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2025-11-13 16:43

第5100回 哲学回 科学も宗教もそう変わらない科学者も宗教家も

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このエピソードでは、科学と宗教の関係が議論され、科学的知識の信頼性や過去の科学的理論に宗教的要素が含まれていることが指摘されます。また、科学者の信念や信仰についても考察され、科学と宗教のバランスに関する考えが提示されます。科学が真理を追求する手段でありながら限界があること、宗教が説明しきれないものを補完する役割を持つことに焦点が当てられています。

科学と宗教の関係
今回は哲学回なんですけど、以前 科学もある意味宗教なんじゃないかっていう話をしたんですが、今回も
その続きになるんですが 続きというか
改めて考えたことを話してきたと思うんですが 今回もクラケの持論になるんですけど
まずですね、言えるのは うちらは科学
説明されていることを 自分で
見て確認しているわけじゃないですよね。 それを信じるっていうのは、それなのにそれを信じるっていうのは
ある意味妄信していることなんですね。でもこれって
確かにそう言われてみたらそうだし、当たり前すぎるけど、でも
科学ってもの自体、そういうものなんじゃないかと 自分でいちいちそれをね実験して
あ、そうなんですねって説明つかなければ 信じるのはおかしいかって
思うじゃないですか。 クラケも最初そう思ったけど、でも
自分で見て確認したわけじゃないのに
科学的にそういう関係があったから それはただに相対性理論であっても
ああそうなんですねってことで、信じるってのはある意味宗教的なわけですよ。 そういう意味では
宗教かもしれない。これでクラケがすごい思いつくのは 言う意味を論ですね
例えば 織田信長ってのも
名前を知ってるだけで実際見たわけじゃないんだから いるかどうかわからない
現代人はね そんなの
そんなこと言ったら 歴史なんて勉強できなくなるじゃないかと
研究もしても何の意味もないとなっちゃうじゃないかと 思ってるけどでも
それはまあある意味単なるそう思い込んでるだけであって 実際はですね実際厳密には確かにいるかどうかわかんないわけですよ
で今聖徳太子なんかいないのではないかと 言われることも
実際あるわけですよねそういうことがあって 以前だと月ってのは
見ないと見てあるって分かってる時点ではないあるけれども 見てない間はないかもしれないっていうのが
以前の物理学の人たちの考え方
でアインシュタイン以降はね そんなことはなくなったわけですけど
その頃からしてみたらアインシュタインの 相対性理論団っていうのはもう
こんなのも
なんだろうそれこそ スピリチュアルからなんかの
そんなイメージだったと思うんですよ 変な学者さんがそんなこと言ってるわみたいな
頭おかしくなったんじゃないくらいに思われてたと思うんですよ っていう意味ではその時に人たちからしてみたら
物理学っていうのは その時の物理学は宗教に
感じたかもしれないし あとは信じる人次第だみたいな
そういう意味では科学かどうかっていうのは時代によっても変わってくる
今定説されたことが後で くつがえるかもしれない
後から見ては過去のそのことは まあやっぱり擬似科学とか宗教的だったなってなるかもしれないわけですね
科学者の信念
あとフラッキーは疑問なんですけど
科学は世間の人は 正しいと思い込みすぎてるけど
これも経験則によるものですし 科学者もある程度割り切ってるところがあるわけですよ
当然それが絶対的なことではないのはわかってるし
ある程度科学者も自分で信じないとやってられない それは研究してる段階でもそうですし
答えが出た時でもそう だからこそ覆されたら次の研究が出て
間違えたのはわかればそれはもう 信じるしかないし
そういう意味で科学者自身もそういうことをするわけですから 宗教的かもしれない
けれども今の話で 勘のいい人はわかったかもしれないですけど
宗教っていうのは
矛盾があったり その後から教祖はあの時はああいうふうに言ってたけど
最近違うとか言って疑ったりしないけど 科学っていうのは常に疑い続ける
思った意味では やっぱり違いはあるんでしょうね
あとクラキオンはこれはちょっと
自分もそういうところがあるかもしれないけど
でも他の人と比べたら クラキオンは科学をあまり信じてないんで
あれだけどでも オカルトは信じてないけども科学は信じられる
まあでも誰でもそうかもしれないですよ 特に日本人
神様がいるかどうかは半信半疑だけど でも科学は
半信半疑ではないっていうのなんかは まあ科学なら信仰できる
でも大抵の人は根拠がないですから さっき言ったように科学 科学者がやってる
ことなんかは分かってないあたり
科学で言われてることは 科学的に説明されてることはそれはもう真相真理だと勘違いしてる
okですよね 例えば栄養学なんかもね 玄米は体にいいとか
こんなことは当たり前で真相真理だと思うじゃないですか
でもそんなの間違いですからね まあそういう意味じゃ
科学ってものは 何なのかもわかんないで
これは科学的に言われてることは 言い換えると科学者が言ってること
テレビに出てるお医者さん科学者が言ってることは 正しいと思うあたりは
宗教的ですよね 科学信仰なんて言葉もあるけど
科学的探求の限界
また宗教だってね 原始仏教なんかも
原始仏教なんかも完全に 仏教というより哲学だし
あと一応形としてはですよ 教宗信者は
単なるデタラメのことを言ってるわけじゃなくて 論理的に
それ人間が考えろと全部で論理的かもしれないけど 天から降ってきたわけじゃなくてしっかり論理的に
説明してるんであろうと信じる部分と
でも単に論理的にじゃなくて その教祖の
なんか超能力か何かわかんないけど 天からの導きによって何か
超人的にわかってる部分と 両方
あってほしいなぁと思いながら信じてると思うんですよ だから
一応形としては論理的なところもある
ある意味では科学的かもしれない
かといってこれも宗教の特徴だけども
一応体系立ってるように見せて
途中から何かくっつかれることもないですし それを妄信するもの 科学っていうのは
同じ体系立ってるものなんだけど
麻生研の人が経験的に これは正しいとなんとなくわかるものってありますよね
倉木はもうね 科学っていうのは
この前も 前々回から話した通り
どう考えても物理法則って
人間の都合のいいように
できてるようで つまり物理学の 倉木のもともと薄々感じてたけど
物理学っていうのは
これなんか普遍的なことと思われてるかもしれない この全宇宙についての説明のように感じるけど
何億光年先のことなんて人間が
分かるわけがないんじゃないかとか 思いがあって
あとは人間の この世界の人間の頭で
捉え方でしかない しかも人間は人間を特別だと思ってるから
それがいかにも絶対のように扱うけれども
それもどうなのかという疑問を持ってましたが
今言ったように物理法則なんてのも どう考えても人間に都合よくできてるらしいんですね
都合が良すぎるらしいんですよ ということはですよ
さっき言ったように科学っていうのは 大抵の人は経験的に
さっき言った栄養学の話なんかもあるけど 一応お医者さんの言うことも信じてはいいし
そこまでは問題のない信じても 厳密に言うと完璧ではないんだけど
まあ生活していく上で 物を作るための科学技術なんかも医学なんかも
まあある程度信じるといえば
科学の限界
便利なものだと思ってるけれども まあそういうものでしかないと思うんですね
それだけのものでしかない 皆様ここまではそういう感覚があると思うんです クラキが思うには
まあそれだけじゃなくて
うちらの都合のいいように うまく収まっていくものが科学っていうかね
もちろん真理を探求しているものではあるんだけども さっき言った物理の法則の話もそうだけど
うちらに理解しやすい形で 人間が
生きていきやすいように 理論が覆るっていう意味じゃなくて
もっと抽象的な意味なんだけど 人間に都合よく収まっていくもの
だからどうやったって限度があるっていうのかな だからクラキの持論だけどこれは
何か真相真理を追い求めていく まあ科学者もそういうつもりでやってはいるだろうけど
そもそも
これが絶対的真理なんてものはないのは証明されてますし
なんかね真理を追い求めてると思ったほど遠いことをしてるんではないか
単なるこの世界を 人間の頭で見たら
こういうふうにできてますよということを説明
する手段にしかなってないというか
説明してるだけっていうのもそうだし
うまく人間に都合よく 捻じ曲げてるわけじゃないんだけど
科学ってもの自体がそもそも そういうものだと感じる
で次宗教なんですけど 宗教っていうのは説明のつかないことを
つまり科学的にまだわかんないことを
なんとか説明つけようとして定義づけして それは正しいかどうかは意味ないどうでもいいんですねそれは信じること自体に
意味があってそういうもの だから神
日本で
石に神が宿ってると言ったり古代 縄文人はねそうやって石を信仰
崇拝してた とか
森の中に そして海の中に神様がいると思ってたのは
天才だとかそういう 得体の知れないもの
をなんとか 理解しようとした結果神様というものを
生み出したわけですよね それを神様だと定義して
でこれ最後なんですけど クラゲはとにかく疑似科学
宗教の役割
っていうものが多いように感じるし農科学も栄養学だって医学なんてほとんど ほとんどではないかもしれないけど
クラゲにはほとんど疑似科学に感じるし こういったことを信じすぎる
のって妄信するのって これも科学信仰と言えるだろうし
宗教に行われないと思うし あと科学者で
もうちょっと頭おかしくなって最終的に 科学は宗教だと言い出したり
宗教にのめり込む 科学者が多かったりする
感じはその 例えば心理学も
深く深く見ていけばスピリチュアルと同化してしまうとの感じで 科学と宗教が
どうも連続体のように扱われてしまう まあそう見てしまう
まあそれが可能であるものではあると思うんですね
まあそういう意味ではもう 宗教と同じように
都道のつもりはもう 宗教的に信じるしかないようなもの
ではあるのかなと思いますけど 機能法
ってのは全条件 列挙しなきゃいけないけどこんなの
無理だってわかりますよね小学生でも とはいえ宗教と違うところだってあるわけですね
宗教で疑ってかかることはないけど 科学は
どんな権威のある研究者である 謙虚に
自分の研究は 不変的ではないというのはわかっているだろうし
もちろんわかるんですよ どういう側面で捉えるかで
定義によって 科学と
宗教同じだとも言えるし別物だとも言えるし っていうのもわかるんだけども
それは なんていうかこじつけに感じるんだよな
いやでもこじつけって まあどっちも結局ただの概念でしかないから
そもそもがそれだからねこじつけとは言えないけども まあ科学と宗教は
それは定義も違うし 基本的に
それは別物方法論も違うし 別物だといくらでも言えるけども
世間の人が思っている以上に 科学は確かなもんだ宗教は
何の根拠もなくて っていうよりは
なんて言うんだろうな
宗教についてはもう クワ教はね
全く興味ないけど科学については いろいろ考えさせられるんですよね
それではしたっけ
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