感情の洞察
倉木 凪です。以前から感情というものについて
倉木 凪に考察してきて、人生の手元と言ってもいいぐらい
深く考えてきているものなんですね。
倉木 凪は宗教でも
この感情が煩悩というものを作るわけだから
自分の感情を洞察することが大事だと言われてきてましたね。
倉木 凪は幸福恐怖症があるから
察知する能力がすごいあるというのか。ただね
今回の話に関して言うと、幸福感を感じることに対する
恐怖症って言い換えた方がいいかもしれないですね。同じことではあるんだけど
厳密に言うとね そのあった正しいんじゃないかな
だからこそ 今
の感覚、感情 これはあってはいけないなって
瞬時にね、そうやって考えてしまうんですね。 で今まで
今回の言う感情はね 単純に快不快のことなんだけど
あの
どういった時に快感が出る?どういった時に不快感が出る? こんなことを考えてきたので今回
お話していきたいんですが まず快不快っていうのはね
多分ですよ多分だけど 脳科学だとか医学で
快感と不快感の歴史
こんな漠然とした概念あんまり使わないと思うし 心理学でもね
まあ定義は曖昧だと思いますね ただお医者さんとかが使う場合は
あくまでも 医学ってものを素人に分かりやすく伝えるために使うものであって
いやドーパミンとかねアドレナリンとか 脳内物質ね快感を引き起こすようなものとかあるけど単純に
ドーパミンってのは快感になるものだとか アドレナリンは不快感だとか
単純に区分けできるものでもないし もう全く別物と思った方がいいと思いますね
あのどっちが単純だとかじゃなくて 快不快と脳内物質
でも脳内物質が一応快不快っていう感じを起こすと考えると
やっぱりお医者さんとかが便宜上使ってるだけであって あんまりはっきりとはね
今の状態 快感が出てる不快感が出てるっていうふうには言うことはできないと思いますね
さっきもお伝えした通り 宗教とかスピリチュアルとか
でも快不快って仏教とかも 煩悩ってものをとられるとき
快不快っていう概念は付きものだと思うんですけど
まあやっぱりね
なかなか捉え所のないものですよこれは ただ今回も話していくにあたって快不快って言葉を使わざるを得ないんですけど
人間って なんとなくはね
まあ常に 生きてから死ぬまで
あの 意識がある状態であれば
快感か不快感 これはまあ動物全てだけど
常に どちらかの状態である
なんとなくはわかると思うんですよ 感情は
感情がなさそうに見えるとはいっても絶対ね 快不快ってあるのはまあ経験的にわかるじゃないですか
あの 痛いとか
食事中であれば美味しい ちょっと苦いとか
テレビを見てたらちょっと緊張感があったでもそこから 楽しくなったとか
人と話しててもね ちょっと飽きたなぁとか楽しいなぁとか
常に快不快どっちかあるっていう風に習ってきてるし そういうもんだと思ってるじゃないですか
これも今までクラゲ市場で考察してきたけど
ちょっとね 正直言ってしまうと
まあでも まあこれが事実なんだろうなあんねー
人間の感情って本当につかみどころのない ものだし まあだからこそ
これが煩悩だと
言ってしまう宗教もあるし
いろんな感情
描けるから映画とかが面白くなるわけですよね
音楽もいろんな感情を呼び起こすから
何百年も 中世の頃から何百年も
音楽って まだ続いてますよね
ちなみに西洋音楽の元を辿ればまあ中世の
これアフリカ音楽を辿れば もっと前のようなんだけど
そんな話はどうでもよくて
この回復界ってね いうことでさえね 本当に
分かりにくいものでね
いやもう絶対これ100%言い切れるけど
専門家でさえ農家学者でさえ心理学者でさえこれはもう
全然何もまだね人類は解き明かしないでしょう
インドでね3000年前からいくら
感情とか集中法については研究されても
まだ全然まあ分かってないと言ってもいいんじゃないかな
西洋医学よりも進んでるってことはないだろうなきっと
黒木は以前はね その通り常に
不快感か快感があると思ってたんですよ だから筋トレしてる時はずーっと不快感だった
1分やったら1分か でも考えてみてください
人と話しててねこの人の話つまらないなと思っちゃう ずーっと不快感かって言うと
これがねもう一度言いますけど
いやそうかもしれないんだけどそうとも言えるし いやーこれはもうどうとも捉えてないんだけど
でもね なんとなく
そのずーっとではないなってわかるじゃないですか 筋トレしててもね
あーでもこれはね
自分の心を見つめて洞察する癖がないと
知ったことないっていう感じかもしれないね 黒木もそういうことを宗教で癖をつけられたからわかるんだけど
筋トレ中ねー いやーこれも以前はね
ずーっとではないけどでも まあ基本的に
不快感がある 特に長い時間続けて後半あたりとか
たとえランナーズハイみたいな状態になっても それで不快感になることはないだろうと
それだけではないだろうと って思っちゃうんだけど
ある時思ったのはね 集中していることであればほとんど感情って動いてないんじゃないか
だから何かをしてて ほんの一瞬しか
楽しいと思ってない 思えてない でもその一瞬が
すごい大事だったりするのかなとかね この一瞬の感情の変化により
変化大変だけどそれが引きずれるというか と思えるし もう本当にねいくらでもいいようあるんだけど
だから ずーっと辛かったなと思うことでも
その日 不快に感じたのは一瞬かもしれないし
でもその一瞬 途方通って後から振り返ってみて思えないですよね
もう
精神的なものすごい疲労があったら そんなことはないはずですよね
あと真夏日にね 外でいて
でもそれだって例えば友達と遊んでたりしたら そんなこと意識しないじゃないですか
暑いなーっていうのは たまにちょっと
汗臭くなったらだとか うわ日が
おでこ当たって痛いなとかね うわ汗でびっしょりだよとか
そんなのね合計1時間のうちの 3秒ぐらいの時だってあると思うんですよ
本当に何かに集中している場合
じゃあ本当に3秒しか感情が動いてないかっていうと
それだけ もう精神的に
疲労してる 疲労困憊だってことは
やっぱり常に 不快な感情は
あるとも言えると思うんですよ あとさっきのマラソンの話についでにしちゃうと
ランナー剤ってね脳内麻薬って言われてて快感物質なんだけど あとは麻痺させる能力もあるんだろうな
感情の複雑さ
で アクラケもね筋トレやってる時
とかランナー剤の時そういう物質が出てるんだな なーってのはわかるんですよ
快感?
って言っていいのかなまぁある意味では
じゃあ不快感と 少しの快感
不快感と快感両方あるのか って言うとそんなプラスマイナスゼロになってるっていうことでもないし
でも実はそれに近い状態なのかなぁなんてことも思ったりするけど だからね
筋トレしている時は そういう慣れた状態に
なんないようにするために つまり人間ってね慣れたら
感情って動かないですよね だから美味しいとかね
思わなくなるじゃないですか
アイスクリーム食べてて 最初はねいや牛乳の味して美味しいなと思っても途中から
惰性で食べてる感じでしょ アクラケも筋トレしてて
そういう風になったらどうせ惰性でやるような感じだと嫌だからね なんとか工夫して体が慣れないようにしてるんだけど
話す順番間違いましたけど いやあの
快か不快か どっちかとはやっぱり言えないと思うんですよね
脳・人間の 精神構造って複雑にできてるから
でもねかといってこの時間 快感が80%不快感が20%なんて
絶対そんなこと言えるわけがないっていう意味で冒頭でね あの専門家は
が言うのはまああまり当てにならないというか 便宜上説明するためにそれを使ってるだけであって
快感不快感なんて
そんなものはないようなものなんだと 言ったのはそういうことなんですよ
あー結論としてだからねそうなんですよね 人間にね快感不快感なんてないってもう
全然無茶な結論というわけでもなくて
っていうのを 手に持ってるからな
生物はね不快を避けて快感を求めると言われてるけど
そんなもの快感不快感なんてもう ないって言ってもいいかもしれないしね便宜上そういう概念を使うだけであって
心ってものをとられるときに
で今言ったね 生物は不快感を避けるって言ったって
これもね素人が考えたところでわかんないですよ 例えばね学校に行くの
不快不快感だわけでも行くでしょ
でも本能的にはやっぱり不快を避けるようには基本的にできてると思うし
まあでも学校に行くのが快感なのか不快感なのかってそれも 単純に言えるもんじゃないですよね
ビール飲んでる時快感不快感かなんて単純にいないじゃないですか 苦味を感じるって意味では不快感だしだからね
これも人間観察してね ビール飲んでる時ってあの結構
苦虫潰したような顔してる人いるから そういう意味じゃ
まあ快感だけじゃないんだろうなと思うけど まあそれも含めての快感ともいるかもしれないし
まずはこんなところでそれではしたっけ