執着とその影響
今回も人生哲学会なんだけど、というより生き方の話かな。
お話しさせていただきたいんですけど。
人間の執着するってことですね。
昨日YouTubeで見たら、執着って世間ではどういう風に捉えてるのかちょっとよくわからないけど、倉木が思う執着って単にこだわること。
まずいきなり具体力で話していきたいんですけどね。
例えば、初対面の人に対して期待してしまうと。
この人はこういう絶対いい人だと。
もしくは、初めて行くスイーツ店。
どんどんやっぱり期待しすぎてしまうと。
で、いつもそれで期待を終わらなくて後悔するから。
あまり期待しすぎるってことにこだわってはいけない。
いいもんだと思い込もうと思い込もうとあまりしてはいけない。
って考えたら、今度はそれで実践してみましたと。
したら、なんか人と会うのも嫌になってきた。
スイーツ店もなんか行きたくなくなってきた。
したら、もう期待しないってことに。
今度逆に執着してたな。
それはいけないなと思って。
どっちかに偏るっていけないんだなと。
もっと中立的にバランスよくやろうとして。
それで実践してみましたと。
したら、中立的にやるってことにものすごく集中してるんだけど。
今度はスイーツ店行っておいしくか味わうことを忘れてしまった。
人間関係でももっと大切にすべきことを忘れてしまう。
ってことがあることはわかる。
あまり期待しすぎる期待しない中立でいる。
こんなことは忘れてしまえ。
こんなことにこだわってはいけないなと。
もっといろいろやるべきことがあるだろう。
っていう風に。
最近、シリーズで9回か。
原始仏教について話してきましたが。
今までは特に話してないけど。
修行無常の考え方からすると。
こだわったらそれが苦しみになるということですね。
これ仏教の根幹だと思うんだけど。
今の話聞くとね。
どうやったってこだわる人はこだわるだろうと。
逆にこだわらないようにしようとしたらそれほどこだわってるような感じですよね。
解決策の模索
その通りなんですよ。
人間ってどうやったって苦しいし。
仏陀自身一切かゆくと言ってるし。
ただ仏陀はね、こだわることによって苦しみが増すと言ってるから。
そこからすると矛盾するんだけど。
ただね、一つここで話しとくと。
瞑想ってのは。
雑念をなくそうとすればするほど。
出てきてしまうんですね。
いろいろ言われますけど、あるがままに見て。
葉っぱに包むようにとか。
自然に受け流すとか。
いろいろやり方はありますけど。
これもね、だから。
あとはもう鍛錬を積むしかないんですね。
もちろんこだわってね。
いろいろとこだわってるし。
何しようとしたらこだわりが出てくるし。
でも理論上今の話聞いてたら、
まあ日常生活でどうやったってこだわりは出てくるだろうっていうのも、
まあ事実と言えば事実かもしれないし。
というわけで考え方としてはね、
やっぱりこだわりの強い人はある程度こだわりは出てきちゃいますよ。
ただまあある程度、
こだわりの量自体の問題じゃないんだけど、
まあ自分としてはね、
なるべく変化させてっていう風になってます。
だから例えばね、前も話しました。
例えば予定調和にならないようにということをモットーにしている人がいるとしましょうしたら、
結局予定調和にならないってことが予定調和になってしまうんですよ。
それを防ぐ方法としてはね、
予定調和にならないことが予定調和になって、
まあ新たな策を練る必要があるわけですね。
考え方をもう切り替えなきゃいけない。
でもこうやってもう連続的にね、
常に気を張って、
やるしかないと思うくらきは思うんですよ。
どうでしょうかね。
人によってもやり方違うのかな。
それでは明日っけ。