感謝と呼吸の関係
今回はね、ものすごく精神と体って繋がってるなと思った話なんだけど
あのー、皆さんこんな意識したことあるかわかんないけど
とりあえず早速一つ目の話したんですが
倉木は宗教入ったからね、感謝することは大事だと言われる
倉木もね、真面目に受け止めるからね
感謝なんてのは、単なる概念でしかないと今では思ってるけど
そんなもの、人間の脳のどこを探しても感謝する部分なんてないと今では思ってるけど
感謝できると思ってたんだよ
で、それでね、必死にね、なんていうのかな
その感情的になろうと思って
結果的に、まあ涙が出てくるような状態
でもある時気づくんですよ
当時やってたことって単に
呼吸を止めて
まあ絶妙な加減のいることなんだけど
で、したら苦しくなってきますよね
まあだから感謝してる時っていっつもこういうね
健康に悪いことをしてたわけですよ
でもそれによってね、涙が出てきたり
でも今考えてみたら、じゃあね
無理して
それで感情を動かそうとしなくても
じゃあその時やってたことそのままやればいいじゃないですか
呼吸を止めて
眉間に
どうのこうのみたいな
ちょっと細かいことは覚えてないけど
したら涙も流れるだろうし
でもね、それをやろうとするとね
案外できなかったりするんですよ
だから遠回りなんだけど
その精神を動かすことによって
結果的にそうやって呼吸が止まるっていう
遠回りではあるんだけど行動が変わって
っていうことがあるんですね
で、これをね利用してるのが
くらくも最初は以前は理解できなかったけどあの
合唱のね人たちなんか見てると
まあ
ずいぶん表情変えますよね
で
あれによってね、精神って変わる
精神状態って変わるからなんですよ
高音を出そうとしたらね
あんな表情しなくても
高音を出すことに集中した方がいいと思うじゃないですか
で、これ非効率な感じがするくらいでは
違うんですね。だから人間でそういうことって結構あると思うんですよ
この場合だと
顔の表情を変えることによって
全くそれは声帯とは関係ないだろうけど
頭の中も変わるんだろうな
その高音を出すっていう
イメージが頭でできて
メロディーの高いところに意識を持っていくということですよね
で、それが結果的に声帯にも影響を与える
こういう無駄だと思ってることが実は
そうでないってことがあると思うんですよね
で、これでクラキが冒頭に話したことと似たことで言うと
その逆もあるんですよね
合唱における表情の重要性
高度が精神に影響を与える
いやこれは当たり前なんだけど、なんだろうな
食事中なんかはね、もう
だからさっきのことは分かってたんで
まあでも不思議なんだけど
その風味を感じるために
その無意識にね、呼吸の仕方とか
変えてるのは分かるわけですけど
逆に
ああじゃあ
非効率、そんなことしたら非効率だから最初からね
自分で
その時その時に適切な呼吸の仕方をしようとしたら
そうするのが効率的じゃないですか
一つ順番飛ばした方が
鼻から呼吸を変えた方が
でもそれだと全く味わえないんですよ
だから人間って不思議ですよね
この無駄なちょっと遠回りのこの作業が
必要なわけですよ
さっきの感謝のこともそうだけど
単に行動だけ変えても
それは当時の同じ感情にはならないんですね
でもね最初は本当に無駄なことをしてたと思ってましたよ
感謝するために
そんな呼吸を止めて
本当に感謝しよう感謝しようみたいにしてね
でもそれは自分の経験をもとに
編み出した技というか
結構そういうことってあると思うんですよ
ただ結構逆にね
業力できる人って
こういう何か経験をもとに
自分で身につけてっていう癖がないからね
多分今回言ってることは分かんないと思うんですけど
クラゲみたいにそういう本をあまり読んだり
人からやり方を学んだりして
自分で位置から学ぼうとすると
そうやって割と原始的なやり方ではあるんだけど
っていう言い方をすると今回の話
一部の人にしか当てはまらないような気がするけどね
これは皆さん共通することであって
経験上学んでいくことをすっ飛ばして
だからさっきの合唱で言うと
真似て高音を出すときはこういう表情を取ればいいんだって
形から入った方がいいものもあるんだけど
形だけやると
顔の表情だけに意識ってしまうんですね
高音を出すということに意識はいかなくなるわけですよ
高音を出せるようになったら
この表情を変えるっていう作業はいらないじゃないかと思うけど
そこはやっぱり反射的にそうなってしまうんですよね
それではしたっけ