仏教と苦しみ
倉木凪です。 今回も超簡単に
人生哲学の話の回になるんですが、
最近仏陀の 諸行無常とかについてざっくり勉強してまして
一切皆空
という教えもね
についても勉強 ちょっとしたんですが
それはね、詳しくは最近のエピソードで話しましたけど
全てのものは
苦しいというか、そのままですよね。苦しいものだと。
倉木の解釈としては 前回話した通り、全てのものは不完全である
という意味とともに全てのものは 青春的に苦しみにつながる
ということを言おうとしてたのかなっていう解釈 これでもねわかんないと思うんですけど
で
最近もこれ話しましたけど
少しね仏教の 言葉だけかじって
そこから派生していっていろんなことに気づいたり あるいはね自分で大徳したことが
結局仏教 原始仏教を勉強してたら
ああ ここにもそう書いてるなって
後から理論的に分かったり したことがあるんだけども
これなんかもそうなんですけど
以前からね 倉木はその
よく言っていますよね依存症になりやすい性格なのではないかと 自分で思ってると
で何かを起こせば 何かを始めれば
あるいは今までやってたとしても その
ちょっと変化させることによって それは依存症の始まりだとか例えば
これは誰でもそうだけど煙草なんか中毒性があるからね 一本目が問題だと 倉木にとっては
煙草でなくても酒でなくても
何だってこういう 物と同じで
依存する原因になり得る でも生きてたら
環境の変化によって変化させたら終えなくなるのが 人の常ですから
ということは倉木にとっては生きてること自体も全てが 生き地獄なんだなんてことを話しましたけど
それですねまあこれも 今までなんでこんなこと話せなかったのかなと思うけど
これに近いこと話してたかな
倉木は依存症って言い方したけど欲ですよね誰でも これはあるし厳密に言うと
これが人間を苦しめる原因ですから 欲ってのは
ブッダが言うところの欲ってのはね少しでも 例えば食事なんかすると
依存と欲
記憶はそれを覚えてて 記憶しててですね人間の頭ってのは
そうすると次の日は もっとおいしいものを食べたい
そして当然になりそれを与えられるのか より量を多く食べたいとかね
より高いものを食べたいとか思うわけですよ で倉木もそうなんですね
タバコを例にすると前の日一本吸うと 次の日は
二本吸いたくなるじゃないですかだから 慣れっていうものが
欲を生むのかな 欲なんてのはみんな平等に存在してしまうんだけど
倉木の場合は欲深いってわけじゃないですよ
まあでも仏教的には欲深い人間になってしまうのかな まあ依存症になりやすいんですね
まあ不安心してるだけだと思わないんですよ
少しでも何かの量を増やせばもっと増やしたくなるし 何かを始めれば
もっとより良くしたくなるし その欲がね
向上心につながる場合もありますけども 大抵困ることばかりなんですよ倉木の場合
倉木なんか変化に弱いでしょだからね 本当に命取りなんですよそういう意味でも
変化があった時にそれに対処できないですから 生活はままらなくなるし
欲は出てくるし 依存症炎に対する恐怖も出てくるし
倉木にとってはね
別に欲っていうのはただ単なる 宗教的な概念だけにとどまらず
倉木の生活に 浴び込む大きな問題なんですね
だからブッダも一切かゆくと言ってますけど これはこの世界のね
事実なわけですよ でも日常ね
俗世間の人はこんなこと意識しないけど倉木の場合 意識せずとも
一切かゆくなんですよ 皆さんはどうですかね
今は大変な状況なの あるいはもう幸せで幸せでっていう人もいるだろうけど
今まで人生振り返ってみて 欲に苦しめられてるなぁなんて
あんまり思わないんだろうなきっと 倉木はいっつもね
その瀬戸際にいるわけですよ 一寸先は闇という感じなんですよね
そういう危険性と隣り合わせ 依存症にすぐなるとは言いませんけども
依存症になる恐怖もあるけどもそれよりも もうすでにもう
依存症になりかかってるものが あるんだろうなっていう感覚なんですよね
そこでブッダは寝半寂状といって なるべく死に近い状態だから何にも食べないようにとか
仏教信者で絶食したりする人いますよね 極限まで断食したり
倉木はそんなことする気分はさらさらないですし
でも倉木にとってはね 欲を出さないためには変化しないことが一番だと思うんだけど
でも人間だからやっぱり飽きるわけですよ
さすがにこれでも相当人と比べてみたらね 変化ないんですよ例えばお盆なんかね
お若前にも行かないし
お盆 そうだね今はトモロコシも
通常 通りだし
近所で ちょっと動きがあるかな
朝からお坊さんのね綺麗な
お経が聞こえたり まあ世間は
まあ最近は世間は
勉強なんだなぁなんてそんな 実感もないんですけど
倉木はこんな風に本当に変化はないんだけど それでも欲が出てくるんですね
ブッダの言うところが一切皆苦ですよね 食事をするだけでも
欲が出てくるただのつもりは苦しみにつながると
ブッダなんかはその食事をとってもね これブッダが別に言ったわけじゃないだろうけど
食欲があるから最初はいいんだけど でもしばらく経ったらお腹いっぱいになって
あとはもう食べたくなくなると逆に苦しくなると 結局
苦しみにつながるんですね
倉木もそれは実感してます 人間は結構飽きちゃうんですよね
人とのことを続けていると 椅子に座っていてもしばらく経ったら
お尻が痛くなるし立っていてもしばらく経ったら
足の裏が痛くなるし 今回はねこの倉木の性格の問題と
もっと普遍的なことではあるんだけどこの仏教との おかしな接点っていう
そんなお話でした それではしたっけ