいつも思うのがね
やっぱりお金とか時間に余裕のある人は
本当に余裕があっていい人間になりますよ で余裕がなくなったらね急に大抵の人は評偏するんですね
あわせば北大に受かった人がね 高校の先輩でいて
みんなに飴配ってたんですね こんなのもまあ実験が終わったからああいうことできるわけですよ
でクラゲはその余裕があって 余裕が生まれたことによって
すごい人が良くなった人がたくさん見えてきましたね 冒頭で言った
良い部分が見えてる っていう話と今の話で言うと
またその 時期が
そういうふうに見えてた 良く見えてた そんなこともあるわけですねだから
1年前だったら違ったかもしれないし 1年後も違うかもしれない
だからクラゲもありますよ この人本当に良い人だと思ったけど悪い人に変わった
逆もありますね塾野先生なんか 最初は自分にとって都合が良かったわけですよ
本当塾野先生なんか 良い人悪い人ってよりもとにかく自分にとって
とって都合が良かっただけなんだけど まあ良い人だと認識してしまってたなんて
典型的な例ですね 勉強もちゃんと教えてくれるし
良い人がどうかなんて厳密にそうやって捉えてたわけですよ
で勝手に都合が悪くなったら悪い人だと 判断してしまったわけですね
悪い人に変わったのは
割とクラゲに当たりが強くなってからかな だから本当に自分の都合で考えちゃってるわけですね
でも まあまとめですがどうやってもね
都合が良いかどうかで話してしまうのが人間だと思うし
どんなに良い人だと思っても都合が良いだけのことなのかもしれないですね
でまあ宗教的な意味で言うと
人学者とか存在するんだろうけど 悟りを開いてるとか
すごい教師とかクラゲの習記でも言いましたよ 上の人たちはね
それだけ神に近い存在とあがめられるわけですよ それではしたっけ