食事中の感覚の統合
今回また共感覚の話ですね。 共感覚以外のちょっと変わった感覚の話もしていきたいんですが、まず一つ目。
以前も話した通りではあるんですけど、食事中ですね。
今あまり意識してないんですけど、過去にね 食事中に集中しようとして
倉木の場合は味に集中しようとすると、 頭に何かイメージが思い浮かぶんですね。
食べ物が思い浮かぶわけじゃないんですよ。 図形というのか
何なんだろうなあれは。 で、今日ねちょっと調べたことがあって、やっぱり思ってた通りなんだけど
耳が味を感じるときって
鼻の奥で風味を感じて
400って言ったかな、そういう 感じる
細胞があって、味覚の上でも 甘味とか苦味とか感じていると。
これを統合するらしいんですよね。 倉木の予想通りだったんだけど。
だからその甘みとかそういうのと この風味が
別じゃないですよね。
同じものというか、合わさって何かイメージが 生み出されますよね。
これに関して言うと、 倉木の場合
ウェイスで視覚統合の部分が極端に悪かったんだけど
苦手なんですよ。 この視覚統合は
視覚的なことも嗅覚もとかね、いやでも 要は脳はいろんなことを統合してるわけだから
やっぱり統合能力は一種類だと思うんだけど
全般的に欠落してると思うんですけど
なんか風味と味が合わさっているというよりは
別のものとして感じている。 というか倉木の場合は
一つのものと一緒が集中できないですね。 風味だけ感じたり
味にだけ甘いなっていう感じを味わったり
統合されているっていうことではないんですね。 この他辛味とか脂とか
これはどうで感じているのかわからないんだけど いろんなことを統合してるんですね。
そういう意味では普通の人と味わう時の感覚は 明らかに違うんですよね。
コミュニケーションにおける違い
なぜか頭の中で イメージが思い浮かんで
この食べ物は緑色の こういう形とか
いろんな味が混ざっている時、特有のイメージの仕方ってのもあるんですよ
あと初めて食べたものの
あまり
どうだろうどうだったのかな?わかんないですね。 でも普通の
イメージとは違うと思いますね。 あと人間は触覚
触覚でも感じているって言うんで だからいろんなことを統合させてるんですね
まずその統合能力が明らかになくて おかしなことが起きているっていう点とさっき言った
ことですね。まず食事中に関しては
あと次ですけど、人の話を聞いている時って 相手の表情を見たり、目意識に相手の目を見るようにできてるし
両目なのか片目なのかわかんないけど。 で自分のボディランゲージを使ったり
言葉で何とか相手に伝えようと
したり、相手はどういう気持ちでいるのか こういうことを言ったら
どういう気分なのか まあそうやって想像力を働かせたり
して話すわけですよね、人と。 でもクラーキーの場合はね
明らかに間違いなく違いません。だからね 結果的に人の目が見れなかったり
人を見れないこと自体というよりも そうなる何か理由があるんですよ
明らかにコミュニケーションを取っている時 人と違う感覚で捉えてるんですね
相手の気持ちは割と敏感にさせる感じではあるけど だから言葉のインテナーションなのかな
表情はね特に あんまり気にしないですね
なんか人の顔色が合うのもどうかという 気持ちもある、まあそれでなくても
人の表情を読み取りながら話すって感じじゃないですか 人の表情を読み取る能力があるかないかは別だと思うんですよ
仮に後としてもこうなっちゃうんですね、人と話す時は かといってなんか言語のやり取りだけに終始してるって感じでもないんですけど
まあでも言葉に集中して それがコミュニケーションの術だと
感じてる感じではあるのかなぁ
だから必要以上に相手の言葉の 問題点は気づくんですね
受け流せないんですよ だから自分の発言もすごいこだわって話しますし
まあこれ以上 これの話を深掘りしても
無意識の数え癖と空想
他にもいろいろ問題点ありますよ、でも 今回あくまでもねその感覚的なことなんで次の話いきますけど
食事中、人間って視覚的な情報も大事だから ああいうマスクしながら食べたら何食べてるか分からなかったりすると思うんですけど
クラゲの方は逆にね、今これは何を食べてるって意識しちゃうと逆にダメなんですね
なんかまか味わいないんですよ どういう仕組みなのか分からないですけど
これは何かって意識すると絶対ダメなんですね これは何か意識できてないぐらいのがまだ
あってんだけどただ何食べてるのか多分意識はできてないんですよ
次の話ですけど
クラゲは何かを数えるってことが好きだし 無意識にそうしてしまってるし、これはもう
異常ですねあの 本当に無意識に、嘘かと思うかもしれないけど例えば漢字の画数
数えてるんですよ頭に思い込めて だから異常には早いんですよ漢字の画数数えるの
24時間やってるから あと
カーテンを無意識に見てるんです、無意識にですよ で葉っぱの数数えたり模様の数数えたり線の数数えたり
してるんだけど数えてるんだけど無意識なんですよ 完全ではないかもしれないけど
あとで何年か経って、ああここ何年かもそういえば こここれ見ながらこうしてたなぁみたいに気づいたりするんですよ
カーテン替えてからもこれ結局数えてたなぁとか気づくんですよ
ここ何年かこうしてたなぁみたいに 気づくんですね
で筋トレやってる時なんかも数えるつもりじゃなくても数えていたり あとは考え事しながらも
数えて、一応100回おきに指で折ってはいるけど 1回から100回まで200回から300回までは無意識に数えてるんですね
数え癖というのか さすがにアルコールを干すまで考えないけど
前は食事中の所作する回数まで数えてましたね でもそれでもね味わえるんですよ
なんなんでしょうね、発達障害と数って なんかありそうですね、数字が好きだって人多いし
数字をすぐ記憶してしまうって人もいるし、クラッキーもそうなんだけど あまり数字に対してね普通だったら
ストレスになりそうなところだよ あまりクラッキーの場合ストレスにならないんですよね
至る所で数字のパターンであったり、手洗ってる時もそうですね 別に今は回数数えてるわけじゃないんだけど
回数数えてるわけじゃないというのは何回洗うとかじゃないんだけど やっぱりその
これやる時は3の
3回おきにとかそういうパターンがありますね
では次 一応考えてる時なんて明らかに
普通と違うと思うんですよ でも今回の話
ここからはね
他の人と比較できないからわかんないけど ただね
とは一応 保険はかけておくものの、ただ
クラッキーの経験上他の人と同じような
考え方を することは多分ないですね
どっかここがやっぱり変なんですよね
考えてる時 日常ね空想したりしてる時
ですね まずね
想像力の中でも、想像力って言ってもいろいろあるからね 頭の中で
空想するって言ってもこれもいろいろあるんだけど
だから漠然とした言い方になってたんだけどもこの人とはちょっと明らかに 違う空想の仕方してますね
空想と言っても 人間の想像力っていろんな
ものがあるから あるだけに人と違うといったところで
なかなかわかりづらい話になってしまうんだけど っていうかそもそもこんなことないんじゃないかな
もう連想ゲームのようにね もう次々に
あれ考えが思い浮かんでしまう 今までの人では夢を見るようにっていう表現してきたんですけど
最近だとねもう夢とゲームを連続してしまったり 夢だったのか現実
空想だったのかわかんなくなる時もありましてそれぐらい夢に近いんですよね そのくせ多分ね小説を書くような能力は
全然ないんですね 頭の中でファンタジーの世界を作り出すような
のは苦手なんですよ かといって過去の記憶を
ただ放り起こしてる
ということではないんですよね だから夢と同じなんですよ
そうですね夢も小説家が物語を作るのとは全く違う作業ですよ それよりはやっぱり過去の記憶を
統合させて
でも過去のものとは全然違う 形になってるわけですよね
まあ小説家もある意味そうなんだけど あと人に話すとき
あるいは何を話すか文章を考えるときも明らかに 違う思考回路だと思いますね
単に時間をかけるとか
詰めて考えるとか いうことじゃないんですよね
普通の人では考えないところまで 考えてちゃいますね人に話すとき
こう言ったら伝わるかなっていう想像力も異常なほど働かせますし こういう言葉を使うのはどうかとか
異常なことを考えてしまいますし でも単に言葉に対するこだわりとかではないんですよね
あとこれはまあ 普通どうなんだろうな筋トレしてる時って
その前にねあの体を動かしてるのが脳ですけど これも多分ね
あの日こもりになってからかな
まあそれも以前もそうだけどちょっとその頃から
脳との頭の連動のさせ方がまたちょっと変わってきたというか
運動と意識の変化
無意識にそれまでやってたようなこと
がね まあできなくなったというか違うやり方になったというかだから
今昔 スムーズにできてたスポーツの細かいこと
多分今やると頭で考えちゃってできなくなるんですよ
あの ホップステップじゃないしあれ何でしたっけ
ステップができない人となんか通ずるものあると思うんですけど なんか何も考えず無意識
本能的にやっていた行動ができなくなって
今ではすごい考えすぎるようになってね 筋トレしてる時もなんかもう
普通だとなんだろうなぁ
普通と違ってくるわけの場合 なんていうのかなぁ
脳から
運動神経渡って
電気信号が送られてでまた感覚に電気信号戻ってきてって
まあこれ今一応ね便宜上説明するしかないんでこういう説明の仕方になるけどこういうことかどうかわかんないけど
なんかねこういうとこが
イメージされるんですね
なんか無意識に体を動かしてるというよりも頭で考えて動かしてるというか 筋トレしてる時なんかは
今は自分はどれくらいきついかってそういうね
数値化されるわけじゃないけど 感覚的に
あー今は結構きついなとか そういう感覚に
で頭がいっぱいなのは これは普通なんでしょうかねどうなのかわかんないんですけど
だからただ筋トレして
これなんかもう全然普通と違うと思うんだよ他の人は あるいは倉木の学生時代は
筋トレただして気づいたら終わってて
んで
よくわからないんだけどなんとなく 不快感を感じているのはわかるけど不快感を感じているなんていちいち
基本は意識しないっていうような 感じですよでも倉木は一部一部ね
自分は今多少さっき言うよりは楽だなとか 今足どの程度上がってるなとか
細かいところまで意識いってるんですね あと歩く時なんかもそうですね
まあ今はなるべく急ぐようにしてて
一瞬一瞬に集中してる感じこれはこの生活だから
というわけじゃないと思うんですよ あとこれ
話さなきゃいけないねあの 以前はねあの
無意識にやってたことが まあそもそもルーティン化して
全然違うんだけど あとねいやそれとねあの
もちろん急ぐってことも意識してます ただ
意識しすぎるといけないなっていうのもわかってて でも
音楽と共感覚
割と ここ何年かは特に
結構トイレ入る時とか 意識してるからまあこれは10年前もそんな変わんないかな
10年ぐらい前からね無意識にやってた行動すべて 意識してるようになって
でも意識しすぎるとダメなのわかってるけど いい塩梅が自分の中であるんですね
でもこれがねその 何をやるやってる瞬間かによっても違って
だから作業によってはその急ごうなんて いう
考えには絶対なんなかったりするし そこで急ごうと意識してしまったり
今でも意識になっちゃうと意識してしまうと 途端に何やってるのかわからなくなる時
順番がわかんなくなる時もあるんですよ こんな人って普通いないと思いますよね
たまにこういうことがあったとしてもね これ常にこれは危険が隣り合わせなんですよ
だから意識の働かせ方は常にね 考えてますね
でも意識の働かせ方を意識しちゃうと逆にいけないというか
すごい絶妙なんですけど これ長年の積み重ねですね
では次 あくだけ音楽聴いてる時
完全に他の人の聴き方違うと思うんですけど これも比較にしないでわかんないんですけど
多分相当違うと思いますよね やっぱり頭の中にね
何かイメージが思い浮かぶんですよ 音を純粋に聞いてる時
じゃあそんなことしちゃいけないなと思ってね 音自体を聞こうとするとものすごく
一点一点に集中していたり 最近のエピソードで話しましたけど
今回か あの
やっぱり音楽もね統合して理解してるわけですから 一点に集中しちゃダメなんですよ
あとこれは逆 統合の能力がないんで
あの音楽聴いててもね あのいろんな楽器別々というか
まあまあとにかく普通に理解はできないんですよ
だからアイドル 王女大のアイドルなんか見てても 乃木坂見てても
他の人と歌番組見てる時の感覚で違うんだろうな 頭の回転の速さも他の人と違うし
全く違い 理解の仕方してるかもしれない でも自分としてはね
なるべく普通に近づこうと そうしないと見れないからね
そうしてるつもりでも 逆に普通から遠ざかってる可能性もありますしね
ああでも音楽なんかでもそうだけど集中しようとすればするほど 逆に集中できてないんじゃないかとか
逆にリラックスしてると 最初あれでも次第に集中できてるとか
やっぱりこういう変な感覚になることもありますね
それもまあ普通ではないんだろうと思ってますけど
それで言うと夢の見方も普通とはだいぶ違うのかもしれないですね
人それぞれ見方って違うと思うんですけど
その誰とも同じじゃないというか 大きく外れてるというか
さっきみたいに以前は無意識にいろんなことやってたわけですよ ルーティンなんかないし
でも以前は以前で多分他の人とは違う やり方だったんだろうね
他の人ができるようなことはできなかったり その分どっかで補ってたり
それでしたっけ