食事中の意識の変化
食事中のことだから細かいことになるんだけど、以前はね
まず口に入れるものを見ますよね、癖をね、しっかり見て
で、まあ今はね、そうじゃなくて割と
もう見ないで、パッと入れたりもするんだけど
まあ以前はね、なんか他のもの入ってないかとか、そういう
ちょっと不安なところもあって、まあそれまでしっかり見て、で、確認して
で、あとね、例えばニンジンが一緒に入ってたとすると
まあニンジンの味を味わおうと、いう意識
でいるわけですよ、普通そのことないだろうけど
逆に口の中に入れても、ニンジンの味を味わおうと
で、これ何がね、問題があるかってね
その具材の味がしないことってあるわけじゃないですか。例えば出汁が染みて、ニンジンの中のとこに居そうだけど
シチューに入れたりすると、周りの付いたシチューの味のほうがすると
これならまだいいんですよ。途中からまたニンジンの味がしてきたり
そうなるともうね、複雑なんですよ。あるいは見た目じゃちょっとわかんない味がしたり
明らかに見た目だともっと濃い味なのに
めっちゃそんな感じはないとか。見た感じめんつゆの味になりそうだけど
なんか全然違う。塩コショウの味のほうがすごい強かったとか
ちょっと今までにない味がするとか
なんか掴みどころない味がするとか。そういう時はね
パニックなわけですよ。だから
だからクラッキーはいつも葛藤だったんですよ。前はね。この味を味わおうという意識が
崖を押したらそういう問題もあるし。かといってぼんやり
食べてたら
よく何を味わっているのかわからない感じになってしまって
今はね逆にそんなことないんですよ。パッと口に急いでいるようになってからね
逆に反射的に味わうっていうそういう姿勢ができて
条件反射的にもうね、味わえるようになったんだけどそれ以前はそんなことなくて
味覚に対する葛藤
なんかよくわからず口の中に入れて。味に集中するとうとう暗気がしてるから
その
もちろん食感とかも感じてるんだけど他の人と比べたら
とにかく味っていう一点に集中する。まあ風味面も含めたけども
この人はね、ビールなんかもそうだと思うんですよ。あれも
味を味わおうとしているというよりはなんとなくの雰囲気というか喉越しというか
クラッキーはそんなことなくて
味の一点に集中している感じなんで
なんかぼんやり食べてるとね、あんまり味に集中できないんですよ
でもね、その場合によりますよね。これは何の味かちょっとわかんない
見た感じじゃん まあそれはとりあえず食べてみて
でも食べている途中で、あ、ちょっとおもちゃのと違うなって
こういう食べ物だと思ったけど違うなって気づいたらするんですよね
そこからの軌道修正って難しいですよやっぱり
頭の切り替えはね。例えば餃子なんかね、皮とあんと一緒に食べたとすると
クラッキーの頭の中では、餃子の皮とあんを一緒に食べてるって言っちゃったわけなんですよ
だからつまりどっちも食べてる。どっちも味わなきゃいけない
もう頭のゴッチャですねだからね。かといって
こういうものだと思って、ざっくり
こういう餃子ってこんなものだと思って
あんの感じで味わおうとすると。それでうまくいくかと思うけど、でも逆に
しっかり皮と両方、あんと両方食べてるんだって意識持っていた方が味わえる場合の方が多いわけですよ
まああとはタレにつけたりつけなかったり。そういう変化があるんだけど。これもタレにつけてるっていう意識をしすぎると
そっちばっかりに意識って。あんと皮のね味をしっかり味わえなかったり
次の話ですけど、クラッキーは以前はね
絶対に、たとえ途中から
食べる、食べ方に意識しすぎて味に集中してできない。こんなことがあっても絶対に
これじゃ戻ることもないから。必ず味に集中する。できるように軌道修正する。戻ってくる。4年意識掛けしてたんだけど
これ長年の積み重ねでね、これ間違ってると気づいたんですよ。ある時
味に集中できないこと自体は、集中してないこと自体は、それは食べ方として間違ってるんだけど
ただね、食べ方に意識って
その分味に集中できなくなってるかというと、それは間違っちゃうんですね
今はねだからね、そういう軌道修正の仕方はしないですね。もう食べ方に
こだわってる
それが結果的に味合うってことに繋がってると。分かってからそういう軌道修正の仕方はしてないですね
まあ矛盾は生じちゃってるんだけどね、食べ方に意識しすぎて味に集中してないってそれダメだろうって
最近の経験と自己反省
思ってなんか矛盾が生じてるような気がするんだけど、まあ遠回りだけど
まあそっちのが近道、ある意味近道というかね、そういう感じなんだろうな、分かんないんだけど
あとだけはね、もうね、昨日だけでも
結構なピンチがありましたね、あの 最近もエピソードでたべたべ話してる通り
大きな変化があってね カレーライスを出してもらうっていう
それまでスープカレーだったけど でシチューなんかも迷い始めてね
でそれはやめたんでその時は、でもね うまく味わえてないから
どうしようと なぜかその時に考えたのが
取る量を一定にすると だけどもねそんなことに意識いくとねやっぱりダメでしたね
クラケさっき言ったように急いで取るようにしてるんですよ だからもう頭なんかごっちゃになってきてね
もうそれでやめましたねそれはね でもねそれを元に戻そうとするとね
それはまたなんか少しこれに慣れちゃったんで まあでもすぐ戻せたけどね
危なかったですよだから 結構迷ってたんですその時
元に戻した方がいいのかどうなのか でそれでしばらく何日もそのままずるずるいくと結構問題だったかもしれない
まあ難しいところでねこれに慣れたら慣れたで こっちの方が良かったりするのかもしれないけど
さっきも言ったように意識の持ってき方 どこに意識持っていくか
これは前からすごい悩んでますね 今はそんなことないんだけどある時から
そんなことしたら逆に味わえないということを悟ったというか諦めがついたというか 以前はねー
あとこんなこともありました 例えばハンバーグ出て
どんな感じかなってしっかり見た次の一口はねなぜかうまく味わえないんですよ こういうものだって意識しすぎちゃってるからなんだろうなぁきっと
それと似たことで言うと最近はね
なんか唾液が溜まっちゃうのか
確認作業をしたりして食べている途中で 休憩を入れてしまうとねその次の一口がうまく味わえないっていう
ことがあって それを意識しすぎちゃうとさらにまた味わえなくなって
でももうそんなことはね 忘れようと思って
最近また新たに そこは変化したところなんだけど
あと前もこんなことあったんだけど最近もね 食べて口に入れてすぐ味わおうとするとやっぱり呼吸の関係なのか
それは無理なんですよねである程度削削してから じゃないとってのもあるしでも以前はね食べて口に入れてすぐ上顎と舌の間に挟んで
食材をね でもそれも多分あまり理にかなってないんですよ
押し付けたとこで舌なんか味感じるわけでもないし かといってしっかり噛んで味わおうとするとこれでうまくいったともないね
やっぱり絶妙なタイミングとあるんだね口の中に入れて いつから味わえるかって
あとね これ今でもそうなんだけど
今口に入れて確認作業とか どうしてもねしちゃったりするから
一回仕切り直して 落ち着いて呼吸を止めてから味わおうとする
倉木の食事への苦しみ
これねうまくいったことないですねうまくいきそうなもんだけど スポーツなんかでもね秋のピッチャーとか一旦仕切り直してとかそういうことをやったりするんだけど
マウンドから 一回の
実はね あの
クラケうまくいったことないですね 昨日もちょっとね思ったのがね
以前はね 一回精神を安定させるために
あるいは焦ってる時 焦ってるというか そういう時
一旦仕切り直して感じで休憩するんだけど 初中それがあったんだけど
逆に気持ちを安定させるとね その次また不安な思いが出てきたりね
だからある程度心を混沌とさせたような 状態の方がいいのかなと思って
で次々に入れてくるようにしたんですよ多少不安があっても まず以前だったら
もう不安な思いがずっとあって結局味わえないで 味わえたとしてもただ単に味を
感じてるだけだったり かといってね
ずっとピッチリ口に入れては噛んで割って続けてるのもおかしいと思って 昨日一回休憩したんだけどこれは正解なのかね
わかんないんですよ その一回が命通りかもしれないし
いや以前はねやっぱり かなりその
具材ってものを意識してこういうものだった これは
塩分を楽しむ料理だった これは甘いのが美味しいものだった だから
口に入れてね これは甘い甘いってね唱えながら食べてる時なんかありましたよ
あとはしっかり 素材そのものの味を
これは味わった方がいいとかね自分で唱えながら食べてましたね でも結構ね
クラキも料理について前はかなり疎かったし 潜入感でだいぶ間違って食べた時もあると思いますよ
本当はもっと他の味もするのに でも理想的なのはね
もう風味から食感からいろんなことを味わって なんだろうけどそれをやろうとして失敗してきたことも何度もありますね
今クラキは味に集中するっていう もう
そういうルールにしてるから というかもうそれが自分の信念というか
でも料理によってはね
味に集中するというよりも 食感とかいろんなことに
相まちのことの良さなんだろうなぁとかね まさにカツナがそうだろうねあれ
味に集中したらね これ肉の味なんだか衣の味なんだかソースの味なんだかよくわからなくなってくるんですよ
まあ普通そんな悩みなんてないんだろうけど あと最近の悩みとしてはクラキはねずっと他のものと一緒に
食べたくなるっていうアレンジしたくなる欲が出てきて でもある時からもうきっぱりねもう
厳格義としてこれは別に食べたほうがいいなと だからカツなんかを別に衣と分けて食べてるんだけど
料理への新たなアプローチ
これ今はね迷いは一切生じなくて でもね口に入れた後にね今の正解だったのかって慣れるんですよ
難しいとかねこれね でも今はね
絶対もうそうやって考えたりしないようにってしてるけども 一番怖いのはそのそれにまた甘えて
食べた後どうせなんとも思わないんだな じゃあ一緒に食べてもいいんじゃないかってこれが恐ろしいんだよね
もう自分のことがねもうなんか最近はよくわかんなくなってきてるし二重人格だし そうなることもありなくもない気がしてきてね
すごい難しかったですよ まあ人参だろうがいいよでもシチューの味だってだってシチューだっていろんなもの入ってる
コンソメも入ってるし まあホワイト
ソースていろんなもの入ってるからね だからこういう味だっていう
まあその色とか牛乳入ってるだとか なんかそっからまあ
考えてくれなきなりにこういう味だろってなんだけど まあ胡椒だって入ってるし
色の出汁も出てるだろし野菜からもね だからイメージしても限界あると思うんだけどでもこういうもんだと思ってでもねそれだと
あーこれも話を忘れてたけど やっぱりねクラゲン大事にしてたのは
今までとの違いですよね今回は 今と違う唯一無二のこの時間のこの料理だとすると今まで食べた料理と比較する必要が
あるんですよ じゃあ今後の近い違いと認識を置くと
これの 味はあれこれだけのその味は味わえる
だけどこれにはこれの弊害があって あくまでも違いを感じているだけになっちゃうんですかといって
しっかり美味しくね味わうなんかすると 今はずのとの比較ができなくなる
今はこれは支柱だっていう意識になってしまって 今までの支柱のどの違いが意識できなくなってしまう
でも比較することにばっかり意識いくと 支柱としての本来の支柱を楽しむっていうことはできなくなる
この事例まで葛藤してますねいつも それではしたっけ