自我をなくす方法
今回は、自我をなくす方法、最近話している、自我が人を苦しめるということです。
今の話だけ聞くと、いかにも宗教ぽいし、自我をなくす方法といったら、いかにもスピリチュラルな話みたいだけど、全くそんなことはないですので。
しかも簡単な話です。まずはですね、抽象的に考える。
倉木が言うところのニヒルになるということですね。
人は他の動物と同じなんだよなっていう認識を持つということですね。
普段は人は他の動物と違い、特別なものなんだと思ってるけど、
動物の一種でしかないんだよな。もっと言うと生物でしかないんだよなってどんどん抽象的に考えていく。
抽象化っていうのは共通部分を見出すという、人間はとても発達している脳の中にそういう部分があるんですね。
ウェイスで知能テスト、抽象化能力を見るテストがありましたね。
この抽象的に考えることは人間の知能だから、ちょっと自我のアクスで矛盾してそうだけど、最終的には人間はただの物であるということを考えるのをたまに習慣づけると自我はなくなってきますね。
いつもは基本的には自分は自分、人間は人間だと思ってるけど、他の物と同じなんだよな、家にある他の家具と同じ結局物なんだよなと理解する。
自分だけじゃなくていいんですよ。
目の前にあるクーラーも、自分からしてみたらまあ自分に都合のいいこうやって冷やしてくれるものだけど、
結局物なんだよなと。いろんな部品が合わさっているだけのただの物なんだよなと。
結局この部品がすべて解体されてしまえば、もうクーラーではないし、物でしかないし。
こうやって冷やしてくれてるっていう現象を見てこれクーラーと呼んでるんだなと、そう理解する。
次はですね、ゲシタルト崩壊を相手する。
このゲシタルトっていうのはね、これやっぱり人間だからこそ起こるような現象ってみると、その逆をするんですよ。
例えば漢字なんかじっと見てたらね、ゲシタルト崩壊が起きるんで、単なる図形にしか見えなくなる。
例えば目の前にいる人をじっと見てて、今まではこの人は嫌いな人だとか好きな人だとか、自分の巨大だとか思ってたのが、単なる他の人と同じ人。
もっと言うと、なんか目がついてて鼻がついてて、でゲシタルト崩壊が起きてくるんですね。
でそのうち、単なるものにしか思えなくなる。
クラゲなんか漢字見てて、そんなことしなくてもゲシタルト崩壊たまには起きるんだけど。
文章読んでるときですよ起きるんだけど。
こういうときは自我がないっていうか、自分で亡くなった感覚はありますね。
だっていい大人が文章読むてないんだから。
では次の話。
これはなんだか、いやスピリチュアルな話してるんで聞こえるかもしれないけど。
真理の場所がどんどんこうの一体とかじゃなくて、宇宙と一体になる。
これブッダが悟った時がこうなんだけど、そんな難しいことじゃないですね。
いやブッダと同じようにね。
なるにはもちろん難しいけど。
悟りの境地まで行くのは難しいけど。
瞑想の方法としてもね、クラキアは宗教でやってみましたし。
理論的にクラキア考えてみたけどね、やっぱりこれはいい方法だと思います。
結局自我をなくすってことは、自分は宇宙の一部だと理解することですよ。
だとすれば自分は宇宙である。
っていう認識を持つ。
これ頭で理解するの自体も難しいかもしれないけど。
これ両方大事ですよね、感覚的にも理解していく。
宇宙との繋がり
できれば瞑想みたいなことをして集中して、これできればいいけどそんなことしなくてもね。
日曜でたまに、自分は宇宙なんだと。
そしたら絶対に自我なんてなくなりますからそんなの。
次の話ですが、さっき言ったものと感じるというのはもっと真っ黒な視点で考えると。
もっとだから具体的に考えるということですね。
抽象化ではなく具体化すると、自分というのはまず手とか足とかに分けられて、
もっと真っ黒な視点で言うと細胞がいくつも集まっている。
何億個集まっているわけですよ。
細胞という物質によってできているわけです。
神経でつながって。
というところで目を向けてみる。
これでもいいと思います。
では次の話。
これは物理学でも仏教でも言われていますけど、
全てのはネットワークなんてつながっているということを意識するということですね。
自分は単体なものではなくて、この世界とつながっている。
でもこれだと日本人の場合、みんなに支えられているんだとか、
みんな仲間なんだとか、そこに収支してしまうんだけど、
そういうことじゃないんですね。
もっと抽象的な意味で理解してほしいんですよ。
あらゆるものはつながっている。
最初はもう線と線でつながっているとか、
赤い糸で結ばれているとか、その程度でいいんだけど、
そういうことではないんですよね。
あと自分という存在と他のものがつながっているという理解だと
自我はなくならないので、最初はそれでいいかもしれないけど、
これも少しずつ鍛錬を積むことによって分かってきますね。
あとはですね、さっき言ったこととつながるんだけど、
順番の問題でしかないんだけど、あるがままに何かを見るということですね。
人間というのは自分の記憶によってこの世界を見ていますから。
この前も話しましたね。
だからリンゴを見ても、自分の好きな人と食べたリンゴ、
これは嫌いな食べ物とか、いろんな印象をつけて過去の記憶を見ているということなんですね。
そうではなく、ただ単純に物質としてリンゴを見る、
食べ物だという意識さえ捨てる、これが自我を捨てるきっかけになる、
誘発要因になるわけですね。
それではしたっけ。