人間の特別視
今回はですね、人間は人間のことを特別視しすぎてしまっているという話ですね。
まずいきなり具体例を出しますが、建築物を見て感動するのって、よくよく考えてみておかしいと思いません?
だって、ただの壁とかですよ。これは芸術全般に言えることだけれども。
生物学的な理由を説明すると、過去にも既に音楽にしろ美術にしろ、
それにたくさん出会ってきて、それと照らし合わせて、自分の好き嫌いという感性が出来ますからね。
たくさん聞いていれば、たくさん見ていれば。建築物も同じで、ある程度ある人が見ればね、
良い悪いが分かる。その証拠として、
クラキなんかね、色の違いぐらいは分かるけど、建築物を見てもあんまり感動したりしないんですね。
ただ大姿の雰囲気だなとか、歴史を感じるなとか、そういう魅力は感じるけれども、
デザイン的な魅力は全く分かんないわけですよ。
生物学的な説明をするとこういうことなんだけど、
人間が建物を見て感動するっていうのは、今のが起点となり、
これ人に対して、人ってものを特別視してるからってちょっと飛躍しすぎかな、今の説明だと。
詳しく説明しておこうと思うんですが、
人で神秘に感動したり、でもね、どんなものでも多くにはね、
それを感動できる、自分の心に対して感動していたり、
実際、宗教やってる人で神を感じるなんていう人もいるかもしれないけど、
でもそれよりも今の建物なんかの例えだと、間違いなくね、
これを人が生み出してるってことを感動してるわけですよ。
まあいずれね、AI化で、まあそんな感覚もいずれ無くなるんだろうけど。
具体的なことを言うと、人が何十年もかけて作ったとか、
そういう背景が想像されて感動するわけですね。
それって人を特別視してるからね、おかないないでしょ。
というわけにとっては相当しか思えないんだけど、
まあ相当しか思えないところまで理解していただくには相当時間がかかりそうだけど。
要はただの物でしかないわけですよ。建築物だって。
感動の理由
そこにある石ころと何ら変わんないわけですね。
芸術全般そうだけど。音楽だってね。
ガッチャンガッチャンやってるだけにしか過ぎないんですよ。
人間がね、そういう感性があるだけで。
他の動物からしてみたらガッチャンガッチャンやってるだけですよね。
でもこれをただの音だと認識しないで、意味を感じてるわけですよ。
人間はただの生物じゃない。ましてやただの物なんかではない。
何か理由があって、この世界に生まれてきて、こういうものを想像することができて、
っていうことでしょ、特別視してるって。ただの物だと言うことではない。
ってことはそういうことですよ。生きてる意味なんかも存在して。
そんな人間が作り出してるからこそ、その芸術というものを含め、
人類がやってきたことも含め、感動してるわけですよ。
人間がただの物だとしたらね、ただの生物だとしたら、
ああ、なんか積み上げてるなぁとしか思わないでしょ、だって。
人間のうちに何かを感じる。それは自分ってものが存在してるということも含め、
人間の奥には魂みたいなものがあると。そういう神秘的な、宗教的な感覚があるから。
今回は感動っていうレベルの話ですけど、間違いなくそういうことなんですよ。
じゃなかったらすごいのはで終わるだろうし、美しいのはで終わるだろうし。
芸術全般そうだと思います。本当に感動されてばいい。
音楽の音の大きさとか、崇高さ、壮大さに感動する場合はあるかもしれないけど、音の響きがすごくて。
で、心が揺れることもあるかもしれないけど、そうじゃないですよ、でも大抵の場合。
どんな静かな音でもね、美しいなってなったと。何か神秘を感じたり。
でも神秘っていうよりもね、人間の奥に何かあると、まことしやかに思ってしまって、そうやって感動するんですよ。
それではしたっけ。