天職の存在について
今回は人間にとって天職はあるかという話ですね。これは倉木がね、小一の時から悩んできたからこそ
話せる話だと思ってちょっと話していきたいと思います。 まあ最初進路で悩み始めた頃は
宗教当時やってまだやってましたので 天職はあるという考えでした。ただ
その宗教ではね、 まあこれもよくわかんないんだけど
何か特定の宗教がその種にあっているというよりは 人を助けたいとか支えたいとか
そういう割と抽象的な 使命があって
それなら何の仕事でもいいっていうね ちょっと無茶な考えでしたね
とはいえ 何の仕事でもいいということでもないだろうし、まあ自分の解釈の
で、仕方にもよるんですけど まあもちろん適当な教えでしかなかった
からそうなってしまうんだけど
でもある程度で決めるってできないんでね。どうすれば本当に自分に合っているものを
探したいと思う。ああ、ここで 今回はねもうちょっと細かく話さなきゃいけないですね
自分に合っているのが転職なのか 自分が得意なのが転職なのか
自分がやりたいのが転職なのか。これもちろん大抵の人は一致するんだけど クラゲにとっては得意とか興味とか全然一致しないんで
別に全てが下手の横継ぎでやってるわけじゃないけど 一致しないんですね
何をもって転職という文化
もちろん定義なんかあってないようなもんでし だから定義がない
以上考えても意味ない
いや違いますね。定義がないから考えたら意味ないっていうか まあまあそもそもはね
まあ宗教寺見てるし
まあ結論になってしまうかなこれ ある意味での結論なんだけど
まあ転職なんて人間の頭にあるだけで この物理空間には存在しないですよね
要はこの仕事が自分の 人生の使命をやり遂げる
っていう この仕事ならっていうそういう概念でしょ
仕事に対するそういう気持ちなわけですよ
気持ちというかそういう概念ですよね 神と違って
ないと証明されているわけではないけれども
でも神と違って神ってのはただの概念じゃなくて っていうふうにとらえてまだないものはないんだけど
ないと証明された時点でないと分かって でも転職っていうのはどうでしょう
宗教的にはあるんですかね だとしたらないと証明されない限りは
一応 クラキが何とも言えないけども
だから宗教的な意味ではね ないとは言えないけど世間の人が意味するとこの
転職これに関しては定義が曖昧だから
あるとかないとか議論してもあんまり意味ないんだけど
とてもとてもややこしい話になりそうですね 宗教的な意味では
好きと得意の違い
今のクラキも転職があると思って 信じてやってましたね
またさっき言っているようにクラキの宗教ではこれが転職だみたいなものはある っていう教えではなかったんですけど
まあでも教祖の考えはよくわかんないです いろんな本読みましたけどね
それでいて独自の個人に対して あなたは医者になることが
使命なんだとか 言うわけですよ
まあ宗教に似たものの話はもういいんだけど だからその宗教は宗教で
あなたは前世孔だったから とか前世流法でもね
これが転職だとか 宗教的な意味ではあるかもしれないですね
教祖がそれは転職だと言えばもう転職ですから ちょっと話ずれるんだけど
神はいないと証明されてるんだけど 宗教の中では別に神様信じてても
それが宗教ですし
いいんですよね
おかしなことではないんですよ
話戻りますけど
さっきも言ったように世間的な意味で言うと 定義はね人それぞれ違うし
なので どういった意味合いで考えていくか
ですね こういった場合ってね
定義が全くないと言ってしまうと間違いですよ ある程度世間の共通認識もあるからね
全く考えない意味はないと思うんですよ で自分に合うもの
こう考えるとね 難しいですよ 何をもって自分に合うというか
それこそ自分が好きだっていう要素も大事だし まあでも一番得意かどうかですよね
でも得意であっても続けれないという意味がないですし まあでも暗き側も転職というのはやっぱり
続けられるって相当大事じゃないかなと思うんだけど 続けられるイコール
それだけそれに対して快感も覚えてるし 私すでに今までそれを経験してきてる証拠でもあるし
絶対人間ってね 無理してたら続きませんから
無理してしまうこととかって普通にあるわけですよ
いやっていうか無理して何とかできてる場合ってあると思うんですよ そういう場合って続かないんですよね 特にアルバイトなんてそうですね それで辞めてしまう人も多いですよね
まあでもアルバイトなんていうのは
普通に10個近くやってる人も多くて そこまでできたらいいんだけど 人生でそんな簡単に辞められないですし
仕事をそんなにいくつも経験できないから まあそういう意味では地味に青い仕事なんて
見つけづらいですよね 実際やってみないと分かんないですから
どう来るわけは思ってます 実際やってみると全然 やってみる前までと感覚が変わると思ってますから
あと好きこそものの上手なれ
って言いますよね でも下手の横好きとも言うけど 最近そんな話はしました
で あとはそれを意味で言うけど下手の横好きでも全然いいと思ってて
下手の横好きでも
結局その人が楽しくやれてればそれが一番だと思うんですよね たとえ苦手だとしても
逆に得意だから 元々そんな好きでもないのになんか
人に勝てるしっていう そういう好きだとそれはそれで違うと思うし あまり続かないと思うし
逆に下手の横好きの人のほうがなんか続くような気もするんですよね
それが一番合ってるような気もするし でも苦手だったらやっぱり
やっぱりね人と比較してしまって っていう部分もあるかもしれない
それで続かないとなれば本末転倒ですし 難しいところですよね だから
でまぁ月こそ物の上手だね っていう考えもまぁ正しいとして
でもですよ 好きなものを仕事にしちゃいけないっていう人もいるんですよ
クラキもそう思いますね
好きなこそは 趣味にしとくか
あと長い時間やってたら飽きちゃうし
まぁある程度の時間で 節度をもってやるのがいいと思うんですよ
それこそ趣味によってはね 健康っていう面からもその方がいいだろうし
だから好きなものであればいいのかっていうと そうとも限らない
でもやりたいことの方がいいですよね これもね曖昧なんですよ
好きこそ好きなことを仕事にするなって言うけど じゃあ
人を救うのが好きでそれで 医療とか福祉の仕事を選びました
まぁコロナを判知で判らないですよね でも
ビリヤード好きだからビリヤード選手を目指すっていうのは 好きなことをやることになりますよね
そこがよくわかんないけど だから人間ってその
趣味的なことを仕事にするのってあまり良くないのかな だから好きなことっていうよりも
クラキもね あと次の話になりますけど 得意なこと
経験と才能の模索
何か これもね
必死に探したけど自分がどういう才能があるかなんてね わかんないですよ
才能が眠ってるというふうには思わないけどもね よくビジネス書で書いてありますよね
でもそういうふうには思わないけど それにしても学生時代に自分の才能なんかわかんないだろうし
だから本当に恨みましたよ いろんなこと経験学生時代できたらなんて本当に
無駄に部活なんかやっちゃってね 勉強してもそんな自分の能力なんてわかんないし
記憶力があるかないかぐらいしかわかんないし 得意なこと見つけるってのは難しいだろうしね
では続きは後半で それでしたっけ